もしもし情報局 > 1973年 > 7月24日 > 野球選手

中村紀洋の情報 (なかむらのりひろ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月5日】今日誕生日の芸能人・有名人

中村紀洋の情報(なかむらのりひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

中村 紀洋さんについて調べます

■名前・氏名
中村 紀洋
(読み:なかむら のりひろ)
■職業
野球選手
■中村紀洋の誕生日・生年月日
1973年7月24日 (年齢51歳)
丑年(うし年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和48年)1973年生まれの人の年齢早見表

中村紀洋と同じ1973年生まれの有名人・芸能人

中村紀洋と同じ7月24日生まれの有名人・芸能人

中村紀洋と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


中村紀洋と関係のある人

梅野隆太郎: 2018年シーズン前半は打撃が不安定であったが、交流戦の西武戦で、大学時代から親交があり同学年の山川穂高にこぢんまりして怖さが無くなっていることを助言され、当時一軍打撃コーチだった平野恵一からも「お前はノリさん(中村紀洋)みたいになってほしいんだよな」と助言されたのがきっかけで打撃が上昇し、これにはチームメイトの大山悠輔も中村のYouTubeチャンネルを研究して打撃が上昇したという。


和田一浩: 9月24日の近鉄最終戦で松坂大輔がタフィ・ローズに55号本塁打、中村紀洋に逆転サヨナラ2点本塁打を打たれた試合で捕手として出場していた。


堀井和人: スカウト時代は西川佳明・元木大介(ダイエー時代、入団拒否)・中村紀洋・福留孝介(近鉄時代、入団拒否)・坂口智隆・岡田貴弘を担当 。


三木仁: 入団当初は三塁守備とパワーのある打撃で「ポスト中村紀洋」との声もあった。


金村義明: その一方で、一軍監督の鈴木や一軍作戦兼バッテリーコーチの梨田昌孝は、金村とポジションの重なる中村紀洋を育てる方針を立てていた。


河西俊雄: 1977年から近鉄バファローズのスカウト部長に就任し、大石大二郎・金村義明・小野和義・阿波野秀幸・赤堀元之・野茂英雄・中村紀洋・高村祐・吉井理人・加藤哲郎らを担当した。


佐々木恭介: そんな状況の下で、在任中に打者ではタフィ・ローズ、フィル・クラークの両外国人や中村紀洋、礒部公一、投手では岡本晃、大塚晶文などといった若手が新戦力となり、結果こそ残せなかったものの、佐々木退団後の2001年におけるリーグ優勝への下地は佐々木監督時代に着実に作り上げられた。


長岡学: ^ 元近鉄外野手の長岡学さん、南海モデルユニの大宮七里ボーイズの監督で奮闘〈下〉中村紀洋の打撃フォームを解説(『スポーツ報知』2019年2月27日付記事)


山口航輝: また同球場における1試合3本塁打は、2009年4月10日にグレッグ・ラロッカ(オリックス)が対ロッテ1回戦で記録して以来13年ぶり史上5人目、日本人選手としては1997年9月20日の中村紀洋(近鉄)以来25年ぶり史上2人目となった。


澤井道久: その期待に応えるように3月30日のヤクルトとの開幕戦ではプロ入り初打点を挙げ、荒木や中村紀洋が故障した際は代わってスタメンに名を連ねることもあった。


筒香嘉智: しかし開幕三連戦で9打数無安打を喫し、中村紀洋に三塁のポジションを奪われ、4月1日に登録抹消された。


善村一仁: 佐々木恭介監督就任時の秋季キャンプでは「守備は幼稚園レベルだが、バッティングは中村紀洋のライバルになりうる」と評価された事が中日スポーツに掲載された。


宮地克彦: 2006年開幕直後のオリックス戦(スカイマークスタジアム)での守備で中村紀洋のライナーを捕球した際に右手首を捻り、出場機会が激減。


安田美沙子: 日清食品 どん兵衛(2001年)当時、近鉄の中村紀洋と共演


井上一樹: 2007年は同じく左打ちの外野手である李炳圭の獲得や、中村紀洋の獲得で森野将彦が三塁から外野に回る機会が増えるなどのチーム事情で出場機会が減少し、序盤には二軍降格も経験した。


中尾明生: 近鉄コーチ時代にはコーチながら寮に住み込み、中村紀洋を付きっきりの指導で一流選手に育て上げ、2001年のリーグ優勝に貢献。


小坂誠: 5月3日の対オリックス戦では、8回一死二・三塁の場面で三塁走者・草野大輔の代走として出場すると、中村紀洋の二塁ゴロの間に内野の前進守備をかいくぐる好走塁で決勝点のホームを踏み、初となる地元でのお立ち台に登った。


松井稼頭央: 最終的には首位打者小笠原道大に8厘差と迫るリーグ3位の打率.332、本塁打はカブレラ、ローズ、中村紀洋に次ぐリーグ4位の36本塁打、その内前述の2試合連続サヨナラ本塁打を含むサヨナラ本塁打3本のパ・リーグタイ記録を記録した。


宮﨑敏郎: インタビューでは二軍コーチの万永貴司の指導と、2014年まで在籍していた中村紀洋の姿がプラスになったと語る。


中畑清: 2014年は打線強化としてオリックスからアーロム・バルディリスを獲得するなど補強したが、チームは前年同様の低調な戦いが目立った上、ブランコやソーサの故障に加え13試合に出場時点で10打点と活躍していた中村紀洋を「チーム方針に従わない言動があった」として懲罰降格させるなど、主力選手の離脱が響いた。


北川博敏: 2003年は5月25日の試合で不振の中村紀洋に代わって自身初の4番に座るなどして出場99試合、打率.309、13本塁打、50打点の成績を残した。


ラリー=バーンズ: 開幕戦から3番を任された、開幕第2戦での対日本ハム戦では、3点を追う9回裏二死満塁の場面で、建山義紀から2点適時二塁打を放ち、続く中村紀洋の逆転サヨナラ打に繋げた。


吉川勝成: 開幕第2戦の北海道日本ハムファイターズ戦で、9回表に吉田豊彦からSHINJOが勝ち越し3ラン本塁打を放った後に登板し、エンジェル・エチェバリアを3球三振で抑えると、その裏に相手失策などでの2死満塁からラリー・バーンズ・中村紀洋の連打でチームは逆転サヨナラ勝ちを収め、幸運なプロ初勝利を挙げた。


草野大輔: しかし、中村紀洋の加入で空いた守備位置がなかったため、野村の苦肉の策として19日にプロ入り後、全く経験のないレフトの守備に就かせ、4月22日には初めて左翼手でのスタメン出場を果たした。


笠原倫: 豪振王〜中村紀洋物語〜(2000年7月 - 8月、ヤングアニマル、全3回、監修:永谷修)


優香: 「どん兵衛」 日清食品 (中村紀洋選手(当時大阪近鉄バファローズ)・戸田和幸選手(当時清水エスパルス) と共演)


筒井壮: 上宮高等学校では1年夏に右翼手としてエース宮田正直らを擁して夏の府大会決勝へ進むが、中村紀洋が4番を打つ渋谷高に敗れる。


角中勝也: 高知時代は中村紀洋から提供されたバットを使用していた。


鷹野史寿: 中村紀洋がシドニーオリンピックに出場した際は、中村の抜けた3番を務めた。


川口憲史: また、不動の4番だった中村紀洋が半月板を痛めたため、中村がスタメンを外れたときは、ローズが4番に座り、川口が3番に座ることがあった。


中村紀洋の情報まとめ

もしもしロボ

中村 紀洋(なかむら のりひろ)さんの誕生日は1973年7月24日です。大阪出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

引退、家族、事件、テレビ、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。中村紀洋の現在の年齢は51歳のようです。

中村紀洋のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

中村紀洋公式チャンネル

中村 紀洋(なかむら のりひろ、1973年7月24日 - )は、大阪府大阪市東淀川区(現:淀川区)出身の元プロ野球選手(内野手)。愛称は「ノリ」。

現役時代は大阪近鉄バファローズなどでプレーし、中日ドラゴンズ時代の2007年には中日の53年ぶりとなる日本一に貢献、日本シリーズでは日本シリーズMVPに選出されている。2014年に横浜DeNAベイスターズを戦力外になり事実上現役を引退した(後述)。その後は浜松開誠館高等学校非常勤コーチを経て2022年から中日でコーチを務めた。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。日本プロ野球名球会会員。

家族は、妻の浩子(元実業団バレーボール・日立の選手)と3女。元プロ野球選手の村上隆行は義兄(妻の兄)。さらに同じく元プロ野球選手の中田廉とも遠戚関係にある(中田の母の妹が村上の妻で、村上の妹の夫が中村になる)。

大阪市立野中小学校・大阪市立十三中学校出身。中学時代は大阪淀川リトルシニアでプレーした。1985年4月17日に阪神甲子園球場で行われた阪神タイガース対読売ジャイアンツ(巨人)の試合を観に行き、バックスクリーン3連発を見た。高校進学にあたって、「大阪の私立校は強すぎる。この状況を変えたいんや。みんなで公立から甲子園目指せへんか」とリトルやシニアの仲間を誘い、大阪府立渋谷高等学校へ進学した。1990年の全国高等学校野球選手権大阪大会で2年生ながら4番打者として4本塁打、守備でも三塁手兼投手としてチームを甲子園初出場に導く。府大会決勝では前年のセンバツ準優勝投手である宮田正直を擁する上宮高校相手に打者としては2打席連続の2点本塁打を放ち、投手としては4回からリリーフ登板し、6回5安打2失点に抑えて6-4での勝利に貢献した。大阪の公立高校としては1982年の第64回大会・春日丘高校以来8年ぶりの出場となった。甲子園では初戦(2回戦)で宇部商に敗れた。高校通算35本塁打。高校時代の同級生に大鳥れい(元宝塚歌劇団花組トップ娘役)がいる。

1991年度ドラフト会議を前に大阪桐蔭高校の萩原誠(阪神タイガースから1位指名)とともに大阪出身のスラッガーとして注目されており、会議では近鉄バファローズから4位指名を受け、同年11月30日、契約金4000万円、年俸430万円の条件で近鉄と仮契約した。背番号は66。なお、後に所属する中日ドラゴンズの関西地区担当スカウトを務めていた中田宗男も中村を高く評価していたが、最終的には指名には至らなかった。当時、ドラゴンズの親会社である中日新聞社の発行する『中日スポーツ』ではドラフト候補の選手たち(高校生は164人)をA・B・Cの3段階評価で評価していたが、当時投手だった中村はB評価で、大和銀行への入行が内定していた。

1992年は11試合に出場し、シーズン2本塁打を記録(パシフィック・リーグの高卒新人で本塁打2本以上は清原和博・田中幸雄以来6年ぶり)。1993年は8試合の出場にとどまる。

1994年には故障した金村義明の代役として台頭。9月18日の日本ハム戦(藤井寺)でサイクル安打、プロ初の三塁打がこの記録に結び付いた。この年は規定打席不足だったが、101試合に出場して打率.280、8本塁打を記録した。

