山川健次郎の情報(やまかわけんじろう) 物理学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
山川 健次郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
山川健次郎と関係のある人
中村彰彦: 山川浩・山川健次郎 建部遯吾: 事態を重く見た政府の対応として、文部大臣久保田譲、東京帝国大学総長山川健次郎の辞任、東京帝国大学教授戸水寛人の休職問題を経て、東京帝大や京都帝大のほとんどの教授・助教授陣の一括辞任にまで発展した騒動で、遯吾は筋の通った頑なな正論とも言える主張を続けた。 大正天皇: また、元女官の山川三千子は、1960年(昭和35年)の著書『女官』に、大正天皇が初めて帝国議会開会式に臨んだ1912年に遠眼鏡として覗いた光景を、姑の弟である山川健次郎が目撃した話をしていたと記している。 福来友吉: これに対し東京帝国大学の理学博士山川健次郎は特に強い興味を示し、科学的な検証を提案して来た。 田中舘愛橘: 明治17年(1884年)、山川健次郎ら海外留学経験のある東大教授らが中心となって、英語の発音に準拠したヘボン式ローマ字表記を推進する「羅馬学会」が発足する。 福来友吉: 山川健次郎が透視と念写の実験に訪れ、福来がオブザーバーとして立ち会うことになった。しかし続いて行なわれた実験で山川健次郎側が写真乾板を入れ忘れて念写を依頼する手違いがあり、山川健次郎が謝罪して一時は何とか実験が続行されることになったが、長尾郁子の超能力を疑う学者の中から一方的に「透視と念写は全くの詐欺である」旨報道陣に見解を発表、長尾郁子側は以後の実験を全く拒否し2ヶ月後に風邪で急逝した。 山野史人: 青年座『千里眼の女』(2009年) - 山川健次郎 役 黒田清隆: 開拓使による留学生事業の出身者には、山川健次郎・新島襄・津田梅子・大山捨松らがいる。 田中舘愛橘: ここでは山川健次郎から物理学を学んでいる。 東龍太郎: 妻・照子(山川健次郎三女) 大河内正敏: 1921年(大正10年)9月30日、山川健次郎(東大総長)の推薦により、理化学研究所の所長に登用される。 田中舘愛橘: 大正5年に東京帝国大学工科大学内に、航空に関する基礎研究機関設立を目的とした航空学調査委員会が山川健次郎東京帝国大学総長によって設置される。これを受けた山川健次郎総長の後援により、同年に大学附属研究所から大学附置研究所へと改称され、研究所は独立した官制を持つこととなり、その性格を改めた。 東龍太郎: 妻は東京帝国大学総長を務めた山川健次郎(枢密顧問官、男爵)の三女・照子。 勝地涼: 八重の桜(2013年) - 山川健次郎 役 長岡半太郎: 物理学科に進んでからは、教授山川健次郎や助教授田中舘愛橘、イギリス人教師ノットのもとで学んでいる。 田中舘愛橘: 山川健次郎らの祝辞に続いて愛橘は答辞し、同日に大学へ辞表を提出したことを打ち明け、辞職に対する同意を求めた。 |
山川健次郎の情報まとめ
山川 健次郎(やまかわ けんじろう)さんの誕生日は1854年9月9日です。福島出身の物理学者のようです。
事件、離婚、結婚、卒業、兄弟、ドラマに関する情報もありますね。1860年に亡くなられているようです。
山川健次郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山川 健次郎(やまかわ けんじろう、嘉永7年/安政元年閏7月17日〈1854年9月9日〉- 昭和6年〈1931年〉6月26日)は、明治から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。東京帝国大学総長の在任期間は計11年11か月に及び歴代最長。 会津藩出身で白虎隊士(途中離脱)として明治政府と戦った後、アメリカへの官費留学を経て東京開成学校・東京大学(日本人初の物理学教授)に登用された。その後、東京帝国大学理科大学長、東京帝国大学総長、明治専門学校(九州工業大学の前身)初代総裁、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校(武蔵高等学校中学校および武蔵大学の前身)校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。 