もしもし情報局 > 1945年 > 3月5日 > 野球選手

大杉勝男の情報 (おおすぎかつお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【2月2日】今日誕生日の芸能人・有名人

大杉勝男の情報(おおすぎかつお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

大杉 勝男さんについて調べます

■名前・氏名
大杉 勝男
(読み:おおすぎ かつお)
■職業
野球選手
■大杉勝男の誕生日・生年月日
1945年3月5日 (年齢1992年没)
酉年(とり年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
岡山出身

(昭和20年)1945年生まれの人の年齢早見表

大杉勝男と同じ1945年生まれの有名人・芸能人

大杉勝男と同じ3月5日生まれの有名人・芸能人

大杉勝男と同じ出身地岡山県生まれの有名人・芸能人


大杉勝男と関係のある人

ランディ=バース: だが、守備難がネックで一塁しか守れなかったこと、当時のヤクルトの一塁には大杉勝男、杉浦享という強打者が二人おり被ってしまうため、当時の監督の武上四郎が急に難色を示しだし、結果的に大杉、杉浦を優先したことから合意には至らなかった。


伊勢孝夫: 1978年には大杉勝男の控え一塁手としてリーグ初優勝に貢献。


松岡弘: 阪急ブレーブスとの日本シリーズでは、同じ岡山出身の大杉勝男とともに活躍。


チャーリー=マニエル: ヤクルト初優勝の立役者であり、近鉄でも連覇に貢献したマニエルへの期待は大きかったが、大杉勝男は1月末にユマ・キャンプに現れたマニエルを見て、走り込み不足ですっかり下半身が弱くなっており、キャンプで徹底して鍛え直さなければ使い物にならないだろうと危惧していた。


作道烝: さらに代わった佐藤政夫からも張本勲、大杉勝男が本塁打を放ち、日本プロ野球記録となる5者連続本塁打が記録された。


中山翔太: 特に9月には、得意とする広島戦で豪快な一発を放つなど、チームでは大杉勝男以来の記録となる、球団最多タイ記録である月間3本の代打本塁打を放った。


中田翔: また、2年連続100打点を記録した(同チーム内での2年連続100打点は、東映時代に大杉勝男(1971?1973年)が記録して以来2人目である)。


大矢明彦: その後試合は大杉勝男の本塁打を巡って1時間19分の抗議が行われた後にヤクルトが日本一に輝いた。


武上四郎: 在任中は「三原監督と広岡監督をマッチした監督になりたい」と言っていたが、前年に不自然な引退をしていた大杉勝男が自著『サムライたちのプロ野球』で、自身に対する酷薄な仕打ちを書き綴り、「好き嫌いで選手を使っている」と批判するような状況であった。


土橋正幸: 張本勲・大杉勝男ら当時の東映にいた武闘派の選手からも恐れられており、高橋は高校の後輩でもある江本孟紀に「土橋さんに5、6人ぶっ飛ばされている。


チャーリー=マニエル: 1977年は若松勉・大杉勝男とともに強力クリーンアップを形成し、打率.316(リーグ10位)、42本塁打、97打点と活躍し、チームの球団創設以来初の2位躍進に貢献。


青木実: 初出場:1976年4月3日、対読売ジャイアンツ1回戦(明治神宮野球場)、7回裏に大杉勝男の代走として出場


張本勲: 前年のオフに大杉勝男・白仁天らが移籍し、張本はこの時について「日本ハムに身売りになって、三原さんが社長になって、娘婿の中西さんが監督になって、土橋さんも球団から去って。


ロッド=アレン: この際に、アレンは大洋の大杉勝男コーチに暴行を加えたため、退場処分を受けている(ヤングは退場処分にはなっていない)。


藤村富美男: 国鉄退団後は水原茂監督に請われて東映フライヤーズで一軍打撃コーチ(1964年 - 1965年, 1968年)・二軍監督(1967年)を務め、就任した時には猛者揃いの東映選手も「恐ろしい人が来る」と戦々恐々であったが、旅館で「ビールでもどうですか」と言ったら「ビールはいらん、それよりあんパンくれ」と言って周囲を驚かせ、大杉勝男の入団を促すなどの成果を挙げた。


野村克也: 前年不振だった打撃も復調し、東映の大杉勝男と最後まで本塁打王を争った。


池田純一: 実際には減俸を受け入れたうえで契約を更改したが、翌1974年のシーズン終了後には、日本ハムファイターズへの移籍(池田・吉良修一と大杉勝男・小坂敏彦との交換トレード)話が公に出た。


羅本新二: 初出場:1979年5月12日、対阪神タイガース6回戦(長崎市営大橋球場)、8回裏に大杉勝男の代走で出場


川口和久: なお、実戦で投げることが変化球の上達には最も重要で、例えばフォークボールは対ヤクルト戦の大杉勝男の打席で初めて投げたという。


島津佳一: 初出場:1974年5月8日、対太平洋クラブライオンズ前期3回戦(後楽園球場)、9回裏に大杉勝男の代走で出場


小田義人: 1974年シーズンオフに大杉勝男との交換トレードで内田順三と共に日本ハムファイターズへ移籍。


江本孟紀: 1981年8月26日の対ヤクルトスワローズ戦(甲子園)に先発した江本は、7回まで1失点と好投して試合を作るが、4-1と3点リードで迎えた8回表に、一死から四番・大杉勝男に単打、五番・杉浦亨に二塁打を浴び、続く六番・渡辺進の単打で大杉が生還して4-2と2点差に迫られた。


毒島章一: 当時のチームは張本勲、土橋正幸、山本八郎、安藤順三、ジャック・ラドラ、大杉勝男、白仁天、大下剛史、尾崎行雄など荒くれ揃いの中、その温厚な性格と人柄により、永きに渡りフライヤーズの主将を務めた。


