衣笠貞之助の情報(きぬがさていのすけ) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


衣笠 貞之助さんについて調べます
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衣笠貞之助と関係のある人
大河内傳次郎: 同年、聯合映画芸術家協会設立第2作で、新民衆座の出演で製作した衣笠貞之助監督の『弥陀ヶ原の殺陣』に座員の一人として、目明し紋治役で出演。 犬塚稔: 衣笠貞之助と共同脚本。 川端康成: また、この年の春には、衣笠貞之助、岸田国士、横光利一、片岡鉄兵らと「新感覚派映画聯盟」を結成し、川端は『狂つた一頁』のシナリオを書いた(7月に『映画時代』に発表)。 村田実: 葬儀は小石川の関口教会で各社撮影所の合同映画葬、映画監督協会葬として盛大に開かれ、棺は溝口健二、牛原虚彦、島津保次郎、衣笠貞之助、井上金太郎、青島順一郎の肩に担がれ祭壇に安置された。 柳さく子: 『忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻』 : 監督衣笠貞之助、1932年12月1日公開 - 戸田局 ※現存(NFC所蔵) 桜井京子: 同年10月、入社早々に松竹下加茂撮影所に異動になり、「糸浦 柳子」の芸名を名乗って、同撮影所と製作提携をしていた衣笠貞之助が主宰する衣笠映画聯盟の製作、山崎藤江の監督による『天保悲剣録』に出演して、映画界にデビューした。 山根寿子: 1940年、衣笠貞之助監督『蛇姫様』で長谷川一夫の相手役となり人気スターの座へ。 直木三十五: 雅弘は「当時の私たち若いマキノの連中は、とにかく衣笠貞之助、伊藤大輔、二川文太郎、井上金太郎らの先輩に追いつけ、追いつけで、現場で走り回り、がんばったものだった。 勝新太郎: 時代劇研究科の春日太一の勝に関しての著書によれば、勝は黒澤明『羅生門』や『七人の侍』『用心棒』、ジャン・ギャバン主演の名作やヌーヴェル・ヴァーグの名作のフランソワ・トリュフォー作品やルイ・マル『死刑台のエレベーター』、ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』にパトリス・ルコント『他人のそら似』などのフランス映画の名作、クラーク・ゲーブルやタイロン・パワー、シャルル・ボワイエ、長谷川一夫、上原謙、『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』のジェームズ・ディーンなどの各国の二枚目スター主演の名作、溝口健二『雨月物語』『新・平家物語』、市川昆『炎上』『ぼんち』、吉村公三郎『源氏物語』『大阪物語』、衣笠貞之助作品、斎藤耕一『津軽じょんがら節』、三隅研次作品や森一生作品、工藤栄一作品、井上昭作品、近衛十四郎作品、山本薩夫『忍びの者』、勅使河原宏『砂の女』、五社英雄『三匹の侍』『御用金』、岡本喜八『独立愚連隊』シリーズや『侍』『日本のいちばん長い日』、新藤兼人作品、『影の車』や『砂の器』の野村芳太郎作品、増村保造『大地の子守歌』、長谷川和彦『青春の殺人者』、ウィリアム・フリードキン『フレンチ・コネクション』、サム・ペキンパー『ゲッタウェイ』を絶賛している。 丹阿弥谷津子: 春高樓の花の宴(1958年)監督:衣笠貞之助 共演:早川雄三 原作:川口松太郎『王女の琴』 井上正夫: 1926年(大正15年)、衣笠貞之助監督で新感覚派映画連盟製作の映画『狂つた一頁』に主演。 阪東妻三郎: ほぼ完成状態だった、山田五十鈴共演の『無頼漢』(衣笠貞之助監督)のフィルムが焼失の憂き目に遭う。 長谷川一夫: 女形出身の衣笠貞之助監督が自らの経験を生かして、同じ女形出身の長二郎を磨きに磨いたのだから、やくざをやっても、殿様をやっても、剣士をやっても、何もかも水の滴るばかりの美男ぶりを見せるので、女性ファンにとってはたまらない魅力となり、劇場では銀幕に向かって思わず「長さァ〜ん!」、「あたしがここにいるわよ!」と、あちらからもこちらからも狂わんばかりの声が飛んだ。 本郷秀雄: 『黒田誠忠録』 : 監督衣笠貞之助、1938年6月17日公開 - 近藤一弥 岡田嘉子: 1922年(大正11年)日活向島撮影所の衣笠貞之助ら女形を含む幹部俳優が社の女優採用の不安から国活に移籍。 犬塚稔: 衣笠貞之助と共同脚本。 