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氷室京介
氷室 京介(ひむろ きょうすけ)さんの誕生日は1960年10月7日です。群馬出身のミュージシャンのようです。
特徴、エピソードなどについてまとめました。解散、家族、退社、脱退、テレビ、事件、卒業に関する情報もありますね。現在の年齢は63歳のようです。
氷室 京介(ひむろ きょうすけ、1960年〈昭和35年〉10月7日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター。血液型はO型。群馬県高崎市倉賀野町出身。所属事務所はBeatNix。ロサンゼルス在住。公式ファンクラブはKING SWING。既婚。2男1女の父。 1982年、氷室狂介の名前で、ロックバンド・BOØWYのヴォーカリストとして、アルバム『MORAL』でデビュー。1988年4月5日、およそ7年の活動期間を以てBOØWYは解散する。1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位となった。 1994年以降、国外での音楽制作が増え、1997年に家族と共にロサンゼルスに移住した。ロサンゼルスという環境で、本場の名だたるエンジニア、ミュージシャン等との作業がしやすくなったという。近年はセルフプロデュースが主であった。 高校二年生の時に音楽を始める。上京後、バンド活動をしながらヒモのような生活をしていたが、このままではマズイと感じ、「夢を叶えるための仮の姿」だと自分に言い聞かせ、英語教材を販売する会社に就職。40万円のセットがよく売れ、全国売り上げ8位となり月給150万円となる。しかし上司に過度に将来性を期待されることが重荷で、このままでは夢を諦めないといけなくなると考え、上司に「音楽で夢をつかみたいんです」と事情を話し、円満退社する。 1980年
1981年
1982年
1984年
1987年
1988年
1988年
9月1日 ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』リリース。 10月1日 高松市総合体育館で「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1989年1月3〜4日、東京ドーム公演と「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアー公演の模様は1989年6月28日にビデオ『KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS』としてリリース。 10月7日 セカンド・シングル「DEAR ALGERNON」リリース。 10月27日 STINGの東京ドーム来日コンサートに出演する。 12月12日 - 15日 KING SWING香港ツアー(香港QUEEN ELIZABETH STADIUMにてライブコンサート) 12月31日 ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』で第30回日本レコード大賞・アルバム大賞、シングル「ANGEL」で金賞をそれぞれ受賞。同番組にも出演。 1989年(平成元年)
7月26日 サード・シングル「SUMMER GAME」リリース。 8月6日「HIROSHIMA '89 LIVE」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。 9月6日 4作目シングル「MISTY〜微妙に〜」リリース。 9月27日 セカンド・アルバム『NEO FASCIO』リリース。 10月6日 群馬音楽センターで「"NEO FASCIO"TOUR」を開始。 1990年(平成2年)
4月13日 - 18日 KING SWING ハワイツアーを敢行。 5月16日 5作目シングル「JEALOUSYを眠らせて」リリース。 7月7日「GOLDEN AGE OF R&R(日比谷野外音楽堂)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。 8月6日「JT SUPER SOUND '90(真駒内陸上競技場)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。このイベントには布袋寅泰も出演していた。 8月12日「ロックンロールオリンピック(スポーツランドSUGO)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。 10月27日 ARBのラストコンサート(代々木体育館)にゲスト出演(「TOKYO CITYは風だらけ」を競演する)。 12月24日 ビデオ『Birth of Lovers』リリース。 1991年(平成3年)
4月6日 サード・アルバム『Higher Self』リリース。 5月9日 群馬音楽センターで「OVER SOUL MATRIX TOUR 1991」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1991年8月22〜23日、横浜アリーナ公演の模様は、1991年11月27日にビデオ『OVER SOUL MATRIX』としてリリース。 8月1日「JT SUPER SOUND '91(日本武道館)」に出演(この模様は日本テレビにて放送。「LOVE & GAME」を演奏する)。 1992年(平成4年)
4月25日 リミックス・アルバム『masterpiece #12』リリース。 11月7日 8作目シングル「GOOD LUCK MY LOVE」リリース。 12月7日 9作目シングル「KISS ME」リリース。自身初のミリオンセラーを達成する。 1993年(平成5年)
1月11日 横浜アリーナで「TOUR 1993 "L'EGOISTE"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1993年5月12日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2009年2月25日にDVD『L'EGOISTE』としてリリース。 4月28日 ビデオ『CAPTURED CLIPS』リリース。 1994年(平成6年)
9月26日 5作目アルバム『SHAKE THE FAKE』リリース。 10月12日 横浜アリーナで「SHAKE THE FAKE」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1994年12月24〜25日、東京ドーム公演の模様は、1995年12月10日にビデオ『LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR』としてリリース。 この頃から自身の希望によりアメリカでの活動が増える。 1995年(平成7年)
7月19日 シングル・コレクション・アルバム『SINGLES』リリース。 10月 東芝EMIからポリドールへ移籍。個人レーベル“BeatNix”設立。 10月25日 11作目シングル「魂を抱いてくれ」リリース。 1996年(平成8年)
8月15日 13作目シングル「SQUALL」リリース。 9月30日 6作目アルバム『MISSING PIECE』リリース。 1997年(平成9年)
1月15日 14作目シングル「WALTZ」リリース。 5月14日 ビデオ『MISSING PIECE』リリース。 6月4日 15作目シングル「NATIVE STRANGER」リリース。 10月29日 16作目シングル「HEAT」リリース。 12月10日 7作目アルバム『I・DE・A』リリース。 1998年(平成10年)
7月15日 横浜アリーナで「TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1998年9月19〜20日、横浜スタジアム公演の模様は、1998年12月9日にCDライヴ・アルバム『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』としてリリースされ、また、12月24日には同じ内容のライヴを収録したビデオ『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』をリリース。 1999年(平成11年)
10月27日 18作目シングル「ダイヤモンド・ダスト」リリース。 12月24日 ビデオ『100152』リリース。 2000年(平成12年)
2月23日 8作目アルバム『MELLOW』リリース。 6月28日 20作目シングル「炎の化石」リリース。同時に、過去にポリドールでリリースされた8cmCDシングル6枚がマキシ・シングルとして再発売された。 10月18日 9作目アルバム『beat haze odyssey』とDVD(CD-ROM)『Digital BeatNix Tower』を同時にリリース。また、結城市民文化センターで「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」を開始。 12月31日 「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」のファイナル公演として国立代々木競技場第二体育館にて自身初となるカウントダウンライブ(公式ファンクラブKING SWING会員限定)を開催。 2001年(平成13年)
9月27日 ベスト・アルバム『Ballad 〜La Pluie』リリース。 2002年(平成14年)
2003年(平成15年)
7月21日 22作目シングル「Claudia」リリース。同時に過去に東芝EMIでリリースされた8枚のCDアルバムが再発売された。 8月20日 10作目アルバム『Follow the wind』リリース。 8月29日 市原市市民会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2003年11月23日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2004年8月18日にDVD『HIGHER THAN HEAVEN〜AT YOYOGI NATIONAL STADIUM』としてリリース。 2004年(平成16年)
9月8日 23作目シングル「Wild Romance」リリース。 9月19日 羽生市産業文化会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2004年12月25日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演と、2004年11月8日、ZEPP TOKYO公演(Zepp Tokyo ver.)の模様は、2005年12月24日にDVD『SOUL STANDING BY〜』として(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。 NBAのシャキール・オニールが所有していたビバリーヒルズにある豪邸を約7億円で購入し、11月7日付の米ロサンゼルス・タイムズ紙などで取り上げられた。 2005年(平成17年)
12月31日〜2006年1月1日に、幕張メッセ国際展示場・9-11ホールで「KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE 〜CROSSOVER 05-06〜」と題したカウントダウン・ライヴを行う。そのライヴの模様は、2009年4月29日にDVD『KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE』としてリリース。 2006年(平成18年)
3月31日 DVD『Kyosuke Himuro/Captured Clips 1988-2006』リリース。 8月2日 GLAYとのコラボレーション・シングル「ANSWER」リリース。 8月5日 - 6日 GLAYと「KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"」を味の素スタジアムで開催した。 10月4日 25作目シングル「SWEET REVOLUTION」リリース。 11月27日 GLAYのツアーを京都会館第一ホールで観覧、アンコールで飛び入り出演する。 12月20日 11作目アルバム『IN THE MOOD』リリース。 2007年(平成19年)
7月16日 ap bank fes '07にシークレットゲストとして出演、会場を驚かせた(ファンにも当然知らされていなかった)。 2008年(平成20年)
7月20日、さいたまスーパーアリーナで「KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN’ ON -MORAL〜PRESENT-」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2008年9月14日、横浜アリーナ公演の模様は、2009年1月21日にDVD『20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-』としてリリースされ、また、2008年9月2日、日本武道館公演の模様を収録したDVD『20th Anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT- Special Live at the BUDOKAN』を2009年7月21日に(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。 9月21日 KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOURの札幌公演にシークレットゲストとしてGLAYが飛び入り参加。「ANSWER」と「SUMMER GAME」で再度共演する。 2009年(平成21年)
9月27日 LIVE for LOVE We support WaterAid 横浜スタジアム 2010年(平成22年)
9月4日 市原市市民会館にてSpecial Preview Live for KS PREMIUM MEMBERSと題した会員限定ライブ開催。 9月8日 12作目アルバム「"B"ORDERLESS」リリース。 9月9日 日本武道館にてTOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK'N'ROLL SUICIDE"を開始。 12月31日 日本武道館にて自身三度目となるカウントダウンライブ開催。 2011年(平成23年)
6月11日(土)、6月12日(日)に東京ドームで東日本大震災の復興支援を目的とするチャリティ公演「KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME“We Are Down But Never Give Up!!”」が行われた。 EMIミュージック・ジャパンからワーナーミュージック・ジャパンに移籍。 12月17日 幕張メッセイベントホールにてKYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO"を開始。 12月31日 日本武道館にてKYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO"終了。 2012年(平成24年)
8月7日 ニューユニット:GOSPELS OF JUDAS(ゴスペルズ オブ ジュダ)※HIMURO.comにて結成発表。8月7日、HIMURO.com内に、ダウンロードコンテンツ【DiGiTRONiX】を開設。 9月26日 28作目シングル「WARRIORS」リリース。 11月28日 デジタル・シングル「Bloody Moon」リリース。by GOSPELS OF JUDAS [Digital Contents Only] 12月30日、31日 日本武道館にて「CROSSOVER 12-13」31日は4度目のカウントダウンライブ終了。 2013年(平成25年)
3月11日 群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。 5月1日 29作目シングル「NORTH OF EDEN」リリース。初回限定盤は「WARRIORS」のライブ映像と、三池崇史監督との対談映像を収録したDVD付の特別使用。 8月21日 ベスト・アルバム「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」リリース。初回限定盤には25年間のライブ映像が入ったDVDが付属 2014年(平成26年)
7月13日 山口・周南市文化会館で行われたライブ中、同月19・20日の横浜スタジアム2日間公演をもって「氷室京介を卒業する」と電撃発表。のちの「The sun also rises」では歌詞と自身が重なったのか、涙ぐんで歌った。またこの発表の件はスタッフはじめ周囲は「知らなかった」と口をそろえ、同日深夜、公式サイトにて驚かせたことに対する謝罪と翌2015年のファイナルコンサートをもって、氷室京介としてのライブ活動を休止することが掲載された(結局ファイナルコンサートは後述の翌々2016年春の横浜スタジアムのリベンジライブに一旦決定したが、のちに4大ドームツアーに変更)。ただし、氷室は7月19日のライブにて寝耳に水報道を否定している。 7月16日 30作目シングル「ONE LIFE」リリース。 7月19日 アンコールで卒業の理由は耳の不調だと明かす。7年前からある一定のトーンが聞こえづらくなり、利き耳である左耳に頼ってきたが、その左耳でさえもダメージを受け、日本語訳をすると音痴となるトーン・デフを患ったのだという。 7月20日 この日のリハーサルで先日の雨で滑って転び肋骨を折る大怪我を負う。公演では雷の影響で一時中断され、再開時に骨折を公表。これらのハプニングに見舞われながらも「KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」を終了。 2015年(平成27年)
3月14日「Personal Jesus Cafe」が期間限定オープン。住所は渋谷区代官山町20-20モンシュリー代官山B2F。 11月6日 第一弾「LIVE DAM STADIUM」にて来春ライブ演奏候補曲のリクエストキャンペーンが先行スタート。11月9日〜来年1月11日まで。 12月17日 翌2016年春のファイナルコンサートを「LAST GIGS」と題し、決まっていた横浜スタジアムから変更、初の4大ドームツアーとして開催することを発表した。 2016年(平成28年)
4月19日『L'EPILOGUE』で通算12作目のオリコン週間アルバムチャート首位獲得を果たす。 4月23,24日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」京セラドーム大阪 4月29日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」ナゴヤドーム 5月14日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」福岡ヤフオクドーム 5月21,22,23日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」東京ドームを終了。 2017年(平成29年)
2020年(令和2年)
9月2日、以前から親交があったB'zのギタリストである松本孝弘のソロアルバム「Bluesman」内の楽曲「Actually」に作詞とボーカルで参加。 特徴クリエイターとしての制作活動も重視しており、日本を離れることで得たものもあった。自分の時間を自由に作曲、アレンジ、録音等に割くことができ、レコーディングには当初、ジョシュ・フリーズ(Josh Freese、ドラム)、マイケル・ランドウ(ギター)など、ロサンゼルスの著名なミュージシャンを直接交渉して起用することもできた。 日本にいた頃から、デヴィッド・ボウイやエルヴィス・コステロなどの影響を受けていた。渡米後は、1990年代以降のオルタナティヴ・ロックなどを意識した曲作りに始まり、時代とともに新たな録音システムを駆使した音作り、新たなロックの潮流にも貪欲に取り組んでいったといえる。自分で近年、「オタク」と認めるほど、制作に熱中して取り組む姿勢が窺える。特に2003年のリリースは「クレームが来ないか心配だった」と語る通り、現地仕込みのロック的要素を容赦なく出し始めた分岐点のようでもある。 ヴォーカリストとしてのイメージが強力であるが、弾き語りではそのギターテクニックを披露することもある。また、ソロ活動のレコーディングで稀にギターを演奏している。本田毅も認めるほど、そのレベルは高いようである。 作詞は、松井五郎や森雪之丞の起用が目立つ。本人曰く「BOØWY時代は、詞を書いたが、ソロではほとんど詞を書かなくなった」、「アルバム『FOLLOW THE WIND』は全て雪之丞さんに作詞を依頼した」。自分で作詞をしなくなったのは、BOØWYのアルバム『MORAL』収録曲の「SCHOOL OUT」の詞の内容に影響された若者が「あなたの言う通り学校を中退した」などとする内容の手紙を送ってきたためで、歌詞の影響力について深く知ったため、と述べている。 アルバム『IN THE MOOD』収録曲「Ignition」で、松井五郎を起用した際のエピソードとしては、「息子の成長を見守っている内に自分にも心境の変化があった。この世界を表現するには松井さんが適任だと思った」「彼の詞は聴き手によって、どちらの意味にも取れるので‥」とその理由を述べている。その他にもアルバム『"B"ORDERLESS』、シングル「ONE LIFE」(共作)で松井五郎が担当した。 最近では『"B"ORDERLESS』の中で多くを、かねてより親交があり、リスペクトし合う間柄となったTAKUROが担当したことも話題となった。 エピソード当初、2011年6月11日に東京ドームで、50歳のアニバーサリー公演を予定し、2011年3月14日に発表する準備をしていたが、その直前に震災が起こったため発表を見送り、公演自体を見直した。 東京ドームという場所柄、電力消費の問題もあるが、可能な限り節電に配慮し、最小限の電力、機材で行ったほか、氷室本人・バックバンドメンバー・コンサートスタッフの全員がボランティアとして参加し、このライブの収益金の全ては復興義援金として寄付された。 「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時。微力ではあるけれど俺なりに過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います。We are down but never give up ! 氷室京介」とコメント。 ライブは、BOØWYの楽曲で全編が構成された。氷室がBOØWYの楽曲を演奏する件に関してはかつてのメンバーである布袋、松井、高橋には寝耳に水であったようで、高橋が氷室にエールを贈ったものの、松井は氷室のアクションを高く評価しつつ、「こんな時だからこそ再び4人で手を握り合い、協力すべきだ」「残念でならない」とコメント。 また、布袋はTwitter上で氷室に関する質問攻めにあってしまったこともあり、2日ほど沈黙を続けていたが、その後、自身のブログ上で「再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」と述べた上で、「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました」と、今後の再結成も非現実的であることを伝えた。 2日間でライブに参加したオーディエンスは11万人に上り、日本でのチャリティーライブにおいて過去最多の入場者数を記録した。 GOSPELS OF JUDASとは、氷室と親交の深いクリエイター達が集まり、クリエイティヴィティだけを元に、「自由に遊びから生まれた音楽をデジタルツールを使ってリスナーに届けたい」という想いから、2012年に氷室が立ち上げた【DiGiTRONiX】プロジェクトの一つで、氷室のレコーディングにギタリスト&アレンジャーとして参加しているL.A.在住の日本人ギタリスト滝山幸英(YUKIHIDE TAKIYAMA、通称:YT)とのユニット。 GOSPELS OF JUDASを立ち上げた経緯を氷室曰く「氷室京介という枠に囚われず、自由に楽曲を創出する、そういった想いを共有できるアーティスト仲間と作ったプロジェクト」と語っている。この【DiGiTRONiX】はまさに、アーティスト達の音楽の遊び場「Music Play Ground」として機能している為、GOSPELS OF JUDASの「Play Within A Play」においても、氷室京介名義のオリジナル作品では見られない音楽的アプローチがなされており、全く新しい氷室京介を発見する事になるだろう。 2018年7月18日、1stアルバム『IF』を発表。 2013年3月11日、群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。両親共に無事ではあるものの実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大ケガを負っている。この件に関して氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がないことを報告。同日、氷室の実家に放火した女性が高崎署に出頭、現住建造物等放火容疑で逮捕、後に熱狂的な氷室、BOØWYファンによる犯行であることも明らかになった。また布袋と高橋によると、過去に犯人から自分宛に何度もツイートがあったことも明かされている。 2024/05/16 07:15更新
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himuro kyousuke
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