星野仙一: 1球敗戦投手:1978年9月19日、対ヤクルトスワローズ20回戦(草薙球場)、9回裏に大杉勝男にサヨナラ本塁打を被弾し敗戦 ※史上7人目


谷繁元信: 「2球団で1000安打達成」は大杉勝男、金本知憲に次ぎ、史上3人目である。


富澤宏哉: 4番打者・大杉勝男一塁手が阪急・足立光宏投手の投じた内角シュートをすくい上げレフトポール際へ。


土井正博: 1967年のオールスターゲームでは第1戦で2本塁打を放ち6打点、第2戦で3点本塁打の長池徳二、第3戦で満塁本塁打の大杉勝男と共にMVPを獲得。


佐藤元彦: リリーフに立った佐藤政夫も続く張本勲・大杉勝男に本塁打を浴び、5者連続本塁打の日本記録を献上することとなった。


鴨川清: 初出場:1973年6月14日、対ロッテオリオンズ前期10回戦(宮城球場)、9回表に大杉勝男の代走として出場


杉浦享: 1975年には小田らとの交換トレードで日本ハムから大杉勝男が移籍入団、一塁の定位置に座る。


大杉勝男の情報まとめ

もしもしロボ

大杉 勝男(おおすぎ かつお)さんの誕生日は1945年3月5日です。岡山出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

兄弟、卒業、引退、テレビ、病気に関する情報もありますね。1992年に亡くなられているようです。

大杉勝男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

大杉 勝男(おおすぎ かつお、1945年3月5日 - 1992年4月30日)は、岡山県勝田郡奈義町出身のプロ野球選手(内野手)。

NPBにおける通算本塁打数・通算打点数ともに歴代9位。

3兄弟の次男として生まれ、4歳年上の兄に影響されて野球を始めた。その後、兄と父を病で亡くす。

関西高校に入学し、硬式野球部に入部。1年でありながら真っ先にレギュラー捕手となるが、甲子園に出場することはかなわなかった。卒業後は、1963年に野球部を新設し、高校の先輩である岡田悦哉が監督となった丸井に入社。都市対抗の東京都予選などで活躍するが、創部2年目の1964年に野球部は休部する。

1965年、岡田の勧めもあり東映フライヤーズの入団テストを受け、入団。

水原監督は大杉を入団1年目から積極的に起用した。本来の守備位置である一塁手にはノーム・ラーカーがいたが、外野手、三塁手を兼ねて22試合に先発出場を果たす。2年目には101試合に出場、180打数ながら8本塁打を残した。同年は打率.269を記録する。

1967年は飯島滋弥コーチの「月に向かって打て」の助言で開眼し、4月12日の対東京オリオンズ戦(後楽園球場)では両者無得点で迎えた延長13回無死無走者の打席で小山正明からサヨナラ本塁打、5月の段階で両リーグトップの13号を放つ。レギュラーに定着し、オールスターゲームにも出場。第3戦(大阪スタヂアム)で江夏豊から満塁本塁打を放ち、MVPを獲得する。同年は全試合に出場して打率.291・27本塁打・81打点の成績を残すが、リーグ最多の107三振を喫した。

1968年も三振が目立ったが、34本塁打・89打点を残し、この年から73年まで6年連続30本塁打を記録。同年4月14日の対南海ホークス戦(大阪スタヂアム)では8回二死満塁の打席で新山彰忠から、6月23日の対阪急ブレーブス戦(後楽園球場)・ダブルヘッダー第1試合では2回無死満塁の打席で水谷孝からそれぞれ満塁本塁打を放った。

1969年は監督に就任した松木謙治郎から「バットのヘッドが投手寄りに向いていると、近くには詰まり、高めはバットが波を打つ。だから打率が落ちたのだ」と指摘され、バッティングを修正。最終的に打率.285・36本塁打・99打点を残した。同年は5度のサヨナラ打を放ち、4月20日の対西鉄ライオンズ戦(後楽園球場)では2-2の同点で迎えた延長10回一死無走者の打席で池永正明からサヨナラ本塁打、5月21日の対ロッテオリオンズ戦(後楽園球場)では3-3の同点で迎えた延長12回一死一、二塁の打席で八木沢荘六からサヨナラ安打、6月20日の対阪急戦(後楽園球場)では6-6の同点で迎えた延長10回二死一塁の打席で大石清からサヨナラ2点本塁打、9月30日の対南海戦(後楽園球場)では1点を追う延長12回二死一塁の打席で皆川睦男から逆転サヨナラ2点本塁打、翌10月1日の対南海戦(後楽園球場)・ダブルヘッダー第1試合では1-1の同点で迎えた延長11回一死満塁の打席で西岡三四郎からサヨナラ安打を放った。

1970年からは3年連続40本塁打を放った。1970年には自己最高となる打率.339・44本塁打・129打点を記録。同年8月6日の対阪急戦(西京極球場)では1試合3本塁打

1971年には2年連続本塁打王のタイトルを獲得する。同年5月3日の対ロッテ戦(東京スタジアム)では延長10回二死に作道烝(代打満塁本塁打)・大下剛史・大橋穣・張本勲に続き日本プロ野球記録となる5者連続本塁打の締めを放った。

1972年には打点王を獲得。同年5月は当時プロ野球記録の月間15本塁打を達成。同月13日の対ロッテ戦(後楽園球場)では4回一死に木樽正明から放った通算200本塁打を845試合目で達成。当時の王貞治の最少試合数200号を抜き、史上最少試合数200号を更新する。7月11日の対南海戦(後楽園球場)で大杉は初回に26号本塁打を放つものの、降雨ノーゲームとなり、幻の本塁打となった。最終的に長池徳二(阪急ブレーブス)に本塁打1本差の2位。打点は野村克也(南海)と同点1位に終わった。

1974年に背番号を再び「51」に戻す。その後復調せず、打率.234と成績が低迷。球団の親会社が前年オフに日本ハムにかわり、東映カラーの払拭を目指すフロントは主力選手の大量放出を断行する。この年のオフに前年に続いて再び阪神への移籍話が持ち上がり、日本ハムからは大杉と小坂敏彦、阪神からは池田純一と後藤和昭の2対2のトレード成立が10月28日にも発表されようとしていたが、来期1975年から阪神監督となる吉田義男が「大杉は魅力ある」としながらも池田の放出に難色を示し、10月29日にこのトレードは白紙に戻された。しかし翌30日は同時にこの話があったヤクルトとの1対2のトレードが発表され移籍が決定する。同日、内田順三と小田義人との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍した。

