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陽岱鋼の情報 (ようだいかん)
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【7月6日】今日誕生日の芸能人・有名人

陽岱鋼の情報(ようだいかん) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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陽 岱鋼さんについて調べます

■名前・氏名
陽 岱鋼
(読み:よう だいかん)
■職業
野球選手
■陽岱鋼の誕生日・生年月日
1987年1月17日 (年齢37歳)
卯年(うさぎ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和62年)1987年生まれの人の年齢早見表

陽岱鋼と同じ1987年生まれの有名人・芸能人

陽岱鋼と同じ1月17日生まれの有名人・芸能人

陽岱鋼と同じ出身地の人


陽岱鋼と関係のある人

伊藤義弘: このような強気の姿勢も持ち味だったが、2011年の対日本ハム戦で陽岱鋼の折れたバットが左膝の内側に突き刺さるアクシデントに見舞われてからは、左膝をかばうあまり投球フォームや身体のバランスを崩した。


稲葉篤紀: また、この年は髙橋信二の頭部死球による離脱や陽岱鋼の台頭によって外野手としての出場は減り、一塁手としては34試合に出場した。


西川遥輝: 前年に続いて「1番・左翼手」として公式戦の開幕を迎えたが、シーズン途中からは読売ジャイアンツへFA移籍した陽岱鋼の後任として中堅手で起用された。


岡大海: 2017年は、陽岱鋼の移籍に伴いレギュラー獲得の期待が高まるも、前年から一転して打撃不振に陥る。


淺間大基: 一軍のレギュラー中堅手だった陽岱鋼が左手の骨折によって戦線を離れたことから、5月5日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)で、「2番・中堅手」としてスタメンで一軍公式戦へのデビューを果たした。


中田翔: 外野手としては、チームメイトだった小谷野栄一から「150km/hくらい出ている」と評され、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩に加え、正確な送球を持ち味とし、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の補殺を記録、糸井嘉男、陽岱鋼と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった。


吉村裕基: 日本ハムと対戦したクライマックスシリーズファイナルステージでは、全6試合でスタメン出場し、10月15日第1戦では3回に先頭で浦野博司からライトにヒットを放ち、柳田悠岐の先制二塁打で生還すると9回1点ビハインド一死二・三塁の場面では増井浩俊の落ち切れなかったフォークボールを仕留め、前進していたセンター陽岱鋼の頭上を越える逆転サヨナラ二塁打を放った。


亀井義行: 2018年は開幕二軍スタートだったものの、陽岱鋼の故障離脱で一軍に昇格すると、長野ら他の外野手の不振などもありスタメン出場が増えた。


中井大介: 2013年に陽岱鋼を参考に打撃フォームを改造したことで一軍で結果を残せるようになった。


糸井嘉男: 2012年、相手チームにライトへヒットを打たれた時に、一塁走者の三塁進塁を抑止するため、首脳陣が当時右翼手を務めていた陽岱鋼と糸井を比較し「センターの守備力は変わらない。


立岡宗一郎: 2017年は、FA加入した陽岱鋼が故障で出遅れたこともあり、開幕から中堅手で先発出場を続けたが、打率は前年同様2割前半と結果を残せず、陽の復帰後はシーズン終了までほとんど二軍暮らしに終わった。


清水雅治: 当時一軍監督で、浜田高校の先輩だった梨田昌孝から招聘を受けて就任し、投手から外野手に転向したばかりの糸井嘉男や、内野手から外野手に転向したばかりの陽岱鋼・中田翔の守備力を高め、球界を代表する外野手にまで育て上げた。


水原一平: また、陽岱鋼(当時日本ハム所属)とは特に仲が良く、たびたびキャッチボール相手を頼まれた。


陰岱鋼: 木村拓哉の声真似や、プロ野球選手の陽岱鋼の形態模写を持ちネタとし、陽からは公認の扱いを受けている。


入野貴大: 初奪三振:同上、2回裏に陽岱鋼から見逃し三振


五十嵐亮太: 4月7日の対北海道日本ハムファイターズ戦は8回2点リードで登板し、先頭陽岱鋼のショートゴロを今宮健太が悪送球し、出塁を許し、一死一・二塁で迎えた中田翔に左中間への逆転3点本塁打を打たれ、帰国後初のホールド機会は救援失敗、敗戦投手となった。


