西井哲夫の情報(にしいてつお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
西井 哲夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
西井哲夫と関係のある人
松村憲章: 太田幸司(三沢高-近鉄)、西井哲夫(宮崎商-ヤクルト)とともに高校球界三羽ガラスとして鳴らした。 釘谷肇: 初安打:1978年7月13日、対横浜大洋ホエールズ16回戦(明治神宮野球場)、5回裏に西井哲夫の代打として出場、野村収から 島谷金二: 1978年のヤクルトとの日本シリーズでは24打数11安打6打点、第6戦では西井哲夫から本塁打を放ちシリーズ打撃賞を獲得。 江本孟紀: 九番は投手の西井哲夫なので、水谷と勝負するのか、敬遠して満塁にするのか、あるいは投手を交代するのか、ベンチからの指示を待つため阪神バッテリーと内野陣(藤田平、岡田彰布、掛布雅之、真弓明信)はマウンドに集合したが、中西太監督は何の指示も出さずにベンチ裏へと引っ込んでしまった。 中尾孝義: 初打点:1981年4月8日、対ヤクルトスワローズ2回戦(ナゴヤ球場)、2回裏に西井哲夫から 釘谷肇: 初出場:1977年10月2日、対大洋ホエールズ26回戦(川崎球場)、4回表に西井哲夫の代打として出場 柳原隆弘: 初安打:1978年9月14日、対読売ジャイアンツ25回戦(後楽園球場)、6回表に西井哲夫の代打として出場、新浦壽夫から単打 榊原良行: 初打点:1975年5月24日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、8回表に西井哲夫から 松尾輝義: 1968年秋季九州大会に進み、1回戦で宮崎商の西井哲夫と投げ合うが惜敗、春の選抜出場を逸する。 小川亨: 150本塁打:1983年5月10日、対ロッテオリオンズ2回戦(川崎球場)、9回表に西井哲夫からソロ 佐々木正行: 初本塁打:1984年6月7日、対ロッテオリオンズ11回戦(後楽園球場)、9回裏に西井哲夫からソロ 柳田豊: 宮崎商の西井哲夫と投げ合うが完封負け、南九州大会には進めなかった。 上川誠二: 初安打:1982年4月14日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、7回表に土屋正勝の代打として出場、西井哲夫から単打 寺田吉孝: 初本塁打:1979年8月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(明治神宮野球場)、6回裏に西井哲夫の代打として出場、堀内恒夫から逆転決勝3ラン 杉山重雄: 9月23日には広島との対戦で西井哲夫をリリーフし3回から登板、その後を無失点で抑え初勝利をあげる。 倉持明: 開幕後は9試合しか登板できず、1983年に西井哲夫との交換トレードでヤクルトスワローズ(かつて入団を固辞していたアトムズの後継球団)に移籍。 |
西井哲夫の情報まとめ
西井 哲夫(にしい てつお)さんの誕生日は1951年7月7日です。宮崎出身の野球選手のようです。
引退に関する情報もありますね。西井哲夫の現在の年齢は73歳のようです。
西井哲夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 西井 哲夫(にしい てつお、1951年7月7日 - )は、宮崎県延岡市出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手。右投右打。 宮崎商業高校ではエースとして活躍。1968年秋季九州大会に進出し4試合連続完封。決勝では岩崎清隆、今久留主邦明のバッテリーを擁する博多工を降し、翌1969年春の選抜への出場を決める。大会では1回戦で銚子商に完封負け。その後は春の九州大会で優勝、夏は県大会決勝で延岡商の柳田豊に投げ勝ち、南九州大会に進む。ここでも首里高を降し、夏の選手権に出場を果たす。しかし同じく1回戦で明星高に0-1で惜敗。 同年秋のプロ野球ドラフト会議でアトムズに2位指名され入団。 1970年は新人ながら一軍に上がり、8月29日には大洋の高卒新人間柴富裕と投げ合い、初先発初完封勝利を記録する。 1972年には9勝を記録。 1974年には11勝をあげ、松岡弘、浅野啓司に次ぐ先発投手として、チームのAクラス入りに貢献した。 1976年には調子を崩し低迷、9月に先発の座を降りる。 1977年は抑えとして起用。 1978年には中継ぎとしてリーグ優勝に貢献。同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでも3試合にリリーフとして登板、第4戦では勝利投手となり日本一に力を添えた。その後も抑えや中継ぎを中心に長く活躍する。 1982年オフに、倉持明との交換トレードでロッテオリオンズに移籍。 1984年には6勝8セーブをあげた。 1986年10月に戦力外通告を受ける。 1987年、中日ドラゴンズにテストで入団。しかしここでは1勝もできず、同年オフに現役を引退した。 いわゆる剛速球投手ではないが、右の本格派で制球力に優れ、速球、カーブ、シュート、スライダー等をバランス良く投げ分けて打者を抑えた。 引退後は会社員となり、定年退職後は地元で野球教室を開き、母校のOB会長も務めた。また野球技術についての書籍に監修者として名を連ねている。 各年度の太字はリーグ最高 初登板:1970年4月22日、対読売ジャイアンツ2回戦(後楽園球場)、7回裏から6番手で救援登板・完了、2回1失点 初先発登板・初勝利・初先発勝利・初完投・初完封:1970年8月29日、対大洋ホエールズ15回戦(明治神宮野球場) 初セーブ:1974年10月14日、対大洋ホエールズ24回戦(川崎球場)、8回裏から2番手で救援登板・完了、2回無失点 11 (1970年 - 1978年) 42 (1979年、1987年) 16 (1980年 - 1982年) 21 (1983年 - 1986年) 出版元は、いずれも舵社。 野球技術 投手・捕手・内野手・外野手 目で見てマスターしよう野球技術 ポジション別技術指導と練習方法(2006年5月) ISBN 978-4-8072-6526-8 野球技術 目で見てマスターしよう野球技術 打撃編(2006年7月) ISBN 978-4-8072-6528-2 野球技術 目で見てマスターしよう野球技術 フォーメーション編(2007年2月) ISBN 978-4-8072-6529-9 野球技術 目で見てマスターしよう野球技術 投手編(2007年6月) ISBN 978-4-8072-6530-5 野球用語辞典 イラストと写真でよく分かる 野球用語を正しく理解しよう(2008年2月) ISBN 978-4-8072-6531-2 野球技術 目で見てマスターしよう野球技術 練習方法&コーチング守備編(2008年4月) ISBN 978-4-8072-6532-9 野球技術 目で見てマスターしよう野球技術 練習方法&コーチング攻撃と走塁(2008年7月) ISBN 978-4-8072-6533-6 黄金期の野球 少年野球 守備編 一生のうちでいちばん野球が上手くなる(2009年3月) ISBN 978-4-8072-6534-3 黄金期の野球 少年野球 打撃&走塁編 一生のうちでいちばん野球が上手くなる(2009年6月) ISBN 978-4-8072-6535-0 野球技術 目で見てマスターしよう 実戦攻撃編(2009年10月) ISBN 978-4-8072-6536-7 ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年 ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年 ^ 当時のドラゴンズは、落合博満を獲得すべく牛島和彦・平沼定晴・桑田茂と3人もの投手をオリオンズに放出したことで投手不足にあえいでおり、他球団を自由契約となった選手を相次いで入団させていた。西井の他にも、南海ホークスから森口益光、阪急ブレーブスから小嶋正宣をそれぞれ入団させている。また、西武ライオンズからはトレードで村井一男・川本智徳と2人の投手を獲得している。 ^ [https://mainichi.jp/articles/20210129/k00/00m/050/378000c「甲子園を楽しめ」52年前の宮崎商エース・西井哲夫さん 第93回選抜高校野球 特集 第94回センバツ高校野球 毎日新聞] 宮崎県出身の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 ISNI VIAF 日本 韓国 表 話 編 歴 1位:八重樫幸雄 2位:西井哲夫 3位:長井繁夫 4位:佐々木辰夫(入団拒否) 5位:井原慎一朗 6位:外山義明 7位:大矢明彦 8位:内田順三 9位:生田啓一(入団拒否) 10位:松村憲章 11位:内田睦夫(入団拒否) 12位:山根政明(入団拒否) 13位:一の関秀則 14位:佐藤広美(入団拒否) 日本の野球選手 宮崎県立宮崎商業高等学校出身の野球選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 宮崎県出身のスポーツ選手 1951年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/22 02:13更新
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