1995年からレギュラーに定着。この年は129試合に出場し、打率.228だったが、初の20本塁打を記録した。

1996年から左手首の故障に悩まされる(これまでにも左手首の手術を3回受けている)。前年を下回る110試合の出場だったが、26本塁打、打率.273。

1997年には背番号を石井浩郎が着けていた3へ変更。同年は128試合に出場したが不調で三振数も100を超えた。

1998年にはリーグ2位の32本塁打を放ち、自身初のシーズン30本塁打達成。

球団名が「大阪近鉄バファローズ」になった1999年は初の全試合出場を達成し、ゴールデングラブ賞を獲得。

2000年にはシーズンでは二冠王(本塁打王、打点王)を獲得するが、近鉄は2年連続のパ・リーグ最下位。シーズン終了後、推定年俸3億円(1億6000万円増)プラス出来高払い5000万円で契約を更改した。シアトル・マリナーズに移籍したイチローに代わり、パ・リーグの日本人最高年俸選手になる。

2001年の開幕前に背番号を西武ライオンズへ移籍した義兄・村上嵩幸の着けていた5へ変更。4番打者として活躍し、132打点で打点王を獲得した。3・4番合計101本塁打(タフィ・ローズ55本、中村46本)は、1985年の阪神(ランディ・バース54本、掛布雅之40本)を上回る最多記録を更新。さらに全試合出場を果たし打率は自己最高.320を記録した。9月24日の西武戦では松坂大輔からサヨナラ逆転2ランを放った。翌シーズンにフリーエージェント (FA) 権の取得が予想される中、近鉄から複数年契約(推定6年契約35億円)を提示される。しかし、12月26日に「1か月で判断するのは難しかった」と複数年契約を拒否し、推定年俸5億円+出来高払い1億円の単年契約を結ぶ。12月には大阪教育大学附属池田小学校(同年6月に児童殺傷事件が発生)の慰問活動が評価され、第3回ゴールデンスピリット賞を受賞している。

2002年7月14日にFA権を取得。この年は3割は逃したが全試合出場を果たし、42本塁打、115打点と前年同様の打棒を発揮した。だが30本塁打以上を記録したのはこの年が最後となった。この頃「メジャー移籍はあまり頭にない」と話していたこともあったが、シーズン終了後から「中村紀洋というブランドをまず考えて、近鉄で終わっていいのか」と悩み抜き、11月5日にFA宣言。12月19日には700万ドルでの2年契約プラス3年目のオプション600万ドルでニューヨーク・メッツと契約合意したと報じられるが、12月20日にこれがメッツの公式HPに載ったことに「そんな球団は信用できない」と激怒し交渉を白紙に戻す。そのため、近鉄と再交渉を行い、監督の梨田昌孝らから慰留されたこともあり、12月21日に近鉄残留を表明した(推定6年契約30億円+出来高払い)。なおこの時、2年後(2004年オフ)にポスティングシステムによるメジャーリーグ (MLB)移籍を容認する条件で契約を結んでいる。この件について中村は「確かにメッツと契約寸前までいっていた。しかしマスコミ関係から合意のネタが飛んできた。ルール違反する球団とは契約できない」とコメントし、代理人を務めた音楽プロデューサーの茂田雅美も当初は「守秘義務に違反したメッツの勇み足だった」とメッツの姿勢を批判したが、後にMLB機構とメッツから「中村側が違約の根拠としている公式ホームページの文書はMLB機構や球団の認可を受けたものではない上に、問題の記事はメッツと無関係の人物の情報に基づいている。今回の交渉に関し、メッツのルール破りは一切ない。また中村と彼のアドバイザーの茂田は各球団が選手との契約に先立ち契約内容をMLBに報告する必要があることを知らないと思われる。健康診断にパスした時点で拘束力のある合意が成立する」との声明が出され、茂田はこれを受けて「メッツが言うように、合意していたということに関して異論はない」と認め、中村の「メッツのルール違反」というコメントについて「あれは彼の言葉が足らなかった」と語った(音楽プロデューサーを本職とする茂田が代理人を務めたのは、中村が節税を目的に設立した会社の監査役を務めた縁から)。

2003年5月半ばに右膝を傷め6月10日に右膝半月板損傷と診断されるが、「自分が欠場するわけにはいかないから試合に出ながら治す」と言い、出場し続けた。しかし、ケガの影響で117試合の出場で打率.236、23本塁打、67打点に終わった上、1994年以来9年ぶりの100安打未満と前年を大きく下回る成績となってしまった。そして、チームもリーグ3位に終わる。アテネ五輪の予選を兼ねたアジア野球選手権への参加を辞退し、10月17日に右膝を手術。これ以降、成績に直結する故障が増える。

小惑星(29737) Norihiroは2003年5月1日付けで中村の名前にちなんで命名された。

2004年は右膝のリハビリを兼ねてロサンゼルス・ドジャースのスプリングトレーニングに招待選手として参加した。渡米前に歯並びの治療を受けていたが、キャンプで守備練習中にノックの打球を歯に受け、帰国後にオープン戦を欠場し、治療を受けた。アテネ五輪の試合後の宴会で右足裏を負傷し、9月10日まで欠場した。オリンピック招集とオリンピック終了後の負傷の影響もあり、105試合の出場で打率.274、19本塁打、66打点にとどまり、本塁打は7年ぶりに20本に届かなかった。

欠場中には団野村を代理人としてポスティングシステムによるMLB挑戦を企図し、11月3日にメジャーリーグ入りの意思を表明した。11月8日のオリックス・ブルーウェーブとの球団合併による選手分配ドラフトの前には、近鉄とオリックス・ブルーウェーブの合併によって誕生したオリックス・バファローズは当初、NPBに提出したプロテクト(優先保有)選手名簿に中村を含めていなかった一方、楽天も日本人選手の補強のために充てていた予算が22 - 25億円だった一方、中村が2002年オフに近鉄と締結していた4年総額20億円の契約から、仮に中村と契約すれば2年総額10億円の大型契約となるため、中村の指名を断念した。同月8日に開催された分配ドラフトの結果、オリックス・バファローズに振り分けられた。12月1日に合併球団が発足、6年契約の2年目を終えた時点で球団が消滅してしまったため、残り4年の契約期間のうち2年分の年俸(10億円)に相当する保証金を近鉄に要望、うち3億円が功労金として支払われた。近鉄在籍時代に記録した307本塁打は球団記録となった。また同年11月に発生した奈良小1女児殺害事件では、被害者の女子児童が近鉄ファンで、自身の娘(次女)と同い年だったことから、遺族にサイン入りの野球用具を贈り、それらは女子児童の通夜で霊前に供えられた。

2005年1月25日にポスティング申請し、近鉄と業務提携していたロサンゼルス・ドジャースが落札した。

2005年2月3日、ドジャースとマイナー契約(推定1年契約50万ドル)を結ぶ。背番号は近鉄入団当時と同じ66に決まった。この移籍を皮切りに、中村はいわゆるジャーニーマンとして複数の球団を渡り歩くことになる。

4月2日にAAA級パシフィックコーストリーグのラスベガス・フィフティワンズへ合流するように通告されたが、4月10日には故障者リスト入りしたアントニオ・ペレスに代わって、念願のメジャー昇格を果たした。しかし、5月8日の試合後、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーしていたオスカー・ロブレスが40人枠入りしたのに伴い、40人枠から外される。ウェイバー公示にかけられたが獲得を希望する球団が現れなかったためAAA級への降格を了承、再びラスベガスでプレーする。

ラスベガスでは、本塁打こそリーグ17位の22本を放つも、打率.249は規定打席を満たした選手90人のうち85位と低迷、OPS.818は打者優位の本拠地で平均OPS(投手も含む)が.798のチームにあっては平凡であった。守備ではチーム最多の20失策を記録。9月5日にAAA級のシーズンが終了。団野村との代理人契約を解除し、日本球界復帰を目指した。

2005年12月21日、分配ドラフトからドジャース入団までの間に一時在籍したオリックスへの復帰を表明。推定年俸2億円プラス出来高払い5000万円の単年契約。背番号は8。

2006年、「帰ってきたで」というキャッチコピーのポスターが製作され、ドラフトによる西武入団から20年ぶりに出身地である関西地方へ戻ってきた清原和博との共演が話題となるが、開幕前に右足に肉離れを起こし、4月28日に左手親指を捻挫。更に5月13日の対ヤクルト戦で木田優夫からの死球を左手首に受けて負傷。負傷した箇所をかばいながら出場している間に右手首も痛めるという故障続きのシーズンとなる。8月11日に左肘に死球を受け途中交代するとその後は試合出場がなく、日本球界復帰1年目は85試合出場、328打数、76安打、打率.232でシーズンを終える。二塁打22、本塁打12はチーム2位を記録した。9月には左手首を手術。契約交渉では中村が左手首の故障を「公傷」と主張したのに対し、球団側はそれを認めず、60%減の8000万円(推定)の単年契約を提示された。中村はこれを戦力外通告と判断し自由契約を申し入れるが、球団はこれを認めずに交渉は長期化した。

2007年1月12日までに6回の契約交渉が行われるが合意に達せず、球団側は契約更改を断念。中村の退団が決定する。その後、トレードを試みるも、獲得球団はなく、1月17日に正式に自由契約選手となった。

ようやく自由契約になったものの、この時期に獲得に動く球団はなく、各球団の春季キャンプが始まった2月1日以降も「架空のキャンプイン」と称して自主トレーニングを続ける。なお、この一件がきっかけとなり、2008年9月19日に日本プロフェッショナル野球組織と日本プロ野球選手会との間で戦力外通告に関するルールが取り決められた。2月12日、中日ドラゴンズからテスト生としてのキャンプ参加を呼び掛けられ、同15日から同チームのキャンプに参加し、ここで入団テストを行った。

2007年2月25日、育成選手枠での中日入団が決定(年俸400万円)。背番号は205。これは中日の育成選手が慣例として200番台を与えられることと、近鉄時代に背番号5を着用していた中村に落合博満監督が配慮したものである。

育成枠で中日入団を果たすとオープン戦で結果を残し、リーグ戦開幕直前の3月22日、年俸600万円で支配下選手契約を結び、背番号も99に変更された。開幕戦から公式戦に出場し、序盤は主に「6番・三塁手」として出場していたが、6月5日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で右太ももを痛めたため翌日登録抹消された。6月30日のヤクルト戦(秋田)から一軍に復帰。7月5日の広島戦(ナゴヤドーム)で史上29人目の1000打点を達成した。

シーズン後半は故障で離脱した福留孝介の代役として3番を任されたほか、9月8日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では1年ぶりに4番で出場し、8回に逆転打を放ちチームを勝利に導いた。9月21日の広島戦(ナゴヤドーム)では3年ぶりにサヨナラ本塁打を放った。9月10日には北京オリンピックアジア予選決勝リーグ日本代表候補に選出された。同年は130試合に出場し、広角に打ち分けるバッティングで3年ぶりに規定打席に到達、打率.293(チーム3位)、4年ぶりの20本塁打(同2位)、79打点(同3位)を記録した。

クライマックスシリーズと日本シリーズでは主に5番を任された。日本シリーズでは持病の腰痛が悪化していたため鎮痛剤を射ちながら強行出場し、打率.444(18打数8安打)、4打点と活躍。11月1日の第5戦にて日本一を決め、日本シリーズMVPを獲得した。日本一決定後のヒーローインタビューでは男泣きを見せた。アジアシリーズでは帰国したタイロン・ウッズの代役として4番に起用され、日本勢として3年連続の優勝に貢献した。11月29日に行われた中日との契約更新では、3月の新規契約時より733%アップとなる年俸5000万円の提示を受けこれを一発で了承し、契約更新となった。記者会見では「契約してくれるだけでもありがたい。額を見ずに判を押すつもりだった」と述べた。