大田泰示: 陽岱鋼の抜けた外野の補強ポイントとして活躍が期待された。


井川慶: しかし3月29日の対日本ハム戦で、陽岱鋼に先頭打者本塁打を浴びるなど初回から打ち込まれ、自己最短となる2/3回で降板した。


岡大海: 以降も序盤にケガで離脱した陽岱鋼に代わって、外野手としての出場機会を増やし、規定打席不足ながらも101試合に出場し、リーグ4位となる18盗塁を記録している。


島内颯太郎: 初奪三振:同上、9回表に陽岱鋼から空振り三振


脇谷亮太: 2017年、FAで加入した陽岱鋼に背番号「2」を譲り、2016年シーズンまで鈴木尚広が背負っていた「12」に変更となった。


西川遥輝: 2014年は開幕からしばらくは二塁手、主に2番打者を務めたが、3番打者がなかなか定着しないチーム事情により、交流戦頃からはそれまで1番打者だった陽岱鋼が3番に、空いた1番に西川が起用されることが多くなった。最多盗塁を獲得したのは前年の陽岱鋼に続いて球団史上2人目で、日本人選手としては球団史上初の記録となった。


伊藤義弘: 9月1日の対北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリンフィールド)では、7回表1死から陽岱鋼のバットを折りながらショートフライ(遊飛)で凡退させた際に、打球のコースを確認すべく中堅手の方向へ身体を向けていた。


稲尾和久: ちなみに、この試合ではシーズン初の三重殺が記録されたが、守備に就いていたライオンズナインと三重殺に倒れた打者である陽岱鋼の全員が背番号24を着用していたことが話題となった。


島田誠: しかし、盗塁数に関しては十分タイトルを狙える数をこなしていたが同時期に福本、大石大二郎、西村徳文などのハイレベルな他チームのライバルの高い壁に阻まれ、最多盗塁のタイトル獲得はならず、日本ハムの盗塁タイトルは前身の球団を含めても1946年創設から2013年の陽岱鋼が獲得するまで現れなかった(日本人選手では翌年の2014年に西川遥輝が獲得)。


橋本到: 2017年は、陽岱鋼や石川慎吾の加入もあり出場機会が激減し、打率は.267、6打点。


古谷拓哉: 先発に起用された4試合ですべて黒星を喫し、8月25日の対日本ハム戦(QVCマリン)3回表に陽岱鋼の打球が左手親指の付け根を直撃。


攝津正: CSでもファイナルステージ第3戦に先発したが、陽岱鋼の2打席連続を含む3本塁打を打たれるなど2回7失点。


水上善雄: 2年間、中田翔や陽岱鋼らの若手選手育成に努めた。


ディッキー=ゴンザレス: 日本シリーズでは、第一戦に9回に登板、陽岱鋼に本塁打を打たれて1回1失点。


陽岱鋼の情報まとめ

もしもしロボ

陽 岱鋼(よう だいかん)さんの誕生日は1987年1月17日です。

もしもしロボ

選手としての特徴、人物などについてまとめました。結婚、兄弟、家族に関する情報もありますね。今年の情報もありました。陽岱鋼の現在の年齢は37歳のようです。

陽岱鋼のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

陽 岱鋼(ヤン・ダイガン、よう だいかん、1987年1月17日 - )は、台湾台東県台東市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。

小中学校時代は遊撃手としてナショナルチームに所属し、野球留学のために福岡第一高等学校へ入学。高校時代通算39本塁打を記録した。

2005年10月3日の高校生ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスの1巡目で競合し、抽選の結果日本ハムが交渉権を得たが、同会議では一旦は「交渉権獲得球団は福岡ソフトバンク」と発表されてしまい混乱が起こった。兄の陽耀勲と同じソフトバンク入りを熱望していたが、日本ハム側の熱烈な交渉と、本人が初めて北海道を訪れてみるなどの経緯もあって、最終的に日本ハム入りを決意。台湾人史上最高位の指名(ドラフト1巡目)を受け、台湾では話題となった。入団当初の背番号は24。

2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された。シーズンでは9月27日、前の試合で正遊撃手の金子誠が故障したため初の一軍昇格。シーズン1位確定を賭けた2連戦とあって出番はなく、2006年は一軍出場0試合に終わったが、二軍では新人ながら積極的に起用され、91試合出場、打率.274、チーム最多の9本塁打、5盗塁を記録した。8月にはイースタン・リーグ月間MVPを受賞している。しかし守備面ではリーグ最多となる30失策を犯してしまい、不安が見られた。オフの11月に開催された第16回IBAFインターコンチネンタルカップのチャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では全試合に出場し、打率.267、2本塁打と大活躍し銅メダルに貢献した。11月から12月にかけて開催されたドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表にも選出された。同大会では優勝を果たした。

2007年は春季キャンプは故障で出遅れるも、シーズン序盤から一軍の打線が揮わなかったため、4月19日に首脳陣から「起爆剤に」と期待され一軍昇格。55試合に出場し打率は.239に終わったが、遊撃手(26試合)、三塁手(21試合)、代打などで起用され、一軍経験を積んだ。二軍では打率.305の好成績を残した。

2008年は二軍で打率.342、8本塁打、7盗塁と更に打率を上げ、最高出塁率・最高長打率のタイトルを獲得。同僚の市川卓と激しい首位打者争いを繰り広げイースタン・リーグ2位の打率を残した。また、シーズン終了後の12月24日には、台湾でモデルやタレントとして活動していた謝宛容と結婚している。

2009年6月頃、強肩を活かしたい首脳陣の意向により外野手にコンバートされた(登録は内野手のまま)。一軍昇格後、8月21日のソフトバンク戦で打順・守備ともにプロ初となる1番・左翼手で先発出場するも力を発揮しきれず、程なくして二軍落ち。12月に「仲壽」から「岱鋼」に改名したことが球団から発表された。

2010年は開幕当初こそ外野の守備固めでの出場が多かったが、一塁手の髙橋信二の故障離脱に伴い右翼手の稲葉篤紀が一塁手を務めることが増えたため後半戦からは右翼手のレギュラーに定着し、過去最高の109試合に出場した。

2011年は初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。シーズン中は、フリーエージェント権を行使して退団した森本稀哲に替わる2番打者を主に務め、6月下旬に田中賢介が骨折した後は1番打者としても出場した。プロ入り初めて規定打席に到達したものの、持ち前の積極性でリーグ最多三振(中村剛也と同数)を喫し、2012年シーズンの課題となった。守備位置は持ち前の俊足と強肩を生かした外野手(ほとんどが右翼手)での出場だった。

2012年は中堅手で前年まで3年連続でゴールデングラブ賞を受賞していた糸井嘉男との間で、「センターの守備力は変わらない。ならば(糸井)嘉男の強肩を生かす布陣の方が良い」との首脳陣の意向で中堅手にコンバートされる。すると、この変更が吉と出て陽の広い守備範囲が生かされ、この年自身初のゴールデングラブ賞に、糸井を凌ぎパ・リーグ外野手部門1位(外野手は毎年3人が選出される)で受賞。また打順は前半から中盤は6番としての出場がメインとなり、前年に続いて田中賢介が怪我で離脱した翌8月30日以降はポストシーズンまで主に1番で起用された。さらにオールスターゲームにもファン投票により初選出され、第1戦(7月20日)に1番・中堅手として先発出場。1回裏に史上2人目となる初打席先頭打者本塁打を打った(後述)。さらに第3戦(7月23日)でも1番・中堅手として先発出場し、先制本塁打を含む3安打4打点の活躍で全パの勝利に貢献してMVPに輝いた。8月8日に帯広で行われたソフトバンク戦7回裏に実兄の陽耀勲と一軍公式戦で初対戦(結果は初球を中前安打)。この兄弟対戦は、兄が先発登板したこの年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第1戦でも実現する。シーズン成績は、リーグ唯一となる全試合フルイニング出場を果たし、全て自己最高の打率.287(リーグ7位)、7本塁打、55打点の成績を残す。シーズン終了後には、年俸9200万円で契約を更改し、背番号は1に変更された。

2013年1月14日に第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会ではチャイニーズタイペイ代表の背番号1を背負い、自国開催で盛り上がる台湾で3月3日のオランダ戦では6回に2点本塁打を打つなど、1次ラウンドB組MVPを受賞する働きで2次ラウンド進出に貢献した。

シーズンでは6月12日の阪神戦でフルイニング出場は途絶えたものの、2年連続で全試合出場、更に全試合スタメン出場も達成した。8月22日に中田翔が戦線離脱してからは3番打者として起用され、9月18日の対西武戦ではプロ初の4番打者としても出場した。その他の試合では主に1番打者を務め、本塁打は前年のほぼ倍となる18本・67打点・47盗塁はいずれも自己最多で、93得点で自身初となるリーグ最多得点を記録。47盗塁を記録した盗塁は、自身そして球団史上初となる盗塁王獲得だった。台湾出身選手の打撃タイトル獲得は1994年の大豊泰昭(本塁打・打点)以来19年ぶり。課題とされた三振の多さは変わらなかったが、前年の倍以上となる78四死球を選び出塁率は前年の.337から.367と大幅に改善させた。年俸は倍以上となる2年総額4億円で更改した。

オフの11月に台湾で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」のチャイニーズタイペイ代表に選出された。

2014年は開幕から主に1番を打ったが、6月9日の中日ドラゴンズ戦で本塁突入時に左膝を裂傷し登録を抹消され2011年6月15日から続いていた連続試合出場は442試合でストップした。右肩痛や前述の脚の故障がありながら、7月9日に復帰。復帰後は3番に定着し68試合で打率.310・54打点を挙げるなど打撃は好調を維持。打率.293(リーグ8位)、25本塁打(リーグ5位)、85打点(リーグ4位)という成績を残し、得点圏打率.379はリーグトップであった。またゴールデングラブ賞は史上1位タイとなる3年連続外野手部門1位の得票での受賞を果たした。

2015年は開幕を3番で迎えたが、4月12日に右太ももの張りを訴えて出場選手登録を外れた。5月4日の楽天戦で一塁にヘッドスライディングした際に左手を突いて負傷し「左手舟状骨(しゅうじょうこつ)剥離骨折」と診断され1か月半離脱した。故障が響き、86試合出場、打率.259、7本塁打、36打点、14盗塁と低迷した。オフの9月30日に第1回WBSCプレミア12のチャイニーズタイペイ代表に選出された。

2016年は前年の故障から復調すると、シーズンを通して一軍に帯同。前半戦では、1番打者・3番打者としてスタメンに定着するとともに、打率3割を記録した。右肋骨の亀裂骨折が判明した8月中旬以降は、下位打線に回り、スタメンを外れ途中出場する試合が続くようになる。打撃の調子も徐々に下降線をたどるようになったが、中堅の守備では、骨折箇所の痛みに耐えながら要所で好プレーを披露した。9月21日には、ソフトバンクとの首位攻防戦(福岡ヤフオクドーム)7回表に代打へ起用されると、7回裏から中堅手として引き続き出場。1点リードで迎えた9回裏二死二・三塁で江川智晃が打った大飛球をフェンス際で好捕するなど、2度にわたるビッグプレーでサヨナラ負けのピンチを救うとともに、チームを4年ぶりのリーグ優勝を大きく手繰り寄せた。レギュラーシーズンの一軍公式戦全体では、大台の3割には届かなかったものの自己最高に並びリーグ8位の打率.293を記録。本塁打も2年ぶりの2桁本塁打となる14本を記録。一方で盗塁はレギュラー定着後最少の5個に終わった。中堅の守備では、2年ぶり4度目のゴールデングラブ賞を獲得する一方で、UZRが-10.0にとどまるなど守備力に評価が分かれた。ポストシーズンでは、ソフトバンクとのクライマックスシリーズ ファイナルステージから不振。ステージ突破を経て臨んだ広島東洋カープとの日本シリーズでは、10月26日の第3戦(札幌ドーム)以降スタメンを外れて、代打・守備要員に回った。この年のシーズン中に国内フリーエージェント(FA)権を取得し、日本ハム球団では、水面下で陽との残留交渉を進めたが、年俸や若手選手主体のチーム構想などをめぐって陽と折り合いが付かなかった。陽自身は、日本シリーズ終了後の11月7日に国内FA権の行使を表明。この表明によって、日本ハムからの退団が事実上決まった。11月10日付で、NPBから国内FA宣言選手として公示。オリックス、楽天、読売ジャイアンツ(巨人)の3球団が獲得に乗り出した。

2016年12月14日に読売ジャイアンツへの入団で合意に達したことを正式に発表した。背番号は2(巨人では背番号1は王貞治の永久欠番)。契約期間は5年で、期間中の年俸総額は推定15億円。12月19日に開かれた入団記者会見には、日本国内の報道陣に加えて、陽の故郷である台湾のメディア7社から12名の報道関係者が出席した。そのため、台湾語を話せる通訳が会見に同席したほか、会見の生中継動画が球団公式のFacebook公式アカウントなどを通じて世界中に配信された。10年間で打率3割を超えたことのない陽に対してこの巨額の年俸総額は、台湾でのビジネス(台湾マネー)の収益性を加味したものと週刊ポスト2017年1月13・20日号で報じられている。

2017年の第4回WBCのチャイニーズタイペイ代表には移籍1年目でシーズンに集中したいという理由で辞退した。レギュラーシーズンでは下半身のコンディション不良で開幕一軍に間に合わなかった。6月6日の西武戦から一軍昇格し、8月は1番打者として好調で打線を引っ張る働きを見せたが、9月になると不振に陥り打率を下げていき、結果としてこのシーズンは87試合出場、打率.264、本塁打も9本にとどまった。オフの10月11日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップのチャイニーズタイペイ代表に選出された。

2018年は開幕から1番中堅手として出場していたが、4月3日の中日戦(ナゴヤドーム)の1打席目に左手に死球を受け、左手甲の骨折と診断された。この怪我により2か月以上を棒に振り、復帰したあともレギュラー定着とはいかず、87試合出場で打率.245、10本塁打、37打点と前年同様不振に終わった。それでも原辰徳からの信頼は厚く、原の監督就任会見では長野久義、坂本勇人とともに「中心、模範になってほしい」と名前を挙げられた。陽本人は「今年はこんな数字で終わってしまった。頑張るしかないです」と振り返った。9月17日の中日戦(東京ドーム)では通算100号本塁打を打ち、「自分はホームランバッターじゃないので、100本塁打は褒めてあげたい」とコメントした。

2019年は丸佳浩の加入や亀井善行の好調ぶりもあり、スタメン出場は左投手の時に限られ、丸加入の影響での慣れ親しんだ中堅手ではなく右翼手で出場する機会も増えた。代打の切り札である阿部慎之助と共に右の代打として、代打打率.394を記録した。7月に腰の張りで一時登録を外れた以外は一軍に帯同したため移籍3年目で出場試合は初めて100を超えたが、本塁打・打点は移籍後最少にとどまった。第2回WBSCプレミア12には選出されなかった。

2020年は自身初めて一塁手に挑戦するなど、起用の幅を拡げてレギュラー奪還を目指したが、不振で約3か月間の二軍調整を余儀なくされるなど出場機会は限られ、38試合出場、77打席はいずれも一軍デビュー以降2番目に少ない数字となった。

2021年は7試合の出場で打率.143、0本塁打、0打点に留まった。二軍でも56試合出場で打率.238、6本塁打、22打点にとどまった。11月25日、自由契約となった。当初陽は翌年以降も巨人に残留してプレーすることに意欲を示していたうえに球団も翌年の契約を結ぶ方針を示していたが、陽は考えた末に退団することを決断した。

2022年2月23日に独立リーグであるアメリカン・アソシエーションのレイクカントリー・ドックハウンズ(英語版)に加入した。シーズン79試合に出場して、打率.260、9本塁打、35打点という成績を残した。シーズン終了後はオーストラリアのウィンターリーグであるオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)のブリスベン・バンディッツでプレーした。

2023年3月7日にアトランティックリーグのハイポイント・ロッカーズ(英語版)に入団することが発表された。開幕から調子が上がらず、打率は.174まで落ち込んだ。5月27日に負傷者リスト入りしていたが、6月16日に復帰。復帰以降は打撃好調で、最終的に97試合の出場で打率.271、10本塁打、58打点、OPS.793を記録

2024年2月4日、同年からイースタン・リーグに参加するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団することを発表した。背番号は1。

選手としての特徴

打撃

日本ハム時代の2013年は中堅方向への本塁打が多かったが、陽自身は逆方向を意識している旨を述べている。

三振が多く、2011年のレギュラー定着以後、規定打席に到達したシーズンは、三振が全て100を超え、BB/Kのキャリアハイは2013年の「0.49」となっている(2018年シーズン終了時点)。また、日本ハム時代は「規定打席に到達した上での打率3割」に到達した経験がなかったため、巨人移籍直後の自主トレ(2017年1月)の際には、自身の課題として「3割を打たないといけない。打ったことがないので、打者として早く壁をクリアしたい」という趣旨のコメントを残している。

守備

日本ハム時代の2013年に400イニング以上出場した中堅手としてリーグトップのUZR13.3を記録。

日本ハムで一軍のレギュラー外野手に定着した時期には、一軍監督の栗山英樹から、守備力に全幅の信頼と期待を寄せられていた。栗山によれば、「岱鋼の守備力はセンターとしては、今、日本で一番でしょう。守備範囲が広いことに加え、打球への飛び出しが素晴らしく速い。(糸井)嘉男も速いけど、岱鋼の方が、もう半歩、反応が速いような気がします」という。

遠投110メートル、50メートル走5秒9。

人物

人物像

ヒーローインタビューなどにてファンへ向けて発する「サンキューで〜す!」を決め台詞としている(お笑いタレント・藤森慎吾風の口調で)。

松井稼頭央とは年に1度は食事する仲。日本ハム時代の2015年1月には、ロサンゼルスで合同自主トレーニングに臨んだ。

日本ハム時代の2011年に打席への登場曲に起用し始めたリンキン・パーク『Numb』は、日本ハムで自身の前に背番号1を付けていたSHINJO(新庄剛志)の在籍時の登場曲でもある。日本ハム時代の2012年6月16・17日に行われた「選手プロデュースデー」の試合では、両日限定で各選手それぞれ公募によって選ばれた登場曲が流され、陽の曲として新庄が日本ハム時代の3年間起用して定番だったドクター・ドレー『The Next Episode』がファンにより選出される。また同曲を2016年のクライマックスシリーズでは正式な登場曲として起用している。

理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボレーションして、毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中よりファン投票で選出している企画「ファイターズスタイル」の2007年度・初代モデルに選ばれた。

母国、台湾での人気は非常に高く、「国民的ヒーロー」とされる。関心・注目度が高く、日本の報道はほぼ全て中国語に翻訳され、伝えられている。また、日本ハム時代の同僚である大谷翔平が2021年シーズンのMLBで台湾出身の張育成と一塁上で「陽岱鋼は知っていますか?」と笑顔で談笑していたことが報じられている。

登録名の読み方・家族

「陽」という姓の読み方は台湾では「ヤン (YANG) 」であるが、登録名では日本風の読みの「よう (YOH) 」でプロ入り前に既に呼ばれ慣れていることを理由に、姓のみが日本風の「よう ちょんそ(陽 仲壽、本来は『ヤン・チョンソ』)」、改名後は姓名共に日本風の「よう だいかん(陽 岱鋼、本来は『ヤン・ダイガン』)」としている。

長兄の陽耀勳、次兄の陽品華(改名前は「陽耀華」〈読み方:よう ようか〉、元長崎セインツ・愛媛マンダリンパイレーツ内野手)、叔父の陽介仁(中国語版)、従弟の張奕もプロ野球入りしており、介仁を除く3人には日本の球団への在籍経験がある。日本球界では、耀勳が台湾風、耀華(改名前に在籍)と張奕が日本風の読み方で、本名を登録名に使用。耀勳がソフトバンクに在籍していた時期には、パ・リーグの一軍公式戦や2012年のクライマックスシリーズで、岱鋼と対戦したこともある。さらに、バスケットボール女子チャイニーズタイペイ代表選手の陽詩慧は実妹に当たる。なお、いとこ以上の遠戚には台湾球界でプロ入りした陽森や陽建福などもいる。

2017年シーズンオフに兄の陽耀勲と金銭問題のトラブルを起こし、絶縁したと報道された。

2024/07/05 02:58更新

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川幡 由佳(かわはた ゆうか)
1976年1月17日生まれの有名人 千葉出身

川幡 由佳(かわはた ゆうか、1976年1月17日 - )は、日本の女優、タレント。本名、安東 由佳(あんどう ゆうか)。 1976年1月17日、千葉県船橋市に生まれる。実家は地元では名の知られた…

伊藤芽衣(いとう めい)
1982年1月17日生まれの有名人 東京出身

伊藤芽衣(いとう めい、Ito Mei、1982年1月17日 - )は、東京都出身の女性タレント、元グラビアアイドル。 リポーターの仕事や地域活動の公務などで活躍後、独特な声と個性豊かな世界観を生…

石原 百恵(いしはら ももえ)
1994年1月17日生まれの有名人 出身

石原 百恵(いしはら ももえ、Momoe Ishihara、1994年1月17日 - )は、日本の女性モデル・タレント。キャスティングドットジェイピー(casting.jp)所属。 2013年のSU…


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陽岱鋼と近い名前の人

榎下 陽大(えのした ようだい)
1988年7月21日生まれの有名人 鹿児島出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 伊敷台小…

島田 陽子_(詩人)(しまだ ようこ)
1929年6月7日生まれの有名人 東京出身

島田 陽子(しまだ ようこ、1929年〈昭和4年〉6月7日 - 2011年〈平成23年〉4月18日)は、日本の詩人、作詞家。 東京府出身であるが、11歳から大阪府に在住した。豊中高等女学校(現大阪…

小森 陽一_(作家)(こもり よういち)
1967年5月4日生まれの有名人 佐賀出身

小森 陽一(こもり よういち、1967年5月4日 - )は、日本の男性小説家、漫画原作者、脚本家。 佐賀県伊万里市出身で現在は福岡市在住。A型。 佐賀県立伊万里高等学校(松尾剛と同期)を経て大阪…

小森 陽一_(国文学者)(こもり よういち)
1953年5月14日生まれの有名人 東京出身

小森 陽一(こもり よういち、1953年(昭和28年)5月14日 - )は、日本の日本文学研究者(近代日本文学・構造主義記号論)。東京大学名誉教授。和光学園理事長。全国「九条の会」事務局長。 東京…

前田 陽一_(映画監督)(まえだ よういち)
1934年12月14日生まれの有名人 兵庫出身

前田 陽一(まえだ よういち、1934年12月14日 - 1998年5月3日)は、日本の映画監督。兵庫県龍野市出身。 兵庫県立龍野高等学校、早稲田大学文学部卒業後、1958年4月に松竹大船撮影所に…

鮎川 太陽(あゆかわ たいよう)
【Ya-Ya-yah】
1991年1月18日生まれの有名人 東京出身

鮎川 太陽(あゆかわ たいよう、1991年1月18日 - )は、日本の俳優、声優。ジャニーズJr.内ユニット「Ya-Ya-yah」の元メンバー。東京都出身。株式会社S所属。 母親の意向で幼少時から…

柏木 陽介(かしわぎ ようすけ)
1987年12月15日生まれの有名人 兵庫出身

柏木 陽介(かしわぎ ようすけ、1987年12月15日 - )は、兵庫県神戸市須磨区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(攻撃的ミッドフィールダー、セントラル・ミッドフィ…

豊田 陽平(とよだ ようへい)
1985年4月11日生まれの有名人 石川出身

豊田 陽平(とよだ ようへい、1985年4月11日 - )は、石川県小松市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ツエーゲン金沢所属。ポジションはフォワード(CF)。元日本代表。 Kリーグ時代の登録名は豊…

野際 陽子(のぎわ ようこ)
1936年1月24日生まれの有名人 富山出身

野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24日 - 2017年〈平成29年〉6月13日)は、日本の女優・アナウンサー・司会者・歌手・ナレーター・声優。身長163cm、血液型はA型。特技…

奈良 陽(なら よう)
1942年1月2日生まれの有名人 東京出身

奈良 陽(なら よう、1942年(昭和17年)1月2日 ‐ 2007年(平成19年)8月8日)は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト。TBSで一貫して報道アナウンサーを担い、プロデューサーも務めた。 …

生野 陽子(しょうの ようこ)
1984年5月17日生まれの有名人 福岡出身

生野 陽子(しょうの ようこ、1984年5月17日 - )は、フジテレビのアナウンサー。 父親は公務員で転校が多く、九州地方で幼稚園2園、小学校5校、中学校2校で学び、1学期在籍して転校もあった。…

小澤 陽子(おざわ ようこ)
1991年7月29日生まれの有名人 神奈川出身

小澤 陽子(おざわ ようこ、1991年7月29日 - )は、フジテレビのアナウンサー。 横浜市立東高等学校、慶應義塾大学環境情報学部卒業。 中学・高校時代は吹奏楽部に所属。担当楽器はクラリネット…

竹下 陽平(たけした ようへい)
1973年5月11日生まれの有名人 東京出身

竹下 陽平(たけした ようへい、1973年(昭和48年)5月11日 - )は、フジテレビのアナウンサー。 東京都出身。法政大学第一高等学校(現:法政大学高等学校)、法政大学経営学部卒業後、1996…

南野 陽子(みなみの ようこ)
1967年6月23日生まれの有名人 兵庫出身

南野 陽子(みなみの ようこ、1967年〈昭和42年〉6月23日 - )は、日本の女優・タレント、歌手。愛称はナンノ。兵庫県伊丹市出身。1999年から2022年末までケイダッシュ所属。現在の所属は個人…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「陽岱鋼」を素材として二次利用しています。

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