もしもし情報局 > 声優 > 東京都 > 田中真弓

田中真弓の情報 (たなかまゆみ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月1日】今日誕生日の芸能人・有名人

田中真弓の情報(たなかまゆみ) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

田中 真弓さんについて調べます

■名前・氏名
田中 真弓
(読み:たなか まゆみ)
■職業
声優
■田中真弓の誕生日・生年月日
1955年1月15日 (年齢69歳)
未年(ひつじ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
東京出身

田中真弓と同じ1955年生まれの有名人・芸能人

田中真弓と同じ1月15日生まれの有名人・芸能人

田中真弓と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


田中真弓と関係のある人

岩里祐穂: 「ボーイの神話」主題歌(曲:白井良明/編:川井憲次/歌:田中真弓、坂本千夏)


宮野真守: 声優としてデビューした後、共演してうれしかった人物はたくさんいるが田中真弓に会った時はやばかった。


戸次重幸: また、パズー役を演じた田中真弓と2人で披露した時には、感動のあまり号泣した。


中尾隆聖: クリリン役の田中真弓は他の番組で中尾と共演する際にも「中尾が来ると殺される」と言って逃げ出すという。


鳥越まあや: 田中真弓還暦ショー「還暦も山のにぎわい」


大塚周夫: 弔辞は野沢雅子と尼子騒兵衛が読み、その他に井上喜久子、田中真弓、平田広明、森田成一、山寺宏一、田中理恵ら250人が参列した。


いまむらのりお: 田中真弓の主宰する劇団『おっ、ぺれった』のコメディでは、女装で老婆役を演じることが多い。


興津和幸: アニメ好きだった親戚から「ワタル(田中真弓)とヒミコ(林原めぐみ)がNHK教育テレビ『ともだちいっぱい』でサルの双子を演じている」という話を聞いて観て、職業としての声優を初めて知って声優を目指した。


竹田えり: 2012年、田中真弓、伊倉一恵、高乃麗と共に演劇ユニット『コーネンキーズ』を結成した。


愛河里花子: 超魔神英雄伝ワタル(ラジオ大阪ほか) - 1998年4月から西村知道に代わり田中真弓とともにパーソナリティを務める。


島田敏: また、同じ青二プロ所属の田中真弓と共に、テアトル・エコー同期入団の盟友で糖尿病のために左足を切断し右目を失明した俳優、安西正弘への支援をおこなっていた(安西は2009年に現場復帰)。


しおつかこうへい: 執筆活動も多く、KAKUTAの桑原裕子らと参加した雷電や、鈴置洋孝プロデュース最終公演、田中真弓が主演した劇団一の会などに脚本提供している。


古田喜昭: 田中真弓「いただきマンボ」(1983年、『イタダキマン』オープニングテーマ)作曲


井内秀治: 井内の人柄について近藤信宏・福田己津央・谷田部勝義・川崎ヒロユキらスタッフや、声優の田中真弓など複数の人物が「井内さんは寡黙だった」「井内さんはシャイで人見知りする方だった。


種﨑敦美: 憧れの声優は、沢城みゆきと田中真弓


西村知道: 超魔神英雄伝ワタル(1998年 - 文化放送、ラジオ大阪)(田中真弓とパーソナリティを務める)


日向もか: その後、『ONE PIECE』を勧められ見た時、「モンキー・D・ルフィとクリリンの声が似ている」と感じ、母に聞いた際、2役とも同じ田中真弓であることを教えられ、それで声優業を知るようになった。


八奈見乗児: 田中真弓は八奈見がこれまで演じた役柄に関して、「八奈見さん以外に代わりの人はいない」とも評している。


赤間麻里子: 声優の田中真弓とは舞台やテレビドラマで何度も共演を果たしており、プライベートでも仲が良く尊敬する先輩の一人として挙げている。


増本庄一郎: 田中真弓プロデュース・おっぺれってないライヴ「チーム」(作・演出・出演)2002年


伊倉一恵: 1988年には『魔神英雄伝ワタル』で虎王(翔龍子)を演じ、主人公の戦部ワタル役の田中真弓との出会いを得て、一時は田中とともに渡辺正行の芸能事務所なべやに所属。


