光瀬龍の情報(みつせりゅう) SF作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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水樹和佳子: 墓碑銘2007年(原作:光瀬龍、『SF Japan2000年MILLENNIUM:00 日本SF大賞20周年記念号』2000年4月、徳間書店) 眉村卓: 「覆面座談会事件」で福島と仲たがいした他のSF作家たちが会から脱会したのちも、光瀬龍とともに会に残った。 長谷邦夫: 1957年、SF小説同人誌宇宙塵が創刊されると連絡をとり、星新一や光瀬龍らの同人と交流を持った。 斎藤守弘: 1963年3月5日、東京都新宿区の料理店にて斎藤は石川喬司・小松左京・川村哲郎・斎藤伯好・半村良・福島正実・星新一・森優・光瀬龍・矢野徹と共に日本SF作家クラブを結成した(だが現在はメンバーではないので、いずれかの時期に脱退したと思われる)。 石川球太: 太平洋遊撃隊 - 原作:光瀬龍、『週刊少年マガジン』第5巻第33号(1963年8月11日(33)号) - 第5巻第43号(1963年10月20日(43)号)、講談社。 竹宮惠子: アンドロメダ・ストーリーズ(『月刊マンガ少年』11月号 - 1981年5月号、『デュオ』創刊号・10月号 - 1982年11月号、原作:光瀬龍) 栗本薫: 『ベストオブ光瀬龍』(太陽企画出版) 萩尾望都: その後、単行本の人気により編集部の強い要請を受けて1974年12月『ポーの一族』を「エヴァンズの遺書」で再開、1976年5月に「エディス」で完結したが、その間に『トーマの心臓』の暗いイメージを一掃するため長編ラブコメディー『この娘うります!』を連載するとともに、念願であったSF作品『11人いる!』を連載し、その後はレイ・ブラッドベリ原作シリーズ(後に作品集『ウは宇宙船のウ』として単行本化)、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作)、『スター・レッド』と矢継ぎばやにSF作品を連載する。 山田ミネコ: 宇宙塵版/派遣軍還る - 光瀬龍のSF小説。 水樹和佳: 墓碑銘2007年(原作:光瀬龍、『SF Japan2000年MILLENNIUM:00 日本SF大賞20周年記念号』2000年4月、徳間書店) 平谷美樹: 公募誌『北の文学』で短編小説が受賞した際、選者(編集委員)であった光瀬龍と知遇を得たことから師事する。 伊藤典夫: なぜSFなのか? 奇想天外放談集1 (豊田有恒、平井和正、南山宏、荒巻義雄、田中光二、かんべむさし、堀晃、横田順彌、鏡明、柴野拓美、浅倉久志、都筑道夫、小松左京、半村良、矢野徹、浅倉久志、高齋正、光瀬龍、石上三登志共著) 奇想天外社 1978年 加藤唯史: ロン先生の虫眼鏡(原作:光瀬龍)『週刊少年チャンピオン』秋田書店 1978年 竹宮惠子: 決闘2108年(『週刊少年マガジン』39号、原作:光瀬龍) 秋田貞夫: 1970年代になり少年誌の『週刊少年チャンピオン』が『ドカベン』(水島新司)、『バビル2世』(横山光輝)、『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄Ⓐ)、『ブラック・ジャック』(手塚治虫)、『あばしり一家』『キューティーハニー』(永井豪)、『番長惑星』(石ノ森章太郎)、『恐怖新聞』(つのだじろう)、『ふたりと5人』(吾妻ひでお)、『百億の昼と千億の夜』(原作:光瀬龍、漫画:萩尾望都)、『がきデカ』(山上たつひこ)、『月とスッポン』(柳沢きみお)、『青い空を、白い雲がかけてった』(あすなひろし)、『750ライダー』(石井いさみ)、『エコエコアザラク』(古賀新一)、『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)などの大人気作品に後押しされ、『週刊少年ジャンプ』(集英社)と競い合う形で、1977年には200万部を突破してトップに立ち、また、少女誌の『月刊プリンセス』は『悪魔の花嫁』(原作:池田悦子、作画:あしべゆうほ)、『イブの息子たち』(青池保子)、『王家の紋章』(細川智栄子 石川球太: 宇宙2007年 - 原作:光瀬龍、『中学二年コース』第6巻第9号(1963年11月号) - 第6巻第14号(1964年12月号)、学習研究社。 