木下順二の情報(きのしたじゅんじ) 劇作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
木下 順二さんについて調べます
■名前・氏名 |
木下順二と関係のある人
古田新太: 中学校に入ってからバンドを組み、高校ではライブハウスに出演する傍ら演劇部に所属し、木下順二の戯曲『夕鶴』の与ひょう(よひょう)や別役実の作品に出演していた。 肝付兼太: その演劇部で木下順二の『夕鶴』を上演したのがきっかけで芝居の道へ進む。 宇野重吉: 木下順二作『三年寝太郎』などの民話劇を上演するが左肺を癌に冒され、1987年3月に摘出手術を受けた。 麿赤兒: 中高時代は演劇部に所属、木下順二やチェーホフの短編などを公演した。 赤羽末吉: 一方、絵本を読んだ木下順二の依頼で、1962年に木下が脚本を担当した名古屋西川流の舞踊劇『花若』の舞台美術(衣装を含む)を手がける。 佐藤輝: 子午線の祀り (1999年) -伊勢三郎義盛役 木下順二作 観世栄夫ほか演出 新国立劇場 米倉斉加年: 1992 リア王 W・シェイクスピア 木下順二 演出 主演 坂本長利: 1953年、木下順二作『風浪』で初舞台を踏み、さらに木下作『三年寝太郎』、宮本研作『明治の柩』などに出演した。 三田和代: 子午線の祀り(1999年、新国立劇場 作:木下順二 演出:観世栄夫、内山鶉、酒井誠、高瀬精一郎) 清水崑: かにむかし(木下順二文 岩波書店 1959年) 稲垣隆史: 『巨匠』(1997年、劇団民藝 作:木下順二 演出:内山鶉) - ピアニスト 役 笙野頼子: 藤枝静男や川村二郎、木下順二から選評で賛辞を受けるも、田久保英夫はこれを「小説の文章とは思えない」と評した。 山本安英: 築地小劇場の創立第一期メンバーで、戦後は木下順二作の戯曲『夕鶴』のヒロイン・つう役を1000回以上にわたって演じたことで知られる。 三浦威: オットーと呼ばれる日本人(木下順二作、2000年、オットー役) 團伊玖磨: 1949年(昭和24年):木下順二作品の民話劇『夕鶴』の演劇付帯音楽を作曲。 米倉斉加年: 1987 夏・南方のローマンス-神と人とのあいだⅡ- 木下順二 宇野重吉 内山鶉 山本安英: 同年9月25日に音羽に近い蓮光寺に納骨され、木下順二揮毫の「山本安英ここに眠る」の文字と西暦の没年月日が刻まれた墓標が建立された。 山本安英: 学生だった木下順二と出会ったのはこの頃である。 瀬川康男: 文章は木下順二。 岡田利規: 歌劇『夕鶴』(2021年10月、東京芸術劇場、作曲:團伊玖磨、台本:木下順二) 八木柊一郎: 60年安保の際には木下順二、宮本研らと劇作家グループに参加。 米倉斉加年: 1988 おんにょろ盛衰記 木下順二 宇野重吉 山本安英: この上演は、宇野重吉が1988年に没した後、宇野の総合演出時代にカットした部分を、木下順二の意向により含めた初の全編上演となった。 菅井幸雄: 明治大学在学中から木下順二に師事。 飯塚昭三: その時に木下順二の『夕鶴』で与ひょう役を演じ、福島県の演劇コンクールで2位を獲得。 桑山正一: 戦後、帰国後しばらく自由労働者をした後、木下順二が主宰する劇団「ぶどうの会」に参加。 武田清子: 加藤周一、木下順二、丸山真男 著、武田清子 編『日本文化のかくれた形』岩波書店〈同時代ライブラリー〉、1991年。 野沢那智: 午後の物理、数学の授業には出席せず、裁縫室にこもり、裁ち台を舞台にして、演劇の稽古に熱中し、木下順二の『彦市ばなし』などを上演していた。 宮城与徳: 1962年にゾルゲ事件をモチーフとして作られた木下順二の戯曲『オットーと呼ばれる日本人』に登場する、宮城がモデルの登場人物について、九津見は「まことにふざけたもので、あれは宮城さんではない」「あの劇の宮城さんはいかにも軽薄そのもののようですが、全く違います。 宮本常一: 木下順二らと雑誌『民話』を創刊。 |
木下順二の情報まとめ
木下 順二(きのした じゅんじ)さんの誕生日は1914年8月2日です。東京出身の劇作家のようです。
賞歴、著書などについてまとめました。事件、趣味、ドラマに関する情報もありますね。92歳で亡くなられているようです。
