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小坂誠の情報 (こさかまこと)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

小坂誠の情報(こさかまこと) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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小坂 誠さんについて調べます

■名前・氏名
小坂 誠
(読み:こさか まこと)
■職業
野球選手
■小坂誠の誕生日・生年月日
1973年7月2日 (年齢50歳)
丑年(うし年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
宮城出身

(昭和48年)1973年生まれの人の年齢早見表

小坂誠と同じ1973年生まれの有名人・芸能人

小坂誠と同じ7月2日生まれの有名人・芸能人

小坂誠と同じ出身地宮城県生まれの有名人・芸能人


小坂誠と関係のある人

高須洋介: 2009年、前年の手術の影響か開幕スタメンは新加入の小坂誠に譲ったが、3割を超える好調な打撃ですぐにレギュラーの座を取り返した。


佐藤孝夫: 45盗塁も記録しているが、これは1997年に小坂誠に破られるまで、新人選手による盗塁の日本記録であった。


渡辺直人: 6月5日の東京ヤクルトスワローズ戦で6回裏には、小坂誠が遊撃の守備に、渡辺が初めて二塁の守備に就き、翌6日には二塁手として先発出場した。


渡真利克則: 球審を担当していた2006年4月21日の巨人対阪神戦で、阪神先発の井川慶が巨人小坂誠に5球目を投げようとしたとき、捕手の矢野輝弘に向かって覆いかぶさるように倒れ途中交代した。


初芝清: 守備は堅実とは言えず、三遊間を組んでいた小坂誠に任せる場面も多かったが、危なっかしいフライ処理やオーバーなアクションでファンを沸かせた。


柴田佳主也: 2001年は近鉄の選手会副会長を務めて野球人生初の優勝に貢献したが、小坂誠にプロ入り初の満塁ホームランを献上するなどやや精彩を欠いた。


片岡易之: 走っては前半戦だけで前年の盗塁数を上回ると最終的に50盗塁を記録し、2位の渡辺直人を16個引き離して2年連続の盗塁王となった(パ・リーグの50盗塁以上は1997年の松井稼頭央と小坂誠以来)。


松井稼頭央: 一方でプロ入り当初はフィールディングには難があったため、須藤と共に遊撃手としてのグラブの動きを練習し、小坂誠の動きを手本にしながらフィールディングを磨いていったという。


レン=サカタ: 当時ロッテの選手で指導を受けた小坂誠は「私にとって大きな影響を与えて下さった方です。


角中勝也: 月間MVP投手部門・野手部門同時受賞は、球団では1997年4月の河本育之・小坂誠以来、21年ぶり4度目となった。


仁志敏久: シーズンオフに千葉ロッテマリーンズから小坂誠が移籍し、更に原が監督復帰した。


鈴木尚広: 2005年も契約更改の場で「背番号2(この年引退した元木大介、かつての巨人の1番打者・松本匡史が着けていた背番号)を背負いたい」と直訴したが、時期尚早と判断され、背番号2は移籍してきた小坂誠に与えられた。


渡辺正人: 2002年に小坂誠の故障でチャンスをつかみ、9番・遊撃手に定着する。


西村弥: 『週刊ベースボール』2012年8月20日号内「道具の流儀 seasonII」において、試合中に小坂誠モデルの軟式野球用グラブを使用していることを明かした。楽天の先輩であり、内野守備の名手だった小坂誠と酒井忠晴から影響を受けており、硬式野球用グラブとの違いについて「微妙な違いではない。


今江敏晃: 2004年は遊撃手のレギュラーに小坂誠がいたため、強肩を生かして外野手へのコンバートを打診されたが、内野手をやりたいという自身の希望で三塁手にコンバート。


南渕時高: しかし翌1997年シーズンには小坂誠の入団によって内野陣が再編成され出場機会が激減、シーズン後半にはほとんど出番がなくなる。


酒井忠晴: ロッテ時代に二遊間を組むことが多かった小坂誠は、酒井の守備について「まさに別世界のプレーだった」と振り返り、酒井の守備での「スムーズな脚運び」「捕球してから素早く送球する」といった動作を参考にしていたという。


近藤昭仁: その中で小坂誠・福浦和也といった新戦力を見出だして台頭させたが、1年目(1997年)はチームの防御率3点台に対して打線が振るわず最下位に終わる。


中村勝広: 後に木下富雄、岡田彰布、小坂誠、田中浩康がタイ記録で並び、2013年9月18日には本多雄一が12補殺記録を残すが、現在もセントラル・リーグでは記録保持者である。


堀幸一: 1997年、新人の小坂誠が遊撃手としてレギュラーになったこともあり、再び二塁手にコンバートされた。


武藤孝司: また守備でも小坂誠の16に次ぐ15失策を記録しており、後半以降ベテランの吉田剛に遊撃のスタメンを譲る結果となった。


福浦和也: 5月10日に鳥越裕介ヘッド兼内野守備・走塁コーチのヘッドコーチ専任により、小坂誠二軍内野守備・走塁コーチが一軍に昇格。


黒田哲史: 2006年、原辰徳が監督に復帰すると、チームは千葉ロッテマリーンズから小坂誠と、北海道日本ハムファイターズから古城茂幸、またシーズン中には広島東洋カープから木村拓也をそれぞれトレードで獲得し、内野守備の充実を図り、また正遊撃手の二岡智宏がフル出場を果たした他、ルーキーの脇谷亮太の台頭などに押し出される形で活躍の機会を失い、夏場以降は一軍での出場はなかった。


早川健一郎: 初本塁打:2000年6月1日、対大阪近鉄バファローズ11回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に小坂誠の代打として出場、杉山賢人から左越2ラン


山崎武司: この試合は結局、延長12回裏に小坂誠がサヨナラ打を放ち、6点差をひっくり返す逆転勝利を収めた。


前川勝彦: 初奪三振:同上、9回表に小坂誠から


伊志嶺翔大: また、新人としては2001年の赤星憲広(阪神タイガース)以来10年ぶり、パ・リーグおよび球団の新人としては1997年の小坂誠以来14年ぶりとなる30盗塁も達成した。


酒井忠晴: この時期は、同じく名手と呼ばれた遊撃手の小坂誠と共に高い守備力を誇る二遊間、三遊間を形成してチームを支えた。


藤岡裕大: ルーキー二人が開幕から先発出場したのは、1997年の小坂誠と清水将海以来、21年ぶりであった。


森中聖雄: 1997年には小坂誠(千葉ロッテマリーンズ)とともにオープン戦の最優秀新人選手として選出され、川村とともに開幕一軍メンバーに名を連ねると、4月4日のシーズン開幕戦である対中日戦(ナゴヤドーム)でプロ初登板を果たした。


小坂誠の情報まとめ

もしもしロボ

小坂 誠(こさか まこと)さんの誕生日は1973年7月2日です。宮城出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、詳細情報などについてまとめました。卒業、現在、結婚、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。小坂誠の現在の年齢は50歳のようです。

小坂誠のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

小坂 誠(こさか まこと、1973年7月2日 - )は、宮城県亘理郡山元町出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。右投左打。

少年野球時代はチームの後輩に小野淳一。山元町立山下中学校卒業。宮城県柴田高等学校では甲子園出場はなく、高校卒業後は社会人野球のJR東日本東北硬式野球部に5年間在籍。

1995年には都市対抗野球にチーム53年ぶりの出場、翌年も連続出場して1番を打った。ヤクルトスワローズのスカウトを務めていた佐藤孝夫(白石市出身で仙台鉄道管理局から国鉄スワローズに入団)がその才能を見出して獲得するよう推薦したが、低身長を理由に却下された。小坂をあきらめきれない佐藤は千葉ロッテマリーンズのGM広岡達朗(元ヤクルト監督)に「ヤクルトは取らないけれど、背は低いが俊足で守備範囲の広い遊撃手なんだ」と推薦し、実際に小坂を調査した広岡は即座に獲得を決意。1996年度のドラフト会議で5位指名された。背番号は00。

1997年(1年目)の開幕から遊撃手のレギュラーを獲得。3・4月の月間MVPを獲得し、シーズン全試合出場を果たすなど活躍を見せて新人王に選ばれる。盗塁王のタイトルは松井稼頭央が獲得したが、この年に記録した56盗塁はそれまでの新人最多記録である佐藤孝夫の45盗塁を大きく上回る記録であり、現在も破られていない。

1999年は31盗塁を記録したが、松井稼頭央に1個及ばず盗塁王を逃した。同年は打率.280、出塁率.358を記録してゴールデングラブ賞も初受賞し、以後2001年まで受賞し続ける。1998年に続き2年連続でリーグ最多犠打も記録した。

2000年は33盗塁で自身2度目となる盗塁王を獲得。

2001年には木塚忠助以来プロ野球史上2人目となる新人から5年連続30盗塁を記録し、打撃では打率.262、出塁率.350と復調した。

2002年は開幕早々に右足を骨折し長期離脱。新人から連続30盗塁と連続100安打の記録が5年で止まるが、通算4度目となるリーグ最多三塁打を記録した。

2003年には通算50三塁打を達成し、2年ぶりに100安打以上を記録した。

2004年は腰痛などの故障が長く続き、出場試合数が大幅に減少した。この年からボビー・バレンタイン新監督の統計スタッフの分析により「ゴロヒットよりフライヒットが多い」との指摘を受け、転がす打撃から外野へ飛ばす打撃にスタイルを変える。シーズン途中から眼鏡を使い始め、2007年からコンタクトレンズを試みた時期もあったが、その後、眼鏡とチューインガムがトレードマークとして定着した。

2005年1月1日に結婚。4月22日、通算1000試合出場(401人目)を地元宮城県のフルキャストスタジアム宮城で達成。6月5日、通算250盗塁を達成。以後、西岡剛、堀幸一らと共に二遊間を3人でローテーションするという独特のシステムの下(出場の試合は全て遊撃手)で活躍し、打率.283、出塁率.353、自己最高となる4本塁打を記録。チームの31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献した。通算4度目となるゴールデングラブ賞も受賞した。12月21日に金銭トレードで読売ジャイアンツへ移籍。

移籍に際して、ロッテで付けていた背番号1が巨人では永久欠番になっていたこともあり、同年に引退した元木大介の2を引き継いだ。

2006年の巨人は遊撃二岡智宏、二塁仁志敏久がいたが、小坂は開幕二塁手のスタメンを勝ち取り、この年はほとんど二塁で起用された。同年4月15日の対横浜ベイスターズ5回戦(横浜)で、通算1000安打を達成したものの、打率1割台と極度の不振となり、シーズン終了後には大幅減俸を受け入れ、10月には若手と共にフェニックスリーグに参加した。10月27日に、シーズン中に取得したFA権を行使せずに巨人に残留することを表明した。

2007年から背番号を6に変更。3月30日、セ・リーグ開幕戦の対横浜戦(横浜)で史上10人目の通算250犠打を達成。翌年初頭に、越年で契約更改。肩の故障の経過を見たうえでの契約となった。出場機会は減少し、1シーズンを通した安打数はわずか3本となった。

2008年はそれまで2004年に一度しか守ったことがなかった三塁を守ることがあった(ベンチ裏で味方選手が素振りしていたバットが三塁を守っていた今江敏晃の頭部に当たるアクシデントがあったため)が、出場試合数は13試合に減少し、シーズン終了後の11月11日に、金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍することが発表された。背番号は32。巨人からは二軍コーチへの就任を打診されていたが、現役にこだわりたいとの思いから自分で移籍を願い出たという。

2008年11月15日に楽天初の地元出身選手として入団し、入団記者会見を行った。新たに作られた応援歌には「宮城の星」という節が入るなど地元ファンからの期待は大きかったが、シーズン当初は巨人時代と同じく代走や守備固めで起用されることがほとんどだった。5月に内野のレギュラーであった渡辺直人・高須洋介が相次いで故障すると、次第にスタメンでも起用されるようになる。5月3日の対オリックス戦では、8回一死二・三塁の場面で三塁走者・草野大輔の代走として出場すると、中村紀洋の二塁ゴロの間に内野の前進守備をかいくぐる好走塁で決勝点のホームを踏み、初となる地元でのお立ち台に登った。5月25日の対横浜戦(横浜)では、トム・マストニーから4年ぶりとなる本塁打を打った。また、8月16日の対ロッテ戦では、延長12回一死満塁の場面で荻野忠寛からルーキーイヤー以来12年ぶりとなるサヨナラ安打を打った。

2010年は椎間板ヘルニアの影響もあり、10月1日に球団から戦力外通告を受け、翌2日に現役引退を表明した。

2011年、楽天の育成コーチ(野手担当)に就任。5月15日、二軍内野守備走塁コーチへと配置転換となった。2012年は育成コーチ(野手担当)に復帰予定だったが、後任の種田仁が1月に退団したため、引き続き二軍内野守備走塁コーチを務めた。

2013年11月5日、辞任を申し入れ退団した。

2014年からは北海道日本ハムファイターズの二軍内野守備コーチを務め、2016年限りで退団した。

2017年からは、読売ジャイアンツで二軍内野守備走塁コーチを務め、同年限りで退団した。

2018年、二軍内野守備・走塁コーチとして13年ぶりにロッテへ復帰した。5月10日には、鳥越裕介ヘッドコーチ兼一軍内野守備・走塁コーチがヘッドコーチに専念するため、一軍内野守備・走塁コーチに配置転換された。

2019年は、再び二軍内野守備走塁コーチへ配置転換されると、2020年は育成コーチ兼走塁コーチを、2021年は、育成守備・走塁コーチを、2022年は、二軍打撃兼内野守備兼走塁コーチを務め、2023年は再び一軍内野守備兼走塁コーチを担当。しかし、腰椎急性期圧迫骨折などの影響でコーチ業務が困難となったため、同年オフの11月29日、守備コーディネーターに配置転換となる事が発表された。

選手としての特徴

その超人的な守備力から「平成の牛若丸」、「小坂ゾーン」などと称された。当時、小坂と同一リーグに所属していた城島健司は「小坂さんがいると、毎試合ヒットを1本損する」と語っている。ゴールデングラブ賞は遊撃手として4度受賞している。

ロッテに入団して以来、1軍では2004年に一度だけ三塁手を守った(攻撃中にベンチ裏で味方選手の素振りしていたバットが、三塁を守っていた今江敏晃の頭部に当たるというアクシデントがあったため)以外は9年間、遊撃手のレギュラーを守り続けた。2軍やオールスターでは二塁手なども経験しているが、移籍時に一部スポーツ紙で「2005年に二塁を守った」という記事が掲載されたのは誤りである。巨人に移籍後は、二塁・三塁守備を習得して「内野守備・走塁のスペシャリスト」(2006年前半は仁志の打撃不振から事実上の正二塁手として起用された)として期待され、3ポジションで持ち前の守備力を発揮したが、打撃不振や故障により実力を十分に発揮することが出来なかった。楽天では本職である遊撃手(主に相手の先発投手が右投げであった場合)の他にも、細かい怪我の多い高須洋介の守備負担を減らすために二塁手を務めることもあった。

セイバーメトリクスの見地から

RCAAは100以上のマイナスを記録している一方、守備得点は200を超えており、合計ではプラスとなっている。

守備Win Sharesではロッテの遊撃手としては歴代1位の数値を記録(2010年終了時点)。

レンジファクターは遊撃手として1997年から7年連続で両リーグ1位を記録しており、うち1998年から2003年までは6年連続で数値が5を超えている。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
1997 ロッテ 135 595 499 66 130 14 7 1 161 30 56 16 38 5 49 0 4 49 4 .261 .329 .323 .651
1998 124 527 430 51 100 12 8 3 137 33 43 11 48 6 40 2 3 48 3 .233 .299 .319 .617
1999 130 586 482 64 135 18 10 3 182 40 31 15 42 2 57 4 3 59 2 .280 .358 .378 .736
2000 135 559 462 57 110 17 4 1 138 30 33 11 23 5 69 2 0 69 4 .238 .334 .299 .633
2001 140 657 550 79 144 16 8 1 179 35 32 9 22 7 77 0 1 70 8 .262 .350 .325 .675
2002 93 380 334 35 82 13 6 1 110 15 11 3 18 0 26 0 1 54 2 .246 .302 .329 .631
2003 134 592 516 67 133 21 7 3 177 40 27 7 19 3 53 1 1 84 5 .258 .326 .343 .669
2004 89 300 242 33 61 9 3 1 79 26 6 8 21 3 31 0 1 37 1 .252 .336 .326 .662
2005 118 367 321 64 91 14 6 4 129 31 26 11 10 1 29 0 6 47 3 .283 .353 .402 .755
2006 巨人 92 255 218 24 40 5 2 0 49 12 4 4 8 2 22 2 5 41 3 .183 .271 .225 .496
2007 56 31 24 13 3 1 1 0 6 3 2 0 1 1 4 0 1 8 0 .125 .267 .250 .517
2008 13 7 7 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2009 楽天 105 213 176 19 40 3 1 1 48 8 7 4 17 1 18 0 0 31 1 .227 .297 .273 .570
2010 7 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:14年 1371 5069 4261 574 1069 143 63 19 1395 303 279 99 267 36 475 11 26 599 36 .251 .327 .327 .655

各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

年度 球団 二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1997 ロッテ - - 135 197 459 14 86 .979
1998 - - 123 236 417 16 106 .976
1999 - - 130 230 421 13 84 .980
2000 - - 135 226 489 11 98 .985
2001 - - 140 252 492 16 99 .979
2002 - - 93 175 298 3 57 .994
2003 - - 134 226 483 8 86 .989
2004 - 1 1 0 0 0 1.000 88 148 275 8 65 .981
2005 - - 112 142 290 3 64 .993
2006 巨人 76 114 196 4 34 .987 - 27 14 21 0 5 1.000
2007 2 0 2 0 0 1.000 - 51 22 41 1 10 .984
2008 7 1 2 0 0 1.000 5 1 2 0 0 1.000 -
2009 楽天 63 77 113 2 23 .990 12 2 4 0 1 1.000 34 33 69 0 15 1.000
2010 - 3 2 1 0 1 1.000 2 0 1 0 0 1.000
通算:14年 148 192 313 6 57 .988 21 6 7 0 2 1.000 1204 1901 3756 93 775 .984

各年度の太字はリーグ最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞年

タイトル

盗塁王:2回(1998年、2000年)

表彰

新人王(1997年)

ゴールデングラブ賞:4回(遊撃手部門:1999年 - 2001年、2005年)

月間MVP:1回(野手部門:1997年4月)

JA全農Go・Go賞:1回(好捕賞:2001年6月)

記録

初出場・初先発出場:1997年4月5日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、2番・遊撃手で先発出場

初打席・初安打:同上、1回表に西崎幸広から中前安打

初打点:同上、2回表に西崎幸広から右中間2点適時二塁打

初盗塁:1997年4月8日、対近鉄バファローズ1回戦(大阪ドーム)、3回表に二盗(投手:高村祐、捕手:的山哲也)

初本塁打:1997年8月22日、対近鉄バファローズ20回戦(大阪ドーム)、1回表に岡本晃からソロ

200盗塁:2002年7月22日、対オリックス・ブルーウェーブ15回戦(千葉マリンスタジアム)、6回裏に二盗(投手:本柳和也、捕手:日高剛) ※史上63人目

200犠打:2003年7月12日、対オリックス・ブルーウェーブ18回戦(Yahoo! BBスタジアム)、3回表に金田政彦から投手前犠打 ※史上25人目

1000試合出場:2005年4月22日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(フルキャストスタジアム宮城)、1番・遊撃手で先発出場 ※史上401人目

250盗塁:2005年6月3日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、1回表に二盗(投手:安藤優也、捕手:矢野輝弘) ※史上36人目

1000安打:2006年4月15日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、9回表に仁志敏久の代打で出場、木塚敦志から左中間二塁打 ※史上239人目

250犠打:2007年3月30日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、4回表に三浦大輔から投手前犠打 ※史上10人目

新人シーズン56盗塁数:1997年 ※史上最多

40盗塁・40犠打:1998年 ※史上初

新人から5年連続30盗塁(1997年 - 2001年)※史上2人目

シーズン守備率.994:2002年 ※パ・リーグ遊撃手記録

オールスターゲーム出場:5回(1997年、1999年 - 2001年、2003年)

背番号

00(1997年)

1(1998年 - 2005年)

2(2006年)

6(2007年 - 2008年)

32(2009年 - 2010年)

86(2011年 - 2013年)

85(2014年 - 2016年)

70(2017年)

74(2018年 - 2023年

登場曲

「オブラディオブラダ(レゲエバージョン)」インナー・サークル(2009年)

「FIGHTING BULL」TAK MATSUMOTO(2010年)

2024/06/14 02:38更新

kosaka makoto


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CM『中京銀行』CM『株式会社トップ』 ラジオDJ タレント 彦坂 まなみ(ひこさか まなみ、1989年3月8日 - )は、愛知県名古屋市出身のモデル、タレントである。 2017年3月31日に所…

小坂 将商(こさか まさあき)
1977年7月23日生まれの有名人 奈良出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 小坂 将商(こさか まさあき、1977年7月23日 - )は、和歌山県那賀郡那賀町(現紀の川市)出身の高校野球指導者。智辯学園高等学校…

小坂 まりこ(こさか まりこ)
5月9日生まれの有名人 和歌山出身

小坂 まりこ(こさか まりこ、5月9日 - )は、日本の漫画家。和歌山県出身。 2005年、ちゃおまんがスクール331回ちゃお銀賞を受賞。同年、「I☆マイセルフ」(『ちゃおDX』初夏の増刊号掲載)に…

小坂 秀二(こさか ひでじ)
1918年3月16日生まれの有名人 東京出身

小坂 秀二(こさか ひでじ、1918年3月16日 - 2003年4月6日)は、日本の歯科医、相撲評論家、著作家、アナウンサー。 太平洋戦争で軍医として徴用され終戦まで中国の陸軍病院に勤務。その後NH…

小坂田 純奈(こさかだ じゅんな)
1997年8月20日生まれの有名人 北海道出身

小坂田 純奈(こさかだ じゅんな、1997年8月20日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校卒業。日本大学文理学部中国語中国文化学科4年在籍時に「…

小坂 菜緒(こさか なお)
2002年9月7日生まれの有名人 大阪出身

小坂 菜緒(こさか なお、2002年〈平成14年〉9月7日 - )は、日本のアイドル、ファッションモデル、女優であり、女性アイドルグループ・日向坂46のメンバー、『Seventeen』の専属モデルであ…

小坂 知里(こさか ちさと)
1984年4月13日生まれの有名人 愛知出身

小坂 知里(こさか ちさと、1984年4月13日 - )は、フリーアナウンサー。 愛知県豊田市出身。中京大学心理学部卒業後の2007年、瀬戸内海放送の子会社であるキャストKSBパートナーズへ入社し…

小坂 優舞(こさか ゆま)
1988年3月12日生まれの有名人 静岡出身

小坂 優舞(こさか ゆま、1988年3月12日 - )は、声優・歌手活動を主に活動するアキバ系アイドル。静岡県出身、東京都在住。特技は、イラストを描く事。舞台活動なども行っている。 家庭の事情によ…

小坂 りゆ(こさか りゆ)
1985年1月17日生まれの有名人 神奈川出身

小坂 りゆ(こさか りゆ、1985年1月17日 - )は、日本の女性歌手、作詞家、舞台女優。神奈川県横浜市出身。ボーカル・ユニット「BeForU」のメンバー。血液型はO型。かつて「小坂 梨由」という名…

小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう)
1916年1月20日生まれの有名人 長野出身

小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 - 1996年2月23日)は、日本の実業家・政治家。信越化学工業社長・会長、信濃毎日新聞社長、衆議院議員、運輸大臣(53代)などを歴任した。 …

小坂 善太郎(こさか ぜんたろう)
1912年1月23日生まれの有名人 長野出身

小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年(明治45年)1月23日 - 2000年(平成12年)11月26日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党の衆議院議員(16期)。外務大臣(第83-84…

阪上 和子(さかがみ かずこ〔本名:小坂部和子[1]〕)
1940年5月21日生まれの有名人 東京出身

阪上 和子(さかがみ かずこ〔本名:小坂部和子〕、1940年5月21日 - )は、東京都出身の日本の女優。劇団青年座所属。身長160 cm。体重50 kg。血液型はB型。 19…

小坂 由美子(こさか ゆみこ)
1970年2月3日生まれの有名人 広島出身

小坂 由美子(こさか ゆみこ、1970年2月3日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。 広島県尾道市出身。血液型はA型。 高校時代に先輩に誘われて、軽音部に入部。最初「歌に自信が無かった…

小坂 憲次(こさか けんじ)
1946年3月12日生まれの有名人 長野出身

小坂 憲次(こさか けんじ、1946年〈昭和21年〉3月12日 - 2016年〈平成28年〉10月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)、文部科学大臣(第7…

小坂 俊史(こさか しゅんじ)
1974年5月8日生まれの有名人 山口出身

小坂 俊史(こさか しゅんじ、1974年5月8日 - )は日本の漫画家。山口県下関市出身。山口県立下関西高等学校、広島大学文学部卒業。 応募作「せんせいになれません」が1997年10月の準月間賞と…

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小坂誠
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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「小坂誠」を素材として二次利用しています。

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