村上“ポンタ”秀一の情報(むらかみぽんたしゅういち) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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村上“ポンタ”秀一さんについて調べます
■名前・氏名 |
村上“ポンタ”秀一と関係のある人
佐山雅弘: 2000年、村上“ポンタ”秀一、村田陽一と共に自社レーベル『3 VIEWS』設立。 村田陽一: 8月『Mt.FUJI JAZZ FESTIVAL'96』に『村田陽一&村上“ポンタ”秀一 ワン・ナイト・オーケストラ』で出演。 村田陽一: 村上“ポンタ”秀一、佐山雅弘と共に新レーベル「3viewsレーベル」(ビクターエンタテインメント)を設立。 こだまさおり: 村上“ポンタ”秀一 ジャンクフジヤマ: 同年にドラマーの村上“ポンタ”秀一のサポートを得てバンドを結成、目黒ブルース・アレイ・ジャパン(BAJ)等でライヴを行う。 坂本雅幸: 小学生から高校生にかけてTHE BLUE HEARTS、村上“ポンタ”秀一、神保彰など多くのアーティストに影響を受け、そして、高校時代に「鼓童」のステージを見たことで将来を決意した。 伊太地山伝兵衛: デビュー以降、そのステージスタイルは柔軟性を増し、佐山雅弘・石井康二とのトリオ・ユニット・DUST、そこに村上“ポンタ”秀一を迎えた、DUST+PONTA、弦楽四重奏を加えた伊太地山弦楽団など、様々な形で、2013年までに全18タイトルのアルバムを発表する。 岡田有希子: 村上“ポンタ”秀一 - ドラムス 浦嶋りんこ: 村上“ポンタ”秀一(2006年) 泉谷しげる: 吉田建(ベース)・村上“ポンタ”秀一(ドラム)を中心としたLOSERをバックバンドに活動。 妹尾武: 松任谷由実、ゴスペラーズ、小沼ようすけ、加藤登紀子、大貫妙子、村上“ポンタ”秀一、 |
村上“ポンタ”秀一の情報まとめ
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村上“ポンタ”秀一(むらかみ ぽんた しゅういち)さんの誕生日は1951年1月1日です。兵庫出身のミュージシャンのようです。
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PONTA BOX と 3 VIEWS、ディスコグラフィなどについてまとめました。ドラマ、脱退、解散に関する情報もありますね。70歳で亡くなられているようです。
村上“ポンタ”秀一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)村上 “ポンタ” 秀一(むらかみ ぽんた しゅういち、1951年1月1日 - 2021年3月9日)は、日本のドラム奏者。兵庫県西宮市出身。今津中学校、市立西宮高校を経て、大阪教育大学中退。血液型O型。愛称はポンタさん。別名、ポンタ村上。 ジャズ、ロック、J-POP、歌謡曲などジャンルを問わず、国内外でセッションドラマー/スタジオ・ミュージシャンとして活動。 中学時代に所属していた吹奏楽部に度々指導に来ていた指揮者の朝比奈隆にティンパニを勧められ、打楽器奏者の道を歩む。 「赤い鳥」の大村憲司の音楽性に惹かれ、1972年、21歳の時にこのバンドのドラマーのオーディションに挑戦して合格、プロデビューするとともに上京した。 この「赤い鳥」のオーデションについて、村上がNHKのトーク番組『トップランナー』で語ったところによると、オーディションは岐阜の市民会館で行われ、28人の志望者が集まり、村上の前までの7人がドラムを叩いた時にはバンドメンバーは無反応な顔つきで審査していたが、8人目の村上がドラム演奏したところバンドメンバーの顔色が変わり、「はい、皆さん、これで決まりだから気をつけて帰って下さい」と、その後に控えていた20人の志望者には演奏させず帰させた。このオーディションの際にドラム演奏させられた曲は「レット・イット・ビー」(ビートルズ)、「翼をください」(赤い鳥)他3曲だった。また、このオーディションは村上がドラムのスティックを握り始めて4日目のことだったという。 赤い鳥脱退後すぐに、エントランス(村上、大村、山村隆男(後に高水健司)を結成。赤い鳥時代に知り合った五輪真弓のバックバンドを始める。 エントランス解散後、本格的にスタジオ・ミュージシャンとして活動を始め、アニメソングから歌謡曲、演歌まで幅広いジャンルの曲のレコーディングに参加。1975年頃にバンブーに参加し、同年後半にはカミーノを結成するなどセッションミュージシャンとしても活動した。 スタジオ・ミュージシャンとして活動した初期はレコード等のクレジットはメインとなる歌手の他は「レコード会社名+”楽団”」等と演奏者の名前は載らず一括りにされていたが、村上らが「俺達は名前も載らず使い捨てか?」とプロデューサー等に直談判した結果、以降はレコーディングに参加したメンバーの名前が記載されるようになったという逸話がある。 1978年、ドラムの海外修行を控えて行われた壮行コンサートの直後に、ヘロインを不法所持していたとして麻薬及び向精神薬取締法違反容疑により逮捕される。出所後は、再びスタジオ・ミュージシャンとして復帰。 1986年には渡辺香津美との全米ツアー、1987年には国際交流基金によるアフリカツアーを行った後、島健トリオと山羊智詞のソロプロジェクトを母体とした、ハードロックバンド「ザ・メーカーズ」を結成。1990年より、「山羊智詞&赤羽楽団」に参加するなど、活動の幅を広げた。練習はしない。イメトレのみ。 