陽岱鋼の情報(ようだいかん) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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田中賢介: 4月途中から陽岱鋼が怪我で離脱してからは3番に座る。 亀井義行: 2018年は開幕二軍スタートだったものの、陽岱鋼の故障離脱で一軍に昇格すると、長野ら他の外野手の不振などもありスタメン出場が増えた。 吉村裕基: 日本ハムと対戦したクライマックスシリーズファイナルステージでは、全6試合でスタメン出場し、10月15日第1戦では3回に先頭で浦野博司からライトにヒットを放ち、柳田悠岐の先制二塁打で生還すると9回1点ビハインド一死二・三塁の場面では増井浩俊の落ち切れなかったフォークボールを仕留め、前進していたセンター陽岱鋼の頭上を越える逆転サヨナラ二塁打を放った。 西川遥輝: 2014年は開幕からしばらくは二塁手、主に2番打者を務めたが、3番打者がなかなか定着しないチーム事情により、交流戦頃からはそれまで1番打者だった陽岱鋼が3番に、空いた1番に西川が起用されることが多くなった。最多盗塁を獲得したのは前年の陽岱鋼に続いて球団史上2人目で、日本人選手としては球団史上初の記録となった。 入野貴大: 初奪三振:同上、2回裏に陽岱鋼から見逃し三振 攝津正: CSでもファイナルステージ第3戦に先発したが、陽岱鋼の2打席連続を含む3本塁打を打たれるなど2回7失点。 脇谷亮太: 2017年、FAで加入した陽岱鋼に背番号「2」を譲り、2016年シーズンまで鈴木尚広が背負っていた「12」に変更となった。 大田泰示: 陽岱鋼の抜けた外野の補強ポイントとして活躍が期待された。 姫野優也: 日本ハム入団時には「陽岱鋼選手のように打って、走って、守れる選手になりたい」と語っていた。 西川遥輝: 前年に続いて「1番・左翼手」として公式戦の開幕を迎えたが、シーズン途中からは読売ジャイアンツへFA移籍した陽岱鋼の後任として中堅手で起用された。 伊藤義弘: このような強気の姿勢も持ち味だったが、2011年の対日本ハム戦で陽岱鋼の折れたバットが左膝の内側に突き刺さるアクシデントに見舞われてからは、左膝をかばうあまり投球フォームや身体のバランスを崩した。 稲尾和久: ちなみに、この試合ではシーズン初の三重殺が記録されたが、守備に就いていたライオンズナインと三重殺に倒れた打者である陽岱鋼の全員が背番号24を着用していたことが話題となった。 水上善雄: 2年間、中田翔や陽岱鋼らの若手選手育成に努めた。 中井大介: 2013年に陽岱鋼を参考に打撃フォームを改造したことで一軍で結果を残せるようになった。 中田翔: 外野手としては、チームメイトだった小谷野栄一から「150km/hくらい出ている」と評され、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩に加え、正確な送球を持ち味とし、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の補殺を記録、糸井嘉男、陽岱鋼と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった。 井川慶: しかし3月29日の対日本ハム戦で、陽岱鋼に先頭打者本塁打を浴びるなど初回から打ち込まれ、自己最短となる2/3回で降板した。 岡大海: 以降も序盤にケガで離脱した陽岱鋼に代わって、外野手としての出場機会を増やし、規定打席不足ながらも101試合に出場し、リーグ4位となる18盗塁を記録している。 淺間大基: 一軍のレギュラー中堅手だった陽岱鋼が左手の骨折によって戦線を離れたことから、5月5日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)で、「2番・中堅手」としてスタメンで一軍公式戦へのデビューを果たした。 島内颯太郎: 初奪三振:同上、9回表に陽岱鋼から空振り三振 岡大海: 2017年は、陽岱鋼の移籍に伴いレギュラー獲得の期待が高まるも、前年から一転して打撃不振に陥る。 稲葉篤紀: また、この年は髙橋信二の頭部死球による離脱や陽岱鋼の台頭によって外野手としての出場は減り、一塁手としては34試合に出場した。 清水雅治: 当時一軍監督で、浜田高校の先輩だった梨田昌孝から招聘を受けて就任し、投手から外野手に転向したばかりの糸井嘉男や、内野手から外野手に転向したばかりの陽岱鋼・中田翔の守備力を高め、球界を代表する外野手にまで育て上げた。 ディッキー=ゴンザレス: 日本シリーズでは、第一戦に9回に登板、陽岱鋼に本塁打を打たれて1回1失点。 五十嵐亮太: 4月7日の対北海道日本ハムファイターズ戦は8回2点リードで登板し、先頭陽岱鋼のショートゴロを今宮健太が悪送球し、出塁を許し、一死一・二塁で迎えた中田翔に左中間への逆転3点本塁打を打たれ、帰国後初のホールド機会は救援失敗、敗戦投手となった。 島田誠: しかし、盗塁数に関しては十分タイトルを狙える数をこなしていたが同時期に福本、大石大二郎、西村徳文などのハイレベルな他チームのライバルの高い壁に阻まれ、最多盗塁のタイトル獲得はならず、日本ハムの盗塁タイトルは前身の球団を含めても1946年創設から2013年の陽岱鋼が獲得するまで現れなかった(日本人選手では翌年の2014年に西川遥輝が獲得)。 水原一平: また、陽岱鋼(当時日本ハム所属)とは特に仲が良く、たびたびキャッチボール相手を頼まれた。 橋本到: 2017年は、陽岱鋼や石川慎吾の加入もあり出場機会が激減し、打率は.267、6打点。 杉谷拳士: 2015年は、序盤から主力の陽岱鋼がケガで離脱し、陽の穴を埋めるように中堅・右翼を中心に先発出場する機会を増やした。 伊藤義弘: 9月1日の対北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリンフィールド)では、7回表1死から陽岱鋼のバットを折りながらショートフライ(遊飛)で凡退させた際に、打球のコースを確認すべく中堅手の方向へ身体を向けていた。 坪井智哉: 2010年、稲葉・糸井・森本・陽岱鋼らによって外野起用がほぼ固定され、出場機会を求めて一塁手の練習にも取り組んだ。 |
陽岱鋼の情報まとめ
陽 岱鋼(よう だいかん)さんの誕生日は1987年1月17日です。
結婚、兄弟、家族に関する情報もありますね。今年の情報もありました。陽岱鋼の現在の年齢は37歳のようです。
陽岱鋼のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 陽 岱鋼(ヤン・ダイガン、よう だいかん、1987年1月17日 - )は、台湾台東県台東市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。 台湾の原住民であるアミ族の出身で、日本国籍を保有しない。ただし、日本国内の高等学校に3年以上在籍していたため、NPBでは日本国籍を持つ選手と同等の扱いを受けている(当該項に詳述)。 小中学校時代は遊撃手としてナショナルチームに所属し、野球留学のために福岡第一高等学校へ入学。高校時代通算39本塁打を記録した。 2005年10月3日の高校生ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスの1巡目で競合し、抽選の結果日本ハムが交渉権を得たが、同会議では一旦は「交渉権獲得球団は福岡ソフトバンク」と発表されてしまい混乱が起こった。兄の陽耀勲と同じソフトバンク入りを熱望していたが、日本ハム側の熱烈な交渉と、本人が初めて北海道を訪れてみるなどの経緯もあって、最終的に日本ハム入りを決意。台湾人史上最高位の指名(ドラフト1巡目)を受け、台湾では話題となった。入団当初の背番号は24。 2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された。シーズンでは9月27日、前の試合で正遊撃手の金子誠が故障したため初の一軍昇格。シーズン1位確定を賭けた2連戦とあって出番はなく、2006年は一軍出場0試合に終わったが、二軍では新人ながら積極的に起用され、91試合出場、打率.274、チーム最多の9本塁打、5盗塁を記録した。8月にはイースタン・リーグ月間MVPを受賞している。しかし守備面ではリーグ最多となる30失策を犯してしまい、不安が見られた。オフの11月に開催された第16回IBAFインターコンチネンタルカップのチャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では全試合に出場し、打率.267、2本塁打と大活躍し銅メダルに貢献した。11月から12月にかけて開催されたドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表にも選出された。同大会では優勝を果たした。 2007年は春季キャンプは故障で出遅れるも、シーズン序盤から一軍の打線が揮わなかったため、4月19日に首脳陣から「起爆剤に」と期待され一軍昇格。55試合に出場し打率は.239に終わったが、遊撃手(26試合)、三塁手(21試合)、代打などで起用され、一軍経験を積んだ。二軍では打率.305の好成績を残した。 2008年は二軍で打率.342、8本塁打、7盗塁と更に打率を上げ、最高出塁率・最高長打率のタイトルを獲得。同僚の市川卓と激しい首位打者争いを繰り広げイースタン・リーグ2位の打率を残した。また、シーズン終了後の12月24日には、台湾でモデルやタレントとして活動していた謝宛容と結婚している。 2009年6月頃、強肩を活かしたい首脳陣の意向により外野手にコンバートされた(登録は内野手のまま)。一軍昇格後、8月21日のソフトバンク戦で打順・守備ともにプロ初となる1番・左翼手で先発出場するも力を発揮しきれず、程なくして二軍落ち。12月に「仲壽」から「岱鋼」に改名したことが球団から発表された。 2010年は開幕当初こそ外野の守備固めでの出場が多かったが、一塁手の髙橋信二の故障離脱に伴い右翼手の稲葉篤紀が一塁手を務めることが増えたため後半戦からは右翼手のレギュラーに定着し、過去最高の109試合に出場した。 2011年は初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。シーズン中は、フリーエージェント権を行使して退団した森本稀哲に替わる2番打者を主に務め、6月下旬に田中賢介が骨折した後は1番打者としても出場した。プロ入り初めて規定打席に到達したものの、持ち前の積極性でリーグ最多三振(中村剛也と同数)を喫し、2012年シーズンの課題となった。守備位置は持ち前の俊足と強肩を生かした外野手(ほとんどが右翼手)での出場だった。 2012年は中堅手で前年まで3年連続でゴールデングラブ賞を受賞していた糸井嘉男との間で、「センターの守備力は変わらない。ならば(糸井)嘉男の強肩を生かす布陣の方が良い」との首脳陣の意向で中堅手にコンバートされる。すると、この変更が吉と出て陽の広い守備範囲が生かされ、この年自身初のゴールデングラブ賞に、糸井を凌ぎパ・リーグ外野手部門1位(外野手は毎年3人が選出される)で受賞。また打順は前半から中盤は6番としての出場がメインとなり、前年に続いて田中賢介が怪我で離脱した翌8月30日以降はポストシーズンまで主に1番で起用された。さらにオールスターゲームにもファン投票により初選出され、第1戦(7月20日)に1番・中堅手として先発出場。1回裏に史上2人目となる初打席先頭打者本塁打を打った(後述)。さらに第3戦(7月23日)でも1番・中堅手として先発出場し、先制本塁打を含む3安打4打点の活躍で全パの勝利に貢献してMVPに輝いた。8月8日に帯広で行われたソフトバンク戦7回裏に実兄の陽耀勲と一軍公式戦で初対戦(結果は初球を中前安打)。この兄弟対戦は、兄が先発登板したこの年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第1戦でも実現する。シーズン成績は、リーグ唯一となる全試合フルイニング出場を果たし、全て自己最高の打率.287(リーグ7位)、7本塁打、55打点の成績を残す。シーズン終了後には、年俸9200万円で契約を更改し、背番号は1に変更された。 2013年1月14日に第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会ではチャイニーズタイペイ代表の背番号1を背負い、自国開催で盛り上がる台湾で3月3日のオランダ戦では6回に2点本塁打を打つなど、1次ラウンドB組MVPを受賞する働きで2次ラウンド進出に貢献した。 シーズンでは6月12日の阪神戦でフルイニング出場は途絶えたものの、2年連続で全試合出場、更に全試合スタメン出場も達成した。8月22日に中田翔が戦線離脱してからは3番打者として起用され、9月18日の対西武戦ではプロ初の4番打者としても出場した。その他の試合では主に1番打者を務め、本塁打は前年のほぼ倍となる18本・67打点・47盗塁はいずれも自己最多で、93得点で自身初となるリーグ最多得点を記録。47盗塁を記録した盗塁は、自身そして球団史上初となる盗塁王獲得だった。台湾出身選手の打撃タイトル獲得は1994年の大豊泰昭(本塁打・打点)以来19年ぶり。課題とされた三振の多さは変わらなかったが、前年の倍以上となる78四死球を選び出塁率は前年の.337から.367と大幅に改善させた。年俸は倍以上となる2年総額4億円で更改した。 オフの11月に台湾で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」のチャイニーズタイペイ代表に選出された。 2014年は開幕から主に1番を打ったが、6月9日の中日ドラゴンズ戦で本塁突入時に左膝を裂傷し登録を抹消され2011年6月15日から続いていた連続試合出場は442試合でストップした。右肩痛や前述の脚の故障がありながら、7月9日に復帰。復帰後は3番に定着し68試合で打率.310・54打点を挙げるなど打撃は好調を維持。打率.293(リーグ8位)、25本塁打(リーグ5位)、85打点(リーグ4位)という成績を残し、得点圏打率.379はリーグトップであった。またゴールデングラブ賞は史上1位タイとなる3年連続外野手部門1位の得票での受賞を果たした。 2015年は開幕を3番で迎えたが、4月12日に右太ももの張りを訴えて出場選手登録を外れた。5月4日の楽天戦で一塁にヘッドスライディングした際に左手を突いて負傷し「左手舟状骨(しゅうじょうこつ)剥離骨折」と診断され1か月半離脱した。故障が響き、86試合出場、打率.259、7本塁打、36打点、14盗塁と低迷した。オフの9月30日に第1回WBSCプレミア12のチャイニーズタイペイ代表に選出された。 2016年は前年の故障から復調すると、シーズンを通して一軍に帯同。前半戦では、1番打者・3番打者としてスタメンに定着するとともに、打率3割を記録した。右肋骨の亀裂骨折が判明した8月中旬以降は、下位打線に回り、スタメンを外れ途中出場する試合が続くようになる。打撃の調子も徐々に下降線をたどるようになったが、中堅の守備では、骨折箇所の痛みに耐えながら要所で好プレーを披露した。9月21日には、ソフトバンクとの首位攻防戦(福岡ヤフオクドーム)7回表に代打へ起用されると、7回裏から中堅手として引き続き出場。1点リードで迎えた9回裏二死二・三塁で江川智晃が打った大飛球をフェンス際で好捕するなど、2度にわたるビッグプレーでサヨナラ負けのピンチを救うとともに、チームを4年ぶりのリーグ優勝を大きく手繰り寄せた。レギュラーシーズンの一軍公式戦全体では、大台の3割には届かなかったものの自己最高に並びリーグ8位の打率.293を記録。本塁打も2年ぶりの2桁本塁打となる14本を記録。一方で盗塁はレギュラー定着後最少の5個に終わった。中堅の守備では、2年ぶり4度目のゴールデングラブ賞を獲得する一方で、UZRが-10.0にとどまるなど守備力に評価が分かれた。ポストシーズンでは、ソフトバンクとのクライマックスシリーズ ファイナルステージから不振。ステージ突破を経て臨んだ広島東洋カープとの日本シリーズでは、10月26日の第3戦(札幌ドーム)以降スタメンを外れて、代打・守備要員に回った。この年のシーズン中に国内フリーエージェント(FA)権を取得し、日本ハム球団では、水面下で陽との残留交渉を進めたが、年俸や若手選手主体のチーム構想などをめぐって陽と折り合いが付かなかった。陽自身は、日本シリーズ終了後の11月7日に国内FA権の行使を表明。この表明によって、日本ハムからの退団が事実上決まった。11月10日付で、NPBから国内FA宣言選手として公示。オリックス、楽天、読売ジャイアンツ(巨人)の3球団が獲得に乗り出した。 2016年12月14日に読売ジャイアンツへの入団で合意に達したことを正式に発表した。背番号は2(巨人では背番号1は王貞治の永久欠番)。契約期間は5年で、期間中の年俸総額は推定15億円。12月19日に開かれた入団記者会見には、日本国内の報道陣に加えて、陽の故郷である台湾のメディア7社から12名の報道関係者が出席した。そのため、台湾語を話せる通訳が会見に同席したほか、会見の生中継動画が球団公式のFacebook公式アカウントなどを通じて世界中に配信された。10年間で打率3割を超えたことのない陽に対してこの巨額の年俸総額は、台湾でのビジネス(台湾マネー)の収益性を加味したものと週刊ポスト2017年1月13・20日号で報じられている。 2017年の第4回WBCのチャイニーズタイペイ代表には移籍1年目でシーズンに集中したいという理由で辞退した。レギュラーシーズンでは下半身のコンディション不良で開幕一軍に間に合わなかった。6月6日の西武戦から一軍昇格し、8月は1番打者として好調で打線を引っ張る働きを見せたが、9月になると不振に陥り打率を下げていき、結果としてこのシーズンは87試合出場、打率.264、本塁打も9本にとどまった。オフの10月11日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップのチャイニーズタイペイ代表に選出された。 2018年は開幕から1番中堅手として出場していたが、4月3日の中日戦(ナゴヤドーム)の1打席目に左手に死球を受け、左手甲の骨折と診断された。この怪我により2か月以上を棒に振り、復帰したあともレギュラー定着とはいかず、87試合出場で打率.245、10本塁打、37打点と前年同様不振に終わった。それでも原辰徳からの信頼は厚く、原の監督就任会見では長野久義、坂本勇人とともに「中心、模範になってほしい」と名前を挙げられた。陽本人は「今年はこんな数字で終わってしまった。頑張るしかないです」と振り返った。9月17日の中日戦(東京ドーム)では通算100号本塁打を打ち、「自分はホームランバッターじゃないので、100本塁打は褒めてあげたい」とコメントした。 2019年は丸佳浩の加入や亀井善行の好調ぶりもあり、スタメン出場は左投手の時に限られ、丸加入の影響での慣れ親しんだ中堅手ではなく右翼手で出場する機会も増えた。代打の切り札である阿部慎之助と共に右の代打として、代打打率.394を記録した。7月に腰の張りで一時登録を外れた以外は一軍に帯同したため移籍3年目で出場試合は初めて100を超えたが、本塁打・打点は移籍後最少にとどまった。第2回WBSCプレミア12には選出されなかった。 2020年は自身初めて一塁手に挑戦するなど、起用の幅を拡げてレギュラー奪還を目指したが、不振で約3か月間の二軍調整を余儀なくされるなど出場機会は限られ、38試合出場、77打席はいずれも一軍デビュー以降2番目に少ない数字となった。 2021年は7試合の出場で打率.143、0本塁打、0打点に留まった。二軍でも56試合出場で打率.238、6本塁打、22打点にとどまった。11月25日、自由契約となった。当初陽は翌年以降も巨人に残留してプレーすることに意欲を示していたうえに球団も翌年の契約を結ぶ方針を示していたが、陽は考えた末に退団することを決断した。 2022年2月23日に独立リーグであるアメリカン・アソシエーションのレイクカントリー・ドックハウンズ(英語版)に加入した。シーズン79試合に出場して、打率.260、9本塁打、35打点という成績を残した。シーズン終了後はオーストラリアのウィンターリーグであるオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)のブリスベン・バンディッツでプレーした。 2023年3月7日にアトランティックリーグのハイポイント・ロッカーズ(英語版)に入団することが発表された。開幕から調子が上がらず、打率は.174まで落ち込んだ。5月27日に負傷者リスト入りしていたが、6月16日に復帰。復帰以降は打撃好調で、最終的に97試合の出場で打率.271、10本塁打、58打点、OPS.793を記録 2024年2月4日、同年からイースタン・リーグに参加するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団することが発表された。背番号は1。 日本ハム時代の2013年は中堅方向への本塁打が多かったが、陽自身は逆方向を意識している旨を述べている。 三振が多く、2011年のレギュラー定着以後、規定打席に到達したシーズンは、三振が全て100を超え、BB/Kのキャリアハイは2013年の「0.49」となっている(2018年シーズン終了時点)。また、日本ハム時代は「規定打席に到達した上での打率3割」に到達した経験がなかったため、巨人移籍直後の自主トレ(2017年1月)の際には、自身の課題として「3割を打たないといけない。打ったことがないので、打者として早く壁をクリアしたい」という趣旨のコメントを残している。 日本ハム時代の2013年に400イニング以上出場した中堅手としてリーグトップのUZR13.3を記録。 日本ハムで一軍のレギュラー外野手に定着した時期には、一軍監督の栗山英樹から、守備力に全幅の信頼と期待を寄せられていた。栗山によれば、「岱鋼の守備力はセンターとしては、今、日本で一番でしょう。守備範囲が広いことに加え、打球への飛び出しが素晴らしく速い。(糸井)嘉男も速いけど、岱鋼の方が、もう半歩、反応が速いような気がします」という。 遠投110メートル、50メートル走5秒9。 ヒーローインタビューなどにてファンへ向けて発する「サンキューで〜す!」を決め台詞としている(お笑いタレント・藤森慎吾風の口調で)。 松井稼頭央とは年に1度は食事する仲。日本ハム時代の2015年1月には、ロサンゼルスで合同自主トレーニングに臨んだ。 日本ハム時代の2011年に打席への登場曲に起用し始めたリンキン・パーク『Numb』は、日本ハムで自身の前に背番号1を付けていたSHINJO(新庄剛志)の在籍時の登場曲でもある。日本ハム時代の2012年6月16・17日に行われた「選手プロデュースデー」の試合では、両日限定で各選手それぞれ公募によって選ばれた登場曲が流され、陽の曲として新庄が日本ハム時代の3年間起用して定番だったドクター・ドレー『The Next Episode』がファンにより選出される。また同曲を2016年のクライマックスシリーズでは正式な登場曲として起用している。 理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボレーションして、毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中よりファン投票で選出している企画「ファイターズスタイル」の2007年度・初代モデルに選ばれた。 母国、台湾での人気は非常に高く、「国民的ヒーロー」とされる。関心・注目度が高く、日本の報道はほぼ全て中国語に翻訳され、伝えられている。また、日本ハム時代の同僚である大谷翔平が2021年シーズンのMLBで台湾出身の張育成と一塁上で「陽岱鋼は知っていますか?」と笑顔で談笑していたことが報じられている。 「陽」という姓の読み方は台湾では「ヤン (YANG) 」であるが、登録名では日本風の読みの「よう (YOH) 」でプロ入り前に既に呼ばれ慣れていることを理由に、姓のみが日本風の「よう ちょんそ(陽 仲壽、本来は『ヤン・チョンソ』)」、改名後は姓名共に日本風の「よう だいかん(陽 岱鋼、本来は『ヤン・ダイガン』)」としている。 長兄の陽耀勳、次兄の陽品華(改名前は「陽耀華」〈読み方:よう ようか〉、元長崎セインツ・愛媛マンダリンパイレーツ内野手)、叔父の陽介仁(中国語版)、従弟の張奕もプロ野球入りしており、介仁を除く3人には日本の球団への在籍経験がある。日本球界では、耀勳が台湾風、耀華(改名前に在籍)と張奕が日本風の読み方で、本名を登録名に使用。耀勳がソフトバンクに在籍していた時期には、パ・リーグの一軍公式戦や2012年のクライマックスシリーズで、岱鋼と対戦したこともある。さらに、バスケットボール女子チャイニーズタイペイ代表選手の陽詩慧は実妹に当たる。なお、いとこ以上の遠戚には台湾球界でプロ入りした陽森や陽建福などもいる。 2017年シーズンオフに兄の陽耀勲と金銭問題のトラブルを起こし、絶縁したと報道された。 2021年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最高 2021年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞 盗塁王:1回(2013年) ゴールデングラブ賞:4回(外野手部門:2012年 - 2014年、2016年) 「ジョージア魂」賞:1回(2014年度第10回) 札幌ドームMVP:2回(野球部門:2013年、2014年) オールスターゲームMVP:1回(2012年第3戦) オールスターゲーム敢闘選手賞:3回(2012年第1戦、2014年第1戦、2014年第2戦) オールスターゲームBe a driver.賞:1回(2014年) ホームランダービー優勝:1回(2014年第2戦) WBC台中ラウンドMVP(2013年) 初出場・初先発出場:2007年4月20日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(東京ドーム)、7番・三塁手で先発出場 初打席:同上、2回裏に神内靖の前に空振り三振 初安打:2007年4月25日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(札幌ドーム)、3回裏に久保康友から右翼線二塁打 初打点:2007年4月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(フルキャストスタジアム宮城)、2回表に青山浩二から左前適時打 初盗塁:同上、2回表(投手:青山浩二、捕手:嶋基宏) 初本塁打:2008年4月29日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表に成瀬善久から左越ソロ 1000試合出場:2017年6月13日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(東京ドーム)、1番・中堅手で先発出場 ※史上484人目 1000安打:2017年8月16日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、3回表に原樹理から左翼線適時打 ※史上288人目 100本塁打:2018年9月17日、対中日ドラゴンズ25回戦(東京ドーム)、8回裏に祖父江大輔から中越ソロ ※史上288人目 4試合連続猛打賞:2013年6月29日 - 7月3日 ※日本ハム球団タイ記録 3年連続ゴールデングラブ賞外野手部門・得票数1位での受賞 ※史上3人目 2試合連続初回先頭打者本塁打:2017年8月3日・4日 ※巨人球団史上5人目(6回目) オールスターゲーム出場:3回(2012年 - 2014年) 初打席初回先頭打者本塁打:2012年第1戦(7月20日、京セラドーム大阪)、1回裏に杉内俊哉から右中間越ソロ ※史上2人目 24(2006年 - 2012年)
1(2013年 - 2016年、2022年 - ) 2(2017年 - 2021年) 陽 仲壽(よう ちょんそ、2006年 - 2009年) 陽 岱鋼(よう だいかん、2010年 - ) 「Wannabe」Spice Girls(2006年 - 2010年) 「イッツ・マイ・ライフ」Bon Jovi(2011年、2014年) 「好きですサッポロ」森雄二とサザンクロス(2011年途中 - 閉幕) 「GO AWAY」2NE1(2012年以前 - 2013年) 「ハレルヤ」BIGBANG(2012年、2014年) ※2014年はLive ver. 「ピタカゲ (CROOKED) -JPN-」G-DRAGON (from BIGBANG)(2014年) 「For the future」平井大(2013年 - 2014年) 「Scream(英語版)」Usher(2013年 - 2014年) 「恋のラブ♥サンシャイン」ウェザーガールズ(2013年6月25日) 「Just A Dream」Nelly(2014年 - 2015年) 「Fighter」A.F.R.O(2014年4月 - 同年終了) ※歌詞に名前が入ったオリジナル曲 「Slow & Easy」平井大(2015年 - 2019年途中) 「Try Everything」Shakira(2016年) 「BIRDMAN」FIRE BALL(2016年) 「Life is Beautiful」平井大(2016年) 「愛燦燦」美空ひばり(2017年9月9日) ※1打席目 「津軽海峡冬景色」石川さゆり(2017年9月10日) ※1・2打席目 「Despacito ft. Justin Bieber」Luis Fonsi, Daddy Yankee(2018年 - 2019年途中) 「Stay The Night」James Blunt(2018年途中) 「Princess 2.0」蕭敬騰 (Jam Hsiao)(2018年途中 - 2019年途中) 「Shake Ya Tailfeather」Nelly, P. Diddy & Murphy Lee(2019年途中 - 2021年) 「September」Earth, Wind&Fire(2019年9月27日) 「Dilemma ft. Kelly Rowland」Nelly(2020年途中 - 2021年) 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表 2006 IBAFインターコンチネンタルカップ チャイニーズタイペイ代表 2006年アジア競技大会野球チャイニーズタイペイ代表 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表 2015 WBSCプレミア12 チャイニーズタイペイ代表 2017 アジア プロ野球チャンピオンシップ チャイニーズタイペイ代表 YOSHIMI 「札幌スープカリーせんべいカリカリまだある?」(2015年 - 2016年) 黒松 「黒松沙士」(2013年) ニトリ(2015年 - 2018年) 三菱自動車工業(2017年) 動物愛護協会(2018年) 富士通將軍(富士通ゼネラル)(2016年12月 - ) A.F.R.O 『冬の贈り物』(2013年) ^ 会議の時点ではソフトバンクの選手ではなかったが、翌2006年からソフトバンクでプレーすることがほぼ決定していた。 ^ 陽の家族は台湾で生活しながら、プロ野球シーズン中に陽の応援でたびたび来日しているという。 ^ 丸佳浩を巨人が獲得したことによる人的補償として、広島東洋カープに移籍した。 ^ 「1」は2008年から2023年までオイシックス新潟「サポーター背番号」として設定されていた番号だったが、陽の入団発表の翌日に「10」に変更されることが発表された。 ^ アマ球界まで含めると介仁も台湾でのプロ入り前に日本の社会人野球チームだった阿部企業に在籍していたことがあり、全員が日本でのプレー経験を有している。 ^ チームは同年7月30日より6試合連続3本塁打以上というNPB新記録を達成し、自身はその期間に、前述の2試合連続初回先頭打者弾などチーム最多となる5本塁打を記録(全てがその試合におけるチーム3本目までであり、NPB新記録が決まる6試合目の3本目を打ったのは自身)。 ^ 1968年第1戦のアルト・ロペス(東京オリオンズ)以来。なお、初打席本塁打は2007年第1戦の森野将彦(中日ドラゴンズ)に次ぐ史上15人目。初回先頭打者本塁打は2001年第3戦の高橋由伸(読売ジャイアンツ)に次ぐ史上8人目。 ^ 「陽選手が改名」北海道日本ハムファイターズ、2009年12月4日。2016年9月29日閲覧。 ^ 「日本ハムの陽が俳優デビューへ」日刊スポーツ、2013年1月6日。2016年11月7日閲覧。 ^ 「ハム陽のろけた“幸せ”猛打賞」日刊スポーツ、2012年4月26日。2016年10月12日閲覧。 ^ 「ハム陽が結婚、元タレント25歳台湾人と」『日刊スポーツ』2010年2月11日。2017年5月8日閲覧。 ^ 「【球界ここだけの話(849)】悲願達成!? 糸井が阪神で“奪い返した”モノとは」『SANSPO.COM』2017年3月19日。2020年4月24日閲覧。 ^ 「【日本ハム】初!陽兄弟対決は岱鋼の勝ち」日刊スポーツ、2012年8月8日。2021年4月2日閲覧。 ^ 「陽岱鋼 左手骨折で抹消 実戦復帰まで1カ月半見込み」スポーツニッポン、2015年5月6日。2015年12月9日閲覧。 ^ 「2015第一屆世界12強棒球錦標賽 中華隊28人名單正式公布」中華民國棒球協會官方網站、2015年9月30日。2015年10月9日閲覧。 (中国語) ^ 「日本ハム陽、肋骨痛みに耐えスーパーキャッチ連発」日刊スポーツ、2016年9月21日。2016年11月15日閲覧。 ^ 「日本ハム・陽岱鋼、FA行使で退団へ「11年間、感謝しかない」」サンケイスポーツ、2016年11月7日。2016年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。 ^ 「2016年度フリーエージェント宣言選手」日本野球機構、2016年11月10日。2016年11月15日閲覧。 ^ 「巨人入り陽岱鋼が会見「チームの力になりたい」」日刊スポーツ、2016年12月19日。2017年1月12日閲覧。 ^ 「巨人陽岱鋼の入団会見に台湾報道陣も7社12人集結」日刊スポーツ、2016年12月19日。2017年1月12日閲覧。 ^ 「巨人・陽岱鋼の15億円契約 台湾ファン増えるため安い投資」NEWSポストセブン、2017年1月6日。2018年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月26日閲覧。 ^ 「【巨人】陽岱鋼、WBC辞退…台湾メディア報じる」スポーツ報知、2017年1月25日。2017年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月11日閲覧。 ^ 「洪一中總教練領軍 亞冠賽25人名單出爐」中華職棒大聯盟全球資訊網 The Official Site of CPBL、2017年10月11日。2017年10月22日閲覧。(中国語) ^ 「巨人・陽岱鋼は左手甲骨折 中日戦1回に死球で交代」スポーツニッポン、2018年4月3日。2018年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月24日閲覧。 ^ 「【巨人】陽岱鋼、18年最終戦で原監督にアピール「しっかりと準備していきたい」」スポーツ報知、2018年11月1日。2019年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月2日閲覧。 ^ 「巨人・陽岱鋼、代打で100号」『SANSPO.COM(サンスポ)』2018年9月18日。2020年4月24日閲覧。 ^ 「移籍後最多の110試合に出場も…巨人・陽岱鋼の1年を振り返る」『BASEBALL KING』2019年12月19日。2020年4月24日閲覧。 ^ 「「プレミア12」台湾代表28選手発表 NPBからハム王柏融ら4選手、巨人陽岱鋼は外れる」Full-Count、2019年10月1日。2019年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月9日閲覧。 ^ 「巨人・陽岱鋼、初めて一塁守備挑戦」『SANSPO.COM(サンスポ)』2020年2月2日。2020年2月2日閲覧。 ^ 「今年で契約が切れる巨人・陽岱鋼 条件次第で「争奪戦」の可能性も? | 野球コラム」『週刊ベースボールONLINE』2021年10月24日。2024年2月4日閲覧。 ^ 「【巨人】陽岱鋼が自由契約 残留濃厚から一転、本人の意思を尊重」スポーツ報知、2021年11月25日。2021年11月25日閲覧。 ^ 「巨人、陽岱鋼が自由契約に 自ら退団申し出、米国移籍も視野」 東京新聞、2021年11月25日。2022年1月7日閲覧。 ^ 「Lake Country DockHounds Add Taiwanese All-Star To The Roster」『Lake Country DockHounds』(英語)、2022年2月23日。2022年2月24日閲覧。 ^ 「36歳・陽岱鋼、米独立リーグ入団を発表 オフの豪州修行経て再び新天地へ」Full-Count、2023年3月7日。2023年3月7日閲覧。 ^ 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片野優羽 0 高義博 3 田中俊太 6 永澤蓮士 8 藤原大智 25 小西慶治 32 伴在汰文 36 園部佳太 56 山田龍青 1 陽岱鋼 7 小池智也 9 髙山俊 24 知念大成 37 中山翔太 44 比嘉天佑 51 篠田大聖 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 1950 木塚忠助 1951 木塚忠助 1952 木塚忠助 1953 L.レインズ 1954 鈴木武 1955 森下正夫 1956 河野旭輝 1957 河野旭輝 1958 R.バルボン 1959 R.バルボン 1960 R.バルボン 1961 広瀬叔功 1962 広瀬叔功 1963 広瀬叔功 1964 広瀬叔功 1965 広瀬叔功 1966 山本公士 1967 西田孝之 1968 安井智規 1969 阪本敏三 1970 福本豊 1971 福本豊 1972 福本豊 1973 福本豊 1974 福本豊 1975 福本豊 1976 福本豊 1977 福本豊 1978 福本豊 1979 福本豊 1980 福本豊 1981 福本豊 1982 福本豊 1983 大石大二郎 1984 大石大二郎 1985 松永浩美 1986 西村徳文 1987 西村徳文, 大石第二朗 1988 西村徳文 1989 西村徳文 1990 秋山幸二 1991 大野久 1992 佐々木誠 1993 大石大二郎 1994 佐々木誠 1995 イチロー 1996 村松有人 1997 松井稼頭央 1998 松井稼頭央, 小坂誠 1999 松井稼頭央 2000 小坂誠 2001 井口資仁 2002 谷佳知 2003 井口資仁 2004 川﨑宗則 2005 西岡剛 2006 西岡剛 2007 片岡易之 2008 片岡易之 2009 片岡易之 2010 本多雄一, 片岡易之 2011 本多雄一 2012 聖澤諒 2013 陽岱鋼 2014 西川遥輝 2015 中島卓也 2016 金子侑司, 糸井嘉男 2017 西川遥輝 2018 西川遥輝 2019 金子侑司 2020 周東佑京 2021 源田壮亮, 荻野貴司, 和田康士朗, 西川遥輝 2022 髙部瑛斗 2023 周東佑京, 小深田大翔 2024 周東佑京 表 話 編 歴 1972 池辺巌, 広瀬叔功, 福本豊 1973 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1974 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1975 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1976 B.ウイリアムス, 弘田澄男, 福本豊 1977 大熊忠義, 弘田澄男, 福本豊 1978 B.ウイリアムス, 福本豊, 簑田浩二 1979 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1980 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1981 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1982 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1983 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1984 島田誠, 高沢秀昭, 簑田浩二 1985 金森永時, 島田誠, 簑田浩二 1986 西岡良洋, 山本和範, 山森雅文 1987 秋山幸二, 新井宏昌, 島田誠, 高沢秀昭 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 平野謙, 本西厚博 1990 秋山幸二, 西村徳文, 平野謙 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1994 秋山幸二, イチロー, 佐々木誠 1995 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1996 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1997 イチロー, 井出竜也, 田口壮 1998 イチロー, 大友進, 大村直之 1999 秋山幸二, イチロー, 大友進 2000 イチロー, 柴原洋, 田口壮 2001 柴原洋, 田口壮, 谷佳知 2002 井出竜也, 小関竜也, 谷佳知 2003 大村直之, 柴原洋, 谷佳知, 村松有人 2004 谷佳知, 村松有人, SHINJO 2005 大村直之, サブロー, SHINJO 2006 稲葉篤紀, 森本稀哲, SHINJO 2007 稲葉篤紀, サブロー, 森本稀哲 2008 稲葉篤紀, 坂口智隆, 森本稀哲 2009 糸井嘉男, 稲葉篤紀, 坂口智隆 2010 糸井嘉男, 坂口智隆, 栗山巧 2011 岡田幸文, 糸井嘉男, 坂口智隆 2012 陽岱鋼, 糸井嘉男, 岡田幸文 2013 陽岱鋼, 糸井嘉男, 秋山翔吾 2014 陽岱鋼, 糸井嘉男, 柳田悠岐 2015 柳田悠岐, 秋山翔吾, 清田育宏 2016 秋山翔吾, 陽岱鋼, 糸井嘉男 2017 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2018 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2019 秋山翔吾, 荻野貴司, 西川遥輝 2020 柳田悠岐, 大田泰示, 西川遥輝 2021 荻野貴司, 辰己涼介, 柳田悠岐 2022 髙部瑛斗, 辰己涼介, 福田周平 2023 辰己涼介, 万波中正, 近藤健介 表 話 編 歴 ロビンソン・カノ 投手: 前田健太, ネルソン・フィゲロア, フェルナンド・ロドニー 捕手: ヤディアー・モリーナ 一塁手: エドウィン・エンカーナシオン 二塁手: ロビンソン・カノ 三塁手: デビッド・ライト 遊撃手: ホセ・レイエス 外野手: アンヘル・パガン, ネルソン・クルーズ, マイケル・ソーンダース 指名打者: 井端弘和 東京: 井端弘和 マイアミ : ロビンソン・カノ 福岡 : アルフレド・デスパイネ 台中 : 陽岱鋼 サンファン : ロビンソン・カノ フェニックス : マイケル・ソーンダース 表 話 編 歴 56 林華韋 2 洪一中 3 葉志仙 66 呂明賜 67 呉復連 85 謝長亨 11 林恩宇 17 許竹見 18 潘威倫 19 林英傑 32 黄俊中 37 郭泓志 42 增菘瑋 46 陽建福 59 朱尉銘 63 許文雄 70 蔡英峰 88 耿伯軒 91 陽耀勲 97 姜建銘 27 葉君璋 34 高志綱 41 陳峰民 5 胡金龍 6 陽森 7 林智勝 13 陳鏞基 15 陽仲壽 31 鄭昌明 49 張泰山 8 詹智堯 12 張家浩 24 林威助 30 黄龍義 55 謝佳賢 66 張建銘 表 話 編 歴 81 謝長亨 77 謝承勳(投手) 6 陳威成(打撃) 27 葉君璋(バッテリー) 76 劉榮華(戦術) 56 陳琦豊(内野守備) 12 黄欽智 15 林煜清 17 曾仁和 18 潘威倫 19 王溢正 22 王躍霖 40 王建民 41 王鏡銘 51 郭泓志 63 林羿豪 71 羅錦龍 91 陽耀勲 99 陳鴻文 7 鄭達鴻 11 林泓育 34 高志綱 8 陳江和 9 林益全 13 陳鏞基 21 郭嚴文 23 彭政閔 31 林智勝 98 林瀚 1 陽岱鋼 16 周思齊 24 林哲瑄 59 張正偉 66 張建銘 1 傅于剛 12 黄欽智 15 林煜清 17 曾仁和 18 官大元 20 鄭凱文 22 王躍霖 42 增菘瑋 54 林彦峰 63 林羿豪 91 陽耀勲 96 林家瑋 99 陳鴻文 7 鄭達鴻 11 林泓育 34 高志綱 3 李杜軒 9 林益全 13 陳鏞基 21 郭嚴文 23 彭政閔 31 林智勝 52 陳江和 8 詹智堯 16 周思齊 41 高國輝 59 張正偉 66 張建銘 表 話 編 歴 88 郭泰源 4 陳威成 陳連宏 12 黃欽智 呉復連 葉君璋 14 林子崴 15 呂彥青 17 陳鴻文 18 潘威倫 19 陳冠宇 32 陳禹勳 36 倪福徳 41 王鏡銘 43 宋家豪 44 羅國華 49 羅嘉仁 75 郭俊麟 81 林柏佑 11 林泓育 34 高志綱 47 張進德 9 林益全 13 陳鏞基 21 郭嚴文 29 陳俊秀 31 林智勝 69 林志祥 99 蔣智賢 1 陽岱鋼 7 張志豪 91 王柏融 28 高國輝 66 張建銘 表 話 編 歴 2 洪一中 53 黃甘霖(中国語版) 91 丘昌榮(中国語版) 34 林正豐(中国語版) 93 郭建霖(中国語版) 3 吳俊良(中国語版) 63 蔡昱詳(中国語版) 15 林樺慶(中国語版) 16 朱俊祥(英語版) 17 陳冠宇 21 陳禹勳(中国語版) 22 王躍霖 37 邱浩鈞(中国語版) 60 王鴻程(中国語版) 71 羅國華(中国語版) 72 彭識穎(中国語版) 77 林政賢(中国語版) 31 林祐樂(中国語版) 62 嚴宏鈞 5 呉念庭 6 林承飛 13 陳品捷(中国語版) 20 郭阜林 24 陳傑憲(中国語版) 46 范國宸(中国語版) 83 林立(中国語版) 85 朱育賢(中国語版) 1 陽岱鋼 9 王柏融 10 陳子豪(中国語版) 32 蘇智傑(中国語版) 39 詹子賢(中国語版) 表 話 編 歴 希望入団枠:八木智哉 3巡目:川島慶三 4巡目:武田勝 5巡目:小山桂司 6巡目:高口隆行 7巡目:星野八千穂 1巡目:陽仲壽 3巡目:木下達生 4巡目:今成亮太 台湾の野球選手 在日台湾人の野球選手 在アメリカ合衆国台湾人の野球選手 福岡第一高等学校出身の野球選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 独立リーグの野球選手 アトランティックリーグ選手 アメリカ合衆国の球団の野球選手 ブリスベン・バンディッツの選手 オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの選手 盗塁王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP 野球チャイニーズタイペイ代表選手 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表選手 2006 ワールド・ベースボール・クラシック選手 2013 ワールド・ベースボール・クラシック選手 2015 WBSCプレミア12選手 チャイニーズタイペイのアジア競技大会金メダリスト 台湾原住民の野球選手 アミ族 台東市出身の人物 1987年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/10 02:47更新
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