2008年6月15日、父の日に日本メンズファッション協会・日本ファーザーズ・デイ委員会が主催する「2008年度ベスト・ファーザー イエローリボン賞」を、同年から12球団から1人ずつ選定することを受けて、中日から選出された。京セラドーム大阪でのオリックス対中日戦の試合前に行われた授賞式では、「芸能人がもらう賞だと思っていた。縁がないと思っていたので嬉しい」と大いに照れながら、近鉄・オリックス時代の元同僚・北川博敏と共に表彰された。試合直前には娘3人と記念撮影。4月14日に自身2回目のFA権を取得するが、当初FA宣言には否定的な姿勢で「そんなことより翌年契約してくれるだろうか、そのことが心配です」と語っていた。FA権を再取得したことも記者に尋ねられるまではその時期にきたことを知らなかったと言っていた。5月7日から自身が出演する浜乙女のラジオCM(東海ラジオ ガッツナイターのみ)が放送開始。

同年は6月7日の日本ハム戦(ナゴヤドーム)で350号本塁打を放った。6月17日の西武戦(石川県立野球場)で7回裏に大沼幸二から2点本塁打を放ち、通算100猛打賞を達成。また次の9回裏の打席で、元同僚の岡本真也からサヨナラソロ本塁打を放ち、通算サヨナラ本塁打記録が9本となり、王貞治・若松勉を抜き歴代3位となった。この年は前年を上回る140試合に出場し、打率.274と前年より下がるも本塁打は24本放ち、前年同様勝負強さを見せた。11月、中日残留も視野に入れつつ「他球団からの評価も聞いてみたい」として2度目のFA権行使。11月25日に東北楽天ゴールデンイーグルスと1回目の入団交渉を行った。

2008年11月29日に正式に楽天への移籍を表明(推定年俸1億5000万円プラス出来高の2年契約)。楽天球団初のFA加入選手となった。12月5日に仙台市内で入団会見。背番号は自身の希望もあり、中日時代と同じ「99」となった。

2009年4月5日、札幌ドームでの対北海道日本ハムファイターズ戦でブライアン・スウィーニーから移籍後初本塁打。この日は4安打5打点と大当たりだったが、その後は本塁打も全く出ず打率も低調、また持病の腰痛も悪化したこともあり、6月9日から6月25日まで登録を抹消された。一軍復帰後、7月11日の対ソフトバンク戦で佐藤誠から71試合ぶりとなる本塁打を放った。シーズンの前半戦終了時、監督の野村克也は打率2割前後、わずか2本塁打という不調に低迷した中村に対し、「ノリは誤算。もう少し打つと思ったが…」と語った。その後も調子は戻らず8月3日に一軍登録を抹消されると、再登録されることなくシーズンを終えた。結局加入1年目は77試合の出場に終わり、打率.221、本塁打2本、26打点にとどまった。

2010年序盤は調子が良く、前半はチーム打線が不調に喘いだため交流戦などでは4番を任された。一時は打率3割を記録したが、後半以降は徐々に下降。また、守備でも後半になるにつれ精彩を欠くプレーが目立つようになる。シーズン終盤には走塁中に肉離れを起こして一軍登録を抹消される。2年ぶり規定打席に到達で129試合に出場して打率.266、13本塁打、64打点の成績を残したが、10月1日に球団から戦力外通告を受けた。規定打席に到達した日本人選手がその年に球団から戦力外通告を受けるのは極めて稀なケースである。

12球団合同トライアウトには参加しなかったが、地元・大阪で自主練習をしながら他球団からのオファーを待つ形となった。2011年2月には徳島インディゴソックスの合同自主トレに参加した。

2011年5月23日、横浜ベイスターズへの入団が発表された。翌24日に球団事務所で入団会見を行った。入団の話は、前日22日に加地隆雄球団社長より電話があったことが明らかにされた。背番号は中日、楽天時代と同じ「99」となった。6月8日に一軍登録され、同日の楽天戦(Kスタ)に「7番・一塁手」で先発出場した。6月18日、横浜スタジアムでの福岡ソフトバンクホークス戦で代打で出場し、杉内俊哉から移籍後初本塁打。この本塁打で同点に追いつき、ターメル・スレッジの本塁打でチームは勝利した。この年は当初は代打要員がメインだったが、対左投手時のスタメンや守備固めでの起用も増えた。10月13日の阪神戦(横浜スタジアム)では、急遽プロ入り初めて二塁手で先発出場(公式戦に二塁手としての出場はメジャー時代にあるが、この時は試合途中から二塁手を守った)した。最後まで一軍登録を抹消されることは無く、62試合に出場したが、打率.209、1本塁打、14打点の成績に終わった。

2012年は読売ジャイアンツから移籍してきたアレックス・ラミレスが故障によりベンチスタートとなったため「4番・三塁手」で開幕先発出場。その後も主に三塁手や一塁手で先発出場した。開幕直後から高い得点圏打率を維持し、4月15日の読売ジャイアンツ戦で、延長11回、サヨナラ本塁打を放つ。5月4日の中日戦で岩瀬仁紀から同点本塁打を打ち、史上22人目の全球団から本塁打を達成した(交流戦を除いた記録としては4人目)。2004年以来8年ぶりのオールスターにも選出され、7月20日のオールスターゲーム第1戦(京セラドーム大阪)では逆転決勝2点本塁打を放ち、5人目となる両リーグでのMVP獲得。後半戦開幕後も好調を維持していたが、8月15日対阪神タイガース戦において、自身の打席で盗塁をした内村賢介にベンチで注意した。だが、内村には首脳陣からグリーンライトの権利が与えられているため、中村の叱責は采配批判にあたるとして中畑清監督から厳しく注意をされた。さらに、翌日の試合で右肘痛を訴え、試合途中にベンチ裏に姿を消したことが造反とみなされ、一軍登録を抹消された。9月4日に一軍に再登録。後半戦は数字を落とすも、チームは最下位を独走する中で126試合に出場し、2年ぶりに規定打席到達を達成。本塁打は規定打席に到達した年では最少の11本塁打に留まったが、打率.274、主軸として活躍を見せた。ゴールデングラブ賞の投票では一塁手として2票差の2位。

2013年は開幕カードは代打要員だったが、程なくして三塁手のレギュラーに定着。5月1日のヤクルト戦(横浜スタジアム)でNPB/MLB通算2000安打を本塁打で達成。この日米通算での2000安打は、イチロー、松井秀喜、松井稼頭央に次いで日本人選手として史上4人目の記録となったが、「日本のみで2000本を打ちたい」という本人の意向を汲んでセレモニーなどは行われなかった(「ドジャース時代の5安打は加算したくない」とも話していた。)。そして5月5日、ナゴヤドームでの古巣中日戦で8回に中田賢一から左中間を破る2点二塁打を放ち、通算2162試合目で史上43人目のNPB通算2000安打を達成した5球団に所属しての2000安打達成は加藤英司に次いで2人目。また、2162試合での到達は史上4番目の遅さ、39歳9か月での到達は8番目に遅い記録。ちなみに、チームメイトのラミレスも同年NPB通算2000安打達成。6月30日の中日戦では山本昌から先制のソロ本塁打を放ち、史上18人目の400本塁打を達成し、9回裏にはサヨナラ安打を放った。最終的には122試合に出場して前年同様安定した成績を残した。

2014年はアーロム・バルディリスが一軍確約契約で加入し、一塁手にはトニ・ブランコがいたため、開幕当初は一軍メンバーから外れたが、そのブランコの故障もあり、4月に一軍昇格した。しかし、5月6日の対巨人戦で「チーム方針に従わない言動があった」として、登録抹消される。コーチに「自分の打席では、場面によっては走者を動かさず、打席に集中させてほしい」と相談したことが、中畑監督から采配批判とみなされた。この采配批判は野村克也も「独りよがり」とあきれていた。これ以降は一度も一軍に昇格することなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。DeNA球団は球界での実績や在籍時の貢献度が特に高かったことを改めて認め、本拠地最終戦にあたる対中日戦で引退セレモニーを提案したが、中村は現役続行への強い意思があるとして、これを拒否。最終的に13試合の出場で打率.245、10打点。日本球界では1993年以来21年ぶりとなる本塁打0を記録。12月2日に自由契約公示された。

2000年のシドニー五輪の野球競技に日本代表として参加も4位に終わる。4位が決まった直後に涙した全日本のメンバーは多かったが、中村はインタビューでテレビカメラの前でも人目を憚らず号泣した。

2004年のアテネ五輪の野球競技に日本代表として参加して銅メダルを獲得した。

DeNAからの自由契約後には現役続行を表明したが、NPB加盟球団からのオファーはなかった。

2015年5月5日には、居住地の西宮市内にあるスタジオで、小学校高学年および中学生の少年少女を対象にした野球教室「N's Method(エヌズ・メソッド)」を開校。4月25日には、自身のFacebook公式アカウントで開校を報告するとともに「生涯現役選手」であることを表明した。以降もNPB12球団からのオファーを待ち続けたが、支配下選手登録の期限(7月31日)までに獲得を表明する球団は現れなかった。この結果を受けて、中村は現役続行の意思が強いことを改めて表明。「まだまだチャレンジを楽しんで続けると諦めず常に挑戦する」とも明言した。

同年にはテレビ出演し、金遣いが非常に荒く、自身や夫人が述べた話によると、食事代や交際費に高額(食費は一回で50万越え、年間で2500万円以上を費やしたこともあったという)を費やし、税金が払えないため、保険を解約したことがあると告白している。

2015年11月には高知市で開かれたサンディエゴ・パドレス主催の野球教室に臨時コーチとして参加。28日には、プロ野球経験者による学生の指導に必要な学生野球資格の回復を視野に、NPB主催の大阪研修会へ参加した。研修会の終了後には、「現在野球教室で指導している小中学生が高校に進んでも、今の立場では高校へ足を踏み入れることができない。(高校時代の)恩師にも『早く来て(高校でも指導して欲しい)』と言われているので、何とか資格を回復させたい」と述べた。なお、自身の進退については、「まだ分からない」と話すにとどめている。

2016年には、1月11日に福岡 ヤフオク!ドームで催された名球会フェスティバルに参加。アレックス・ラミレスとのホームラン競争を2本塁打で制した。さらに、その後のセ・パ対抗試合では、最終回に投手として登板。駒田徳広を1球で左飛に打ち取った。

2016年1月下旬には、全日本野球協会主催の2015年度野球指導者講習会で、大久保博元と共に打撃実技指導の講師を担当。2月2日付で、日本学生野球協会から、学生野球資格回復の適性認定を受けた。

野球解説者としては2016年には東海ラジオゲスト解説者としても出演していた。また、2019年からは中日OBとしてJ SPORTSの解説者として活動していた。

サントリードリームマッチ2016ではザ・プレミアムモルツ球団の選手として試合に出場し、4打点を挙げる活躍をしてMVPに選ばれた。

2019年12月3日、稲葉篤紀・岩村明憲・金子誠(いずれも2014年限りで現役引退)とともに、野球殿堂の「プレーヤー表彰」候補者(現役引退から5年以上が経過した元選手が対象)としてノミネートされている。

2020年より、DAZNが特別協賛となって新設されたプロ野球最優秀バッテリー賞の月間賞において、パ・リーグの選考委員を務める。

元プロ野球選手・スポーツライターの高森勇旗の取材によると、中村は「どんなことでもええ。俺は一生勝負し続ける。それが、生涯現役っていう意味や」と述べ、野球選手としてグラウンドに立つことのみが現役ではないとのポリシーが「生涯現役」という言葉に込められているという。

「生涯現役」が野球選手としての現役を指す意味ではないことは2018年に受けたインタビューにも現れており、プロ野球の現役復帰について、自身の運営する野球教室「N's method」での指導に集中するため、仮に球団からオファーがあっても「行かない」と明言している。2021年6月に関西テレビ『こやぶるSPORTS超』に出演した際も「引退は自分で言う必要があるのかどうか」という葛藤があったことに合わせて改めて生涯現役を語り、「引退は死んだ時。体が動くうちはチャレンジし続けることが本来の生き方」であるといった発言をしている。正式な引退の手続きを行っていないため、ルール上は以後も選手として契約することは可能である。

2024年5月28日、横浜スタジアムで行われたDeNA-楽天の試合前に行われた「交流戦SERIES2024」伝説のOB1打席対決に登場。

2017年4月26日、浜松開誠館高校(静岡県)が、中村を同月1日付で硬式野球部の非常勤コーチに採用したことを発表した。自身と同じく1991年にNPBの球団(中日ドラゴンズ)へ入った後に、同部の監督へ転じた佐野心からの打診によるもので、メジャーリーグ経験者による高校野球の指導は異例。中村は指導に必要な学生野球資格の回復を済ませていることから、月に1〜2回のペースで守備・打撃を指導するほか、同校が併設する浜松開誠館中学校の軟式野球部での指導もあわせて担当することとなった。

中学硬式野球の指導は浜松開誠館中学校以外でも行っており、2017年には自身主催により中学硬式野球大会「中村紀洋杯」を開催し、解説者も務めた。

2022年シーズンから中日の新監督に立浪和義が就任することが決定したことに合わせて、2021年10月29日に3年契約で一軍打撃コーチを務めることが発表された。これに伴い、同月限りで浜松開誠館高校の非常勤コーチを退任することとなった。

しかし、1年目の2022年5月23日、開幕2か月にして波留敏夫と入れ替わりで二軍打撃コーチに配置転換された。立浪ら首脳陣との間になんらかのトラブルがあったと報道された。その後、2023年も中日に在籍していたが、同年10月4日に同年限りで退団することが発表された。

同年12月19日に学生野球資格を再回復したため、高校野球の指導が再び可能になり、2024年1月より浜松開誠館高校硬式野球部のコーチに復帰し、ほぼ毎日指導を行っている。

中村の打撃フォームは、狭いスタンスでバット上段に構え足を大きく上げてタイミングを取る。平均より長い88cm(900g)のバットを使用していた。

本塁打を確信した後にバットを高く放り投げるスタイルは、現役時代の中畑清を意識したものだと後に明かしている。

5回にわたる左手首の手術の影響で左手の握力は、40kg程度になっている。

同じ右打者でスラッガーの落合博満に憧れていた。落合が日本ハムに所属していた1997年、中村の所属する近鉄との対戦時に、中村が出塁後、一塁を守る落合に「今の打席、どうでした?」と訊くと、「遅い」と一言だけ指摘を受けた。再び出塁した際も「遅い」の一言のみ。しかし、その時の中村には何が「遅い」のか理解できなかった。後にこれは「スイングの始動が遅い」という意味で、原因は「構えに入った時点で90%以上は後ろの右足に体重をかけるべきで、ピッチャーのモーションに合わせて体重を移動させていたのでは遅い」からだと理解できたという。

中村は「僕は近鉄時代に水谷実雄打撃コーチという恩師がいました。打撃の状態が悪い時もあります。その状況で当てにいかずに、持ち味のフルスイングを貫けたのは水谷さんの教えのおかげです。」と述べている。

三塁手としてゴールデングラブ賞を7度受賞している。これは、松田宣浩の8回に次ぐNPB史上2番目の記録でもある。逆シングルやイレギュラーバウンドにおけるグラブ捌きに長けている。三塁手にこだわりがあり、2007年-2008年と三塁手でゴールデングラブを獲得。しかし、当時の中日・落合博満監督から「守備範囲が狭い」ことを理由に、一塁へのコンバートを命じられたことが中日からFA宣言をした一因であった。

横浜時代の2012年には一塁手として75試合に先発したことから、一塁手でのゴールデングラブ獲得にも意欲を見せた。ただし、2013年にはこちらも故障を抱える左膝の負担の関係から三塁手のポジションを狙う発言もしている。

大阪近鉄時代には遊撃手としても出場しており、日本シリーズでも遊撃手で先発出場したことがある。横浜時代には2試合ながら二塁手も務めた。メジャーリーグ時代には少ない試合数の中で内野のポジション全てに就いている。

各年度の太字はリーグ最高

横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

本塁打王:1回(2000年)

打点王:2回(2000年、2001年)

最高出塁率:1回(2001年)

ベストナイン:5回(1996年、1999年 - 2002年)

ゴールデングラブ賞:7回(1999年 - 2002年、2004年、2007年、2008年) ※三塁手部門を7度受賞は松田宣浩に次ぐ歴代2位、4年連続も松田に次いで歴代2位タイ(他に宮本慎也)

    両リーグでの年間連続受賞は平野謙、新庄剛志に次いで史上3人目

    三井ゴールデン・グラブ レジェンズ(三塁手部門)

    月間MVP:5回(1999年8月、2000年5月、2000年9月、2001年5月、2002年5月)

    JA全農Go・Go賞:1回(好捕賞:2000年6月)

    月間サヨナラ賞:1回(2012年3・4月)

    日本シリーズMVP:1回(2007年)

    オールスターゲームMVP:2回(2001年 第3戦、2012年 第1戦)

      2001年はパ・リーグ選手として、2012年はセ・リーグ選手として。両リーグでの受賞は史上5人目

      オールスターゲーム優秀選手賞:1回(2004年 第1戦)

      オールスターゲーム敢闘選手賞:1回(2013年 第1戦)

      出身地別東西対抗戦最優秀選手:1回(2000年)

      出身地別東西対抗戦優秀選手:1回(2002年)

      花のパ・リーグ大賞:1回(1996年)

      サンスポMVP大賞:1回(2000年)

      ゴールデンスピリット賞(2001年)

      ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in「プロ野球部門」(2008年)

      この選手の記録に関する文献や情報源が必要です。 出典を明記するためにご協力をお願いします。 (2013年6月)

      NPB

      初記録
        初出場:1992年6月12日、対福岡ダイエーホークス8回戦(平和台野球場)、8回表にジェシー・リードの代打で出場

        初先発出場:1992年6月13日、対福岡ダイエーホークス9回戦(平和台野球場)、「7番・三塁手」で先発出場

        初安打・初本塁打・初打点・初得点:1992年6月18日、対日本ハムファイターズ15回戦(藤井寺球場)、5回裏に河野博文から左越3ラン

        初二塁打:1992年6月25日、対オリックス・ブルーウェーブ13回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回表に星野伸之から

        初四球:1993年6月20日、対日本ハムファイターズ12回戦(藤井寺球場)、8回裏に酒井光次郎から

        初盗塁:1996年5月17日、対西武ライオンズ5回戦(西京極野球場)、4回裏に二盗(投手:新谷博、捕手:髙木大成)

        100本塁打:1998年9月16日、対千葉ロッテマリーンズ25回戦(大阪ドーム)、9回裏に河本育之から中越逆転サヨナラ3ラン ※史上201人目

        150本塁打:2000年5月26日、対日本ハムファイターズ9回戦(大阪ドーム)、1回裏に新谷博から左越2ラン ※史上113人目

        200本塁打:2001年6月13日、対福岡ダイエーホークス12回戦(福岡ドーム)、7回表に吉田修司から右越ソロ ※史上72人目

        1000試合出場:2001年9月2日、対日本ハムファイターズ27回戦(東京ドーム)、「4番・三塁手」で先発出場 ※史上375人目

        1000安打:2002年5月29日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(大阪ドーム)、5回裏にネイサン・ミンチーから左中間へ3ラン ※史上209人目

        250本塁打:2002年8月18日、対西武ライオンズ21回戦(西武ドーム)、1回表に張誌家から左越2ラン ※史上43人目

        1000三振:2003年7月30日、対福岡ダイエーホークス18回戦(福岡ドーム)、7回表に斉藤和巳から ※史上33人目

        300本塁打:2004年6月4日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に高木晃次から右越2ラン ※史上29人目

        1500試合出場:2007年5月6日、対横浜ベイスターズ9回戦(ナゴヤドーム)、「5番・三塁手」で先発出場 ※史上151人目

        1000打点:2007年7月5日、対広島東洋カープ10回戦(ナゴヤドーム)、4回裏にジャレッド・フェルナンデスから左翼フェンス直撃2点適時二塁打 ※史上29人目

        1500安打:2007年9月26日、対読売ジャイアンツ24回戦(東京ドーム)、1回表に高橋尚成から左前安打 ※史上95人目

        350本塁打:2008年6月7日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に星野八千穂から左越2ラン ※史上22人目

        100猛打賞:2008年6月17日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(石川県立野球場)

        300二塁打:2010年5月8日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(函館オーシャンスタジアム)、5回表にダルビッシュ有から右翼線二塁打 ※史上55人目

        1500三振:2010年8月18日、対オリックス・バファローズ21回戦(スカイマークスタジアム)、5回表に近藤一樹から ※史上10人目

        2000試合出場:2011年10月4日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、8回裏に一塁手で出場 ※史上43人目

        1000得点:2012年5月20日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(横浜スタジアム)、1回裏に唐川侑己から左越2ラン ※史上38人目

        3500塁打:2012年9月28日、対読売ジャイアンツ戦20回戦(横浜スタジアム)、2回裏に内海哲也から右前安打 ※史上26人目

        1000四球:2013年4月27日、対阪神タイガース5回戦(横浜スタジアム)、6回裏に川﨑雄介から ※史上14人目

        2000安打:2013年5月5日、対中日ドラゴンズ9回戦(ナゴヤドーム)、8回表中田賢一から左中間2点適時二塁打 ※史上43人目

        350二塁打:2013年5月23日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、2回表に大隣憲司から中越二塁打 ※史上36人目

        400本塁打:2013年6月30日、対中日ドラゴンズ12回戦(横浜スタジアム)、2回裏に山本昌から左越ソロ ※史上18人目

        通算満塁本塁打:14本 ※歴代3位タイ

        通算サヨナラ本塁打:10本 ※歴代単独3位

        通算サヨナラ安打:17本 *歴代単独3位

        サイクル安打:1994年9月18日、対日本ハムファイターズ25回戦(藤井寺球場)※史上45人目、47度目

        代打満塁本塁打:2007年10月6日、対東京ヤクルトスワローズ24回戦(明治神宮野球場)、6回表に花田真人から

        シーズン満塁本塁打:3本(2000年、2001年)

        17試合連続安打:2010年5月4日 - 5月29日

        5試合連続本塁打:2000年6月3日 - 6月9日 ※全て両翼100m以上の球場での達成は史上初

        1試合9打点:2001年5月29日、対日本ハムファイターズ10回戦(東京ドーム)

        1試合5四球:2003年5月3日、対日本ハムファイターズ7回戦(大阪ドーム)※リーグタイ記録

        1試合3本塁打:4回(1997年9月20日、2000年9月7日、2001年5月29日、2008年7月29日)

        3打席連続本塁打:4回(1997年9月20日、2000年9月7日、2001年9月8日 - 9月9日、2008年7月29日 - 8月3日(球宴期間明け))

          1997年9月20日、2000年9月7日の記録はいずれもレフト・センター・ライトに打ち分けての3打席連続本塁打で、これは史上初。

          同一球団40HRコンビ(2001年 近鉄ローズ55本塁打・中村46本塁打、2002年 近鉄ローズ46本塁打・中村42本塁打)

          全球団から本塁打:2012年5月4日、対中日ドラゴンズ6回戦(横浜スタジアム)、9回裏に岩瀬仁紀から左越同点ソロ ※史上22人目

          オールスターゲーム出場:9回(1995年、1996年、1999年、2000年、2001年、2002年、2004年、2012年、2013年)

          両リーグで本塁打:史上5人目

            全セ・リーグ選手としては2012年第1戦に記録

            全パ・リーグ選手としては2001年第1戦・第2戦・第3戦、2004年第1戦の4本塁打を記録

            2000安打:2013年5月1日、対東京ヤクルトスワローズ6回戦(横浜スタジアム)、4回裏に赤川克紀から左越ソロ ※史上4人目

            66(1992年 - 1996年、2005年)

            3(1997年 - 2000年)

            5(2001年 - 2004年)

            8(2006年)

            205(2007年 - 同年3月22日)

            99(2007年3月23日 - 2010年、2011年5月25日 - 2014年)

            74(2022年 - 2023年)

            ^ 中日の選手が日本シリーズMVPを受賞した事例は、1954年の日本シリーズMVPである杉下茂投手以来2人目(野手としては初)であり、近鉄に入団および在籍経験者が獲得した事例も史上初である。

            ^ 平成時代のパ・リーグ記録。

            ^ 中村はドジャースと2006年1月末までの契約を結んでいたため、2005年のオフに日本へ復帰するためには、ドジャースとの業務提携により中村との優先交渉権を得ていたオリックスへ入団する以外に選択肢はなかったとされている。

            ^ ドジャース移籍前に使用していた背番号5は清原が使用していたため、3と5を足した8とした。

            ^ その前に、MLBのミネソタ・ツインズが中村の入団テストを要請したが、中村は国内球団を強く要望していたため断った。

            ^ ただし、日本プロフェッショナル野球協約第89条の2の規定により、1年間出場選手登録をしたことから1500万円となった。

            ^ 中村自身がかつて着けていた背番号は、当時の中日では全て主力選手(3:立浪和義、5:渡邉博幸、8:平田良介)・落合博満(66)が使用中であることや、球団と落合の方針で、一から出直すために99を着けさせた。なお、中村本人は「プロ入りした際に初めて着けた番号(66)をひっくり返したもの」と語った。

            ^ 日本球界歴代3位、セ・リーグでは歴代1位となる年俸アップ率。

            ^ 登録抹消直後は右肘痛が原因と発表された。

            ^ 同一チームの野手2人が同じシーズンで名球会入りとなるのは、1987年の加藤英司・門田博光(ともに南海ホークス)以来となる。

            ^ パ・リーグのオープン戦MVP。

            ^ 10本目は2012年4月15日、対読売ジャイアンツ2回戦(新潟県立野球場)、11回裏に西村健太朗から。

            ^ 達成時に存在の全球団であり、自身が所属した近鉄からは記録していない。

            ^ 「来季コーチングスタッフのお知らせ」『中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト』中日ドラゴンズ、2021年10月29日。2021年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月29日閲覧。

            ^ 「監督・コーチのプロフィール 打撃コーチ 74 中村 紀洋」『中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト』中日ドラゴンズ、2023年。2023年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月13日閲覧。

            ^ 「【練習ログ更新】OBの中村紀洋さんに来訪いただきました!」『大阪淀川リトルシニア -日本リトルシニア中学硬式野球協会 関西連盟-』2018年8月11日。2023年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月13日閲覧。

            ^ 「内野手|東北楽天ゴールデンイーグルス|「最高の試合」「名場面・名勝負」|2010年NPBスローガン「ここに、世界一がある。」スペシャルコンテンツ」『NPB.jp 日本野球機構』2010年8月9日。2012年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月12日閲覧。

            ^ 「「公立の星」27年前の主役はノリ」『産経新聞』2017年8月3日。2024年8月20日閲覧。

            ^ 『中日スポーツ』1991年11月23日第5版3頁「パ交渉権獲得選手」(中日新聞社)

            ^ 『朝日新聞』1991年12月1日大阪朝刊第14版スポーツ面23頁「ドラフト情報 30日」(朝日新聞大阪本社)

            ^ 「投手では物足りないが打者として魅力…「鈴木一朗」指名を具申した慧眼スカウト 中日の“課長”の野球人生」『中日スポーツ』中日新聞社、2023年2月4日。2023年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月22日閲覧。

            ^ 『中日スポーツ』1991年11月6日第5版4頁「高校生(164人)」(中日新聞社)

            ^ 「中村紀洋が中日・松坂大輔に抱く特別な思い「体がボロボロになっても名球会に入れるまで頑張ってほしい」」『週刊ベースボールONLINE』2018年4月13日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「第3回受賞者(2001年) 近鉄・中村紀洋」『スポーツ報知』報知新聞社、2001年12月13日。2020年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月13日閲覧。

            ^ 「日めくりプロ野球 11月 【11月25日】2002年(平14) オフは忙しい!?中村紀洋、幻の巨人入り」『スポーツニッポン』スポーツニッポン新聞社、2008年11月23日(原著2002年11月25日)。2004年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月12日閲覧。

            ^ 「近鉄が中村に“功労金”3億円…契約途中の球団消滅で」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2004年12月1日。2004年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月10日閲覧。

            ^ 「【復刻】ノリ、晴れてメジャー挑戦を宣言(2004年11月4日付)」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2013年5月5日(原著2004年11月4日)。2020年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月13日閲覧。

            ^ 日本人メジャー&候補生―それぞれのオフ『月刊スラッガー』2003年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、52頁。

            ^ “(29737) Norihiro = 1999 BG7 = 1995 HL5”. MPC. 2021年9月12日閲覧。

            ^ 「岩隈がトレード志願 楽天入りへ」『スポニチアネックス』スポーツニッポン新聞社、2004年11月5日。オリジナルの2004年12月8日時点におけるアーカイブ。

            ^ 「「オリックス・バファローズ」と「東北楽天ゴールデンイーグルス」分配ドラフト結果」『スポニチアネックス』スポーツニッポン新聞社、2004年11月9日。オリジナルの2004年12月8日時点におけるアーカイブ。

            ^ 『週刊ベースボール』2012年5月28日号27ページ

            ^ 「中村紀、(被害者の実名)ちゃん霊前にサイン入りバット」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2004年11月19日。2004年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月10日閲覧。 - 奈良小1女児殺害事件の関連記事

            ^ 「Aちゃん通夜、同級生や中村紀洋選手のサインに送られ」『YOMIURI ONLINE』読売新聞社、2004年11月19日。2004年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月10日閲覧。

            ^ 「【復刻】ノリがドジャース入団会見(2005年2月5日付)」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2013年5月5日(原著2005年2月5日)。2020年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月13日閲覧。

            ^ 「首位トラ逃がすかい!!4番ノリ 1.5差に3強 最後に勝つのは竜だ」『中日スポーツ』2007年9月9日。2009年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 帰る場所をなくした中村紀 2007年2月1日は一人きりの自主キャンプ【平成球界裏面史】

            ^ 「【復刻】ノリ、中日と育成選手契約」『日刊スポーツ』2013年5月5日。2013年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「2007年3月30日 【公式戦】 試合結果 (中日vs東京ヤクルト)」『NPB.jp 日本野球機構』。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ノリ、右太もも痛っ!!きょうの出場微妙 古巣相手に気合入りすぎた」『中日スポーツ』2007年6月6日。2008年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ノリ登録抹消 右太もも治療に専念」『中日スポーツ』2007年6月7日。2008年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ノリ、落合監督の前で復活号砲 お呼びの電話待ってます」『中日スポーツ』2007年6月28日。2008年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「2007年6月30日 【公式戦】 試合結果 (東京ヤクルトvs中日)」『NPB.jp 日本野球機構』。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ノリ、史上29人目1000打点 天国の河西さんに捧げる」『中日スポーツ』2007年7月6日。2009年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ノリ、新3番応えた チーム初ヒット!ジャン攻略おぜん立て」『中日スポーツ』2007年8月16日。2009年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「2007年9月8日 【公式戦】 試合結果 (中日vs東京ヤクルト)」『NPB.jp 日本野球機構』。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「奪首!ノリ、サヨナラ弾 あすにも優勝M8」『中日スポーツ』2007年9月22日。2009年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「激動の1年 ノリ号泣MVP 18打数8安打4打点」『中日スポーツ』2007年11月2日。2008年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ウッズ代役・4番一塁ノリ アジアSにむけ練習開始」『中日スポーツ』2007年11月5日。2008年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ノリ、セ史上最高733%アップ 「契約していただけるだけでありがたい…」」『中日スポーツ』2007年11月30日。2008年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ノリ350号 とどめ2ラン」『中日スポーツ』2008年6月8日。2008年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「ノリ、サヨナラ弾 劇勝!!金沢の夜空に2連発」『中日スポーツ』2008年6月18日。2008年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。

            ^ 「前楽天の中村、インディゴソックスの自主トレ参加」『徳島新聞』徳島新聞社、2011年2月24日。2011年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「選手獲得のお知らせ」『横浜ベイスターズ公式サイト』2011年5月23日。2011年5月23日閲覧。

            ^ 「年俸500万円から再スタート 中村紀「電話切った後泣いてしまった」」『スポーツニッポン』2011年5月24日。2011年5月24日閲覧。

            ^ 「中村紀 2軍落ちは懲罰降格だった!采配批判に中畑監督が決断」『スポニチ Sponichi Annex』2012年8月31日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「中村紀“ロビー活動”実らずGグラブ賞落選」『東スポWeb』2012年11月10日。2012年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「中村紀 あと5本は「谷繁さんとかぶらないように、5月5日もやめよう」」『Sponichi Annex』2013年5月2日。2013年5月2日閲覧。

            ^ 「ノリ日米通算2000安打達成も表情崩さず」『日刊スポーツ』2013年5月2日。2018年9月6日閲覧。

            ^ 「39歳ノリ2度の引退危機超え2000安打」『日刊スポーツ』2013年5月6日。2018年9月6日閲覧。

            ^ 「中村紀洋、先制の400号&サヨナラ打」『日刊スポーツ』2013年7月1日。2021年5月8日閲覧。

            ^ 「ブランコ、復帰は早くても5月下旬…代役でノリが1軍昇格」『スポーツニッポン』2014年4月17日。2025年2月10日閲覧。

            ^ 「ノリが登録抹消 DeNA中畑監督「チーム方針に従わない言動があった」」『東京スポーツ』2014年5月7日。2025年2月10日閲覧。

            ^ 「ノムさんノリ酷評「野球選手じゃない」」『デイリースポーツ』2014年5月18日。2022年8月31日閲覧。

            ^ 「2015年度 選手契約について」『横浜DeNAベイスターズ』2014年10月3日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「2014年度 自由契約選手」『NPB.jp 日本野球機構』。2014年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「中村紀洋氏が野球教室開校を報告「生涯現役を胸に様々な勝負に挑み続けていく」」『BASEBALL KING』2015年4月25日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「最高年俸5億から400万へ。中村紀洋 “税金払えないんで保険とか全部解約した”」『ライブドアニュース』2015年6月18日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「中村紀洋、年俸5億円時代の生活明かす」『デイリースポーツ online』2015年10月22日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「学生指導資格回復へ中村紀洋が研修会受講「何とか取得したい」」『スポニチ Sponichi Annex』2015年11月28日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「野茂氏ら熱投 名球会夢の対決 セ・パ対抗戦/詳細」『日刊スポーツ』2016年1月11日。2016年1月15日閲覧。

            ^ 「学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者」『日本学生野球協会』。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「2020年野球殿堂入り候補者発表 稲葉篤紀氏や、「闘魂こめて」「六甲おろし」作曲の古関氏…全候補者47人一覧」『スポーツ報知』報知新聞社、2019年12月3日。2022年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月11日閲覧。

            ^ 「2020プロ野球最優秀バッテリー賞にDAZNが特別協賛 「月間賞」ではTwitterでのユーザー投票も」『ベースボールチャンネル』2020年6月2日。2020年10月14日閲覧。

            ^ 「中村紀洋が引退試合を拒否したワケ」『WEDGE』2016年3月3日。2017年4月27日閲覧。

            ^ 「中村紀洋氏インタ(下)子供たちに注ぐ情熱、NPBオファー来ても「行かない」」『Full-Count』2018年1月10日。2018年1月29日閲覧。

            ^ 「戦力外の後に“現役続行”表明も…「引退宣言せず」プロ野球界から去った男たち」『AERA dot.』2021年11月2日。2021年11月3日閲覧。

            ^ 「【DeNA】伝説のOB1打席対決で中村紀洋氏が楽天福山博之氏から中前打も謝罪「すみません」」『日刊スポーツ』2024年5月28日。2024年5月30日閲覧。

            ^ 「浜松開誠野球部コーチ就任の中村紀洋氏 中学も指導」『日刊スポーツ』2017年4月28日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「中村紀洋氏が高校野球コーチに 浜松開誠館で指導へ」『日刊スポーツ』2017年4月27日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「通算404発・中村紀洋氏が中学硬式野球大会開催「素晴らしさを伝えたい」」『Full-Count』2017年11月24日。2018年1月29日閲覧。

            ^ 「本校野球部・中村紀洋非常勤コーチ退任に伴う送別会を行いました」『浜松開誠館中学校・高等学校』学校法人誠心学園、2021年10月30日。2021年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月31日閲覧。

            ^ 「浜松開誠館高・野球部の中村コーチ 10月末退任、中日指導陣へ」『静岡新聞』静岡新聞社、2021年10月30日。2021年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月31日閲覧。

            ^ 「浜松開誠館非常勤コーチ中村紀洋氏が送別会出席 来季中日打撃コーチ就任へ」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2021年10月31日。2021年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月31日閲覧。

            ^ 「【中日】中村紀洋1軍打撃コーチと波留敏夫2軍打撃コーチが入れ替え「監督の判断です」球団首脳」『日刊スポーツ』2022年5月23日。2022年5月23日閲覧。

            ^ 「中日・中村紀打撃コーチ 2軍に配置転換」『デイリースポーツ online』2022年5月24日。2022年6月10日閲覧。

            ^ 中日・中村紀洋コーチ“異例の降格”の理由 “星野仙一より怖い男”が激怒

            ^ 【中日】荒木雅博、中村紀洋、西山秀二の3コーチが退団 大野奨太、堂上直倫、福田永将がコーチ就任 スポーツ報知 2023年10月4日

            ^ 「学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者」『公益財団法人 日本学生野球協会』。2024年1月10日閲覧。

            ^ 吉沢光隆「⚾中村紀洋氏が浜松開誠館高コーチに復帰 「レベルアップ図る」」『あなたの静岡新聞』2024年4月11日。2024年4月14日閲覧。

            ^ 企画展|公益財団法人野球殿堂博物館

            ^ 「中畑DeNA初サヨナラ!ノリ劇的2ラン(2/2ページ)」『SANSPO.COM』2012年4月16日。2012年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月2日閲覧。

            ^ 「39歳ノリ2度の引退危機超え2000安打」『日刊スポーツ』2013年5月6日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「DeNA【きょうは何の日】2013年 中村が日本通算2000安打達成」『web.archive.org』2020年5月5日。2020年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「二宮清純レポート 横浜DeNA・内野手中村紀洋 嫌われても、笑われても自分の道を歩いてきた(5/7ページ)」『週刊現代』2013年6月12日。2014年11月17日閲覧。

            ^ 【中村紀洋の目】プロに入れば指名順位は関係ない 高卒入団で大成した選手の共通点とはFull-Count

            ^ 「【ソフトバンク】松田宣が7年連続8度目のGG受賞 三塁手としては歴代トップに」『スポーツ報知』2019年10月31日。2019年10月31日閲覧。

            ^ 「【楽天】ノリの守備に指揮官「スゴイヨ」」『日刊スポーツ』2010年2月13日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「落合竜「守りの野球」ノリ一塁コンバート」『日刊スポーツ』2008年11月1日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「ノリFA宣言「単年」と「三塁失格」理由」『日刊スポーツ』2008年11月16日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「【DeNA】ノリ一塁で8度目Gグラブだ」『日刊スポーツ』2012年11月1日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「DeNA中村ブラに白旗…筒香には負けん」『日刊スポーツ』2013年1月22日。2023年2月21日閲覧。

            ^ 「Norihiro Nakamura Japanese & Minor Leagues Statistics」『Baseball-Reference.com』(英語)。2023年2月21日閲覧。

            ^ 『ベースボール・レコード・ブック1997』ベースボール・マガジン社、1996年12月、42頁。

            ^ 「【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2016年11月23日。2017年9月8日閲覧。

            大阪市出身の人物一覧

            大阪近鉄バファローズの選手一覧

            オリンピックの野球競技・メダリスト一覧

            オリックス・バファローズの選手一覧

            メジャーリーグベースボールの選手一覧 N

            日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

            中日ドラゴンズの選手一覧

            東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧

            横浜DeNAベイスターズの選手一覧

            Mr.FULLSWING - 鈴木信也による漫画作品。作品タイトルが連載当時全盛期を迎えていた中村の愛称に由来しており、また中村をモチーフにしたキャラクターも登場する。

            個人年度別成績 中村紀洋 - NPB.jp 日本野球機構

            選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

            中村紀洋 (@Nori_official99) - X(旧Twitter)

            中村紀洋 (385738221506511) - Facebook

            中村紀洋 (@nakamura_norihiro5) - Instagram

            中村“ノリ”紀洋公式ブログ(更新停止)

            N's method(エヌズ・メソッド)公式ホームページ

            N's style - YouTubeチャンネル

            金田正一

            稲尾和久

            小山正明

            米田哲也

            梶本隆夫

            皆川睦雄

            村山実

            鈴木啓示

            堀内恒夫

            山田久志

            江夏豊

            平松政次

            東尾修

            村田兆治

            北別府学

            佐々木主浩

            高津臣吾

            工藤公康

            野茂英雄

            山本昌広

            岩瀬仁紀

            黒田博樹

            上原浩治

            藤川球児

            平野佳寿

            山内一弘

            榎本喜八

            野村克也

            長嶋茂雄

            広瀬叔功

            張本勲

            王貞治

            江藤慎一

            土井正博

            高木守道

            松原誠

            柴田勲

            大杉勝男

            藤田平

            衣笠祥雄

            福本豊

            山崎裕之

            山本浩二

            有藤通世

            若松勉

            谷沢健一

            加藤秀司

            門田博光

            大島康徳

            新井宏昌

            秋山幸二

            駒田徳広

            立浪和義

            鈴木一朗(イチロー)

            清原和博

            古田敦也

            野村謙二郎

            石井琢朗

            松井秀喜

            田中幸雄

            前田智徳

            金本知憲

            松井稼頭央

            小笠原道大

            稲葉篤紀

            宮本慎也

            小久保裕紀

            アレックス・ラミレス

            中村紀洋

            谷繁元信

            井口資仁

            和田一浩

            新井貴浩

            福留孝介

            荒木雅博

            青木宣親

            阿部慎之助

            鳥谷敬

            内川聖一

            福浦和也

            坂本勇人

            栗山巧

            大島洋平

            1999 松井秀喜

            2000 片岡篤史

            2001 中村紀洋

            2002 飯田哲也

            2003 井上一樹

            2004 赤星憲広

            2005 ボビー・バレンタイン

            2006 和田毅

            2007 三浦大輔

            2008 岩隈久志

            2009 小笠原道大

            2010 ダルビッシュ有

            2011 山﨑武司

            2012 藤川球児

            2013 宮本慎也

            2014 栗山巧

            2015 今江敏晃

            2016 内海哲也

            2017 岩田稔

            2018 井口資仁

            2019 秋山翔吾

            2021 矢野燿大

            2022 吉田正尚

            2023 宮西尚生

            1950 別当薫

            1951 南村不可止

            1952 別所毅彦

            1953 川上哲治

            1954 杉下茂

            1955 別所毅彦

            1956 豊田泰光

            1957 大下弘

            1958 稲尾和久

            1959 杉浦忠

            1960 近藤昭仁

            1961 宮本敏雄

            1962 土橋正幸, 種茂雅之

            1963 長嶋茂雄

            1964 J.スタンカ

            1965 長嶋茂雄

            1966 柴田勲

            1967 森昌彦

            1968 高田繁

            1969 長嶋茂雄

            1970 長嶋茂雄

            1971 末次民夫

            1972 堀内恒夫

            1973 堀内恒夫

            1974 弘田澄男

            1975 山口高志

            1976 福本豊

            1977 山田久志

            1978 大杉勝男

            1979 高橋慶彦

            1980 J.ライトル

            1981 西本聖

            1982 東尾修

            1983 大田卓司

            1984 長嶋清幸

            1985 R.バース

            1986 工藤公康

            1987 工藤公康

            1988 石毛宏典

            1989 駒田徳広

            1990 O.デストラーデ

            1991 秋山幸二

            1992 石井丈裕

            1993 川崎憲次郎

            1994 槙原寛己

            1995 T.オマリー

            1996 T.ニール

            1997 古田敦也

            1998 鈴木尚典

            1999 秋山幸二

            2000 松井秀喜

            2001 古田敦也

            2002 二岡智宏

            2003 杉内俊哉

            2004 石井貴

            2005 今江敏晃

            2006 稲葉篤紀

            2007 中村紀洋

            2008 岸孝之

            2009 阿部慎之助

            2010 今江敏晃

            2011 小久保裕紀

            2012 内海哲也

            2013 美馬学

            2014 内川聖一

            2015 李大浩

            2016 B.レアード

            2017 D.サファテ

            2018 甲斐拓也

            2019 Y.グラシアル

            2020 栗原陵矢

            2021 中村悠平

            2022 杉本裕太郎

            2023 近本光司

            2024 桑原将志

            1951 川上哲治, 野口明, 林義一

            1952 飯島滋弥

            1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

            1954 中西太, 山内和弘

            1955 山内和弘, 西沢道夫

            1956 森下正夫, 吉田義男

            1957 大下弘, 宮本敏雄

            1958 宮本敏雄, 中西太

            1959 山内和弘, 中利夫

            1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

            1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

            1962 ブルーム, 張本勲

            1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

            1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

            1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

            1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

            1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

            1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

            1969 土井正博, 船田和英

            1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

            1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

            1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

            1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

            1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

            1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

            1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

            1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

            1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

            1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

            1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

            1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

            1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

            1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

            1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

            1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

            1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

            1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

            1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

            1989 村田兆治, 彦野利勝

            1990 R.ブライアント, 清原和博

            1991 古田敦也, 広沢克己

            1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

            1993 清原和博, T.オマリー

            1994 秋山幸二, G.ブラッグス

            1995 落合博満, 松井秀喜

            1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

            1997 松井稼頭央, 清原和博

            1998 川上憲伸, 松井秀喜

            1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

            2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

            2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

            2002 G.アリアス, 的山哲也

            2003 高橋由伸, 金本知憲

            2004 松坂大輔, SHINJO

            2005 金城龍彦, 前田智徳

            2006 青木宣親, 藤本敦士

            2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

            2008 山﨑武司, 荒木雅博

            2009 青木宣親, 松中信彦

            2010 阿部慎之助, 片岡易之

            2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

            2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

            2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

            2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

            2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

            2016 筒香嘉智, 大谷翔平

            2017 内川聖一, A.デスパイネ

            2018 森友哉, 源田壮亮

            2019 森友哉, 近本光司

            2020 (中止)

            2021 菊池涼介, 島内宏明

            2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

            2023 柳田悠岐, 万波中正

            2024 牧秀悟,佐藤都志也

            1962 張本勲

            1963 ブルーム

            1964 張本勲

            1965 D.スペンサー

            1966 榎本喜八

            1967 張本勲

            1968 張本勲

            1969 張本勲

            1970 張本勲

            1971 江藤慎一

            1972 張本勲

            1973 張本勲

            1974 張本勲

            1975 小川亨

            1976 加藤秀司

            1977 加藤秀司

            1978 佐々木恭介

            1979 加藤英司

            1980 栗橋茂

            1981 門田博光

            1982 落合博満

            1983 スティーブ

            1984 スティーブ

            1985 落合博満

            1986 落合博満

            1987 門田博光

            1988 門田博光

            1989 松永浩美

            1990 清原和博

            1991 白井一幸

            1992 清原和博

            1993 辻発彦

            1994 イチロー

            1995 イチロー

            1996 イチロー

            1997 鈴木健

            1998 片岡篤史

            1999 イチロー

            2000 イチロー

            2001 中村紀洋

            2002 A.カブレラ

            2003 小笠原道大

            2004 松中信彦

            2005 松中信彦

            2006 松中信彦

            2007 T.ローズ

            2008 中島裕之

            2009 中島裕之

            2010 A.カブレラ

            2011 糸井嘉男

            2012 糸井嘉男

            2013 E.ヘルマン

            2014 糸井嘉男

            2015 柳田悠岐

            2016 柳田悠岐

            2017 柳田悠岐

            2018 柳田悠岐

            2019 近藤健介

            2020 近藤健介

            2021 吉田正尚

            2022 吉田正尚

            2023 近藤健介

            2024 近藤健介

            1950 別当薫

            1951 飯田徳治

            1952 飯田徳治

            1953 中西太

            1954 山内和弘

            1955 山内和弘

            1956 中西太

            1957 中西太

            1958 葛城隆雄

            1959 葛城隆雄

            1960 山内和弘

            1961 山内和弘

            1962 野村克也

            1963 野村克也

            1964 野村克也

            1965 野村克也

            1966 野村克也

            1967 野村克也

            1968 G.アルトマン

            1969 長池徳二

            1970 大杉勝男

            1971 門田博光

            1972 野村克也, 大杉勝男

            1973 長池徳二

            1974 長池徳二

            1975 加藤秀司

            1976 加藤秀司

            1977 L.リー

            1978 B.マルカーノ

            1979 加藤英司

            1980 C.マニエル

            1981 T.ソレイタ

            1982 落合博満

            1983 水谷実雄

            1984 ブーマー

            1985 落合博満

            1986 落合博満

            1987 ブーマー

            1988 門田博光

            1989 ブーマー

            1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦

            1991 O.デストラーデ, J.トレーバー

            1992 ブーマー

            1993 R.ブライアント

            1994 石井浩郎

            1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄

            1996 T.ニール

            1997 小久保裕紀

            1998 N.ウィルソン

            1999 T.ローズ

            2000 中村紀洋

            2001 中村紀洋

            2002 T.ローズ

            2003 松中信彦

            2004 松中信彦

            2005 松中信彦

            2006 小笠原道大, A.カブレラ

            2007 山﨑武司

            2008 T.ローズ

            2009 中村剛也

            2010 小谷野栄一

            2011 中村剛也

            2012 李大浩

            2013 浅村栄斗

            2014 中田翔

            2015 中村剛也

            2016 中田翔

            2017 A.デスパイネ

            2018 浅村栄斗

            2019 中村剛也

            2020 中田翔

            2021 島内宏明

            2022 山川穂高

            2023 近藤健介

            2024 山川穂高

            1950 別当薫

            1951 大下弘

            1952 深見安博

            1953 中西太

            1954 中西太

            1955 中西太

            1956 中西太

            1957 野村克也

            1958 中西太

            1959 山内和弘

            1960 山内和弘

            1961 野村克也, 中田昌宏

            1962 野村克也

            1963 野村克也

            1964 野村克也

            1965 野村克也

            1966 野村克也

            1967 野村克也

            1968 野村克也

            1969 長池徳二

            1970 大杉勝男

            1971 大杉勝男

            1972 長池徳二

            1973 長池徳二

            1974 C.ジョーンズ

            1975 土井正博

            1976 C.ジョーンズ

            1977 L.リー

            1978 B.ミッチェル

            1979 C.マニエル

            1980 C.マニエル

            1981 T.ソレイタ, 門田博光

            1982 落合博満

            1983 門田博光

            1984 ブーマー

            1985 落合博満

            1986 落合博満

            1987 秋山幸二

            1988 門田博光

            1989 R.ブライアント

            1990 O.デストラーデ

            1991 O.デストラーデ

            1992 O.デストラーデ

            1993 R.ブライアント

            1994 R.ブライアント

            1995 小久保裕紀

            1996 T.ニール

            1997 N.ウィルソン

            1998 N.ウィルソン

            1999 T.ローズ

            2000 中村紀洋

            2001 T.ローズ

            2002 A.カブレラ

            2003 T.ローズ

            2004 松中信彦, F.セギノール

            2005 松中信彦

            2006 小笠原道大

            2007 山﨑武司

            2008 中村剛也

            2009 中村剛也

            2010 T-岡田

            2011 中村剛也

            2012 中村剛也

            2013 M.アブレイユ

            2014 E.メヒア, 中村剛也

            2015 中村剛也

            2016 B.レアード

            2017 A.デスパイネ

            2018 山川穂高

            2019 山川穂高

            2020 浅村栄斗

            2021 杉本裕太郎

            2022 山川穂高

            2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗

            2024 山川穂高

             投  E.ヒルマン

             捕  吉永幸一郎

             一  片岡篤史

             二  大島公一

             三  中村紀洋

             遊  田中幸雄

             外  イチロー / 田口壮 / 村松有人

             指  T.ニール

             投  松坂大輔

             捕  城島健司

             一  小笠原道大

             二  金子誠

             三  中村紀洋

             遊  松井稼頭央

             外  イチロー / 谷佳知 / T.ローズ

             指  P.クラーク

             投  松坂大輔

             捕  城島健司

             一  松中信彦

             二  大島公一

             三  中村紀洋

             遊  松井稼頭央

             外  イチロー / 柴原洋 / S.オバンドー

             指  N.ウィルソン

             投  松坂大輔

             捕  城島健司

             一  小笠原道大

             二  井口資仁

             三  中村紀洋

             遊  松井稼頭央

             外  T.ローズ / 礒部公一 / 谷佳知

             指  F.ボーリック

             投  J.パウエル

             捕  伊東勤

             一  A.カブレラ

             二  高木浩之

             三  中村紀洋

             遊  松井稼頭央

             外  T.ローズ / 谷佳知 / 小関竜也

             指  和田一浩

            1972 有藤通世

            1973 有藤通世

            1974 有藤通世

            1975 有藤道世

            1976 藤原満

            1977 島谷金二

            1978 島谷金二

            1979 島谷金二

            1980 羽田耕一

            1981 藤原満

            1982 古屋英夫

            1983 古屋英夫

            1984 松永浩美

            1985 古屋英夫

            1986 古屋英夫

            1987 石毛宏典

            1988 石毛宏典

            1989 松永浩美

            1990 松永浩美

            1991 石毛宏典

            1992 石毛宏典

            1993 石毛宏典

            1994 松永浩美

            1995 馬場敏史

            1996 馬場敏史

            1997 片岡篤史

            1998 片岡篤史

            1999 中村紀洋

            2000 中村紀洋

            2001 中村紀洋

            2002 中村紀洋

            2003 小笠原道大

            2004 中村紀洋

            2005 今江敏晃

            2006 今江敏晃

            2007 今江敏晃

            2008 今江敏晃

            2009 小谷野栄一

            2010 小谷野栄一

            2011 松田宣浩

            2012 小谷野栄一

            2013 松田宣浩

            2014 松田宣浩

            2015 松田宣浩

            2016 松田宣浩

            2017 松田宣浩

            2018 松田宣浩

            2019 松田宣浩

            2020 鈴木大地

            2021 宗佑磨

            2022 宗佑磨

            2023 宗佑磨

            2024 栗原陵矢

            1972 長嶋茂雄

            1973 長嶋茂雄, C.ボイヤー

            1974 C.ボイヤー

            1975 島谷金二

            1976 高田繁

            1977 高田繁

            1978 掛布雅之

            1979 掛布雅之

            1980 衣笠祥雄

            1981 掛布雅之

            1982 掛布雅之

            1983 掛布雅之

            1984 衣笠祥雄

            1985 掛布雅之

            1986 衣笠祥雄

            1987 原辰徳

            1988 原辰徳

            1989 W.ロードン

            1990 岡崎郁

            1991 角富士夫

            1992 T.オマリー

            1993 石井琢朗

            1994 石井琢朗

            1995 石井琢朗

            1996 江藤智

            1997 進藤達哉

            1998 進藤達哉

            1999 進藤達哉

            2000 岩村明憲

            2001 岩村明憲

            2002 岩村明憲

            2003 立浪和義

            2004 岩村明憲

            2005 岩村明憲

            2006 岩村明憲

            2007 中村紀洋

            2008 中村紀洋

            2009 宮本慎也

            2010 宮本慎也

            2011 宮本慎也

            2012 宮本慎也

            2013 村田修一

            2014 村田修一

            2015 川端慎吾

            2016 村田修一

            2017 鳥谷敬

            2018 宮﨑敏郎

            2019 高橋周平

            2020 高橋周平

            2021 岡本和真

            2022 岡本和真

            2023 宮﨑敏郎

            2024 坂本勇人

            76 山田久志

            77 山田久志

            78 鈴木啓示

            79 C.マニエル

            80 木田勇

            81 江夏豊

            82 落合博満

            83 東尾修

            84 ブーマー

            85 落合博満

            86 落合博満

            87 工藤公康

            88 門田博光

            89 阿波野秀幸

            90 野茂英雄

            91 秋山幸二

            92 石井丈裕

            93 辻発彦

            94 イチロー

            95 イチロー

            96 イチロー

            97 松井稼頭央

            98 イチロー

            99 松坂大輔

            00 中村紀洋

            01 T.ローズ

            02 松井稼頭央

            03 城島健司

            04 松中信彦

            05 渡辺俊介

            06 ダルビッシュ有

            07 山﨑武司

            08 岩隈久志

            09 鉄平

            10 T-岡田

            11 内川聖一

            12 吉川光夫

            13 田中将大

            14 大谷翔平

            15 柳田悠岐

            16 大谷翔平

            17 D.サファテ

            18 山川穂高

            19 森友哉

            20-21 中止

            33 中畑清

            31 高木豊(守備・走塁)

            32 大野豊(投手)

            11 清水直行

            13 岩瀬仁紀

            15 黒田博樹

            16 安藤優也

            17 三浦大輔

            18 松坂大輔

            19 上原浩治

            20 岩隈久志

            21 和田毅

            30 小林雅英

            61 石井弘寿

            9 城島健司

            59 相川亮二

            2 小笠原道大

            5 中村紀洋

            6 宮本慎也

            8 金子誠

            25 藤本敦士

            1 福留孝介

            10 谷佳知

            23 村松有人

            24 高橋由伸

            27 木村拓也

            55 和田一浩

            30 大田垣耕造

            33 林裕幸

            34 野村収

            35 長崎慶一

            11 土井善和

            12 河野昌人

            13 渡辺俊介

            14 吉見祐治

            15 石川雅規

            16 山田秋親

            17 杉内俊哉

            18 松坂大輔

            19 杉浦正則

            54 黒木知宏

            2 鈴木郁洋

            21 阿部慎之助

            22 野田浩輔

            3 松中信彦

            4 平馬淳

            5 中村紀洋

            6 田中幸雄

            8 沖原佳典

            9 野上修

            1 田口壮

            10 梶山義彦

            24 飯塚智広

            25 廣瀬純

            26 赤星憲広

            1位:高村祐

            2位:江坂政明

            3位:品田操士

            4位:中村紀洋

            5位:背尾伊洋

            6位:森山一人

            7位:上山勲

            VIAF

            日本

            日本の野球選手

            MLBの日本人選手

            大阪府立渋谷高等学校出身の人物

            大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手

            オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手

            ロサンゼルス・ドジャースの選手

            中日ドラゴンズの育成選手

            中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

            東北楽天ゴールデンイーグルスの選手

            横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手

            本塁打王 (NPB)

            打点王 (NPB)

            最高出塁率 (NPB)

            ゴールデンスピリット賞受賞者

            NPBオールスターゲーム選出選手

            NPBオールスターゲームMVP

            野球日本代表選手

            オリンピック野球日本代表選手

            日本のオリンピック銅メダリスト

            野球のオリンピックメダリスト

            名球会

            在アメリカ合衆国日本人の野球選手

            日本の野球指導者

            野球解説者

            日本の男性YouTuber

            元NPB選手のYouTuber

            大阪府出身のスポーツ選手

            大阪市出身の人物

            1973年生

            存命人物

2025/04/04 17:57更新

nakamura norihiro


中村紀洋と同じ誕生日7月24日生まれ、同じ大阪出身の人

You_(ギタリスト)(ゆー)
1974年7月24日生まれの有名人 大阪出身

you(ユウ、本名:津田 豊(つだ ゆたか)、1974年7月24日 - )は、日本の音楽家で、ロックバンドJanne Da Arcのギタリスト。所属芸能事務所はKeyHolder傘下のゼスト。兵庫県神…

水川 あさみ(みずかわ あさみ)
1983年7月24日生まれの有名人 大阪出身

水川 あさみ(みずかわ あさみ、1983年〈昭和58年〉7月24日 - )は、日本の女優。大阪府茨木市出身。sucre所属。夫は俳優の窪田正孝。 小学校5年生の時、『家なき子』(日本テレビ)の安達祐…

河合 奈保子(かわい なおこ)
1963年7月24日生まれの有名人 大阪出身

河合 奈保子(かわい なおこ、1963年〈昭和38年〉7月24日 - )は、日本の女性の歌手、シンガーソングライター、アーティスト、作曲家、女優。現在は活動停止中。娘は歌手のkaho(活動停止中)。身…

瀬越 芳(せごし かおり)
1966年7月24日生まれの有名人 大阪出身

瀬越 芳(せごし かおり、1966年7月24日 - )は、日本の声優、女優。大阪府出身。血液型はAB型。 プロダクション東京ドラマハウス→離籍。 山崎産業 オフテクス ピップフジモト(現 ピップ)…

兵動 大樹(ひょうどう だいき)
1970年7月24日生まれの有名人 大阪出身

兵動 大樹(ひょうどう だいき、1970年7月24日 - )は、日本のお笑いタレント、YouTuber。お笑いコンビ「矢野・兵動」のボケ担当。吉本興業所属。 大阪府大阪市西淀川区柏里出身。身長173…


三中 元克(さんなか もとかつ)
1990年7月24日生まれの有名人 大阪出身

三中 元克(さんなか もとかつ、1990年〈平成2年〉7月24日 - )は、日本のお笑いタレント。愛称は三ちゃん。吉本興業所属。NSC東京校20期と同期扱い。 2010年10月30日、フジテレビ『め…

一枝 修平(いちえだ しゅうへい)
1940年7月24日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - )は、大阪府大阪市天王寺区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・…

高田 繁(たかだ しげる)
1945年7月24日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 高田 繁(たかだ しげる、1945年7月24日 - )は、大阪府大阪市住吉区(現・住之江区)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コ…

薩摩 和男(さつま かずお)
1951年7月24日生まれの有名人 大阪出身

7月24日生まれwiki情報なし(2025/04/01 21:03時点)

稲垣 尚夫(いながき ひさお)
1956年7月24日生まれの有名人 大阪出身

7月24日生まれwiki情報なし(2025/04/05 00:17時点)


今川 泰宏(いまがわ やすひろ)
1961年7月24日生まれの有名人 大阪出身

今川 泰宏(いまがわ やすひろ、1961年7月24日 - )は、日本のアニメーション監督、映画監督、演出家、脚本家、放送作家。大阪府出身。 子供の頃『鉄人28号』と『ガロ』を好む少年だった。中学生の…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


中村紀洋と近い名前の人

中村 進_(登山家)(なかむら すすむ)
1946年1月15日生まれの有名人 群馬出身

1月15日生まれwiki情報なし(2025/04/03 12:43時点)

中村 豪(なかむら つよし)
【やるせなす】
1975年3月22日生まれの有名人 東京出身

3月22日生まれwiki情報なし(2025/03/30 06:19時点)

中村 豪_(野球)(なかむら たけし)
1942年6月28日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 中村 豪(なかむら たけし、1942年6月28日 - )は、愛知県名古屋市出身の高校野球指導者。 選手としての現役時代は名古屋電気高…

中村 茂_(政治家)(なかむら しげる)
1920年11月9日生まれの有名人 長野出身

中村 茂(なかむら しげる、1920年(大正9年)11月9日 - 2012年(平成24年)12月19日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県小県郡殿城村(現上田市)生まれ。193…


中村 茂_(アナウンサー)(なかむら しげる)
1901年4月2日生まれの有名人 東京出身

中村 茂(なかむら しげる、明治34年(1901年)4月2日 - 昭和53年(1978年)2月6日)は、NHKのアナウンサー。 東京府出身。1923年東京商科大学(現一橋大学)附属商学専門部卒業、…

中村 愛_(タレント)(なかむら あい)
1986年2月25日生まれの有名人 愛知出身

中村 愛(なかむら あい、1986年2月25日 - )は、日本のタレント。愛知県名古屋市生まれ。身長162cm、B88cm、W63cm、H88cm、足のサイズ23.5cm。血液型A型。浅井企画所属。本…

中村 愛_(アナウンサー)(なかむら あい)
1981年6月4日生まれの有名人 東京出身

井澤 愛(いざわ あい、旧姓:中村。1981年6月4日 - )は、NHKの元アナウンサーでフリーアナウンサー。 小学生時代、「ひらけ!ポンキッキ」の体操(ダンス?)のコーナーに出演。國學院大學久我山…

中村 容子_(アナウンサー)(なかむら ようこ)
1966年9月5日生まれの有名人 山梨出身

中村 容子(なかむら ようこ、1966年9月5日 - )は山梨県出身のアナウンサー、タレント。 NHK甲府放送局所属のキャスターを経て、現在は古舘プロジェクトに、タレントとして所属。 ニュース番組や…

中村 容子(なかむら ようこ)
1965年4月11日生まれの有名人 東京出身

中村 容子(なかむら ようこ、1965年4月11日 - )は、日本の元アイドル歌手・元女優・元タレント。本名、大出 容子。 東京都出身。国立音楽大学附属高等学校中退。 東京都内で生まれたが、ほどな…


中村 太郎_(俳優)(なかむら たろう)
1996年10月5日生まれの有名人 千葉出身

中村 太郎(なかむら たろう、1996年10月5日 - )は日本の俳優。以前はワタナベエンターテインメント、DIVE’、SUIに所属していた。 城田優のように多方面で活躍する俳優になりたいと思い17…

中村 太郎_(政治家)(なかむら たろう)
1918年1月2日生まれの有名人 山梨出身

中村 太郎(なかむら たろう、1918年1月2日 - 2011年4月22日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)、労働大臣(第50代)。 山梨県東山梨郡勝沼町(現甲州市)出身。1941年、早稲田大学…

中村 哲_(作曲家)(なかむら さとし)
1954年9月16日生まれの有名人 埼玉出身

中村 哲(なかむら さとし、1954年9月16日 - )は、日本のサクソフォーン奏者、キーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。埼玉県さいたま市大宮区出身。 サクソフォーンとキーボード奏…

中村 哲_(政治学者)(なかむら あきら)
1912年2月4日生まれの有名人 東京出身

中村 哲(なかむら あきら、1912年2月4日 - 2003年8月10日)は、日本の政治学者、憲法学者。法政大学総長、参議院議員。父方の叔母に竹越光代(婦人運動家、歴史家・政治家竹越与三郎の妻)がいる…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
中村紀洋
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

純烈 Rev.from DVL DA PUMP AKB48G 私立恵比寿中学 CheekyParade 夢みるアドレセンス KAT-TUN SMAP PASSPO☆ 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「中村紀洋」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました