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北別府学の情報 (きたべっぷまなぶ)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

北別府学の情報(きたべっぷまなぶ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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北別府 学さんについて調べます

■名前・氏名
北別府 学
(読み:きたべっぷ まなぶ)
■職業
野球選手
■北別府学の誕生日・生年月日
1957年7月12日 (年齢2023年没)
酉年(とり年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
鹿児島出身

(昭和32年)1957年生まれの人の年齢早見表

北別府学と同じ1957年生まれの有名人・芸能人

北別府学と同じ7月12日生まれの有名人・芸能人

北別府学と同じ出身地鹿児島県生まれの有名人・芸能人


北別府学と関係のある人

デーブ=レーシッチ: しかし当時の広島は大野豊、北別府学、川口和久、山根和夫ら先発陣が磐石であり、抑えでは西武ライオンズから復帰したばかりの小林誠二も危なげない投球を見せていたため、制球に不安があるレーシッチは敗戦処理中心の起用となった。


小林誠二: プロ入り当初はチームでも一、二を争う速球派で、同期入団の北別府学より先に一軍昇格したが、肩を痛めてサイドスローに転向。


古葉竹識: 北別府学を2年目からローテーションで使いエースへ育て、達川光男を捕手のレギュラーとして抜擢した。


若松勉: 1000安打:1978年6月21日、対広島東洋カープ14回戦(広島市民球場)、5回表に北別府学から右前安打 ※史上111人目


前田智徳: 北別府学は前田のことを「職人」と表現している。


山本浩二: チーフ兼打撃コーチに文化放送・テレビ神奈川野球解説者の松原誠、投手コーチにテレビ朝日・広島ホームテレビ野球解説者の北別府学に招聘した。


長谷川良平: 通算197勝は北別府学(213勝)に抜かれるまでは球団記録であった。


山根和夫: また日本シリーズに弱かったエース・北別府学に代わり、シリーズの主戦投手として活躍。


河原田明: “大野豊氏 「盟友」北別府学さんを悼む「先発投手の生きざまを見せてもらった」”. スポニチ (2023年12月31日). 2024年1月9日閲覧。


福嶋久晃: 1978年には自身唯一の規定打席に到達し(36位、打率.249)、同年4月17日の広島戦では横浜スタジアムこけら落としのチーム第1号本塁打を北別府学から放ち、同年は4位であったものの7年ぶりのシーズン勝ち越しに貢献。


今中慎二: 9月17日の広島での対広島東洋カープ戦では先発して北別府学と投げ合い、2回にマメを潰しながらもアロンアルフアで固めて5回を投げプロ初勝利を挙げた。


佐藤洋: 初安打:1988年8月16日、対広島東洋カープ21回戦(東京ドーム)、8回裏に角三男の代打として出場、北別府学から


菅野智之: 9月15日の対阪神戦(東京ドーム)で6回3失点5奪三振で勝利投手となり、セ・リーグでは1982年の北別府学以来38年ぶり、巨人では1938年の1リーグ時代のヴィクトル・スタルヒン以来82年ぶりとなる開幕投手11連勝を達成し、セ・リーグ最多タイ記録となった。


仲田幸司: 4月8日に臨んだ広島東洋カープとの開幕戦では、北別府学を相手に投手戦を展開。


加藤秀司: 全球団から本塁打:1986年5月10日、対広島東洋カープ6回戦(広島市民球場)、4回表に北別府学から3ラン ※史上3人目


セシル=フィルダー: 初安打:同上、北別府学から単打


松元秀一郎: 初打席・初安打:同上、3回裏に北別府学から


高橋慶彦: 当時広島の独身寮「三篠寮」は、門限が10時半で1分でも遅刻したら罰金だったが、既に一流スターだった高橋と北別府学の二人は門限なしの、日々の寮生活でも自由が与えられていた。


ダルビッシュ有: ただし、1982年は、沢村賞を受賞した北別府学も基準を全項目達成しているのに対し、岩隈は完投数が選考基準に達していなかった。


福田真啓: 元広島東洋カープ投手で同校野球部の非常勤コーチでもある北別府学の指導により成長する。


宮川孝雄: 1975年から広島の九州地区担当スカウトに転身し、1年目には北別府学を獲得。


金田留広: 9連戦の真ん中の一戦となり、北別府学・池谷公二郎ら先発5本柱が、中継ぎでも登板し始めていた。


土屋誠: 2019年2月8日 - 北別府学(カープOB)、極楽とんぼ山本圭壱


永川勝浩: 背番号は、球団として8年間欠番が続いていた北別府学の永久預かり番号である20。


片岡安祐美: 第1打席は川口和久と対戦しセカンドゴロ、第2打席は北別府学と対戦しライト前に流し打つがライトゴロに終わる。


加藤英司: 5月10日の広島戦(広島市民球場)で4回表に北別府学から3ラン本塁打を放って史上3人目の「全球団から本塁打」という記録を達成するものの、中畑清から一塁手のレギュラーを奪えず、指名打者制度のないジャイアンツでは代打での出場が目立った。


長冨浩志: その後も主力投手として2桁勝利を3回記録するなど北別府学、大野豊、川口和久らと共に投手王国といわれた広島投手陣を支えた。


池谷公二郎: 北別府学や山根和夫とともに赤ヘル投手陣のエースとして活躍したが、1982年に肩を痛めてから成績が低迷。


高橋慶彦: 北別府学や達川光男とは、現役時代関係が険悪だったと受け取られる面もあった。


谷沢健一: 3000塁打:1984年9月29日、対広島東洋カープ25回戦(広島市民球場)、6回表に北別府学から右越ソロ ※史上26人目


北別府学の情報まとめ

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北別府 学(きたべっぷ まなぶ)さんの誕生日は1957年7月12日です。鹿児島出身の野球選手のようです。

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家族、引退、テレビ、病気、趣味、現在、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。2023年に亡くなられているようです。

北別府学のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

北別府学チャンネル

北別府 学(きたべっぷ まなぶ、1957年7月12日 - 2023年6月16日)は、鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身のプロ野球選手(投手)。日本プロ野球名球会理事を務め、晩年はYouTuberとしても活動していた。

投手として広島東洋カープでは5度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献。個人ではNPBで合計12個のタイトル(6個)・主要表彰(6個)を獲得している。

セ・リーグ最多タイ記録となる最高勝率を3回獲得している。

愛称は「精密機械」。

中学時代は最初テニス部に所属していたが、校内野球大会での活躍が認められ、後に野球部のエースピッチャーになった。宮崎県立都城農業高等学校で1年生からエースとして活躍。1974年、2年生時の夏の甲子園県予選では準決勝で延岡高に敗退。翌1975年の春季九州大会1回戦では、伝習館高を相手に完全試合を達成する。しかし、同年夏も県予選準決勝で日南高に完封を喫し、甲子園には出場できなかった。

1975年のドラフト会議にて1位指名され広島東洋カープに入団した。担当スカウトは備前喜夫。契約金は2000万円、年俸は200万円(金額は推定)。同期には山根和夫、長内孝、小林誠二らがいる(山根は1977年入団)。甲子園には出場していないため、この時はまだ全国的には無名の存在で、広島スカウト陣以外には日本ハムファイターズ監督に就任したばかりの大沢啓二が注目したのみであった。大沢は関係者から得た情報を基に北別府の指名を検討していたが、フロントやスカウト陣の反応は薄く、結局獲得は見送られてしまったという。大沢は後に「無名の選手だったから獲得しようと思えば簡単にできた。指名できなかったのが心残りだ」と語っている。

1976年、10月12日の対ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で6回4失点でプロ初勝利を飾った。

1977年から先発ローテーション入り。同年5月7日の対中日ドラゴンズ戦(広島市民球場)では9回2失点でプロ初完投勝利を挙げた。

1978年、6月3日の対読売ジャイアンツ戦(後楽園球場)でプロ初完封勝利を挙げ、10月10日の対中日戦(ナゴヤ球場)では9回5失点完投勝ちでプロ入り初のシーズン10勝を飾った。

1979年、4月19日の対巨人戦(平和台球場)では5回無死無走者の打席で浅野啓司からプロ入り初本塁打、6回二死満塁の打席で鹿取義隆から走者一掃の3点適時二塁打を放ち、投げては9回4失点完投勝ちで投打に活躍した。シーズンではチームトップの17勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した。

1982年には10月10日の対中日戦(広島市民球場)で9回2失点完投勝ちでシーズン20勝を挙げ、最多勝と沢村賞を獲得。

1984年には山根の16勝に次ぐ13勝を挙げチームのリーグ優勝に貢献し、1985年には16勝6敗と貯金2桁を稼ぎ、この年に球史に残る猛打を記録し優勝した阪神タイガースから5勝1敗(2完封)と成績を残し、5月23日の対阪神戦(阪神甲子園球場)では6回無死無走者の打席でリチャード・ゲイルから自ら本塁打を放ち、投げては9回無失点で完封勝利を挙げた。

巨人と優勝を争った1986年には9月、10月で4度の完封勝利を含む7勝0敗を記録しチームのリーグ優勝に大きく貢献。最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞、ゴールデングラブ賞に輝いた。優勝した試合は8回まで投げた時点で、9回も続投する予定であったが、自ら直訴し、最後は抑えの津田恒実にマウンドを任せたという美談がある。津田は家族ぐるみで親交のあった後輩で、後に彼が脳腫瘍を発症した際にも、しばしば見舞っていた。オフの12月9日の契約更改では32パーセント増の推定年俸6000万円の掲示を保留、同月24日の2度目の契約更改では48パーセント増の推定年俸6800万円でサインした。

1989年には12年続いていた規定投球回をクリアできなかった。1990年も2年連続規定投球回未到達で2年連続一桁勝利に終わり限界説が囁かれた。

1991年、9月3日の対阪神戦(阪神甲子園球場)では1988年4月8日以来の完封で3年ぶりの2桁勝利を飾った。シーズンでは11勝を挙げ復活すると同時に最高勝率のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝に貢献。

1992年、4月は15日の対巨人戦(東京ドーム)での完封勝利を含む4連勝で6年ぶりの月間MVPを受賞。7月16日の対中日戦(ナゴヤ球場)で球団史上初の200勝を達成し、同時に日本プロ野球における1990年代で唯一の達成で20世紀最後の200勝到達でもあった。オフの12月8日の契約更改では2000万円増の推定年俸1億300万円でサインし、広島初の1億円プレーヤーとなった。尚、広島のみに在籍して200勝を記録した投手は球団史上でも北別府のみである(NPBでは広島のみに在籍した選手の中でMLBでの記録を合算すると黒田博樹が達成している)。また、元号が昭和と平成を通じて、広島一筋での200勝達成も北別府のみとなった。

1994年9月15日に、この年限りでの現役引退を表明。同年8月21日の対巨人戦(広島市民球場)で5回に松井秀喜に本塁打を打たれ、金田正一の379を上回り、セ・リーグの最多被本塁打記録となる380を記録した。また、ホーム最終戦となる9月20日の対巨人戦では引退登板が予定されていたが、この年のセ・リーグは広島、巨人、中日の3チームが、終盤戦まで三つ巴の激しい優勝争いを繰り広げており、この日の試合も展開が二転三転する状況で遂に登板の機会に恵まれず、試合後に引退セレモニーのみが執り行われた。なお、この試合は8対7で広島が勝利し、引退試合は翌1995年3月12日のオープン戦にて行われた。

引退後は1995年から2000年までテレビ朝日・広島ホームテレビ野球解説者に就任。2001年から2004年まで広島の投手コーチを務めた。2005年より2023年途中まで再び広島ホームテレビ野球解説者を務めた。2005年から2007年まではデイリースポーツ野球評論家も兼任。2007年9月、自身の野球人生を綴った自伝「それでも逃げない」(グラフ社刊、友野康治との共著)を出版し、娘が医学生であることを明かしている。

2010年からは沢村賞の選考委員を務めた。2012年1月13日、野球殿堂に競技者表彰にて選出された。2017年6月、学生野球資格を取得。

2018年5月30日、私立英数学館高校硬式野球部のコーチ(非常勤)に就任。2019年8月からはYouTubeに「北別府学チャンネル」を開設し、YouTuberとしての活動を始めた。

2020年1月20日、2年前に成人T細胞白血病と診断されていたことを公表した。5月5日、骨髄移植を受けるために入院。ドナーとなった次男から骨髄の提供を受け、移植は成功し退院した。しかし、移植後の患者特有の合併症である移植片対宿主病(GVHD)の影響から、退院後も度重なる病気と怪我との闘病となった。

2021年6月、転倒して側頭部を10数針縫い、尾骶骨を骨折。2021年11月、大腿骨骨折が判明して人工大腿骨に置換する手術を受けた。

2022年3月に尿毒症を発症し、さらに同年6月28日には、感染症から敗血症を患っていることを、妻がブログで公表する。2023年2月には帯状疱疹を発症するなど、入院を続けてきたが、同年6月16日、広島市内の病院で死去した。65歳没。

葬儀・告別式は同月19日、広島市中区の斎場でOBを含めた球団関係者68人を含む191人が参列して営まれ、大野豊が弔辞を捧げた。式場には旧広島市民球場をモチーフにした祭壇が設置され、遺体は広島のチームカラーの真っ赤な棺に納められた。棺を乗せた車は旧広島市民球場跡地前を通り、その後荼毘に付された。戒名は「不動院釈学心(ふどういんしゃくがくしん)」。

優れた制球力から「精密機械」の異名を取り、投手王国と呼ばれた1980年代の広島の中心投手として活躍した。直球を投げる比率が少なく、最高球速は144km/hであり、球種はスライダー、カーブ、シュート、シンカーなどであった。特にスライダーの出し入れで内と外を使い分ける投球術が持ち味であった。

全盛期は非常に理想的な美しい投球フォームであった。広島大学の研究者が北別府の肩の動作解析を行い、力学的にどこにも無駄な力が入っていない、自然な肩の回転に驚いたというエピソードがある。

精密機械と呼ばれるほどの抜群の制球力を身に付けたきっかけは、プロ入りして間もなく、並み居る先輩投手の投球練習を見て、その球速に圧倒されたことであったという。球速で敵わないならば制球力を磨くように心がけ、3年だけ頑張って結果を残せなかったら野球を辞めて故郷に帰ろうと考えていたと、本人は後に語っている。

売り出し中の頃、何かと稲尾和久と比べる豊田泰光が、カープ中継の解説で北別府を評し、「若いのに大ベテランのよう」と貶したが、本人には褒め言葉だったといわれる。

コントロールの良さを示すエピソードとして、本塁上の三角形地点に置いた3個の空き缶を、わずか3球投げただけで全て倒してのけたという逸話がある。バッテリーを組んでいた達川光男もその投球について、「ミットを動かさずに捕れる」と高く評価しており、広島投手コーチ時代に「筋肉番付」で「ストラックアウト」に挑んだ際には、現役選手でも中々達成できないパーフェクトを成し遂げていた。

現役晩年の北別府とバッテリーを組んだ西山秀二も、北別府の微細なコントロールには舌を巻いたと振り返っている。

現役時代に残した通算213勝は、日本プロ野球歴代第18位、先発勝利数200勝は歴代第10位で、共に広島東洋カープの球団記録である。また、通算での対中日戦成績は52勝27敗の中日キラーであった。1978 - 1980年は12連勝、1983 - 1986年は13連勝を記録、通算52勝27敗(勝率.658)という成績を残している。なお、200勝目を挙げたのも中日戦である。

セ・リーグ最多タイ記録となる最高勝率を3回獲得している。

一方で、日本シリーズには5回出場(1979年・1980年・1984年・1986年・1991年)し、11試合(先発は6試合)登板で防御率3.21ながら0勝5敗と一度も勝利投手になれなかった。

生涯記録したボークは2で、初登板から2420回1/3イニングボークなしという記録を達成している。

投手として200勝以上を挙げた一方で、打撃に関しても現役通算で5本の本塁打を放っており、広島に所属した投手(野手転向した選手は除く)としては、コルビー・ルイスと並んで歴代最多である。

愛称は「ペイ」、「ぺー」。 多趣味で知られ、ゴルフのハンデは全盛期はシングル級の腕前であり、釣りのためにクルーザーを所有するほどであった。 また、農業高校出身者らしく農業に対する造詣も深く、自宅に家庭菜園を設けていたこともあった。

現役時代はチームメイトの高橋慶彦との仲が非常に悪く、チーム内のみならず球界全体に知れ渡るほど有名だった。高橋がポルシェ・911を購入すると対抗してリンカーン・コンチネンタルを購入し、また後年ふたりが偶然同じ時期に同じ車種の車を購入すると、高橋が嫌がってすぐに下取りに出したというエピソードも残っている。高橋によると、仲が悪かったことに特段の理由はなく、同世代で同じ時期にスター選手として台頭してきたため、互いに気性が激しかったことも相まってライバル心が行き過ぎたことが原因だったという。晩年には和解し、安仁屋宗八をはさんでトークショーで共演していた。病を克服し、互いのYouTubeチャンネルに出演しあう事を約束していたが、叶える事はできなかった。高橋のショックは大きく、動画での単独のコメントを避け、同世代のカープOBと共に北別府を偲び、それを動画公開した際に、初めて心境を語っている。

美空ひばりは北別府の熱心なファンであった。美空は大の巨人党であったが、北別府のマウンド上の闘志溢れる姿勢に感銘を受け、たっての希望で共通の知人であった金田留広を通じ対面し、親交を結んだ。北別府も美空ひばりを尊敬しており、有名選手の仲間入りをした時期にレコードデビューのオファーを受け、美空に相談したところ「ペイちゃんは野球の頂点は目指さないの?目指すのなら野球以外の事に手を出すのはやめたらどう?」と諭され、オファーを断った。その後も現役人生を全う出来たのは、天狗になりかけていた自分を醒ましてくれた、この時の美空の金言のお陰であったと現役引退後に述懐している。

そのまんま東は北別府と同学年で同じ町の出身で高校時代は共に自転車通学をした事もあるといい、北別府が死去した際には追悼の言葉を述べている。

各年度の太字はリーグ最高

1039打数140安打 5本塁打 55打点 .135

最多勝利:2回(1982年、1986年)

最優秀防御率:1回(1986年)

最高勝率:3回(1985年、1986年、1991年)※セ・リーグ最多タイ記録(他は堀内恒夫、斎藤雅樹、上原浩治)、2年連続は山本由伸に次ぐ歴代2位タイ(他は御園生崇男、藤田元司、山田久志、堀内恒夫、斉藤和巳、杉内俊哉、青柳晃洋)、当時連盟表彰なし

沢村栄治賞:2回(1982年、1986年)

最優秀選手:1回(1986年)

ベストナイン:2回(投手部門:1982年、1986年)

ゴールデングラブ賞:1回(投手部門:1986年)

野球殿堂競技者表彰(2012年)

最優秀投手:2回(1982年、1986年)

月間MVP:3回(1982年5月、1986年9月、1992年4月)

広島県県民栄誉賞(1994年11月10日)

曽於市市民栄誉賞(2012年1月)

初登板:1976年9月16日、対ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、7回裏2死に4番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点

初奪三振:同上、7回裏に松岡弘から

初先発登板:1976年9月19日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、5回4失点

初勝利・初先発勝利:1976年10月12日、対ヤクルトスワローズ24回戦(明治神宮野球場)、6回4失点

初完投勝利:1977年5月7日、対中日ドラゴンズ8回戦(広島市民球場)、9回2失点

初完封勝利:1978年6月3日、対読売ジャイアンツ10回戦(後楽園球場)

初セーブ:1982年9月25日、対読売ジャイアンツ26回戦(後楽園球場)、9回裏に7番手で救援登板・完了、1回無失点

初安打:1976年10月2日、対阪神タイガース22回戦(広島市民球場)、2回表に谷村智啓から

初本塁打:1979年4月19日、対読売ジャイアンツ3回戦(平和台野球場)、5回表に浅野啓司からソロ

1000投球回:1982年5月4日、対阪神タイガース2回戦(広島市民球場)、5回表3死目に達成

1500投球回:1984年5月23日、対中日ドラゴンズ7回戦(ナゴヤ球場)、8回裏1死目に達成

100勝:1984年6月28日、対横浜大洋ホエールズ14回戦(横浜スタジアム)、6回2失点 ※史上85人目

1000奪三振:1985年8月4日、対横浜大洋ホエールズ16回戦(横浜スタジアム)、8回裏にジェリー・ホワイトから ※史上71人目

2000投球回:1986年8月20日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤ球場)、3回裏2死目に達成

150勝:1987年9月29日、対阪神タイガース25回戦(阪神甲子園球場)、5回無失点 ※史上37人目

2500投球回:1989年5月31日、対中日ドラゴンズ6回戦(広島市民球場)、2回表2死目に達成

1500奪三振:1990年7月30日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に中村武志から ※史上32人目

200勝:1992年7月16日、対中日ドラゴンズ15回戦(ナゴヤ球場)、8回1失点 ※史上22人目、球団史上初

3000投球回:1993年4月10日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、7回裏1死目に達成

オールスターゲーム出場:7回(1979年 - 1983年、1988年、1992年)

20(1976年 - 1994年)

73(2001年 - 2004年)

スーパーベースボール

北斗晶の鬼嫁運動記者倶楽部(準レギュラー)

勝ちグセ。サンデー恋すぽ (レギュラー)

ほこ×たて(2011年9月19日、フジテレビ) - 「必ず割れる防犯ボール」を「どんな衝撃も吸収して壊さない衝撃吸収マット」に正確に投げ込む役割を担当した。しかし、3mの距離から2投なげて1球外し、4mからは1球投げて外しており、合計3球投げて1球しかマットに当てられなかった。2002年 - 2008年のユニフォームを着用して出演したが、背番号は2002年 - 2004年のコーチ時代の「73」ではなく現役時代の「20」となっていた。

PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜(フジテレビ) - 本人の出演シーンはないが、話の中に彼のサインボールが登場しており、協力という形でクレジットされた。

探偵!ナイトスクープ(2012年4月6日、朝日放送)

爆報! THE フライデー(2014年8月22日、TBS) - 現在農業にハマっていることを明かし、自身が育てた野菜などが紹介された。

虎バン(2014年10月5日、朝日放送)

流星ワゴン(2015年3月22日、TBS)- 連続テレビドラマの最終回に漁師役として特別出演。

北別府学の裏ブログ(2013年1月-2016年12月、広島FM)

有吉ゼミ(2017年6月5日、日本テレビ

HOME Jステーション( - 2018年4月2日、広島ホームテレビ) 月曜レギュラー

ひろしま深掘りライブ フロントドア(広島ホームテレビ、毎週土曜) レギュラー出演

みみよりライブ 5up!(2018年4月 - 、広島ホームテレビ) 月曜レギュラー

ジュンテンドー くらしの情報マップ(広島ホームテレビ)レギュラー出演

CARPはなぜCSに出られないのか・・・ 手を伸ばせば、すぐそこに・・・(2013年4月、ザメディアジョン)

カープ魂~優勝するために必要なこと~ (光文社新書)(2015年11月、光文社)

北別府学それでも逃げない―二十世紀最後の200勝投手(2007年9月、グラフ社) 友野康治との共著

野球狂の詩 - 漫画・アニメ双方に登場。その他の漫画にもモデルとなった人物は複数登場。

安田女子大学 非常勤講師

寺脇康文 - 最後のストライク(2000年)

^ 最多勝利2個、最優秀防御率1個、最高勝率3個

^ 沢村栄治賞2個、最優秀選手1個、ベストナイン2個、ゴールデングラブ賞1個

^ 広島でシーズン20勝を挙げた投手は、1977年の高橋里志が20勝14敗を記録して以来、10人目。

^ それぞれ、5月23日(阪神甲子園球場)と10月1日(阪神甲子園球場)に計2度の完封勝利を記録。

^ それぞれ、9月1日の対巨人戦(広島市民球場)、9月21日の対横浜大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)、9月27日の対大洋戦(広島市民球場、無四球)、10月7日の対中日戦(広島市民球場)で計4度の完封勝利を記録。

^ “北別府学 | 選手”. 週刊ベースボールONLINE. 2023年4月18日閲覧。

^ “広島のエースとして活躍、沢村賞2度受賞の北別府学氏が死去65歳 20年1月に成人T細胞白血病公表”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2023年6月16日). 2023年6月16日閲覧。

^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、184ページ

^ “プロ野球名球会ご一行による梅田大使表敬訪問”. 在ベトナム日本大使館 (2017年2月22日). 2023年6月16日閲覧。

^ 北別府 学 野球殿堂博物館

^ 日本野球機構オフィシャルサイト

^ 強気なリードと闘志あふれる投球スタイル『北別府VS達川』を語る。 - YouTube

^ “日めくりプロ野球 【12月24日】1975年(昭50) 広島にクリスマスプレゼント、北別府入団”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2007年12月24日). オリジナルの2019年3月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190322052327/https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0712/kiji/K20101201Z00003360.html 2013年9月6日閲覧。 

^ 1975年ドラフト会議で生まれたドラマ。“精密機械”と呼ばれた200勝投手・北別府学獲得の裏側|carp|編集部コラム|アスリートマガジンWEB

^ 「球界ルポ 北別府、広島と契約」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1975年(昭和50年)12月12日付朝刊、17面。

^ 「北別府が初勝利」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1976年(昭和51年)10月13日付朝刊、17面。

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^ 【最終章】「わけのわからない打者‼︎」西山秀二さんが選ぶ捕手から見て歴代素晴らしい打者について - YouTube

^ 【vs 北別府学】精密機械の完璧な制球力!西本聖対策の応用で見えてきたもの【谷沢健一 対戦の記憶】 - YouTube

^ NGなしの質問コーナー後編!現役時代の犬猿の仲トップ3高橋慶彦が語る - YouTube

^ 「ぺー、頑張れ」大島康徳さんが“がん友”北別府さんにエール「妻が奥様にお身体に気をつけてと…」― スポニチ Sponichi Annex 野球

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鹿児島県出身の人物一覧

広島東洋カープの選手一覧

個人年度別成績 北別府学 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)

野球殿堂 北別府学 - 公益財団法人野球殿堂博物館

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60 ヴィクトル・スタルヒン

62 池田豊

63 中島治康

64 若林忠志

65 川上哲治、鶴岡一人

69 苅田久徳

70 天知俊一、二出川延明

72 石本秀一

74 藤本定義、藤村富美男

76 中上英雄

77 水原茂、西沢道夫

78 松木謙治郎、浜崎真二

79 別所毅彦

80 大下弘、小鶴誠

81 飯田徳治、岩本義行

83 三原脩

85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳

88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一

89 島秀之助、野村克也、野口二郎

90 真田重蔵、張本勲

91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎

92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男

93 稲尾和久、村山実

94 王貞治、与那嶺要

95 杉浦忠、石井藤吉郎

96 藤田元司、衣笠祥雄

97 大杉勝男

99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄

00 米田哲也

01 根本陸夫、小山正明

02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎

03 上田利治、関根潤三

04 仰木彬

05 村田兆治、森祇晶

06 門田博光、高木守道、山田久志

07 梶本隆夫

08 山本浩二、堀内恒夫

09 若松勉

10 東尾修

11 落合博満

12 北別府学、津田恒実

13 大野豊

14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩

15 古田敦也

16 斎藤雅樹、工藤公康

17 伊東勤

18 松井秀喜、金本知憲

19 立浪和義

22 髙津臣吾、山本昌

23 アレックス・ラミレス

24 谷繁元信、黒田博樹

09 青田昇

10 江藤慎一

11 皆川睦雄

13 外木場義郎

16 榎本喜八

17 星野仙一、平松政次

18 原辰徳

19 権藤博

20 田淵幸一

23 ランディ・バース

59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿

60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎

62 市岡忠男

64 宮原清

65 井上登、宮武三郎、景浦將

66 守山恒太郎

67 腰本寿

68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三

69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧

70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚

71 小西得郎、水野利八

72 中野武二、太田茂

73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三

74 野田誠三

76 小泉信三

77 森茂雄、西村幸生

78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎

79 平沼亮三、谷口五郎

80 千葉茂

81 佐伯達夫、小川正太郎

82 鈴木龍二、外岡茂十郎

83 内村祐之

84 桐原眞二

85 田中勝雄、山内以九士

86 中河美芳、松方正雄

87 藤田信男、山下実

88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一

89 池田恒雄、伊達正男

90 佐伯勇

91 中澤良夫

92 吉田正男

94 廣岡知男

95 呉昌征、村上實

96 牧野直隆、保坂誠

97 山本英一郎

98 中尾碩志、井口新次郎

99 吉國一郎

00 福島慎太郎

01 武田孟、長谷川良平

02 中澤不二雄、生原昭宏

03 松田耕平

04 秋山登

05 志村正順

06 川島廣守、豊田泰光

07 松永怜一

08 嶋清一

09 大社義規、君島一郎

10 古田昌幸

12 長船騏郎、大本修

13 福嶋一雄

14 相田暢一

15 林和男、村山龍平

16 松本瀧藏、山中正竹

17 郷司裕、鈴木美嶺

18 瀧正男

19 脇村春夫

20 前田祐吉、石井連藏

21 川島勝司、佐山和夫

22 松前重義

23 古関裕而

24 谷村友一

02 フランク・オドール、正岡子規

03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄

金田正一

稲尾和久

小山正明

米田哲也

梶本隆夫

皆川睦雄

村山実

鈴木啓示

堀内恒夫

山田久志

江夏豊

平松政次

東尾修

村田兆治

北別府学

佐々木主浩

高津臣吾

工藤公康

野茂英雄

山本昌広

岩瀬仁紀

黒田博樹

上原浩治

藤川球児

平野佳寿

山内一弘

榎本喜八

野村克也

長嶋茂雄

広瀬叔功

張本勲

王貞治

江藤慎一

土井正博

高木守道

松原誠

柴田勲

大杉勝男

藤田平

衣笠祥雄

福本豊

山崎裕之

山本浩二

有藤通世

若松勉

谷沢健一

加藤秀司

門田博光

大島康徳

新井宏昌

秋山幸二

駒田徳広

立浪和義

鈴木一朗(イチロー)

清原和博

古田敦也

野村謙二郎

石井琢朗

松井秀喜

田中幸雄

前田智徳

金本知憲

松井稼頭央

小笠原道大

稲葉篤紀

宮本慎也

小久保裕紀

アレックス・ラミレス

中村紀洋

谷繁元信

井口資仁

和田一浩

新井貴浩

福留孝介

荒木雅博

青木宣親

阿部慎之助

鳥谷敬

内川聖一

福浦和也

坂本勇人

栗山巧

大島洋平

1947 別所昭

1948 中尾碩志

1949 藤本英雄

1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 杉下茂

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 金田正一

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 村山実

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 小山正明

1963 伊藤芳明

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実, 堀内恒夫

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 星野仙一

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 松岡弘

1979 小林繁

1981 西本聖

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 大野豊

1989 斎藤雅樹

1990 野茂英雄

1991 佐々岡真司

1992 石井丈裕

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 西口文也

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2001 松坂大輔

2002 上原浩治

2003 井川慶, 斉藤和巳

2004 川上憲伸

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 ダルビッシュ有

2008 岩隈久志

2009 涌井秀章

2010 前田健太

2011 田中将大

2012 攝津正

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 前田健太

2016 K.ジョンソン

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2020 大野雄大

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

1950 小鶴誠

1951 川上哲治

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 川上哲治

1956 別所毅彦

1957 与那嶺要

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 長嶋茂雄

1962 村山実

1963 長嶋茂雄

1964 王貞治

1965 王貞治

1966 長嶋茂雄

1967 王貞治

1968 長嶋茂雄

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 長嶋茂雄

1972 堀内恒夫

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 山本浩二

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 若松勉

1979 江夏豊

1980 山本浩二

1981 江川卓

1982 中尾孝義

1983 原辰徳

1984 衣笠祥雄

1985 R.バース

1986 北別府学

1987 山倉和博

1988 郭源治

1989 W.クロマティ

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 J.ハウエル

1993 古田敦也

1994 桑田真澄

1995 T.オマリー

1996 松井秀喜

1997 古田敦也

1998 佐々木主浩

1999 野口茂樹

2000 松井秀喜

2001 R.ペタジーニ

2002 松井秀喜

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 金本知憲

2006 福留孝介

2007 小笠原道大

2008 A.ラミレス

2009 A.ラミレス

2010 和田一浩

2011 浅尾拓也

2012 阿部慎之助

2013 W.バレンティン

2014 菅野智之

2015 山田哲人

2016 新井貴浩

2017 丸佳浩

2018 丸佳浩

2019 坂本勇人

2020 菅野智之

2021 村上宗隆

2022 村上宗隆

2023 村上頌樹

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 梶岡忠義

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 渡辺省三

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 村山実

1960 秋山登

1961 権藤博

1962 村山実

1963 柿本実

1964 G.バッキー

1965 金田正一

1966 堀内恒夫

1967 権藤正利

1968 外木場義郎

1969 江夏豊

1970 村山実

1971 藤本和宏

1972 安田猛

1973 安田猛

1974 関本四十四

1975 安仁屋宗八

1976 鈴木孝政

1977 新浦寿夫

1978 新浦寿夫

1979 平松政次

1980 松岡弘

1981 江川卓

1982 斉藤明夫

1983 福間納

1984 小林誠二

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 大野豊

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 盛田幸妃

1993 山本昌広

1994 郭源治

1995 T.ブロス

1996 斎藤雅樹

1997 大野豊

1998 野口茂樹

1999 上原浩治

2000 石井一久

2001 野口茂樹

2002 桑田真澄

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 三浦大輔

2006 黒田博樹

2007 高橋尚成

2008 石川雅規

2009 チェン

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 前田健太

2013 前田健太

2014 菅野智之

2015 K.ジョンソン

2016 菅野智之

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2019 大野雄大

2020 大野雄大

2021 柳裕也

2022 青柳晃洋

2023 村上頌樹

2024 髙橋宏斗

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 藤村隆男

1953 大友工, 石川克彦

1954 杉下茂

1955 大友工

1956 堀内庄

1957 木戸美摸

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 伊藤芳明

1962 小山正明

1963 山中巽

1964 石川緑

1965 山中巽

1966 堀内恒夫

1967 堀内恒夫

1968 島田源太郎

1969 高橋一三

1970 村山実

1971 坂井勝二

1972 堀内恒夫

1973 倉田誠

1974 松本幸行

1975 星野仙一

1976 加藤初

1977 新浦寿夫

1978 鈴木康二朗

1979 藤沢公也

1980 福士敬章

1981 江川卓

1982 都裕次郎

1983 津田恒美

1984 江川卓

1985 北別府学

1986 北別府学

1987 川端順

1988 小野和幸

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 北別府学

1992 斎藤雅樹

1993 山本昌広

1994 紀藤真琴

1995 石井一久

1996 斎藤雅樹

1997 三浦大輔

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 入来祐作

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 安藤優也

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 館山昌平

2009 D.ゴンザレス

2010 久保康友

2011 吉見一起

2012 杉内俊哉

2013 小川泰弘

2014 山井大介

2015 M.マイコラス

2016 野村祐輔

2017 薮田和樹

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 大友工, 長谷川良平

1956 別所毅彦

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 藤田元司

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 権藤博

1963 金田正一

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 江夏豊

1974 松本幸行, 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 高橋里志

1978 野村収

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 小松辰雄

1988 小野和幸, 伊東昭光

1989 斎藤雅樹, 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二, 山本昌広, 野村弘樹

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹, B.ガルベス

1997 山本昌

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2000 M.バンチ

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治, K.ホッジス

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 下柳剛, 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 S.グライシンガー

2008 S.グライシンガー

2009 吉見一起, 館山昌平

2010 前田健太

2011 吉見一起, 内海哲也

2012 内海哲也

2013 小川泰弘

2014 R.メッセンジャー, 山井大介

2015 前田健太

2016 野村祐輔

2017 菅野智之

2018 大瀬良大地, 菅野智之

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋, 九里亜蓮

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 堀内恒夫

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 新浦寿夫

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 山根和夫

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 山本昌

1998 佐々木主浩

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 S.グライシンガー

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 内海哲也

1950 真田重男

1951 別所毅彦

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 別所毅彦

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 権藤博

1962 村山実

1963 金田正一

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 堀内恒夫

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 新浦寿夫

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 山根和夫

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 山本昌

1998 佐々木主浩

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 S.グライシンガー

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 内海哲也

2013 前田健太

2014 菅野智之

2015 前田健太

2016 野村祐輔

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 柳裕也

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

 投  北別府学

 捕  中尾孝義

 一  谷沢健一

 二  篠塚利夫

 三  掛布雅之

 遊  宇野勝

 外  山本浩二 / 田尾安志 / 長崎啓二

 投  北別府学

 捕  達川光男

 一  R.バース

 二  篠塚利夫

 三  レオン.L

 遊  高橋慶彦

 外  山本浩二 / W.クロマティ / 吉村禎章

1972 堀内恒夫

1973 堀内恒夫

1974 堀内恒夫

1975 堀内恒夫

1976 堀内恒夫

1977 堀内恒夫

1978 堀内恒夫

1979 西本聖

1980 西本聖

1981 西本聖

1982 西本聖

1983 西本聖

1984 西本聖

1985 西本聖

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 桑田真澄

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 桑田真澄

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二, 桑田真澄

1994 桑田真澄

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 桑田真澄

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 野口茂樹

2002 桑田真澄

2003 上原浩治

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 石川雅規

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 浅尾拓也

2012 前田健太

2013 前田健太

2014 前田健太

2015 前田健太

2016 菅野智之

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2019 西勇輝

2020 菅野智之

2021 柳裕也

2022 森下暢仁

2023 東克樹

2024 菅野智之

 投  北別府学

 捕  達川光男

 一  中畑清

 二  篠塚利夫

 三  衣笠祥雄

 遊  平田勝男

 外  屋鋪要 / 平野謙 / 長嶋清幸

1950 大島信雄

1951 藤本英雄

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 大友工

1957 義原武敏

1958 藤田元司

1959 義原武敏

1960 鈴木隆

1961 中村稔

1962 小山正明

1963 伊藤芳明

1964 村山実

1965 金田正一

1966 城之内邦雄

1967 金田正一

1968 金田正一

1969 堀内恒夫

1970 堀内恒夫

1971 堀内恒夫

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 松本幸行

1975 外木場義郎

1976 堀内恒夫

1977 小林繁

1978 安田猛

1979 北別府学

1980 山根和夫

1981 江川卓

1982 小松辰雄

1983 江川卓

1984 山根和夫

1985 池田親興

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 槙原寛己

1991 佐々岡真司

1992 岡林洋一

1993 荒木大輔

1994 桑田真澄

1995 T.ブロス

1996 斎藤雅樹

1997 石井一久

1998 野村弘樹

1999 野口茂樹

2000 工藤公康

2001 石井一久

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 井川慶

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 上原浩治

2009 D.ゴンザレス

2010 吉見一起

2011 チェン

2012 内海哲也

2013 内海哲也

2014 R.メッセンジャー

2015 石川雅規

2016 K.ジョンソン

2017 井納翔一

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 奥川恭伸

2022 小川泰弘

2023 村上頌樹

2024 A.ジャクソン

1950 内藤幸三

1951 杉浦竜太郎

1952 大田垣喜夫

1953 長谷川良平

1954 長谷川良平

1955 長谷川良平

1956 長谷川良平

1957 長谷川良平

1958 長谷川良平

1959 備前喜夫

1960 備前喜夫

1961 河村英文

1962 大石清

1963 大石清

1964 池田英俊

1965 大石清

1966 池田英俊

1967 安仁屋宗八

1968 大石弥太郎

1969 安仁屋宗八

1970 外木場義郎

1971 大石弥太郎

1972 白石静生

1973 外木場義郎

1974 佐伯和司

1975 外木場義郎

1976 外木場義郎

1977 外木場義郎

1978 高橋里志

1979 福士明夫

1980 池谷公二郎

1981 池谷公二郎

1982 北別府学

1983 北別府学

1984 北別府学

1985 大野豊

1986 北別府学

1987 北別府学

1988 北別府学

1989 北別府学

1990 大野豊

1991 長冨浩志

1992 川口和久

1993 北別府学

1994 北別府学

1995 佐々岡真司

1996 大野豊

1997 山内泰幸

1998 大野豊

1999 N.ミンチー

2000 佐々岡真司

2001 佐々岡真司

2002 佐々岡真司

2003 黒田博樹

2004 黒田博樹

2005 黒田博樹

2006 黒田博樹

2007 黒田博樹

2008 大竹寛

2009 C.ルイス

2010 前田健太

2011 前田健太

2012 前田健太

2013 B.バリントン

2014 前田健太

2015 前田健太

2016 K.ジョンソン

2017 K.ジョンソン

2018 野村祐輔

2019 大瀬良大地

2020 大瀬良大地

2021 大瀬良大地

2022 大瀬良大地

2023 大瀬良大地

2024 九里亜蓮

76 王貞治

77 王貞治

78 若松勉

79 掛布雅之

80 山本浩二

81 江川卓

82 中尾孝義

83 原辰徳

84 衣笠祥雄

85 R.バース

86 北別府学

87 桑田真澄

88 郭源治

89 斎藤雅樹

90 斎藤雅樹

91 佐々岡真司

92 古田敦也

93 広沢克己

94 桑田真澄

95 斎藤雅樹

96 松井秀喜

97 古田敦也

98 佐々木主浩

99 上原浩治

00 松井秀喜

01 古田敦也

02 松井秀喜

03 今岡誠

04 嶋重宣

05 金本知憲

06 福留孝介

07 阿部慎之助

08 小笠原道大

09 坂本勇人

10 前田健太

11 浅尾拓也

12 阿部慎之助

13 阿部慎之助

14 菅野智之

15 山田哲人

16 新井貴浩

17 菅野智之

18 大瀬良大地

19 丸佳浩

20-21 中止

1位:北別府学

2位:山根和夫

3位:長内孝

4位:小林誠二

5位:小川良一(入団拒否)

6位:高月敏文

日本の野球選手

広島東洋カープ及び広島カープの選手

名球会

最優秀防御率 (NPB)

最多勝利 (NPB)

最高勝率 (野球)

最優秀選手 (NPB)

沢村栄治賞

NPBオールスターゲーム選出選手

野球解説者

日本の野球指導者

高校野球指導者

日本の野球殿堂表彰者

過去のホリプロ所属者

日本の男性YouTuber

元NPB選手のYouTuber

鹿児島県出身のスポーツ選手

1957年生

2023年

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