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池谷公二郎の情報 (いけがやこうじろう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

池谷公二郎の情報(いけがやこうじろう) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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池谷 公二郎さんについて調べます

■名前・氏名
池谷 公二郎
(読み:いけがや こうじろう)
■職業
野球選手
■池谷公二郎の誕生日・生年月日
1952年6月28日 (年齢72歳)
辰年(たつ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
静岡出身

(昭和27年)1952年生まれの人の年齢早見表

池谷公二郎と同じ1952年生まれの有名人・芸能人

池谷公二郎と同じ6月28日生まれの有名人・芸能人

池谷公二郎と同じ出身地静岡県生まれの有名人・芸能人


池谷公二郎と関係のある人

金田留広: 9連戦の真ん中の一戦となり、北別府学・池谷公二郎ら先発5本柱が、中継ぎでも登板し始めていた。


佐伯和司: 1975年、嘘のように肩の痛みが取れ、新しく習得したスライダーを武器に、球団創設25年目にして初優勝に驀進するチームの一翼を担い、外木場義郎20勝、池谷公二郎18勝に次ぐ15勝を挙げ面目を保った。


田代富雄: 初本塁打:1976年7月27日、対広島東洋カープ14回戦(広島市民球場)、2回表に池谷公二郎から先制2ラン


長嶋清幸: 初本塁打・初打点:1980年7月17日、対ヤクルトスワローズ20回戦(静岡草薙球場)、6回表に池谷公二郎の代打として出場、尾花高夫からソロ


中山俊之: 続く再試合で光内数喜(鐘淵化学から補強)、2回戦では日本楽器の池谷公二郎に投げ勝ち、準々決勝に進出。


高橋寛: 初打席:1977年8月6日 対広島東洋カープ17回戦(神宮球場)8回裏に井原慎一朗の代打で池谷公二郎の前に凡退


辻哲也: 1972年の都市対抗では左翼手、四番打者として起用され、新美敏、池谷公二郎両投手を擁し勝ち進む。


山本一義: 大野豊のプロ入りは、出雲市で開催された山本と池谷公二郎のカープ野球教室が切っ掛けである。


若松勉: 1977年6月12日、対広島東洋カープ12回戦(明治神宮野球場)、10回裏に渡辺進の代打として出場、池谷公二郎からソロ


堀内恒夫: コーチ陣はヘッドコーチに須藤豊、投手コーチに池谷公二郎、外野守備走塁コーチに弘田澄男、二軍から阿波野秀幸(投手)、淡口憲治(打撃)、上田和明(内野)、高田誠(バッテリー)が昇格、二軍監督は高橋一三(前二軍投手コーチ)が就任、堀内は「人間的に信頼でき、技術があり、動けるコーチを選んだ。


池辺巌: 1000本安打:1975年5月5日、対広島東洋カープ5回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に池谷公二郎から左前安打 ※史上89人目


小木茂光: 最後のストライク(2000年) - 池谷公二郎


堂上照: 初奪三振:1975年6月29日、対広島東洋カープ13回戦(中日スタヂアム)、8回表に池谷公二郎から


古葉竹識: 当初は池谷公二郎以外の仲人を唯一の例外として「選手に情が移る、と周りから思われる」ことを理由に断り続けてきたが、1985年の高橋慶彦・川口和久・長嶋清幸ら主力に育てた若手の結婚ラッシュのときは「監督しかいない」と頼まれ、そのほぼ全員の仲人を務めることになった。


清家政和: 同10日の広島戦(甲子園)では池谷公二郎から放った初安打を含む4打数3安打を記録し、12日の大洋戦(甲子園)でも4打数3安打をマークしたほか、斉藤明夫から初打点を記録。


豊田誠佑: 初安打:1980年4月22日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、9回表に田野倉正樹の代打として出場、池谷公二郎から


松島英雄: 同期に藤波行雄(のち中日)、控え投手として1学年下に池谷公二郎(のち広島)がいた。


西名みずほ: 毎週月曜日の「広島トレンディ」(池谷公二郎が持つコーナー)のナレーション(「テレビ派ランチ」の木・金曜日同様、有田アナウンサーに引き継がれた)。


王貞治: 後楽園球場での広島戦で3打席連続本塁打を放って712号まで到達し(9月30日三輪悟からソロ本塁打2本、10月1日池谷公二郎から2ラン)、その6試合後10月10日の対阪神22回戦(後楽園球場)で古沢憲司から2本塁打(1回の第1打席では一塁に張本勲を置いてカウント1ボールでの2球目外角寄りのシュートを打って「神風が運んだ」46号2ラン、7回の第3打席では初球真ん中高めのスローカーブを打って右翼に運ぶ47号ソロ本塁打)して、現役18年目、通算2317試合目にしてベーブ・ルースの714号に並んだ(ルースは2503試合目、アーロンは2965試合目に記録)。


大杉勝男: 1500打点:1983年8月21日、対広島東洋カープ20回戦(明治神宮野球場)、1回裏に池谷公二郎から2ラン ※史上5人目


山本浩二: 契約は5年契約でヘッドコーチに大下剛史、投手コーチに池谷公二郎、打撃コーチに水谷実雄を招聘した。


田野倉利男: 変わった「記録」としては、中日が1978年と1979年に2年続けて1イニング三者連続三球三振を奪われた(1978年は池谷公二郎、1979年は平松政次が相手)際、その両方で三振を喫している。


古葉竹識: 池谷公二郎、川口和久・長嶋清幸も育て、川口は「一言でいえば、選手を大事にする監督。


新美敏: 1972年の都市対抗では池谷公二郎との二本柱で勝ち進む。


清家政和: 初安打:同上、池谷公二郎から単打


野村弘樹: 子どもの頃から地元・広島東洋カープのファンで、山本浩二、衣笠祥雄、池谷公二郎に憧れていたが、母親が当時監督だった古葉竹識の大ファンだったため、子どもの頃は選手ではなく古葉の背番号72がプリントされたパジャマを着て寝ていた。


林昌範: 2005年、池谷公二郎の指導で投球フォームをスリークォーター気味に改造。


新浦壽夫: この時のチームメイトには池谷公二郎、1年上に藤波行雄、当時三塁手でのちに大洋で同僚となる松島英雄らがいた。


竹之内雅史: 1000本安打:1979年10月6日、対広島東洋カープ24回戦(広島市民球場)、4回表に池谷公二郎から左翼線二塁打 ※史上115人目


勝亦治: 翌1970年は同期のエース池谷公二郎とバッテリーを組む。


池谷公二郎の情報まとめ

もしもしロボ

池谷 公二郎(いけがや こうじろう)さんの誕生日は1952年6月28日です。静岡出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、解散、引退、テレビ、現在、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。池谷公二郎の現在の年齢は72歳のようです。

池谷公二郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

池谷 公二郎(いけがや こうじろう、1952年6月28日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。

静岡市立末広中学時代から投手。静岡商高では、1年次の1968年は同学年の新浦壽夫(池谷より1歳年上だが、同校の定時制から全日制へ編入)の存在もあり控え投手。新浦が1年で中途退学し読売ジャイアンツに入団したため、1969年にはエースとして期待されたが伸び悩み、1年先輩である松島英雄(のち大洋ホエールズ)の控えにとどまる。3年次の1970年にはエースとなり、県内ではほぼ負け知らずであった。春季中部大会は決勝で中京高の樋江井忠臣(のち三協精機)に投げ勝ち優勝を飾る。しかし夏の県予選では2回戦で番狂わせの敗退。高校同期に捕手の勝亦治がいた。

高校卒業後、地元の社会人野球の企業チームである金指造船に入社すると都市対抗には日本楽器の補強選手となるが、所属チームは1年も経たず野球部が解散。特別措置で1971年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから7位指名されたが、「指名しましたが、すぐ取る気はありません」と言われて都市対抗の補強先でもあった日本楽器に移籍。1972年の都市対抗では主にリリーフとして活躍し優勝に貢献。同年の1972年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受けたが、入団は翌1973年シーズン終了後にずれ込んだ。これは、同じく日本楽器のエース新美敏が東映フライヤーズ(東映は翌1973年から日拓に変更)に入団するため、主力投手が二人抜ける事態になる会社側から待ったがかかったため。1973年の都市対抗では2回戦で大昭和製紙北海道に敗退する。同年はアジア野球選手権大会日本代表、第1回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、いずれも日本の優勝に貢献、両大会の最優秀投手賞を獲得する。同年のドラフト会議前に広島に入団した。

プロ1年目の1974年から一軍初登板を果たし、赤ヘル投手陣の一角として活躍。1975年のカープ初優勝時には外木場義郎の20勝に次ぐ18勝。阪急ブレーブスとの日本シリーズでは3試合に登板する。最終第6戦では先発するが、4回に中沢伸二に2点本塁打を喫するなど5失点、敗戦投手となる。翌1976年には20勝を挙げて最多勝を獲得、防御率3.26(リーグ4位)を記録し沢村賞を受賞。1979年も2度目のリーグ優勝に貢献、初のチーム日本一となった近鉄バファローズとの日本シリーズは2試合に先発。第3戦では村田辰美と投げ合い7回を2失点に抑え、自身の日本シリーズ初勝利を果たすが、第6戦では早々に打込まれ3回に降板、敗戦投手となった。連続日本一を記録した1980年の近鉄バファローズとの日本シリーズでも2試合に先発。第2戦では鈴木啓示と投げ合うが5回に吹石徳一に逆転3点本塁打を喫し降板、第5戦でも2回に打ち込まれ、いずれも敗戦投手となった。日本シリーズでは通算1勝にとどまるが、3度のセ・リーグ優勝と2度の日本一に貢献している。

高めのストレート勝負が多く、かつ広島市民球場をホームグラウンドとしていたことから、被本塁打も多く1977年には48被本塁打を記録し、これはプロ野球記録となっている。右腕を腰の後ろまで回し、左腕を高く掲げ、遠心力で投げるシーソーのようなフォームから「シーソー投法」あるいは「ぎっこんばったん投法」とも呼ばれた。その豪快なフォームについては、「タメと長くボールを持つことを意識しながら工夫しているうちに、こうなりました。自分では変則ではなく、羽根を広げるように、きれいに投げているつもりなんですけどね」と本人は話している。バッターとの真っ向勝負を挑み1976年、77年と二年連続奪三振王にもなった。王貞治が引退を決意した一因は池谷のストレートの伸びについていけなくなった事もあると自著に書いている。北別府学や山根和夫とともに赤ヘル投手陣のエースとして活躍したが、1982年に肩を痛めてから成績が低迷。それ以降往年の力を取り戻せず、若手の台頭などもあり1985年、古葉竹識監督の勇退とともに現役を引退

その後日本テレビ・広島テレビ野球解説者を経て1989年に山本浩二監督の招聘でコーチとしてカープに復帰。巨人でも投手コーチを務め1998年は一軍、1999年~2001年は2軍、2004年に一軍投手コーチを務めたが当時球団ワーストのチーム防御率の4.50を記録し、同年限りで辞任した。現在は日本テレビ・広島テレビ・ラジオ日本の野球解説者。カープでは津田恒実と双璧、と言われる程人柄のいい人物として知られ広島のローカル番組にもよく出演している。

解説者を始めた初期には、結論の多くを「〜(選手名)の気持ちが勝ったから/負けたから」と帰結させる解説スタイルが批判を受け、一時期は選手の心情の説明でさえも、しばしば「気持ち」という言葉を避ける事も見られた。また、ファーム情報にも精通しており、デーゲームで2軍・ナイターで1軍の試合という「親子ゲーム」もしっかりとチェックしている。

現在、野球解説者の他、広島県共同募金会の会長を務めている。2015年4月からは『テレビ派ランチ』木・金曜のメインMCを同年9月の番組終了まで担当した。

次男の池谷陽輔(ようすけ)は法政大学ラグビー部でレギュラーとして活躍し、サントリーサンゴリアスに所属していた。長男は広島市内で焼鳥屋を営んでいる。

各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPB歴代最高

最多勝利:1回 (1976年)

最多奪三振:2回 (1976年、1977年) ※当時連盟表彰なし、セントラル・リーグでは、1991年より表彰

沢村栄治賞:1回 (1976年)

ベストナイン:1回 (1976年)

最優秀投手:1回 (1976年)

月間MVP:1回 (1976年7月)

オールスターゲーム出場:2回 (1975年 - 1976年)

初登板:1974年6月29日、対大洋ホエールズ10回戦(広島市民球場)、8回表に3番手で救援登板、1回無失点

初奪三振:同上、8回表に伊藤勲から

初勝利:1974年7月26日、対中日ドラゴンズ15回戦(広島市民球場)、9回表に2番手で救援登板・完了、1回無失点

初先発:1974年8月1日、対阪神タイガース18回戦(阪神甲子園球場)、9回1失点

初完投勝利:1974年9月15日、対読売ジャイアンツ26回戦(広島市民球場)、9回1失点

初セーブ: 1975年6月29日、対中日ドラゴンズ13回戦(中日スタヂアム)、7回裏1死に2番手で救援登板・完了、2回2/3を無失点

初完封勝利:1975年9月9日、対中日ドラゴンズ24回戦(広島市民球場)

1000奪三振:1981年10月12日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、7回裏に渡辺進から ※史上63人目

100勝:1983年8月21日、対ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、先発登板で6回3失点 ※史上84人目

11 (1974年 - 1985年)

81 (1989年 - 1992年、2004年)

74 (1998年 - 2001年)

次の瞬間、熱くなれ。THE BASEBALL(主に広島東洋カープに絡む試合を中心として、広島テレビ放送と日本テレビ放送網の中継に出演)

ラジオ日本ジャイアンツナイター

ズームイン!!SUPER(広島ローカルパート)

ズームイン!!朝!(広島ローカルパート)

進め!スポーツ元気丸

テレビ派(月曜コメンテーターとして出演)

テレビ派ランチ(木・金曜日メインMC 2015年4月2日 - 9月25日)

ETV特集 (NHK Eテレ、2023年2月4日) 命の砦〜集中治療室 密着40日の記録〜(集中治療室で治療を受ける患者として)

後楽園球場の対巨人戦で、ショート高橋慶彦のバックホームが池谷の尻に命中した珍プレーが有名である。

^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、33ページ

^ “監督就任 成功体験で猛練習課す 生きて・広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~)⑰”. 中國新聞デジタル. 2024年2月16日閲覧。

^ 巨人・池谷コーチが辞任 “投壊”の責任取り 2004年10月11日、共同通信

^ 池谷公二郎の息子の店に行ってきたよ! | 堀内恒夫オフィシャルブログ「今日もどこかであくたろう」Powered by Ameba

^ 【神回】沢村賞投手「池谷公二郎さん」登場!あの件をまずは謝罪します。「尻にボールをぶつけてごめんなさい」【広島カープ】【プロ野球OB】【カープOBを回る旅】 - YouTube

^ 【珍プレー】大人気視聴者質問!夜の盗塁王の盗塁数教えて下さい!池谷さんお尻大事件の真相も告白してくれました - YouTube

静岡県出身の人物一覧

広島東洋カープの選手一覧

個人年度別成績 池谷公二郎 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)

1947 別所昭

1948 中尾碩志

1949 藤本英雄

1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 杉下茂

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 金田正一

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 村山実

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 小山正明

1963 伊藤芳明

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実, 堀内恒夫

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 星野仙一

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 松岡弘

1979 小林繁

1981 西本聖

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 大野豊

1989 斎藤雅樹

1990 野茂英雄

1991 佐々岡真司

1992 石井丈裕

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 西口文也

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2001 松坂大輔

2002 上原浩治

2003 井川慶, 斉藤和巳

2004 川上憲伸

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 ダルビッシュ有

2008 岩隈久志

2009 涌井秀章

2010 前田健太

2011 田中将大

2012 攝津正

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 前田健太

2016 K.ジョンソン

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2020 大野雄大

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 大友工, 長谷川良平

1956 別所毅彦

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 藤田元司

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 権藤博

1963 金田正一

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 江夏豊

1974 松本幸行, 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 高橋里志

1978 野村収

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 小松辰雄

1988 小野和幸, 伊東昭光

1989 斎藤雅樹, 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二, 山本昌広, 野村弘樹

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹, B.ガルベス

1997 山本昌

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2000 M.バンチ

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治, K.ホッジス

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 下柳剛, 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 S.グライシンガー

2008 S.グライシンガー

2009 吉見一起, 館山昌平

2010 前田健太

2011 吉見一起, 内海哲也

2012 内海哲也

2013 小川泰弘

2014 R.メッセンジャー, 山井大介

2015 前田健太

2016 野村祐輔

2017 菅野智之

2018 大瀬良大地, 菅野智之

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋, 九里亜蓮

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1950 杉下茂

1951 金田正一

1952 金田正一

1953 金田正一

1954 杉下茂

1955 金田正一

1956 金田正一

1957 秋山登

1958 金田正一

1959 金田正一

1960 金田正一

1961 権藤博

1962 小山正明

1963 金田正一

1964 金田正一

1965 村山実

1966 村山実

1967 江夏豊

1968 江夏豊

1969 江夏豊

1970 江夏豊

1971 江夏豊

1972 江夏豊

1973 高橋一三

1974 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 池谷公二郎

1978 斉藤明雄

1979 新浦寿夫

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 江川卓

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 遠藤一彦

1987 川口和久

1988 槙原寛己

1989 川口和久

1990 木田優夫

1991 川口和久

1992 仲田幸司

1993 今中慎二

1994 桑田真澄

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤隆

1997 山本昌

1998 石井一久

1999 上原浩治

2000 石井一久

2001 野口茂樹

2002 井川慶

2003 上原浩治

2004 井川慶

2005 門倉健, 三浦大輔

2006 川上憲伸, 井川慶

2007 内海哲也

2008 C.ルイス

2009 C.ルイス

2010 前田健太

2011 前田健太

2012 杉内俊哉, 能見篤史

2013 R.メッセンジャー

2014 R.メッセンジャー

2015 藤浪晋太郎

2016 菅野智之

2017 M.マイコラス

2018 菅野智之

2019 山口俊

2020 大野雄大

2021 柳裕也

2022 戸郷翔征

2023 今永昇太

2024 戸郷翔征

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 堀内恒夫

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 新浦寿夫

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 山根和夫

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 山本昌

1998 佐々木主浩

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 S.グライシンガー

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 内海哲也

 投  池谷公二郎

 捕  田淵幸一

 一  王貞治

 二  D.ジョンソン

 三  掛布雅之

 遊  三村敏之

 外  張本勲 / 谷沢健一 / 若松勉

1950 内藤幸三

1951 杉浦竜太郎

1952 大田垣喜夫

1953 長谷川良平

1954 長谷川良平

1955 長谷川良平

1956 長谷川良平

1957 長谷川良平

1958 長谷川良平

1959 備前喜夫

1960 備前喜夫

1961 河村英文

1962 大石清

1963 大石清

1964 池田英俊

1965 大石清

1966 池田英俊

1967 安仁屋宗八

1968 大石弥太郎

1969 安仁屋宗八

1970 外木場義郎

1971 大石弥太郎

1972 白石静生

1973 外木場義郎

1974 佐伯和司

1975 外木場義郎

1976 外木場義郎

1977 外木場義郎

1978 高橋里志

1979 福士明夫

1980 池谷公二郎

1981 池谷公二郎

1982 北別府学

1983 北別府学

1984 北別府学

1985 大野豊

1986 北別府学

1987 北別府学

1988 北別府学

1989 北別府学

1990 大野豊

1991 長冨浩志

1992 川口和久

1993 北別府学

1994 北別府学

1995 佐々岡真司

1996 大野豊

1997 山内泰幸

1998 大野豊

1999 N.ミンチー

2000 佐々岡真司

2001 佐々岡真司

2002 佐々岡真司

2003 黒田博樹

2004 黒田博樹

2005 黒田博樹

2006 黒田博樹

2007 黒田博樹

2008 大竹寛

2009 C.ルイス

2010 前田健太

2011 前田健太

2012 前田健太

2013 B.バリントン

2014 前田健太

2015 前田健太

2016 K.ジョンソン

2017 K.ジョンソン

2018 野村祐輔

2019 大瀬良大地

2020 大瀬良大地

2021 大瀬良大地

2022 大瀬良大地

2023 大瀬良大地

2024 九里亜蓮

1位:池谷公二郎

2位:松林茂

3位:萩野友康(入団拒否)

4位:長島吉邦

5位:小俣進

6位:青木康彰(入団拒否)

7位:竹桝和也(入団拒否)

8位:木本茂美

9位:木山英求

1位:佐々木恭介

2位:梨田昌崇

3位:橘健治

4位:羽田耕一

5位:上水流洋(入団拒否)

6位:平野光泰

7位:池谷公二郎(入団拒否)

8位:薮内正彦(入団拒否)

9位:宮本実(入団拒否)

日本の野球選手

金指造船硬式野球部の選手

ヤマハ硬式野球部及びその前身チームの選手

広島東洋カープ及び広島カープの選手

日本の野球指導者

読売ジャイアンツ関連人物

最多勝利 (NPB)

最多奪三振 (NPB)

沢村栄治賞

野球解説者

ズームイン!!シリーズ関係者

静岡県出身のスポーツ選手

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1952年生

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野球に関する記事

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ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/11/17 08:17更新

ikegaya koujirou


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国松 孝次(くにまつ たかじ)
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水森 コウ太(みずもり こうた、1949年6月28日 - )は、日本の俳優。静岡県出身。希楽星所属。旧芸名はみずの こうさく、水森 こう太。 マドモアゼル通り 第17話「富士に誓う」(1972年4月…

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きたがわ 翔(きたがわ しょう、1967年6月28日 - )は、日本の漫画家。男性。静岡県出身。本郷高校デザイン科卒。血液型はO型。 代表作に、『19〈NINETEEN〉』、『B.B.フィッシュ』、…

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池谷公二郎
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