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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

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ばば こういちさんについて調べます

■名前・氏名
ばば こういち
(読み:ばば こういち)
■職業
ジャーナリスト
■ばばこういちの誕生日・生年月日
1933年3月28日 (年齢77歳没)
酉年(とり年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和8年)1933年生まれの人の年齢早見表

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ばばこういちと同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


ばばこういちと関係のある人

矢崎泰久: 矢崎泰久、阿佐田哲也、阿刀田高、宝官正章(テレビディレクター)、筑紫哲也、山口はるみ、川田隆(麻雀プロ)、畑正憲、石田芳夫(囲碁棋士)、井上陽水、大西信行、狩野洋一(麻雀プロ)、北野英明(劇画家)、田村光昭(麻雀プロ)、長谷川和彦、ばばこういち


川田龍平: 義父は放送ジャーナリストのばばこういち


三上寛: 1971年3月、ばばこういち(前述の田原総一朗の上司でもあった)のプロデュースによって、シングル「馬鹿ぶし」でデビュー。


井上陽水: 1976年に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之との対談をきっかけに、まず「話の特集」の矢崎泰久がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち、阿佐田哲也に会い、この後、長谷川和彦と知り合い、長谷川に近代麻雀に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之、黒鉄ヒロシ、畑正憲らと知り合った。


小松左京: 1966年には、東京12チャンネルに勤務していたばばこういちが主宰で、「ベトナム戦争についてのティーチ・イン」を行った際、小松は小田実や開高健らとともに参加し、ベトナム戦争反対論を論じた。


志位和夫: 朝日ニュースター「ばばこういちのジャーナリズム最前線」のインタビューでは、シューベルトのドイツリートが好きと答えていた。


ばばこういちの情報まとめ

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ばば こういち(ばば こういち)さんの誕生日は1933年3月28日です。大阪出身のジャーナリストのようです。

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親族、著書などについてまとめました。卒業、テレビ、ドラマ、趣味、結婚に関する情報もありますね。77歳で亡くなられているようです。

ばばこういちのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ばば こういち(1933年(昭和8年)3月28日 - 2010年(平成22年)4月9日)は、日本のジャーナリスト。本名・馬場 康一。

大阪府生まれの山形県育ち。山形県立山形東高等学校、東北大学経済学部を卒業

大学卒業後、文化放送に入社するが、すぐに大和證券事業法人部に移ってサラリーマンとして堅い仕事に就いた。しかし、クリエイティブな仕事が好きな彼は文化放送に転社、アナウンス部に入った。最初に受け持った部門で、単に喋るだけでは満足できず、一人でデンスケをかついで、取材・構成・ニュース原稿執筆、放送までこなす、当時としては珍しい「デンスケ・ジャーナリスト」を約3年間続けた。次いで、「アナウンサー・コーナー」を制作、アナウンサー一人ひとりが自分でテーマを決め、取材・構成・演出・放送までを行った。このような番組は当時としては異例だった。

フジテレビができると、1962年(昭和37年)に同局の編成部に移り、他局ではどこでもやっていない『三匹の侍』『鉄腕アトム』などオリジナリティーある企画に参加したが、1964年(昭和39年)東京12チャンネル(現:テレビ東京)に招かれ、編成課長となった。同局の開局が東京オリンピックと重なっていたこともあって、全番組編成をオリンピック放送に集中したり、プライムタイムにニュースや連続ドラマを編成するなど意欲的な編成を断行したが、翌年8月、編成局長の反対を押し切って、実現した『徹夜討論会』の責任を問われて、業務命令違反を理由に解雇されるに至った。当時、東京12チャンネルは財政的に経営破綻の状況にあり、課長という管理職の立場にありながら、約半数の人員整理に反対したこともあり、「徹夜討論」を許可なく実現した責任とともに、業務命令違反を解雇の理由に付け加えられた。東京地方裁判所で争い、2年後に勝訴、全員同局に復帰したが彼は責任を取って退職、フリーの身になった。

1967年(昭和42年)からNET(現:テレビ朝日)の『長谷川肇モーニングショー』の副司会者を約1年間務めたが、思うような働きができず、70年、『奈良和モーニングショー』に「顔のないインタビュー」という企画を持ち込み、インタビュアーとして再登場した。正味13分のコーナーであり、最初から厳しい質問の連続だったので、出演者がいなくなるだろうと想定していた。そうなったら、いさぎよく番組を終了しようと、小田久栄門プロデューサーと約束していたが、結果的に4年間も続けることが出来た。

また民放では素晴らしい企画を思い立っても、スポンサーが見つからないと番組は実現できない。そこで、ばばはスポンサーを獲得しようと動き、西武流通グループの堤清二を口説き、テレビマンユニオンの村木良彦と、東京12チャンネルの『私がつくった番組 マイテレビジョン』をプロデュースした。このほか、ラジオ関東(現:アール・エフ・ラジオ日本)の『青春インタビュー』の制作も手掛けた。

昭和50年代に入ると、ばばは再びテレビ朝日で仕事を始め、同局の『アフタヌーンショー』において「なっとくいかないコーナー」を企画し、そのレポーターも兼ねて出演した。 「なっとくいかないコーナー」とは、全国の一般視聴者から納得のいかない問題を毎週広く募集し、その中からスタッフと相談して選んだテーマに対して、現地に出かけて行って問題の解決を促進しようとする番組。毎週200通前後の申し込みがあり、視聴率も平均7.8%と反響は極めて高かった。

1985年(昭和60年)には、テレビ東京の『キャスター』という番組を企画・プロデュースした。キャスターには堀紘一(当時ボストン・コンサルティング・グループ(日本)社長)を起用し、新しい形の週1回のニュース番組にした。また北海道テレビ放送が「朝まで生討論」をやりたいと言い出し、ばばはキャスターを依願され、年1回5時間の生放送を重ねた。

平成になると6年間続いた朝日ニュースターの『ぶっちぎりトーク』を筆頭に、新しいCSの自由な発想の可能性を求めた実験番組のプロデューサー・キャスターとして活躍した。CS局は営業能力が不足しているので、営業もばば自身が行い、スポンサーを探してきては新しい番組を開発した。ぶっちぎりトークには、元NHK会長の島桂次は亡くなる寸前までレギュラー出演していた。

2010年4月9日、心不全のため、東京都渋谷区の病院で死去。77歳没。

1977年(昭和52年)、中山千夏らと革新自由連合を結成し、参議院選に出馬するが落選した。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めた。

モデルガンが趣味で、『コンバットマガジン』などの専門誌に記事を寄稿した。

親族

結婚歴は3回。長女は一般女性。次女はジャーナリストの堤未果、その夫は川田龍平。長男はアニメーション作家の堤大介。

著書

『ばばこういちinterview 10 華麗なる仮面の人々』 ラジオ関東共編 社会思想社、1971年。

『ニセモノ時代 情報社会の仮面を剥ぐ』 アドアンゲン、1973年。

『戦後日本をダメにした100人』 山手書房、1976年。

『党首たちよ 』エフプロ出版、1978年。

『社会党ジャック 近未来小説』 山手書房、1978年。

『徳田虎雄の研究』 ちはら書房、1979年。

『激論社民連VS革自連 80年代に政治の変革と復権は可能か 菅直人対論』 ちはら書房、1979年。

『なっとくいかない税務署のカラクリ』 山手書房、1980年。

『落選・130,504票 ばばこういち全国縦断参院選レポート』 加東康一共著 あすか書房、1980年。

『なっとくいかないコーナー 実証的日本列島地域社会論』 現代書林、1982年。

『今あえて「社会主義」へのラブ・コール』 講談社、1983年。

『日本をダメにした関西商人』 山手書房、1984年。

テレビはこれでよいのか 元「アフタヌーンショー」リポーターの主張』 岩波ブックレット、1985年。

『なぜ、愛 女にとって結婚とはなにか』 二見書房、1985年。

『アメリカ大国主義の原罪 正義の破綻 自由の先に何を見る』 日本文芸社、1991年。 (朝日ニュースター ぶっちぎりトーク・シリーズ)

『視聴率競争 その表と裏』 岩波ブックレット、1996年。

『改革断行 三重県知事北川正恭の挑戦』 ゼスト、1999年。

『活力高齢人』 黙出版、2000年。

『日本初の大統領にしたい男』 インターメディア出版、2001年。

『臥薪嘗胆の日々 焦燥と挫折の中から生まれるニューリーダーたち』 インターメディア出版、2001年。

『されどテレビ半世紀』 リベルタ出版、2001年。

『それでも学校は再生できる』 福田眞由美共著 リベルタ出版、2005年。

2024/06/23 15:54更新

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