木下順二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)木下 順二(きのした じゅんじ、1914年〈大正3年〉8月2日 - 2006年〈平成18年〉10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。母方の伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人(戦後民主主義者)であった。 東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。父は熊本県伊倉町長を務めた木下弥八郎、祖父は玉名郡長・衆議院議員を務めた木下助之。異母兄は天文学者の木下國助、異母姉・静は侍従次長の木下道雄に嫁いだ。第二女子師範附属小学校を経て郷里熊本市に戻る。実家は祖父の代まで惣庄屋を務めた熊本の名家だった。旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)、第五高等学校を経て1936年、東京帝国大学文学部英文科に入学し、中野好夫の指導でシェイクスピアを専攻した。1939年、法政大学講師。1941年東京大学大学院文学部英文科修士課程修了。 第二次世界大戦後、明治大学講師となる。1947年、山本安英らと劇団『ぶどうの会』を結成。『彦市ばなし』などの民話劇を経て『婦人公論』1949年1月号に『夕鶴』を発表(10月丹波市天理教講堂でぶどう座が初演、1950年1月東京初演)。同年「夕鶴」で毎日演劇賞を受賞。『芸術』1949年3月号に『山脈』を発表(3月29日 - 4月14日初演、三越劇場、民芸)。『世界』1951年6-7月号に『蛙昇天』(1952年6月、三越劇場、ぶどうの会初演)を発表。1952-64年に明治大学文学部教授。 他に明治初期の熊本が舞台の『風浪』(処女作を改稿した作品)や、ゾルゲ事件を題材とした『オットーと呼ばれる日本人』(1962年に劇団民藝で初演)、東京裁判を題材とする『神と人とのあいだ』などで戦後日本の演劇人を代表する作家となる。作品は「劇団民藝」や「前進座」でよく上演された。前者を主宰した宇野重吉とは生涯の同志であった。 1967年、山本安英らと「ことばの勉強会」を開始。 1978年に『文藝』誌上に発表した『子午線の祀り』は『平家物語』に基づいて、叙事詩的な「語り」を「群読」というスタイルを導入することで演劇化すると同時に、現代劇のスタイルと歌舞伎・能・狂言といった伝統芸能のスタイルとの融合を実現した。その後も、作品論『平家物語 古典を読む』や児童出版で「絵巻平家物語」を刊行した。 戯曲・小説・演劇評論のほかに、ライフワークにシェイクスピア作品の訳・上演など、広い分野に著作があり、それらは『木下順二集』(岩波書店 全十六巻)にまとめられた。 乗馬・馬術を愛し、旧制五高時代は馬術部主将を務め、インターハイで3位入賞の経験もある。1995年には『馬の文化叢書』でJRA賞馬事文化賞を受賞。2000年に、趣味で収集した国内有数の“馬の本”コレクション約3000冊を馬事文化財団に寄贈した。 1984年日本芸術院会員に選ばれたが辞退、1998年東京都名誉都民に選ばれるが辞退、国家的名誉は一切受けず、左翼として筋を貫いた。元号法制化、小選挙区制度等の反対運動をするなどし、九条の会にも賛同している。また日本共産党のシンパとして同党の支持層拡大の催しにも活発に参加した。 2006年10月30日、肺炎により死去。92歳没。葬儀は本人の遺志により行われず、11月30日に死が明らかにされた。生涯独身であった。 訃報 木下順二氏 賞歴1949年:『夕鶴』で毎日演劇賞 1954年:『風浪』で第1回岸田演劇賞受賞 1959年:『ドラマの世界』で毎日出版文化賞 1959年:『日本民話選』で第6回サンケイ児童出版文化賞 1966年:『無限軌道』で毎日出版文化賞 1979年:『子午線の祀り』で第30回読売文学賞(戯曲賞) 1985年:『ぜんぶ馬の話』で第36回読売文学賞(随筆部門) 1985年度:朝日賞(「夕鶴」「子午線の祀り」など、長年にわたる劇作活動) 1989年:「木下順二集」「シェイクスピア」で毎日芸術賞 1992年:『絵巻平家物語』で第39回産経児童出版文化賞大賞。 著書『夕鶴』弘文堂(アテネ文庫) 1950
