平尾昌晃の情報(ひらおまさあき) 歌手、作曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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平尾 昌晃さんについて調べます
■名前・氏名 |
平尾昌晃と関係のある人
松本隆: 青空のバラード(作曲:平尾昌晃) 山下敬二郎: 2009年10月25日「ボクらの時代」(フジテレビ)に平尾昌晃、ミッキー・カーチスと出演。 小野ヤスシ: また自身は40年来の日本聖公会の信徒で、バルトロマイという洗礼名を持っていたことから葬儀はキリスト教式で営まれ、7月3日の告別式では加藤茶・高木ブー・仲本工事・平尾昌晃・ミッキー・カーチスなど長年の親交が深かった芸能仲間が参列。 五木ひろし: 港・ひとり唄(1981年6月) 「港・ひとり唄」収録 平尾昌晃・五木ひろし作品集 ミッキー・カーチス: 当時は平尾昌晃、山下敬二郎と共に「ロカビリー3人男」として高い人気を誇る。 伊藤アキラ: ヒロミ(歌:原田潤、作曲:平尾昌晃) 中条きよし: 審査員の作詞家・小説家の山口洋子の後押しで、審査員だった作曲家・平尾昌晃らの命名により芸名を中条きよしに変え、山口が作詞し平尾が作曲した演歌「うそ」で1974年1月、キャニオン・レコードから3度目 安井かずみ: お祭りの夜(作曲:平尾昌晃) 山下敬二郎: 1970年には平尾昌晃のリサイタルにゲスト出演、それをきっかけにデノン(日本コロンビア)から8年ぶりのレコード「愛しているなら」を川内康範のプロデュースのもとリリースした。 松本隆: 愛に肩寄せて(作曲:平尾昌晃) 林伊佐緒: 事件記者(平尾昌晃) 五木ひろし: 初期はロカビリー出身の作曲家・平尾昌晃とのコンビで売り出し、ポップス風の歌謡曲から次第に演歌へとシフトしてきたクロスオーバー的な経歴の持ち主であり、演歌のみに留まらず、歌謡曲、バラード、R&B、ポップス、フォーク、ニューミュージック、クラシカル、ジャズ、シャンソン、カンツォーネ、ロック、ラテン、民謡、童謡など、あらゆるジャンルの作品を歌いこなしてきた。 風吹ジュン: 作詞:有馬三恵子/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一 小柳ルミ子: 作曲家平尾昌晃がプロデュースする「わたしの城下町」で歌手デビューすると160万枚を売り上げ、1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得した。 マキノ正幸: 川地民夫から「平尾昌晃の学校がすごい人気だ」と芸能学校の経営を勧められ、芸能界の人脈を伝手に講師を集め、長門を理事長に1983年4月に沖縄初の芸能学校沖縄アクターズスクールを開校。 岡本舞子: 平尾昌晃ミュージックスクール東京本校出身。 石野真子: この年の秋、平尾昌晃歌謡学院の講師から「本気で歌手になる気があるならオーディションを受けてみないか、君の実力ならきっと受かると思う」と勧められる。 松本隆: はあとふる(作曲:平尾昌晃) 浜田朱里: 作詞:浅野裕子/作曲:平尾昌晃/編曲:萩田光雄 森岡賢一郎: 畑中葉子&平尾昌晃 五木ひろし: 平尾昌晃 畑中葉子: 作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一 畑中葉子: 作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路 川田ともこ: 全作詞:片桐和子、作曲:平尾昌晃、編曲:竜崎孝路 木原さとみ: 平尾昌晃ミュージックスクール福岡校、ジャパン・アーチスト音楽学院東京校で音楽を学ぶ。 遠藤麻子: 平尾昌晃プロアマチャリティーゴルフ(テレビ東京) - アシスタント 畑中葉子: 作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎 山口洋子: 読売テレビの視聴者参加型歌番組『全日本歌謡選手権』で山口と同じく隔週でゲスト審査員として出演していた作曲家平尾昌晃とはゴールデンコンビとして知られた。 久美かおり: ホテルニューオータニなどでジャズを歌っていたところ平尾昌晃に認められたことがきっかけで、渡辺プロダクションに所属する。 松本隆: はだしの冒険(1975年6月10日、作曲:平尾昌晃) |
平尾昌晃の情報まとめ
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平尾 昌晃(ひらお まさあき)さんの誕生日は1937年12月24日です。神奈川出身の歌手、作曲家のようです。
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作曲家としての提供曲、歌手としての作品などについてまとめました。脱退、映画、事件、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。平尾昌晃の現在の年齢は86歳のようです。
平尾昌晃のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。 化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。 東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。 小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える。11歳のとき、のど自慢大会に出場し「奥様お手をどうぞ」を英語で歌い、鐘3つの合格点をもらう。 藤沢市に住み、ジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山らと知り合う。慶應義塾高等学校中退後、ウエスタンの人気バンド、チャック・ワゴン・ボーイズに入る。しばらくして、チャック・ワゴン・ボーイズはボーカルの小坂一也が脱退したため、オールスターズ・ワゴンとなる。 1957年、ジャズ喫茶「テネシー」に出演していた際、ステージを見た渡辺プロの渡辺美佐と映画監督井上梅次に見初められ、同年に公開された石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』に出演する。自身としても、翌1958年1月、キングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デビューする。同曲の売上は芳しくなかったが、続いて同年3月に発表した「監獄ロック」が10万枚を売り上げるヒットとなる。その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎(後にこの2人は渡辺プロに所属する)と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」などで爆発的な大人気を博した。1958年には、キングレコードからオリジナルナンバーである「星は何でも知っている」1960年4月には「ミヨチャン」(ミヨちゃん)を発表し、2曲共に100万枚を売り上げる大ヒットとなった。売上に関しては、「星は何でも知っている」は50万枚、「ミヨちゃん」は40万枚 とする文献もある。 「ミヨチャン」の元歌は、戦前から中学生の間で流行していた作曲者不詳の歌で、平尾は高校生の頃に覚えたという。それを基に現代(1960年当時)向きの歌詞をつけてリメイクしたのが平尾の「ミヨチャン」である。 ポール・アンカが作詞・作曲した「好きなんだ! (I Love You)」は、日本での売上は10万枚程度に留まったが、ハワイでは地元ラジオ局KPOI(英語版)が流したことをきっかけにリクエスト・ランキングで1位を記録する大ヒットとなった。1959年12月、ハワイで開催された「アメリカン・ポップス大会」では、日本代表として歌唱した。 1965年2月20日、拳銃不法所持で逮捕される。平尾が独自にハワイから持ち帰り、帰国後「日頃、興行でお世話になっているから」と、名古屋と東京の暴力団組長に拳銃をプレゼントした事件が発覚した。平尾は22日間拘留され、釈放後「軽率だった」との反省文が雑誌に掲載された。 ロカビリーブームが去った1965年頃、北海道からじわじわ火がつき始めた「おもいで」で再ブレイクする。「おもいで」は、渡辺プロの新人歌手だった布施明が1966年に再レコーディングし、これもヒットとなった。続けて、作曲家として「霧の摩周湖」「恋」、じゅん&ネネ「愛するってこわい」、梓みちよに提供した「渚のセニョリーナ」などがヒット。「霧の摩周湖」、「渚のセニョリーナ」では、第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞した。 その後も作曲家として非凡な才能を発揮していたが、1968年12月3日、結核を患い健康保険岡谷塩嶺病院への長期間入院による療養を余儀なくされ、翌1969年5月と6月に2度にわたる大手術を経て、肋骨を6本取り除く。1969年11月30日に退院。平尾自身は、この療養期間が作曲家としての活動の原点であることを事あるごとに語っている。 1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス調まで様々な作風の曲を、五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャンらに提供している。作詞家の山口洋子とのコンビは、この時代を代表するゴールデン・コンビとして知られている。 1971年、五木に提供した「よこはま・たそがれ」、小柳に提供した「わたしの城下町」がそれぞれ大ヒットする。 1972年、小柳に提供した「瀬戸の花嫁」が第3回日本歌謡大賞を受賞する。 1973年、五木に提供した「夜空」が第15回日本レコード大賞を受賞する。 1974年、平尾昌晃音楽学校(現:平尾昌晃ミュージックスクール、HMS)を創立する。東京本校の他、札幌、所沢、茨城、名古屋、大阪、福岡、鹿児島にも地方校があり、デビューのバックアップもする。同校出身者は狩人、畑中葉子、川島なお美、石野真子、松田聖子、川崎麻世、大沢逸美、森口博子、芳本美代子、笹峰愛、倖田來未、後藤真希、西田あいなど。歌手としては、生徒の一人である畑中葉子とデュオを組み、「カナダからの手紙」「ヨーロッパでさよなら」などのヒットを出した。また、彼が日本でのデビューのきっかけを作ったアグネス・チャンとも、「香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)」でデュオを組んだ。 1970年代のNHKの人気番組『レッツゴーヤング』の司会などにも携わる一方、『平尾昌晃の部屋』など、ラジオ番組のパーソナリティも務めた。その他、人気テレビ番組『熱中時代』での「僕の先生はフィーバー」、「やさしさ紙芝居」、『熱中時代-刑事編』の「カリフォルニア・コネクション」の他、ABC発テレビ朝日系時代劇の『必殺シリーズ』、アニメ『銀河鉄道999』などの音楽を手がける。 また1980年代初頭から宝塚歌劇団の舞台音楽も手がけており、こちらは晩年まで長きにわたって関係が続いた。 音楽活動のみならず、『ものまねバトル』(日本テレビ系)の審査員、チャリティゴルフの企画など、幅広く活躍した。俳優としても、『二階の他人』などに出演している。 競走馬オーナーとしては中央競馬で3勝したスーパーミヨチャンなどを所有した。また、ジャパンカップ優勝のローズキングダムの一口馬主でもあった。オートレースのファンとしても有名で、川口オートレース場には年間ボックスシートを持っているほどだった。作曲者としても川口オートのテーマソングとなる『ぶっちぎりの青春』を提供した。 2001年、モンブラン国際文化賞受賞。 2002年、特定非営利活動法人ラブ&ハーモニー基金を設立、音楽を通じた福祉活動を展開する。 2003年、紫綬褒章受章。 2004年に三男の平尾勇気が歌手デビューを果たす。 2005年、歌手を目指す若い人、生徒のために自主レーベルのHMSレコードを立ち上げて、優秀な生徒をCDデビューさせている。 2006年、大晦日の『第57回NHK紅白歌合戦』では同年3月に逝去した宮川泰の後を受け「蛍の光」の指揮者に就任し、2016年の第67回まで11年間務めた。ただし、宮川やその前任の藤山一郎、前田璣などと比較するべくもなく本格的に勉強した指揮法ではなく、いわば名誉職的な役割であることを本人も認めている。 肺結核で片肺を切除して以来、肺疾患が慢性化。たびたび体調不調に悩まされた。 2014年末には原発性肺高血圧症に起因する肺炎で危篤状態となったが、この時は奇跡的に持ち直している。 2015年に肺がんであることが判明。体力面を考慮して手術を回避。以降は呼吸補助器を携行しながら、公の場にも積極的に顔を出していた。その後2017年5月「息苦しい」と訴え約1か月にわたって入院。一時は回復したものの、同年7月13日に「蒸し暑く体調が悪い」と訴え、病院で検査の結果「肺炎の疑い」との診断で入院。だがこの時も食欲は旺盛で、病室でテレビを楽しんでいたという。 しかし7月21日深夜に容体が急変。病院にかけつけた夫人や数人の親族に看取られ、同日23時40分、肺炎のため東京都内の病院で急逝した。79歳(享年81)だった。訃報後の7月23日、2016年に再々婚していたことが明らかとなった。平尾の葬儀は親族らによる密葬の形で7月30日に執り行われたため、10月30日に東京・青山葬儀所にて渡邊美佐(渡辺プロダクショングループ代表)を葬儀委員長とし、故人と縁のあった布施明、原辰徳、青木功らを発起人とし『故 平尾昌晃 葬儀・告別式』と題して公のお別れの会が行われ、原が弔辞を読み、布施と五木ひろしが「霧の摩周湖」と「よこはま・たそがれ」を霊前に捧げるべく熱唱し、葬儀に参列した歌手らにより小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を合唱するなどして故人を偲んだ。 没後に第59回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた。 没後三回忌を迎えた2019年7月、平尾の遺骨が谷中霊園に在る平尾家先祖代々の墓所に納められた。 宮崎県の名物料理にのり巻きの一種レタス巻きがあるが、この誕生には平尾と常連として訪れていた宮崎市の一平寿しの店主との友情が誕生の切っ掛けになっている。 レタス巻きの誕生1966年(昭和41年)で、当時平尾は野菜嫌いで医者から「野菜を食べなさい」と言われていた。それを聞いた常連だった一平寿しの店主が具材にレタスを用いたのり巻きを考案。尚、具材はレタス以外に海老を使う。また、マヨネーズを用いた。のり巻きにマヨネーズを使うのは当時画期的だった。その後一平寿しはレタス巻き発祥の寿司屋となる。 作曲家としての提供曲サウンドトラック朝日放送
TBSテレビ
明日の刑事 テレビ朝日
遠山の金さん(高橋英樹主演版) よみうりテレビ
あ行藍美代子
「星の子チョビン」「星のしずくの子守唄」(「星の子チョビン」主題歌・副主題歌) 葵三音子
朝比奈マリア
アグネス・チャン
「星に願いを」 「愛の迷い子」 「香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)」 梓みちよ
「二人でお酒を」 「淋しがりや」 天地真理
「愛のメロディ」(不二家チョコレートメロディのCMソング) 鮎川いずみ
「花の涙」(朝日放送系「必殺仕事人IV」主題歌) 荒木一郎
荒木由美子
「UNHAPPY END」 「夢あわせ」 アン・ルイス
五木ひろし
「長崎から船に乗って」 「あなたの灯」 「霧の出船」 「ふるさと」 「夜空」 「別れの鐘の音」 「港・ひとり唄」 伊東ゆかり
「恋のしずく」 「星を見ないで」 「知らなかったの」 「愛して愛して」 「朝を返して」 大場久美子
大塚たけし
奥村チヨ
尾崎紀世彦
小沢深雪
か行柏原芳恵
「古都の恋めぐり」 「恋愛写真」 梶芽衣子
春日八郎
金沢明子
狩人
川崎麻世
川谷拓三
川田ともこ
北川大介
「黄昏の向こう側」 「君の住む町で」 北川大介・瀬川瑛子
こおろぎ'73
小柳ルミ子
「お祭りの夜」 「雪あかりの町」 「瀬戸の花嫁」(作詞:山上路夫) 「京のにわか雨」(作詞:なかにし礼) 「漁火恋唄」 「恋にゆれて」 「恋の雪別れ」 「花のようにひそやかに」(作詞:阿久悠) 「ひとり囃子」 「みだれ髪」 「青林檎」(作詞:一青窈) さ行ささきいさお
「ぶっちぎりの青春」(川口オートレース場テーマソング) 桜田淳子
里見浩太朗
沢田研二
「『風の中のあいつ』主題歌(タイトル不明)」 渋谷哲平
ジャッキー吉川とブルーコメッツ
じゅん&ネネ
園まり
「泣きぬれて」 「おもいきり泣かせて」 た行田川裕之
千葉まなみ
「娘ざかり」 「ときめきの季節」 「青い嵐」 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
ザ・ドリフターズ
な行永井みゆき
中尾ミエ
「淋しそうなあなた」 中条きよし
「うすなさけ」 「理由」 仲雅美
中村雅俊
中山千夏
成田賢
西崎みどり
「さざなみ」(「必殺仕業人」主題歌) 「流星」(「新・必殺仕舞人」主題歌) 西田あい
「ときめきカフェテラス」 「月見草」 「雨おんな」 「涙割り」 野口五郎
は行橋幸夫&ステファニー
林寛子
平尾昌晃&畑中葉子
「エーゲ海の旅」 「サンフランシスコ行き」 「ヨーロッパでさよなら」 畑中葉子
原辰徳
原田潤
氷川きよし
大安蓮(ひろあれん)
藤田絵美子
布施明
「霧の摩周湖」(作詞:水島哲) 「恋」 「愛の園」 「バラ色の月」 「愛は不死鳥」 「白いラヴレター」 「何故」 風吹ジュン
「涙に微笑みを」 本田博太郎
ま行松田聖子
水木一郎
みずきあい
水谷豊
「やさしさ紙芝居」(「熱中時代」先生編 第2シリーズ 主題歌、作詞:松本隆) 「エンジェルSTREET」(「探偵 左文字進」シリーズ主題歌、作詞:湯川れい子)[1] 三井由美子
美空ひばり
ミッツ・マングローブ
三波春夫
三橋美智也
郷愁/鵜の浜小唄 都はるみ
森本太郎とスーパースター
や行以降山口百恵
山川豊
「霧雨のシアトル」 「ロスの街角」(作詞:編曲:冬樹かずみ) 山下雄三
吉沢京子
ラブリーズ
その他ぶっちぎりの青春(川口オートレース場のイメージソング。歌は佐々木功) オートレースのファンファーレ ともだちがいる(第42回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲) やすらぎの時代へ ムーンライト・カーニバル(NHKレッツゴーヤングオープニング曲、作詞:森雪之丞) ころがれアルマジロ(NTV『新・ロンパールーム』オープニングテーマ曲。作詞:藤公之介、作曲:平尾昌晃、編曲:田辺信一、歌:やまみどり、コロムビアゆりかご会) など多数。 また、高等学校の校歌や企業の社歌を作曲したこともある。 歌手としての作品シングルキングレコード リトル・ダーリン / バター・フィンガース(1958年1月、EA-25) かんごくロック / ロンサム・カウボーイ(1958年3月、EA-32) ダイアナ(1958年6月、EA-36)ポール・アンカのカバー。山下敬二郎と競作になった。
ルシヤ / 五木の子守唄ロック(1958年6月、EA-43) クレイジー・ラヴ (1958年7月、EA-48) ジーン・ヴィンセントのカバー
星はなんでも知っている / ロック夕やけ小やけ(1958年7月、EB-108) 心のうずくとき / ロック・会津磐梯山(1958年9月、EA-54) ジングル・ベル / 別れのワルツ(1958年10月、EA-59) 星の降る夜は / ロック聖者が街へやって来る(1958年11月、EB-124) 好きなんだ! (I Love You)(1958年12月、EA-71)- 作詞・作曲:ポール・アンカ
単車で飛ばそう / 木枯らし吹けば(1958年12月、EB-136) 東京ロマンスウエイ / ロック・枯葉(1959年2月、EB-148) ロック・おてもやん / コメ・プリマ(1959年4月、EB-163) 浮かれ祭り / 黒い地帯(1959年5月、EB-171) カン・カンからすの勘三郎 / ぐっとほれたぜ(1959年7月、EB-170) 男だけの世界 / 一人にしておくれ(1959年8月、EB-179) 事件記者(1959年11月、EB-228。B面は三船浩「110番」) 北風の十字路/ 流れ星だぜ(1959年12月、EB-260) 恋の片道切符(1960年2月、EB-310)- ニール・セダカのカバー
ミヨチャン / あの日から(1960年4月、EB-325) 南の島は恋の島 / 島原地方の子守歌(1960年5月、EB-339) ランニング・ベア(英語版)(悲しきインディアン)(1960年5月、EA-109)- ジョニー・プレストン(英語版)のカバー
マウイ・ガール / アロハ・オエ(1960年7月、IS-2002) 嘆きの道化師 / ドミノ(1960年8月、EB-417) あの娘16、おさげ髪 / 木曽の仲のりさん(1960年10月、EB-383) 都の灯りにあこがれて / リカちゃん(1960年10月、EB-419) ワゴン・トレイン(幌馬車隊)(1960年10月、EB-7025)テレビ西部劇『幌馬車隊(英語版)』主題歌のカバー
嫌じゃありませんか / 水車がガッタンコ(1961年、EB-464)- 平尾昌章名義 ギラギラロック(1961年4月、EB-7033)
おもいで / しあわせは音もなく(1961年5月、EB-496) いとしのルチア / 道中伊勢音頭(1961年6月、EB-7036) 夢の恋人 / 星の降るよな晩だった(1961年7月、EB-519)- 平尾昌章名義 ムームー・ソング / 夏の日の想い出(1961年7月、EB-552) 涙のムーディー・リヴァー(英語版)(1961年8月、EB-7043)- チェイス・ウェブスターやパット・ブーンらが歌った曲のカバー
思い出の歌(1961年10月、EB-569)- 平尾昌章名義
ジャニー・ギター(1961年12月、SEB-49)- ペギー・リーのカバー
ジングル・ベル / 別れのワルツ (Auld Lang Sayne)(1961年、EA-59)- 平尾昌章名義 ビクターレコード 愛してほしいの/ 恋の聴診器(1962年5月、PV-4) 夏の夜の恋 / 何も言えずに(1962年、VS-726) 哀愁のバイパス道路(VS-861)
甘い暴力 / チャンスを逃すな(1963年5月、PB-35) さあ!オリンピックだ(1964年、VA-1194)
スピード野郎(1964年)- ミュージカル「ラップ3分2秒8」主題歌
ローヤルレコード あいつの涙 / お月さま(1966年4月、RQ-617) 破れた恋にも虹がある / ひとりごと(1967年、キングレコード、BS-640) 星は何でも知っている / 砂に書いたラブレター(1976年、L-26A) 上陸!ロックン・ロール・タイフーン / 聖者の行進(1977年6月、CBSソニー、08SH-158) カナダからの手紙 / 揺れる二人(1978年1月10日、ビクターレコード、SV-6340)- 畑中葉子とデュエット エーゲ海の旅 / 恋ごころ(1978年4月25日、ビクターレコード)- 畑中葉子とデュエット サンフランシスコ行き / 赤いレインコート(1978年、ビクターレコード)- 畑中葉子とデュエット ヨーロッパでさよなら / 東京ラブ・ストーリー(1978年、ビクターレコード、SV-6496)- 畑中葉子とデュエット 手錠をかけろ / 青春のみちしるべ(ビクターレコード、SV-6655) 遠い町 / シンガーソングライター(1979年)- NHK『レッツゴーヤング』エンディングテーマ曲 香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)/ 夕焼け(2002年7月21日)- アグネス・チャンとデュエット 星空デート / 恋ふたたび(2012年4月4日)- 木の実ナナとデュエット アルバム
決定版 2016 平尾昌晃(2015年11月11日) 必殺仕事人 新録劇伴集((必殺仕事人2007〜)(2016年11月30日、YZHM-30101) 2024/06/15 11:46更新
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平尾昌晃と同じ誕生日12月24日生まれ、同じ神奈川出身の人
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