津田恒実の情報(つだつねみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


津田 恒実さんについて調べます
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津田恒実と関係のある人
山崎章弘: 同年9月24日の対広島東洋カープ戦(後楽園球場)では、原辰徳が津田恒実からファウルを打った際に手首を骨折したため、カウントの途中(2ストライク)から原の代打に起用されたが、1球を見逃しただけで三振を記録した(2ストライク後の代打起用だったため、三振の記録は原についた)。 笘篠賢治: 初打点:1989年5月13日、対広島東洋カープ7回戦(佐世保野球場)、9回裏に津田恒実から左前2点適時打 塚田晃平: 憧れの選手は、津田恒実。 佐伯三貴: また、松山が元広島東洋カープ投手の津田恒実のために作詞作曲した歌で、三貴自身、「切なく悲しくなりつつも暖かい気持ちになれる素敵な曲」として『君へ』を愛聴、また、2008年の発表曲『我家』を気に入っていることに言及している。 ランディ=バース: 当時、江川以外でバースに真っ向勝負を挑んだ投手として広島東洋カープの津田恒実がおり、バースに対して全て150 km/h超のストレートで挑み、3球三振に仕留めたこともある。 金田進: 日本選手権では初戦で協和発酵の津田恒実に完封負け。 安仁屋宗八: 当初は先発であった津田恒実を抑えに起用し、津田がブルペンで球数を投げさせないよう気を使ったほか、試合中継は見せなかった。 篠田純平: 入団した際のインタビューでは、1985年から1991年にかけて、入団時の篠田と同じ背番号14を付けていた津田恒実の墓(山口県周南市)参りにいずれ行きたいと述べている。 池谷公二郎: カープでは津田恒実と双璧、と言われる程人柄のいい人物として知られ広島のローカル番組にもよく出演している。 金城基泰: 事故を境に球威や球速が低下した事が最終成績が伸びなかった一因であるとされているが、一方で福本豊は南海時代の金城を、森繁和や津田恒実と同じタイプの本格派投手(英語版)であったと評しており、「(投球のフォロースルー近くまで)なかなかボールを離さないし、浮き上がってくるような軌道に見えたため、苦手な投手の一人だった」と述べていた。 松岡きっこ: 1981年秋頃には『独占!!スポーツ情報』内の芸能人模擬ドラフト会議企画にカープファンとして出演し、後に同球団へ入団する津田恒実(当時は本名の「津田恒美」)を抽選で引き当てたことがある。 小林克也: 津田恒実 篇 岩本輝: 身長182cm・体重80kgという恵まれた体格を生かした本格派右腕で、南陽工OBで広島東洋カープに在籍した投手・津田恒実への憧れから同校に進学。 達川光男: また、津田恒実(恒美)とのコンビも「名バッテリー」と呼ばれた。 森脇浩司: 広島時代のチームメイトだった津田恒実とは無二の親友で、津田が脳腫瘍に冒されて現役を引退し、晩年に福岡市内の病院で闘病生活に当たっていた時には積極的に周辺の世話を行い、津田に対して「俺の年俸を半分にしてでも、お前を現役復帰できるように球団に掛け合ってやる」と励ましていた。 原辰徳: そのシーズンは故障による1か月の戦線離脱もあったが、復帰直後の8月7日の広島戦で津田恒実からサヨナラヒットを打ちお立ち台で涙を流した。 ダグ=デシンセイ: 1988年6月18日、対広島東洋カープ9回戦(平和台野球場)、9回裏に津田恒実から逆転サヨナラ2ラン 鹿取義隆: 他チームのクローザーでは、津田恒実や山本和行、江夏豊のような味方に安心感を与える投手に感心したという。 片岡光宏: 中国大会決勝では下関商業に破れたが、恵まれた体が投げ込む剛球は、前年高校No.1と称された南陽工業の「津田恒実に劣らない」と評された。 田川伸治: 選手では津田恒実に憧れていた。 梅原伸亮: また、かつてその沢村とも同じ背番号14を背負っていた津田恒実のようにストレート勝負が出来る投手になりたい、とも述べている。 安仁屋宗八: また、津田恒実の現役時代や闘病の模様をテレビドラマ化した「最後のストライク」(フジテレビ)において宇崎竜童が演じた安仁屋の役は、酒乱で誰も寄せ付けず酒場では独壇場であるが、その反面情に脆いという役であり、安仁屋の人の良さが浮き彫りになった役柄であった。 清川栄治: 津田恒実がリリーフに配置転換され、初めて一軍で左専用のリリーフという形になる。 フィル=ブラッドリー: また日本でもリーグ最多死球を記録し、同年4月14日の広島戦で最後の登板となった津田恒実から死球を受けている。 ゲーリー=レーシッチ: 来日1年目からクリーンナップに定着し、1986年5月4日の広島東洋カープ戦で津田恒実、9月16日のヤクルトスワローズ戦で尾花高夫からサヨナラ本塁打を放つなど、同年36本塁打を放った。 今井譲二: 次男・雄大は、かつての恩師である古葉竹識が監督を務める東京国際大学の野球部でプレーしていた(同チームには津田恒実の息子・大毅も所属していた)。 北別府学: 優勝した試合は8回まで投げた時点で、9回も続投する予定であったが、自ら直訴し、最後は抑えの津田恒実にマウンドを任せたという美談がある。 原辰徳: 9回の裏津田恒実から二死一塁の場面で打席に立ったがその7球目直球をファウルした際に左有鈎骨を骨折、残り試合の欠場を余儀なくされた。 山田和利: 広島戦では津田恒実からプロ初のサヨナラ適時打を放った。 川端順: 1986年からは抑えの津田恒実につなぐセットアッパーに転じ、同年の西武との日本シリーズでも4試合に登板。 |
津田恒実の情報まとめ

津田 恒実(つだ つねみ)さんの誕生日は1960年8月1日です。山口出身の野球選手のようです。

卒業、引退、現在、結婚、テレビ、ドラマ、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1993年に亡くなられているようです。
津田恒実のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年7月20日)は、山口県都濃郡南陽町(後に新南陽市を経て、現:周南市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「ツネ」「炎のストッパー」。旧名「恒美」(読み同じ)。 山口県都濃郡南陽町(現:周南市)の山間部・和田地区(旧和田村)出身。南陽工高では、1年時からエース投手として活躍していた。 1978年の第50回選抜高等学校野球大会に出場、準々決勝に進むが福井商に敗退。同年の第60回全国高等学校野球選手権大会では2回戦まで駒を進めるが天理高に0-1で惜敗。 卒業後は防府市に本拠を置いていた社会人野球の協和発酵(現:協和キリン)に入社。 1981年の都市対抗に電電中国の補強選手として出場。1回戦で優勝候補の富士重工業を抑え注目を浴びる。しかし2回戦ではリッカーの中西清起と投げ合い敗退した。同年の日本選手権では、協和発酵のエースとして2勝をあげ準々決勝に進出するが、この大会に優勝した富士重工業の向田佳元との投手戦の末に惜敗。都市対抗の仇を討たれた形になった。 同年のドラフト会議で広島東洋カープに1位指名され入団。 1982年に先発投手として11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王に輝く。しかし2年目の後半戦以降は、ルーズショルダー や中指の血行障害などに悩まされ登板機会が激減した。その後、血行障害を治すため世界初となる中指の靭帯を摘出する手術を受ける。このこともあり1984年の日本シリーズでは津田は出場しなかった。 1985年に「恒美」から「恒実」へと改名。 1986年に抑え投手として復活し、前半戦を防御率0点台で折り返す。後半戦からは調子を落としたものの、チーム5度目のリーグ制覇に大きく貢献、シーズン終了後にカムバック賞を獲得した。 1987年にも防御率1点台を残す活躍を見せた。 1988年は肩痛などが遠因してリリーフ失敗を繰り返すなど9敗を喫した。チームのサヨナラ負けのうち9回に絡み、4本のサヨナラ本塁打を浴びたため、「サヨナラの津田」とも呼ばれた。 1989年に防御率1.63、12勝5敗28セーブを挙げる活躍で最優秀救援投手、ファイアマン賞に輝き、復活した。闘志をむき出しに最速153km/h(6月28日にマーク)の剛速球と縦横の鋭いカーブを武器に相手打者に敢然と立ち向かう姿は、「炎のストッパー」と形容された。 1990年、4月に右肩を故障、さらに8月には左膝靭帯を損傷するなど僅か4試合の登板に終わり、同年のシーズン終了後から頭痛をはじめとする身体の変調を訴えるようになる。 1991年、前年から続く体調不良を抱えたまま開幕を迎え、4月14日に無理を押して広島市民球場(当時)で行われた読売ジャイアンツ戦で、先発した北別府学の後を受けて1点リードの8回表に津田が登板するが、無死二塁・三塁のピンチを招き、原辰徳に同点適時打を打たれるなど大乱調のためわずか9球で降板となり、敗戦投手となる。これが津田の生涯最後の登板となった。 津田は普通の頭痛だと思って放置したものの長らく治まらなかったこともあり、この試合の翌日、広島大学病院に検査入院。精密検査の結果、手術で摘出できない位置に悪性の脳腫瘍があることが判明した。自宅や実家での療養を経て済生会福岡総合病院(福岡県福岡市中央区)へ転院し、闘病生活へ入る。選手としては5月20日に準支配下登録となった後退団届を提出し、11月6日付で受理。津田本人は病名の告知を受けていたが、球団は周囲の動揺を避けるため本当の病名を伏せ「水頭症のため引退」と発表した。 それから一時は奇跡的な回復を見せ、退院後は福岡市内に在住しながら現役復帰に向けたトレーニングも行うようになった。1992年6月頃を境に再び病状が悪化し、熊本県八代市にあった夫人の実家に身を寄せた後8月20日に済生会福岡総合病院へ再入院。1993年7月20日14時45分、津田は同病院において32歳の短い人生を閉じた。 津田の没後、1994年から7回忌の1999年まで津田の背番号14にちなんだ7月14日に津田基金の運営により、「津田メモリアルデー」が開催された。その初年度(1994年7月14日)には初代の広島市民球場にはその功績と人柄を讃え、「直球勝負 笑顔と闘志を忘れないために」の文章が浮き彫りにされたメモリアルプレート(津田プレート)が設置された。同球場に設置された個人の記念碑は、連続試合出場記録を樹立した衣笠祥雄に次いで2人目である。後日、大野豊ら広島の選手は、試合に出場する時必ずこのプレートに触れていくというエピソードが『勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー』内で紹介された。現在、このプレートは2009年に開場した広島の新本拠地であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に移設されている。 野球体育博物館(現・野球殿堂博物館)は2012年1月12日、津田が広島時代の同僚である北別府と共に野球殿堂入り(競技者表彰・プレーヤー表彰)したことを発表した。競技者表彰・プレーヤー表彰の被投票資格(引退後20年以内)最終年、当選必要数をわずか1票上回る237票を集めての選出だった。殿堂入り表彰は津田の命日である7月20日のオールスターゲーム第1戦(京セラドーム大阪)の試合前に行われた。 2012年秋に周南市が津田の功績を称え、同市野球場の愛称を公募。12月14日に球場の愛称が「津田恒実メモリアルスタジアム」と決定した。津田の出身中学の周南市立和田中学校では、命日の7月20日に近隣の小中学校チームにより交流野球大会が行われている。 2019年5月30日、広島市内に「津田恒美記念館」がオープンした。(後述) 津田は血行障害から復帰してリリーフに転向してからは、速球(ストレート)主体のピッチングであった。特に1986年は投げた球種の90%以上がストレートであり、変化球はほとんど投げていない。津田が現役時代に同僚・監督であった山本浩二は津田のストレートを「ホップする直球」と称していた。 ピンチになればなるほど、球速が上がっていく傾向があった。1986年の対阪神タイガース戦、9回裏1死満塁同点(4対4)の場面では2番打者の弘田澄男に143km/h・148km/h・151km/hのストレートを投じて3球三振に仕留める。次の3番打者、当時絶頂期にあったランディ・バースに対しても全て150km/hを超えるストレートで挑み、3球三振に仕留めピンチを脱した。この試合を実況していた毎日放送の城野昭アナウンサーは「津田、スピード違反!」と叫び、バースは試合後に「ツダはクレイジーだ」というコメントを残している。 1986年9月24日の巨人25回戦で津田と対戦した原辰徳は、ストレートをファウルした際に左手の有鈎骨を骨折し、残りシーズンを全て欠場、翌シーズン以降も左手首痛の後遺症に苦しんだ。また、1991年4月14日に津田からタイムリーヒットを打って生涯最後の対戦打者となったのは、奇しくも原である。原に投じた最後のボールは144km/hのストレートであった。 1986年の日本シリーズで広島は、西武ライオンズに初戦引き分けの後3連勝して日本一に王手をかけながら、5戦目の延長12回に工藤公康にサヨナラ安打を浴び、その後勢いに乗った西武に4連敗、日本一を逃すという屈辱を喫している。この延長12回のサヨナラ安打を浴びたのが、リリーフ登板した津田だった。加えて前日の第4戦でのヒーローインタビューでも西武打線について聞かれた時に、津田は「なんかあまり迫力がないような気がしました」と発言し、アナウンサーの「西武を怒らせませんかね?」という質問に対しても「大丈夫でしょう」と答えていた。 夫人と1男(長男・大毅)。1985年オフに高橋慶彦から盗塁王獲得の祝賀会に招待された際、コンパニオンとして参加していた夫人と出会い、およそ2年の交際を経て1987年暮れに結婚した。当時大学生だった夫人は広島県外出身で野球に興味がなく、津田がカープの有名選手だったことを知らなかったという。 大毅は九州学院高校から九州国際大学へ進学後、2008年から古葉竹識が野球部監督に就任した東京国際大学へ編入。親子2代に渡って古葉に師事することとなった。しかし度重なる故障に泣き、大学4年間での公式戦成績はわずか四球1個だけにとどまる。大学卒業後は野球から離れ会社員となっていたが、2016年8月に退職。2016年12月には「津田恒美記念館」を山口県内に設置すべく活動を始めた。その後2017年6月に広島市内に設立する予定に変更し、2018年7月を開館目標としてクラウドファンディングを開始。最終的に2019年5月30日に開館されたが、コロナ禍と入居していたビルの閉鎖に伴って2020年に閉館、2021年3月6日からMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の近所に移転し、「津田恒美メモリアルカフェ」と改称してカフェ併設の形態で再開している。 津田はアマチュア時代から剛球投手として名を馳せていたが、それと相反するように自他ともに認めるメンタル面の弱さも持ち合わせていた。高校時代には、監督から精神安定剤と偽った小麦粉を渡されたこともあったという。「弱気は最大の敵」「一球入魂」といった座右の銘や、打者に真っ向から立ち向かう投球スタイルは、元々はそのような自らの精神的な弱さを克服するために心がけていたものであった。二つの座右の銘を書いたボールを肌身離さず持ち歩き、登板する前には必ずそのボールに向かって気合を入れていた。 病を抱えながらも屈さず相手に全力で投球するプレースタイルや、明るくひょうきんな性格であった事からチームメイトやカープファンや他球団のファンから愛されていた。 リリーフピッチャーとしての責任感が非常に強い選手だった。清川栄治のプロ初勝利が掛かった試合に登板し、メッタ打ちにされて清川の勝利を消してしまった時は、試合後に合宿所の清川の部屋へ30分おきに出向いては謝罪し続け、見かねたチームメイトが津田をなだめて止めたという逸話が残されている。また、負け投手になった翌日は誰よりも早く球場入りし、外野スタンドの階段を黙々と走り込んでいたという。達川光男が連載コラムの中でこのことについて触れており、「外野スタンドを走っていたのは、試合を見に来てくれたファンへの謝罪の念の現れだったのではないか」と述べている。 津田の病を知った当時の山崎隆造選手会長は、すぐに全選手を集めその事実を知らせるとともに、「津田のために優勝しよう。津田を優勝旅行に連れて行ってやろう」と涙ながらに訴えた。広島ナインはこれに奮起し、この年チームは夏場まで独走していた中日ドラゴンズを逆転でかわし、5年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした。この時、津田とダブルストッパーを組むことになっていた大野豊を始めとする投手陣は、リーグの投手部門の主要タイトルを独占するという大活躍を見せている(最優秀救援投手: 大野、最多勝利・最優秀防御率・沢村賞: 佐々岡真司、最高勝率: 北別府学、最多奪三振: 川口和久)。 チームメイトであった森脇浩司とは無二の親友で、1987年のシーズン中に森脇が南海ホークスへトレードされた時は、夫人に対して「お前か浩司のどっちかをとれって言われたら、オレは浩司をとる」と言い、夫人を呆れさせたほどだったが、晩年、済生会福岡総合病院に転院して闘病生活を送っていた津田及び周辺の諸々の世話を積極的に行っていたのも、森脇だった。津田が一時回復を見せた時、森脇は「オレの年俸を半額にしてでも、お前を現役復帰させられるように球団(福岡ダイエーホークス)に掛け合ってやる」と言ったとされ、退院後には居宅となる借家も手配した。没年と同年の1993年に森脇が結婚して披露宴を挙げた際には亡き津田のために席を用意し、津田のグラスにビールを注いでキャンドルサービスを行い、同席した金石昭人、清川栄治ら友人の涙を誘った。津田が再びマウンドに立つことはなかったが、津田の一人息子の大毅は森脇らの計らいにより福岡ドームのマウンドに始球式で立つことになった。 津田が逝去した当日、東京ドームでオールスターゲーム第1戦が行われることになっていた。逝去の知らせは開幕のセレモニー直前、両軍関係者に届いたといい、津田の訃報は試合中継の途中にアナウンスされると共に、地元広島のテレビ各局で津田と親交のあったアナウンサーは、涙ながらに訃報を伝えていた。山本浩二監督を始めとする広島の選手は、全員喪服ではなくユニフォーム姿で津田の葬儀に参列した。通夜の営まれた翌日の第2戦(グリーンスタジアム神戸)では9回裏に大野豊が登板。バックを守る野村謙二郎をして「津田さんの気持ちが乗り移ったような投球だった。あんな大野さんは見たことがなかった」ほどの鬼気迫る投球で、二者連続三振を含むパーフェクトリリーフでオールスター初セーブを挙げている。 津田のこうした野球人生は、多くのファンに強い印象を残した。2000年には、晃代夫人の著書『最後のストライク』が岸谷五朗主演でドラマ化された。また鹿児島市の居酒屋「のん呑ん亭」の店の壁にある、津田をテーマとした詩が、FMラジオ番組で紹介されて話題になったこともある。ある詩人が即興で書いたものだが、ラジオでの紹介をきっかけに存在が広まり、後には津田の家族や関係者が来店するようになったという。 2020年現在、広島で背番号14を着用している大瀬良大地 、同じく背番号14を着用している東北楽天ゴールデンイーグルスの則本昂大も、目標の投手として津田の名を挙げている。 各年度の太字はリーグ最高 最高勝率:1回(1983年) 最優秀救援投手:1回 (1989年) 新人王 (1982年) 野球殿堂競技者表彰 (2012年) カムバック賞:1回 (1986年) ファイアマン賞:1回 (1989年) 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1986年) 新南陽市民栄誉賞 (1993年) 初登板:1982年4月10日、対横浜大洋ホエールズ戦(広島市民球場) 初勝利:1982年4月29日、対横浜大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム) オールスターゲーム出場:5回 (1983年、1986年 - 1989年) 15 (1982年 - 1984年) 14 (1985年 - 1991年) 津田 恒美 (つだ つねみ、1982年 - 1984年) 津田 恒実 (つだ つねみ、1985年 - 1991年) 山登義明、大古滋久著 『もう一度、投げたかった:炎のストッパー津田恒美・最後の闘い』(日本放送出版協会、1994年)ISBN 4-87728-743-4
津田晃代著 『最後のストライク:津田恒美と生きた2年3カ月』(勁文社、1995年)ISBN 4-7669-2179-8
^ 「動揺性肩関節症」とも呼ばれ、肩の関節があらゆる方向に正常以上に動いて、不安感を伴う症状。 ^ このクレイジーは「素晴らしい」「すごい」という俗語表現。 ^ しかし後年、原は「折れたことには悔いはなかったですよ。津田というのは、そういうふうに思わせるピッチャーでしたね」と語り、また直球の速かった投手を問われると必ず「津田、小松、鈴木孝政さん、大学時代の江川さん」と真っ先に津田の名を挙げるという。 ^ 2016年12月の計画時点では津田の生家を記念館にする予定だった。 ^ 故津田投手の顕彰碑、看板改修へ 日刊新周南 2018年8月7日閲覧。 ^ 毎日新聞社 編 編『選抜高等学校野球大会60年史』毎日新聞社、1989年、頁。 ^ 朝日新聞社 編 編『全国高等学校野球選手権大会70年史』朝日新聞社、1989年、頁。 ^ 『都市対抗野球大会60年史』日本野球連盟、毎日新聞社、1990年、頁。 ^ 読売新聞1989年2月18日18面 ^ “【4月14日】1991年(平3) 炎のストッパー・津田、悲しい最後のリリーフ”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2008年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月27日閲覧。 ^ “必死で練習 “津田魂”は生きている/広島連載5”. nikkansports.com. (2016年9月3日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1704336.html 2016年9月3日閲覧。 ^ “【復刻】炎のストッパー津田投手が死去”. nikkansports.com. (1993年7月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120113-888974.html 2017年7月27日閲覧。 ^ “炎のストッパー・津田さん殿堂入り、晃代夫人も涙「一番驚いているのは津田本人」”. スポーツ報知. (2012年1月13日). オリジナルの2012年1月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120114092149/http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20120113-OHT1T00201.htm 2017年7月27日閲覧。 ^ “津田さん命日に北別府氏と殿堂入り表彰”. デイリースポーツ. (2012年7月21日). オリジナルの2012年7月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120721090835/http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2012/07/21/0005229935.shtml 2012年7月28日閲覧。 ^ “津田恒実さん:山口県周南市に「メモリアルスタジアム」”. 毎日jp. (2012年12月14日). オリジナルの2013年1月12日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/cgwOa 2017年7月27日閲覧。 ^ “【プロ野球仰天伝説46】バースを3球三振に仕留めた津田恒実のクレージーな快速球”. 週刊ベースボールONLINE (2018年2月7日). 2018年11月3日閲覧。 ^ “原の左手を破壊した津田のストレート/プロ野球仰天伝説206”. 週刊ベースボールONLINE (2018年7月17日). 2018年8月31日閲覧。 ^ “原氏と津田氏の勝負の絆は今でも生きている/コラム”. 日刊スポーツ (2016年9月19日). 2018年8月31日閲覧。 ^ DVD「熱闘!日本シリーズ1986」 ^ “津田恒実さん: 野球殿堂入り 息子「光栄だけど少し複雑」”. 毎日jp. (2012年1月13日). オリジナルの2012年1月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120117011858/http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/news/20120114k0000m040025000c.html 2017年7月27日閲覧。 ^ “「津田恒美記念館」広島にできる 賛同者募集開始”. デイリースポーツ. (2017年6月19日). https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2017/06/19/0010295887.shtml 2017年4月5日閲覧。 ^ “「津田恒美 記念館」できる!一人息子が奔走 炎のストッパー永遠に…”. デイリースポーツ. (2016年12月27日). https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2016/12/27/0009784530.shtml 2017年7月27日閲覧。 ^ 津田恒美記念館オープンへ 息子大毅さんが思い語る日刊スポーツ 2019年5月28日 2019年7月1日閲覧 ^ 「津田恒美記念館」が30日にカープロード沿いにオープンデイリースポーツ 2019年5月29日 2019年7月1日閲覧 ^ 津田恒美記念館が「再登板」 広島、マツスタ近くでカフェに【動画】中国新聞デジタル 2021年3月6日 2024年2月6日閲覧 ^ 祝 プロ野球開幕!「カープ愛」あふれるお店特集 ~広島市南区~ひろしまリード 2021年3月25日 2021年3月6日 2024年2月6日閲覧 ^ “【甲子園百景・春】南陽工に38年間息づく「弱気は最大の敵」”. Sponichi Annex. (2016年3月28日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/03/28/kiji/K20160328012294060.html 2016年3月28日閲覧。 ^ “森脇コーチ感無量…「俺の年俸は半額でも」津田さんを励まし続ける”. Sponichi Annex. (2012年1月14日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/01/14/kiji/K20120114002428080.html 2017年7月27日閲覧。 ^ 津田晃代 1995, p. 155 ^ “広島大瀬良、津田さん墓前に今季報告”. nikkansports.com. 日刊スポーツ. 2020年1月25日閲覧。 ^ 「伝統の背番号を背負う7人のルーキーズ」『週刊ベースボール』2013年2月25日号、ベースボール・マガジン社、17頁、雑誌20444-2/25。 津田晃代『最後のストライク 津田恒美と生きた2年3カ月』勁文社、1995年。ISBN 4-7669-2179-8。 山口県出身の人物一覧 広島東洋カープの選手一覧 津田 (小惑星) 盛田幸妃 - 津田同様に現役時代に脳腫瘍に罹患したプロ野球の投手。一度は現役中に全快したが、後に再発し2015年に死去。 横田慎太郎 - 津田同様に現役時代に脳腫瘍に罹患したプロ野球選手。一度は現役中に寛解したものの後遺症に苦しみ2019年に引退。引退後も脊髄への転移や脳腫瘍の再発に襲われ2023年に死去。 今藤幸治 - 元ガンバ大阪のDF/MF、津田同様に若くして脳腫瘍で夭折。 個人年度別成績 津田恒実 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 野球殿堂 津田恒実 山口県の先人たち 津田恒実 表 話 編 歴 60 ヴィクトル・スタルヒン 62 池田豊 63 中島治康 64 若林忠志 65 川上哲治, 鶴岡一人 69 苅田久徳 70 天知俊一, 二出川延明 72 石本秀一 74 藤本定義, 藤村富美男 76 中上英雄 77 水原茂, 西沢道夫 78 松木謙治郎, 浜崎真二 79 別所毅彦 80 大下弘, 小鶴誠 81 飯田徳治, 岩本義行 83 三原脩 85 杉下茂, 白石勝巳, 荒巻淳 88 長嶋茂雄, 別当薫, 西本幸雄, 金田正一 89 島秀之助, 野村克也, 野口二郎 90 真田重蔵, 張本勲 91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎 92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男 93 稲尾和久, 村山実 94 王貞治, 与那嶺要 95 杉浦忠, 石井藤吉郎 96 藤田元司, 衣笠祥雄 97 大杉勝男 99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄 00 米田哲也 01 根本陸夫, 小山正明 02 山内一弘, 鈴木啓示, 福本豊, 田宮謙次郎 03 上田利治, 関根潤三 04 仰木彬 05 村田兆治, 森祇晶 06 門田博光, 高木守道, 山田久志 07 梶本隆夫 08 山本浩二, 堀内恒夫 09 若松勉 10 東尾修 11 落合博満 12 北別府学, 津田恒実 13 大野豊 14 野茂英雄, 秋山幸二, 佐々木主浩 15 古田敦也 16 斎藤雅樹, 工藤公康 17 伊東勤 18 松井秀喜, 金本知憲 19 立浪和義 22 髙津臣吾, 山本昌 23 アレックス・ラミレス 24 谷繁元信, 黒田博樹 25 イチロー, 岩瀬仁紀 09 青田昇 10 江藤慎一 11 皆川睦雄 13 外木場義郎 16 榎本喜八 17 星野仙一, 平松政次 18 原辰徳 19 権藤博 20 田淵幸一 23 ランディ・バース 25 掛布雅之 59 正力松太郎, 平岡凞, 青井鉞男, 安部磯雄, 橋戸信, 押川清, 久慈次郎, 沢村栄治, 小野三千麿 60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎 62 市岡忠男 64 宮原清 65 井上登, 宮武三郎, 景浦將 66 守山恒太郎 67 腰本寿 68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三 69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧 70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚 71 小西得郎, 水野利八 72 中野武二, 太田茂 73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三 74 野田誠三 76 小泉信三 77 森茂雄, 西村幸生 78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎 79 平沼亮三, 谷口五郎 80 千葉茂 81 佐伯達夫, 小川正太郎 82 鈴木龍二, 外岡茂十郎 83 内村祐之 84 桐原眞二 85 田中勝雄, 山内以九士 86 中河美芳, 松方正雄 87 藤田信男, 山下実 88 横沢三郎, 芥田武夫, 永田雅一 89 池田恒雄, 伊達正男 90 佐伯勇 91 中澤良夫 92 吉田正男 94 廣岡知男 95 呉昌征, 村上實 96 牧野直隆, 保坂誠 97 山本英一郎 98 中尾碩志, 井口新次郎 99 吉國一郎 00 福島慎太郎 01 武田孟, 長谷川良平 02 中澤不二雄, 生原昭宏 03 松田耕平 04 秋山登 05 志村正順 06 川島廣守, 豊田泰光 07 松永怜一 08 嶋清一 09 大社義規, 君島一郎 10 古田昌幸 12 長船騏郎, 大本修 13 福嶋一雄 14 相田暢一 15 林和男, 村山龍平 16 松本瀧藏, 山中正竹 17 郷司裕, 鈴木美嶺 18 瀧正男 19 脇村春夫 20 前田祐吉, 石井連藏 21 川島勝司, 佐山和夫 22 松前重義 23 古関裕而 24 谷村友一 25 富澤宏哉 02 フランク・オドール, 正岡子規 03 ホーレス・ウィルソン, 鈴鹿栄 表 話 編 歴 1957 豊田泰光 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 近藤和彦 1961 塩原明 1962 岩下光一 1963 王貞治 1964 K.ハドリ 1965 林俊彦 1966 長嶋茂雄 1967 D.スペンサー 1968 柴田勲 1969 足立光宏 1970 黒江透修 1971 黒江透修 1972 長嶋茂雄 1973 高田繁 1974 山崎裕之 1975 中沢伸二, 外木場義郎 1976 B.ウイリアムス 1977 福本豊 1978 若松勉 1979 水谷実雄 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 佐藤孝夫 1953 権藤正利 1954 広岡達朗 1955 西村一孔 1956 秋山登 1957 藤田元司 1958 長嶋茂雄 1959 桑田武 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 城之内邦雄 1964 高橋重行 1966 堀内恒夫 1967 武上四郎 1968 高田繁 1969 田淵幸一 1970 谷沢健一 1971 関本四十四 1972 安田猛 1974 藤波行雄 1976 田尾安志 1977 斉藤明雄 1978 角三男 1979 藤沢公也 1980 岡田彰布 1981 原辰徳 1982 津田恒美 1983 槙原寛己 1984 小早川毅彦 1985 川端順 1986 長冨浩志 1987 荒井幸雄 1988 立浪和義 1989 笘篠賢治 1990 与田剛 1991 森田幸一 1992 久慈照嘉 1993 伊藤智仁 1994 藪恵市 1995 山内泰幸 1996 仁志敏久 1997 澤﨑俊和 1998 川上憲伸 1999 上原浩治 2000 金城龍彦 2001 赤星憲広 2002 石川雅規 2003 木佐貫洋 2004 川島亮 2005 青木宣親 2006 梵英心 2007 上園啓史 2008 山口鉄也 2009 松本哲也 2010 長野久義 2011 澤村拓一 2012 野村祐輔 2013 小川泰弘 2014 大瀬良大地 2015 山﨑康晃 2016 髙山俊 2017 京田陽太 2018 東克樹 2019 村上宗隆 2020 森下暢仁 2021 栗林良吏 2022 大勢 2023 村上頌樹 2024 船迫大雅 表 話 編 歴 1974 石岡康三 1975 安仁屋宗八 1976 船田和英 1977 浅野啓司 1978 野村収 1979 三村敏之 1980 谷沢健一 1981 藤田平 1984 鈴木孝政 1986 津田恒実 1987 杉浦享, 新浦壽夫 1988 有田修三 1989 西本聖, 中尾孝義 1990 吉村禎章, 遠藤一彦 1992 伊東昭光 1993 川崎憲次郎 1994 彦野利勝 1996 加藤伸一 1997 伊藤智仁 1998 斎藤隆 1999 遠山奬志 2000 種田仁 2001 成本年秀 2002 前田智徳 2003 平井正史, 鈴木健 2004 小久保裕紀 2008 平野恵一 2012 大竹寛 2015 館山昌平 2017 岩瀬仁紀 2018 松坂大輔 表 話 編 歴 1974 星野仙一 1975 鈴木孝政 1976 鈴木孝政 1977 鈴木孝政 1978 新浦寿夫 1979 江夏豊 1980 江夏豊 1981 角三男 1982 山本和行 1983 斉藤明夫 1984 山本和行 1985 中西清起 1986 斉藤明夫 1987 郭源治 1988 郭源治 1989 津田恒実 1990 与田剛 1991 大野豊 1992 佐々木主浩 1993 石毛博史 1994 高津臣吾 1995 佐々木主浩 1996 佐々木主浩 1997 佐々木主浩 1998 佐々木主浩 1999 高津臣吾 2000 E.ギャラード 2001 高津臣吾 2002 E.ギャラード 2003 高津臣吾 2004 五十嵐亮太 2005 岩瀬仁紀 2006 岩瀬仁紀 2007 藤川球児 2008 M.クルーン 2009 岩瀬仁紀 2010 岩瀬仁紀 2011 藤川球児 2012 岩瀬仁紀, T.バーネット 2013 西村健太朗 2014 呉昇桓 2015 T.バーネット, 呉昇桓 2016 澤村拓一 2017 R.ドリス 2018 山﨑康晃 2019 山﨑康晃 2020 R.スアレス 2021 R.スアレス 2022 R.マルティネス 2023 岩崎優 2024 R.マルティネス 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 藤村隆男 1953 大友工, 石川克彦 1954 杉下茂 1955 大友工 1956 堀内庄 1957 木戸美摸 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 伊藤芳明 1962 小山正明 1963 山中巽 1964 石川緑 1965 山中巽 1966 堀内恒夫 1967 堀内恒夫 1968 島田源太郎 1969 高橋一三 1970 村山実 1971 坂井勝二 1972 堀内恒夫 1973 倉田誠 1974 松本幸行 1975 星野仙一 1976 加藤初 1977 新浦寿夫 1978 鈴木康二朗 1979 藤沢公也 1980 福士敬章 1981 江川卓 1982 都裕次郎 1983 津田恒美 1984 江川卓 1985 北別府学 1986 北別府学 1987 川端順 1988 小野和幸 1989 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 北別府学 1992 斎藤雅樹 1993 山本昌広 1994 紀藤真琴 1995 石井一久 1996 斎藤雅樹 1997 三浦大輔 1998 桑田真澄 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 入来祐作 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 安藤優也 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 館山昌平 2009 D.ゴンザレス 2010 久保康友 2011 吉見一起 2012 杉内俊哉 2013 小川泰弘 2014 山井大介 2015 M.マイコラス 2016 野村祐輔 2017 薮田和樹 2018 大瀬良大地 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 青柳晃洋 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1位:津田恒美 2位:斉藤浩行 3位:高木宣宏 4位:木原彰彦 5位:上本孝一 6位:及川美喜男 VIAF 日本 人物の画像提供依頼 津田恒実 日本の野球選手 協和発酵硬式野球部の選手 広島東洋カープ及び広島カープの選手 最高勝率 (野球) 最多セーブ投手及び最優秀救援投手 (NPB) セントラル・リーグ最優秀新人 (NPB) カムバック賞 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球殿堂表彰者 山口県出身のスポーツ選手 1960年生 1993年没 脳腫瘍で亡くなった人物 出典のページ番号が要望されている記事 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2025/04/04 10:21更新
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tsuda tsunemi
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