柳さく子: 『忠臣蔵 後篇 江戸の巻』 : 監督衣笠貞之助、1932年12月1日公開 - 戸田局 ※現存(NFC所蔵) 牧野省三: 牧野が育てた映画人には、内田吐夢、衣笠貞之助、息子のマキノ雅弘、松田定次、二川文太郎、沼田紅緑、滝沢英輔、金森万象、井上金太郎、並木鏡太郎などの映画監督、尾上松之助、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介、市川右太衛門、高木新平、松浦築枝、森静子、鈴木澄子、岡島艶子、娘のマキノ輝子などの俳優・女優がいる。 溝口健二: 同年8月、大映取締役の欠員1名の補充で衣笠貞之助とともに候補に挙がったが、衣笠が辞退したため、9月の株主総会で正式に大映取締役に就任し、重役監督となった。 川本喜八郎: 1947年、『今ひとたびの』(五所平之助監督)、『戦争と平和』(山本薩夫・亀井文夫共同監督)『女優』(衣笠貞之助監督)に松山崇らをサポートする美術スタッフとして参加するが、まもなく、いわゆる東宝争議に巻き込まれる。 尾上松之助: 焼香には阪東妻三郎や衣笠貞之助、伊藤大輔らの姿もあった。 溝口健二: とくに松井須磨子が主人公の『女優須磨子の恋』は、衣笠貞之助監督の東宝作品『女優』(1947年)と競作になるも、評価が集中したのは『女優』の方であり、作品的に敗北を喫した。 湯浅憲明: 衣笠貞之助・島耕二・井上梅次・川島雄三らに師事。 目黒幸子: かげろう絵図(1959年、衣笠貞之助監督) - 中薩田毎 本郷秀雄: 『月形半平太』 : 監督大曾根辰夫、応援監督衣笠貞之助、1939年5月4日公開 - 早瀬辰馬 目黒幸子: 大阪の女(1958年、衣笠貞之助監督) - 看護婦 長谷川一夫: 同年、主演第2作目で衣笠貞之助監督の『お嬢吉三』に出演。 松山英夫: 『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』 : 監督衣笠貞之助、1956年1月15日公開 - 121分尺で現存(NFC所蔵) 犬塚稔: 狂つた一頁(1926年) ※衣笠貞之助監督。 片岡一郎: 2007年(平成19年)7月、クロアチアのモトヴンで毎年開催されているモトヴン映画祭に招かれ、衣笠貞之助監督の『狂つた一頁』の映画説明を、オーストリアの無声映画伴奏者ゲアハルト・グルーバーのピアノ演奏とともに披露する。 |
衣笠貞之助の情報まとめ

衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ)さんの誕生日は1896年1月1日です。三重出身の映画監督のようです。

映画、現在、母親、卒業、退社、結婚、解散、事件、ドラマ、引退、姉妹に関する情報もありますね。1982年に亡くなられているようです。
衣笠貞之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ、1896年1月1日 - 1982年2月26日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。本名:小亀 貞之助(こかめ ていのすけ)。 新派劇団を経て日活向島撮影所で女形スターとして活躍後、牧野省三の下で映画監督へ転身した。新感覚派の作家と組んで前衛映画『狂つた一頁』を製作後、松竹・東宝・大映で長谷川一夫とコンビを組んで多くの時代劇映画を製作した。江戸や明治の情緒を新派劇の素養であでやかに描き出すことにかけては第一人者だった。1953年(昭和28年)公開の『地獄門』は、第7回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。上記以外の主な作品に『十字路』『雪之丞変化』など。妻は女優の千早晶子、弟は映画監督の衣笠十四三。 1896年(明治29年)1月1日、三重県鈴鹿郡亀山町大字東町(現在の亀山市本町)に、煙草元売捌業の父・小亀定助と母・かめのの4男として生まれる。長兄の衡一は後に三重県会議員を3期務めながら、第7代亀山町長を務めている。幼い頃から芝居好きの母親に連れられて歌舞伎、新派、曾我廼家喜劇などを見るようになった。 1910年(明治43年)、亀山男子尋常高等小学校(現在の亀山市立亀山西小学校)高等科を卒業してから私塾の笹山塾に通い、1914年(大正3年)の修了後に役者を志すも両親に反対され、同年4月に家出をする。汽車に乗って東京へ向かおうとした途中、大垣駅で停車中に「新派有無会」のポスターを見て汽車を降り、一座の宿を訪ねて女形に採用された。その日の午後に一座の出演する宝生座に出かけたところ、「藤田芳美という立女形が新たに作る一座に加わらないか」と勧誘され、藤田芳美一座に加入することになった。藤沢守の芸名で各地を巡業後、中京成美団などを経て、1916年(大正5年)に京都の静間小次郎一座に加入。一座の花形井上春之輔の名をとって小井上春之輔と名乗り、女形として売り出した。 1917年(大正6年)、連鎖劇団の山崎長之輔一座に加わって大阪の角座に出演中、日活大阪支店長の佐々野万寿男にスカウトされ、日活向島撮影所に女形俳優として入社。芸名も衣笠貞之助に変え、翌1918年(大正7年)1月13日公開の『七色指環』(小口忠監督)が第1回出演作品となった。以後、革新映画の第1作といわれる田中栄三監督の『生ける屍』を始め、田中・小口監督の『金色夜叉』、田中監督の『己が罪』『西廂記』など、5年間で約130本の作品に出演し、日活向島を代表する女形として活躍した。 1920年(大正9年)、この頃から映画界では女優の採用に踏み切り、女形新派の前途に限界を感じた衣笠は監督に転向し、自身の脚本による『妹の死』で監督デビューする。『妹の死』は、機関士が自分で運転する機関車で可愛がっていた妹を轢いてしまうという物語で、藤野秀夫が機関士、横山運平が火夫を演じた。主人公の妹役を演じたのは衣笠自らで、その女装のままカメラの脇に立って演出を行ったという。 1922年(大正11年)9月、日活向島の総監督に就任した牧野省三に監督としての才能を買われ、向島在籍のまま牧野教育映画製作所で監督作を発表する。内田吐夢との共同監督による『噫小西巡査』や、菊池寛原作の『火華』などを同製作所で製作。この2作には自ら出演もしており、女形姿の衣笠が撮影技師の田中十三に「そこで絞って頂戴な」とカメラを指定したのは、後々まで話題となった。 同年11月25日、国際活映再建のための引き抜きで、衣笠は藤野、横山、島田嘉七、新井淳、東猛夫ら12名の俳優とともに日活を退社。国活巣鴨撮影所で坂田重則監督の『鷲津村の娘』『老僧の恋』などに出演するが、1923年(大正12年)に国活を退社し、同志数人と連鎖劇団の衣笠貞之助一座を結成する。滝野川中里のオープンセットで自作自演の『悲しき結婚』を撮り、群馬県から愛知県を実演巡業した。同年、名古屋で出演中に再び牧野に招かれ、創立したばかりのマキノ映画製作所に参加。同製作所第1回作品の『二羽の小鳥』は『妹の死』の再映画化で、同社最初の封切作品の一本であった。以後は監督専門となり、現代映画の監督はほとんど衣笠が一手で引き受けた。大作『金色夜叉』は前後篇からなり、後篇のセット撮影中に関東大震災に遭遇。1924年(大正13年)に森岩雄のシナリオによる『恋』『寂しき村』を監督するが、前者は風俗上好ましくないとの理由、後者は馬車とタクシーの生存競争が社会的に刺激をあたえるとの理由で、地方では警察から上映禁止になるところもあった。そのほか初の時代劇映画となった『桐の雨』、阪東妻三郎主演の『恋と武士』などを撮った。 1925年(大正14年)、直木三十五が設立しマキノと提携した連合映画芸術家協会の第1作で、沢田正二郎主演の『月形半平太』を監督。沢田の多忙なスケジュールの合間を縫って、不眠不休でわずか8日間のうちに撮影を完了した作品だが、新国劇の当り狂言の映画化ということもあり大ヒットした。続いて市川猿之助主演で『日輪』と『天一坊と伊賀之亮』を監督。前者は卑弥呼を題材としたものだが、卑弥呼は当時神功皇后や天照大神だったという説があったため、右翼団体が「皇室を冒涜した」として不敬罪で告訴するという騒動が発生し上映が中止された。 1926年(大正15年)、誰からも掣肘を受けず、自由に思いのままの映画を作ろうと決意した衣笠は、マキノのもとを離れ、新感覚派の作家である横光利一、川端康成、片岡鉄兵、岸田国士らと新感覚派映画聯盟を結成して『狂つた一頁』を製作した。日本映画初のアヴァンギャルド映画と呼ばれ、多重露光やフラッシュバックなどを用いた斬新な映像表現が高く評価されたが、興行的には赤字となり、この1作限りで連盟は解散。負債返済のため、衣笠映画聯盟を名乗って松竹下加茂撮影所で時代劇映画の請負製作を行うことになった。1927年(昭和2年)に『お嬢吉三』で新人の林長二郎を起用し、以後林の主演で『鬼あざみ』『女夫星』『弁天小僧』『海国記』などの時代劇映画を発表した。『海国記』は、海外渡航禁制時代に南方へ渡った若者の悲恋を描いたエピック的傾向の作品で、九州や北陸の海岸でロケを敢行し、数百人のエキストラを使って撮影した野心作である。 1928年(昭和3年)、「時代劇から剣を奪え」をスローガンに掲げた、実験的な時代劇映画『十字路』を製作。