三好京三: 学生時代の友人に後の作家・光瀬龍、及川和男がいた。 今日泊亜蘭: SF関係者とは、今日泊の口の悪さと難しい性格のせいか、いつしか疎遠になることが多かったが、光瀬龍、野田昌宏とは長く付き合いがあった。 日下三蔵: 『日本SF傑作選5 光瀬龍 スペースマン/東キャナル文書』ISBN 9784150313258(2018年4月) 蔵忠芳: 夕ばえ作戦 1974年 原作光瀬龍、主演山田隆夫 ※少年ドラマシリーズ |
光瀬龍の情報まとめ
光瀬 龍(みつせ りゅう)さんの誕生日は1928年3月18日です。東京出身のSF作家のようです。
結婚、卒業、事件、ドラマ、映画、テレビに関する情報もありますね。1999年に亡くなられているようです。
光瀬龍のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)東京府北豊島郡南千住大字千住南に生まれ、1933年から1945年3月まで板橋区練馬南町に育つ。東京市開進第三国民学校5年生のときに海野十三の短編集『十八時の音楽浴』を読み、強い感銘を受ける。 川村学院中学校在学中、1945年4月、岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)に疎開する。岩手育ちと自称していたが、実際に岩手ですごしたのは17歳から20歳までの3年間のみである。この間、光瀬は一関中学校(現・一関第一高等学校)に学び、1948年3月に同校を修了するまで青春期のひとときを謳歌している。前沢町は父母の出身地でもあり、光瀬の中では「郷里」という意識が少なからずあったらしい。また、父方は桓武平氏千葉氏の子孫、母方は東北の覇者だった安倍氏の子孫であるとも称しており、これも同地へよせる愛着と郷土意識のゆえである可能性がある。旧制一関中学4年修了後、上京して旧制東京高等学校を受験するも試験を途中で放棄し、岩手に帰る。 旧制一関中学卒業後、1948年春に上京。同年4月、東洋大学東洋哲学科予科に入学するも2か月ほどで自主退学。さらに明治大学農学部に入学するも、1か月で自主退学。その後、1948年6月に川村高等学校3年生となり、1949年3月に卒業する。東京農工大学農学部の受験を放棄し、同年7月、東京教育大学農学部に入学。後、理学部生物学科動物学教室に転じ、1953年3月に卒業。1954年4月、東京教育大学文学部哲学科2年に編入、のち中退。 大学卒業後、柴野拓美の主宰する「科学創作クラブ」に加入し、同会の会誌である『宇宙塵』誌上に「光瀬龍」の筆名で作品を発表しはじめる。「空想科学小説というものは、書くのがはじめてだった。それまでに、何回も文芸同人誌を作ったりこわしたりしていたし、劇団を作って戯曲を書いたりしていたから、書くという作業は苦にならなかった。(中略)[1958年]三月号に、三十枚ほどのものを載せたのがはじめてだった」と語っている。当時客員として科学創作クラブに参加していた今日泊亜蘭とはその後、長く深交を結ぶことになる。 ペンネームは、光瀬が当時愛読していた作家井上靖が1954年に発表した短編小説「チャンピオン」の登場人物であるボクサーの名前にちなむ。それ以前は「菊川善六」名義で主に詩を書いていた。 作風は幅広く、「宇宙年代記」と総称される一群の宇宙SFをはじめとして、いわゆる架空戦記を含めた歴史改変ものを中心とする歴史小説・時代小説との積極的融合をはかったSF作品や、ジュブナイルSF、青春小説、時代小説、歴史エッセイ、科学エッセイ、漫画作品の原作など多岐にわたっている。 小説分野における代表作は、阿修羅王やナザレのイエスらの神話的闘争を描いた『百億の昼と千億の夜』である。これを挟む『たそがれに還る』『喪われた都市の記録』と併せ、当時としては長大なSFがあいついで発表され、スケール雄大な作風を賞賛された。 ジュブナイルSFにも力をそぞぎ、福島正実が1966年ごろに創設した作家、翻訳家、画家等の集団「少年文芸作家クラブ」に参加している。「覆面座談会事件」で福島と仲たがいした他のSF作家たちが会から脱会したのちも、眉村卓とともに会に残り、福島の死去時は葬儀委員をつとめた。のち、「少年文芸作家クラブ」は光瀬の提案で「創作集団プロミネンス」と改名して活動した。 また、在野の自然観察家としての豊富な知見を生かして、動物の生態観察にもとづいた一連のエッセイや野鳥図鑑などを執筆している。この系統での代表作品は、地道な野外観察記録をベースに虚実皮膜の間とも言うべき独自の境地を追求した『ロン先生の虫眼鏡』シリーズである。この作品は動物観察記録の域をこえて広範な読者層にアピールしたため、のちには、原作には登場しない独自のキャラクターが活躍する漫画作品として再構成されてもいる。なお、この漫画版『ロン先生の虫眼鏡』に登場するロン(=龍)先生のモデルは、原作者である光瀬本人である。 およそ40年間にもわたる創作家としての輝かしい活動歴とは裏腹に、文学賞の受賞とは、SF作品を対象とした星雲賞をふくめて生涯無縁であった。没後、その功績を称えて日本SF作家クラブより第20回日本SF大賞特別賞が贈られている。 1948年 - 旧制・岩手県立一関中学校(現・岩手県立一関第一高等学校)卒業。 1953年 - 東京教育大学(現・筑波大学)理学部動物学科卒業。卒業後、同校文学部哲学科に入学、中退。 1958年 - SF同人誌『宇宙塵』に参加。 1959年 - 洗足学園第一高等学校で生物と地学を教える。後に、中高生を対象とした『夕ばえ作戦』(1964年)や『暁はただ銀色』(1970年)で洗足(目黒区洗足)、洗足池(大田区南千束)、大岡山(大田区北千束)などを緻密に描写したことなどが知られている。 1960年 - 『ヒッチコック・マガジン』8月号の短編「同業者」(『宇宙塵』掲載作品の転載)により商業誌デビュー。『宇宙塵』9月号から初の長編SF小説『派遣軍還る』の連載開始。翌年連載完結。20年後の1981年、『宇宙塵版/派遣軍還る』として早川書房より刊行。 1961年 - 『S-Fマガジン』第1回空想科学小説コンテストにおいて『シローエ2919』で奨励賞を受賞。 1962年 - 『S-Fマガジン』5月号に短編「晴の海1979年」で本格デビュー。 1964年 - 『中一時代』誌上で『夕映え作戦』連載開始。翌1965年4月号より『中二時代』に掲載誌を移行し、同年5月号で完結。1967年、『夕ばえ作戦』として盛光社より刊行。 1965年 - 『S-Fマガジン』誌上で『百億の昼と千億の夜』連載開始。翌年連載完結。1967年、早川書房より刊行。 1967年 - 9月末をもって高校教諭の職を辞し、以後作家業に専念。 1974年 - 『夕ばえ作戦』がNHK『少年ドラマシリーズ』でドラマ化。 1977年 - 『百億の昼と千億の夜』(萩尾望都画)、『ロン先生の虫眼鏡』(加藤唯史画)が漫画化され『週刊少年チャンピオン』で連載。後者は後に『月刊少年チャンピオン』へと掲載誌を変更。 1983年 - 『平家物語』全8巻刊行開始。第2巻以降は『野性時代』誌上で掲載後に単行本化。1988年、角川書店より最終巻刊行。 1984年 - 同年から朝日カルチャーセンターにて「大衆文芸の書き方」講座を担当し、受講者から子母澤類が作家となった。 1988年 - 『北の文学』編集委員に就任し、後進の育成に尽力。平谷美樹、斎藤純、松田十刻、石野晶、勝山勝百合、大平しおり、立川ゆかりら、岩手県出身もしくは在住の作家が同誌から輩出されている。 1997年 - 『しんぶん赤旗日曜版』紙上で、最後の長編小説『異本西遊記』の連載開始。翌年連載完結。1999年、角川春樹事務所より刊行。 1999年 - 7月7日、食道癌により71歳で死去。 2009年 - 没後10年メモリアルとして、自伝的エッセイを集成し、また未発表の習作「肖像」などを収録した『光瀬龍 SF作家の曳航』(編/解題:大橋博之)がラピュータより刊行。 2021年、盛林堂ミステリアス文庫として同人誌『光瀬龍ジュヴナイル SF 未収録作品集』が刊行。監修:大橋博之、表紙イラスト:大野ツトム、表紙デザイン:小山力也。 ジュブナイル作品は別項とし、単行本化された中短編連作を含める。 『たそがれに還る』(早川書房) 1964 『百億の昼と千億の夜』(早川書房) 1967 『寛永無明剣』(立風書房) 1969 『征東都督府』(早川書房) 1975 『宇宙のツァラトゥストラ』(角川書店) 1975 『復讐の道標』 (ハヤカワ文庫) 1975 『秘伝宮本武蔵』上下(読売新聞社) 1976 『明治残侠探偵帖』(立風書房) 1978 『かれら、アトランティスより』(立風書房) 1979 『暁に風はやむか』(徳間書店)1979 『火星兵団を撃滅せよ』(徳間書店) 1980 『アンドロメダ・シティ』 (ハヤカワ文庫) 1980 『宇宙叙事詩』上下(早川書房、萩尾望都 画) 1980 『宇宙航路』(奇想天外社) 1980 のち『宇宙航路: 猫柳ヨウレの冒険』として再刊 『幻影のバラード』(徳間書店) 1980 『かれら星雲より』(徳間書店) 1981 『復讐の道標』(角川文庫) 1981 『派遣軍還る : 宇宙塵版』 (ハヤカワ文庫) 1981 『新宮本武蔵』全2巻(徳間書店) 1981 『派遣軍還る - S-Fマガジン版』(早川書房) 1982 『所は何処、水師営』(角川書店) 1983 『平家物語』全8巻(角川書店) 1983 - 1988 『吹雪の虹』(集英社) 1984 『オーロラの消えぬ間に』(早川書房) 1984 『紐育(ニューヨーク)、宜候(ようそろ)』(角川書店) 1984 『活人形怨之胄』 (双葉文庫) 1985 『猫柳ヨウレの冒険 激闘篇』(徳間ノベルズ)1986 のち『宇宙航路 2 激闘編: 猫柳ヨウレの冒険』として再刊 『あいつらの悲歌(エレジー)』 (光文社文庫) 1987 『銹た銀河』(早川書房) 1987 『豊臣太平記』(光風社出版) 1987 『五三の桐のメロディー』(光風社出版) 1991 『ミイラ獲りのバラード』(徳間書店) 1992 『宮本武蔵血戦録』(光風社出版) 1992 のち『宮本武蔵』と改題して再刊。 『魔道士リーリリの冒険』(光風社出版) 1993 『闇市の蜃気楼』(実業之日本社) 1993 『流れ星のバラード』(光風社出版)1994 『ちょっと待ちな有平糖』(徳間書店) 1994 『秀吉と信長 私説信長公記』(光風社出版) 1996 『異本西遊記』(角川春樹事務所) 1999 火星の都市、東キャナル市を中心としたシリーズ。短編以外では「たそがれに還る」など。 各作品名の末尾の年号は漢数字で表記されることもある。 「シティ0年」 「ソロモン1942年」「残照1977年」 「晴の海1979年」「墓碑銘2007年」 「氷霧2015年」 「オホーツク2017年」 「パイロット・ファーム2029年」 「幹線水路2061年」 「宇宙救助隊2180年」 「標位星2197年」 「巡視船2205年」 「流砂2210年」 「落陽2217年」 「市(シティ)2220年」 「戦場2241年」 「スーラ2291年」 「エトルリア2411年」 「シンシア遊水地2450年」 「流星2505年」 「西キャナル市2703年」 「連邦3812年」 「カビリア4016年」「カナン5100年」 「辺境5320年」
短編集『落陽2217年』 (ハヤカワ・SF・シリーズ、1965) 短編集『カナン5100年』 (ハヤカワ・SF・シリーズ、1968) 短編集『宇宙救助隊2180年―宇宙年代記〈1〉』 (ハヤカワ文庫、1975) 短編集『辺境5320年 宇宙年代記 (2)』 (ハヤカワ文庫、1975) 短編集『墓碑銘二〇〇七年 : 他12篇』 (角川文庫、1975) 短編集『宇宙救助隊二一八〇年』 (ハルキ文庫 宇宙年代記全集 1 1999) 短編集『辺境五三二〇年』 (ハルキ文庫 宇宙年代記全集 2 1999) 短編集『宇宙年代記 【合本版】』 (角川文庫、2026)― 全短編に加えて「東キャナル文書」「喪われた都市の記録」を収録 中短編連作
『東キャナル文書』(早川書房) 1977 「肖像」(菊川善六名義) 「消えた神の顔」 「アトランティスは今」 「ボレロ1991」(年代がついているが、地球が舞台であり、「宇宙年代記シリーズ」の作品ではない。ただし『辺境5320年』(ハヤカワ文庫)の福島正実による解説では、光瀬の「年代記SF」シリーズのうちの一編として紹介がされている) 「錆びた雨」 「マグラ!」(1963年) 「スペース・マン」 「多聞寺討伐」
短編集『多聞寺討伐』 (ハヤカワ文庫 1974) 短編集『歌麿さま参る』 (ハヤカワ文庫 1976) 共著の短編集『全艦発進せよ(オール・ファイヤー)!―SF未来戦記』(徳間書店、1978年) - 福島正実、高橋泰邦、今日泊亜蘭、眉村卓との共著 短編集『無の障壁』(ハヤカワ文庫、1978) 短編集『消えた神の顔』 (ハヤカワ文庫 1979) アンソロジー『ベストオブ光瀬龍』(中島梓編、太陽企画出版) 1981 短編集『多聞寺討伐』 (扶桑社BOOKS文庫、2009) 『日本SF傑作選5 光瀬龍 スペースマン/東キャナル文書 日本SF傑作選』 (日下三蔵編、ハヤカワ文庫 2018) 『夕ばえ作戦』(盛光社) 1967 『明日への追跡』 (盛光社) 『北北東を警戒せよ』(朝日ソノラマ) 1969 『暁はただ銀色』(朝日ソノラマ) 1970 『あの炎をくぐれ!』(国土社、創作子どもSF全集9) 1970 『その花を見るな!』(毎日新聞社) 1970 『作戦NACL』(岩崎書店) 1971 『SOSタイムパトロール』(朝日ソノラマ) 1972 『秘密指令月光を消せ』 (三省堂らいぶらりい SF傑作短編集) 1977 『SOS宇宙船シルバー号』 (三省堂らいぶらりいSF傑作短編集)1977 『立ちどまれば・死』(朝日ソノラマ) 1978 『消えた町』(鶴書房) 1978 『見えない壁』(立風書房)1979 『異次元海峡』(朝日ソノラマ) 1979 『その列車を止めろ!―SF』(秋元ジュニア文庫) 1982 『ぬすまれた教室 (あたらしいSF童話)』光瀬竜 作, 宇野文雄 絵, 少年文芸作家クラブ 編 岩崎書店 1984 『よーすけとはな (ペップ21世紀ライブラリー ; 7)』光瀬竜 作, 高梁まもる 絵 ペップ出版 1990 『自分で工夫する小動物の飼い方』(朝日ソノラマ) 1970 『自分で工夫する植物の観察と栽培』(朝日ソノラマ) 1973 『ロン先生の虫眼鏡』(早川書房) 1976 『僕がアインシュタインになる日』(佐藤文隆との対談録、朝日出版社) 1981 『ロン先生の虫眼鏡 Part2』(徳間書店) 1982 『ロン先生の虫眼鏡 Part3』(徳間書店) 1983 『小鳥が好きになる本』(薮内正幸画、ネイチャーアイランド社/星雲社) 1985 『虫のいい虫の話』(奥本大三郎との対談録、リヨン社) 1986 『エジソン (少年少女伝記文学館 16)』(光瀬龍 (著), 荻太郎 (イラスト) 講談社) 1988 『歴史そぞろ歩き』(大陸書房) 1989 『失われた文明の記憶』(青春出版社) 1996 『失われた時空間の謎』(青春出版社) 1998 『クローン人間が生まれる日』(青春出版社) 1999 『太平洋遊撃隊』(画:石川球太) 1963 『宇宙2007年』(画:石川球太) 1964 『まぼろしの大和』(画:古城武司) 『百億の昼と千億の夜』(画:萩尾望都) 『ロン先生の虫眼鏡』(画:加藤唯史) 『アンドロメダ・ストーリーズ』(画:竹宮惠子) 『枕草子』(画:河村恵利) 1990 『墓碑銘2007年』(画:水樹和佳子) 2000 『夕ばえ作戦』(脚色:押井守、画:大野ツトム) 暁はただ銀色(1973/04/02 ~ 1973/04/11、NHK) 夕ばえ作戦(1974/01/14 ~ 1974/01/23、NHK) 明日への追跡(1976年5月10日 - 同年5月27日、全12回、NHK) その町を消せ!(1978/01/30 ~ 1978/02/23、NHK) アンドロメダストーリーズ(1982/08/22 ~ 1982/08/22、NTV) 明日への追跡(2001年3月23日、アミューズソフト) ^ 公募新人賞にあたる『SFマガジン』第1回空想科学小説コンテストでの奨励賞受賞を唯一の例外とする。 ^ 発表時のタイトルは『夕映え作戦』 ^ 商業誌デビューとしては、ショート・ショート「同業者」の『ヒッチコック・マガジン』1960年8月号への掲載が先行する。 ^ 光瀬龍 - SF作家の曳航 - ウェイバックマシン(2009年7月6日アーカイブ分) ^ 映画原作として『SFマガジン』1963年8月臨時増刊号に掲載されたが、映画化は実現しなかった。 ^ 「光瀬 龍」『「20世紀日本人名事典」(日外アソシエーツ、2004年刊)』。https://kotobank.jp/word/%E5%85%89%E7%80%AC%20%E9%BE%8D。コトバンクより2022年3月22日閲覧。 ^ 『宇宙塵版/派遣軍還る』「あとがきにかえて」より。 ^ 宮田昇『戦後「翻訳」風雲録』本の雑誌社 ^ 『光瀬龍 SF作家の曳航』p.143 ^ 立川ゆかり『夢をのみ』(ツーワンライフ出版)P.229 ^ 立川ゆかり『夢をのみ』(ツーワンライフ出版)P.526-527 ^ 「ゴジラ映画を100倍楽しくする 東宝怪獣映画カルト・コラム 18 幻の東宝怪獣映画『マグラ!』」『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日、157頁。 峯島正行 『評伝・SFの先駆者 今日泊亜蘭』(2001年、青蛙房) ISBN 4790503763 立川ゆかり 「光瀬龍が見た空」 - 『北の文学』第53号(2006年11月、岩手日報社) 宮野由梨香 「阿修羅王はなぜ少女か 光瀬龍『百億の昼と千億の夜』の構造」 - 『SFマガジン』2008年5月号 大橋博之 「『夕ばえ作戦』 ビギナーズ・ガイド」 - 『月刊COMICリュウ』2009年2月号 大橋博之編 『光瀬龍 SF作家の曳航』(2009年、ラピュータ) 日本の小説家一覧 架空戦記作家一覧 SF作家一覧 特撮テレビ番組「キャプテンウルトラ」 ‐ 監修を務める。 押井守 - 高校時代に光瀬と親交があった。 三好京三 - 中学の同級生。三好の小説『早春の記憶』には光瀬をモデルとする「畑瀬竜」という人物が登場する。 千葉氏 - 生前、自分の家系は奥州に土着した千葉氏の子孫だと記していた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 光瀬龍 20世紀日本の小説家 日本のSF作家 日本の漫画原作者 東京教育大学出身の人物 東洋大学出身の人物 岩手県立一関第一高等学校出身の人物 川村中学校・高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 千葉氏 1928年生 1999年没 2024/11/11 07:02更新
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mitsuse ryuu
光瀬龍と同じ誕生日3月18日生まれ、同じ東京出身の人
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