もしもし情報局 > 5月22日 > 植物学者

牧野富太郎の情報 (まきのとみたろう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月10日】今日誕生日の芸能人・有名人

牧野富太郎の情報(まきのとみたろう) 植物学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

牧野 富太郎さんについて調べます

■名前・氏名
牧野 富太郎
(読み:まきの とみたろう)
■職業
植物学者
■牧野富太郎の誕生日・生年月日
1862年5月22日 (年齢1957年没)
戌年(いぬ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
高知出身

牧野富太郎と同じ1862年生まれの有名人・芸能人

牧野富太郎と同じ5月22日生まれの有名人・芸能人

牧野富太郎と同じ出身地高知県生まれの有名人・芸能人


牧野富太郎と関係のある人

池長孟: 植物学者である牧野富太郎の研究を経済面で支援したことでも知られる。


矢田部良吉: 11月、東京大学に出入りして研究をしていた牧野富太郎に対し、大学の書籍・標本を使って自著を編纂することを止めさせる。


神戸淳吉: 『牧野富太郎』潮出版社 1971 ポケット偉人伝


岩槻邦男: 牧野富太郎『新牧野日本植物圖鑑』大橋広好、邑田仁共編 北隆館 2008


池波正太郎: 翌年には『牧野富太郎』、井上靖原作の『風林火山』『黒雲谷』『賊将』など、新国劇で作品を次々と上演する一方、「大衆文芸」誌に定期的に小説を寄せつづけた。


清水藤太郎: 牧野富太郎、清水藤太郎『植物学名辞典』春陽堂、1935年


池長孟: 牧野富太郎は1916年(大正5年)12月、生活苦から収集した植物標本10万点を海外の研究所に売ることを決断する。


清水藤太郎: 薬局の経営に従事する前の1928年(明治44年)、牧野富太郎を講師とする横浜植物会に入会し、植物分類学の研究を始める。


神木隆之介: らんまん(2023年4月3日・14日 - 9月29日) - 主演・槙野万太郎 役(モデル:牧野富太郎


松村任三: 門下生に牧野富太郎がいる。


大井次三郎: 牧野富太郎と並んで、日本の植物分類学の基礎を築いた人物である。


小野大輔: 2023年には佐川出身の植物学者・牧野富太郎をモデルとした連続テレビ小説「らんまん」に出演、話題となった。


小野大輔: ドキュメントJ「はかせが植えたモノ 〜草木の精、牧野富太郎の教え〜」(BS-TBS、2023年12月24日)


朝比奈泰彦: 1933年、牧野富太郎によって創刊された『植物研究雑誌』の編集主幹を引き継ぎ、戦中・戦後を通じ1975年の没年まで続けた。1951年には、牧野富太郎が自宅に保管していた標本約50万点を整理する「牧野博士標本保存委員会」を組織、国庫補助金を得て整理を行った。


池長孟: 牧野富太郎と池長孟


浜辺美波: 2023年春から放送のNHK連続テレビ小説『らんまん』では植物学者牧野富太郎をモデルとした主人公槙野万太郎の妻寿恵子を演じた。


上山明博: 『牧野富太郎 花と恋して九〇年』青土社,2023年,ISBN 978-4-7917-7539-2(電子書籍同時発売)


大原富枝: 評伝文学に洲之内徹を扱った「彼もまた神の愛でし子か」や、岡倉天心とインド詩人プリヤンバダ・デーヴィーの交流を描いた「ベンガルの憂愁」、歌人の「原阿佐緒」、「今日ある命 小説・歌人三ヶ島葭子の生涯」、歌人列伝の「詩歌と出会う時」などがあり、遺作は「草を褥に 小説牧野富太郎」である。


大原富枝: 『草を褥に 小説牧野富太郎』小学館, 2001.4. のち河出文庫、小学館「P+D BOOKS」


牧野富太郎の情報まとめ

もしもしロボ

牧野 富太郎(まきの とみたろう)さんの誕生日は1862年5月22日です。高知出身の植物学者のようです。

もしもしロボ

現在、結婚、病気、離婚、テレビ、趣味、映画、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。1957年に亡くなられているようです。

牧野富太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日〈文久2年4月24日〉 - 1957年〈昭和32年〉1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。位階は従三位。

「日本の植物学の父」の呼び名で一般に広く知られ、日本各地に牧野の名前を冠した顕彰施設が存在する。多数の新種を発見し、命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。旧制小学校中退でありながら理学博士の学位を取得した。誕生日である5月22日は「植物学の日」に制定された。

94歳で死去する直前まで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製した。個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び、命名植物は1,500種類を超える。財団法人板垣会顧問。

1862年(文久2年)、土佐国佐川村(現:高知県高岡郡佐川町)で、近隣から「岸屋」という屋号の商家(雑貨業)と酒造業を営む裕福な家に生まれた。平民身分であったが苗字帯刀も許されていたという。

元は「成太郎」という名であったが、3歳で父の佐平を、5歳で母の久壽を、6歳で祖父の小左衛門を亡くしたころ、「富太郎」に改名している。その後は小左衛門の後妻である血の繋がらない祖母の浪子に育てられた。

10歳より西谷にある土居謙護の教える寺子屋へ通い、11歳になると義校である名教館(めいこうかん)に入り儒学者伊藤蘭林(1815年 - 1895年)に学んだ。当時同級生のほとんどは士族の子弟であり、その中に後の「港湾工学の父」広井勇らがいた。漢学だけではなく、福沢諭吉の『世界国尽』、川本幸民の『気海観瀾広義』などを通じ西洋流の地理・天文・物理を学んだ。

名教館は学制改革により、校舎はそのままに佐川小学校となった。そこへ入学したものの寺子屋や塾で習熟した授業内容に嫌気が差し、2年で中退して植物について独学で学ぶようになった。小学校を中退した理由として、造り酒屋の跡取りだったので、小学校などで学業を修め、学問で身を立てることは全く考えていなかったからだと述べている。

酒屋は祖母と番頭に任せ、気ままな生活を送っていた。15歳から佐川小学校の「授業生」、すなわち臨時教員としておよそ2年間教鞭をとった。佐川で勉強するだけでは物足りなくなった富太郎は、植物の採集、写生、観察などの研究を続けながら、17歳になると高知師範学校(現在の高知大学教育学部)の教師永沼小一郎を通じて欧米の植物学に触れ、当時の著名な学者の知己も得るようになる。牧野は自叙伝で「私の植物学の知識は永沼先生に負うところ極めて大である」と記している。