吹石一恵: 映画『バブルへGO!!』ではバブル時代まっただ中を生きる女性の役を得て、劇中21世紀からタイムトラベルした田中真弓を演じる広末涼子に「眉毛の太さ」でカルチャーショックを与えるシーンもある(実際には当時の流行にあわせて自前の眉よりも若干太目にメイクしている)。


春日さくら: 青二塾への入所については、自身の憧れの声優であった田中真弓が青二プロダクション所属であることを知ったことがきっかけであるという。


松尾早人: 田中真弓


大塚芳忠: 田中真弓から懇願されて三ツ矢雄二(ゲイであると公言している)と1回だけ男同士のデートをしたことがある。


泉川実穂: 丸紅 ONE PIECEシリーズTVCM トレインチャンネル「子どもの頃の夢」東映(2022年8月)主演:泉川実穂 声優:田中真弓  


北島淳司: 阪神パークで開催していた島津冴子と田中真弓と三ツ矢雄二がパーソナリティを務めていたラジオ番組『アニメトピア』のイベントを見に行った時に「あぁ自分もやってみたいな~」などと思い、職業としての声優に興味を持つ。


三ツ矢雄二: 30歳の時、声優仲間の田中真弓と念願の劇団を旗揚げした後、自らの脚本・演出による公演を年4回のペースで行った。


友永朱音: 尊敬する声優は藤田淑子、田中真弓


坂本千夏: 1年先輩に田中真弓、横尾まりがいる。


田中真弓の情報まとめ

もしもしロボ

田中 真弓(たなか まゆみ)さんの誕生日は1955年1月15日です。東京出身の声優のようです。

もしもしロボ

人物・特色、エピソードなどについてまとめました。卒業、テレビ、子役、事件、現在、映画、家族、離婚、趣味、結婚に関する情報もありますね。田中真弓の現在の年齢は69歳のようです。

田中真弓のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

田中 真弓(たなか まゆみ、1955年〈昭和30年〉1月15日 - )は、日本の声優、女優、ナレーター。日本芸術専門学校特別講師。本名:阿部 真弓(あべ まゆみ)。東京都渋谷区代々木上原、杉並区浜田山出身。青二プロダクション所属。

東京都渋谷区代々木上原に誕生する。父が新聞記者だったことから、転勤で2歳ごろに大阪府へ移住。後に東京へと戻り、杉並区浜田山で育つ。東京都立杉並高等学校、青山学院女子短期大学卒業

幼少期から目立ちたがりで、歌うのが好きであり、将来は歌手を志望していた。学生時代には演劇にも打ち込み、学芸祭のクラス公演などで演劇を行っていたのをきっかけとして、舞台女優として身を立てる決意を固める。小学校には演劇クラブはなかったが、学芸会の花形であり、田中自身が演目を積極的に提案していた。また小学校時代には「自分には才能があるし、役者は天職だ」と作文にも記したという。

中学、高校、短期大学時代は演劇部に所属していた。当時は娘役が他に多数いたことから、お婆さんと少年役が多かった。中学時代は俳優座が好きであり、卒業後は桐朋学園芸術短期大学演劇科を志望していた。同芸術短期大学演劇科は中学、高校、短期大学時代と受験したが、いずれも不合格だった。

女優としての活動の場を求めて、文学座、青年座などに応募するも全て不合格だった。落選の理由として「あなたは背が低いし、小顔で、全てが小作りで舞台栄えしない。妖精や子供など、役柄が限られてしまうから」と告げられ、当時は非常に落ち込んだと述懐している。竹内演劇研究所の一期生募集のオーディションも受けたが、田中以外の全員が合格するという結果となった。入学金を支払えば入れるという、客状態でも活動できるといった形態の養成所だったが、田中だけが落選したという。このことで、当時はもう人間やめろと告げられたように感じ、深く落胆したという。フジテレビのアナウンサー試験にも応募し、最終選考の5名まで残ったものの内定には至らなかった。

作曲家の鈴木邦彦の下で歌のレッスンを受けていた時期もあった。ある日、渋谷にあるバーの前で歌手募集の広告を見つけ、そのバーでいわゆるハコバンのシンガーとして唄うことになる。後日、バーに来たテアトル・エコーの音響スタッフに「うちの劇団なんか合っているんじゃないかな、チビばっかりですよ」と斡旋され、テアトルの付属養成所の試験を受けて合格する。23歳の時に同養成所に入所し、短大卒業後はテアトル・エコーに所属することとなった。

声優として駆け出しの時期だった1978年には、田宮二郎の遺作となった『白い巨塔』の第2回に、財前五郎の講義を受ける医学生役と里見医院の看護婦役で出演している。

以前はNPSテアトル、アーツビジョン、大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属していた。

1978年に『激走!ルーベンカイザー』の高木涼子役で声優デビュー。同年には刑事ドラマ『Gメン'75』の「香港ロケ編」で、事件解決に協力する香港の難民少年役をアテレコで演じた。

1980年代には、島津冴子とラジオ番組『アニメトピア』に2代目パーソナリティーとして出演、少し後に『さすがの猿飛』に揃って出演した。1983年から長期にわたり、『うる星やつら』で女性でありながら格好も言葉遣いも少年の姿の藤波竜之介役を演じたことで大きく知名度を上げた。

1984年に三ツ矢雄二とプロジェクト・レヴューを設立。

2006年には、CD企画『外道女王』(原作:伊豆一彦、脚本:伊藤良徳)にて主役を担当した。

2011年に第5回声優アワード「高橋和枝賞」を受賞。

2012年に伊倉一恵、竹田えり、高乃麗と共に演劇ユニット「コーネンキーズ」を結成。

2013年に第7回声優アワード「キッズ・ファミリー賞」を受賞。

2017年1月9日、テレビ朝日にて放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』で第6位に入選。

人物・特色

音域はF-F-C(地声)-F(裏声)。

現在でも女優が本業であり、舞台に立つことが多いが、男児のような低めの声を活かし、アニメなどで声優業の仕事を精力的に行っている一方で、フジテレビの『クイズ!ヘキサゴン』など、ナレーションの仕事も多くこなしている。

代表作では熱血・元気な少年を演じることが多く、主人公では『ダッシュ勝平』の坂本勝平、『イタダキマン』の孫田空作/イタダキマン、『巨神ゴーグ』の田神悠宇、『魔神英雄伝ワタル』シリーズの戦部ワタル、『とっても!ラッキーマン』のラッキーマン / 追手内洋一、『中華一番!』の劉昴星、『ドラゴンボール』のクリリン、『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ、『忍たま乱太郎』の摂津のきり丸、『ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU』のツワブキ・ダイヤ、映画『天空の城ラピュタ』のパズーなどがある。『新・おそ松くん』のチビ太は、事実上イヤミと共に主役の位置にあった。

少年役以外にも、声優デビューとなった『激走!ルーベンカイザー』では社長令嬢の高木涼子、『サクラ大戦』では男勝りで姐御タイプの桐島カンナ、『ぼのぼの』でもショーねえちゃん、などといった女性キャラクターの役も稀に演じることがある。

テアトル・エコー劇団員で、晩年には重度の糖尿病に罹患していた安西正弘の支援を、島田敏とともにおこなっていた(3人とも同学年でテアトル・エコー出身、田中と島田は同じ青二プロダクション所属)。安西とはNHK教育『おーい!はに丸』(1983年 - 1989年)での「はに丸」と「ひんべえ」、『うる星やつら』(1983年 - 1991年)での「藤波竜之介」親娘など、共演機会が長かった。