公開後の5月16日に松竹を退社し、『十字路』のフィルムを携えて渡欧。聯盟はこれを機に解消した。ヨーロッパへの途次、衣笠はソ連に滞在し、プドフキンやエイゼンシュテインらと会い、宮本百合子、湯浅芳子、亀井文夫らとも交流を深めた。また、エイゼンシュテインとは市川左團次のモスクワ公演を一緒に見に行っている。1929年(昭和4年)2月、ベルリンに渡って千田是也の下宿に投宿。同年5月、『十字路』はウーファ社直営の劇場「モーツァルト・ザール」で、『ヨシワラの影』という題名で上映された。フランスなど欧米各国にも配給されたこの作品は、海外の常設館で正式に上映され、国際的評価を得た最初の日本映画となった。 1930年(昭和5年)8月に帰国。松竹下加茂撮影所に帰属し、『黎明以前』が帰国第1作となった。この作品は、由比正雪事件にからむ権力者への抵抗を描き、エイゼンシュテインの『全線(ロシア語版)』のモンタージュを活用しているが、「遅刻した傾向映画」と評された。1932年(昭和7年)には自身初のトーキー映画となる『生き残った新選組』を発表。同年、松竹オールスターの大作『忠臣蔵』は大ヒットを記録。林主演作でも、『二つ燈籠』『鯉名の銀平』『一本刀土俵入り』などの話題作を次々と発表し、1935年(昭和10年)公開の『雪之丞変化』は、松竹創立以来最高の配収をもたらす空前のヒット作となった。1936年(昭和11年)、松竹下加茂の女優で、衣笠作品にも出演していた千早晶子と結婚。1937年(昭和12年)、約1年もの撮影期間を費やした『大坂夏の陣』を発表。同年に新築地劇団のキノドラマ第1作『嗤う手紙』を千田是也と共同演出し、実験精神を発揮した。 1938年(昭和13年)11月、海軍のペン部隊に映画人代表として参加し、広東などへ従軍。帰還後の1939年(昭和14年)5月、松竹を退社して東宝へ移籍する。2年前に東宝へ移籍した林長二郎改め長谷川一夫と再びコンビを組み、『蛇姫様』前後篇、『川中島合戦』を発表。戦中は国策もの2本を製作するにとどまった。 1946年(昭和21年)、明治開化期の鉄道建設を巡る利権争いを、東宝オールスターで描いた喜劇映画『或る夜の殿様』が戦後第1作となり、翌1947年(昭和22年)に島村抱月と松井須磨子の恋愛事件を描いた『女優』、オムニバス映画の『四つの恋の物語』第4話を監督後、東宝を退社してフリーとなる。同年、長谷川と山田五十鈴が設立した新演伎座の顧問となり、同座製作で『小判鮫』を製作するも、東宝争議もからんで不評となり、『甲賀屋敷』を大映との提携で製作してヒットしたことから、1950年(昭和25年)に長谷川と共に大映の専属となった。 『紅蝙蝠』『月の渡り鳥』『修羅城秘聞』『大佛開眼』などの娯楽時代劇を次々と発表した衣笠は、1953年(昭和28年)にイーストマン・カラーを日本映画で初めて使用し、華麗な色彩美で描いた歴史映画『地獄門』を監督。第7回カンヌ国際映画祭グランプリと第27回アカデミー賞名誉賞・衣裳デザイン賞、第20回ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞し、国際的にも高く評価された。 1956年(昭和31年)3月、大映の重役に推挙され、以後は重役監督として年間2、3本の作品を発表していく。『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』『月形半平太 花の巻・嵐の巻』といった大作時代劇を製作する一方、ミス日本から大映に入社した山本富士子を起用して、泉鏡花原作の『婦系図 湯島の白梅』『白鷺』『歌行燈』『みだれ髪』で彼女をスターに育て上げた。特に『白鷺』は第12回カンヌ国際映画祭で特別表彰を受け、その日本的情緒は世界的にも評価が高かった。山本に対して衣笠は、女形出身の経歴を生かしてシーンごとに自分で演じてみせるなど事細やかな指導を行った。 1966年(昭和41年)、大映とソ連のゴーリキー撮影所(ロシア語版)との合作になる『小さい逃亡者』でモスクワ国際映画祭児童映画部門金賞を受賞するが、これを最後に映画監督を引退する。引退後は『鯉名の銀平』『沓掛時次郎』など東宝歌舞伎の演出にあたった。 1982年(昭和57年)2月26日、脳血栓のため京都府京都市右京区の自宅で死去。86歳没。没後、遺品は東京国立近代美術館フィルムセンターに寄贈され、一部は展示室で公開されている。墓は等持院にある。 1958年:紫綬褒章 1967年:勲四等旭日小綬章 1977年:第1回山路ふみ子映画功労賞 1979年:第21回牧野省三賞 衣笠の監督作品全118本の内、戦後期の作品は殆どが現存するが、戦前期の作品で現存するのは11本(うち断片3本)のみである。 その11本の内、『忠臣蔵』『蛇姫様』『川中島合戦』『進め独立旗』は完全尺で現存し、『月形半平太』は14分尺、『弁天小僧』は11分尺、『大坂夏の陣』は8分尺の断片がそれぞれ存在する。『十字路』は、東京国立近代美術館フィルムセンターが4つのバージョン(16mmの65分尺、35mmの88分尺、16mmと35mmの87分尺)と、47分尺のサウンド版を所蔵している。『雪之丞変化』は、97分尺の総集篇が現存している。『天一坊と伊賀之亮』と『狂った一頁』は、1970年代に発見されたそれぞれのフィルムを衣笠自らが再編集したもののみが現存し、フィルムセンターが前者の44分尺、後者の59分尺(ニュー・サウンド版)のフィルムを所蔵している。また、泉治郎吉名義で脚本を執筆した『三味線武士』もほぼ完全な形で現存している。 妹の死(1920年、日活) 噫小西巡査(1922年、牧野教育映画製作所)※内田吐夢と共同監督 火華(1922年、牧野教育映画製作所) ある新聞記者の手記(1922年、牧野教育映画製作所) 不知火(1923年、牧野教育映画製作所) 二羽の小鳥(1923年、マキノ映画製作所) 彼の山越えて(1923年、マキノ映画製作所) 人生を視めて(1923年、マキノ映画製作所) 燕の歌(1923年、マキノ映画製作所) 金色夜叉 宮の巻・寛一の巻(1923年、マキノ映画製作所) 魔の池(1923年、マキノ映画製作所) 凋落の彼方へ(1923年、マキノ映画製作所) 妻の秘密(1924年、マキノ映画製作所) 彼女の運命 前後篇(1924年、マキノ映画製作所) 恋(1924年、マキノ映画製作所) 霧の雨(1924年、マキノ映画製作所) 寂しき村(1924年、マキノ映画製作所) 花咲爺(1924年、マキノ映画製作所) 鬼神 由利刑事(1924年、マキノ映画製作所) 狂恋の舞踏(1924年、マキノ映画製作所) 嵐の精霊(1924年、東亜キネマ) 恋とはなりぬ(1924年、東亜キネマ) 足(1924年、東亜キネマ) 盗(1924年、東亜キネマ) 関の夫婦松(1924年、東亜キネマ) 恋と武士(1925年、東亜キネマ) 月形半平太(1925年、連合映画芸術家協会) 日輪(1925年、連合映画芸術家協会) 天一坊と伊賀之亮(1925年、連合映画芸術家協会) 狂つた一頁(1926年、新感覚派映画聯盟) 照る日くもる日(1926年、衣笠映画聯盟) 麒麟児(1926年、衣笠映画聯盟) お嬢吉三(1927年、衣笠映画聯盟) 弁天小僧(1928年、衣笠映画聯盟) 海国記(1928年、衣笠映画聯盟) 十字路(1928年、衣笠映画聯盟) 黎明以前(1931年、松竹キネマ) 唐人お吉(1931年、松竹キネマ) 忠臣蔵(1932年、松竹キネマ) 天一坊と伊賀亮(1932年、松竹キネマ) 鼠小僧次郎吉 正篇(1932年、松竹キネマ) 二つ燈籠(1933年、松竹キネマ) 鯉名の銀平(1933年、松竹キネマ) 沓掛時次郎(1934年、松竹キネマ) 一本刀土俵入り(1934年、松竹キネマ) 雪之丞変化(1935年、松竹キネマ) 大坂夏の陣(1937年、松竹キネマ) 蛇姫様(1940年、東宝映画) 川中島合戦(1941年、東宝映画) 進め独立旗(1943年、東宝映画) 或る夜の殿様(1946年、東宝) 四つの恋の物語 第四話「恋のサーカス」(1947年、東宝) 女優(1947年、東宝) 小判鮫(1948年、新演伎座) 殺人者の顔(1950年、森田プロ) 紅蝙蝠(1950年、大映) 月の渡り鳥(1950年、大映) 大佛開眼(1952年、大映) 修羅城秘聞 双龍の巻 (1952年、大映) 續修羅城秘聞 飛雲の巻 (1952年、大映) 地獄門(1953年、大映) 花の長脇差(1954年、大映) 薔薇いくたびか(1955年、大映) 婦系図 湯島の白梅(1955年、大映) 新・平家物語 義仲をめぐる三人の女 (1956年、大映) 月形半平太 花の巻・嵐の巻(1956年、大映) 源氏物語 浮舟(1957年、大映) 鳴門秘帖(1957年、大映) 春高樓の花の宴(1958年、大映) 大阪の女 (1958年、大映) 白鷺(1958年、大映) 情炎(1959年、大映) かげろう絵図 (1959年、大映) 歌行燈(1960年、大映) みだれ髪(1961年、大映) お琴と佐助(1961年、大映) 妖僧(1963年、大映) 小さい逃亡者(1966年、大映‐ソ連合作) ※エドゥアルド・ボチャロフ(ロシア語版)と共同監督 刺青奇偶(1936年、片岡千恵蔵プロダクション) 三味線武士(1939年、日活) 浅間の鴉(1953年、大映) 丹下左膳 こけ猿の壺(1954年、大映) 黒船 The Barbarian and The Geisha(1958年、アメリカ映画、20世紀フォックス) ※台本監修 大菩薩峠(1960年、大映) 大菩薩峠 竜神の巻(1960年、大映) 大菩薩峠・完結編(1961年、大映) 雪之丞変化(1963年、大映) 春琴抄(1976年、東宝) 七色指環(1918年、日活) 女気質(1918年、日活) 犠牲(1918年、日活) 雪枝夫人(1918年、日活) 毒煙(1918年、日活) 二人娘(1918年、日活) 暁(1918年、日活) 捨てられた母(1918年、日活) 生ける屍(1918年、日活) - サーシャ 金色夜叉(1918年、日活) - お宮 桜の園(1918年、日活) 続金色夜叉(1918年、日活) 黒水晶(1918年、日活) 乳姉妹(1918年、日活) 兄と弟(1918年、日活) 父の涙(1918年、日活) 侠艶録(1918年、日活) 子煩悩(1918年、日活) 月魄(1918年、日活) 乃木将軍(1918年、日活) 恋の浮島(1918年、日活) 不如帰(1919年、日活) 己が罪(1919年、日活) 復活(1919年、日活) - フヨードシヤ 西廂記(1920年、日活) 散りゆく花(1920年、日活) 八幡屋の娘(1920年、日活) 尼港最後の日(1920年、日活) 妹の死(1920年、日活) 恋の緋鹿の子(1921年、日活) 碑文谷美談(1922年、日活) 噫小西巡査(1922年、牧野教育映画製作所) 火華(1922年、牧野教育映画製作所) 緑の牧場(1922年、日活) 鷲津村の娘(1922年、国際活映) 老僧の恋(1923年、国際活映) 若き妻の死(1923年、国際活映) 愛情の極み(1923年、国際活映) 不知火(1923年、牧野教育映画製作所) 露子の一念(1923年、日活) 盗まれた花嫁(1923年、マキノ映画製作所) ^ 静間小次郎(1868年 - 1938年)は、川上音二郎門下を経て1899年(明治32年)に一座を結成し、関西新派の草分け的存在となった人物である。人気が凋落した晩年は松竹京都撮影所人事課長を務めており、没後の告別式では衣笠が葬儀委員長を務めた ^ 衣笠貞之助の衣笠の名は、衣笠山の見える下宿にいたことから思いついたという ^ 『妹の死』は阪田重則の監督作となっているが、『日本映画監督全集』(『キネマ旬報』増刊号)「衣笠貞之助」の項によると、衣笠自身のコメントで、「1920年に日活向島撮影所にて自身の脚本作『妹の死』を初めて監督した。後日活向島のミスで阪田が監督と記された、阪田はこの映画には全く関与していない」と記されている。映画評論家の田中純一郎も本作を衣笠の第1回監督作と認知しており、実際的には衣笠の監督・脚本家デビュー作である ^ ペン部隊に派遣されたのは、衣笠、長谷川伸、土師清二、中村武羅夫、甲賀三郎、湊邦三、野村愛正、菊田一夫、北条秀司、清瀬英次郎、小石清、小山寛二、天野雉彦、関口次郎、中川栄三の15名である ^ 佐藤2007、p.202 ^ キネマ旬報1979、p.190 ^ 鈴木2001、p.34 ^ 初代社長 小亀衡一、亀山市歴史博物館、2015年3月20日閲覧 ^ れきし散歩「衣笠貞之助、いつも見ていた故郷」、2015年3月20日閲覧 ^ キネマ旬報1976、p.134 ^ 佐藤2007、p.201 ^ 衣笠1977、p.7-8 ^ 静間小次郎、20世紀日本人名事典、コトバンク、2015年3月20日閲覧 ^ 『近代歌舞伎年表京都篇』、国立劇場(編)、八木書店、p.282 ^ 衣笠1977、p.9 ^ 鈴木2001、p.32 ^ 鈴木2001、p.47 ^ 長谷川一夫『舞台・銀幕六十年』、日本経済新聞社、1973年 ^ 衣笠1977、p.4 ^ キネマ旬報1979、p.191 ^ キネマ旬報1976、p.134 ^ 衣笠1977、p.29 ^ キネマ旬報1976、p.135 ^ 衣笠1977、p.184 ^ 鈴木2001、p.62 ^ 『日本映画史大鑑 映画渡来から現代まで・86年間の記録』、文化出版局、1982年、p.82 ^ スターと監督 長谷川一夫と衣笠貞之助「月形半平太」、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年3月21日閲覧 ^ 衣笠1977、p.59 ^ 筈見恒夫『映画五十年史』、鱒書房、1947年、p.128 ^ 田中1980、p.70 ^ 『日本映画事業総覧 昭和5年版』、国際映画通信社、1930年、p.96 ^ 衣笠1977、p.185 ^ 『円谷英二の映像世界』、竹内博・山本真吾(編)、実業之日本社、2001年、p.74 ^ 今村1986、p.106 ^ 千田是也『劇白千田是也』、藤田富士男(監修)、オリジン出版センター、1995年、p.175 ^ 大島渚『日本映画を読む パイオニアたちの遺産』、ダゲレオ出版、1984年、p.221 ^ 岡田晋『日本映画の歴史』、三一書房、1957年、p.143 ^ 田中1980、p.175 ^ プロレタリア映画、世界大百科事典 第2版、コトバンク、2015年3月21日閲覧 ^ 『現代映画用語辞典』、キネマ旬報社、2012年5月28日、p.44 ^ 衣笠1977、p.186 ^ 桜本富雄『文化人たちの大東亜戦爭 PK部隊が行く』、青木書店、1993年、p.37 ^ 松竹下加茂撮影所、京都映像文化デジタル・アーカイヴ マキノ・プロジェクト、2015年3月21日閲覧 ^ 田中純一郎『永田雅一』、時事通信社、1962年、p.170 ^ 『女優が語る私の人生』、NHKラジオセンター、2012年 ^ 『演劇年鑑』、二松堂書店、1983年、p.197 ^ 鈴木晰也『ラッパと呼ばれた男 映画プロデューサー永田雅一』、キネマ旬報社、1990年、p.245 ^ 牧野省三賞、東映京都ナビ、2015年3月23日閲覧 ^ 衣笠貞之助、日本映画データベース、1015年3月21日閲覧 ^ 衣笠貞之助、東京国立近代美術館フィルムセンター 所蔵映画フィルム検索システム、2015年3月21日閲覧 ^ 主な所蔵リスト「劇映画=邦画篇」、マツダ映画社、2015年3月21日閲覧 ^ スターと監督 長谷川一夫と衣笠貞之助「天一坊と伊賀之亮」、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年3月21日閲覧 ^ 泉治郎吉、東京国立近代美術館フィルムセンター 所蔵映画フィルム検索システム、2015年3月21日閲覧 『日本映画監督全集』、キネマ旬報社、1976年。 衣笠貞之助『わが映画の青春 日本映画史の一側面』、中央公論社〈中公新書〉、1977年。 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年。 田中純一郎『日本映画発達史Ⅱ 無声からトーキーへ』、中央公論社(新版)、1980年。 今村昌平『講座日本映画2 無声映画の完成』、岩波書店、1986年。ISBN 4000102524。 鈴木晰也『人生仕方ばなし 衣笠貞之助とその時代』、ワイズ出版、2001年。ISBN 4898301193。 佐藤忠男『日本の映画人 日本映画の創造者たち』、日外アソシエーツ、2007年。ISBN 9784816920356。 衣笠貞之助 - 日本映画データベース 衣笠貞之助 - KINENOTE 衣笠貞之助 - IMDb(英語) 衣笠貞之助 - NHK人物録
表 話 編 歴 妹の死(1920年) 噫小西巡査(1922年) 二羽の小鳥(1923年) 金色夜叉 宮の巻(1923年) 金色夜叉 寛一の巻(1923年) 彼女の運命(1924年) 寂しき村(1924年) 恋と武士(1925年) 月形半平太(1925年) 弥陀ヶ原の殺陣(1925年) 日輪(1925年) 天一坊と伊賀之亮(1926年) 狂つた一頁(1926年) 照る日くもる日(1926年) 麒麟児(1926年) お嬢吉三(1927年) 鬼あざみ(1927年) 弁天小僧(1928年) 京洛秘帖(1928年) 海国記(1928年) 十字路(1928年) 黎明以前(1931年) 唐人お吉(1931年) 鼠小僧次郎吉(1932年) 生き残った新選組(1932年) 忠臣蔵(1932年) 天一坊と伊賀亮(1933年) 二つ燈籠(1933年) 鯉名の銀平(1933年) 沓掛時次郎(1933年) 冬木心中(1934年) 一本刀土俵入り(1934年) 殴られた河内山(1934年) 雪之丞変化(1935年) 大坂夏の陣(1937年) 人肌観音 第一篇(1937年) 黒田誠忠録(1938年) 蛇姫様(1940年) 川中島合戦(1941年) 進め独立旗(1943年) 間諜海の薔薇(1945年) 或る夜の殿様(1946年) 四つの恋の物語 第4話(1947年) 女優(1947年) 小判鮫 第一部 怒濤篇(1948年) 小判鮫 第二部 愛憎篇(1949年) 甲賀屋敷(1949年) 殺人者の顔(1950年) 紅蝙蝠(1950年) 月の渡り鳥(1950年) 名月走馬燈(1951年) 修羅城秘聞 双龍の巻(1951年) 續修羅城秘聞 飛雲の巻(1951年) 大佛開眼(1952年) 地獄門(1953年) 雪の夜の決闘(1954年) 花の長脇差(1954年) 鉄火奉行(1954年) 川のある下町の話(1955年) 薔薇はいくたびか(1955年) 婦系図 湯島の白梅(1955年) 新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956年) 火花(1956年) 月形半平太 花の巻・嵐の巻(1956年) 源氏物語 浮舟(1957年) 鳴門秘帖(1957年) 春高樓の花の宴(1958年) 大阪の女(1958年) 白鷺(1958年) 情炎(1959年) かげろう絵図(1959年) 歌行燈(1960年) みだれ髪(1961年) お琴と佐助(1961年) 嘘 第3話(1963年) 妖僧(1963年) 小さい逃亡者(1966年) 表 話 編 歴 『羅生門』(黒澤明監督作)(名誉賞・1952年) 『地獄門』(衣笠貞之助監督作)(名誉賞・1954年) 和田三造(衣装デザイン賞・1954年) 『宮本武蔵』(稲垣浩監督作)(名誉賞・1955年) ナンシー梅木(助演女優賞・1957年) 向井二郎・広瀬隆昌(両名ともキヤノン)(科学技術賞・1972年) 『デルス・ウザーラ』(黒澤明監督作)(外国語映画賞・1975年) 鈴川博(キヤノン)(科学技術賞・1976年) 関口喜一(シネファイ CINE-FI)(科学技術賞・1978年) 富士写真フイルム(科学技術賞・1981年) ワダ・エミ(衣装デザイン賞・1985年) 坂本龍一(作曲賞・1987年) 黒澤明(名誉賞・1989年) 富士写真フイルム(科学技術賞・1990年) 宮城島卓夫(科学技術賞・1990年) 石岡瑛子(衣装デザイン賞・1991年) ソニー(科学技術賞・1995年) 『パーソナルズ〜黄昏のロマンス〜』伊比恵子(アカデミー短編ドキュメンタリー映画賞・1998年) 宮城島卓夫(2つの科学技術賞を同時受賞・1998年) 宮城島卓夫(ジョン・A・ボナー メダル賞・1999年) 塚田眞人・金子昌司(両名ともIMAGICA)・IMAGICAの技術スタッフ・藤江大二郎(Nikon)(科学技術賞・2001年) 『千と千尋の神隠し』宮崎駿(長編アニメ賞・2002年) 宮城島卓夫(ゴードン・E・ソーヤー賞・2004年) 坂口亮(デジタル・ドメイン)(科学技術賞・2007年) 『おくりびと』(滝田洋二郎監督作)(外国語映画賞・2008年) 『つみきのいえ』加藤久仁生(短編アニメ賞・2008年) 富士フイルム(及び同社の次の3名)・三木正章・西村亮治・細谷陽一(科学技術賞・2009年) 富士フイルム(及び同社の次の3名)・大関勝久・平野浩司・白井英行(科学技術賞・2011年) 宮崎駿(名誉賞・2014年) 筒井一郎・武昌宏・田村光康・浅野慎(いずれもソニー)(科学技術賞・2014年) 中垣清介(科学技術賞・2015年) ソニー(2つの科学技術賞を同時受賞・2016年) 辻一弘(メイクアップ&ヘアスタイリング賞・2017年) カズ・ヒロ(メイクアップ&ヘアスタイリング賞・2019年) 三研マイクロホン(科学技術賞・2020年) 上野幸一・米光潤郎・作田淳治・中島賢人(いずれもEIZO)(科学技術賞・2020年) 『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督作)(国際長編映画賞・2021年) 中津嘉隆・長尾陽二・平尾剛・森住知典・髙鶴一真(いずれも日亜化学工業)(科学技術賞・2023年) 山崎貴・渋谷紀世子・高橋正紀・野島達司(視覚効果賞・2023年) 『君たちはどう生きるか』宮﨑駿・鈴木敏夫(長編アニメ賞・2023年) FAST ISNI VIAF WorldCat フランス
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2025/04/05 04:48更新
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