『山脈(やまなみ)』世界文学社 1950 『三角帽子』(アラルコン原作を脚色)未來社 1951 『蛙昇天』未來社 1952 『風浪』未來社 1953 のち新潮社(一時間文庫)、角川文庫ほか 『私たちのシエイクスピア』筑摩書房 (中学生全集)1953、ちくま少年図書館 1975 『木下順二集 新文学全集』河出書房 1953 『木下順二ラジオ・ドラマ選集』宝文館 1954 『木下順二放送劇集』未來社 1957 『ドラマの世界』中央公論社 1959、中公文庫 1976 『オットーと呼ばれる日本人』筑摩書房 1963、講談社文庫 1973。解説尾崎秀実 『冬の時代』筑摩書房 1964 『日本が日本であるためには』文藝春秋新社 1965 『花若・陽気な地獄破り』未來社 1966 『無限軌道』講談社 1966、講談社文庫 1977 『白い夜の宴』筑摩書房 1967 『ドラマとの対話』講談社 1968 『随想 シェイクスピア』筑摩書房(私の古典) 1969 『神と人とのあいだ』講談社 1972 『シェイクスピアの世界』岩波書店 1973、同時代ライブラリー 1993 『忘却について』平凡社 1974 『運命のこちら側』講談社 1976 『歴史について』毎日新聞社(現代日本のエッセイ)1976、講談社文芸文庫 1990 『龍が見える時』三月書房 1978 『子午線の祀り』河出書房新社 1979、河出文庫 1990 『古典を訳す』福音館書店(福音館日曜日文庫)1979。梶山俊夫画 『楽天的日本人』作品社 1980 『寥廓 随想集』筑摩書房 1980 『ドラマが成り立つとき』岩波書店 1981 『木下順二戯曲選』全4冊 岩波文庫 1982-1999 風浪・蛙昇天 夕鶴・彦市ばなし・山脈・暗い花火 オットーと呼ばれる日本人・神と人とのあいだ 子午線の祀り・沖縄・龍が見える時 『日本語の世界 12 戯曲の日本語』中央公論社 1982 『本郷』講談社 1983、講談社文芸文庫 1988 『ドラマに見る運命』影書房 1984 『平家物語』岩波書店(古典を読む) 1985、同時代ライブラリー 1996、岩波現代文庫 2003 『ぜんぶ馬の話』文藝春秋 1985、文春文庫 1991 『議論しのこしたこと』福武書店 1986 『巨匠』福武書店 1991。戯曲、エッセイ、対談 『『マクベス』をよむ』岩波ブックレット 1991 『あの過ぎ去った日々』講談社 1992 『私の『マクベス』』講談社文芸文庫 1993 『"劇的"とは』岩波新書 1995 『無用文字』潮出版社 1996 『日本語について』労働旬報社(抱樸舎文庫)1997、小冊子 『木下順二評論集』全11巻 未來社 1956-1984 『木下順二作品集』全8巻 未來社 1961-1971 『木下順二集』全16巻 岩波書店 1988-1989 『木下順二集 戦後文学エッセイ選』影書房 2005 民話・童話・絵本『民話劇集』全3巻 未來社 1952-1953 『ききみみずきん』未來社 1955、岩波書店 1966 『日本民話選』岩波少年文庫 1958、改版1985。産経児童出版文化賞受賞 『かにむかし』岩波書店 1959 『わらしべ長者 日本の民話22編』岩波書店 1962、岩波少年文庫 2000 『夢見小僧』平凡社 1966、新版1976 『山のせいくらべ』風涛社 1968 『白河殿の戦い 保元物語』平凡社名作文庫 1979 『でれすけほうほう』筑摩書房 1979 『うりこひめとあまんじゃく』岩波書店 1984 『絵巻平家物語』ほるぷ出版 1984-1991 2024/06/26 18:10更新
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kinoshita junji
木下順二と同じ誕生日8月2日生まれ、同じ東京出身の人
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