そして、江戸時代の本草学者小野蘭山の手による「本草綱目啓蒙」に出会い、本草学、とりわけ植物学に傾倒する。自らを「植物の精(精霊)」だと感じ、日本中の植物を同書のようにまとめ上げる夢を抱き、それは自分にしかできない仕事だと確信するようになる。そして19歳の時、第2回内国勧業博覧会見物と書籍や顕微鏡購入を目的に、番頭の息子と会計係の2人を伴い初めて上京した。

東京市では博物局の田中芳男と小野職愨の元を訪ね、最新の植物学の話を聞いたり植物園を見学した。

帰郷した1881年(明治14年)、富太郎は2歳年下の従妹でかねてから許嫁の猶(旧姓=山本)と祝言を挙げ、牧野猶は本家岸屋の若女将となる。

1884年(明治17年)、富太郎は本格的な植物学を志し、22歳の時に再び上京する。そこで東京大学理学部(後の帝国大学理科大学)植物学教室の矢田部良吉教授を訪ね、同教室に出入りして文献・資料などの使用を許可され研究に没頭する。そのとき、富太郎は東アジア植物研究の第一人者であったロシア帝国のカール・ヨハン・マキシモヴィッチに標本と図を送っている。富太郎は天性の描画力にも恵まれており、マキシモヴィッチから図を絶賛する返事が届いた。やがて25歳で、同教室の大久保三郎や田中延次郎・染谷徳五郎らと共同で『植物学雑誌』を創刊。同雑誌には澤田駒次郎や白井光太郎、三好学らも参加している。

1887年(明治20年)、育ててくれた祖母、浪子が77歳で死去。

26歳でかねてから構想していた『日本植物志図篇』の刊行を自費で始めた。印刷工場に出向いて石板印刷技術を学び、絵は自分で描いた。これは当時の日本には存在しなかった、日本の植物誌であり、今で言う植物図鑑のはしりであり、マキシモヴィッチからも高く評価された。

この時期、富太郎は東京と郷里を往復しながら研究者の地位を確立していくが、その研究費は亡き祖母浪子に代わって猶が工面し、富太郎の求めるままに東京に送金したため、実家岸屋の経営は瞬くうちに傾いていった。

富太郎は佐川の実家に本妻の牧野猶がいたが、1887年(明治20年)12月ごろ、菓子屋の看板娘小澤壽衛(14歳)に一目惚れし、親の承諾を得ないまま下谷区根岸の御隠殿(輪王寺宮門跡の別邸)跡の離れ家で一緒に暮らしはじめ、翌年(明治21年)10月、第一子長女・園子(1888年 - 1893年)が生まれる。

1889年(明治22年)、27歳で新種の植物を発見。『植物学雑誌』に発表し、日本ではじめて新種のヤマトグサに学名をつけた。1890年(明治23年)、28歳のときに東京府南葛飾郡の小岩町で、分類の困難なヤナギ科植物の花の標本採集中に、柳の傍らの水路で偶然に見慣れない水草を採集する機会を得た。これは世界的に点々と隔離分布するムジナモの日本での新発見であり、そのことを自ら正式な学術論文で世界に報告したことで、世界的に名を知られるようになる。

しかし同年、植物学教室の蔵書の無断持ち出しなどが問題となり、矢田部教授から植物学教室の出入りを禁じられ、研究の道を断たれてしまう。失意の牧野は日本の植物標本とともにロシアに亡命し、マキシモヴィッチの下で研究を続けようと企てたが、1891年にマキシモヴィッチがインフルエンザで急死したことにより、実現しなかった。

1891年(明治24年)、実家の岸屋がついに破綻し、家財を精算するために帰郷する。このとき当主の富太郎は、猶と番頭の井上和之助を結婚させて店の後始末を託す 。

一方、富太郎は郷里の高知に帰郷中、地元の植物の研究をしたり、西洋音楽の演奏会を開いて自ら指導し、時には指揮者として指揮棒を振ったりしていたが、長女園子の急死の電報を受け、遺産相続分の代金(約60万円)を受領し、急遽帰京。

1893年(明治26年)、矢田部非職後に東京帝国大学理科大学の主任教授となった松村任三教授に呼び戻される形で助手となった。助手の月給で一家を養っていたが、文献購入費などの研究に必要な資金には事欠いていた。それでも、研究のために必要と思った書籍は非常に高価なものでも全て購入していたため多額の借金をつくり、ついには家賃が払えず、家財道具一切を競売にかけられたこともある。

その後、各地で採集しながら植物の研究を続け、多数の標本や著作を残していく。ただ、学歴の無いことと、大学所蔵文献の無断借用や返却の遅延などにより、研究室の同僚との軋轢が絶えなかった。

1900年(明治33年)から、未完に終わった『日本植物志図篇』の代わりに新しく『大日本植物志』を刊行する。今回は自費ではなく帝大から費用が捻出され、東京の大手書店・出版社であった丸善から刊行された。だがこれも松村の妨害により、4巻で中断してしまった。

1916年(大正5年)には個人で『植物研究雑誌』(英語版、wikidata)を創刊(3号までは自己負担による発刊)。発刊間隔が空いたり、池長植物研究所の池長孟からの援助が打ち切られたりするなど、その刊行継続は必ずしも順調ではなかった。支援者であった中村春二の死去により再び行き詰まった後、1926年(大正15年)に津村重舎(後には会社としての津村順天堂→ツムラ)の財政的援助を得て復刊にこぎ着けている。

1912年(明治45年)1月30日(牧野49歳)から1939年(昭和14年)5月31日(77歳)まで東京帝国大学理科大学講師を勤める。この間、学歴を持たず、権威を理解しない牧野に対し、松村教授など学内から何度も圧力があったが、学長の箕作佳吉の庇護もあり結局牧野は帝大に必要な人材とされ、助手時代(1893年(明治26年)9月11日)から計約46年間、大学に留任している。

1927年(昭和2年)4月、65歳で藤井健次郎や池野成一郎たちの推薦により、東京帝国大学から理学博士を受ける。論文の題は「日本植物考察(英文)」。同年に発見した新種の笹に、翌年死去する妻の名をとって「スエコザサ」(学名:la ramosa var. suwekoana)と名付けた。

1928年(昭和3年)、牧野壽衛が病没、死因は子宮癌と推察される。享年55歳。

1937年(昭和12年)、朝日文化賞を受賞。

1939年(昭和14年)、東京帝国大学講師を辞任。

1940年(昭和15年)、壽衛の他界から12年後、富太郎が78歳のとき、研究の集大成である「牧野日本植物図鑑」初版を刊行、この本は改訂を重ねながら現在も販売されている。

1945年(昭和20年)、山梨県北巨摩郡穂坂村(現・韮崎市)に疎開。

1949年(昭和24年)、大腸カタルで一旦危篤状態となるも、回復。

1950年(昭和25年)、日本学士院(当時の第二部自然科学部門)会員になる。同年11月14日には、新会員一同が昭和天皇に招かれ午餐を陪食。食事後には、牧野を含む会員らが各自の研究について奏上を行った。

1951年(昭和26年)、未整理のまま自宅に山積みされていた植物標本約50万点を整理すべく、朝比奈泰彦科学研究所所長が中心となって「牧野博士標本保存委員会」が組織。文部省から30万円の補助金を得て翌年にかけて標本整理が行われた。同年設立された第1回文化功労者の対象者となる。

1953年(昭和28年)、91歳で東京都名誉都民。

1954年(昭和29年)ごろから病気がちとなり、寝込むことが多くなったが、同年には、高知県が県の花をヤマモモと選定する際の選考委員長を務めた。

1956年(昭和31年)、「植物学九十年」・「牧野富太郎自叙伝」を刊行。同年12月、郷里の高知県佐川町の名誉町民。また、高知県に牧野植物園が設立されることが決定された。

1957年(昭和32年)、死去。享年96(満94歳没)。没後従三位に叙され、勲二等旭日重光章と文化勲章を追贈された。墓所は東京都台東区谷中の天王寺。郷里の佐川町にも分骨されている。

1958年(昭和33年)4月、高知県高知市五台山に高知県立牧野植物園が開園した。また、同年、東京都立大学の一施設として、遺族から寄贈された標本をもとに、牧野標本館が設立された(一部公開)。

2008年(平成20年)、練馬区名誉区民に選定。

父の佐平、母の久壽は30代で早世し、ほどなくして祖父の小左衛門も没したため、富太郎は祖母の浪子によって育てられた。子供は13人生まれ、その内7人(3男4女)が成長した。

祖父・小左衛門

祖母・浪子

父・佐平

妻・壽衛(1873年 - 1928年2月23日)

    彦根藩主井伊家の臣、陸軍省営繕部元勤務・小澤一政の娘。55歳で死去。

    長女・香代

    次女・鶴代(1898年5月12日 - 1974年5月12日)

      弁護士、無産運動家(のちに転向)・額賀二郎の妻。19歳の時に結婚するも、不幸な生活で離婚し実家に戻る。母・壽衛の没後は父の研究と生活をささえた。孫は牧野記念庭園記念館の学芸員・牧野一浡(かずおき)。

      長男・春世

      次男・百世

      三男・勝世

      三女・己代

      四女・玉代(1910年9月10日 - 1995年3月21日)

        川村女学院卒。五交商事、日本造型各元会長・岩佐喜七の妻。

        外孫・岩佐まゆみ(1936年6月9日 - )

          成蹊学園卒。

          外曽孫・岩佐吉晃(1965年3月4日 - )

            成蹊大学卒。岩佐喜七の養子。ENEOSグローブ(株)監査部長、OMC(Ogikubo Malt Club)代表。

            元配偶者・猶

              最初の妻。富太郎の従妹で、3歳年下にあたる。祖母の浪子が富太郎に妻合わせたと考えられる。

              祖母の浪子の薦めで従妹の猶と結婚したが、1887年に祖母が亡くなると、東京で見そめた小澤壽衛と同棲をはじめ、翌年長女・園子が生まれる。佐川の実家の猶は、当主・富太郎の言うままに東京に送金を続けたため、造り酒屋の「岸屋」はほどなく破算した。

              放蕩癖の修まらない富太郎は、支援者に名乗り出た池長孟から提供された援助金を福原の女郎屋で散財し、また、宿泊施設として提供された須磨の別荘のメイドに手を付けるなどしたため、池長家からの援助が打ち切られた。

              尾瀬で植物採集をした際に、植物を根こそぎ採ったため、尾瀬の保護運動の第一人者であった平野長蔵が採集するだけでなく保護を考えろと叱ったというエピソードが残っている。

              「雑草という草は無い」と指摘し、「雑草」という言葉を用いた人を咎める発言をしたとされる。その一方、牧野は、自身が著した『植物記』(1943年)や『植物一日一題』(1853年)などの随筆集のなかで「雑草」という言葉を度々用いている。

              詩人で児童文学作家の山本和夫が自宅を訪れた際は、記念写真を撮るなど親交があった。

              2021年に牧野富太郎の名を冠し、亡き妻・壽衛の名をつけたスエコザサなどを原料にした、高知県初のクラフトジン、「マキノジン」が作られた。

              生地の佐川町では、牧野富太郎を主人公にした連続テレビ小説の誘致活動が行われ 。2023年度前期の連続テレビ小説「らんまん」の主人公・槙野万太郎のモデルとなることが決定した。

              死去時、昭和天皇から祭粢料を賜ったが、天皇が牧野にしばしば植物査定などを依頼していた経緯もあり、通例とは別に切花も賜った。

              命名は2500種以上(新種1000、新変種1500)とされる。自らの新種発見も600種余りとされる。

              発見、命名した植物の例

                ムジナモ、センダイヤザクラ、トサトラフタケ、ヨコグラツクバネ、アオテンナンショウ、コオロギラン、スエコザサ

              和名については、ワルナスビやノボロギクのような、当該植物種の性質を短い言葉で巧く言い表しているものもある一方で、ハキダメギクなど発見場所をつけただけの命名もある。イヌノフグリは牧野富太郎の命名ではない。江戸時代の草木図説にその名が記載されている。

              富太郎は晩年に亡き妻の名を冠してスエコザサと名付けたことは、連続テレビ小説「らんまん」などでも紹介され一般によく知られている。一方、ドイツの植物学者シーボルトは、日本に残した妻・お滝を偲んでアジサイにHydorangea macrophylla Sieb. var. otaksaの学名を命名したが、富太郎は〝otaksa〟がシーボルトの妻の呼び名「お滝さん」に因んで名付けられたものであることを知り、神聖な植物学に妻の名を付けるとは公私混同も甚だしいと言って批判した。

              ※リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション or 青空文庫

              「利尻山とその植物」(『山岳 一の二』、1906年6月)

                「利尻山とその植物」(岩波書店『山の旅 明治・大正篇』、岩波文庫、2003年9月)

                『野外植物の研究.〔正〕』(共同刊行:参文社・積文社、1907年) ※編者:博物学研究会、校閲:牧野富太郎

                『野外植物の研究 続』(共同刊行:参文社・積文社、1907年) ※編者:博物学研究会、校閲:牧野富太郎

                『普通植物検索表』三好学、牧野富太郎 編(文部省、1911年)

                『児童野外植物のしをり』(成美堂、1912年) ※共著

                『植物学講義』(大日本博物学会、1913年 第7巻のみ1914年)

                  第1巻「植物記載学. 前編」

                  第2巻「植物記載学. 後篇」

                  第3巻「植物採集標品製作並整理貯蔵法」

                  第4巻「羊歯及種子植物ノ形態. 正」

                  第5巻「羊歯及種子植物ノ形態. 続篇」

                  第6巻「植物自然分科検索表」

                  第7巻「植物分類学 巻1」

                  『雑草の研究と其利用』(白水社、1919年)

                  『植物ノ採集ト標品ノ製作整理』(中興館、1923年)

                  『日本植物総覧』牧野富太郎, 根本莞爾 編(日本植物総覧刊行会、1925年)

                  趣味の植物採集』(三省堂、1935年)

                  『草木志 : 随筆』(南光社、1936年)

                  趣味の草木志』(啓文社、1938年)

                  『植物記』(桜井書店、1943年)

                  『植物記. 続』(桜井書店、1943年)

                    復刻版→『植物記』正・続の2巻(バベル社、2019年)

                    『牧野植物混混録』(鎌倉書房、1号(1946年5月) - 10号(1949年3月))

                    『牧野植物随筆』(鎌倉書房、1947年)

                    『牧野植物随筆 続』(鎌倉書房、1948年)

                    趣味の植物誌』(壮文社、1948年)

                    『四季の花と果実』(通信教育振興会、1949年)

                      『植物知識』(講談社学術文庫、1981年)(仮名遣い表記を改め改題、註を付した新版。伊藤洋(東京教育大学名誉教授)解説で、牧野富太郎の略歴説明がある)

                      『植物一日一題 : 随筆』(東洋書館、1953年)

                      『若き日の思い出』(旺文社、1955年1月)

                      『牧野植物一家言』(北隆館、1956年)

                      『草木とともに』(ダヴィッド社、1956年)

                      『牧野富太郎自叙伝』(長嶋書房、1956年)

                        『牧野富太郎自叙伝』(講談社学術文庫、2004年)

                        以下は没後刊

                        『牧野富太郎植物記』 全8巻(あかね書房、1973年 - 1974年) ※中村浩編

                        『牧野富太郎選集』 全5巻(東京美術、1981年 / 復刻:学術出版会、2008年)

                        『植物一日一題』(博品社、1998年 / ちくま学芸文庫、2008年)

                        『植物一家言 草と木は天の恵み』(北隆館、改訂版2000年) ※小山鐵夫監修、水島うらら脚注

                        『牧野植物随筆』(講談社学術文庫、2002年)

                        『植物記』(ちくま学芸文庫、2008年)

                        『花物語 続植物記』(ちくま学芸文庫、2010年)

                        『草木とともに 牧野富太郎自伝』(角川ソフィア文庫、2022年)

                        『わが植物愛の記』 (河出文庫、2022年)

                        『我が思ひ出 牧野富太郎〈遺稿〉』(北隆館、2022年)

                        『好きを生きる』(興陽館、2023年)

                        『随筆草木志』(中公文庫、2023年)

                        『牧野富太郎と、山』(山と溪谷社・ヤマケイ文庫、2023年)

                        『ムジナモ発見物語り』 - (作品社『日本の名随筆 94:草』、1990年)

                        『牧野富太郎 植物のはなし1 花のしごと』 中村浩編(草土文化、2010年)

                        『植物に魅せられた二人:シーボルトと牧野富太郎の植物標本:牧野富太郎生誕150年記念企画展図録』(津山洋学資料館、2012年10月)

                        『新撰日本植物図説』第2巻第2集(敬業社、1903年)

                        『日本高山植物図譜. 第1巻』三好学、牧野富太郎 共著(成美堂、1907年)

                        『日本高山植物図譜. 第2巻』三好学、牧野富太郎 共著(成美堂、1909年)

                        『日本植物図鑑』(北隆館、1940年)

                        『牧野日本植物圖鑑 : 學生版』(北隆館、1949年4月)

                        『原色日本高山植物図譜』 (誠文堂新光社、1953年)

                        『牧野新日本植物圖鑑』(北隆館、1961年6月30日 初版発行)

                        『普通植物検索図説』(高陽書院、1970年)

                        『原色牧野日本植物図鑑』(北隆館、1985年4月)

                        『牧野新日本植物図鑑』(北隆館、1996年)

                          原色牧野日本植物図鑑』全3巻(北隆館、2000年) ※『牧野新日本植物図鑑』の植物図を着色したもの。

                          『日本植物考察』英文(東京帝国大学、学位:理学博士、1927年4月16日)

                          「万葉集の縄ノリ」(アララギ発行所『アララギ』42巻8号39 - 43頁、1949年8月)

                          「ゴキブリでは意味をなさぬ」(日本科学協会『採集と飼育 = Collecting and breeding』12巻10号317頁、1950年10月)

                          「私の信条」(岩波書店『世界』61号71 - 73頁、1951年2月)

                          「私の短歌観」(短歌研究社『短歌研究』8巻9号、1951年9月)

                          「ホテイナリヒラの来歴」(日本竹笹の会『富士竹類植物園報告 = The reports of the Fuji Bamboo Garden』12号6 - 8頁、1967年11月)

                          「竹の開花について」(日本竹笹の会『富士竹類植物園報告 = The reports of the Fuji Bamboo Garden』13号6頁、1968年12月)

                          『牧野富太郎書簡 緒方益井(渡辺伯爵家)宛(渡辺千秋関係文書)』(1918年11月26日)※憲政資料

                          『牧野富太郎竹下英一宛書簡』(川端一弘編、2020年3月)

                          上村登 『牧野富太郎伝』(六月社、1955年)、『花と恋して 牧野富太郎伝』(高知新聞社、1999年)

                          渋谷章 『牧野富太郎 私は草木の精である』(リブロポート シリーズ民間日本学者、1987年 / 平凡社ライブラリー、2001年)

                          武井近三郎『牧野富太郎博士からの手紙』(高知新聞社、1992年)

                          俵浩三 『牧野植物図鑑の謎』(平凡社新書、1999年)

                          上山明博『牧野富太郎 花と恋して九〇年』(青土社、2023年)

                          大場秀章『牧野富太郎の植物愛』(朝日新聞出版、2023年)

                          田中伸幸『牧野富太郎の植物学』(NHK出版新書、2023年)

                          山本和夫 『牧野富太郎 植物界の至宝』(ポプラ社、1953年)、『牧野富太郎 花に恋して九十年』(講談社火の鳥伝記文庫)

                          中村浩 『牧野富太郎』(金子書房、1955年)

                          山本藤枝 『牧野富太郎』(偕成社〈児童伝記全集〉、1959年)

                          高橋磌一 『牧野富太郎』(講談社〈世界伝記全集〉、1960年)

                          佐藤七郎 『牧野富太郎』(国土社〈少年伝記文庫〉、1962年)

                          神戸淳吉 『牧野富太郎』(潮出版社〈ポケット偉人伝〉、1971年)

                          氷川瓏 『牧野富太郎』(ポプラ社〈子どもの伝記全集〉、1977年)

                          谷真介 『牧野富太郎』(主婦の友社〈少年少女世界伝記全集〉、1977年)

                          牧ひでを 『牧野富太郎』(集英社〈母と子の世界の伝記〉、1978年)

                          林富士馬 『牧野富太郎 植物を愛し研究しつづけた九十余年の生涯』(新学社・全家研〈少年少女こころの伝記〉、1989年)

                          大場秀章『牧野富太郎と植物研究』(玉川大学出版部〈日本の伝記 知のパイオニア〉、2024年

                          アート絵本『まきのまきのレター』(ENYSi社、2019年、イラスト:佐々木香菜子、文・絵本構成:山中タイキ)

                          草木とみた夢 牧野富太郎ものがたり(出版ワークス、2019年(リニューアル版、2022年11月)、文:谷本雄治、絵:大野八生) - JBBY (日本国際児童図書評議会)で、世界に紹介したい子供の本に選出

                          池波正太郎 「牧野富太郎」『武士の紋章』(新潮文庫、改版2008年)短編

                          大原富枝 『草を褥に 小説牧野富太郎』(小学館、2001年 / 新版2023年、河出文庫、2022年)

                          朝井まかて『ボタニカ』祥伝社、2022年1月。ISBN 9784396636173。 

                          映画『黄金花』(2009年公開)牧野富太郎をモデルにした“牧老人”こと牧草太郎を原田芳雄が演じた。

                          NHK連続テレビ小説『らんまん』(2023年度前期放送)牧野富太郎をモデルにした主人公“槙野万太郎”を、神木隆之介が演じた。

                          「牧野富太郎生誕150年」2012年4月24日発行、80円切手5種。

                          田中芳男 - 1883年(明治16年)、富太郎が第2回内国勧業博覧会見学のため上京した際、文部省博物局を訪ね、田中芳男と小野職愨に小石川植物園を案内してもらっている。まだ無名の富太郎が、3年後にコーネル大学に留学した東京大学理学部植物学教室の誇り高き教授、矢田部良吉の許しを得て、この教室に出入り出来るようになったのは、田中芳男と田中の師である伊藤圭介の力があった。博物館行政や多くの勧業殖産に貢献し、後に貴族院議員になった田中と富太郎は本の貸し借りをするなど親しく交友があり、それは24歳年上の田中が亡くなるまで続いた。

                          池長孟 - 1916年(大正5年)12月、富太郎は生活苦から収集した植物標本10万点を海外の研究所に売ることを決断する。富太郎の窮状を知った渡辺忠吾は、『東京朝日新聞』に「篤学者の困窮を顧みず、国家的資料が流出することがあれば国辱である」との記事を書き、『大阪朝日新聞』がこれを転載した。記事は反響を呼び、神戸から二人の篤志家が現れた。一人は久原房之助、もう一人が25歳の京都帝国大学生の池長孟であった。12月21日、富太郎は壽衛夫人とともに神戸に向かう。孟は父、池長通の遺産の中から3万円で標本を買い取り、改めて富太郎に寄贈しようと申し出た。感激した富太郎はこの申し出を固辞、標本は通が建てた池長会館に所蔵されることになり、会館は池長植物研究所と改称される。これで富太郎は困窮時代の危機を脱することになる。また、孟は富太郎にその後も研究費を援助する。

                          岡部芳郎 - 1937年に富太郎が兵庫県と鳥取県の県境の氷ノ山を学術調査した際に、トーマス・エジソン唯一の日本人助手であった岡部が撮影した映像が2012年に発見され、牧野と親交があったことが分かった。

                          小山鐵夫(小山鉄夫)- 1933年、東京生まれ。11歳で牧野富太郎の弟子となる。東京大学理学部卒。東京大学大学院生物系研究科博士課程修了、理学博士。高知県立牧野植物園元園長。

                          ^ 「父」とはその分野を築いた創始者のことであり、「日本の植物学の父」として称されるべきは矢田部良吉である、という指摘がある。

                          ^ 名教義塾ともいう。

                          ^ 創刊号表紙

                          ^ マルバマンネングサには牧野とマキシモヴィッチの名前の双方から由来する学名がつけられている。

                          ^ 牧野猶(若女将)と井上和之助(番頭)は富太郎の指示どおり岸屋の破綻処理を終えると夫婦となるが、醜聞が流れて二人は佐川村を逃げるように出た後、消息が跡絶える。しかし近年、猶の墓石が佐川の墓地山で発見されたことを上山明博(ノンフィクション作家)は伝えている。

                          ^ 子供は13人生まれ、育ったのは7人。

                          ^ 妻の壽衛は子供たちに対し「我が家の貧乏は学問のための貧乏であるので、恥じることはない」と言い聞かせていた。

                          ^ 『植物研究雑誌』は、1916年(大正5年)4月に牧野富太郎によって創刊された後、1933年(昭和8年)まで引き続き個人で編集されていた。その後は、朝比奈泰彦(1933年 - 1975年)、原寛(1975年 - 1987年)、柴田承二(1987年 - 2006年)、大橋広好(2006年 - 現在)が代々の編集主幹または代表委員(編集長)を務めている。

                          ^ 第58回 名教館(めいこうかん). “歴史万華鏡”. 広報『あかるいまち』 (高知市). (2017年3月). オリジナルの2018年9月4日時点におけるアーカイブ。. https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11152375/www.city.kochi.kochi.jp/akarui/mangekyo/man1703.htm. 

                          ^ 田中伸幸『牧野富太郎の植物学』(NHK出版新書、2023年)

                          ^ “希少なシダ89年ぶり発見 「日本植物学の父」採集以来 伊吹山麓、アマ研究者「運命的」|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞”. 京都新聞. 2021年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月12日閲覧。

                          ^ 宅間一之 監修『意外と知らない高知県の歴史を読み解く!高知「地理・地名・地図」の謎』実業之日本社、2015年2月6日、96頁。

                          ^ 『板垣退助』橋詰延寿著、財団法人板垣会、昭和29年(1954年)6月1日

                          ^ 光川 2023, p. 16.

                          ^ “富太郎の生涯について”. 牧野記念庭園情報サイト. 2023年4月6日閲覧。

                          ^ “蔵元紀行”. 地酒蔵元会. 2020年4月24日閲覧。

                          ^ 光川 2023, p. 17.

                          ^ 光川 2023, p. 18.

                          ^ 天野郁夫『学歴の社会史…教育と日本の近代』(初版)平凡社〈平凡社ライブラリー〉(原著2005年1月6日)、pp. 85-88頁。ISBN 4582765262。 

                          ^ 光川 2023, p. 19.

                          ^ “高知大学教育学部”. akebono.ei.kochi-u.ac.jp. 2025年4月4日閲覧。

                          ^ “本草綱目啓蒙”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2020年4月24日閲覧。

                          ^ “博物局”. アジア歴史資料センター. 2023年4月24日閲覧。

                          ^ 国立国会図書館. “大原富枝『草を褥に』河出書房新社”. pp. 58-60. 2022年11月20日閲覧。

                          ^ 国立国会図書館. “松岡司『牧野富太郎通信 : 知られざる実像』トンボ出版”. pp. 98-99. 2017年3月1日閲覧。

                          ^ 上山明博『牧野富太郎 花と恋して九〇年』青土社、2023年3月20日、115-116頁。 

                          ^ 国立国会図書館. “上山明博『牧野富太郎 : 花と恋して九〇年』青土社”. pp. 116-117. 2023年3月20日閲覧。

                          ^ 上山明博『牧野富太郎:花と恋して九〇年』青土社、pp.118-119、青土社書誌情報、2023年3月20日閲覧。

                          ^ 大場秀章「『植物研究雑誌』の創刊と発展を支えた人々」『植物研究雑誌』第91巻suppl、植物研究雑誌編集委員会、2016年12月、24-41頁、doi:10.51033/jjapbot.91_suppl_10716。 

                          ^ “植物研究雑誌について”. J-STAGE. 2023年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月18日閲覧。

                          ^ 国立国会図書館. “博士論文『日本植物考察(英文)』”. 2023年4月2日閲覧。

                          ^ 上山明博『牧野富太郎:花と恋して九〇年』青土社NDL ONLINE 国立国会図書館図書情報 pp.178-179 閲覧。

                          ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十一』東京書籍、2017年3月30日、154頁。ISBN 978-4-487-74411-4。 

                          ^ 「牧野標本に補助金」『朝日新聞』昭和26年1月20日

                          ^ 丸善出版 編『47都道府県ご当地文化大百科』丸善出版株式会社、令和6年10月30日、4頁。

                          ^ 牧野植物園概要

                          ^ “練馬区名誉区民の顕彰(平成20年11月5日)”. 練馬区. 2023年4月7日閲覧。

                          ^ 光川 2023, p. 78.

                          ^ 『代表的人物及事業』時事通信社、1913年。https://books.google.com/books?id=OH9bVQgLKhcC&newbks=0&printsec=frontcover&pg=PP450&dq=%E7%89%A7%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%80%E9%95%B7%E7%94%B7&hl=ja。 

                          ^ “牧野富太郎 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞”. www.ifsa.jp. 2022年2月3日閲覧。

                          ^ “牧野記念庭園情報サイト_富太郎の生涯について”. www.makinoteien.jp. 2021年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月30日閲覧。

                          ^ 『植物記』桜井書店、1943年。https://books.google.com/books?id=V4F982Uh4kMC&newbks=0&printsec=frontcover&pg=PP399&dq=%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E4%B8%80%E6%94%BF&hl=ja。 

                          ^ "牧野博士と寿衛子夫人". 練馬わがまち資料館. 2020年9月10日. 2023年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月3日閲覧。

                          ^ “ねりま人#130 牧野一浡さん(牧野記念庭園学芸員)”. とっておきの練馬. 一般社団法人練馬区産業振興公社 ねりま観光センター (2022年5月23日). 2023年4月7日閲覧。

                          ^ “茨城人名録 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年3月15日閲覧。

                          ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “牧野鶴代とは”. コトバンク. 2022年2月3日閲覧。

                          ^ 『新聞集成昭和編年史』 31巻、4号、明治大正昭和新聞研究会、1955年、324頁。 

                          ^ “牧野一浡 練馬区立牧野記念庭園記念館・学芸員【前編】”. 練馬人図鑑 (2018年12月3日). 2022年3月15日閲覧。

                          ^ 練馬区公園緑地課『花在れバこそ吾れも在り: 牧野記念庭園開園50周年』パレード、2008年4月24日。ISBN 978-4-434-11734-3。https://books.google.co.jp/books?id=7xfxF3r6v0sC&pg=PA167&lpg=PA167&dq=%E7%89%A7%E9%87%8E%E4%B8%80%E6%B5%A1&source=bl&ots=y45vXWUNji&sig=ACfU3U1aoSLpdfpZM6LeG5_edUhbCMR7Ew&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjT0bHq_sb2AhWKLJQKHR72D_YQ6AF6BAhBEAM#v=onepage&q=%E9%B6%B4%E4%BB%A3&f=false。 

                          ^ 『高知年鑑』(1996年版)高知新聞社、1995年11月1日、300頁。https://books.google.co.jp/books?id=PMVHAAAAMAAJ&q=%E5%B2%A9%E4%BD%90%E7%8E%89%E4%BB%A3。 

                          ^ 『人事興信錄』人事興信所、2003年。https://books.google.com/books?id=0D80AQAAIAAJ&newbks=0&printsec=frontcover&pg=PP585&dq=%E7%89%A7%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%A5%B3&hl=ja。 

                          ^ 斎藤美奈子「牧野富太郎を支えた「二人の妻」をめぐって」『ちくま』第623号、筑摩書房、2023年2月、24-27頁、CRID 1520858364004062848、 オリジナルの2023年3月7日時点におけるアーカイブ。「最初の妻となった牧野猶は、牧野の従妹で三歳下」 

                          ^ “『らんまん』主人公のモデル・牧野富太郎博士の“前の妻”とは”. こうちWEB特集. NHK高知局 (2023年6月22日). 2023年7月9日閲覧。

                          ^ 「牧野博士の前の妻とは?」NHK高知放送局NHK WEB情報 2023年6月22日 閲覧。

                          ^ 「《重婚、女郎屋で散財》本当の牧野富太郎」『週刊文春』編集部『週刊文春』電子版 2023年9月20日 閲覧。

                          ^ 「メイドに手を付け、女郎屋で散財も…朝ドラには描かれない牧野富太郎の人生が激ヤバすぎた」文春編集部『PRESIDENT Online』プレジデント社 2023年10月15日 閲覧。

                          ^ “「雑草という草はない」は牧野富太郎博士の言葉 戦前、山本周五郎に語る 田中学芸員(東京・記念庭園)が見解”. 高知新聞. (2022年8月18日). https://www.kochinews.co.jp/article/detail/586935 

                          ^ “『植物記』桜井書店(1943年)”. 2015年3月1日閲覧。

                          ^ “『植物一日一題』東洋書館(1953年)”. 2007年12月17日閲覧。

                          ^ “「マキノジン」完成 高知県初のクラフトジン、富太郎ゆかりの植物など12種融合”. 高知新聞. (2021年12月12日). https://www.kochinews.co.jp/article/detail/528206 

                          ^ 広報さかわ令和元年9月号P.23 2020年4月24日閲覧

                          ^ 日本放送協会. “《2023年度 前期》連続テレビ小説 制作決定!”. NHK_PR. 2022年2月2日閲覧。

                          ^ “来年23年春の朝ドラは「らんまん」主演は神木隆之介「驚きました」日本植物学の父・牧野富太郎がモデル”. スポニチアネックス. 2022年9月17日閲覧。

                          ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、283頁。ISBN 978-4-487-74412-1。 

                          ^ 牧野富太郎. "利尻山とその植物". 青空文庫. 2023年4月12日閲覧。

                          ^ 『野外植物の研究.〔正〕』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『野外植物の研究 続』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『普通植物検索表』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『児童野外植物のしをり』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『植物記載学. 前編』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『植物記載学. 後篇』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『植物採集標品製作並整理貯蔵法』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『羊歯及種子植物ノ形態. 正』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『羊歯乃種子植物ノ形態. 続篇』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『植物自然分科検索表』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『植物分類学 巻1』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『雑草の研究と其利用』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『植物ノ採集ト標品ノ製作整理』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『日本植物総覧』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 牧野富太郎 (1936). 草木志 : 随筆. 南光社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005666545-00 

                          ^ 『植物記』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『植物記. 続』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『牧野植物随筆』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『趣味の植物誌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 牧野富太郎. "ムジナモ発見物語り". 青空文庫. 2023年4月12日閲覧。

                          ^ 『新撰日本植物 図説 第2巻第2集』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『日本高山植物 図譜. 第1巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『日本高山植物 図譜. 第2巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 『牧野富太郎書簡 緒方益井(渡辺伯爵家)宛(渡辺千秋関係文書)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

                          ^ 上山明博『牧野富太郎: 花と恋して九〇年』青土社、2023年3月20日。ISBN 978-4-7917-7539-2。https://www.amazon.co.jp/dp/4791775392?asin=B0BV1X1Y5T&revisionId=e1bf48b2&format=2&depth=1。 

                          ^ 田中伸幸『牧野富太郎の植物学』(NHK出版新書、2023年)

                          ^ “朝ドラ:神木隆之介が主演 2023年度前期「らんまん」で“日本の植物学の父”に”. MANTANWEB (MANTAN). (2022年2月2日). https://mantan-web.jp/article/20220202dog00m200007000c.html 2022年2月2日閲覧。 

                          ^ “来年の朝ドラ、神木隆之介さん主演 「らんまん」”. 産経ニュース (2022年2月2日). 2022年2月2日閲覧。

                          ^ “特殊切手「牧野富太郎生誕150年」の発行”. 日本郵便. 2024年5月8日閲覧。

                          ^ 『20世紀全記録 クロニック』小松左京、堺屋太一、立花隆企画委員。講談社、1987年9月21日、p237。

                          ^ "議事 ドキュメンタリー「─花在ればこそ吾も在り─世界的植物学者を支えた神戸人」". 番組審議会 第417回 放送番組審議会. サンテレビ. 2012年12月23日. 2013年2月12日閲覧。

                          ^ “小山鐵夫 プロフィール”. HMV. 2023年4月4日閲覧。

                          ^ “日本植物学の父・牧野博士にちなんだ司牡丹のお酒”. 日本名門酒会. 2023年6月29日閲覧。

                          ^ “司牡丹と偉人・著名人”. 司牡丹. 2023年6月29日閲覧。

                          上山明博『牧野富太郎 花と恋して九〇年』青土社、2023年。ISBN 978-4-7917-7539-2。 

                          大原富枝『草を褥に 小説牧野富太郎』小学館、2023年。ISBN 978-4093524605。 

                          光川康雄『牧野富太郎 草木を愛した博士のドラマ』日本能率協会マネジメントセンター、2023年。ISBN 978-4-8005-9084-8。 

                          牧野富太郎 | 近代日本人の肖像

                          牧野富太郎博士 | 東京都立大学 牧野標本館

                          牧野富太郎研究所 牧野富太郎のプロフィール - ウェイバックマシン(2017年12月24日アーカイブ分)

                          練馬区立牧野記念庭園

                            牧野富太郎について

                            高知県立牧野植物園

                              牧野富太郎 年譜

                              牧野富太郎 業績

                              さかわの栞 さかわ観光協会 - ウェイバックマシン(2014年7月14日アーカイブ分)

                              牧野 富太郎:作家別作品リスト - 青空文庫

                              【TBSスパークル】1957年1月18日 植物学の父 牧野博士なくなる(昭和32年) - YouTube

                              FAST

                              ISNI

                              VIAF

                              WorldCat

                              ノルウェー

                              ドイツ

                              イスラエル

                              アメリカ

                              日本

                              ギリシャ

                              韓国

                              オランダ

                              バチカン

                              International Plant Names Index

                              CiNii Books

                              CiNii Research

                              Scientific Illustrators

                              ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレ

                              IdRef

                              牧野富太郎

                              19世紀日本の植物学者

                              20世紀日本の植物学者

                              19世紀日本の教育者

                              20世紀日本の教育者

                              19世紀日本のノンフィクション作家

                              20世紀日本のノンフィクション作家

                              日本の分類学者

                              日本のリトグラフ作家

                              日本の自伝作家

                              朝日賞受賞者

                              従三位受位者

                              文化勲章受章者

                              勲二等旭日重光章受章者

                              名誉都民

                              日本学士院会員

                              戦前日本の学者

                              東京大学の教員

                              土佐国の人物

                              高知県出身の人物

                              1862年生

                              1957年没

                              Cite journalでchapterを指定しているページ

                              プロジェクト人物伝項目

2025/04/08 04:36更新

makino tomitarou



TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


牧野富太郎と近い名前の人

槙野 智章(まきの ともあき)
1987年5月11日生まれの有名人 広島出身

槙野 智章(まきの ともあき、1987年5月11日 - )は、広島県広島市西区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者・解説者、タレント・YouTuber。現役時代のポジションはディフェンダー、フォワ…

マキノ 智子(まきの ともこ)
1907年1月29日生まれの有名人 京都出身

マキノ 智子(マキノ ともこ、1907年1月29日 - 1984年10月20日)は、日本の女優である。「日本映画の父」といわれた牧野省三の四女。父の映画の子役からスタートし、大スターとなった。本名は加…

牧野 俊浩(まきの としひろ)
1947年1月8日生まれの有名人 岡山出身

1月8日生まれwiki情報なし(2025/04/09 21:38時点)

牧野 宏(まきの ひろし)
1937年11月9日生まれの有名人 千葉出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994年1月20日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 成田高…

牧野 美千子(まきの みちこ)
1964年10月3日生まれの有名人 東京出身

牧野 美千子(まきの みちこ、1964年10月3日 - )は、日本のタレント。本名 (旧姓)、芸名と同じ。 埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。実践女子大学卒業。既婚。 中学生時代の部活は陸上部で…


牧野 ステテコ(まきの すててこ)
1979年10月14日生まれの有名人 富山出身

牧野 ステテコ(まきの ステテコ、1979年10月14日 - )は、日本のお笑い芸人、女優である。本名、牧野 朋子(まきの ともこ)。 富山県黒部市出身。浅井企画所属。 富山県立魚津高等学校卒業、…

牧野 真莉愛(まきの まりあ)
【ハロプロ】
2001年2月2日生まれの有名人 愛知出身

牧野 真莉愛(まきの まりあ、2001年2月2日 - )は、日本の歌手、アイドル、タレント。女性アイドルグループモーニング娘。の12期メンバー。 愛知県西尾市出身。ハロプロ研修生出身。アップフロント…

牧野 由依(まきの ゆい)
1986年1月19日生まれの有名人 東京出身

牧野 由依(まきの ゆい、1986年〈昭和61年〉1月19日 - )は、日本の声優、女優、歌手、ピアニスト。 三重県志摩市出身、所属芸能事務所はアミューズ、所属レコードレーベルはフライングドッグ。 …

牧野 和子(まきの かずこ)
1936年1月17日生まれの有名人 愛知出身

牧野 和子(まきの かずこ、1936年1月17日 - )は日本の女性声優・俳優。 テアトル・エコーに所属していた。長野県出身。 長野県須坂東高等学校卒業。 信越放送劇団を経て、1954年4月、劇…

牧野 エミ(まきの えみ)
1959年10月26日生まれの有名人 大阪出身

牧野 エミ(まきの えみ、1959年〈昭和34年〉10月26日 - 2012年〈平成24年〉11月17日)は、日本の女優、タレント、振付師。1985年(昭和60年)に演劇ユニット「売名行為」を立原啓裕…


牧野 誠三(まきの せいぞう)
1957年7月31日生まれの有名人 福岡出身

牧野 誠三(まきの せいぞう、1957年7月31日 - )は、日本のフリーアナウンサーで元読売テレビアナウンサー。 福岡県福岡市の出身で、関西学院大学商学部卒業後の1983年に、アナウンサーとして読…

牧野 百花(まきの ももか)
1992年3月18日生まれの有名人 宮城出身

牧野 百花(まきの ももか、1992年3月18日 -)は、日本の女性声優、歌手、モデル、ダーツプレイヤー。 宮城県仙台市出身。血液型はA型。身長158cm。 ライブ活動は「咲桜 百花(さきざくら …

牧野 アンナ(まきの あんな)
1971年12月4日生まれの有名人 東京出身

牧野 アンナ(まきの アンナ、1971年12月4日 - )は、日本の振付師。元歌手、元アイドル。東京都生まれの沖縄育ち。LOVEJUNX代表。父・正幸は安室奈美恵などを輩出した沖縄アクターズスクール創…

牧野 省三(まきの しょうぞう)
1878年9月22日生まれの有名人 京都出身

牧野 省三(まきの しょうぞう、1878年9月22日 - 1929年7月25日)は、日本の映画監督、映画製作者、脚本家、実業家。 日本最初の職業的映画監督であり、日本映画の基礎を築いた人物でもある。…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
牧野富太郎
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

なにわ男子 NORD (アイドルグループ) SUPER★DRAGON 三四郎 DISH// OCTPATH Number_i XOX さくらしめじ King & Prince 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「牧野富太郎」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました