久野収の情報(くのおさむ) 哲学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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三木清: 『現代日本思想大系33 三木清』久野収編・解説、筑摩書房、1966年 清水幾太郎: 新宿区若葉の四谷霊廟での密葬には、丸山真男、福田恆存、久野収などが臨席した。 日高六郎: 久野収・神島二郎編『『天皇制』論集』(三一書房、1974年) 有田芳生: 当時の心境について、有田芳生は「共産党は除名した人を反党分子だと攻撃する」と久野収が日本共産党を糾弾していたことを思い出したと語っている。 五木寛之: 『五木寛之討論集 箱舟の去ったあと』(羽仁五郎、小田実、久野収他) 講談社、1973年 副島隆彦: 吉本隆明・久野収・小室直樹・岡田英弘・片岡鉄哉を師と仰ぎ、政治思想・法制度論・経済分析・社会時事評論の分野で評論家として活動。 五木寛之: 『現代への視角』(松田道雄・久野収) 三一新書、1972年 田辺元: 1933年、文部省による滝川幸辰京大法学部教授の免官処分に抗議して、法学部の全教官が辞表を提出する動きを見せると、田辺は文学部教授の中で小島祐馬(支那哲学)とともにこれに同調し、学問の自由と大学の自治を守る運動を起こしていた久野収ら学生を励ました。 谷沢永一: 1996年2月発行の『悪魔の思想』では、日本を貶めた進歩的文化人12名(大内兵衛、大江健三郎、大塚久雄、加藤周一、久野収、向坂逸郎、坂本義和、竹内好、鶴見俊輔、丸山真男、安江良介、横田喜三郎)を実名と具体例を挙げて批判した。 日高六郎: 久野収編『戦後日本思想大系. 15』(筑摩書房、1974年) 清水幾太郎: 久野収の追悼エッセイの冒頭には以下ある。 五木寛之: 『わが心のスペイン』(久野収・斉藤孝) 晶文社、1972年。 小熊英二: 西尾幹二は、『<民主>と<愛国>』の索引での言及頁数は多い方から、丸山眞男、竹内好、鶴見俊輔、吉本隆明、江藤淳、小田実、石母田正、荒正人、大塚久雄、清水幾太郎の順であり、これら以外で頻出するのは小田切秀雄、本多秋五、井上清、網野善彦、中野好夫、久野収、国分一太郎、鶴見和子、中野重治、南原繁、宮本百合子、宗像誠也、大江健三郎であり、 江藤淳と晩年の清水幾太郎を除けば、全てが左派系だけであり、「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、埃を払い、茣蓙を敷いてその上にずらっと並べて天日に干して、もう一度眺められるようにお化粧直しする」「もう誰も相手にしてくれなくなった戦後進歩主義あるいは戦後左翼主義は、彼らにとっては心を慰めてくれるなによりもの〈癒し〉であるであろう。 松田道雄: 小児科の医師として診療する傍ら、久野収の勧めもあって1949年に平和問題談話会に参加、末川博、恒藤恭、田中美知太郎、桑原武夫らの知遇を得る。 武谷三男: その一方、中井正一、久野収らと共に、反ファシズムを標榜する雑誌『世界文化』『土曜日』に参加するなどしたため、2度にわたって検挙された。 林達夫: 『林達夫著作集』(全6巻:平凡社、1971-72年)- 久野収・花田清輝編、毎日出版文化賞特別賞、朝日賞受賞 テオドール=シュワン: 林達夫、野田又夫、久野収、山崎正一、串田孫一監修 著、下中邦彦発行 編『哲学事典』(初版第4刷)平凡社(原著1973-8-20)。 松田道雄: 『現代への視角』 五木寛之、久野収共著 三一新書 1972 中井正一: 1935年、久野収、新村猛、和田洋一、真下信一、武谷三男らを迎えて『世界文化』と改題・再創刊し、国際的な反ファシズム文化運動の紹介などを端緒に左翼文化誌としての性格を先鋭化させていった。 星野芳郎: 人間・労働・技術 久野収共著 1977.9 (三一新書) 有田芳生: 提言を依頼したが断った人物として、作家の佐多稲子、哲学者の久野収らをあげ、「以前共産党に攻撃されたことなどを理由に寄稿を断る文化人は多かった。 |
久野収の情報まとめ
久野 収(くの おさむ)さんの誕生日は1910年6月10日です。大阪出身の哲学者のようです。
卒業、事件、ドラマ、現在に関する情報もありますね。1999年に亡くなられているようです。
久野収のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)久野 収(くの おさむ、1910年〈明治43年〉6月10日 - 1999年〈平成11年〉2月9日)は、日本の哲学者、思想評論家。 1910年、大阪府堺市生まれ。奈良県立五條中学校(現:奈良県立五條高等学校)、第五高等学校を経て、1934年京都帝国大学文学部哲学科卒業。京都帝国大学在学中の1933年、学生の立場で「滝川事件」に関わる。 大学卒業後は、中井正一らと共に1935年に雑誌『世界文化』にかかわる。1936年からは隔週刊新聞『土曜日』にかかわる。これら雑誌のようなマルクス主義とは一線を引いた、軍国主義反対のメディア刊行物の発行を行ってゆく。久野は一時期、中井正一宅に居候をしていて、先輩の中井を支えた。しかし、1937年に治安維持法違反で逮捕された(1939年に釈放)。1936年から1938年2月まで昭和高等商業学校(現:大阪経済大学)に勤務。 戦後は、思想の科学研究会の主要メンバーとなり、60年安保反対闘争、ベトナムに平和を!市民連合などの思想的指導者として活動。学習院大学専任講師を長らく務め、その後教授になる。 風流夢譚事件が起きた際の思想の科学研究会の会長だった。1962年には、有限会社「思想の科学社」の初代社長に就任。雑誌『思想の科学』編集長も務めた。1993年には『週刊金曜日』の創刊にも関わり、死去するまで編集委員を務めた。 大阪府立中央図書館には久野の蔵書約2000冊が遺贈され、2005年2月には「久野収図書収蔵記念展」が催された。 体系だった著作や、いわゆる「主著」と呼ばれるものがないものの、多くの評論や対談などを通じて、戦後日本の政治思想や社会思想に大きな影響を与えた。「戦後民主主義」の形成に寄与した人物の一人である。 久野を理解するキーワードは「市民」であるといわれている。「政治的市民の復権」という書名が示すように、それは政治と無縁に生きる市民ではなく、状況と参画して生きる「市民」像であった。 林房雄から山田宗睦が1965年に刊行した『危険な思想家』に「ここには彼の血がほとばしっている」という「外科医的讃辞を書いている」推薦文を寄せたことを批判されており、竹内洋によると吉本隆明から山田や久野らは自分たちのネットワークを壊し孤立させようとしている学者を告発しているに過ぎないと批判されている。 『憲法の論理』みすず書房 1969、増補新版 筑摩叢書 1989 『久野収対話集・戦後の渦の中で 1-4』人文書院 1972-73 『平和の論理と戦争の論理』岩波書店 1972 『政治的市民の復権』潮選書 1975 『30年代の思想家たち』岩波書店 1976 『読書のなかの思想』三一新書 1976 『私の読書、私の書評』三一新書 1976 『現代国家批判』講談社学術文庫 1976 『権威主義国家の中で』筑摩書房 1976 『神は細部に宿りたまう』三一書房 1977 『歴史的理性批判序説』岩波書店 1977 『戦後民主主義』毎日新聞社 1979.9 『人間の自己創造』日本評論社 日評選書 1980.6 『日本遠近 ふだん着のパリ遊記』朝日選書 1983.6 『ファシズムの中の一九三〇年代』リブロポート 1986.8 『発言』晶文社 1987 『久野収対話史 1-2』マドラ出版 1988.2 『自由人権とナショナリズム』岩波ブックレット 1988.11 『展望』晶文社 1990 『市民主義の立場から』平凡社 1991.6 『久野収 世界を見つめる』自由国民社 1995 『市民主義の成立』春秋社 1996.6 『久野収集』全5巻 岩波書店 1998 『久野収セレクション』岩波現代文庫〈編/佐高信〉2010 『現代日本の思想―その五つの渦』鶴見俊輔、岩波新書 1956 『哲学の名著』毎日新聞社 1959 『戦後日本の思想』鶴見俊輔、藤田省三共著、中央公論社 1956、勁草書房 1966、講談社文庫 1976、岩波同時代ライブラリー 1995、岩波現代文庫 2010 『思想の科学事典』鶴見俊輔共編 勁草書房 1969 『現代への視角』松田道雄、五木寛之共著 三一新書 1972 『わが心のスペイン』五木寛之、斉藤孝共著 晶文社 1972 『思想のドラマトゥルギー』林達夫対談、平凡社 1974、のちライブラリー 『天皇制』論集 神島二郎共編 三一書房 1974 『人間・労働・技術』星野芳郎共著、三一新書 1977 『思想の折り返し点で』鶴見俊輔 朝日新聞社 1990、のち選書、岩波現代文庫 『回想の林達夫』日本エディタースクール出版部 1992.9 『久野収市民として哲学者として』高畠通敏聞き手 毎日新聞社 1995.9 『市民の精神 利を越えて理に生きる』佐高信共著 ダイヤモンド社 1995.1 『城山三郎と久野収の「平和論」』〈共著/城山三郎 編/佐高信〉七つ森書館 2009ISBN 9784822809898 『平和の哲学』J.サマァヴィル、岩波書店 1953 『試練の現代文明』ジョン・サマヴィル、市井三郎共訳、みすず書房 1958 『歴史主義の貧困 社会科学の方法と実践』カール・ポパー、市井三郎共訳、中央公論社 1961 『階級意識とは何か』ヴィルヘルム・ライヒ、三一新書 1974 『哲学の社会的機能』マックス・ホルクハイマー、晶文社 1974 『人間-過去・現在・未来』ルイス・マンフォード、岩波新書 1978-84 佐高信『面々授受 市民久野収の生き方』岩波書店 2003 ISBN 4000022601 世界文化 ^ 『京都帝国大学一覧 昭和9年』京都帝国大学、1934年、457頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447092/236。 ^ 昭和高等商業学校 編『昭和高等商業学校一覧 自昭和14年4月至昭和15年3月』昭和高等商業学校、1939年、55頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1441086/34。 ^ 黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)P.324 ^ 『「思想の科学」五十年 源流から未来へ』(思想の科学社)p.56 ^ 林房雄『大東亜戦争肯定論』番町書房 1970 p.606 ^ 林房雄 『大東亜戦争肯定論』 番町書房 1970 p.606 ^ 竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論新社、2011年10月、326頁。ISBN 978-4-12-004300-0。 ^ 『展望』1965年10月号 吉本隆明「わたしたちが山田宗睦の著書や、この著書におおげさな推薦の辞をよせている市民民主主義者や進歩主義者の心情から理解できるのは、じぶんたちがゆるく結んでいる連帯の人的なつながりや党派的なつながりが崩壊するのではないか、孤立しつつあるのではないかという深い危機感をかれらが抱きはじめているということだけである。そして、かれらの党派を崩壊させるような言葉をマスコミのなかでふりまいているようにみえる文学者、政治学者、経済学者を〈告発〉しようというわけだ。」 大阪府立図書館
久野収著作リスト 久野収「第一次大戦とラッセル」 みすず書房版「ラッセル著作集・月報」より(第7回配本付録) FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ 韓国 オランダ IdRef 20世紀日本の哲学者 20世紀日本の評論家 日本の思想評論家 20世紀日本の編集者 日本の雑誌編集者 21世紀日本の著作家 20世紀日本の著作家 日本の男性著作家 学士号取得者 週刊金曜日 滝川事件の人物 京都大学出身の人物 京都学派の哲学 旧制第五高等学校出身の人物 奈良県立五條高等学校出身の人物 堺市出身の人物 1910年生 1999年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/14 06:19更新
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kuno osamu
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