1975年、4月14日の対中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場)では3回裏に移籍後初本塁打を放つが、6月下旬に急性胃炎を発症。8月21日の対大洋ホエールズ戦(県営宮城球場)では代打での出場機会もなく欠場。1968年9月21日から続いていた連続試合出場記録が1975年8月20日までの「890試合」で途切れた。シーズンでは打率.237と結果を残せなかった。

1976年に打率.300・29本塁打・93打点の成績を残す。

1977年からは広岡達朗が監督に就任。同年は打率.329・31本塁打・104打点を記録した。

1978年には開幕から5番打者を務め、後半戦は4番で打線を引っ張り、チームも開幕から129試合連続得点という記録を打ち立てた。同年はシーズン前半を打率2位の.343で折り返す(同時点の1位は、同僚であるヒルトンの.351)。後半戦も好調で打率.327・30本塁打・97打点を記録する活躍をみせて球団のリーグ初優勝に貢献。阪急との日本シリーズでは松岡弘とともに活躍。大杉は第7戦の6回裏に足立光宏からレフトポール際に本塁打を放った。この判定を巡って阪急監督の上田利治が猛抗議。1時間19分も試合が中断するも、判定は覆らなかった。この2打席連続本塁打で大杉は第2戦・第5戦の本塁打と合わせて長嶋茂雄のシリーズ4本塁打の記録に並び、同じく長嶋のシリーズ記録であった9打点を更新する10打点を残し、シリーズMVPを獲得した。

1980年は前年のスランプを引きずり、打率.301・21本塁打・82打点に終わった。

1981年は36歳ながら、最終的にキャリアハイの打率.343を記録するもリーグ3位に終わる。7月21日の対中日戦では小松辰雄から史上14人目の2000安打達成。

1982年は前年の好調を維持し、6月中旬の段階で打率.340・10本塁打を残してたが、それ以降途中交代が急激に多くなり、規定打席に届かないままシーズンを終える。

1983年、6月3日の対中日戦(明治神宮野球場)では4回無死一塁の打席で鈴木孝政から安打を放ち、史上初の両リーグ1000安打を達成。同月17日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)では5回一死満塁の打席で池内豊から放った満塁本塁打を含む2本塁打6打点と活躍、翌18日の対阪神戦(明治神宮野球場)では13年ぶりの1試合3本塁打を記録した。8月8日に史上初のセ・パ両リーグで1000試合出場を達成。持病の不整脈が悪化し、同年7月以降は試合途中に4度退場するなどの異状が続いたこともあり、オフの11月8日に東京・新橋の球団事務所を訪れ、体力の限界を理由に現役引退を申し出、球団も了承した。引退試合は翌1984年3月24日の読売ジャイアンツとのオープン戦(明治神宮野球場)で行われた。大杉は5回一死一塁の代打で出場し、最終打席は三ゴロ併殺打に倒れる。試合終了後、引退セレモニーのあいさつで「最後に、わがまま気ままなお願いですが、あと1本と迫っておりました両リーグ200号本塁打、この1本をファンの皆様の夢の中で打たして頂きますれば、これにすぐる喜びはございません」という言葉を残した。また引退会見の席では「さりし夢 神宮の杜に かすみ草」という句を詠んでいる。

引退発表の日、背番号8がヤクルト初の欠番に内定。1984年から1989年までフジテレビ・ニッポン放送野球解説者を務めたほか、『そーっと歌ってみよう→わがまま気ままベストワン!!』(テレビ朝日)、『大杉・アッコのホームラン歌謡曲』(ニッポン放送)などテレビ・ラジオのバラエティ番組にレギュラー出演。1990年には横浜大洋ホエールズ一軍打撃コーチに就任したが、1991年に癌が判明し退団。

1992年4月30日、肝臓癌のため死去。47歳没。名球会会員最初の物故者となった。『プロ野球ニュース』でも訃報が伝えられ、大洋コーチ就任時にキャスターの中井美穂へ宛てたビデオメッセージがプレイバックされると、中井と大矢明彦(ヤクルト時代のチームメイトであった)がVTR明けに憚らず涙した。

1997年1月22日、野球殿堂入りした。

現役時代は道具を大切にし、特にバットにおいては毎日手入れを欠かさず、牛骨を使って木目を締め、体調に応じてバットの重さも変えていた。普段は850gの軽いバットだった。

グラウンド上ではケンカっ早く、乱闘では相手選手に殴りかかることがたびたびあった。例えば1978年の巨人戦で両軍入り乱れての乱闘の際には、当時の巨人監督である長嶋茂雄にも殴り掛かって一発加えている。大杉自身は乱闘の際に興奮しすぎて、長嶋に殴り掛かったことは覚えていないという。巨人の選手として立ち会っていた元同僚の張本勲が暴れる大杉を止めないといけないほどであった。

各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高

東映(東映フライヤーズ)は、1973年に日拓(日拓ホームフライヤーズ)に、1974年に日本ハム(日本ハムファイターズ)に球団名を変更

本塁打王:2回(1970年、1971年)

打点王:2回(1970年、1972年)

最多安打:1回(1971年)※当時連盟表彰なし

ベストナイン:5回(一塁手部門:1967年、1969年 - 1972年)

ダイヤモンドグラブ賞:1回(1972年)

野球殿堂競技者表彰(1997年)

日本シリーズMVP:1回(1978年)

オールスターゲームMVP:1回(1967年 第3戦)

初出場:1965年4月20日、対南海ホークス戦(後楽園球場)、延長10回裏に代打で出場

初打席:同上、皆川睦男から一ゴロ

初安打:1965年5月9日、対阪急ブレーブス5回戦に米田哲也から

初本塁打:1965年9月11日、対東京オリオンズ22回戦(東京スタジアム)、2回表に迫田七郎から

1976年セ・パ両リーグ最多併殺打達成

100本塁打:1969年9月23日、対南海ホークス17回戦(大阪スタヂアム)、2回表に皆川睦男からソロ ※史上54人目

150本塁打:1970年10月19日、対阪急ブレーブス26回戦(阪急西宮球場、ダブルヘッダー第2試合)、8回表に米田哲也から左翼へ3ラン

200本塁打:1972年5月13日、対ロッテオリオンズ8回戦(後楽園球場)、4回裏に木樽正明から左翼中段ソロ ※史上18人目

1000試合出場:1973年6月23日、対阪急ブレーブス前期11回戦(阪急西宮球場)に先発出場 ※史上66人目

250本塁打:1973年8月9日、対南海ホークス後期3回戦(大阪スタヂアム)、8回表に村上雅則から3ラン ※史上10人目

1000安打:1973年8月2日、対阪急ブレーブス後期3回戦(阪急西宮球場)、1回表に米田哲也から2ラン ※史上83人目

300本塁打:1975年10月11日、対広島東洋カープ25回戦(広島市民球場)、7回表に佐伯和司からソロ ※史上9人目

1000打点:1977年6月5日、対中日ドラゴンズ7回戦(ナゴヤ球場、ダブルヘッダー第1試合)、4回表に松本幸行から右翼線安打を放って2打点 ※史上11人目

350本塁打:1977年8月12日、対大洋ホエールズ17回戦(明治神宮野球場)、1回裏に間柴茂有から3ラン ※史上8人目

1500安打:1977年8月25日、対阪神タイガース21回戦(岡山県野球場)、1回表に谷村智啓から左前安打 ※史上33人目

400本塁打:1979年7月28日、対中日ドラゴンズ14回戦(明治神宮野球場)、1回裏に星野仙一から右越2ラン ※史上6人目

2000安打:1981年7月21日、対中日ドラゴンズ16回戦(浜松球場)、1回表に小松辰雄から左中間二塁打 ※史上14人目

2000試合出場:1981年7月31日、対横浜大洋ホエールズ15回戦(明治神宮野球場)に先発出場 ※史上16人目

450本塁打:1982年5月11日、対横浜大洋ホエールズ6回戦(横浜スタジアム)、6回裏に遠藤一彦から左翼席に逆転3ラン ※史上5人目

300二塁打:1982年8月19日、対中日ドラゴンズ16回戦(明治神宮野球場)、3回裏に中田宗男から三塁線を抜く二塁打 ※史上22人目

4000塁打:1983年8月4日、対広島東洋カープ17回戦(広島市民球場)、3回表に津田恒美から2ラン ※史上7人目

1500打点:1983年8月21日、対広島東洋カープ20回戦(明治神宮野球場)、1回裏に池谷公二郎から2ラン ※史上5人目

セ・パ両リーグ1000安打:1983年6月3日、対中日ドラゴンズ9回戦(明治神宮野球場)、4回裏に鈴木孝政から中前安打 ※史上初

セ・パ両リーグ1000試合出場:1983年8月8日、対読売ジャイアンツ15回戦(明治神宮野球場)に先発出場 ※史上初

51(1965年 - 1972年、1974年)

3(1973年)

8(1975年 - 1983年)

88(1990年 - 1991年)

『大杉勝男のバット人生:アイ・ラブ・素敵な野球野郎たち』(リイド社、1984年1月、ISBN 4947538422)

『サムライたちのプロ野球:プロ野球における監督と選手の研究』(徳間書店、1984年6月、ISBN 4195029295)

『ヤクルトスワローズ』(白帝社、1986年7月、ISBN 4891740248) - 監修

『大杉勝男:神宮に咲いたかすみ草』(奥田益也原作、高橋達央作画、ぎょうせい〈名球会comics 6〉、1992年11月、ISBN

野球道 - かつてフジテレビ解説者として出演していた中継の現行統一タイトル

プロ野球ニュース

ニッポン放送ショウアップナイター

大杉・アッコのホームラン歌謡曲(ニッポン放送) - 和田アキ子と共にパーソナリティーを務めた

そーっと歌ってみよう → わがまま気ままベストワン!!(テレビ朝日)

とんねるずのみなさんのおかげです - 涙目怪人選手権(審査員)

^ ちなみにこの入団テストの際に、監督の水原茂は粗削りで空振りが目立つ大杉のバッティングを見て難色を示したが、打撃コーチの藤村富美男は大杉に非凡の才能があることを見抜いていたもようで、「もし東映が獲らないのでしたら、私が阪神に大杉を獲るようにすすめますが、どうしますか?」と水原に進言し、入団を決意させている。

^ リーグを問わない2球団での1000安打も史上初。

^ “本塁打 【通算記録】”. 日本野球機構オフィシャルサイト. 2016年12月16日閲覧。

^ “打点 【通算記録】”. 日本野球機構オフィシャルサイト. 2016年12月16日閲覧。

^ 「さっそう、高橋東映デビュー 東京を2安打に完封 大杉が援護、サヨナラ1号」『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)4月13日付朝刊、10面。

^ 「大杉が満塁ホーマー 野村もついに一発 セの猛反撃及ばず」『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)7月28日付朝刊、10面。

^ 「大杉、満塁ホーマー 東映、南海を一気に逆転」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1968年(昭和43年)4月15日付朝刊、11面。

^ 「大杉(東映)満塁10号」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1968年(昭和43年)6月24日付朝刊、11面。

^ 大杉勝男『大杉勝男のバット人生 アイ・ラブ・素敵な野球野郎たち』リイド社、1984年、頁。ISBN 4947538422。 

^ 「大杉(東映)サヨナラ2号 金田、8球でプロ入り初白星」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1969年(昭和44年)4月21日付朝刊、9面。

^ 「大杉(東映)サヨナラ安打 延長12回」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1969年(昭和44年)5月22日付朝刊、9面。

^ 「大杉(東映)サヨナラ15号 阪急、米田の急変に泣く」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1969年(昭和44年)6月21日付朝刊、11面。

^ 「大杉は逆転31号 延長12回 南海にサヨナラ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1969年(昭和44年)10月1日付朝刊、11面。

^ 「大杉またサヨナラ打 第2東映拙攻、南海逃げ切る」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1969年(昭和44年)10月2日付朝刊、11面。

^ 「大杉が3ホーマー、6打点 24号の張本抜く 東映、初回に無死で7連打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1970年(昭和45年)8月7日付朝刊、11面。

^ 「奮起の5連続ホーマー 1イニングプロ新記録 作道1号、大下2号、大橋5号、張本6号、大杉6号 東映、9連敗でストップ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1971年(昭和46年)5月4日付朝刊、11面。

^ 「大杉、土壇場の月産タイ 幸運の延長11回 15本目の19号飛び出す」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1972年(昭和47年)6月1日付朝刊、10面。

^ 「森中へ快打贈りもの 大杉 約束のダブル記録達成」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1972年(昭和47年)5月14日付朝刊、11面。

^ 「雨無情 野村、幻の得点日本新 2回でノー・ゲーム 大杉の26号も」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1972年(昭和47年)7月12日付朝刊、10面。

^ “鈴木誠也の「6試合連続本塁打」も会心の記録だが… 王貞治「7試合連続」の内容を改めて調べると凄まじかった〈週刊セパ記録〉”. Number Web (文藝春秋). (2021年9月14日). https://number.bunshun.jp/articles/-/849780?page=4 2022年10月16日閲覧。 

^ 週刊ベースボール 2021年11月15日号 連載『張本勲の喝!!』(44 - 45頁)

^ “小林繁伝「トレード白紙、幻の「阪神・大杉」 虎番疾風録其の四(45)」”. 産経新聞 (2022年5月1日). 2022年5月20日閲覧。

^ 「大杉、ヤクルトへ内田、小田とトレード成る」『北海道新聞』(縮刷版) 1974年(昭和49年)10月31日付朝刊、12面(スポーツ面)。

^ 「移籍の大杉 初ホーマー」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1975年(昭和50年)4月15日付朝刊、15面。

^ 「大杉「連続出場」更新ならず」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1975年(昭和50年)8月22日付朝刊、16面。

^ 「優勝争いに残れ ヤクルト踏んばる」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1975年(昭和50年)8月22日付朝刊、16面。

^ 森岡浩『プロ野球人名事典 2001』、日外アソシエーツ、2001年5月28日、92頁、ISBN 4816916695。 

^ 「本塁打判定で中断 ファン無視の1時間19分」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1978年(昭和53年)10月23日付朝刊、17面。

^ 「大杉2発“シリーズ男”に 初陣ヤクルトあっぱれ王座 松岡、阪急に三塁踏ませず」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1978年(昭和53年)10月23日付朝刊、17面。

^ 各種記録達成者一覧 2000安打NPB

^ 「負けじと大杉両リーグ1000安打 プロ初の職人芸 こちら19年目で」『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)6月4日付朝刊、14面(スポーツ面)。

^ 「大杉が6打点」『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)6月18日付朝刊、15面(スポーツ面)。

^ 「大杉3連発フイ 阪神、連敗6でストップ」『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)6月19日付朝刊、15面(スポーツ面)。

^ 「大杉、両リーグ千試合出場 史上初」『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)8月9日付朝刊、14面(スポーツ面)。

^ 「大杉(ヤクルト)が引退を表明 病気、プレーに自信失う」『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)11月9日付朝刊、12面(スポーツ面)。

^ 「ファンのみなさまの夢の中で両リーグ200アーチ達成したい 大杉選手 引退試合」『北海道新聞』(縮刷版) 1984年(昭和59年)3月25日付朝刊、14面(スポーツ面)。

^ “暴れん坊でロマンチスト……。大杉勝男がファンに託した最後の夢/プロ野球20世紀・不屈の物語【1965~84年】”. 週刊ベースボールONLINE (ベースボール・マガジン社). (2020年12月19日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20201219-13 2022年11月6日閲覧。 

^ “大杉勝男【前編】月に向かって打ったスラッガー/プロ野球1980年代の名選手”. 週刊ベースボールONLINE (ベースボール・マガジン社). (2018年12月11日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181211-13 2022年11月6日閲覧。 

^ 「初の両リーグ千本安打 大杉勝男さん死去」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1992年(平成4年)5月1日付朝刊、27面(社会面)。

^ 「故大杉勝男氏 殿堂入り 両リーグで千本安打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1997年(平成9年)1月23日付朝刊、17面(スポーツ面)。

^ 『プロ野球名選手読本 王・長嶋だけがヒーローじゃない!』宝島社〈別冊宝島〉、1998年、頁。ISBN 978-4796693974。 

^ プロ野球「毎日が名勝負」読本(オフサイド・ブックス、彩流社 刊 2001年4月1日初版)88 - 89頁

^ 「スコアボード 大杉が千五百安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1977年(昭和52年)8月26日付朝刊、13面(スポーツ面)。

^ 「野村、13年連続20ホーマー」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1969年(昭和44年)9月24日付夕刊、8面。

^ 「大杉、本塁打王ほぼ手中 一気に43・44号、野村離す」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1970年(昭和45年)10月20日付朝刊、11面。

^ 「日拓・大杉が1000試合出場」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1973年(昭和48年)6月24日付朝刊、19面。

^ 「日拓・大杉が通算250号ホーマー」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1973年(昭和48年)8月10日付朝刊、18面。

^ 「スコアボード 大杉、1000本安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1973年(昭和48年)8月3日付朝刊、12面。

^ 「ヤクルト大杉が通算300号」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1975年(昭和50年)10月12日付朝刊、15面。

^ 「ヤクルト・大杉が1000打点」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1977年(昭和52年)6月6日付朝刊、17面。

^ 「ヤクルト・大杉は通算350号」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1977年(昭和52年)8月12日付朝刊、15面。

^ 「スコアボード 大杉が千五百安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1977年(昭和52年)8月26日付朝刊、13面(スポーツ面)。

^ 「大杉が400号」『北海道新聞』(縮刷版) 1979年(昭和54年)7月29日付朝刊、15面(スポーツ面)。

^ 「大杉2000本安打 14人目、17年目で達成」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1981年(昭和56年)7月22日付朝刊、19面。

^ 「記録メモ 大杉が二千試合出場」『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)8月1日付朝刊、13面(スポーツ面)。

^ 「ヤクルト・大杉勝男選手(三七)が450本塁打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1982年(昭和57年)5月12日付朝刊、17面。

^ 「記録メモ 大杉(ヤクルト)通算300二塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)8月20日付朝刊、14面(スポーツ面)。

^ 「記録メモ 大杉(ヤクルト)通算4000塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)8月5日付朝刊、17面(スポーツ面)。

^ 「記録メモ 大杉(ヤクルト)1500打点」『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)8月22日付朝刊、14面(スポーツ面)。

岡山県出身の人物一覧

北海道日本ハムファイターズの選手一覧

東京ヤクルトスワローズの選手一覧

個人年度別成績 大杉勝男 - NPB.jp 日本野球機構

野球殿堂 大杉勝男 - 公益財団法人野球殿堂博物館

60 ヴィクトル・スタルヒン

62 池田豊

63 中島治康

64 若林忠志

65 川上哲治, 鶴岡一人

69 苅田久徳

70 天知俊一, 二出川延明

72 石本秀一

74 藤本定義, 藤村富美男

76 中上英雄

77 水原茂, 西沢道夫

78 松木謙治郎, 浜崎真二

79 別所毅彦

80 大下弘, 小鶴誠

81 飯田徳治, 岩本義行

83 三原脩

85 杉下茂, 白石勝巳, 荒巻淳

88 長嶋茂雄, 別当薫, 西本幸雄, 金田正一

89 島秀之助, 野村克也, 野口二郎

90 真田重蔵, 張本勲

91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎

92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男

93 稲尾和久, 村山実

94 王貞治, 与那嶺要

95 杉浦忠, 石井藤吉郎

96 藤田元司, 衣笠祥雄

97 大杉勝男

99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄

00 米田哲也

01 根本陸夫, 小山正明

02 山内一弘, 鈴木啓示, 福本豊, 田宮謙次郎

03 上田利治, 関根潤三

04 仰木彬

05 村田兆治, 森祇晶

06 門田博光, 高木守道, 山田久志

07 梶本隆夫

08 山本浩二, 堀内恒夫

09 若松勉

10 東尾修

11 落合博満

12 北別府学, 津田恒実

13 大野豊

14 野茂英雄, 秋山幸二, 佐々木主浩

15 古田敦也

16 斎藤雅樹, 工藤公康

17 伊東勤

18 松井秀喜, 金本知憲

19 立浪和義

22 髙津臣吾, 山本昌

23 アレックス・ラミレス

24 谷繁元信, 黒田博樹

25 イチロー, 岩瀬仁紀

09 青田昇

10 江藤慎一

11 皆川睦雄

13 外木場義郎

16 榎本喜八

17 星野仙一, 平松政次

18 原辰徳

19 権藤博

20 田淵幸一

23 ランディ・バース

25 掛布雅之

59 正力松太郎, 平岡凞, 青井鉞男, 安部磯雄, 橋戸信, 押川清, 久慈次郎, 沢村栄治, 小野三千麿

60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎

62 市岡忠男

64 宮原清

65 井上登, 宮武三郎, 景浦將

66 守山恒太郎

67 腰本寿

68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三

69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧

70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚

71 小西得郎, 水野利八

72 中野武二, 太田茂

73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三

74 野田誠三

76 小泉信三

77 森茂雄, 西村幸生

78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎

79 平沼亮三, 谷口五郎

80 千葉茂

81 佐伯達夫, 小川正太郎

82 鈴木龍二, 外岡茂十郎

83 内村祐之

84 桐原眞二

85 田中勝雄, 山内以九士

86 中河美芳, 松方正雄

87 藤田信男, 山下実

88 横沢三郎, 芥田武夫, 永田雅一

89 池田恒雄, 伊達正男

90 佐伯勇

91 中澤良夫

92 吉田正男

94 廣岡知男

95 呉昌征, 村上實

96 牧野直隆, 保坂誠

97 山本英一郎

98 中尾碩志, 井口新次郎

99 吉國一郎

00 福島慎太郎

01 武田孟, 長谷川良平

02 中澤不二雄, 生原昭宏

03 松田耕平

04 秋山登

05 志村正順

06 川島廣守, 豊田泰光

07 松永怜一

08 嶋清一

09 大社義規, 君島一郎

10 古田昌幸

12 長船騏郎, 大本修

13 福嶋一雄

14 相田暢一

15 林和男, 村山龍平

16 松本瀧藏, 山中正竹

17 郷司裕, 鈴木美嶺

18 瀧正男

19 脇村春夫

20 前田祐吉, 石井連藏

21 川島勝司, 佐山和夫

22 松前重義

23 古関裕而

24 谷村友一

25 富澤宏哉

02 フランク・オドール, 正岡子規

03 ホーレス・ウィルソン, 鈴鹿栄

金田正一

稲尾和久

小山正明

米田哲也

梶本隆夫

皆川睦雄

村山実

鈴木啓示

堀内恒夫

山田久志

江夏豊

平松政次

東尾修

村田兆治

北別府学

佐々木主浩

高津臣吾

工藤公康

野茂英雄

山本昌広

岩瀬仁紀

黒田博樹

上原浩治

藤川球児

平野佳寿

山内一弘

榎本喜八

野村克也

長嶋茂雄

広瀬叔功

張本勲

王貞治

江藤慎一

土井正博

高木守道

松原誠

柴田勲

大杉勝男

藤田平

衣笠祥雄

福本豊

山崎裕之

山本浩二

有藤通世

若松勉

谷沢健一

加藤秀司

門田博光

大島康徳

新井宏昌

秋山幸二

駒田徳広

立浪和義

鈴木一朗(イチロー)

清原和博

古田敦也

野村謙二郎

石井琢朗

松井秀喜

田中幸雄

前田智徳

金本知憲

松井稼頭央

小笠原道大

稲葉篤紀

宮本慎也

小久保裕紀

アレックス・ラミレス

中村紀洋

谷繁元信

井口資仁

和田一浩

新井貴浩

福留孝介

荒木雅博

青木宣親

阿部慎之助

鳥谷敬

内川聖一

福浦和也

坂本勇人

栗山巧

大島洋平

1950 別当薫

1951 南村不可止

1952 別所毅彦

1953 川上哲治

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 豊田泰光

1957 大下弘

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 近藤昭仁

1961 宮本敏雄

1962 土橋正幸, 種茂雅之

1963 長嶋茂雄

1964 J.スタンカ

1965 長嶋茂雄

1966 柴田勲

1967 森昌彦

1968 高田繁

1969 長嶋茂雄

1970 長嶋茂雄

1971 末次民夫

1972 堀内恒夫

1973 堀内恒夫

1974 弘田澄男

1975 山口高志

1976 福本豊

1977 山田久志

1978 大杉勝男

1979 高橋慶彦

1980 J.ライトル

1981 西本聖

1982 東尾修

1983 大田卓司

1984 長嶋清幸

1985 R.バース

1986 工藤公康

1987 工藤公康

1988 石毛宏典

1989 駒田徳広

1990 O.デストラーデ

1991 秋山幸二

1992 石井丈裕

1993 川崎憲次郎

1994 槙原寛己

1995 T.オマリー

1996 T.ニール

1997 古田敦也

1998 鈴木尚典

1999 秋山幸二

2000 松井秀喜

2001 古田敦也

2002 二岡智宏

2003 杉内俊哉

2004 石井貴

2005 今江敏晃

2006 稲葉篤紀

2007 中村紀洋

2008 岸孝之

2009 阿部慎之助

2010 今江敏晃

2011 小久保裕紀

2012 内海哲也

2013 美馬学

2014 内川聖一

2015 李大浩

2016 B.レアード

2017 D.サファテ

2018 甲斐拓也

2019 Y.グラシアル

2020 栗原陵矢

2021 中村悠平

2022 杉本裕太郎

2023 近本光司

2024 桑原将志

1951 川上哲治, 野口明, 林義一

1952 飯島滋弥

1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

1954 中西太, 山内和弘

1955 山内和弘, 西沢道夫

1956 森下正夫, 吉田義男

1957 大下弘, 宮本敏雄

1958 宮本敏雄, 中西太

1959 山内和弘, 中利夫

1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

1962 ブルーム, 張本勲

1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

1969 土井正博, 船田和英

1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

1989 村田兆治, 彦野利勝

1990 R.ブライアント, 清原和博

1991 古田敦也, 広沢克己

1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

1993 清原和博, T.オマリー

1994 秋山幸二, G.ブラッグス

1995 落合博満, 松井秀喜

1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

1997 松井稼頭央, 清原和博

1998 川上憲伸, 松井秀喜

1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

2002 G.アリアス, 的山哲也

2003 高橋由伸, 金本知憲

2004 松坂大輔, SHINJO

2005 金城龍彦, 前田智徳

2006 青木宣親, 藤本敦士

2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

2008 山﨑武司, 荒木雅博

2009 青木宣親, 松中信彦

2010 阿部慎之助, 片岡易之

2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

2016 筒香嘉智, 大谷翔平

2017 内川聖一, A.デスパイネ

2018 森友哉, 源田壮亮

2019 森友哉, 近本光司

2020 (中止)

2021 菊池涼介, 島内宏明

2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

2023 柳田悠岐, 万波中正

2024 牧秀悟,佐藤都志也

1950 別当薫

1951 大下弘

1952 深見安博

1953 中西太

1954 中西太

1955 中西太

1956 中西太

1957 野村克也

1958 中西太

1959 山内和弘

1960 山内和弘

1961 野村克也, 中田昌宏

1962 野村克也

1963 野村克也

1964 野村克也

1965 野村克也

1966 野村克也

1967 野村克也

1968 野村克也

1969 長池徳二

1970 大杉勝男

1971 大杉勝男

1972 長池徳二

1973 長池徳二

1974 C.ジョーンズ

1975 土井正博

1976 C.ジョーンズ

1977 L.リー

1978 B.ミッチェル

1979 C.マニエル

1980 C.マニエル

1981 T.ソレイタ, 門田博光

1982 落合博満

1983 門田博光

1984 ブーマー

1985 落合博満

1986 落合博満

1987 秋山幸二

1988 門田博光

1989 R.ブライアント

1990 O.デストラーデ

1991 O.デストラーデ

1992 O.デストラーデ

1993 R.ブライアント

1994 R.ブライアント

1995 小久保裕紀

1996 T.ニール

1997 N.ウィルソン

1998 N.ウィルソン

1999 T.ローズ

2000 中村紀洋

2001 T.ローズ

2002 A.カブレラ

2003 T.ローズ

2004 松中信彦, F.セギノール

2005 松中信彦

2006 小笠原道大

2007 山﨑武司

2008 中村剛也

2009 中村剛也

2010 T-岡田

2011 中村剛也

2012 中村剛也

2013 M.アブレイユ

2014 E.メヒア, 中村剛也

2015 中村剛也

2016 B.レアード

2017 A.デスパイネ

2018 山川穂高

2019 山川穂高

2020 浅村栄斗

2021 杉本裕太郎

2022 山川穂高

2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗

2024 山川穂高

1950 別当薫

1951 飯田徳治

1952 飯田徳治

1953 中西太

1954 山内和弘

1955 山内和弘

1956 中西太

1957 中西太

1958 葛城隆雄

1959 葛城隆雄

1960 山内和弘

1961 山内和弘

1962 野村克也

1963 野村克也

1964 野村克也

1965 野村克也

1966 野村克也

1967 野村克也

1968 G.アルトマン

1969 長池徳二

1970 大杉勝男

1971 門田博光

1972 野村克也, 大杉勝男

1973 長池徳二

1974 長池徳二

1975 加藤秀司

1976 加藤秀司

1977 L.リー

1978 B.マルカーノ

1979 加藤英司

1980 C.マニエル

1981 T.ソレイタ

1982 落合博満

1983 水谷実雄

1984 ブーマー

1985 落合博満

1986 落合博満

1987 ブーマー

1988 門田博光

1989 ブーマー

1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦

1991 O.デストラーデ, J.トレーバー

1992 ブーマー

1993 R.ブライアント

1994 石井浩郎

1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄

1996 T.ニール

1997 小久保裕紀

1998 N.ウィルソン

1999 T.ローズ

2000 中村紀洋

2001 中村紀洋

2002 T.ローズ

2003 松中信彦

2004 松中信彦

2005 松中信彦

2006 小笠原道大, A.カブレラ

2007 山﨑武司

2008 T.ローズ

2009 中村剛也

2010 小谷野栄一

2011 中村剛也

2012 李大浩

2013 浅村栄斗

2014 中田翔

2015 中村剛也

2016 中田翔

2017 A.デスパイネ

2018 浅村栄斗

2019 中村剛也

2020 中田翔

2021 島内宏明

2022 山川穂高

2023 近藤健介

2024 山川穂高

 投  足立光宏

 捕  野村克也

 一  大杉勝男

 二  D.ブレイザー

 三  森本潔

 遊  大下剛史

 外  張本勲 / 土井正博 / 長池徳二

 投  鈴木啓示

 捕  岡村浩二

 一  大杉勝男

 二  山崎裕之

 三  有藤通世

 遊  阪本敏三

 外  張本勲 / 長池徳二 / 永淵洋三

 投  木樽正明

 捕  野村克也

 一  大杉勝男

 二  山崎裕之

 三  有藤通世

 遊  阪本敏三

 外  張本勲 / 長池徳二 / G.アルトマン

 投  山田久志

 捕  野村克也

 一  大杉勝男

 二  山崎裕之

 三  有藤通世

 遊  阪本敏三

 外  長池徳二 / G.アルトマン / 門田博光

 投  山田久志

 捕  野村克也

 一  大杉勝男

 二  基満男

 三  有藤通世

 遊  大橋穣

 外  長池徳二 / 張本勲 / 福本豊

1972 大杉勝男

1973 C.ジョーンズ

1974 W.パーカー

1975 加藤秀司

1976 加藤秀司

1977 加藤秀司

1978 柏原純一

1979 柏原純一

1980 小川亨

1981 柏原純一

1982 柏原純一

1983 片平晋作

1984 山本功児

1985 山本功児

1986 ブーマー

1987 ブーマー

1988 清原和博

1989 愛甲猛

1990 清原和博

1991 J.トレーバー

1992 清原和博

1993 清原和博

1994 清原和博

1995 J.フランコ

1996 片岡篤史

1997 髙木大成

1998 髙木大成

1999 小笠原道大

2000 小笠原道大

2001 小笠原道大

2002 小笠原道大

2003 福浦和也

2004 松中信彦

2005 福浦和也

2006 小笠原道大

2007 福浦和也

2008 A.カブレラ

2009 髙橋信二

2010 小久保裕紀

2011 小久保裕紀

2012 稲葉篤紀

2013 浅村栄斗

2014 T-岡田

2015 中田翔

2016 中田翔

2017 銀次

2018 中田翔

2019 内川聖一

2020 中村晃, 中田翔

2021 中村晃

2022 中村晃

2023 中村晃

2024 山川穂高

VIAF

日本

CiNii Books

CiNii Research

人物の画像提供依頼

日本の野球選手

関西高等学校出身の野球選手

丸井硬式野球部の選手

北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手

東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手

本塁打王 (NPB)

打点王 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

NPBオールスターゲームMVP

名球会

野球解説者

日本の野球指導者

横浜DeNAベイスターズ関連人物

日本の野球殿堂表彰者

岡山県出身のスポーツ選手

肝癌で亡くなった人物

1945年生

1992年没

出典のページ番号が要望されている記事

2025/02/02 06:14更新

oosugi katsuo


大杉勝男と同じ誕生日3月5日生まれ、同じ岡山出身の人

阪谷 芳郎(さかたに よしろう)
1863年3月5日生まれの有名人 岡山出身

阪谷 芳郎(さかたに よしろう、文久3年1月16日(1863年3月5日) - 昭和16年(1941年)11月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。子爵、法学博士。備中国川上郡九名村(現井原市)出身。大蔵…

安原 達佳(やすはら たつよし)
1936年3月5日生まれの有名人 岡山出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 安原 達佳(やすはら たつよし、のち渡邉に改姓、1936年3月5日 - 2015年4月1日)は、岡山県出身のプロ野球選手。ポジションは…

守岡 茂樹(もりおか しげき)
1953年3月5日生まれの有名人 岡山出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 守岡 茂樹(もりおか しげき、1953年3月5日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 岡山東商では1970年…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


大杉勝男と近い名前の人

大杉 君枝(おおすぎ きみえ)
1963年7月4日生まれの有名人 東京出身

大杉 君枝(おおすぎ きみえ、旧姓:鈴木、1963年7月4日 - 2007年2月2日)は、日本テレビの元アナウンサーである。 東京都杉並区出身。姉はジャズシンガーの鈴木陽子。光塩女子学院中等科・高等…

大杉 亜依里(おおすぎ あいり)
1989年5月18日生まれの有名人 神奈川出身

大杉 亜依里(おおすぎ あいり、1989年5月18日 - )は、神奈川県出身の女性タレント、女優、ファッションモデル。ミステリーハンター。株式会社ヴライに所属していた。 2009年8月、「エリートモ…


大杉 久美子(おおすぎ くみこ)
1951年7月10日生まれの有名人 東京出身

大杉 久美子(おおすぎ くみこ、1951年7月10日 - )は、日本の歌手。 東京都出身。血液型はA型。精華学園高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。 本名は同じ。テレビアニメ『アタッ…

大杉 漣(おおすぎ れん)
1951年9月27日生まれの有名人 徳島出身

大杉 漣(おおすぎ れん、1951年〈昭和26年〉9月27日 - 2018年〈平成30年〉2月21日)は、日本の俳優、タレント。本名︰大杉 孝(おおすぎ たかし)。徳島県小松島市出身。明治大学中退。身…

大杉 栄(おおすぎ さかえ)
1885年1月17日生まれの有名人 香川出身

大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年〈明治18年〉1月17日 - 1923年〈大正12年〉9月16日)は、日本の無政府主義者、思想家、作家、ジャーナリスト、翻訳家、社会運動家。エスペランティ…

大杉 りさ(おおすぎ りさ)
1971年3月4日生まれの有名人 新潟出身

大杉 りさ(おおすぎ りさ、本名: 逸見 りさ(へんみ りさ)、1971年3月4日 - )は、新潟放送のラジオパーソナリティ。フリーアナウンサー。愛称りっちゃん。 現在、アルビレックス新潟レディース…

大杉 誠人(おおすぎ まさと)
1983年2月2日生まれの有名人 広島出身

大杉 誠人(おおすぎ まさと、1983年2月2日 - )は、広島県出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 山陽高校から阪南大学を経て、2005年にJFLの佐川印刷SCに加入。MF登録ながら…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
大杉勝男
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

asfi palet ALLOVER アイドルカレッジ 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大杉勝男」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました