大津美子の情報(おおつよしこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大津 美子さんについて調べます
■名前・氏名 |
大津美子と関係のある人
吉田矢健治: 『青き月夜の並木路』(昭和30年5月)[東条寿三郎作詞、歌:大津美子] 馬飼野康二: 大津美子のバックバンドや、ご当地ソングの作曲もしていた父・馬飼野昇の影響で兄ともども、幼少のころから家族でタンゴバンドを組むなど音楽や楽器に触れて過ごす。 飯田三郎: 『ここに幸あり』(昭和31年5月)[作詞:高橋掬太郎、歌:大津美子] 木下龍太郎: 大津美子「闘牛士のボレロ」 三条町子: 2011年11月11日、ゆうぽうとで開催された「第38回日本歌手協会歌謡祭」に、菅原都々子・安藤まり子・後輩の大津美子らと共に出演。 高橋掬太郎: 『ここに幸あり』(昭和31年5月)[飯田三郎作曲、歌:大津美子] 三条町子: 大津美子の1956年(昭和31年)の代表作「ここに幸あり」はもともと三條町子の吹き込みで曲は制作されたが、三條が出産を控えていた為に、同じレコード会社の当時新人の大津に回ってきたというエピソードがある。大津美子は「かりそめの恋」を、1964年(昭和39年)にシングルでカヴァーした。 矢野亮: 『流れのジプシー娘』(昭和31年12月)[飯田三郎作曲、歌:大津美子] 桜田誠一: 大津美子 林伊佐緒: 雨のささやき(大津美子) 細川潤一: 『多摩湖小唄』(昭和38年)[土屋忠司作詞、歌:春日八郎・大津美子] 北原ミレイ: 高2で高校の先輩大津美子に憧れテニスをやめ歌を始める。 渡久地政信: 大津美子 江口浩司: いのちの限り(1959年) 歌:大津美子 藤間哲郎: 東京アンナ(1955年10月)歌:大津美子 馬飼野俊一: 父はギタリストとして活動し、大津美子のバックバンドやご当地ソングの作曲もしていた馬飼野昇。 東條寿三郎: 『青い月夜の並木路』(昭和31年5月) 作曲:吉田矢健治、歌:大津美子 横井弘: 『銀座の蝶』(昭和33年4月) 作曲:桜田誠一、歌:大津美子 |
大津美子の情報まとめ
大津 美子(おおつ よしこ)さんの誕生日は1938年1月12日です。愛知出身の歌手のようです。
卒業、映画、結婚、現在、テレビ、姉妹に関する情報もありますね。今年の情報もありました。大津美子の現在の年齢は86歳のようです。
大津美子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大津 美子(おおつ よしこ、1938年1月12日 - )は、日本の歌手。 愛知県豊橋市出身。私立桜ヶ丘高校卒業。 1953年(昭和28年)、キングレコード専属作曲家だった渡久地政信に弟子入り。この頃は、毎週土曜日に夜行電車に乗り上京し、翌日の昼のレッスンを受け帰郷するという生活を続けていた。| 1955年(昭和30年)7月、キングレコードから「千鳥のブルース」でデビュー。デビュー2ヵ月後の9月に発売した「東京アンナ」が大ヒット。「東京アンナ」がヒットしている最中、恩師渡久地政信がビクターに移籍した。これにより落胆する大津にキング文芸部長だった町尻量光は、同社作曲家だった飯田三郎を紹介し、以後、飯田が大津を指導することになる。 1956年(昭和31年)、師である飯田が作曲し高橋掬太郎が作詞した同名映画の主題歌「ここに幸あり」が空前の大ヒットとなる。国内では結婚式用ソングとして親しまれたほか、とりわけハワイ、ブラジルなどの多くの日系人の間で当時から今日に至るまで愛唱されており、大津も公演に出向いた。 1969年(昭和44年)、実業家と結婚。1980年(昭和55年)、脳動脈破裂(くも膜下出血)により倒れるが、奇跡のカムバックを遂げた。 1995年(平成7年)から1997年(平成9年)まで社団法人日本歌手協会副会長に選出。1997年(平成9年)、文化庁長官賞受賞。1999年(平成11年)9月、豊橋ふるさと大使。 2005年、歌手生活50周年を迎え、記念のBOXセット「大津美子大全集」(CD6枚組)を発売。「ここに幸あり」「東京は恋人」などの往年のヒット曲をオーケストラとの共演で新録音している。 2014年(平成16年)7月、2015年の歌手デビュー60周年目に際して、地元愛知県で収録されたNHKBS日本のうたにスペシャル・ステージ枠で出演。(共演は後輩の市川由紀乃、竹島宏)自身のヒット曲「東京アンナ」「東京は恋人」「銀座の蝶」「いのちの限り」などをメドレーで披露した他、思い出のヒット曲として「白い桟橋」「ここに幸あり」を熱唱した。現在でも、そのダイナミックなアルトの歌声は健在で、新曲発売や公演、テレビ出演など精力的に活動を続けている。 2018年(平成20年)には傘寿を祝うパーティーが東京で催され、2024年10月2日には穂の国とよはし芸術劇場PLATで歌手生活70周年記念コンサートが開催される予定だったが、直前に体調不良を訴え検査の結果、公演開催が困難だと診断されたとして、コンサートは中止となった。 2005年に放送された、テレビ東京の『昭和歌謡大全集』で、司会の玉置宏に「歌手になる前の憧れの歌手は?」と尋ねられ「菅原都々子先生です」と答えている。菅原の高音の「泣き節」に感動したという。菅原都々子は同じ質問に対して「先輩歌手の中には素晴らしい方が沢山いらっしゃるけれど、誰か一人にしぼることはできません」と答えている。 「ここに幸あり」は元々、レコード会社の先輩である三条町子が吹き込みを予定していたが、三条がこの時出産のため吹き込みができなくなってしまい、当時新人歌手だった大津にお鉢が回ってきた。 東京アンナ (1955)
ここに幸あり (1956)
青い月夜の並木路 (1956)
流れのジプシー娘 (1956)
いのちの限り (1957)
東京は恋人 (1957)
純愛の砂 (1957)
銀座の蝶 (1958)
白い桟橋 (1958)
東京ドライブ (1958)
空へ帰る人 (1959)
忘れないで (1960)
第7回と第8回、第9回、第10回は、ラジオ中継による音声が現存し、第41回は歌唱映像(カラー)が現存する。 第8回と第9回は大津の歌唱中の写真も現存する。 第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、大津の歌の音声も含め全編の音声が再放送された(音声はモノラル)。 第9回の音声も、2010年4月29日放送の(前年に続き2度目の)NHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で紹介された(音声はモノラル)。 形見の詩集(1955年、デビューから2作目) 雨にびっしょり夜の街(1957年) 大阪の夜(1959年) ハミングお嬢さん(1960年) サンパウロ・チャチャ(1960年) 恋の糸満娘(1961年) ひとり行く旅なれば(1962年) 紫川の白い花(1963年) 東京のクレオパトラ(1963年) 東京ローレライ(1963年) 女の風雪(1963年) かりそめの恋(1964年、三条町子のヒット曲のカヴァー) 海つばめ(1964年、ビクター移籍第一弾、第一回吹込曲) 土佐のカルメン(1965年、ビクター) 美しき愛のかけら(1973年) 若き日の詩(1977年、KING、GK-100)
ここに幸あり - 作詞:高橋掬太郎、作曲:飯田三郎 横須賀マリア(1978年、KING、GK-203)
雨ようたって愛の詩 - 作詞:たかたかし、作曲:馬飼野康二 夜霧のハンブルク(1979年、KING、GK-359)
覚えていますか - 作詞・作曲:たきのえいじ 愁恋歌(1991年、KING、KIDX-35)
愛に溺れて - 作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし この生命のある限り(1995年、KING、KIDX-230)
雲よ何処に - 作詞:荒木とよひさ、作曲:市川昭介 愛の詩を花の詩を(2000年、KING、KIDX-546) ※歌手生活45周年記念盤
オムレツの舞踏曲 - 作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし 夜空に光るあの星よ(2015年、KING、KICM-30687) ※歌手生活60周年記念盤
ここに幸あり(60周年バージョン) - 作詞:高橋掬太郎、作曲:飯田三郎 花の星座(NHK総合) 歌の広場(NHK総合) 思い出のメロディー(NHK総合・ラジオ第1) BS日本のうた(NHK-BS2) NHK歌謡コンサート(2012年5月22日、NHK総合) 木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜(テレビ東京) 第45回年忘れにっぽんの歌(テレビ東京、2012年12月31日) 他、数々の歌番組に出演 魔女はホットなお年頃 19話(MBS) 特別機動捜査隊 第314話(NET) 秋の歌謡フェスティバル(ゆうぽうと、2012年10月12日) 日本歌手協会創立50周年記念 歌謡フェスティバル(ゆうぽうと、2013年11月22日) ^ “東京で大津さんの傘寿を祝う会”. 東愛知新聞. 2022年8月20日閲覧。 ^ “ふるさと大使/大津美子”. www.city.toyohashi.lg.jp. 豊橋市. 2022年8月20日閲覧。 ^ 株式会社BS日本 (2021年11月18日). “第431回 大津美子|歌謡プレミアム|BS日テレ”. BS日テレ. 2022年8月20日閲覧。 ^ 『ここに幸あり』株式会社リヨン社、1988年12月5日、46ー48頁。 ^ 『ここに幸あり』株式会社リヨン社、1988年12月5日、61-67頁。 ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、76頁。ISBN 9784309225043。 ^ 『ここに幸あり』株式会社リヨン社、1988年12月5日、82-95頁。 ^ 『ここに幸あり』株式会社リヨン社、1988年12月5日、128-132頁。 ^ “私の記念碑:歌手 大津美子「ここに幸あり」 傘寿迎え、詞かみしめ”. 毎日新聞. 2022年8月20日閲覧。 ^ 後藤康之「東京で大津さんの傘寿を祝う会」『東愛知新聞』2018年4月18日。 ^ 竹下貴信「※公演中止※大津美子さんの70周年記念コンサート 10月2日に豊橋で開催」『東愛知新聞』2024年9月19日。 ^ 『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年) ^ 司会は女優の倍賞千恵子 ここに幸あり – 大津 美子 オフィシャルサイト 大津美子 - キングレコード 表 話 編 歴 坂本敏明
村上潔
青木美保 秋元順子 池田輝郎 井上由美子 市川由紀乃 岩出和也 岩本公水 大津美子 大月みやこ 丘みどり 岡ゆう子 音羽しのぶ オルリコ 角川博 北川裕二 北野まち子 小金沢昇司 小村美貴 鏡五郎 佐々木新一 さとう宗幸 神野美伽 椎名佐千子 島津悦子 新川二朗 芹洋子 千葉一夫 永井裕子 夏木綾子 中村美律子 成底ゆう子 西方裕之 パク・ジュニョン 花岡優平 原田悠里 福田こうへい 二葉百合子 藤原浩 真木柚布子 三笠優子 美輪明宏 水城なつみ 水田竜子 森昌子 山本あき 板野友美 INORAN 上野優華 植村花菜 嘘とカメレオン orange pekoe 柏木由紀 キノコホテル CUBERS SHY SUPER BELL"Z Dezille Brothers 寺内タケシ 中山美穂 浪江女子発組合 虹のコンキスタドール
≠ME B2takes! 摩天楼オペラ MiNo ユッコ・ミラー 愛美 蒼井翔太 上坂すみれ 内田雄馬 岡咲美保 椎名へきる 千葉翔也 七海ひろき 保志総一朗 堀江由衣 前島亜美 水樹奈々 水瀬いのり 宮野真守 ミス・モノクローム 林原めぐみ(業務提携) angela カノエラナ saji Sou 森口博子 高橋洋子(業務提携) 陰陽座 KENSO NoGoD Mardelas TRIX 神保彰 STU48 藤田奈那 前田敦子 イヤホンズ 月蝕會議 サイプレス上野とロベルト吉野 TeddyLoid 特撮 ドレスコーズ 七人のカリスマ ヒプノシスマイク ももいろクローバーZ 小林私 大友剛 小沢かづと 菊地ヒロユキ きよこ クリステル・チアリ ケロポンズ 坂入姉妹 坂田おさむ 佐藤弘道 サトシン 清水玲子 新沢としひこ 鈴木翼 谷口國博 東京ハイジ にゃんたぶぅ 長谷川義史 福田りゅうぞう 藤本ともひこ Luna Luna ロケットくれよん ROCO 井出まさお ベルウッド・レコード クリスタルバード コナミレーベル スターチャイルド 第三クリエイティブ本部 低音ELECTRIC ファルコムレーベル PINE RECORDS PS music STANDING THERE, ROCKS SUGIレーベル Venus-B 過去に在籍していたアーティスト 講談社 ポリゴン・ピクチュアズ フリーボード パナソニック
TBSホールディングス
浅沼正人 三嶋章夫 宮本純乃介 森山敦 長田暁二 音羽たかし 大月俊倫 阿羅健一 山中隆弘 Oh!sama TV KING SUPER LIVE Club Mixa ISNI VIAF MusicBrainz 日本の女性歌手 NHK紅白歌合戦出演者 キングレコードのアーティスト 愛知県出身の人物 1938年生 存命人物 ウィキデータにない公式ウェブサイト 2024/11/21 12:39更新
|
ootsu yoshiko
大津美子と同じ誕生日1月12日生まれ、同じ愛知出身の人
TOPニュース
大津美子と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大津美子」を素材として二次利用しています。