1998年発表の活動25周年記念アルバム『Welcome To My Life』と、2003年発表の活動30周年記念アルバム『MY PLEASURE』には、それぞれ日本を代表するアーティストがゲストとして多数参加しており、セッションドラマーとしての幅の広さを窺わせる。レコーディング数は1万4000曲を越え、日本を代表するドラム奏者とも称された。 様々なジャンルの楽曲を演奏してきたが、歌をいかに引き立てるかを考え、ヴォーカルの邪魔をしない演奏をすることが評価されていた。特にバラードでの評価が高く、70年代に村上を起用することが多かった山下達郎は自身の楽曲「MONDAY BLUE」を例に挙げ「ああいう曲はとにかくポンタが一番だった。バラードの表現力が、とにかく圧倒的だから」と評している。80年代に村上と組むことの多かった角松敏生もバラードでの村上の表現力を絶賛し、自身のデビュー35周年コンサートで共演した後輩の玉田豊夢が村上の演奏を隣で聞いた後に「(バラードの味などは自分には)絶対無理です」と角松に言っていたことも明かしている。 2001年頃に体調を崩し内臓や足に問題を抱えるようになってからは酒・タバコを控えるなど以前よりも体調に気を遣うようになり、関係者によれば新型コロナウイルスが蔓延した2020年には全ての仕事をキャンセルし外出もかかりつけの病院や散髪以外は殆どしないなど感染対策を徹底していたという。 2021年2月8日より脳出血の一種である視床出血により入院していたが、3月9日に死去したことが、3月15日に更新された公式サイトで明らかにされた。70歳没。 PONTA BOX と 3 VIEWS「PONTA BOX」(ポンタ・ボックス)は村上が結成したバンド。一般的にジャズのカテゴリーに入る音楽だが、ポンタ自身はジャズだと考えていない。村上と佐山雅弘 (Pf) と水野正敏 (B) の3名で結成し、1994年にアルバム「PONTA BOX」を発表。以後、モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演の他、1999年までに8枚のアルバムをリリースしている(途中でベースはバカボン鈴木に交代)。活動休止の後、2004年には若手ミュージシャンの石村順 (b)、柴田敏弥 (p & kbds)と新生PONTA BOXを結成し、「NEW PONTA BOX」をリリースした。PONTA BOXのアルバムは、愛称の“ポンタ”に因んで、タヌキの顔のイラスト(杉浦茂の「八百八だぬき」のもの)がトレードマークとなっている。 一方、2000年には佐山雅弘と村田陽一 (Tb) の3人でオリジナルレーベル「3 VIEWS」を設立。3人でのアルバム制作の他、相互のソロ活動に参加するなどしている。2000年以後はPONTA BOXも3 VIEWSからのリリースとなっている。 1999年にPONTA BOXとして『FNNスーパーニュース』のテーマ曲の作曲をした(1999年度)。曲名は『Wandering Stella (Love Circle)』。 ディスコグラフィソロアルバム、リーダーアルバム及び、スタジオミュージシャンではなくバンドメンバーとして参加した作品を掲載。 リーダーアルバム驚異のパーカッション・サウンド!! INTRODUCING "PONTA" MURAKAMI(1976年) Tokyo Fusion Night(1978年) PADANG RUMPUT(1982年) Welcome to My Life(1998年9月30日) MY PLEASURE(2003年12月3日) リズム・デザイナー(2006年7月26日) うたポン(2006年9月21日) - ドラマーとして参加した曲を集めたコンピレーションアルバム うたポン2(2008年11月26日) - ドラマーとして参加した曲を集めたコンピレーションアルバム リズム・モンスター(2012年12月19日) 赤い鳥美しい星(1972年1月6日) 祈り(1973年6月20日) NOBUYUKI, PONTA UNITTHE RHYTHM BOXER(1985年) PONTA BOXPONTA BOX(1994年5月21日) PONTA BOX 2 Dessert in the Desert(1995年5月24日) THE ONE(1997年2月21日) モダン・ジュズ(1997年10月22日) ポンタ・ボックス・ザ・ベスト 1994-1998(1998年9月23日) PONTA BOX meets YOSHIDA MINAKO(1998年12月19日) THE NEW FRONTIER(1999年9月8日) NYPB(2001年8月22日) GOSH(2002年2月21日) - ヴォーカルに吉田美奈子を迎えた第2弾 NEW PONTA BOX(2005年5月21日) 3 Views Producers3 VIEWS(2000年11月8日) 村上“ポンタ”秀一&近藤房之助A BIG TRAIN COMING(2003年10月22日) HERE WE GO AGAIN(2005年4月21日) NY PONTA BOXRIOT OF DREAMS(2004年11月21日) CAMINOLIVE 1976(2004年11月18日) 中牟礼貞則&村上“ポンタ”秀一オールスターズWe Love MURE san(2012年3月14日) TRIPLE BONDTRIPLE BOND(2013年7月5日) 2024/07/06 19:00更新
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村上“ポンタ”秀一と同じ誕生日1月1日生まれ、同じ兵庫出身の人
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