中村正直の情報(なかむらまさなお) 啓蒙思想家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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中村正直と関係のある人
明治天皇: 当初文部省は草案作りを東京大学教授を経て元老院議官となっていた中村正直に嘱託した。 津田真道: 福澤諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之、西村茂樹らと明六社を結成。 長谷川如是閑: 1885年(明治18年)には本郷区本郷真砂町(現在の文京区本郷)の坪内逍遥の塾に通い、つづいて1886年(明治19年)11歳で小石川区小日向にあった中村正直の同人社にも通ったが落第している。 林董: 慶応2年(1866年)、幕府の開成所で行われた留学試験に合格、留学生として川路太郎・中村正直・外山正一・箕作奎吾・大六(後の菊池大麓)兄弟らとイギリスへ渡りユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン、キングス・カレッジ・ロンドンで勉強していたが、慶応4年(明治元年、1868年)6月に幕府滅亡と戊辰戦争勃発のため帰国を命じられ、旅費の工面がつかない所をパリ万国博覧会訪問のためヨーロッパへ来ていた徳川昭武ら使節団に合流、昭武の援助で日本へ帰国した。 ジョン=スチュアート=ミル: この思想は明治時代においては「自由之理」として中村正直に翻訳され、大隈重信の立憲改進党の思想に大きく影響を与えた。 サミュエル=スマイルズ: 中村正直(翻訳)『西国立志編』講談社学術文庫、1981年 ISBN 4061585274 井上毅: 文部大臣に就任した芳川は、女子高等師範学校学長の中村正直に、道徳教育に関する勅語の原案を起草させた。 津田仙: 同志社大学の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直とともに、キリスト教界の三傑とうたわれた。 サミュエル=スマイルズ: 中村正直 訳『現代語訳 西国立志編 スマイルズの『自助論』』金谷俊一郎(現代語訳)、PHP研究所〈PHP新書856〉、2013年3月15日。 三島弥太郎: 1873年(明治6年)、7歳で東京神田の小川町学校入学、その後すぐに中村正直が開設した私塾の同人社分校に通い普通学と英語を学ぶ。 朝河貫一: 1871年(明治4年)から1874年(明治7年)までの約3年間、工部省電信寮に電信技師として採用された後、中村正直の同人社や近藤真琴の攻玉塾等の私塾で英語を教える。 勝海舟: 明治2年に投獄された榎本の母や、同じく罪人となった荒井郁之助(矢田堀の甥、榎本と共に新政府と戦った)の家族への資金援助を始めとする手助け、明治6年5月に商人の大黒屋六兵衛から供出させた資金を元手に中村正直、津田仙、永井尚志ら旧幕臣への資金援助をしたり、明治13年(1880年)に徳川一族から積立金を集め保晃会を設立、日光東照宮保存を図ったことや明治19年(1886年)に徳川家墓地管理と旧幕臣援助を定めた酬恩義会を設立している。 鈴木唯一: ゼー・ドブリウ撰、中村正直ほか飜訳 『英国律法要訣 左院編輯局正院飜訳局版』 信山社出版〈日本立法資料全集〉、2005年8月、ISBN 9784797249231 小西重直: 尊敬していた杉浦重剛、中村正直より一字をとり「重直」へ改名した。 外山正一: 勝海舟の推挙により1866年(慶応2年)、中村正直らとともに幕府派遣留学生として渡英、イギリスの最新の文化制度を学ぶ。 森有礼: 明治6年(1873年)夏、帰国すると福澤諭吉・西周・西村茂樹・中村正直・加藤弘之・津田真道・箕作麟祥らと共に明六社を結成する。 鈴木唯一: 中村正直ほか合訳、鈴木唯一訳 『英国律法要訣 第一篇第二篇』 信山社出版〈日本立法資料全集〉、2005年8月、ISBN 9784797249248 サミュエル=スマイルズ: 1859年にジョン・マレー社から出版した『Self-Help』は、1866年江戸幕府留学生取締役として英国に留学した中村正直が、1867年発行の増訂版を用い、1871年『西国立志編』の題で邦訳し、明治維新まもない日本で出版した。 サミュエル=スマイルズ: 中村正直(翻訳)、渡部昇一・宮地久子(現代語訳)『自助論 西国立志編 努力は必ず報われる』幸福の科学出版〈教養の大陸BOOKS〉、2009年10月。 床次竹二郎: 中村正直の同人社や教師の一人には高橋是清が居た共立学校に通い、その後、第一高等中学校を経て、1883年に大学予備門、1887年に東京帝国大学法科大学政治科に入学した。 徳川家達: また河田熙、乙骨太郎乙の家塾や中村正直の同人社に通学した。 河野広中: 明治6年(1873年)2月には磐前県第14区(のちの福島県常葉町・現田村市)副戸長に任命されるが、この頃ジョン・スチュアート・ミルの『自由乃理』(中村正直の訳)を読み、自由民権運動に開眼する。 嘉納治五郎: 東京大学在学中は、漢文学を中村正直や三島毅(中洲)、島田重禮(篁村)等に、和学を横山由清、小中村清矩、黒川真頼等に、印度哲学は原担山、吉谷覚寿等につき、講師であった渋沢栄一の経済学の講義も受けた。 小崎弘道: なおそれ以前は福澤諭吉が「宗門」「宗旨」と、中村正直が「法教」と訳していた。 |
中村正直の情報まとめ
中村 正直(なかむら まさなお)さんの誕生日は1832年6月24日です。東京出身の啓蒙思想家のようです。
現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1891年に亡くなられているようです。
中村正直のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日(天保3年5月26日) - 1891年(明治24年)6月7日)は、明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。英学塾・同人社の創立者で、東京女子師範学校摂理(校長)、東京大学文学部教授、女子高等師範学校長を歴任した。通称・敬太郎。字は敬輔、号は敬宇、鶴鳴、梧山。洗礼名はジョン(John)。 江戸・麻布の幕府同心の中村武兵衛の長男として生まれる。幼名は釧太郎、葛馬茂右衛門から四書を学び、石川梧堂の門人となり筆法を修める。1846年(弘化3年)、築地の井部香山の塾で漢学を学び、翌年桂川甫周から蘭学の指南を受ける。 1848年(嘉永元年)、昌平坂学問所の寄宿寮に入る。佐藤一斎に儒学を、箕作奎吾に英語を習った。1855年(安政2年5月)に教授、1856年(安政3年)に甲府徽典館の学頭となる。1862年(文久2年)に幕府の御用儒者となる。 1866年(慶応2年)川路寛堂と供に 幕府のイギリス留学生監督として外山捨八(正一)等の留学生12名を引き連れて渡英。10月26日 横浜を出発し、翌年の元旦にロンドン到着。 1868年(慶応4年)6月 幕府瓦解のため、帰国。 1868年(慶応4年)8月 静岡市大岩町の臨済寺に家を借りる。その後に半洋式の家「無所争斎」を建ててそちらに移る。 1868年(明治元年)9月 静岡学問所の教授となる。 このとき同じく静岡学問所の教授であったエドワード・ウォーレン・クラーク宣教師に感化され、彼の生涯の友となった。 教授時代の1870年(明治3年)11月9日に、サミュエル・スマイルズの『Self Help』を、『西国立志編』(別訳名『自助論』)の邦題で出版し100万部以上を売り上げ、福澤諭吉『学問のすすめ』と並ぶ大ベスト・ロングセラーとなった。序文にある‘Heaven helps those who help themselves’を「天は自ら助くる者を助く」と訳したのも彼である。 ジョン・スチュアート・ミル『On Liberty』を、『自由之理』(現在では同書を『自由論』と称するのが一般的)で訳し、「最大多数の最大幸福」という功利主義思想を主張し、個人の人格の尊厳や個性と自由の重要性を強調した。この『自由之理』にはエドワード・ウォーレン・クラークにより書かれた序文も付けられている。 1872年(明治5年)6月 大蔵省翻訳局長に任じられ、後に帝国学士会員、東京大学教授となる。女子教育・盲唖教育にも尽力。 1873年(明治6年)3月 大蔵省退官後に小石川の私邸に同人社を開設、この私塾で英学を教えた。同人社は、三田の慶應義塾及び近藤真琴の攻玉社と並ぶ三大義塾と称された。 また、1873年(明治6年)、国内における学術団体の嚆矢とされる明六社の設立に参加、福澤諭吉、森有礼、西周、加藤弘之らとともに主要メンバーとして啓蒙思想の普及に努め、機関誌「明六雑誌」の執筆を行う。 1874年(明治7年)1月4日 横浜ユニオン・チャーチでジョージ・コクラン宣教師の説教を聞く。それがきっかけでコクランを同人社に迎え入れる。 1874年(明治7年)12月25日 養子の一吉と共にコクランから洗礼を受け、カナダ・メソジスト教会の日本人最初の信徒になる。洗礼名はジョン(John)で、Nakamura Masanawer John と呼ばれた。 1890年(明治23年)9月29日、貴族院勅選議員に任じられ、死去するまで在任した。 1891年 死去。満58歳。 六大教育家のうちの3名のクリスチャン(あと2人は森有礼と新島襄)のうちの1人。興亜会会員。 父の武兵衛は静岡県伊東市宇佐美の農家である佃家の次男として生まれたが、その後に中村家の養子となった。正直は父のふる里である宇佐美を愛しよく訪れていた。そのつながりから、宇佐美には中村敬宇顕彰碑という石碑が立てられている。 中村正直が静岡に居たときに住んでいた場所は現在の静岡県静岡市葵区大岩本町の富春院の裏手である。その富春院の門の前には彼を記念した石碑「尚志」の碑が建てられている。また、実際に彼の家「無所争斎」があった場所には中村敬宇先生旧宅跡という石碑もある。
「尚志」の碑
中村敬宇先生旧宅跡の石碑
中村敬宇先生旧宅跡の石碑
1884年(明治17年)9月30日 - 正五位 1886年(明治19年)10月28日 - 従四位 1891年(明治24年)6月5日 - 正四位 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章 1891年(明治24年)6月6日 - 勲三等瑞宝章 柳沢信大編 編『敬宇文』 上下2冊、高橋金十郎、1880年1月。
松村操纂輯 編『敬宇先生詩文偶抄』思誠堂、1881年10月。 木平譲編輯 編『敬宇中村先生演説集』松井忠兵衛、1888年4月。 『敬宇文集』 6冊、吉川弘文館、1903年4月。 豊島住作編纂 編『敬宇詩集』 3冊、敬宇詩集刊行発行所、1926年12月。
『新日本古典文学大系 明治編2 漢詩文集』 入谷仙介ほか校注、岩波書店、2004年3月、ISBN 4-00-240202-9 「敬宇先生上書是非」(吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第十五巻 思想篇』 日本評論社、1929年6月
明治文化研究会編 『明治文化全集 第十六巻 思想篇』 日本評論社、1992年7月、ISBN 4-535-04256-X 「中村正直篇」(山本三生編纂 『現代日本文学全集 第一篇 明治開化期文学集』 改造社、1931年1月) 「中村正直篇」(大久保利謙編 『明治文学全集 第3巻 明治啓蒙思想集』 筑摩書房、1967年1月、ISBN 4-480-10303-1) 「中村敬宇集」(伊藤整ほか編 『日本現代文学全集 第13巻 明治思想家集』 講談社、1968年12月、増訂版1980年5月 亀山聿三編 編『近代先哲碑文集』 第卅二(敬宇中村先生碑文集)、夢硯堂、1973年1月。 『請質所聞』(静嘉堂文庫所蔵) 『敬宇日乗』(静嘉堂文庫所蔵) 『西稗雑纂』 同人社、1874年3月、第二集:1876年3月 『愛敬余唱』 大槻愛古編次、珊瑚閣、1876年4月 『自叙千字文』 1887年3月
『報償論』 中村正直、1888年9月 『西国立志編 : 原名自助論』11冊、斯邁爾斯著、木平謙一郎、明治4年9月
柳田泉校訂『スマイルス自助論 西国立志編』冨山房百科文庫、1938年 復刻版『西国立志編』修学堂、1961年 海後宗臣編・解説 『日本教科書大系 近代編第一巻 修身(一)』 講談社、1961年11月 - 抄録 サミュエル・スマイルズ『西国立志編』、講談社学術文庫、1981年1月、ISBN 4-06-158527-4 『新日本古典文学大系 明治編11 教科書 啓蒙文集』 斉藤利彦ほか校注、岩波書店、2006年6月、ISBN 4-00-240211-8 - 抄録 『西国立志編』2冊、スマイルス著、人間文化研究機構〈国文学研究資料 リプリント日本近代文学〉、2012年12月 『自由之理』6冊、弥爾(ミル)著、木平謙一郎、明治5年1月
『明治文化全集 第五巻 自由民権篇』 吉野作造編輯代表、日本評論社、1927年11月 明治文化研究会編 『明治文化全集 第二巻 自由民権篇』 日本評論新社、1955年1月 明治文化研究会編 『明治文化全集 第五巻 自由民権篇 上巻』 日本評論社、1992年7月、ISBN 4-535-04245-4 『自由之理』ミル著、人間文化研究機構〈国文学研究資料 リプリント日本近代文学〉、2013年1月 『西国童子鑑』2冊、同人社、1873年10月 『共和政治』3冊、ランソム・ギルレット著、同人社、1873年10月 『英国律法要訣』 翻訳局訳述、印書局、1874年12月
『英国律法要訣 左院編輯局正院飜訳局版』 ゼー・ドブリウ撰、中村正直ほか飜訳、信山社出版〈日本立法資料全集〉、2005年8月、ISBN 4-7972-4923-4 『英国律法要訣 第一篇第二篇』 中村正直ほか合訳、鈴木唯一訳、信山社出版〈日本立法資料全集〉、2005年8月、ISBN 4-7972-4924-2 『西洋品行論』12冊、斯邁爾斯原撰、中村正直、1878年3月
『拿破崙童時事 童子亀鑑』 同人社、1884年12月 『西洋節用論』 中村正直、1886年2月 『英訳漢語』 大闢士著 『天道溯原』3冊、丁韙良著、山田俊蔵、1875年11月 『英華和訳字典』乾坤2冊、津田仙ほか仝訳、山内輹、1879年3月
『楽善会訓盲唖院記録』 1885年11月(筑波大学附属視覚特別支援学校所蔵)
^ 東京市会事務局編輯 『東京市会史 第一巻』 東京市会事務局、1932年8月、131-133頁、272頁。 ^ 小石川区役所編輯 『小石川区会史 上巻』 小石川区役所、1938年3月、43頁。 ^ 鳥居坂教会百年をむかえて. 鳥居坂教会. (1983年11月20日). p. 12 ^ 飯田宏 (1967). 『静岡県英学史』. 講談社. p. 29 ^ 飯田宏 (1967). 『静岡県英学史』. 講談社. p. 18-25 ^ 『静岡英和女学院百年史』. 静岡英和女学院. (1990). p. 32-36 ^ 飯田宏 (1967). 『静岡県英学史』. 講談社. p. 23 ^ 高橋昌郎『中村敬宇』 吉川弘文館〈人物叢書〉、1966年、125頁 ^ 倉長巍 (1992). 『平岩愃保伝』. 大空社. p. 16-20 ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。 ^ 衆議院・参議院編 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』 1990年11月、147頁。 ^ “10 「尚志」の碑(富春院)~明治期の啓蒙思想家中村正直と静岡~”. 静岡県立中央図書館. 2018年9月25日閲覧。 ^ 『官報』第379号「賞勲叙任」1884年10月1日。 ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。 ^ 『官報』第2380号「叙任及辞令」1891年6月8日。 ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。 ^ 『官報』第2381号「叙任及辞令」1891年6月9日。 サミュエル・スマイルズ『西国立志編』 講談社学術文庫、1981年1月 太田愛人『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』中公文庫、1992年 『静岡英和女学院百年史』(百年史編纂委員会、1990年) 倉長巍『平岩愃保伝』大空社、1992年 飯田宏『静岡県英学史』講談社、1967年 『鳥居坂教会百年をむかえて』鳥居坂教会、1983年11月20日 花房吉太郎, 山本源太 編『日本博士全伝』p24‐25 「文学博士 中村正直 君」,博文館,1892. 国立国会図書館デジタルコレクション 「中村正直」(国立公文書館所蔵 「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書」)
「故文学博士中村正直事績」(国立公文書館所蔵 「贈位内申書」) 石井研堂『自助的人物典型 中村正直伝』成功雑誌社、1907年2月。
全国教育者大集会編 編『帝国六大教育家 附名家叢談』博文館、1907年10月。
昭和女子大学近代文学研究室著 編『近代文学研究叢書』 第1巻、昭和女子大学光葉会、1956年1月。 高橋昌郎『中村敬宇』吉川弘文館〈人物叢書〉、1966年10月。
星新一『明治の人物誌』新潮社、1978年12月。
高橋俊昭「文明開化の蔵書目縁 : 『敬宇文庫洋書総目録』『中村正直先生文庫図書目録』」(『成蹊論叢』第18号、成蹊中学・高等学校、1979年12月) 荻原隆『中村敬宇と明治啓蒙思想』早稲田大学出版部、1984年3月。
小泉仰『中村敬宇とキリスト教』北樹出版〈フマニタス選書〉、1991年5月。ISBN 4-89-384201-3。 Miura Tetsuo『A note on Nakamura Masanao』Sekibundo、2001年。ISBN 4-88116-061-3。 小川澄江『中村正直の教育思想』コスモヒルズ、2004年3月。 中野目徹「中村正直」(伊藤隆、季武嘉也編 『近現代日本人物史料情報辞典』 吉川弘文館、2004年7月、ISBN 4-64-201341-5) 平川祐弘『天ハ自ラ助クルモノヲ助ク : 中村正直と西国立志編』名古屋大学出版会、2006年10月。ISBN 4-8158-0547-4。 高橋俊昭『英学の時代 : その点景』学術出版会〈学術叢書〉、2008年2月。ISBN 978-4-284-10118-9。 李セボン『「自由」を求めた儒者 : 中村正直の理想と現実』中央公論新社、2020年3月。ISBN 978-4-120-05276-7。 『明六雑誌』全3巻、山室信一・中野目徹校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1995年5月-2009年8月、ISBN 4-00-331301-1、4-00-331302-X、4-00-331303-8。 『現代語訳 西国立志編 スマイルズの『自助論』』、金谷俊一郎現代語訳、PHP新書、2013年 立憲政体の詔書#草案 福翁自伝
お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ - 肖像写真・書跡が閲覧できる。 東京大学コレクション 幕末・明治期の人物群像 - 東京大学附属図書館。肖像写真が閲覧できる。 中村 敬宇:作家別作品リスト - 青空文庫 近代日本人の肖像 中村正直 - 国立国会図書館 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー 中村正直 「尚志」の碑(富春院)~明治期の啓蒙思想家中村正直と静岡~ - 中村敬宇の家があったことを示す石碑に関する情報。 表 話 編 歴 D・マクドナルド · 平岩愃保 · 山路愛山 · 今井信郎 · 高木壬太郎 · 山中笑 · 土屋彦六(杉山彦六) · 中村正直 · 露木誠一 · 村松一 · 三木自道 · 日根野弘 · 諏訪昇 · 栗島重清 · 小倉烈 · 佐藤重道(佐藤顕理) · 山中常慶 カナダ・メソジスト教会・賤機舎・静岡教会 横浜バンド(1872) · 熊本バンド(1876) · 札幌バンド(1876) 静岡バンド(1876) · 弘前バンド(1876) · 阪神バンド(1870) · 松江バンド(1891) 表 話 編 歴 初代 野口明 1949-1953 第2代 蠟山政道 1954-1959 第3代 久米又三 1960-1964 第4代 藤田健治 1965-1968 第5代 波多野完治 1969-1971 第6代 谷田閲次 1971-1976 第7代 市古宙三 1976-1979 第8代 井上茂 1979-1982 第9代 藤巻正生 1982-1987 第10代 河野重男 1987-1992 第11代 太田次郎 1992-1997 第12代 佐藤保 1997-2001 第13代 本田和子 2001-2005 第14代 郷通子 2005-2009 第15代 羽入佐和子 2009-2015 第16代 室伏きみ子 2015-2021 第17代 佐々木泰子 2021- 小杉恒太郎 1874-1875 摂理 中村正直 1875-1880 摂理/校務嘱託 福羽美静 1880-1881/1881-1885 那珂通世 1881-1885 中村正直 1890-1891 心得 村岡範為馳 1891 心得 中川謙二郎 1891 細川潤次郎 1891-1894 秋月新太郎 1894-1897 高嶺秀夫 1897-1908 高嶺秀夫 1908-1910 代理 飯盛挺造 1910 中川謙二郎 1910-1917 湯原元一 1917-1921 茨木清次郎 1921-1927 吉岡郷甫 1927-1935 下村寿一 1935-1945 藤本万治 1945-1949 野口明 1949-1952 カテゴリ メディア お茶の水女子大学 お茶の水女子大学 人物 表 話 編 歴 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ スウェーデン 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 19世紀日本の教育者 19世紀日本の儒学者 19世紀の漢学者 19世紀日本の著作家 19世紀日本の翻訳家 19世紀のプロテスタント信者 お茶の水女子大学学長 東京女子高等師範学校の教員 江戸時代の儒学者 明治時代の漢学者 貴族院勅選議員 明治時代の貴族院議員 在職中に死去した日本の貴族院議員 日本の元老院議官 東京市会議員 小石川区会議員 興亜会の人物 静岡学問所の教員 戦前日本の大蔵官僚 東京学士会院の人物 東京大学の教員 同人社の人物 日本の啓蒙思想家 日本のプロテスタントの信者 幕末の旗本 明六社の人物 在イギリス日本人 文学博士取得者 武蔵国の人物 東京都区部出身の人物 1832年生 1891年没 谷中霊園に埋葬されている人物 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 Libris識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/12 01:36更新
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