嘉永7/安政元年(1854年)、陸奥国会津藩士山川重固の三男として生まれた。万延元年(1860年)、父が没し、兄・大蔵(後の山川浩)が家督を継ぐ。 明治元年(1868年)、会津戦争では同年代の柴四朗・高嶺秀夫・井深梶之助・高木盛之輔・赤羽四郎らとともに籠城戦をくぐり抜けた。若松城開城後、猪苗代に謹慎の後、越後に脱走、長州藩士・奥平謙輔の書生となる。明治4年(1871年)、斗南藩として再興後、官費留学生に選抜されジャパン号でアメリカへ留学。明治8年(1875年)、イェール大学シェフィールド理科学校で Bachelor of Philosophyの学位を取得し帰国。明治9年(1876年)、東京開成学校(翌年、東京大学に改編)教授補になり、アメリカ人ピーター・ベーダー(ピーテェル・ベダル)の助手を務める。明治12年(1879年)、日本人として初の物理学教授になる。明治21年(1888年)5月、学位令に基づき伊藤圭介・長井長義・矢田部良吉・菊池大麓とともに初の理学博士号を授与された。明治33年(1900年)5月、柴四朗・今泉六郎らとともに「会津図書館共立会」を設立し、故郷の会津に図書館を建設する運動を展開した(1904年開館)。 明治34年(1901年)、48歳で東京帝国大学総長となる。東京学士会院会員に任命される。明治36年(1903年)12月、辰野金吾・宇野朗とともに東京帝国大学名誉教授の名称を受領。明治37年(1904年)8月22日、貴族院勅選議員(1923年3月1日迄)。明治38年(1905年)、日露戦争後に、政府を非難した教授が処分される事件(戸水事件)が起こり総長職を辞任。 明治40年(1907年)、安川財閥(安川敬一郎・松本健次郎親子)の資金拠出による明治専門学校(現九州工業大学)の設立に協力、初代総裁となる。明治44年(1911年)4月1日、九州帝国大学の初代総長となる。大正2年(1913年)5月9日、再び東京帝国大学の総長となる。6月21日、九州帝国大学名誉教授。 大正3年(1914年)8月19日、澤柳事件を承け、京都帝国大学総長を兼任(1915年6月15日迄)。大正9年(1920年)、東京帝国大学総長を退任。 昭和6年(1931年) 1月16日、化膿性中耳炎のため東京帝国大学病院に入院。治療中の1月23日に胃潰瘍を併発して吐血する。中耳炎は治癒したものの胃潰瘍は改善せずに衰弱し、6月半ばからは呼吸困難に陥り、6月26日に池袋の自邸で死去。戒名は希不踰院殿慎誉平久大居士。墓所は青山霊園。 少年期に白虎隊に入隊していた時の経験を元に著した戊辰戦争を会津藩側の立場から見た『会津戊辰戦史』は死後の昭和7年(1932年)に出版された。この本は旧幕府軍側を「東軍」、新政府軍側を「西軍」と書いた初めての本であり、これ以後現代まで会津藩側の立場に立った歴史書や歴史小説では、旧幕府軍を「東軍」、新政府軍を「西軍」と書くことが多い。秩父宮妃勢津子の婚約のために奔走したのも健次郎であった。 会津藩に対する忠誠心は壮年期以降は「愛国心」に転じ、日露戦争の時にはすでに東大総長であったにもかかわらず陸軍に「一兵卒として従軍させろ」と押し掛け、人事担当者を困惑させたという。国本社では副会長をつとめ、講演活動にも熱心であった。 物理学に精通したという立場からか極めて現実主義者であり、大正時代の千里眼事件で一番早くに疑念を唱えた。 「はじめてカレーライスを食べた日本人」と諸本で紹介されていることが多い。実際にカレーライスを食した日本人一号が誰だったかはともかく、明治4年(1871年)に国費留学生としてアメリカに向かう船中でカレーライスを食べたという記述を回想録に書き残している。しかし、カレーライスを選んだのはそれが唯一米を使った料理であったからで、米だけを食べてカレーはすべて残した。 父:山川重固(直江、尚江、1860年没) - 会津藩国家老 母:艶(えん、1817–1889) - 会津藩士・西郷近登之の娘。夫の死後剃髪し勝誓院と号した。
姉:二葉(1844–1909) - 女子教育者・東京女子高等師範教諭。梶原平馬の妻となり、一児を儲け離婚。孫娘の夫に石川栄耀。 姉:ミワ(1847–1932) - 会津藩士・桜井政衛の妻となり、根室の屯田兵村に一家で入植。二女のヤエは叔母・操の養子となり、陸軍軍医総監鶴田禎次郎(1866–1934)に嫁いだ。その二女・磯子は井深梶之助の二男・健次の妻。 姉:操(1852–1916) - 明治天皇フランス語通訳兼昭憲皇太后付女官、小出光照の妻(結婚3年で死別)。養子にヤエ(姉ミワの二女)、山川黙。 姉:常盤(1857–?) - 入婿に大審院長の山川徳治(旧姓・徳力)。三男の戈登(ごるどん、1886–1910)は伯父・浩の養子となって襲爵したが、東京帝国大学在学中に病死、四男の廉(1892–1913)が爵位を継いだが、廉も早世した。娘のきくゑ(1888年生)は名尾良辰の妻。 妹:捨松(1860–1919) - 元老・大山巌公爵の妻。子に大山柏 妻:鉚(りゅう、1865–1916) - 唐津藩士・丹羽新の二女。1881年に結婚。従姉・秀の夫に辰野金吾。
四男:建 - 文部省局長、伯父の山川浩家を承継し、襲爵。貴族院議員。 次女・佐代子(九州帝国大学教授・化学者・寺野寛二(造船学者寺野精一弟)の妻. 三女:照子(1898–1990) - 東京都知事・東龍太郎の妻。東京女子高等師範学付属高等女学校卒 孫:建重 - 東海区水産研究所所長、農学博士。山川建の長男。父に次いで山川浩の男爵位を継承。 曾孫:福田宏明 - 東海大学教授、東海大学病院長。日本肩関節学会会長。山川洵の孫。 曾孫:三木邦夫 - 韓国伊藤忠商事社長。山川洵の孫。 曾孫:箙田鶴子(えびら たづこ、作家。佐代子の長女・千代の娘) 玄孫:タケシ・ワタナベ - 米国ウェズリアン大学東アジア研究センター助教授。アメリカ生まれ。 親戚 - 母方のいとこに飯沼貞吉、飯沼開弥。開弥の子に飯沼一省。 1881年(明治14年)9月24日 - 従六位 1886年(明治19年)7月8日 - 正六位 1892年(明治25年)2月29日 - 従五位 1894年(明治27年)10月10日 - 正五位 1899年(明治32年)7月10日 - 従四位 1904年(明治37年)8月1日 - 正四位 1905年(明治38年)12月27日 - 従三位 1916年(大正5年)6月10日 - 正三位 1923年(大正12年)6月30日 - 従二位 1930年(昭和5年)7月15日 - 正二位 1891年(明治24年)6月27日 - 勲六等瑞宝章 1895年(明治28年)6月21日 - 勲五等瑞宝章 1896年(明治29年)12月25日 - 勲四等瑞宝章 1899年(明治32年)12月27日 - 勲三等瑞宝章 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日中綬章 1912年(明治45年)6月27日 - 勲二等瑞宝章 1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章 1915年(大正4年)
12月1日 - 男爵 1916年(大正5年)4月1日 - 旭日重光章 1920年(大正9年)6月25日 - 勲一等瑞宝章 1928年(昭和3年)
11月10日 - 大礼記念章(昭和) 1931年(昭和6年)
6月26日 - 旭日桐花大綬章 1915年(大正4年)12月2日 - 中華民国:一等嘉禾章 『学生諸君に告ぐ』光融館、1906年7月 『武士の標本 鳥居彦右衛門尉元忠詳伝』竜見院、1915年3月 『武士道に就いて』中央教化団体連合会〈教化資料〉、1929年12月 『山川老先生 六十年前外遊の思出』武蔵高等学校校友会、1931年7月 『男爵山川先生遺稿』故山川男爵記念会編纂、故山川男爵記念会、1937年6月
『新選物理学 : 明治20年代の自筆草稿』大坪秀二解読・編集、根津育英会、2007年8月 『山川健次郎日記 : 印刷原稿第一〜第三、第十五』尚友倶楽部ほか編、芙蓉書房出版〈尚友ブックレット〉、2014年12月、ISBN 9784829506400 『理科会粋 第三秩第一冊 東京気象編』ティ、シー、メンデンホール撰著、東京大学法理文学部、1880年12月 『理科会粋 第三秩第二冊 東京気象編』ティ、シー、メンデンホール撰著 『補修 会津白虎隊十九士伝』宗川虎次著、会津弔霊義会、1926年5月
『校訂 戊辰殉難名簿』飯沼関弥、1927年11月 『会津戊辰戦史』会津戊辰戦史編纂会著、会津戊辰戦史編纂会、1933年8月
『会津戊辰戦史』会津戊辰戦史編纂会編、東京大学出版会〈続日本史籍協会叢書〉、1978年3月-10月(全2冊) 『会津戊辰戦史』マツノ書店、2003年4月 山川健次郎、「分光器観測法小引」『東京數學物理學會記事』 1885年 1巻 p.146-150, doi:10.11429/subutsukiji1885a.1.146,一般社団法人 日本物理学会、一般社団法人 日本数学会 2018年1月22日、安倍首相は、衆議院本会議で行った施政方針演説の冒頭に山川健次郎の業績を切り抜きに出した。 ^ 寺野精一#ギャラリーに写真あり ^ ローマ字表記では一貫して「Kenjiro Yamagawa」と表記(東京帝国大学編刊『東京帝国大学一覧 1907-1908』英語版、1908年、44頁)。 ^ 『男爵山川先生伝』略年譜の記載「安政元年閏七月十七日(一歳)會津若松本二ノ丁に誕生、初名重教」に依る。なお、国立公文書館所蔵の枢密院高等官転免履歴書では生年月日「安政元年甲寅七月十七日」とある。安政への改元は嘉永7年11月であるが、明治以前の改元は当該年の元日に遡って元年とみなされたため、公式上は嘉永7年=安政元年とされた。 ^ 『「明治150年」を強調』朝日新聞2018年1月23日 ^ 『私の城下町・会津若松 』宮崎十三八, 国書刊行会, 1985ン, p145 ^ 寄川条路「今泉六郎寄贈図書(洋書)の研究 日本で発見されたドイツの哲学者の自筆本をめぐって―」『明治学院大学教養教育センター紀要 カルチュール』第9巻第1号、2015年3月24日、31-54頁、NAID 120005603059。 ^ 『官報』官報 1903年12月15日「叙任及辞令」 ^ 「山川先生略年譜」( 『男爵山川先生伝』 )。 ^ 「枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 昭和ノ一」。 ^ 『官報』第3174号、大正12年3月2日。 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)331-332頁 ^ 『山川老先生 六十年前外遊の思出』武蔵高等学校校友会 p.7 ^ 山川良に関する研究 : 男爵山川健次郎長男洵の妻の記録遠藤由紀子、昭和女子大学女性文化研究所紀要47、2020-03-31 ^ 名尾良辰『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月] ^ 山川戈登『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月] ^ 水産学者山川洵に関する研究―男爵山川健次郎長男の功績遠藤由紀子、学苑 No. 953 (31)~(50)(2020・3) ^ 『大衆人事録 東京篇(第13版)』「山川建」 ^ 福田宏明先生日本肩関節学会 ^ Takeshi WatanabeYale Macmillan Center ^ 『東京日日新聞』第2940号、1881年9月27日、1面。 ^ 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日。 ^ 『官報』第4807号「叙任及辞令」1899年7月11日。 ^ 『官報』第1158号「叙任及辞令」1916年6月12日。 ^ 『官報』第5393号「叙任及辞令」1895年6月22日。 ^ 『官報』第4051号「叙任及辞令」1896年12月28日。 ^ 『官報』第4949号「叙任及辞令」1899年12月28日。 ^ 『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。 ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。 ^ 『官報』第2370号、1920年6月26日、702頁。 ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。 ^ 読売新聞 2018年1月23日朝刊11面 「山川健次郎」(国立公文書館所蔵「枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 昭和ノ一」) - アジア歴史資料センター Ref. A06051178000
花見朔巳編纂『男爵山川先生伝』故男爵山川先生記念会、1939年12月
中村彰彦『逆風に生きる : 山川家の兄弟』角川書店、2000年1月、ISBN 4048732064
星亮一『山川健次郎伝 : 白虎隊士から帝大総長へ』平凡社、2003年10月、ISBN 4582831818
改訂版『星座の人 山川健次郎 : 白虎隊士から東大総長になった男』ぱるす出版、2021年9月、ISBN 482760262X 『山川健次郎小伝』 山川健次郎顕彰会、2004年7月 笠井尚『山川健次郎と乃木希典 : 「信」を第一とした会津と長州の武士道』長崎出版、2008年8月、ISBN 9784860952617 早川広中・木下健『東大総長山川健次郎の目指すべき国家像と未来』長崎出版、2011年3月、ISBN 9784860954567 九州大学百周年記念事業推進室編『九州帝国大学初代総長 山川健次郎』九州大学百周年記念事業推進室、2011年6月 『評伝山川健次郎 : 士君子の肖像』山川健次郎顕彰会、2013年11月 『山川健次郎日記』尚友ブックレット:芙蓉書房出版、2014年12月。大正期の日記。尚友倶楽部史料調査室編 『八重の桜』(2013年、NHK大河ドラマ、演:勝地涼)
『山川健次郎』 - コトバンク 『山川 健次郎』 - コトバンク 山川 健次郎:作家別作品リスト - 青空文庫 近代日本人の肖像 山川健次郎 - 国立国会図書館 東京帝国大学総長・貴族院議員 山川 健次郎 - 会津若松市 山川健次郎関係資料 | 東京大学学術資産等アーカイブズポータル 新・学問のすゝめ 東大教授たちの近代 第2回 "Beat the whites"と"by Jap anyway"の間 物理学者の屈辱と栄光(岡本拓司) - UTokyo OCW(東京大学オープンコースウェア) 山川健次郎 京都大学 歴代総長・教授・助教授履歴検索システム - 京都大学 白虎隊士から東大総長へ(山川健次郎) 山川健次郎の生涯~白虎隊から東大総長へ | WEB歴史街道 表 話 編 歴 一木喜徳郎 1921-1926 山川健次郎 1926-1931 事務取扱/校長 山本良吉 1931-1936/1936-1942 事務取扱/校長 山川黙 1942/1942-1946 事務取扱 玉虫文一 1946 宮本和吉 1946-1950 宮本和吉 1949-1956 吉野信次 1956-1965 正田建次郎 1965-1975 鈴木武雄 1975 代行/学長 岡茂男 1975-1976/1976-1984 浅羽二郎 1984-1988 小原広忠 1988-1992 桜井毅 1992-2000 横倉尚 2000-2006 平林和幸 2006-2010 清水敦 2010-2014 山嵜哲哉 2014-2022 高橋徳行 2022- カテゴリ メディア 武蔵大学 学校法人 人物 表 話 編 歴 法理文三学部綜理 加藤弘之 1877-1881 医学部綜理 池田謙斎 1877-1881 加藤弘之 1881-1886 事務取扱 外山正一 1886 事務取扱 外山正一 1886 初代 渡辺洪基 1886-1890 第2代 加藤弘之 1890-1893 第3代 浜尾新 1893-1897 第3代 浜尾新 1897 第4代 外山正一 1897-1898 第5代 菊池大麓 1898-1901 第6代 山川健次郎 1901-1905 第7代 松井直吉 1905 第8代 浜尾新 1905-1912 事務取扱 桜井錠二 1912 第9代 山川健次郎 1913-1920 第10代 古在由直 1920-1928 第11代 小野塚喜平次 1928-1934 第12代 長与又郎 1934-1938 事務取扱 佐藤寛次 1938 第13代 平賀譲 1938-1943 事務取扱 寺沢寛一 1943 第14代 内田祥三 1943-1945 第15代 南原繁 1945-1947 第15代 南原繁 1947-1951 第16代 矢内原忠雄 1951-1957 第17代 茅誠司 1957-1963 第18代 大河内一男 1963-1968 事務取扱/第19代 加藤一郎 1968-1969/1969-1973 第20代 林健太郎 1973-1977 第21代 向坊隆 1977-1981 第22代 平野龍一 1981-1985 第23代 森亘 1985-1989 第24代 有馬朗人 1989-1993 第25代 吉川弘之 1993-1997 第26代 蓮實重彦 1997-2001 第27代 佐々木毅 2001-2005 第28代 小宮山宏 2005-2009 第29代 濱田純一 2009-2015 第30代 五神真 2015-2021 第31代 藤井輝夫 2021- 辻新次 1872 辻新次 1872 柳本直太郎 1872 副長 伴正順 1872-1873 学長/校長 伴正順 1873/1873 畠山義成 1873-1874 畠山義成 1874-1876 校長補 浜尾新 1875-1877 綜理 加藤弘之 1877 学長 長谷川泰 1872 学長/校長 相良知安 1872-1873/1873-1874 相良知安 1874 長与専斎 1874-1877 池田謙斎 1877 権頭/頭 楠田英世 1871-1873/1873-1875 第二局法学課長 杉山孝敏 1875-1877 学校課長 青山貞 1877-1879 学校課長/生徒課長 植村長 1879-1880/1880 生徒課長/第七局長 黒川誠一郎 1880-1881/1881-1884 書記局学務課長 加太邦憲 1884-1886 心得 加太邦憲 1884-1885 山尾庸三 1871-1872 権頭/頭 大鳥圭介 1875/1875-1877 大鳥圭介 1877-1882 大鳥圭介 1882 副長 竹田春風 1882-1886 関沢明清 1877-1882 関沢明清 1882-1885 岩山敬義 1885-1886 前田献吉 1886 松野礀 1881-1886 前田献吉 1886-1889 高橋是清 1889 前田正名 1889-1890 肥田昭作 1874-1876 服部一三 1876-1877 主幹 服部一三 1877-1879 主幹 浜尾新 1877-1880 主幹/予備門長 服部一三 1880-1881/1881-1882 杉浦重剛 1882-1885 事務取扱 小林小太郎 1885 心得/予備門長 野村彦四郎 1885-1886/1886 野村彦四郎 1886-1887 古荘嘉門 1887-1889 木下広次 1889-1893 嘉納治五郎 1893 心得 久原躬弦 1893-1894 心得/校長 久原躬弦 1894/1894-1898 澤柳政太郎 1898 狩野亨吉 1898-1906 事務取扱/校長 今村有隣 1906/1906 新渡戸稲造 1906-1913 瀬戸虎記 1913-1919 事務取扱/校長 菊池寿人 1919/1919-1924 杉敏介 1924-1929 森巻吉 1929-1937 橋田邦彦 1937-1940 事務取扱 佐久節 1940 安倍能成 1940-1946 事務取扱 日高第四郎 1946 天野貞祐 1946-1948 麻生磯次 1948-1949 矢内原忠雄 1949-1950 湯原元一 1921-1927 塚原政次 1927-1934 近沢道元 1934-1940 藤原正 1940-1945 峰尾都治 1945-1949 矢内原忠雄 1949-1950 高木貞二 1950-1951 塩谷不二雄 1939-1943 事務取扱/主事 颯田琴次 1943/1943-1944 部長/事務取扱 颯田琴次 1944-1947/1947 事務取扱 颯田琴次 1947-1952 カテゴリ メディア 東京大学 東京大学 源流・前身諸機関 人物 表 話 編 歴 初代 木下広次 1897-1907 事務取扱 久原躬弦 1907 第2代 岡田良平 1907-1908 第3代 菊池大麓 1908-1912 事務取扱/第4代 久原躬弦 1912/1912-1913 第5代 澤柳政太郎 1913-1914 事務取扱 荒木寅三郎 1914 第6代 山川健次郎 1914-1915 第7代 荒木寅三郎 1915-1929 第8代 新城新蔵 1929-1933 第9代 小西重直 1933 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yamakawa kenjirou
山川健次郎と同じ誕生日9月9日生まれ、同じ福島出身の人
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