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ディック・ザ・ブルーザーの情報 (DickTheBruiser)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

ディック・ザ・ブルーザーの情報(DickTheBruiser) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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ディック・ザ・ブルーザーさんについて調べます

■名前・氏名
ディック・ザ・ブルーザー
(読み:Dick The Bruiser)
■職業
格闘家
プロレス
■ディック・ザ・ブルーザーの誕生日・生年月日
1929年6月27日 (年齢1991年没)
巳年(へび年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和4年)1929年生まれの人の年齢早見表

ディック・ザ・ブルーザーと同じ1929年生まれの有名人・芸能人

ディック・ザ・ブルーザーと同じ6月27日生まれの有名人・芸能人

ディック・ザ・ブルーザーと同じ出身地の人


ディック・ザ・ブルーザーと関係のある人

アーニー=ラッド: 帰国後の11月1日にはインディアナポリスにてディック・ザ・ブルーザーを下し、WWA世界ヘビー級王座を獲得している。


グレート草津: タッグでは、IWA世界タッグ王座をパートナーを代えて再三保持しており、サンダー杉山とのコンビではモンスター・ロシモフ&マイケル・ネイダーやラリー・ヘニング&ボブ・ウインダム、ストロング小林とのコンビではディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーやマッドドッグ・バション&イワン・コロフ、ラッシャー木村とのコンビではテキサス・アウトローズやスーパースター・ビリー・グラハム&バロン・フォン・ラシク、ニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスなどの強豪チームとタイトルを争った。


ボボ・ブラジル: 1961年1月28日、後の主戦場となる地元ミシガン州のデトロイトにて、ディック・ザ・ブルーザーを下してアメリカン・レスリング・アライアンス認定のUSヘビー級王座を獲得(同王座は1965年よりNWAの認定タイトルとなる)。


ジン=キニスキー: 1965年8月21日にはインディアナポリスにてディック・ザ・ブルーザーを下し、WWA世界ヘビー級王座も獲得した。


ジャイアント馬場: 1965年11月には、ディック・ザ・ブルーザーに反則勝ちし、力道山以来、エースの象徴とされたインターナショナル・ヘビー級王座を獲得した(初代ルー・テーズ、二代目力道山、三代目馬場)。


タイガー戸口: 1974年にはインディアナポリスのWWAに参戦、ミツ荒川のパートナーとなり、ディック・ザ・ブルーザー、ウイルバー・スナイダー、カウボーイ・ボブ・エリス、ペッパー・ゴメス、ムース・ショーラック、アート・トーマスらと対戦した。


ニック=ボックウィンクル: 以降、クラッシャー&ディック・ザ・ブルーザー、バーン・ガニア&ビル・ロビンソン、マッドドッグ・バション&ブッチャー・バション、ドクターX&カウボーイ・ビル・ワット、テキサス・アウトローズなどのチームを相手に防衛戦を行い、AWAを代表する悪党王者チームとして活躍した。


マーク=ルーイン: その後、ニューヨークのキャピトル・レスリング・コーポレーション(現在のWWEの前身団体)にてドン・カーティスのタッグパートナーを務め、1958年7月にディック・ザ・ブルーザー&ハンス・シュミットを破り、ノースイースト版のNWA・USタッグ王座(後のWWWF・USタッグ王座)の初代チャンピオン・チームとなる。


フリッツ=フォン=エリック: 1961年12月1日にはミシガン州デトロイトでディック・ザ・ブルーザーを破り、USヘビー級王座を獲得した。


アニマル浜口: その後、AWA本隊への出場(ミネアポリスでのTVマッチではワフー・マクダニエル、セントポールでのハウス・ショーではドクターXと対戦)を経て、ディック・ザ・ブルーザーが主宰するインディアナ州インディアナポリスのWWAに転戦。


ブルーザー=ブロディ: )と名乗ってインディアナポリスのWWAにも参戦、1979年8月4日にディック・ザ・ブルーザーとの「ブルーザー対決」を制してWWA世界ヘビー級王座を奪取した。


ストロング金剛: 以後、シングルとタッグのIWA2冠王として、1973年4月18日にバション&コロフに敗れるまで、バディ・オースチン&ビル・ドロモ、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャーなどのチームを相手に6回の防衛戦を行った。


キラー=トーア=カマタ: ミツ荒川とタッグチームを結成し、1967年10月13日にインディアナポリスにてディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーからWWA世界タッグ王座を、同年12月2日にはシカゴでウイルバー・スナイダー&パット・オコーナーからAWA世界タッグ王座を奪取している。


フレッド=ブラッシー: 以後、ザ・デストロイヤー、ベアキャット・ライト、ディック・ザ・ブルーザーらを相手にタイトルを争い、1964年にかけて通算4回戴冠した。


ザ・デストロイヤー: その後、1964年にも7月22日にディック・ザ・ブルーザー、11月13日にカウボーイ・ボブ・エリスから同王座を奪取し、通算3回にわたってWWA世界ヘビー級王者となっている。


アーニー=ラッド: インディアナポリスのWWAでは1973年2月24日にバロン・フォン・ラシクと組み、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーからWWA世界タッグ王座を奪取。


キラー=コワルスキー: モントリオールでの旧敵である総帥ガニアをはじめ、ディック・ザ・ブルーザーやクラッシャー・リソワスキーとも対戦し、ジ・アラスカンことジェイ・ヨークをパートナーに、AWA世界タッグ王者チームのラリー・ヘニング&ハーリー・レイスにも挑戦した。


アントニオ猪木: 以降、2年後の東京プロレス旗揚げに伴う帰国まで、ディック・ザ・ブルーザー、フレッド・ブラッシー、ザ・デストロイヤー、ジン・キニスキー、フリッツ・フォン・エリック、カウボーイ・ボブ・エリス、マーク・ルーイン、キラー・カール・コックスなどと対戦。


エドワード=カーペンティア: 以後、フレッド・ブラッシーとタイトルを争い、ザ・マミーやディック・ザ・ブルーザーとも対戦した。


ダスティ=ローデス: AWAではマードックとのコンビでディック・ザ・ブルーザーとクラッシャー・リソワスキーの元祖・極道コンビと抗争を展開。


阿修羅・原: また、AWAのバーン・ガニアやニック・ボックウィンクル、WWAのディック・ザ・ブルーザーなど、特別参加の大物選手とのシングルマッチも行われた。


大剛鉄之助: しかしバションに帰国を申請したが契約を楯に許可が出なかったため、当時インディアナポリス地区(ディック・ザ・ブルーザー主宰のWWA)で武者修行をしていた後輩のデビル紫を呼び寄せ、後釜に据えることで帰国OKを貰った。


ブルーザー=ブロディ: 一方で各地のプロモーター・ブッカーとは衝突が絶えず、WWWF時代のゴリラ・モンスーンを始めとして、WWAでのディック・ザ・ブルーザーとの大喧嘩など、その最期に至るまでエピソードには事欠かない。


ディック・ザ・ブルーザーの情報まとめ

もしもしロボ

ディック・ザ・ブルーザー(Dick The Bruiser)さんの誕生日は1929年6月27日です。

もしもしロボ

引退、卒業、事件、離婚、結婚、趣味、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。1991年に亡くなられているようです。

ディック・ザ・ブルーザーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ウィリアム・フリッツ・アフィルス(William Fritz Afflis、1929年6月27日 - 1991年11月10日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。インディアナ州インディアナポリス出身。ファミリーネームの "Afflis" はスペリングの通り「アフリス」が原音に近いが、本項では日本で定着している表記を使用する。

ディック・ザ・ブルーザー(Dick the Bruiser)のリングネームで活躍し、その名の通りの荒っぽいファイトスタイルから、日本では「生傷男」の異名で呼ばれた。

主戦場としていたAWAとの提携のもと、本拠地のインディアナポリスにてWWAを主宰するなど、プロモーターとしても活動した。

シニアハイスクール時代からアメリカンフットボールで活躍し、インディアナ州ウェストラファイエットのパデュー大学などを経て、1951年にNFLのグリーンベイ・パッカーズに入団した後、1954年にプロレス入り。地元のインディアナを含む中西部地区を活動拠点に、1956年1月14日にはウィスコンシン州ミルウォーキーにてルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に初挑戦した。

ヒールのラフファイターとして殴る蹴るの喧嘩ファイトを押し通し、1957年にはWWWFの前身団体であるキャピトル・レスリング・コーポレーションに参戦。11月19日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてドクター・ジェリー・グラハムと組み、アントニオ・ロッカ&エドワード・カーペンティアと対戦したが、興奮した観客が暴動を起こし、最終的にはニューヨーク州のアスレチック・コミッションから追放処分を受けている(後述)。

中西部地区では1957年12月13日、ウイルバー・スナイダーを下してデトロイト版のUSヘビー級王座を獲得。以降、1960年代初頭にかけて、スナイダー、バーン・ガニア、カウボーイ・ボブ・エリス、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリックらを相手にタイトルを争った。1963年7月15日にはハワイにてカーティス・イヤウケアを破り、ハワイ版のUSヘビー級王座も奪取している。その後、AWAにて同タイプのクラッシャー・リソワスキーとタッグチームを組み、1963年8月20日にクラッシャーとのコンビでAWA世界タッグ王座を獲得した。

1964年4月22日にはロサンゼルスのワールドワイド・レスリング・アソシエーツにてフレッド・ブラッシーからWWA世界ヘビー級王座を奪取。同年、自身の団体ワールド・レスリング・アソシエーションをインディアナポリスに設立。ロサンゼルス版WWA王座を獲得した同日に、自らをインディアナポリス版WWAの初代世界ヘビー級王者に認定する。ロサンゼルス版のWWA世界ヘビー級王座は同年7月22日にザ・デストロイヤーに敗れて失ったものの、インディアナポリスではベビーフェイスの団体エース兼オーナーとして活躍し、1965年にはジョニー・バレンタインやジン・キニスキーとインディアナポリス版のWWA世界ヘビー級王座を争った。

AWAでもベビーフェイスのポジションに回り、1966年11月12日にはネブラスカ州オマハにてマッドドッグ・バションを破りAWA世界ヘビー級王座を獲得している。クラッシャー・リソワスキーとのタッグでも、ラリー・ヘニング&ハーリー・レイス、クリス・マルコフ&アンジェロ・ポッフォ、マッドドッグ・バション&ブッチャー・バション、ミツ・アラカワ&ドクター・モトなどのチームと抗争を繰り広げ、1968年12月28日にはイリノイ州シカゴにて、当時AWAとWWAの両世界タッグ王者チームだったアラカワ&モトを下し、二冠を手中にした。

以降、1970年代全般に渡り、インディアナポリスのWWAおよび提携団体のAWAを股にかけて活躍。WWAではフラッグシップ・タイトルのWWA世界ヘビー級王座を巡り、ザ・シーク、ブラックジャック・ランザ、ブラックジャック・マリガン、バロン・フォン・ラシク、オックス・ベーカー、アーニー・ラッド、ガイ・ミッチェル、イワン・コロフらと抗争を展開。NWAの総本山だったミズーリ州セントルイスのキール・オーディトリアムにも再三出場し、ドリー・ファンク・ジュニア、ハーリー・レイス、ジャック・ブリスコ、テリー・ファンクら歴代のNWA世界ヘビー級王者に挑戦した。

WWWFから参戦してきたアンドレ・ザ・ジャイアントやブルーノ・サンマルチノともタッグを組み、1973年7月21日にサンマルチノをパートナーにバロン・フォン・ラシク&アーニー・ラッドからWWA世界タッグ王座を奪取、翌1974年にはバリアント・ブラザーズとタイトルを争った。盟友クラッシャー・リソワスキーとのコンビではザ・ブラックジャックスやテキサス・アウトローズなどの強豪チームとの抗争を経て、1975年8月16日にシカゴにてニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスを破り、AWA世界タッグ王座に返り咲いている。同年9月20日にはインディアナポリスにてジャック・グレイ&ザリノフ・ルブーフのザ・リージョネアーズからWWA世界タッグ王座も奪取、再び二冠王となり、WWA王座は翌1976年3月13日にオックス・ベーカー&チャック・オコーナー、AWA王座は同年7月23日にブラックジャック・ランザ&ボビー・ダンカンに敗れるまで保持した。

その後はシングルでの活動に注力し、NWAセントルイス地区では1978年7月14日にディック・マードックからNWAミズーリ・ヘビー級王座を奪取。AWAではニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に再三挑戦し、本拠地のWWAでは1979年から1980年にかけて、同じく「ブルーザー」をリングネームとしていたキングコング・ブロディとWWA世界ヘビー級王座を賭けた抗争を展開した。1982年1月1日には、セントルイス地区のプロモーターだったサム・マソニックの引退興行にてケン・パテラを破り、NWAミズーリ・ヘビー級王座への通算3度目の戴冠を果たしている。同年12月18日にはシカゴにて、当時AWAで大ブレイク中だったハルク・ホーガンともタッグを組んだ。

1983年からはセミリタイアの状態となるも、レジェンドとしてAWAのビッグマッチに登場。1984年にはクラッシャー・リソワスキーと久々にコンビを組み、3月4日にシカゴにてニック・ボックウィンクル&スタン・ハンセン、8月19日にはミルウォーキーにてロード・ウォリアーズと対戦。翌1985年はファビュラス・フリーバーズとも度々対戦し、9月28日にシカゴのコミスキー・パークで開催された "AWA SuperClash" ではクラッシャー&バロン・フォン・ラシクと組み、イワン・コロフ、ニキタ・コロフ、クラッシャー・クルスチェフのザ・ラシアンズとの6人タッグマッチに出場した。

同年に現役を引退し、プロモーターとしてWWAの運営に専念。グレート・ウォージョことグレッグ・ウォジョコウスキー(英語版)やスコット・スタイナーなどを輩出したが、ビンス・マクマホン・ジュニア体制下のWWFによる全米侵攻の余波で観客動員が落ち込み、1980年代後半にWWAは活動を停止した。その後はWCWにてタレント・エージェントとなって活動。1990年12月16日のスターケードでは、スティング対ブラック・スコーピオンのスチール・ケージ・マッチにてスペシャル・ゲスト・レフェリーを務めた。

1991年11月10日、食道の血管破裂により死去。62歳没。

2021年、WWE殿堂のレガシー部門に迎えられた。

1965年11月、日本プロレスに初来日。11月24日に大阪府立体育館にて、力道山の死後、空位となっていたインターナショナル・ヘビー級王座をジャイアント馬場と争った。当時すでにアメリカではベビーフェイスに転向していたが、日本ではヒールのスタイルを押し通し、この王座決定戦でも3本勝負のうち2本で反則負けを取られ、馬場がストレート勝ちで第3代王者となるも、壮絶な暴れっぷりで馬場を蹂躙した。3日後の11月27日には、蔵前国技館にて馬場の初防衛戦の相手を務めている(結果は1-1のタイスコアの後、両者リングアウトで馬場が防衛)。以降、馬場の同王座には1968年2月28日に東京都体育館、1969年8月12日に札幌中島スポーツセンターにて挑戦した。

タッグでは1968年2月26日、大阪にてアメリカでの宿敵ハーリー・レイスと組み、馬場&アントニオ猪木のBI砲が保持していたインターナショナル・タッグ王座に挑戦。1969年8月11日には札幌にて、盟友クラッシャー・リソワスキーとのコンビでBI砲を破り、同王座を奪取している。2日後の13日に奪還されたものの、この来日時がクラッシャーと組んでの「ブルクラ・コンビ」の日本初参戦であり、大きなインパクトを残した。翌14日には広島県立体育館にてマリオ・ミラノと組み、猪木&吉村道明が保持していたアジアタッグ王座にも挑戦している。

1972年11月にはAWAとの提携ルートでクラッシャーと共に国際プロレスに来日し、11月24日に岡山武道館にてストロング小林&グレート草津のIWA世界タッグ王座に挑戦。11月27日には愛知県体育館にて、小林&草津を相手に日本初の金網タッグデスマッチを行ったが、試合方式を「金網から先に脱出した方が勝ち」というアメリカ式のエスケープ・ルールと誤認、ダウンした小林と草津を残して場外に脱出し、そのまま控室に戻り無効試合になったため、怒った観客が暴動を起こし機動隊が出動するという騒ぎとなった。この来日時、ブルーザーとクラッシャーは「WWA世界タッグ王者チーム」の触れ込みで参戦しており、この金網タッグデスマッチは小林と草津の挑戦を受けたWWA世界タッグ王座の防衛戦として行われ、11月30日には茨城県スポーツセンターにて、決着戦としてIWAとWWAの両タッグ王座のダブルタイトルマッチが組まれたが、この時点での実際のWWA世界タッグ王者チームはザ・ブラックジャックスであり、ブルーザーとクラッシャーはタイトルを保持していなかった(11月29日には東京都体育館にて、小林&マイティ井上との防衛戦も行われている)。

1975年4月に全日本プロレスに初登場し、4月10日に宮城県スポーツセンターにて馬場のPWFヘビー級王座に挑戦、両者の日本での久々の対戦が実現した(この来日前の2月6日、アメリカのカンザスシティでも馬場のPWF王座に挑戦している)。AWAとWWAの両世界タッグ王座戴冠中の翌1976年1月にはクラッシャーとのコンビで全日本プロレスに再来日、1月26日に愛知県体育館、29日に東京都体育館にて、馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に連続挑戦している。

1980年3月、国際プロレスに久々に来日。日本プロレス以来となる大木金太郎との対戦が注目され、同時参戦していたモンゴリアン・ストンパーと組んでのラッシャー木村&大木とのタッグマッチや、「和製ブルーザー」と呼ばれたアニマル浜口とのシングルマッチも行われた。これが最後の来日となり、日本マットには日本プロレスに3回、全日本プロレスと国際プロレスに各2回、通算7回参戦したが、いずれも1週間程度の特別参加という大物扱いだった。

生傷男の異名そのままに、「酒場の用心棒をしていた」などという定番的なフィクションも含め、数々の武勇伝を持つ。

日本で紹介されたエピソードでは、学生時代はフットボール選手として各大学からスカウトの声が掛かったものの、喧嘩が原因の放校処分で7つの大学を渡り歩いており、結局は卒業出来なかったという。在籍期間の最長はパデュー大学の7カ月間で、地元のインディアナ大学は2日間で退学になったとされる。

人種差別を憎み、グリーンベイ・パッカーズ初の黒人選手であるボブ・マン(英語版)とは当時チームメイトで、マンがタクシー運転手に人種差別から乗車拒否を受けた際、ブルーザーが運転手に怒り乗車拒否を撤回させたこともあった。自身が主宰していたWWAでも、ボボ・ブラジル、アート・トーマス、アーニー・ラッド、ルーファス・ジョーンズなどの黒人レスラーを重用し、ブラジルとラッドはWWA世界ヘビー級王座を獲得した。

国際プロレスでの暴動事件の15年前、1957年11月19日にも、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの試合(ジェリー・グラハムと組んでのエドワード・カーペンティア&アントニオ・ロッカとのタッグマッチ)において、興奮した観客による暴動騒ぎが起きている。直接の原因はグラハムがロッカを流血させたことによるものだが、ブルーザーはリングに仁王立ちしたまま暴徒と化して詰め寄ってくる観客を次から次へと客席へ投げ飛ばしていたという。その後もブルーザーは翌1958年までMSGに時折出場したが、度を越した荒っぽいファイトスタイルのためにニューヨークから永久追放され、以降はWWWFのリングに上がることはなかった。1980年3月の国際プロレス参戦時に、当時国際プロレスの外国人送迎補助兼通訳を務めていた流智美が行ったインタビューでは「謝罪するつもりはない。客が投げた椅子で頭部に裂傷を負った被害者だ。客に椅子を投げ返したのは正当防衛だ」「ガーデンに出場できなくても他に稼ぐ場所はいくらでもある。永久追放? 上等じゃないか」などと答え、追放処分を受けた際にも「嬉しかった。ガーデンに出場するよりも、プライドを守るのが大事だよ」と思ったという。

私生活では5回の離婚歴があったとされる。1965年の初来日初戦の直前、ブルーザーは東京スポーツのインタビューに対して「得意技はパンチ、キック、かきむしり、かみつき、そのほかあらゆるラフプレイだ。プロフットボールで暴れすぎて追放されたが、俺のラフさを生かすのはプロレス以外にない。だからこの道に入った。ワイフ? 5回結婚したが今はいない。趣味はビールと女だ」とプロレス入りの経緯や私生活などを語っていた。

1965年の初来日時、ジャイアント馬場とのインターナショナル・ヘビー級王者決定戦の調印式でブルーザーは馬場を小僧呼ばわりして凄み、電話帳を真っ二つに破り裂きビール瓶の栓を指で抜いてラッパ飲みするなどのパフォーマンスを敢行。そのあまりの迫力に馬場は貫禄の差を見せ付けられ、震え上がったという。この試合で馬場はブルーザーのあまりのタフさに無我夢中となり、師匠の力道山から「相手が死んでしまうぞ」と止められていた脳天唐竹割りを解禁したとされる。後に馬場は「ブルーザーと聞くだけで背筋がピンとした。あの男は本当にすごかった」と述べている。

1980年代にアメリカで馬場と再会した際にも、当時NWAでも屈指の大プロモーターとなっていた馬場に "Hey, Kid! (よう、小僧)" と声をかけて馬場を苦笑させたが、これは業界の後輩に対する親しみを込めた表現でもあり、ブルーザー・ブロディなども彼からは常に「キッド(小僧)」と呼ばれていた。

プロモーターになってからも、ブルーザー・ブロディ相手にバックステージで大喧嘩をするなど、血気盛んなところは変わらなかった。

葉巻を咥えつつビールをラッパ飲みし、野太いしゃがれ声でがなり立てるパフォーマンスがトレードマークだったが、彼のしゃがれた声はNFL時代に喉を負傷したことが原因だという。

日本でアントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦が開催された1976年6月25日(アメリカでの現地時間)には、シカゴ・スタジアムでの連動イベントにてブラックジャック・ランザ&ボビー・ダンカンを相手に、当時クラッシャー・リソワスキーと組んで保持していたAWA世界タッグ王座の防衛戦を行っている。この異種格闘技戦に向けて、当初モハメド・アリはブルーザーをスパーリング・パートナーに指名していたが、ブルーザーはその要請を断り、5月にシカゴで行われた猪木のテレビ会見に同席した。6月10日にシカゴのインターナショナル・アンフィシアターにてアリがバディ・ウォルフらとミックスド・マッチを行った際も、アリのマネージャー役のフレッド・ブラッシーに対抗し、レスラー側のセコンドを務めている。

1980年3月の国際プロレス参戦時、インディアナポリスから航空機に搭乗した際、空港職員が「ミスター・ブルーザー、遠征ですか。行ってらっしゃい」とノーチェックで通したために、搭乗者名簿には本名のウィリアム・アフィルス(アフリス)ではなくW・ブルーザーとして記載されたまま、成田空港着のノースウエスト航空機で来日した。その際、成田空港に出迎えへ行った月刊プロレスのスタッフは当該便の搭乗者名簿を調べたが "William Afflis" の名前は見当たらず、名簿を端から端までチェックした所、ブルーザーの名義で搭乗していたことを知ったという。

グラップラー刃牙に登場するリチャード・フィルスは彼がモデルである。

NWA USヘビー級王座(デトロイト版):7回

NWA USヘビー級王座(シカゴ版):2回

NWA世界タッグ王座(シカゴ版):1回(w / ハンス・シュミット)

NWA USヘビー級王座(ハワイ版):1回

NWAミズーリ・ヘビー級王座:3回

AWA世界ヘビー級王座:1回

AWA世界タッグ王座:5回(w / クラッシャー・リソワスキー)

WWA世界ヘビー級王座(ロサンゼルス版):1回

WWA世界ヘビー級王座(インディアナポリス版):13回

WWA世界タッグ王座(インディアナポリス版):14回(w / クラッシャー・リソワスキー×6、ウイルバー・スナイダー×3、ブルーノ・サンマルチノ、ビル・ミラー、スパイク・ヒューバー、ジェフ・ヴァン・キャンプ、ボビー・コルト)

インターナショナル・タッグ王座:1回(w / クラッシャー・リソワスキー)

WCW殿堂:1994年

WWE殿堂(レガシー部門):2021年

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^ 『16文が行く (新装版) 』P87-88(1999年、ダイナミックセラーズ出版、ISBN 488493279X)

^ “AWA Chicago Stadium”. Cagematch.net. 2015年2月4日閲覧。

^ 『Gスピリッツ Vol.12』P14-15(2009年、辰巳出版、ISBN 4777806847)

^ “ディック・ザ・ブルーザーが国際線にリングネームで搭乗できた理由【週刊プロレス】”. ベースボール・マガジン社 (2022年1月22日). 2022年2月25日閲覧。

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^ “WCW Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。

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2024/11/20 21:32更新

Dick The Bruiser


ディック・ザ・ブルーザーと同じ誕生日6月27日生まれの人

浅野 真弓_(アーチェリー選手)(あさの まゆみ)
1976年6月27日生まれの有名人 佐賀出身

浅野 真弓(あさの まゆみ、1976年6月27日 - )は、佐賀県出身の女性アーチェリー選手。2000年シドニーオリンピックアーチェリー個人日本代表。 2005年世界選手権で女子個人6位、2006年…

二川 孝広(ふたがわ たかひろ)
1980年6月27日生まれの有名人 鹿児島出身

二川 孝広(ふたがわ たかひろ、1980年6月27日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表。 小中学生時代は地元高槻市である高槻FC…

竹俣 紅(たけまた べに)
1998年6月27日生まれの有名人 東京出身

竹俣 紅(たけまた べに、1998年6月27日 - )は、フジテレビアナウンサー。将棋の元女流棋士、元タレントであり、当時はワタナベエンターテインメントに所属していた。 東京都港区出身。港区立青山小…

德田 聡一朗(とくだ そういちろう)
1997年6月27日生まれの有名人 山口出身

德田 聡一朗(とくだ そういちろう、1997年6月27日 - )は、フジテレビのアナウンサー。 山口県山口市出身。野田学園高等学校、関西大学政策創造学部・国際アジア法政策学科卒業。 高校時代は陸上…

久冨 慶子(ひさとみ けいこ)
1988年6月27日生まれの有名人 神奈川出身

久冨 慶子(ひさとみ けいこ、1988年6月27日 - )は、テレビ朝日アナウンサー。 神奈川県出身。藤沢市立大道小学校、横浜共立学園中学校・高等学校、青山学院大学社会情報学部卒業。高校時代はダンス…


伊藤 遼(いとう りょう)
1994年6月27日生まれの有名人 埼玉出身

伊藤 遼(いとう りょう、1994年6月27日 - )は、日本テレビのアナウンサー。 埼玉県さいたま市出身。 身長172 cm。 左利き。 埼玉県立春日部高等学校、明治大学情報コミュニケーション学…

優香(ゆうか)
1980年6月27日生まれの有名人 東京出身

優香(ゆうか、1980年(昭和55年)6月27日 - )は、日本のタレント・女優。 東京都立川市生まれ、武蔵村山市・あきる野市育ち。ホリプロ所属。夫は俳優の青木崇高。 7歳上の姉と5歳上の兄の3人…

真弓 倫子(まゆみ ともこ)
1971年6月27日生まれの有名人 鹿児島出身

真弓 倫子(まゆみ ともこ、1971年6月27日 - )は、日本の元女優、歌手、タレント。鹿児島県出身。エムティ企画に所属していた。 堀越高等学校卒業。 原宿で街頭スカウトされて、芸能界入り。 デ…

本田 翼(ほんだ つばさ)
1992年6月27日生まれの有名人 東京出身

本田 翼(ほんだ つばさ、1992年(平成4年)6月27日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、タレント、YouTuber。愛称は、ばっさー。東京都三鷹市出身、スターダストプロモーション制作1部…

鈴原 りこ(すずはら りこ)
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鈴原 りこ(すずはら りこ、1992年6月27日 - )は、日本のグラビアアイドル、介護士である。ニューピース所属。山形県出身。 すっぴんをコンセプトとするカフェに不定期で勤務しており、芸能界デビュ…


小阪 由佳(こさか ゆか)
1985年6月27日生まれの有名人 神奈川出身

小阪 由佳(こさか ゆか、1985年〈昭和60年〉6月27日 - )は、日本の実業家、チャイルドカウンセラー、元タレント。神奈川県出身。 2004年から2009年までグラビアアイドルとしてA-tea…


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ディック・ザ・ブルーザーと近い名前の人

ディック=チェイニー(Dick Cheney)
1941年1月30日生まれの有名人 出身

ディック・チェイニー(英語: Dick Cheney)、本名リチャード・ブルース・チェイニー(Richard Bruce Cheney、1941年1月30日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、…

チャールズ=ディケンズ(Charles Dickens)
1812年2月7日生まれの有名人 出身

チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens、 1812年2月7日 - 1870年6月9日)は、ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家である。…

リチャード=マクドナルド(Richard “Dick” McDonald)
1909年2月16日生まれの有名人 出身

マクドナルド兄弟(マクドナルドきょうだい、McDonald Brothers)は、ファーストフードの会社であるマクドナルドを設立したことで知られる、リチャード・ジェームズ・"ディック"・マクドナルド(…

ディック=フォスベリー(Richard Douglas “Dick” Fosbury)
1947年3月6日生まれの有名人 出身

リチャード・ダグラス・フォスベリー(Richard Douglas Fosbury, 1947年3月6日 - 2023年3月12日)はアメリカの陸上競技男子走高跳選手である。登録名の「ディック」は愛称…


槙田 紗子(まきた さこ)
【PASSPO☆】
1993年11月10日生まれの有名人 神奈川出身

槙田 紗子(まきた さこ、1993年11月10日 - )は、日本の振付師、プロデューサー。PASSPO☆の元メンバー。アイドルグループHey!Mommy!のプロデューサー。高橋愛が率いるダンスボーカル…

川上 愛(かわかみ まな)
1993年2月6日生まれの有名人 兵庫出身

川上 愛(かわかみ まな、1993年〈平成5年〉2月6日 - )は、日本の女性ファッションモデル、タレント。愛称は、まなてぃー。かつてオスカープロモーション、プラチナムプロダクションなどに所属していた…

鎌田 あかね(かまた あかね)
1991年8月30日生まれの有名人 東京出身

鎌田 あかね(かまた あかね、1991年8月30日 - )は、日本の元タレントである。本名、鎌田 茜(かまた あかね)。 東京都出身。Y・M・Oに所属していた。 芸能人女子フットサルチームFANT…

雨宮 める(あまみや める)
1986年3月6日生まれの有名人 京都出身

雨宮 める(あまみや める、1986年3月6日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、レースクイーン、プロ雀士。愛称は、めるてぃ。京都府出身。 早稲田大学法学部卒業。 身長160センチ、体重…

メロディー洋子(めろでぃーようこ)
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メロディー洋子(メロディーようこ、Melody Yoko、1988年7月30日 - )は日本の女性ファッションモデル、タレント。アメリカ合衆国カリフォルニア州レドンド・ビーチ出身。 父親がアイルラン…


ディーン・フジオカ(英語: Dean Fujioka)
1980年8月19日生まれの有名人 福島出身

Tang4 Gong1 Din6 DEAN FUJIOKA ディーン・フジオカ(英語: Dean Fujioka、中国語: 藤岡靛、本名:藤岡 竜雄(ふじおか たつお)、1980年〈…

前山 奈津巴(まえやま なつは)
1990年8月10日生まれの有名人 愛媛出身

前山 奈津巴(まえやま なつは、1990年8月10日 - )は、愛媛県出身のタレント、グラビアアイドル。アヴィラに所属していたが現在は不明。 趣味はダーツ、絵画。特技はモダンダンス、ジャズダンス。好…

永井 麻央(ながい まお)
1991年10月19日生まれの有名人 青森出身

永井 麻央(ながい まお、1991年10月19日 - )は、青森県出身のモデル・タレント・歌手である。芸能活動の拠点は日本と韓国。アークプロダクション所属。 小さい頃から芸能界に興味を持ち、16歳で…

酒井 美樹(さかい みき)
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酒井 美樹(さかい みき、1989年5月18日 - )は、群馬県出身のタレント、レースクイーン。プラチナムプロダクション所属。 2009年より東京ヤクルトスワローズの公式パフォーマーユニット『Swa…

小林 麻衣(こばやし まい)
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小林 麻衣(こばやし まい、1983年10月30日 - )は埼玉県出身のレースクイーン、タレント、プロダンサーである。愛称は「まいてぃ」、「舞々」(2017年現在)。 所属事務所はスタイルコーポレー…


内山 命(うちやま みこと)
【SKE48】
1995年11月14日生まれの有名人 三重出身

内山 命(うちやま みこと、1995年〈平成7年〉11月14日 - )は、女性アイドルグループ・SKE48チームKIIの元メンバーである。チームKIIでは副リーダーを務めた。三重県鈴鹿市出身。 20…

ダンディ坂野(だんでぃさかの)
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スクールJCA2期 飯塚悟志 渡部建 ユリオカ超特Q] など スクールJCA3期 アンタッチャブル 豊本明長 かずみん など 坂野(さかの)YouTubeチャンネル

矢方美紀(やかた みき)
【SKE48】
1992年6月29日生まれの有名人 大分出身

矢方 美紀(やかた みき、1992年〈平成4年〉6月29日 - )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ、声優である。女性アイドルグループ「SKE48」チームSの元メンバーで、同チームではリーダーを…

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