宮野真守が声優としてデビューした後、田中に会った時はやばかった。宮野とは2012年時点ではアニメの仕事ではまだ共演したことがないが、宮野が『ONE PIECE』が好きだと言い続けていたため、ラジオのスタッフが内緒で田中をゲストに呼んでくれた。その時にスタジオに入ったところ田中がルフィの麦わら帽子をかぶり「よう!」と言っており、宮野は緊張して何も喋れなくなってしまった。

宮野は勇気を振り絞り「僕は『ONE PIECE』が好きなんですけど、『ドラゴンボール』も大好きでずっと観てたんです!」と言っていた。その時に田中がクリリンとルフィのコラボである「ゴムゴムの気円斬」をしてくれて「ワーッ!」と真っ二つにされたような贅沢な時間であったと語る。

母がクリスチャンだったことから日曜日には、母に連れられて、教会に礼拝に出かけていたという。2歳上の兄がおり、その兄は落語研究会に所属し、落語が好きで、特に立川談志が好きで、その影響で家族も皆談志が好きになったという。夫は声優・俳優の柴本浩行、息子は大道芸人のこ〜すけ(阿部孝祐)。柴本とはのちに離婚するが、田中と別の女性との再婚・離婚を経て、復縁した。

趣味は演劇。特技はジャグリング。

エピソード

中学2年生の時、本番で声が出なくなり、病院に行っていたところ、左軟口蓋麻痺だと言われたという。

会話も、全部筆談でしており、「演劇が好きで好きでたまらないのに、このまましゃべれないかもしれない……」と思い、悲嘆に暮れていたという。その時、父が「演劇が好きなら演劇に携わる仕事がいっぱいあるじゃないか」と励ましてくれて、色々と演劇関係の仕事のことを調べてみたが、「演劇が好きなわけじゃない」と気が付いたという。「歌でも踊りでもいいから、目立ちたい! 人前に出たい! 出たいだけなのよ!」というのが、本性だったという。

麻痺は長引いて大変であったが、その本性を知ることができたのは、「あの麻痺のおかげだったんじゃないか」と思っているという。脚本も才能なかったといい、プロジェクト・レビューでも作と演出をしたこともあったが、「あんたみたいに才能ないやつが書くんだったら辞める!」と出演者に言われたこともあったという。そんな紆余曲折もあり、「出る以外何もできないから、できることだけやろう」をモットーにしているという。

持ち役のうち、最も気に入っているのは『新・おそ松くん』のチビ太。『新・おそ松くん』でのチビ太の決め台詞「てやんでぃバーロイチキショイ」「しっかりこまたき」「いやーんもう」は田中のアドリブから生まれたものであり、特に人気だった「てやんでぃバーロイチキショイ」は、『新・おそ松くん』DVD第5巻のチビ太のイラストのディスクジャケットにも採用されている他、田中が後に声を当てた『とっても!ラッキーマン』の追手内洋一役や、『ゲゲゲの鬼太郎(第5作)』の毛目玉役でも同様の台詞を連呼している。

『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ役に起用された経緯は「何回かオーディションがあって。(ルフィ役を)男の人でやりたいっていう人と、女でいきたいっていう人と、新人でやりたいかっていう。新しい声で。新人の中井和哉くんが、先にゾロに決まったの。『じゃあ、ルフィはベテランか』っていう風になった時に、私が浮上してきたっていう。あとあと聞いたら、もともと尾田(栄一郎)先生は『パズーの人(田中)がいい』と言っていたんですって」と明かし、「少年役として、いろいろやらせてもらってきて、声優業はルフィで終わりたいと思っているし。これ以上、少年の役をやれるかっていうと、もうやりきった感じ」とも述べている。

好きなアーティストは『ハナ肇とクレージーキャッツ』、好きなテレビ番組は『シャボン玉ホリデー』。

1980年頃から鳥類の鳴き声の練習も行っており、『プロゴルファー猿』(カラスのカンクロウ役)や『平成天才バカボン』(九官鳥役)などの鳥役をはじめ、『新・おそ松くん』ではチビ太を演じる傍ら脇役のカラスの鳴き声も担当した他、ニワトリの鳴き声を発するチビ太も器用に演じた。1993年に生出演した『森田一義アワー 笑っていいとも!』(コーナー「ザックリいきまショー」)でも、カラスとニワトリの声を披露している。

洋画の吹き替えでは、特に楽しかった作品に『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(日本テレビ版)のショート・ラウンド(演:キー・ホイ・クァン)役を挙げており、「元気な少年役でしたが、普段のアニメとはまた違った気持ちで収録に臨めました」と述べている。洋画の吹き替えでは女性役がくることがあっても男勝りの出で立ちの女優の吹き替えが多いという。

『ONE PIECE』単行本52巻では、質問コーナー「SBS」にて読者からの質問に答えており、そこでは持ち前のキャラクターを遺憾なく発揮している。

『魔神英雄伝ワタル』シリーズの収録現場のアフレコテスト時では、渡部クラマ役の山寺宏一の台本のセリフ「ワタル、気がついたようだな」を「ワタル、毛が生えたようだな」と落書きし、彼に読ませるといったイタズラ書きや、田中演じる戦部ワタルの相棒、龍神丸を召喚した時の「おぉー!!」という雄叫びの後に玄田哲章(龍神丸役)らと共にアドリブを付け加えるなど、ストーリーの流れと無関係のアドリブを率先的に行っていたひとりである。こういったイタズラ書きやアドリブの多さに本気で怒る者や、イタズラ防止のためトイレに行くときですら台本を手放さない者もいたという。また、ワタルシリーズのキャストと別の現場で共演した時に、そこで同じようにイタズラ書きやアドリブを行おうとしたら叱られたこともあったという。一方で、収録初期は「田中真弓という役者が戦部ワタルを演じている」というプライドが強く、心の底からワタル役になりきっていないと感じ取った音響監督の藤野貞義から「今の田中真弓でしょ?ワタルの演技してよ」という注意に「私らしいカラーを出して何が悪いの?」と納得していなかったが、収録が進むにつれそれらを意識することなく、自然体でワタル役を演じられるようになったという。

2006年時点では「俳優としてずっとやってきていると、自分を出したくなるものなのね。自分らしさを表現したいって。でもね、役に溶け込むよりも自分を出した演技を良しとされる場合もあれば、田中真弓を消して役になりきったほうが良い場合もある。だからそれは、時と場合によるかな」と語っている。

アニメの主人公の役を演じる機会が少なくなってきたことに悩んでいた頃にアニメ『モジャ公』のオーディションがあり、声の出し方などを息子と相談しながらオーディションに臨んだ結果、採用された。オーディションでは声を作り過ぎてしまい、常にそれでやらなければいけなくなったといい、モジャ公の悲しんでいる時の「オレ、悲しい」という台詞を普段と同じテンションで言っても何か違うなと思ったという。自分なりに考えて違う表現をしても「それじゃ、モジャ公ではなくなっちゃう」と言われ、それ以来「声を作ることはやめよう」、「自分のまんまでいい、今喋っているトーンのまんまで、喜びも悲しみもすべて表現できれば、男も女も関係ない」と考えるようになったという。

『サクラ大戦歌謡ショウ』では持ち役である桐島カンナの扮装で舞台に立った。田中は劇団出身だったことから「夢みたいなこと」とし、カンナについて「性格が近く、やりやすかった」としている。舞台での田中は下ネタを披露するなど、キャラとの乖離が激しかったが、音楽監督の田中公平によれば、原作者の広井王子はダメ出しをする所か一緒に面白がっていたという。

若い頃からボーイッシュな外見と低い声だったことから、『うる星やつら』の藤波竜之介の「俺は女だ!」というセリフが他人とは思えないこと、また声優になってから少女らしい演技を試しにしてみたところ「少女趣味のオカマの声」と呼ばれたことを、『アニメック』に寄稿したコメント(第28号「TVアニメ20周年と私」、1983年)で述べている。

『クレヨンしんちゃん』のオーディションをテアトル・エコー時代の後輩の坂本千夏と一緒に受けていたが、オーディション時に野原しんのすけの口癖でもある「ぞぅーさん」と言ってほしいといわれて子供の声を得意とする2人もアフレコで演じたが、しんのすけ役には決まらなかった。

『ドキドキ!プリキュア』のイーラは、田中が初めて演じた少女アニメでの少年役である。この時の裏話で、スタジオでプリキュア役のオーディションを行っている現場をたまたま通りかかった田中は、冗談で参加しようとしたところ事務所のマネージャーに注意されて現場を後にしたというエピソードがある。田中は、「あの時オーディションに顔を出したことがイーラを演じるきっかけを作った」と語っている。

ラジオドラマは自分の間で喋れるため特に好きだといい、洋画の吹き替えよりラジオドラマやアニメの方が好きだと語っている。洋画の吹き替えは俳優の表現の仕方によっていろいろと難しい部分があるといい、また日本語の場合は会話の中の結論が最後に来るが英語だと結論が最初に来るため俳優のリアクションが早く、画面とセリフのテンションがかみ合わなかったりすると語っている。日本や日本語にはないようなことが洋画にはいっぱいあるため、そこにリアリティを載せるのは無理、アニメのほうがリアルな表現をでき、最初から日本語で作ってあるため面白いという。

『ドラゴンボール改』のアフレコ記者会見にて、再びクリリンを演じていることについて田中は「前回の『Z』の時はまだ新人で、先輩と一緒だったこともあり、それなりに緊張していた。そんな余裕のない状態で夢中でアフレコしていたから、その時はクリリンがどれだけ悟空のことを好きか、まだよく分からなかった」と振り返った。そして「今回(『改』)、第2話で目の前で悟空が殺されてしまう場面で、どれだけクリリンが悟空のことを好きなのかすごく分かった。クリリンの悟空を想う気持ちの大きさは、今もう一度声を吹き込んで、改めて分かった」と話した。

劇中でクリリンが殺される場面は3回(アニメオリジナル『ドラゴンボールGT』も含めれば4回)描かれており、この内、殺す側であるタンバリンとフリーザを中尾隆聖が演じていたため、他の番組で中尾と共演する際に「中尾さんが来たら私殺される!」と言って逃げだすという。

学習研究社発行のアニメ雑誌『アニメディア』の付録である「人気声優 直筆 DATA FILE」(年1回)の中で、「声優としての目標」の欄に「八奈見乗児さん」と書いていた。

2006年時点では「八奈見乗児さんって、基本的に一色だからねぇ。それで全部を演じているし。常にそれを求められるし。そういうのが自分にとっては一番いいんじゃないかな」と語っていた。

八奈見とは1983年に主演作『イタダキマン』で、主要キャラクター同士では初共演した(ゲストでは、それ以前に『ヤットデタマン』で共演している)が、視聴率低迷で短期で打ち切りとなり、「私がタイムボカンシリーズを終わらせてしまった」と語った。

1977年頃よりテアトル・エコーで劇団仲間だったコント赤信号の渡辺正行と交際。このことは『アニメトピア』パーソナリティ時代に明らかになったことがあるが、当時は話題とならなかった。しかし、後に退任後の『アニメトピア』のゲストとして梨元勝が出演した際に話題として上げられたため、自身の出演するワイドショー番組で発表したが、一般に知られるようになったのは、番組上で明石家さんまなどが話題にするようになってからである。

1985年に女性週刊誌などで8年超しの交際が伝えられたが、同年柴本浩行と結婚し、一児をもうける(後に離婚)。1988年2月17日放送のフジテレビ『火曜ワイドスペシャル』の「輝け!第2回オールスター実家大賞」で渡辺の元婚約者として登場。新婚家庭での柴本と、生まれたばかりの息子を渡辺に紹介して大受けとなり、番組大賞を受賞した。

1990年からは渡辺が代表を務める事務所「なべや」に在籍した。その後も渡辺とは『クイズ!ヘキサゴンII』でナレーター(田中)と常連解答者(渡辺)という形式で共演をしている。

2024/06/01 16:13更新

tanaka mayumi


田中真弓と同じ誕生日1月15日生まれ、同じ東京出身の人

繁田 美貴(はんだ みき)
1984年1月15日生まれの有名人 東京出身

繁田 美貴(はんだ みき、1984年1月15日 - )は、テレビ東京アナウンサー。 東京都出身。 桜蔭中学校・高等学校、千葉大学文学部卒業。 学生時代にオフィスパレット所属タレントとして芸能活…

桐山 瑠衣(きりやま るい)
1991年1月15日生まれの有名人 東京出身

桐山 瑠衣(きりやま るい、1991年1月15日 - )は、日本の女性タレント、グラビアアイドル、DJ。東京都出身。無所属(フリーランス)。 2007年 高校2年生の時に上野でスカウトされたことを…

三浦 葵(みうら あおい)
1990年1月15日生まれの有名人 東京出身

三浦 葵(みうら あおい、1990年1月15日 - )は、日本のファッションモデル、女優。福島県出身。 1990年、福島県で生まれる。実妹はタレントの三浦萌。お笑いコンビドランクドラゴンの鈴木拓は…

巨羽 弘志(こば ひろし)
1970年1月15日生まれの有名人 東京出身

巨羽 弘志(こば ひろし、1970年1月15日 - )は、日本のボーカリスト、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ。所属事務所はLUXTAR ENTERTAINMENT L…

月森 世菜(つきもり せいな)
1月15日生まれの有名人 東京出身

月森 世菜(つきもり せいな、1月15日 - )は、日本のファッションモデル、女優。東京都出身。 趣味は旅行とインテリア。 特技はデザイン。真っ白なホワイトコーデやインテリアが話題を呼び海外のニュ…

樹木 希林(きき きりん)
1943年1月15日生まれの有名人 東京出身

樹木 希林(きき きりん、1943年〈昭和18年〉1月15日 - 2018年〈平成30年〉9月15日)は、日本の女優。戸籍名:内田 啓子(うちだ けいこ)、旧姓:中谷(なかたに)。旧芸名は悠木 千帆(…

神楽坂 浮子(かぐらざか うきこ)
1938年1月15日生まれの有名人 東京出身

神楽坂 浮子(かぐらざか うきこ、1938年1月15日 - 2013年11月20日)は日本の芸者歌手。 1938年(昭和13年)1月15日、東京都深川で生まれる。本名、大野景子。中学生の頃からスポ…

波多江 良一(はたえ りょういち)
1977年1月15日生まれの有名人 東京出身

波多江 良一(はたえ りょういち、1977年1月15日 - )は、圭三プロダクション所属のフリーアナウンサー。東京都出身。法政大学経済学部卒業。現在はスポーツ実況、ナレーターを中心に活動している。 …

金井 亜佐子(かない あさこ)
1976年1月15日生まれの有名人 東京出身

金井 亜佐子(かない あさこ、1976年1月15日 - )は、セント・フォース所属のフリーアナウンサー。 東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。日産ギャラリー内でのコンパニオン(ミス・フェアレディ…

藤村 美樹(ふじむら みき)
1956年1月15日生まれの有名人 東京出身

藤村 美樹(ふじむら みき、1956年1月15日 - )は、日本の元歌手である。本名:尾身 美樹(おみ みき)、旧姓:藤村。元キャンディーズのメンバー。愛称は「ミキ」または「ミキちゃん」。 東京都…


TOPニュース

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表 

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

ねじねじファッションの中尾彬(なかおあきら)が死去

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕

元子役の若山耀人容疑者、殺人容疑で再逮捕


田中真弓と近い名前の人

田中 毅(たなか たけし)
1978年11月2日生まれの有名人 神奈川出身

田中 毅(たなか たけし、1978年(昭和53年)11月2日 - )は、日本テレビのエグゼクティブ・アナウンサー。 世田谷学園高等学校、上智大学法学部地球環境法学科卒業後、日本テレビに2002年4…

田中 孝宜(たなか たかのぶ)
1965年3月29日生まれの有名人 大阪出身

田中 孝宜(たなか たかのぶ、1965年3月29日 - )は、日本の国際開発学者、NHKエグゼクティブアナウンサー。国際開発学博士(名古屋大学)。 大阪市出身。桃山学院高校を経て上智大学外国語学部…

田中 梨乃(たなか りの)
1991年10月12日生まれの有名人 大阪出身

田中 梨乃(たなか りの、1991年10月12日 - )は、大阪府出身のタレント・レポーター。舞夢プロ所属。 1991年10月12日、大阪府に生まれる。関西学院大学社会学部卒業。 2015年12…

田中 律子(たなか りつこ)
1971年7月17日生まれの有名人 東京出身

田中 律子(たなか りつこ、1971年7月17日 - )は、日本の女優、タレント、歌手である。本名同じ。東京都世田谷区出身。元ボックスコーポレーション所属(2019年まで)。 有限会社アール所属。NP…

田中 理佐(たなか りさ)
1963年8月1日生まれの有名人 東京出身

田中 理佐(たなか りさ、1963年8月1日 - )は、日本の元女優・タレント。1980年代に活動していた。現在の本名は、石原 里紗(いしはら りさ)。 東京都出身。聖心女子学院、立教英国学院を経…

田中由姫(たなか ゆき)
1991年9月1日生まれの有名人 神奈川出身

田中由姫(たなか ゆき、1991年9月1日 - )は、日本の元アイドル、元タレント。横浜関内のご当地アイドル「かんない少女隊」の絵里澤えゆとしての名前もある。神奈川県出身。元パーティープロダクション所…

田中 めい(たなか めい)
1997年3月11日生まれの有名人 埼玉出身

田中 めい(たなか めい、1997年3月11日 - )は、日本の女性タレント、アイドル、レースクイーン。埼玉県出身。アーティストハウス・ピラミッド所属だったが、プロフィールと全てのSNSが削除されてい…

田中 美和子(たなか みわこ)
1967年12月25日生まれの有名人 東京出身

田中 美和子(たなか みわこ、1967年12月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ、タレント、演歌歌手。現姓:非公表。 千葉県船橋市出身。千葉明徳短期大学幼児教育科在学…

田中 美羽(たなか みは)
1963年3月30日生まれの有名人 兵庫出身

田中 美羽(たなか みは、本名:田中 康江(たなか やすえ)、1963年3月30日 - 2004年5月28日)は、日本の元女性タレントである。 兵庫県出身。関西地方を中心に、テレビ、ラジオ、司会、…

田中 美奈子(たなか みなこ)
1967年9月12日生まれの有名人 千葉出身

田中 美奈子(たなか みなこ、1967年9月12日 - )は、日本の女優、歌手。戸籍名:岡田 美奈子(旧姓:田中)。NPO法人Ever Lasting Friends代表。夫は俳優の岡田太郎。八千代松…

田中 沙百合(たなか さゆり)
1987年6月21日生まれの有名人 出身

田中 沙百合(たなか さゆり、1987年6月21日 - )は、日本のタレント、モデル。 長崎県大村市出身。活水女子大学文学部英語学科卒。2016年3月に「ミス日本酒」に選出された。現在は東京都在住。…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
田中真弓
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

有田麗未 バービー_(お笑い芸人) 田中裕理 河合優実 佐藤淑乃 長内美和子 山中宏予 和田由紀子 荒木彩花 平山詩嫣

グループ

ももクロ アリス十番 AeLL. X21 predia 9nine ベイビーレイズ 東京女子流 さくら学院 THE ポッシボー 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「田中真弓」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました