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小泉純一郎の情報 (こいずみじゅんいちろう)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

小泉純一郎の情報(こいずみじゅんいちろう) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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小泉 純一郎さんについて調べます

■名前・氏名
小泉 純一郎
(読み:こいずみ じゅんいちろう)
■職業
政治家
■小泉純一郎の誕生日・生年月日
1942年1月8日 (年齢82歳)
午年(うま年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和17年)1942年生まれの人の年齢早見表

小泉純一郎と同じ1942年生まれの有名人・芸能人

小泉純一郎と同じ1月8日生まれの有名人・芸能人

小泉純一郎と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


小泉純一郎と関係のある人

越智通雄: 1972年の第33回衆議院議員総選挙で賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・野田毅・深谷隆司など)。


野中広務: 時事放談の司会の御厨貴は当番組に野中が出演した際小泉純一郎の話題になった瞬間興奮して余りに過激な批判を口にしてディレクターが「そこまでは」宥めると「何が悪いんや」とさらに怒り大変だったいう。


野中広務: 野中は自らの引退を賭けて藤井孝男元運輸大臣を擁立して総裁選に臨んだが、藤井は小泉純一郎の再選を阻止できず大敗した。


江沢民: 江沢民と後任の胡錦濤は、靖国神社を毎年参拝した小泉純一郎首相とは極力首脳会談を行わなかった。


武双山正士: この優勝劇は当時の内閣総理大臣である小泉純一郎が「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と興奮を露わにして称賛しつつ内閣総理大臣杯を手渡す一幕に大きく印象付けられた。


与謝野馨: 与謝野の落選について小泉純一郎は後に、「(与謝野さんが)落選していなければ自分ではなく与謝野さんが総理になっていただろう」とも述べている。


大下英治: 『小泉純一郎最後の賭け』河出書房新社 2003.5


麻生太郎: 4月、2001年自由民主党総裁選挙に出馬し、小泉純一郎・橋本龍太郎・亀井静香と戦い31票で3位。


増山さやか: 担当していた『小泉総理ラジオで語る』にて、当時:内閣総理大臣であった小泉純一郎が2004年9月にブラジルへ外遊を行ったため、番組収録都合で増山も同行し、現地にて収録を実施した。


辻元清美: 2005年7月5日、郵政民営化法案が衆議院で可決するが、翌7月6日、小泉純一郎首相は、参議院で否決された場合ただちに衆議院を解散して総選挙を行うと明言。


阪上善秀: 2001年5月、小泉純一郎内閣で内閣府大臣政務官(男女共同参画会議、栄典、青少年問題、防災を担当)に就任した( - 2002年1月)。


高嶋秀武: 同校の1年先輩に小泉純一郎がおり、『大吉ラジオ』でパートナーを務めた冨田憲子は後輩に当たる。


谷垣禎一: 自民党総裁の靖国神社参拝は、2006年8月15日(終戦記念日)に内閣総理大臣(当時)の小泉純一郎が参拝して以来、3年2ヶ月ぶりであった。


猪口邦子: 同年8月16日、小泉純一郎首相は猪口と会談。


小泉純也: 首相を務めた小泉純一郎の父。


石原良純: 小泉純一郎(第87代内閣総理大臣)とその息子の小泉孝太郎(俳優)・小泉進次郎(政治家)兄弟も遠戚にあたる。


野田実: 1995年9月自民党総裁選では、自身の属す清和研の後の会長小泉純一郎の推薦人として全面的に支援したが、後の平成研会長橋本龍太郎に惨敗。


羽毛田信吾: 宮内庁長官就任後は、内閣総理大臣(当時)小泉純一郎と同じく、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持し、寬仁親王が結論を批判した際には、発言の自粛を強要した。


佐々木梨絵: 2006年8月15日、旧ブログで「靖国参拝!!」のエントリーで当時の首相だった小泉純一郎の靖国参拝を批判するような意見を載せたところ、コメント欄に批判が殺到しいわゆるブログ炎上状態になった。


太田昭宏: 2007年6月16日、千葉県鎌ヶ谷市での街頭演説にて年金記録問題に触れ、歴代厚生大臣である菅直人、小泉純一郎、坂口力を名指しして「みんな悪い」と発言した。


森喜朗: YKKの残る1人で、森派会長を務めていた小泉純一郎は率先して加藤の倒閣の動きを党内で拡散して加藤に近い若手の動きを牽制、野中広務らも猛烈な切り崩し工作を展開した。


小林興起: 同年8月8日、参議院本会議で郵政民営化関連法案が否決されると、小泉純一郎首相は衆議院を解散し、「反対票を投じた自民党議員は公認せず、全員に対立候補を立てる」と発表した。


大下英治: 『小説小泉純一郎 信を貫いて恐れず』幻冬舎 2001.7 「小泉は信長か」文庫


森喜朗: 後任には当時森派の派閥会長だった小泉純一郎から推された福田康夫が就任した。福田は、後の小泉純一郎内閣も含めると内閣官房長官在任日数歴代最長(当時)となった。


北岡伸一: この他にも、長期的な外交戦略検討のために設置された小泉純一郎首相の私的諮問機関「対外関係タスクフォース」委員(2001年(平成13年)9月 - 2002年(平成14年)11月)、外務省改革の一環として、過去の外交政策の政策評価を行うため設置された「外交政策評価パネル」座長(2002年(平成14年)8月 - 2003年(平成15年)8月)、日本版国家安全保障会議 (NSC) 設置検討のために設置された「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」委員(2006年(平成18年)11月 - 2007年(平成19年)2月)、日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員(2007年(平成19年)4月 - 2008年(平成20年)8月)、福田康夫首相の私的勉強会「外交政策勉強会」委員(2007年(平成19年)12月 - 2008年(平成20年)9月)などを歴任した。


竹中平蔵: NHKの完全民営化にも乗り出したが、首相の小泉純一郎が民営化に否定的な見解を示した為、頓挫する。


トム=クルーズ: 『ラスト サムライ』の宣伝のために2003年8月に来日した際、首相官邸の小泉純一郎首相を表敬訪問、日本の若者たちにと教祖であるL・ロン・ハバードの著書、『学び方がわかる本』(ニュー・エラ・パブリケーションズ・ジャパン(株)発行、


新井将敬: 新井の言説は歯切れがよく、金丸が率いていた竹下派の議員だけでなく、小選挙区制導入反対の急先鋒だった小泉純一郎や石原慎太郎をも「守旧派」と断じ批判した。


五百旗頭真: 政府関係の委員として、小渕恵三首相時代に官邸に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長、小泉純一郎首相時代に設置された私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、福田康夫首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長、2007年(平成19年)12月に設立された政府の有識者会議である「防衛省改革会議」(2009年〈平成21年)10月に解体)委員を務めた。


中塚一宏: 2014年5月、小泉純一郎、細川護熙らと一般社団法人自然エネルギー推進会議の設立に参加し、理事・事務局長を務めた。


小泉純一郎の情報まとめ

もしもしロボ

小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう)さんの誕生日は1942年1月8日です。神奈川出身の政治家のようです。

もしもしロボ

引退、卒業、結婚、父親、離婚、事件、現在、家族、解散、テレビ、病気、事故、映画、趣味、ドラマ、兄弟に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小泉純一郎の現在の年齢は82歳のようです。

小泉純一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の政治家。

内閣総理大臣(第87・88・89代)、農林水産大臣(第37代)、外務大臣(第127代)、厚生大臣(第68・69・80代)、年金問題担当大臣(竹下改造内閣)、郵政大臣(第55代)、大蔵政務次官(第2次大平内閣)、衆議院大蔵委員長、衆議院議員(12期)、自由民主党総裁(第20代)を歴任した。

福田赳夫の秘書を経て、1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で初当選し、以来12期連続当選。自由民主党では清和会(福田派、安倍派、三塚派、森派)に所属した。また、山崎拓や加藤紘一と「YKK」を結成し、経世会支配からの脱却や党の世代交代を訴え「グループ・新世紀」を旗揚げした。

竹下政権にて厚生大臣として初入閣、宇野政権、橋本政権でも厚生大臣を務め、宮澤政権では郵政大臣を務めた。森喜朗の後任として自由民主党総裁に選出され、2001年(平成13年)4月に内閣総理大臣に就任した。内閣総理大臣の在任期間は1980日で、第二次世界大戦後の内閣総理大臣としては安倍晋三、佐藤栄作、吉田茂に次ぐ第4位。平成においては安倍晋三に次ぐ第2位の長期政権である。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙には立候補せず、二男の進次郎を後継に指名し政界を引退した。引退後は奥田碩、田中直毅らとシンクタンク「国際公共政策研究センター」を設立し、その顧問を務めた。公益財団法人日本尊厳死協会の顧問を務めている。

1942年(昭和17年)1月8日、神奈川県横須賀市に、父小泉純也と母芳江の長男として生まれる。母方の祖父小泉又次郎は第2次若槻内閣で逓信大臣を務め、若いころに全身に入れ墨を彫っていたことから、“いれずみ大臣”“いれずみの又さん”などの異名で知られる大衆政治家だった。

戦後、又次郎と純也は相次いで公職追放にあったため、小泉家の経済状態は決して恵まれていたわけではない。井料克己によれば「日本全体が食べるのに必死だったけど、小泉家もまだまずしくて夕食の食卓には芋の煮っころがしなんかが並んでいた。僕がたまに川や海に行って魚やうなぎを釣ってくると純一郎たちが喜んでくれた。」という。

神奈川県立横須賀高等学校卒業後、東京大学入学を目指し2浪。その後、慶應義塾大学経済学部に入学し、同大学を卒業。英国ロンドン大学群ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン (U.C.L.) に留学の後、1969年(昭和44年)8月に父が急死し帰国。

同年12月、亡父の跡を継ぎ、弔い選挙となった第32回衆議院議員総選挙に神奈川2区から自由民主党公認で立候補し、10万3000票余りを獲得するが、4000票差で落選した。ジャーナリストの池上彰によれば、特定郵便局長からの票がライバル候補に流れたことで落選に至ったという。

福田赳夫の秘書を務め、後に総理となる福田から政治家としての薫陶を受けた。社会人生活の第一歩を浪人でスタートした小泉は、毎朝4時に起床した。横須賀駅5時半発の電車に乗って、2時間かけて世田谷区にある福田赳夫邸へと通った。福田のもとには初当選したばかりの塩川正十郎がいた。当時のことを塩川正十郎は『週刊文春』の阿川佐和子との対談でこう語っている「そうそう。彼は早起きで、福田さんの家の玄関で靴そろえておったね。下足番だったの」「で代議士が帰るときモータープールで“何々先生お帰り〜お車ぁ〜”て運転手を呼んでたの(笑)。だから、僕は彼のホームページに“まさか総理大臣になるとは思わなかった”って書いたんです。大変な苦労をしてますよ。」、「そのとき、福田さんが“こいつは意地の強いやっちゃ。なかなかしっかりしとる。だから、大物になったら、とんでもない大物になるけど、はぐれたら処置ない奴ぜぇ”と言うたことがあるの」。福田邸で秘書の仕事は午前中で終わり、午後からは地元横須賀で自身の政治活動を行っていた。

1972年(昭和47年)12月、第33回衆議院議員総選挙で自民党公認として立候補し、12万2000票余りを獲得し初当選。清和会(福田派)に属し、後に首相秘書官となる飯島勲が秘書となった。また、同期の山崎拓、加藤紘一と懇意になり、YKKと呼ばれることとなる。

1978年(昭和53年)にエスエス製薬の元会長泰道照山の孫・宮本佳代子と結婚。この結婚父親的な存在だった泰道照山は反対だったという。泰道照山の血縁者は「結局、泰道家とは絶縁寸前までいった。“出て行くならその身体一つでいけ”という具合。それでも小泉さんから“何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。白紙のままで来てほしい。”と言われ、その言葉を信じて嫁に行った」と述べている。

3人の子供をもうけたが、1982年に離婚離婚時に妻は三男を懐妊中であった。関係者の話によれば、「小泉の面倒は姉で秘書をしている信子がみており、系図をみてもわかるように周囲は姉弟の身内で固めている。離婚の理由は本人がおかしくなり、よほど結婚にはこりたようだ」という。

1979年(昭和54年)、第2次大平内閣で大蔵政務次官に就任。

ポストに執着せずもっぱら政策の習熟に徹していたが、子分を作らない一匹狼的な行動をとり、言いたいことを直言し、与野党政治家の既得権益を害する郵政民営化論を主張することもあって永田町では「変人」と評されるようになる。

1988年(昭和63年)、竹下改造内閣で厚生大臣として初入閣。

1989年(平成元年)にリクルート事件で竹下政権が倒れ、続く宇野政権も参院選で惨敗し、わずか2か月で退陣した。政治不信が高まり、政治改革の柱として「小選挙区制の導入」が叫ばれた際、小泉はこれに強く反対し、推進派の羽田孜と対立した。

1991年(平成3年)、自民党総裁選で再選を目指し、最大派閥の経世会(竹下派)の支持を受けた海部俊樹(首相)に対抗し、盟友の山崎拓(渡辺派)、加藤紘一(宮澤派)と組んで、「海部続投阻止」「経世会支配打倒」を打ち上げた。所属する三塚派のほか、渡辺派、宮沢派の反主流派が結束したため、海部内閣は機能不全に陥り、海部は総裁選不出馬に追い込まれた。

後任の総理総裁に宮澤喜一が就任すると、小泉は1992年(平成4年)の宮澤改造内閣で郵政大臣に就任する。就任会見で、かねてからの持論の郵政民営化論に基づき、国は民間では採算の採れないことだけをすべきとして、老人マル優限度額引き上げなど従来の郵貯事業拡張政策の見直しを唱えたが、この老人マル優限度額引き上げ見直しは反対派議員(郵政族)などの反発で失敗に終わった。

1993年(平成5年)5月4日に国連カンボジア暫定機構に派遣されていた日本の文民警察官が武装グループに襲撃され、高田晴行警部補が死亡、4人が重軽傷を負う事件が起こった際には、5月7日の閣議の席上で「カンボジアは実質内戦に近い状態にあり、事実上危険な状態であれば、PKOの引き揚げも今後の選択肢に入れるべきだ」などと語り、自衛隊カンボジア派遣に異議を唱えた。また、この死傷事件をきっかけにタケオ州に駐在する自衛隊施設大隊が選挙監視要員を支援することにした政府決定についても異議を唱えている。さらに、5月18日の閣議でも「日本独自の判断で文民警察官をより安全な場所に移動させよ」「政府は国会で言ってきたこと、国民に約束したことを尊重すべきだ」とした。

1993年(平成5年)、羽田孜、小沢一郎ら羽田派(改革フォーラム21)らの賛成もあって、宮澤内閣へ不信任決議が可決され、第40回衆議院議員総選挙で自民党は過半数を割った。小泉は、宮澤の責任や退陣を閣僚懇談会でも要求し、郵政大臣を辞職した。なお、総選挙後に日本新党の細川護熙を首班とする連立政権が成立、自民党は野党に転落した。宮澤の後任の自民党総裁には河野洋平が就任した。

下野の直後から自民党内では社会党との連立による政権復帰が模索され、小泉は福田赳夫の配下で社会党との連絡役を担っていた。

1994年(平成6年)、自民党は日本社会党委員長の村山富市を内閣総理大臣指名選挙で支持して自社さ連立政権を成立させ政権に復帰、野中広務らの平成研究会(旧竹下派)が主導的な力を持つようになった。

1995年(平成7年)の参議院議員選挙で自民党は新進党に敗北。河野は続投を望んだが、平成研究会は政策通で人気のある橋本龍太郎を擁立した。小泉らの清和会は河野を支持したが、情勢不利を悟った河野が出馬断念を表明したことで、橋本の総裁就任は確実になった。無投票で総裁が決まることを阻止したい小泉らは森喜朗(清和会)擁立を図るが森が辞退したため、小泉が自ら出馬することを決めた。

既に大勢が決していた上に、郵政民営化を主張する小泉は党内で反発を買っており、出馬に必要な推薦人30人を集めることができたことがニュースになる有り様だったが、それでも若手議員のグループが小泉を推した(中川秀直や山本一太、当選1回の安倍晋三もいた)。結果は橋本の圧勝に終わったが、総裁選出馬により郵政民営化論を世間にアピールして存在感を示すことはできた。

1996年(平成8年)に村山が首相を辞任し、橋本内閣が成立すると、小泉は第2次橋本内閣で再び厚生大臣に就任する。小泉は相変わらず自説を曲げず「郵政民営化できなければ大臣を辞める」と発言、国会答弁で「新進党が郵政三事業民営化法案を出したら賛成する」と郵政民営化を主張したときは、与党から野次を受け、逆に野党から拍手を受けることもあった。同年、在職25年を迎えたが永年在職表彰を辞退した。

1997年(平成9年)、厚生大臣時代に厚生省幹部と参議院厚生委員会理事と食事を取っていたが、村上正邦自由民主党参議院幹事長が円滑な参議院審議を求める参議院理事のスケジュール管理の立場から、村上への事前通告がなく参議院理事を動かしたことで参議院スケジュール管理に支障を来たしたことを理由に反発した。村上が参議院厚生委員長に対して議事権発動を促し、厚生省幹部の出席差し止めという形で小泉厚相に反発。YKKの盟友だった加藤紘一幹事長を中心とする党執行部は異常事態を打開するために村上を参議院幹事長から更迭しようとするが、村上は参議院の独自性を盾に抵抗。村上更迭という強行案には、党内連立反対派(保保連合派)らの反発を党執行部が恐れたため、小泉厚相に対して村上参院幹事長に全面謝罪させることを提案、小泉が村上に謝罪したことで収束した(この事件が小泉にとって、参議院の影響力の大きさを実感する出来事であった。2001年に首相になった時、トップダウン方針と言われながらも、参議院の実力者であった青木幹雄に参議院枠を初めとする一定の配慮を示す原因になったと言われている)。

1998年(平成10年)の参議院議員選挙、自民党は大敗を喫し、橋本は総理大臣を辞任した。後継として、小渕恵三、梶山静六と共に小泉も立候補したが、盟友の山崎・加藤の支持を得られず、仲間の裏切りにもあい、所属派閥の清和会すらも固めることもできず最下位に終わった(総裁には小渕が選出)。前回総裁選とは異なり政治的には少なからずダメージを負ったとされ、本人は「失敗した。ピエロになってしまった」と嘆いたという。以後しばらくは表立った役職に就かず、派閥に戻り雌伏の時を過ごすことになる。YKKとして小渕の政権運営に批判的な立場を取る一方、派閥会長の森が幹事長として政権を支えており派としては主流派に位置していたため、小泉の立場は矛盾を孕んだものになっていた。この矛盾は森政権となっても続くが、以下の「加藤の乱」で立場を鮮明にすることを迫られることになる。

2000年(平成12年)、小渕が急死し、党内実力者の青木幹雄、野中広務らの支持により幹事長だった森喜朗が総理・総裁に就任。小泉は清和政策研究会(森派)の会長に就任した。第2次森内閣組閣では安倍晋三が内閣官房副長官に、中川秀直官房長官のスキャンダル辞任後の後任に福田康夫が、それぞれ小泉の推薦を受けて就任した。

この総理就任の経緯は密室談合と非難され、森内閣は森の旧来政治家的なイメージも相まって人気がなく、森の失言が次々とマスコミに大きく取り上げられ、支持率は急落した。このころの小泉は公明党との協力に批判的で、2000年6月の衆院選で公明党候補が多く落選したことについて野中幹事長が「大変なご迷惑をかけた。万死に値する」とコメントしたことを、猛然と批判している。森内閣の支持率は2000年11月には18.4パーセントを記録し、これに危機感を抱いた反主流派の加藤紘一・山崎拓が公然と森退陣を要求し始めた。加藤と山崎は、自派を率いて、野党の提出する内閣不信任案に同調する動きを見せ、特に加藤は小泉の同調を期待したとされる。しかし森派の会長だった小泉は森支持の立場を明確にし、党の内外に加藤・山崎の造反を真っ先に触れ回った。

加藤はマスコミに積極的に登場して自説を主張し、普及し始めたインターネットを通じて世論の支持を受けたが、小泉ら主流派は猛烈な切り崩し工作を行い、加藤派(宏池会)が分裂して可決の見通しは全くなくなり、加藤・山崎は内閣不信任案への賛成を断念した。これにより、総理候補と目された加藤は、大きな打撃を受け小派閥に転落、一方、森派の顔として活躍した小泉は党内での評価を上げた。

森の退陣を受けた2001年4月の自民党総裁選に、橋本龍太郎、麻生太郎、亀井静香と共に出馬。敗れれば政治生命にも関わるとも言われたが、清新なイメージで人気があった小泉への待望論もあり、今回は森派・加藤派・山崎派の支持を固めて出馬した。小泉は主婦層を中心に大衆に人気のあった田中眞紀子(田中角栄の長女)の協力を受けた。

最大派閥の橋本の勝利が有力視されたが、小泉が一般の党員・党友組織自由国民会議会員・政治資金団体国民政治協会会員を対象とした予備選で眞紀子とともに派手な選挙戦を展開した。小泉は「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と熱弁を振るい、街頭演説では数万の観衆が押し寄せ、閉塞した状況に変化を渇望していた大衆の圧倒的な支持を得て、小泉旋風と呼ばれる現象を引き起こす。こうした中で、次第に2001年7月に参院選の「選挙の顔」としての期待が高まる。そして小泉は予備選で地滑り的大勝をし、途中で、立候補していた亀井静香元建設相と政策協定を結び、亀井が本選を辞退、小泉の支援に回り(選挙後、政策協定は全て小泉が一方的に反故にした)、中曽根康弘元首相からも支援を得た。結果として、4月24日の議員による本選挙でも圧勝して、自民党総裁に選出された。

4月26日の内閣総理大臣指名選挙で公明党、保守新党の前身保守党、「無所属の会」所属の中田宏、土屋品子、三村申吾の支持を受け内閣総理大臣に指名され、皇居での親任式にて天皇明仁より第87代内閣総理大臣に任命される。

独身の総理大臣誕生は平沼騏一郎以来62年ぶりで史上5人目。戦後に限れば初で、現在まで他に例はない。

小泉は組閣にあたり従来の派閥順送り型の人事を排し、慣例となっていた派閥の推薦を一切受け付けず、閣僚・党人事を全て自分で決め、「官邸主導」と呼ばれる流れを作った。少数派閥の領袖である山崎拓を幹事長に起用する一方で、最大派閥の平成研究会(橋本派)からは党三役に起用しなかった。人気のある石原伸晃を行政改革担当大臣に、民間から経済学者の竹中平蔵を経済財政政策担当大臣に起用した。また、総裁選の功労者の田中眞紀子は外務大臣に任命された。5人の女性が閣僚に任命された(第1次小泉内閣)。

「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団など特殊法人の民営化など小さな政府を目指す改革(「官から民へ」)と、国と地方の三位一体の改革(「中央から地方へ」)を含む「聖域なき構造改革」を打ち出し、とりわけ持論である郵政三事業の民営化を「改革の本丸」に位置付けた。特殊法人の民営化には族議員を中心とした反発を受けた。

発足時(2001年4月)の小泉内閣の内閣支持率は、戦後の内閣として歴代1位の数字となり、最も高かった読売新聞社調べで87.1パーセント、最も低かった朝日新聞社調べで78パーセントを記録した。「小泉内閣メールマガジン」を発行し、登録者が200万人に及んだことも話題となった。こうした小泉人気に乗るかたちで同年7月の参議院議員選挙で自民党は大勝した。

終戦の日の8月15日に靖国神社参拝をすることを、小泉は総裁選時に公約としていた。総理の靖国神社参拝は中国・韓国の反発に配慮して長年行われていなかった。小泉は、批判に一定の配慮を示し、公約の8月15日ではなく13日に靖国神社参拝を行った。翌年以降も、毎年靖国参拝を行った。2006年には公約であった終戦の日における参拝を実現した。

9月11日、米同時多発テロの発生を受けて、ブッシュ大統領の「テロとの戦い」を支持した。米軍らのアフガニスタン侵攻を支援するテロ対策特別措置法を成立させ、海上自衛隊を米軍らの後方支援に出動させた。

翌年の通常国会が始まると、国際情勢が緊迫する中、外務省は、田中外相が外務官僚や元外務政務次官の鈴木宗男議員と衝突し、機能不全に陥っていた。小泉は2002年2月に田中外相を更迭した。人気の高い田中の更迭により、80パーセントを超える異例の高支持率であった小泉内閣の支持率は40~50パーセント台にまで急落した(読売新聞では支持率48.9%、下げ幅30.7ポイントという急落ぶりだった)。田中は大臣更迭後の同年8月に秘書給与流用疑惑が浮上し議員辞職した。同年の通常国会では鈴木宗男、加藤紘一、井上裕などの有力議員のスキャンダルが相次いで問題視され、内閣支持率は続落、NHKでは年初に79%だった支持率(不支持率は11%)が国会末期の6月には39%(不支持率52%)となっていた。

小泉は、2002年(平成14年)8月30日に電撃的に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問を発表し、9月17日に金正日国防委員長と初の日朝首脳会談を実現、日朝平壌宣言に調印した。この訪問で金正日は北朝鮮による日本人拉致を公式に認め、拉致被害者のうち5名を日本に帰国させることを承認した。しかし、残りの拉致被害者のうち8名が死亡・1名が行方不明とする北朝鮮の回答に対し、拉致被害者家族は怒りを隠さず、交渉を終え帰国した小泉を批判する場面もあったが、世論は成果を比較的高く評価した。

2002年9月30日、小泉改造内閣が発足。柳澤伯夫を金融担当大臣から更迭して、竹中平蔵に兼務させた。これにより、以後は不良債権処理の強硬策を主張する竹中が小泉政権の経済政策を主導した。こうした内政・外交の実績から、秋には内閣支持率は回復傾向となった(NHKの11月調査で68%)

2003年(平成15年)3月、アメリカはイラクへ侵攻してフセイン政権を打倒した。小泉は開戦の数日前にアメリカ支持を表明し、野党やマスコミの一部から批判を受けた。日米同盟こそが外交の基軸とのスタンスを崩さず、ブッシュ大統領との蜜月関係を維持した。イラク戦後復興支援のための陸上自衛隊派遣が喫緊の課題となり、7月にイラク特措法を成立させた。これに先立つ6月には、長年の安全保障上の懸案だった有事関連三法案(有事法制)を成立させている。ここで、小泉がイラク戦争を公式に支持する際、数日前の2003年3月2日に起きたアメリカ軍電子偵察機に対する北朝鮮戦闘機のスクランブル発進を引き合いにして朝鮮有事における日米同盟の重要性を強調している。

9月に行われた自民党総裁選で平成研究会は藤井孝男元運輸大臣を擁立して小泉おろしを図ったが、参院自民党幹事長であった青木幹雄がこれに与せず派閥分裂選挙となり、藤井は大敗。藤井擁立の中心となった野中広務は10月に政界を引退した。平成研究会(旧経世会)の凋落を示す事件で、清和政策研究会(森派)が党の主導権を掌握することになる。

2003年9月、自民党総裁選で再選された小泉は小泉再改造内閣を発足させ、党人事では当選わずか3回の安倍晋三を幹事長に起用する異例の人事を行い、11月の総選挙では与党で絶対安定多数の勝利を得たものの、自民党としては単独過半数を割り込んだ(後に保守新党を吸収して過半数を確保した)。閣僚を留任させた第2次小泉内閣が発足した。同総選挙に際しては、中曽根康弘元首相、宮澤喜一元首相に引退を勧告した。

2004年(平成16年)1月、陸上自衛隊をイラク南部のサマーワへ派遣したが、4月に武装集団がイラクにいた日本人を拉致して「イラクからの自衛隊の撤退」を要求する事件が起きた(イラク日本人人質事件)。小泉は「テロには屈しない」とこれを明確に拒否。人質3人は後に解放された(地元部族長の仲介によるものとされる)。また、この際には「自己責任論」を主張し、解放された人質らに対して外交経費を請求した。

2004年5月、小泉は再び北朝鮮を訪問、同国首都の平壌市で金正日総書記と2回目の日朝首脳会談をした。北朝鮮に対する25万トンのミニマム・アクセス米や1000万ドル相当の医療品の支援を表明し、日朝国交正常化を前進させると発表した。この会談で新たに5名の拉致被害者が日本に帰国した。小泉はアメリカとの連係を強化して「対話と圧力」の姿勢を維持した。

2004年6月、2003年6月に制定された有事関連三法に基づいて、「米軍と自衛隊の行動を円滑かつ効果的にする法制」、「国際人道法の実施に関する法制」、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)などの有事関連七法(有事法制)を成立させた。

2004年7月の第20回参議院議員通常選挙を控え、年金制度改革が争点となった。小泉内閣は参院選直前の6月に年金改革法を成立させたが、選挙では自民党が改選50議席を1議席下回り、民主党に勝利を許した。この責任をとって安倍幹事長が辞任し、武部勤が後任となったが、この人事は誰も予想しておらず、「サプライズ人事」と呼ばれた。この年には一連の小泉の政治手法を指す「サプライズ」が新語・流行語大賞に選ばれ、武部が授賞式に登壇した。

小泉の最大の関心は、持論の郵政民営化にあった。参院選を乗り切ったことで小泉は郵政民営化に本格的に乗り出し、2004年9月に第2次小泉改造内閣を発足させ、竹中を郵政民営化担当大臣に任命した。「基本方針」を策定して、4月に開設した郵政民営化準備室を本格的に始動した。

2005年(平成17年)、小泉が「改革の本丸」に位置付ける郵政民営化関連法案は、党内から反対が続出して紛糾した。小泉は一歩も引かぬ姿勢を示し、党内調整は難航する。反対派は亀井静香、平沼赳夫が中心となり長老の綿貫民輔を旗頭に100人近い議員を集めた。法案を審理する党総務会は亀井ら反対派の反発で紛糾し、遂に小泉支持派は総務会での全会一致の慣例を破って多数決で強行突破した。反対派はこれに激しく反発し、事態は郵政民営化関連法案を巡る小泉と亀井、平沼ら反対派との政争と化した。

衆議院本会議における採決で、反対派は反対票を投じる構えを見せ、両派による猛烈な切り崩し合戦が行われた。7月5日の採決では賛成233票、反対228票で辛うじて可決されたが、亀井、平沼をはじめ37人が反対票を投じた。参議院では与野党の議席差が少なく、亀井は否決への自信を示した。小泉は法案が参議院で否決されれば直ちに衆議院を解散すると表明するが、亀井ら民営化反対派は、衆院解散発言は単なる牽制であり、そのような無茶はできないだろうと予測していた。

2005年8月8日、参議院本会議の採決で自民党議員22人が反対票を投じ、賛成108票、反対125票で郵政民営化関連法案は否決された。小泉は即座に衆議院解散に踏み切り、署名を最後まで拒否した島村宜伸農林水産大臣を罷免、自ら兼務して解散を閣議決定し、同日小泉は、憲法第7条に基づき衆議院解散を強行した。

小泉は、法案に反対した議員全員に自民党の公認を与えず、その選挙区には自民党公認の「刺客」候補を落下傘的に送り込む戦術を展開。小泉は自らこの解散を「郵政解散」と命名し、郵政民営化の賛否を問う選挙とすることを明確にし、反対派を「抵抗勢力」とするイメージ戦略に成功。また、マスコミ報道を利用した劇場型政治は、都市部の大衆に受け、政治に関心がない層を投票場へ動員することに成功した。それにより9月11日の投票結果は高い投票率を記録し、自民党だけで296議席、公明党と併せた与党で327議席を獲得した。この選挙はマスコミにより「小泉劇場」と呼ばれた。

2005年9月21日、小泉は圧倒的多数で首班指名を受け、第89代内閣総理大臣に就任する。10月14日の特別国会に再提出された郵政民営化関連法案は、衆参両院の可決を経て成立した。この採決で、かつて反対票を投じた議員の大多数が賛成に回り、小泉の長年の悲願は実現した。

なお、賛成票を投じた永岡洋治議員の自殺のように郵政民営化関連法案の成立には多くの事件が発生していた(葬儀に小泉が出席した後、故人の親族は本法案の賛成を表明)。

2005年10月第3次小泉改造内閣が発足。ポスト小泉と目される麻生太郎が外務大臣に、谷垣禎一が財務大臣に起用された。

この後2005年11月 - 2006年1月にかけて、構造計算書偽造問題、皇位継承問題、ライブドア・ショックと堀江貴文の逮捕、米国産牛肉輸入再開問題など、政権への逆風となる出来事が相次いで発生した。野党は攻勢を強め、9月の退陣へ向けて小泉内閣はレームダックに陥るのではないかとの予測もあった。しかし堀江メール問題で民主党が自壊したため内閣の求心力が衰えることはなく通常国会では「健康保険法等の一部を改正する法律」(後期高齢者医療制度を創設)などの重要法案を成立させている。なお堀江メール問題の後永田寿康議員は自殺している。

2006年(平成18年)8月15日の終戦の日に小泉は最初の総裁選の公約を果たして靖国神社へ参拝した。小泉はこの時のインタビューで自身の参拝理由を明確かつ丹念に提示することに努めている。

2006年9月20日の自民党総裁選では選挙前から確実視された安倍晋三が後継に選ばれる。翌9月21日に小泉の自民党総裁任期は満了し、9月26日に総辞職して内閣総理大臣を退任した(同日、安倍が第90代首相に就任して第1次安倍内閣成立)。任期満了による退任は1987年の中曽根康弘政権以来であり、また、小泉政権は戦後4位であり21世紀最初の長期政権となった。

首相退任後は、テレビ出演やインタビューなど、国民の前でほとんど発言していない。マスコミ記者からインタビューを受けても何も言わないで去っていくことが多い。ただし、講演会などをまれに行っており、立ち見が出るほどの反響になる。

小泉には院政の意思はなく、もともと一匹狼であるため子分もおらず、かつて所属していた森派にも戻らなかった。岸信介や田中角栄、中曽根康弘、竹下登など大派閥を擁し退任後も政界に影響力を残した元総理たちのような政治的基盤はない(清和会はもともと森喜朗の派閥で、町村信孝が継承)。

「小泉再登板待望論」も一部で囁かれていたが、小泉は再登板を完全に否定している。2007年9月12日に、安倍晋三が首相辞任を表明した際、ポスト安倍としていわゆる小泉チルドレンたちから小泉に総裁選立候補の強い要請があったが、本人は「100パーセント出馬しない」と出馬の可能性を否定。小泉自身は、「福田さんも小泉政権を支えてくれた人じゃないか」と福田康夫支持を表明したが、これが飯島秘書官に辞任を決意させたとも言われる(飯島は小泉在任中に福田としばしば対立し、2007年の総裁選でも小泉擁立に動いたとされる)。

2006年以降は8月15日(終戦の日)に靖国神社参拝を実施している。また、息子進次郎も父と同様に靖国神社参拝を実施している。

2007年(平成19年)9月、安倍が退陣を発表後、「福田さんも小泉政権を支えてくれた人」と福田康夫支持の意向を示した。また、2008年5月22日には、東京都目黒区(東京5区)にてかつて岐阜1区で造反した野田聖子議員への刺客だった佐藤ゆかりの応援演説を行った。

麻生内閣が成立した翌日の2008年(平成20年)9月25日、地元支持者の会合において、次回の衆議院議員選挙に立候補しない意向を明らかにした。首相経験者が首相退任後の衆院選に立候補せずに政界を引退するのは、池田勇人や小渕恵三の病気退任を除けば、戦後初めてのことである。

ただし、国会の外での政治活動は継続すると表明している。政界引退後の2009年総選挙においては(自民党が大敗し民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣へ政権交代が起きたが)、かつての選挙区である神奈川11区から小泉の次男で私設秘書の小泉進次郎が後継(世襲候補)として立候補し、当選した。

2012年夏に消費税増税法案で民主党が分裂するなどした際には、自民党幹部や派閥領袖に対して「野党が解散権を握ってる政局というチャンスは珍しいんだ。ちゃぶ台返しをやれ」と民主党に強硬姿勢で臨むことを支援した。

総理大臣時代は原発推進の立場だったが、東日本大震災を経た2011年夏ごろまでには「脱原発」を主張するようになっていた。2013年秋ごろからは、講演会などでも盛んに発言するようになり、メディアに頻繁に取り上げられるようになった。この発言を脱原発や反原発を主張するみんなの党代表渡辺喜美や生活の党代表小沢一郎など野党各陣営が歓迎し、10月29日には反原発を掲げる社民党党首吉田忠智と会談まで行った。2014年2月の東京都知事選では、脱原発を争点に立候補した細川護熙を支援したが、細川は落選した。

2018年1月10日には、自らが顧問を務める民間団体「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」の記者会見で「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」を発表。内容は原発の即時停止を求めるもので、法案への支持を与野党に呼び掛けた。

また、細川護煕、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人の元首相4人と一緒に、EUの執行機関・欧州委員会の委員長であるウルズラ・フォン・デア・ライエンに対して、EU内での原発反対を求める書簡を2022年1月27日付で送った。しかし、書簡の中の「福島原発事故の影響で子供たちが甲状腺癌に苦しんでいる。」との記述に関して、「偏見を助長する。」として各方面から批判の声が上がった。山口壮環境相は「(県や国連の専門家による調査で)現時点では放射線の影響とは考えにくいという趣旨の評価がされている。」「いわれのない差別や偏見を助長することが懸念される。」として抗議し、内堀雅雄福島県知事も「福島復興のためには、科学的知見に基づいた情報発信が極めて重要。」「客観的な発信をお願い申し上げます。」として小泉らに慎重な対応を求めたほか、与野党幹部らが小泉らを批判し、とりわけ自民党は小泉らに対する非難決議を取りまとめる構えを見せた。一方、小泉らは市民団体を通じて山口環境相や内堀知事に逆に抗議し、質問書を送った。

2023年10月4日、盟友である山崎拓の仲介により、自民党総裁選や郵政民営化をめぐり、かつて対立関係にあった亀井静香と東京・銀座の日本料理店で3時間ほど会食したと報じられた。小泉は朝日新聞の取材に「(郵政民営化の時には)意見は違ったけど、(今日は)仲良く食事した。昔の話をして、今日は面白かった」と話した。

紺谷典子によれば、2004年9月におこなわれた自民党内の与党手続きでは多数決を採らず、怒号の中、「多数と認めます」との宣言だけが行われ、「少数決」だと批判された。以降の手続きは中央省庁改革法33条6項「民営化等の見直しは行わない」を削除修正せず、これに反して行われたという。また、小泉純一郎本人は「郵政民営化は親父の頃からの目標だった」と語っていたと言われるが、この発言に関しては証拠はない。また、日米構造協議や年次改革要望書に存在によって、この郵政民営化がアメリカ主導の新自由主義によってもたらされたものであるとの見方もある。

2005年に政府が国会に提出した郵政民営化法案が衆議院において可決された後、参議院において否決されたため衆議院を解散した(郵政解散)。この解散は参議院の意義を否定するものとして一部では問題視されたが、解散により実施された衆議院選挙で自民党は、結果的に法案が参議院で否決された場合でも衆議院で再可決することにより成立させられる3分の2超の議席を与党自民党で確保した。選挙後の特別国会において衆参ともに郵政民営化法が可決された。

小泉が郵政民営化にこだわった動機については、特定郵便局長会との個人的な遺恨にあるとの見方もある。

2001年の自民党総裁選で「私が首相になったら毎年8月15日に靖国神社をいかなる批判があろうと必ず参拝します」と公約。しかしながら、2001年から2005年までは国内外からの批判に配慮して8月15日以外の日に参拝していた。自民党総裁の任期が満了する2006年には公約通り8月15日に参拝した。なお首相就任前は厚生大臣在職時の1997年に終戦記念日に参拝している他(私的か公的かについては明言せず)、それ以前も初当選以来ほぼ毎年、終戦記念日を含む年数回の頻度で参拝してきた。退任後は2009年に参拝した。2010年の8月15日は参拝していない。

タウンミーティングの構想は2001年に行われた小泉純一郎首相の所信表明演説で初めて打ち出され、政権公約となった。タウンミーティングは全国で開かれ、まず特定テーマは設けずに都道府県を一巡し、その後「地域再生」「市町村合併」「教育改革」などをテーマに開かれるようになった。このタウンミーティングでは、謝礼金を使ったやらせ質問の横行、電通社員へ日当10万円の払い、エレベーター係へ一日数万の払い、などといった実態が明るみに出た。コストは平均2000万円、全国一巡したことで20億円弱かかっていた。

小泉内閣は各年度予算編成において国債発行額を30兆円以下に抑制することを公約として掲げた。実際に達成できたのは政権初期の2001年度と政権末期の2006年度予算の2回のみであった。ただし2001年時などでもNTT株の売却収入によって歳出補填がされるなどしたため、実質的な歳出削減は行われなかったことから批判が相次いだ。 国債30兆円枠はシーリングによる財政管理政策であり、その結果として一貫して増加傾向であった一般歳出の増加は抑制されその後微減傾向に転換した。 しかし、当時の政権が推し進めていた緊縮財政の下で、国債発行が抑制されて景気対策が疎かになり、日本のデフレを悪化させる主要因であった。また、この緊縮財政は公共事業による国土強靭化を停滞させ、日本に輸入される原油の大型タンカーが停泊可能な港がないなどの現実的かつ物理的なエネルギー安全保障の悪化、停滞化を招いたという批判もある。

2001年の自民党総裁選で他の総裁候補と同様にペイオフの解禁を公約に掲げた。しかし、不良債権処理が2004年までかかったため2005年4月まで解禁は先送りされた。

小泉は閣僚の交代に批判的で、「一内閣一閣僚」を標榜していたが、田中眞紀子外相の更迭で原則を破り、2002年9月30日に内閣改造を行い、以後1年間をめどに内閣改造で定期的に閣僚を交代させていった。2001年の小泉内閣誕生から2006年の退任まで、一貫して国務大臣だった竹中平蔵のみが一内閣一閣僚に該当するという意見もある。また、これまでの内閣と異なり、大臣人事においては派閥領袖が推薦した人を任命せず、派閥均衡人事を保ちながら首相の一本釣り人事を行った。

小泉内閣は「金融再生プログラム」を推し進め、バブルの遺産と呼ばれていた不良債権を処理し、日本の金融システム正常化を果たした。

特殊法人改革においては「原則として廃止か民営化」を掲げ、郵政民営化・道路公団民営化・政策金融機関再編・独立行政法人の再編・民営化を実現させた。

また、小泉純一郎は「骨太の方針」の中で「貯蓄から投資へ」をスローガンに掲げ、2003年からは、個人投資家を対象に株式と株式投資信託の売却益や配当・分配金に対する税率を20%から10%に引き下げる証券優遇税制を実施した。

その結果、本格的な景気回復については持ち越されることになったものの、日本経済は一旦底打ちし、外需に牽引される形で「失われた10年」と呼ばれた長期停滞を脱出した。

小泉内閣は「プライマリーバランスの回復」を目標とした財政計画作成・国債30兆円枠・公共事業の大幅削減・社会保障の抑制などを行い財政再建を推進した。その結果、就任時には一般予算・補正予算合わせて11兆8000億円あった公共事業費は退任時の平成18年には7兆8000億円にまで削減され、その一環として道路公団は民営化された。また社会保障費にはマクロ経済スライドが2005年4月に導入された。

その結果、日本経済の回復(いざなみ景気)による税収増もあり、財政は大幅に改善したものの、公共事業削減に対しては、亀井静香議員などを始めとする、道路族と呼ばれる族議員などが反発した。また社会保障費の年間2,200億円削減は、社会保障受給者や病院などの供給者などの負担となり、医療制度問題となった。

対照的に消費税の増税については、自身の内閣では行わないと発言し、議論も低調となったほか、累進課税色を薄めることも行わなかった。しかしながら、緊縮財政に新自由主義による民営化政策の重ね張りは日本をそれまでの「失われた10年を失われた30年へと拡大」させ、国力衰退と停滞を招いた。

年金制度を変革。マクロ経済スライドを導入、また老齢者控除廃止や公的年金など控除の縮小をした。

30兆円を超える国民医療負担の膨張に歯止めを打つため、小泉は患者・医療機関・保険者の「三方一両損」による改定を指示、医療制度改革関連法案を国会で可決させた。

被用者健康保険の医療費自己負担を2割から3割へ引上げた。また高所得の後期高齢者医療制度加入者(夫婦世帯で年収約621万円以上)について医療費の窓口負担が2割から現役世代と同じ3割へ上げた。2008年度からは70 - 74歳で今は1割負担の人も2割負担になる。

2006年度の診療報酬改定において、再診料を引き下げ(病院で10円、診療所で20円)、医療費を削減した(本体部分:2002年-1.3%,2004年0%,2006年-1.36%、薬価部分:2002年-1.4%,2004年-1.0%,2006年-1.8%、総額:2002年-2.0%,2004年-1.0%,2006年-3.16%)ほか、病院と診療所で異なっていた初診料の統一、小児・救急医療など医師不足が指摘される分野で重点的に報酬を加算することなどが決まっている(財務省主計局の平成22年調査では勤務医の平均年収は1479万円、開業医の平均年収は2530万円)。

政管健保の保険料率を値上げした。

2003年1月に「2010年に訪日外国人を1000万人にする」とする趣旨の施政方針演説で観光立国への意欲を見せ、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」と呼ばれる訪日促進活動が実施された。リーマン・ショックによる影響などにより、この目標自体は在任中には達成できなかったものの、観光政策は成長戦略の一環として歴代政権に引き継がれた。

日本の査証発給緩和や訪日プロモーションが実を結び、特に2010年代の訪日外国人旅行の伸びは、東日本大震災による落ち込みを経ながらも目覚ましいものとなり、第3次安倍内閣が2016年に打ち出した日本国政府目標では、2030年までに6,000万人を目指すこととされている。

2005年8月15日、戦後60年目の終戦記念日に過去に日本がアジア諸国に対して行った侵略と植民地支配を謝罪する「小泉談話」を閣議決定の上、発表した。談話の内容は10年前の1995年8月15日、戦後50年の終戦記念日に当時の村山富市首相が閣議決定の上、発表した村山談話を踏襲したものであり、村山談話と並ぶ日本政府の歴史認識の公式見解として扱われる。

長い間、とりわけ平成の皇室に皇位継承権を有する男子が誕生していなかったことなどから、皇室典範に関する有識者会議を設置して女性天皇のみならず、女系天皇容認に向けた皇室典範改正への動きを積極的に推進した。その後、秋篠宮家における男子継承者誕生(悠仁親王)から改正議論を棚上げしたものの、根本的な問題(継承者不足)が無くなった訳ではないとして「女系の天皇陛下も認めないと、将来については皇位継承というのはね、なかなか難しくなるんじゃないかと思ってます」との見解を述べた。

ただし総理退任後の2016年(平成28年)9月7日には、日本外国特派員協会で会見し、「男の子が生まれているときに、この議論はしない方がいい。男の子として継ぐ方(=悠仁親王)がおられる限りは、そういう女性の天皇を考える必要はない状況になった」として、「女性天皇や女系天皇に関する議論はすべきではない」と表明した。

小泉純一郎の政治手法は、テレビやマスコミ報道を利用した「劇場型政治」や「ワンフレーズポリティクス」などとよく評された、小泉純一郎はいつも自分の言葉で語ることを大事にし、1日2回、首相官邸の中で総理大臣が記者団の前に立ち止まって記者団の質問に応じる「ぶら下がり」も小泉政権から始まった。このぶら下がりを利用した小泉純一郎の情報発信は毎回、テレビやニュースで伝えられ、その結果、国・政府と国民・有権者との間の距離が縮まり、自民党支持層をはじめ、都市部の無党派層や政治に関心がない層からも幅広い支持を集めるようになった。

小泉は、自分の掲げる政策に反対する人たちを「抵抗勢力」と呼び、その勢力が自民党内にいたとしても選挙では抵抗勢力とした議員たちの選挙区に「刺客候補」を積極的に立てて対決した。その刺客候補は自身の目指す政策と同じ考えの人が選ばれ、その中で代表的な人物としてライブドア社長の堀江貴文が挙げられる。

このような小泉の政治手法は、国民に政治をわかりやすくする効果をもたらし、選挙の時は、小泉旋風が巻き起こって自民党が勝利した。

この小泉旋風は具体的な政策論議よりも小泉自身のキャラクターや話題性に依存する面が大きく、世論からは、小泉の政治はポピュリズム政治であるとの評価もしばしばなされる。

また、小泉のめざす政府は、「小さな政府」であり、これは清和会出身者に多い政策である。具体的には、個人に対しては相続税の減税(最高税率70%→50%)や社会保障費の削減を、法人に対しては研究開発投資減税や公共事業費の削減を求めている。

ただ、この時代は住専問題や防衛庁疑惑を追及していた民主党石井紘基衆議院議員が刺殺されるなど、不透明な政府支出や事件も多数起きており、政府への信頼感が低下していた時代でもある。

竹中平蔵を閣僚に起用し、「官から民へ」という理念に基づく改革の旗振り役を任せた。

「金融再生プログラム」を推進し、バブルの遺産と呼ばれていた不良債権を処理し日本の金融システムを正常化した。

「金融ビッグバン」を継承して、日本の金融制度を改正した。

「貯蓄から投資へ」のスローガンを掲げ、株式売却益などの税率を20%から10%に引き下げる証券優遇税制を実施した。

経済財政諮問会議を活用して、従来の党主導の政策決定過程を官邸主導に転換した。予算編成の基本方針(骨太の方針)を策定し、かつて財務省の専権とされた予算編成を政治主導で行った。

財政再建のため骨太の方針にもとづき、歳出削減を実行した。歳出削減は道路建設から防衛費、社会保障費にいたるまで広範に及んだ。

三位一体の改革として地方交付税の削減。

労働者派遣法を改正し、派遣社員の派遣期間を3年から無制限に延長した。

労働基準法の改正で、企業による解雇権濫用を無効とした。

生活保護費や児童扶養手当の削減。

介護保険では特別養護老人ホームなど施設入所者の居住費、食費を保険から外した。

「健康保険法等の一部を改正する法律」(2006年6月21日公布)を与党多数で採決し、後期高齢者医療制度を導入。

国民負担率の維持を試みたが、日本医師会の反対により医療費の伸び率管理を断念した。

財政再建のため、診療報酬の引き下げ(2002年に1.3%、2006年に1.36%)、サラリーマン本人の窓口負担の増加(2割→3割)、保険料の引き上げ(月収をベースとした算定→年収をベースとした「総報酬制」)の三方一両損を行った。

2006年には谷垣禎一財務相、中川昭一農水相の反対を押し切って、6.5兆円の不良債権(2007年3月期)を抱える政策金融機関の統合民営化(株式会社日本政策金融公庫)を推し進めた。

特別会計合理化法案(仮称)を閣議決定し、特別会計透明化の方向性をつけた。

日本道路公団総裁の藤井治芳を更迭した。

道路関係四公団の民営化法案成立。

産業再生機構法を成立させ、事業再生を支援する体制を整備した。これにより、ダイエー、りそなホールディングスへの出資金を回収しつつ、事業再生に成功した。

最低資本金制度の特例措置(後に会社法の制定)により1円から会社を立ち上げることを可能にした。

有事関連法案を成立させた。

パソコンなどの製造業者にリサイクルを義務付ける資源有効利用促進法を成立させた。

構造改革特区により規制緩和を促進。

特殊法人(住宅金融公庫など)の独立行政法人化。

国家戦略本部を設置。

らい予防法違憲国家賠償訴訟において、熊本地方裁判所での国敗訴の判決を受け入れ、日本政府の責任を認め、福岡高等裁判所への控訴を断念し、総理大臣談話を発表してらい予防法を謝罪、元ハンセン病患者、遺族側と和解した。

建築確認、検査の厳格化、建築士への罰則強化、住宅売主への瑕疵担保責任の履行などを行った。

郵政民営化などにおいて米国からの要望をまとめた「年次改革要望書」の内容を実行に移しただけという批判があるが、郵政民営化については1970年代から主張していた。

発明や著作物などの創作活動を奨励するため、知的財産戦略本部を立ち上げ、知的財産権の紛争処理を迅速に行うため、知的財産高等裁判所を設置した。

従来の事務協議の積み重ねの延長である外交から、首相が自らの意見を積極的に主張し首脳間の信頼関係の下で国家間の合意を取り付ける首脳外交に転換した。

小泉外交は出身派閥である清和政策研究会の伝統的な親米路線に則っている。また、小泉首相自身がアジアやアフリカなどの国々にも積極的に訪問し、サミットをはじめ、ASEAN、APEC、ASEM、日・EU定期協議、アジア・アフリカ首脳会議などの多国間協議へも25回参加した。

在任中合計51回、実数では49ヶ国延べ数81ヶ国を訪問した。また訪問先の決定も外務省を始め、関係省庁が作ったシナリオに従うのではなく、官邸が積極的に関与した。さらに多数の電話での首脳会談も行い積極的な官邸外交、首脳外交を展開した。

2006年7月3日にドミニカ共和国のレオネル・フェルナンデス大統領と会談。その後、ドミニカ移民訴訟において政治判断により控訴をせず、謝罪や1人当り最高額を200万円とする補償金の支払いを行った。

モンゴルのエンフバヤル大統領と2006年8月に会談。その後、モンゴルに対して多額のODAを行い、モンゴルは2008年の非常任理事国ポストを日本に譲っている。

外務省機密費流用事件などで問題となっていた外務省に対し、事務次官経験者である斎藤邦彦JICA総裁、林貞行駐英大使、柳井俊二駐米大使、川島裕外務省事務次官の4人および飯村豊官房長の更迭を行った (2001/8/2)。

国別では、米国8回、韓国7回、ロシア4回、インドネシア4回、中国3回、タイ、マレーシア、ベトナムにそれぞれ2回訪問した。またブルネイ、シンガポール、フィリピン、ラオス、カンボジア、モンゴルなどのアジアの国々や今まで首相がほとんど訪問していなかったウズベキスタンやカザフスタン、イスラエル、ヨルダン、パレスチナ、サウジアラビア、エジプト、トルコなどの中近東諸国にも訪問している。

NHKのプロジェクトXで紹介された、イラン・イラク戦争の際邦人を救助したトルコ航空元機長のアリ・オズデミルと2006年1月12日に面会した。

アジア太平洋経済協力会議首脳会議 (APEC) に5回、東南アジア諸国連合 (ASEAN) +日中韓首脳会議に5回、アジア欧州会議 (ASEM) 首脳会議に3回などのようにアジア地域の中心の多国間協議に総理として積極的に参加していた。

また、多くの国を訪問し多くの国際会議の常連メンバーであったため、当時のアジア各国首脳、フィリピンのアロヨ大統領や、マレーシアのマハティール首相、シンガポールのゴー・チョク・トン首相などとも非常に親しかった。一方靖国神社参拝により中国首脳との関係は韓国首脳以上に悪く、2002年以降首脳の相互訪問を拒否され、2005年4月から2006年9月の退任まで第三国で中国との首脳会談は行わなわず、退任後も亀裂化したままである。

サミットにも6回出席の常連メンバーであり、そのつど各国首脳と多国間・二国間の会談を重ねている。そのため、アメリカのブッシュ大統領だけではなく、フランスのシラク大統領、ドイツのシュレーダー首相、ロシアのプーチン大統領、イギリスのブレア首相とも「率直に話のできる顔見知りの仲」であり、重要な案件でも首脳同士が直接電話で話をして決めることもあった。

またウズベキスタンやカザフスタンなどに対し、資源の優先的供給を受けるための資源外交・経済外交の展開を始めた。

靖国神社参拝により、中国・韓国の態度を硬化させ、在任期間中は首脳会談はもとより、首相特使派遣すらできないほどまでに関係が悪化した。小泉は韓国と中国が日本との首脳会談に応じなかったことを批判し、「いつか後悔することになるだろう」と発言した。中国は小泉政権での日本の常任理事国入りには強固に反対の姿勢を示すようになり、さらにアメリカがイラク戦争を反対したドイツの常任理事国入りに反対したことでG4改革に反対し、日本は常任理事国入りを断念せざるを得なくなった。それにより日本では「国連分担金を削減すべき」という世論が高まった。

アメリカ同時多発テロ事件後にテロ対策特別措置法を制定し、アメリカのアフガニスタン侵攻では海上自衛隊をインド洋に派遣し、イラク戦争後は米国主導の「イラク復興事業」に支援活動として陸上・航空自衛隊の派遣を決定したが、派遣した国の首脳の中で唯一、現地慰問を行わなかった。

戦略的外交諮問機関 対外タスクフォースを設立。

日本に観光客を呼び込むYOKOSO!JAPANキャンペーンを実行。その一環として、中国人や韓国人、台湾人などの観光客に対するビザ免除などを行った(日本国籍保持者は相互主義により相手国でビザ免除となる)。2003年の時点で524万人であった訪日外国人旅行者数は2007年には834万人となり過去最高を記録した。

北朝鮮に訪朝し金正日総書記と正式会談。北朝鮮政府は日本人拉致への直接関与を認めた。また、5人が生存して日本へ帰国(交渉継続中)。

2001年に就任以来、靖国参拝を堅持する小泉に対して、江沢民国家主席または中国政府はすでに4年間にわたって日中間首脳の相互訪問を拒み続けてきた。最初の参拝の際には終戦の日には行かなかったために結局中国の圧力に屈したと漫画家の小林よしのりは非難している。2001年にAPECのために上海を訪問して、同年に首脳会談で北京を訪問した小泉は抗日戦争記念館に訪問して遺憾の意を表し、そこで献花を行った(日本政府首脳が盧溝橋で献花するのは初)。しかし小泉は靖国参拝を行っても同年10月26日には中国大使館にて「川劇」を参観しており、小泉は「川劇」を絶賛、出演者に敬意を示した。2002年には海南島の「ボアオ・アジア・フォーラム」第1回年次総会に出席し、同年の9月26日には中国の建国53周年と中日国交正常化30周年を祝う大型レセプションを開催したものの、日中国交正常化30年で式典で中国に訪中を拒否されており、2002年以降小泉は中国に訪問していない。

小泉の北朝鮮への電撃訪問の際に江沢民に直接電話をしたが、江沢民はこれを拒否をした。胡錦濤が国家主席になっても冷却した関係であり、そんな中、2004年マレーシアで開催された東アジアサミットの際は、共同宣言に署名する際に、自分のペンを使わず、日本との首脳会談を拒んでいた中国の温家宝首相からわざわざペンを借りて署名し、両国の関係改善を示唆するパフォーマンスに各国首脳から拍手が送られた。しかし同年のアジアカップではこれが影響で反日ブーイングが起きた。中国の胡錦涛国家主席との会談が決まらなかった。

2005年に反日デモが起こり、同年秋に小泉が5回目の靖国参拝を果たすと、中国政府はさらに、国際会議を利用して日中首脳会談・外相会談をすべて拒否するという強硬姿勢を示した。小泉は「靖国参拝するから首脳会談に応じないというのは、私はいいとは思っていない」と中国を批判した。第3国での会談も2005年4月のジャカルタで胡錦濤国家主席と実施したのが最後となっている。また2005年に呉儀副総理との会談も急遽キャンセルとなった。中国人タレントのaminは「愛・地球博」ファイナルテーマソングを小泉の前でも歌っていたものの、同年10月の「日中友好歌謡祭」の招待を小泉は取り消された。同年の11月中旬釜山でのAPEC首脳会議、12月中旬マレーシアでの東アジアサミットでも首脳会談は行われなかった。APECの閉幕後、イギリスのメディアの記者は、靖国神社の博物館では、アジアでの戦争は日本の防衛のためだったとか、南京大虐殺はなかったなどと主張しているが、これを支持しているかと質問した。小泉は「その見解は支持していない」と明言、「多くの戦没者に哀悼の誠を捧げるために参拝している。そして戦争の反省を踏まえ2度と戦争をしてはいけないということから参拝している」と述べ、参拝は戦争を正当化するものではないとの立場を示した。唐家璇は「日中関係の改善は小泉首相に期待しない」と述べ、安倍晋三官房長官は同発言について「指導者としては不適切な発言」と抗議した。

2006年には、閣僚や自民党首脳が中国を訪問しても事態は好転せず、日中関係は最悪の関係にあった。後の首相となる安倍と麻生は小泉同様に中国を批判し、ロバート・ゼーリックは安倍・麻生との会談では「アメリカは日中関係を良くするために何かする必要があれば喜んでしたい」と仲介役を申し出た。しかし小泉は退任直前までに靖国参拝の姿勢を貫き、終戦記念日に念願の参拝を行った。

退任後も亀裂化しており、人民日報は訪中を決断した安倍を「智者」と持ち上げて絶賛する一方、靖国神社参拝問題などで日中関係を悪化させた小泉を「自己陶酔する独裁者」と非難した。東京・八王子市で演壇に立った小泉は「多くの戦没者の方々に敬意と哀悼の誠をささげるために私は靖国神社に参拝してきた。もし多くの国民が私の靖国参拝を批判するならば、そのような国民の総理大臣になっていたいと思わない。中国政府は将来『なんと大人げない恥ずかしいことをしたのか』と後悔する時がくる」と発言。中国の唐家璇国務委員が来日して友好ムードを盛り上げている最中に靖国参拝を理由に首脳会談を拒み続けた中国への怨嗟であり、親中路線にひた走る福田康夫への警鐘とも受け取れた。胡錦濤が来日を歓迎する朝食会・夕食会に小泉が参加せず、2008年に開催された北京オリンピックの開会式に歴代首相の福田康夫・森喜朗・安倍晋三や東京都知事の石原慎太郎を招待したのに対し、小泉は招待されなかった。

2010年12月の講演会で開かれた国際安全保障学会年次大会で、小泉は日中関係については「日中関係は大事だ。私は日中友好論者だ。経済を考えれば、これから日中関係は極めて重要だ。だが、一国の関係は経済だけではない。日本の平和と独立を守るためにアメリカに代わる国はない。」と述べ、日中首脳会談については「胡錦涛国家主席との会談が決まらなかった。外務省の担当者が「中国が『来年靖国神社を参拝しなければ会談する』と言っている」と言う。「じゃあ、小泉は来年、必ず靖国神社に参拝すると言ってます。会談をしたくなかったら、しなくて結構です」と。すると中国は「会談前と会談後に『靖国神社参拝する』と言わなければ会談する」という。だから私は記者に聞かれて「適切に判断する」と言った。中国は拒否しないでokしてきた。私の方がびっくりした。本当に首脳会談をしないと言ってきたのは、2005年に首相退任を明言してからだ。」と述べた。

韓国の場合、金大中は対日穏健派であったために難無く日韓ワールドカップに出席しており、反日的な盧武鉉になると当初は良好であったが、後に小泉が国際連合安全保障理事会常任理事国入りを目指すと盧武鉉が反日路線に切り替え、靖国神社参拝を理由に2005年には日韓シャトル外交の中止を迫られ、他に竹島問題で反日感情が高まり、同年の6月には子供達が描いた反日ポスターが地下鉄駅に展示させられた際に「小泉首相を犬や猿に模して中傷する絵」があった。さらに大邱日報によると、8月18日に親日派財産を取り戻すための汎政府機構である「親日反民族行為者財産調査委員会」が本格発足し、支持率回復もあって盧武鉉は同年の12月に親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定した。しかし盧武鉉の死後、小泉は駐日韓国大使館1階に設けられた盧武鉉前大統領の焼香所を訪れ献花した。

靖国神社参拝に反発する中国・韓国との関係は悪化。反日感情が強い韓国と中国、反日感情が比較的穏やかな香港で起きた反日デモで自身の肖像が燃やされる事も度々あった。一方、台湾の歴代総統の李登輝、陳水扁からは支持を得ており、陳水扁は台湾新幹線開業式に招待をしたものの、台湾では外省人が多い国民党からは批判があり、退任後小泉は歴代首相と違い台湾の要人との会談や個人での台湾訪問を行っていない。

アメリカのブッシュ大統領とは仲の良さをアピールし、日本の首相としては初めてエアフォースワンに搭乗しキャンプ・デービッドの別荘に招かれた。2003年にはブッシュ夫妻が所有するテキサス州のクロフォード農場にも招かれた。

北朝鮮に対しては「対話と圧力」を掲げて、硬軟取り合わせた対応を行った。2006年のミサイル発射問題では関係国中最も強硬な国連外交を展開した。

2002年のカナナスキスサミットの際、2003年のエビアン・サミットの日程とロシアのサンクトペテルブルク建都300周年記念行事の日程が重なっていたため、各国首脳がその記念行事に参加できないという悩みをプーチン大統領が抱えていると知った小泉総理は、サミットの日程を2日ずらすことを進言し、シラク大統領も了解したことから、各国首脳はサンクトペテルブルクを訪問した後にエビアンに行くという日程になった。このことに対してプーチン大統領は「感謝に堪えない。公表できないがシベリアに金正日がくるので協力できることはないか」ということとなり、その後プーチン大統領は金正日に小泉のメッセージを伝えることを約束した。その後もプーチン大統領との友好関係は続き、2003年にロシアを訪問した際には晩餐会終了後に、プーチン大統領のクレムリンの個人住居に招かれ、通訳を交えただけの2人きりで約1時間半にわたって懇談した(なおロシアでは大統領が非公式に外国の首脳と懇談するのは異例のことである)。小泉は政界引退後も露日経済協議会理事長の職にあり、また北方領土問題解決に強い関心を持っているといわれる。

2002年のカナナスキスサミット終了後、ドイツのシュレーダー首相が政府専用機のスケジュールの調整ができずに日韓ワールドカップの決勝戦(ドイツ対ブラジル)を見に行けないと悩んでいることを知り「だったら日本の政府専用機に乗っていったらいいじゃないか」という話になった。そしてシュレーダー首相は日本の政府専用機に乗り日本に向かいワールドカップ最終戦を観戦した。その際機内では首脳会談が持たれ、懇談の際にはサッカー談義にも花が咲いた。外国首脳が日本の政府専用機に搭乗したことはこれが初めてのことである。

2002年のサミットにおいて、カナダの日刊紙『グローブ・アンド・メール』の「サミットのベストドレッサー」に選ばれた。

2002年のサミットにおいて、シラク大統領が各国の首相の前で、日本のお辞儀は相手によって頭の下げ方が変わると主張した際、小泉首相は「君にはこうしなくちゃいけないだろうな」と言いブッシュ大統領の前で土下座をした。(共同通信配信2007/10/17)

2002年の国連総会において、演説終了後、演台裏手のロビーで小泉総理に挨拶を求める各国代表の列において国連職員が「こんなに長い列ができるのは珍しい」というほどの長蛇の列ができた。

2003年の国連総会においては、演説終了後300人近くの各国代表者などが演台の後ろのロビーに並んで小泉の演説に対する賞賛の意を表した。讃辞の列は次の代表の演説も終えたころまで続き、多くの国連関係者を驚かせた。

2002年にシンガポール訪問時に、シンガポールのナザン大統領を表敬訪問した際、ナザンから「自分の孫娘が小泉総理のファンなので一緒に写真を撮ってもらえないか」と頼まれ、快く応じた。

2006年のアメリカ訪問時に「アメリカは一人で悪に立ち向かっているわけではありません。常に多くの同盟国、友好国とともにあります。そして日本はアメリカとともにあるのです」と演説をし、鳴り止まないほどのスタンディング・オベーションを浴びた。

2010年暮れに出版された元イギリス首相トニー・ブレアの回顧録によると、イラクをめぐり米英と仏独の対立が高まっていた2005年に、ジャック・シラク仏大統領が「料理がまずい国の人間は信用できない」と英国を非難する放言騒ぎが発生した。英国でブレアが議長を務めた先進国首脳会議 (G8) の晩餐会がこの事件の数日後に開催され、小泉は供された食事を摂りながら、「英国料理はうまいよな?ジャック!(Excellent English food, isn't it, Jacques?)」と大声でシラクに向かって叫ぶことでたしなめ、フランスを牽制しつつホスト国である英国の面目を助けるアドリブを放った小泉は快活で、他の日本の政治家とは異なり、会議のムードメーカーだった、とブレアは述懐している。

1991年、当時のアメリカ副大統領であったダン・クエールと談笑した際、クエールに在日米軍の駐留費を引き上げないと撤退させるぞと脅されたものの、その場に居合わせた小泉のみが明確にノーと発言した上で、撤退するなら日本には真の独立心が芽生えるだろうと言い残してクエールを黙らせている。

「脱派閥」を訴え、総理在任中は派閥の意向にとらわれない政権運営を行ったが、総理となるまでの小泉自身は派閥政治家の一面もあり、派に対する忠誠心も強かった。ポスト中曽根の後継で竹下登が指名され(いわゆる「中曽根裁定」)、安倍晋太郎が敗北した際の安倍派の打ち上げでは、先輩政治家たちがお通夜のように静まりかえる中、遅れて料理屋に入ってきた安倍に対して、小泉はいきなり卓を叩き、「だからあんた、甘いんだよーッ!」と怒鳴りつけたという。あまりの剣幕に周囲は唖然として声もなく、安倍はただ黙って苦笑いするしかなかったと、同席した平沼赳夫は述懐している。

“骨太の方針”をまとめる時、「ぼくは高杉晋作の生き方を見習おうと思っている」と述べている。

人と会話する時、身振り手振りを交えながら一言一言を短く簡潔に言って、わかりやすく説明する話し方が特徴。

郵政民営化や道路公団民営化などに反対する議員・団体・勢力を「抵抗勢力」と呼んだ。

国会演説や記者会見などで、国民に対して自助と自律の精神を呼びかけた。

愛読書は『ああ同期の桜』(海軍飛行予備学生第14期会編)。

国会では「極東国際軍事裁判を受諾し、A級戦犯は戦争犯罪人と認識している」と答弁している。

2006年9月の自民党総裁任期満了をもって総理及び総裁の両役職を辞める旨を会見などで早くから発言し、任期満了までに時間がある時点からポスト小泉人事が話題となっていた。小泉自身は総理・総裁辞任後は自分は院政を敷くつもりはないと発言し、総裁選直前には安倍晋三支持を明確にした。

いわゆる「付け届け」とみなされる行為を極端に嫌う。人からの贈り物はほとんど受け取らず、バレンタインのチョコレートも受け取ったことはない。

政治家として結婚式の仲人もした事があるが、式の席上で仲人の新郎新婦紹介の際、「結婚はそんな甘いものじゃあない!」と発言し、列席者全員を驚かせたことがある。

2008年の突然の引退表明は驚きを与えたが、以前から引退時期について問われると、父親(小泉純也)の死んだ65歳までと度々発言しており、当時66歳となっていた小泉にとっては「公約」通りの身の処し方となった。

首相就任以来、毎日通常2回、官邸で総理番記者の質問(ぶら下がり)に立ち止まって答えた(小泉以前の首相は答えない場合もあったり、質問に答える場合でも歩きながらという慣習であった)。

「自民党をぶっ壊す」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と宣言して総裁選に勝利、発足時の内閣支持率は戦後最高を記録した。一部では「ナチズム」「ブーランジスム」と揶揄される程の驚異的支持率であった。

2001年9月の臨時国会における所信表明演説ではチャールズ・ダーウィンの進化論を経済社会にも取り込むよう発言した。ただ、アドルフ・ヒトラーが進化論を演説に取り込んだこともあり、欧米では演説に細心の注意が払われる傾向にある。

田中眞紀子(当時外相)の更迭時には支持率が急落するものの、終始40パーセント以上の支持率を保ち続けた。

「聖域なき構造改革」として、国民に対して痛みを伴う改革を主張した(野党には「痛みしか伴わない」と揶揄された。)。

衆議院選挙における小選挙区比例代表並立制に一貫して反対し、選挙の際は重複立候補していない(2005年の郵政選挙では一時期小泉本人の重複立候補が決まりかけていたが、最終的に取りやめとなった)。1996年の衆院選で当選が決まったあと、選挙事務所からTV中継されたインタビューにおいても「選挙区で落選した議員が比例区で当選するというのはおかしい。だから私は重複立候補はしない」と述べている。しかし2005年の選挙では自身が否定的なその比例代表並立制の特徴を存分に活用して新人議員を多数当選させる。また、自身の後を継いで出馬した息子の小泉進次郎も重複立候補していない。

靖国神社に参拝する理由を問われると一貫して「心の問題」と強弁して押し通した。他方で政教分離原則に反すると議論を呼んだ。ただ、総裁就任以前には参拝の習慣は無かったようで、靖国参拝は日本遺族会からの支持を期待しての公約だったとの見方もある。

2001年の総裁選においては田中眞紀子から出馬を強く勧められたことを明かし、「立ちなさいと女性から言われて、男として立たないわけにはいかない」と挨拶した。

総理大臣在職5年5ヶ月分の退職金634万5千円をすべて野口英世アフリカ賞に寄附したと表明した。

2004年5月27日の参議院において、かつて横浜市の不動産会社で厚生年金に加入していたが、実際には勤務実態は無かったのではないかと、齋藤勁から追及を受けた。その際、小泉は「『仕事は次の選挙に当選することだ』と社長から言われた」と回想し、「総理を辞めたら、その会社の社長さんのお墓参りをしたい」と語ったが、実際には元社長は94歳にして存命だった。翌日、小泉は記者からこの件を問われると「健在だと聞いてよかった。やっぱりいい人は長生きしてもらいたい」と答えた。結局、元社長は同年9月に世を去った。

身長169cm、体重60kg。

髪型がライオンのたてがみに似ているとして、ライオンのイメージキャラクターが作られたほか、首相在任中の小泉はこのイメージを活用し年を追うごとに綺麗に白髪化させている。なお、2005年冬に米国俳優のトム・ハンクスと米国で対面した際、トム・ハンクス本人から「今、小泉総理のヘアースタイルが、米国ですごく流行っている」と言われ、小泉は照れ笑いに終始した。また、「ライオン宰相」と評された濱口雄幸と比較されることもある。

米国俳優のリチャード・ギアと面会した際、「ジャパニーズ・リチャード・ギア」と紹介された。

初当選前から福田赳夫に師事した。福田および福田派に対する絶対の忠誠心はよく知られている。

第43回衆議院議員総選挙で落選した盟友、山崎拓を首相特別補佐官として登用している。その後、靖国参拝問題や人事などで山崎との関係は疎遠になったとも言われている。

竹下内閣で国対副委員長を務め、国対委員長である渡部恒三に仕えた。渡部を含む党関係者の誰もが、小泉に務まるのかと心配したが、意外とまともに振舞ったという。渡部が政調会長の渡辺美智雄から批判された際に、これをかばったことを渡部は感謝し「いやあ正論を言ってくれたなあ。君は首相になる」と言ったところ、本当になってしまったと回想している。のちに小泉政権時に渡部が民主党の国対委員長に就任した2006年4月に、両者は国会で対峙している。

YKKで反竹下派として活動したが、大蔵政務次官として仕えた当時の大蔵大臣が竹下登であり、竹下との関係は比較的良好であった。竹下派を批判する際も、竹下個人に対する批判はしなかった。

長年選挙対策本部長を務めた竹内清(前神奈川県議会議長)は、暴力団稲川会の元組員であり、石井会長と非常に親しい関係にあった。写真週刊誌『FRIDAY』(2004年6月25日号)は「小泉首相の選挙経歴 - 選挙対策本部長が元暴力団」というスクープ記事を掲載し、この竹内の証言を引き出している。竹内の力によって1969年時の選挙の時に注目を集めた小泉の女性問題に関する中傷はピタリと止み、1972年初当選を果たした。竹内はその後連続10回選挙対策本部長を務め、2001年に政治活動から引退した。

ロックバンド、X JAPANの大ファンであると公言している。その流れから自民党のCMにX JAPANのヒット曲『Forever Love』を採用した。

    小泉内閣で経済産業副大臣を務めた高市早苗によれば、小泉とカラオケをした際にX JAPANのシングル曲である『Rusty Nail』を歌ったが、小泉はこの曲を知らなかったという。本人はバラード曲である『Tears』を最も好んでおり、2004年の参議院選挙に向けたCMのBGMへの使用を考えていたが、選挙戦に涙はまずいとして、以前にも自民党が採用した『Forever Love』が再度採用された経緯がある。

    1998年5月2日に死去した元X JAPANのメンバーで、同郷でもあるhideの記念館(地元の神奈川県横須賀市)の設立に協力した。

    オペラ、狂言、歌舞伎、落語、映画鑑賞が趣味

      若いころ、ある記者から「おじいさんから政治の薫陶は受けましたか」と尋ねられ、「いや花札しか教わらなかった」と答えている。「ほかには」と問われると、平然として「歌舞音曲だ」と言った。この記者によれば、歌舞音曲好きの血は、小泉家全員に流れているという。「小泉家では一月の二日か三日に、全員で歌舞伎座に行くのが恒例となってます。これは、地元の横須賀事務所をまかせられている末弟の小泉正也が、歌舞伎座の正月公演で三味線を弾いているからです。もちろん舞台の上のプロの芸ではなく、幕の裏で囃子をつける素人の旦那芸です。何やかんやで百万円はかかるそうです。又次郎が任侠肌の人だったせいなのか、小泉家にはそんな玄人好みの血が流れているんです。」

      中でもオペラへの関心は高く、2003年のドイツ公式訪問では本人の強い希望でバイロイト音楽祭を訪問し、リヒャルト・ワーグナー作のタンホイザー全3幕を鑑賞した。2001年に日本でメトロポリタン・オペラが公演を行ったときも、『サムソンとデリラ』を鑑賞している。

      多くの映画音楽を手掛けている音楽家エンニオ・モリコーネのファンでもあり、2005年(平成17年)10月5日に発売されたチャリティアルバム「私の大好きなモリコーネ・ミュージック」の選曲を務めた。

      「好きな映画ベスト3」は「ショーシャンクの空に」「ニュー・シネマ・パラダイス」「フィールド・オブ・ドリームス」であると毎日新聞に掲載された。(2000年)

      おすすめの小説として、百田尚樹の『海賊とよばれた男』を挙げている。同じくおすすめの映画は2017年公開の実写版ディズニー映画『美女と野獣』。

      2006年6月29日、エルヴィス・プレスリーの故郷、グレイスランドに向かう小泉。
      オールディーズ時代のロックンローラー、エルヴィス・プレスリーの大ファンである。首相就任後の2001年には、自ら選曲し解説を著したエルヴィスのCDアルバムを発表した。
        2006年6月30日に日米首脳会談後、エアフォースワンにブッシュ夫妻と同乗し、エルヴィスの旧居である「グレイスランド」を公務として訪問した。そこでエルヴィスの元夫人プリシラに「ラヴ・ミー・テンダー」を歌い、「グローリー、グローリー、ハレルーヤ、っと」と熱唱しながらエアギターを披露した。ブッシュ夫妻はこの時、レコードとジュークボックスをプレゼントした。

        エルヴィスとは誕生日が同じ1月8日である。

        小泉内閣最後の官邸メールマガジンに、ありがとう / ささえてくれて / ありがとう / 激励協力 / 只々感謝 という自作短歌を掲載した。

        歌舞伎好きで市川團十郎や彼の息子の市川海老蔵らとも交友があることから、2010年7月29日に行われた海老蔵と小林麻央の結婚披露宴にも参加し、祝辞を述べている。これが議員引退後久々のテレビ出演となった。

        『冬のソナタ』のファンを自認する。

        好きな女性芸能人は、渡辺直美と島崎和歌子である。

        現職中には落語好きがこうじて、落語家で人間国宝の桂米朝と大阪北浜の吉兆で会食をした。息子の小泉進次郎も落語好きで超党派で落語議連を結成している。

        大相撲に興味があり、しばしば本場所を訪れる。

          首相就任直後の2001年5月の夏場所では、たいていは内閣官房副長官(政務)が担当する総理大臣杯の授与を自ら行い、前日の負傷を押して出場し22回目の幕内優勝を勝ち取った横綱貴乃花光司に対して「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した! おめでとう!」との賛辞を送った。「感動した!」は流行語ともなった。

          2005年11月の九州場所では、総理大臣杯の授与を、再び自ら行った。年6場所全制覇など3つの大記録を達成した横綱朝青龍明徳に対して、「新記録! 大記録! みごとだっ! おめでとう!」と賛辞を送った。貴乃花の時は東京両国国技館であったが、この時は福岡国際センターである。わざわざ福岡まで行った理由について、年6場所を全て制覇したら行くという約束を、その年の初めに朝青龍とかわしていたと記者団に語った。

          プロ野球では神奈川県を本拠地とする横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)を応援している。同球団の2軍が独立採算制の湘南シーレックスとなった際には、本拠地が地元・横須賀市である事もあり、後援会の結成に協力している。また堤義明とも親交が深く、総理大臣就任以前は堤がオーナーだった西武ライオンズのホームゲームを観戦に西武ドームへ何度も足を運んだ。横浜高校出身の松坂大輔が高卒新人時代に先発した試合を堤とVIPシートで観戦した事もあった。

          高校野球では、第85回全国高等学校野球選手権大会(2003年)で大会史上初となる現職首相による始球式を行い、ど真ん中へのストライクを投じた。

          サッカーの2002 FIFAワールドカップでは、ホスト国・日本の首相として大会運営に協力した。大会直前の親善試合では日本代表の激励のために国立競技場を訪問し、約5万人のサポーターから「コイズミニッポン」コールを受けた。また、6月30日の決勝戦がドイツ対ブラジルになったのを受け、カナダのカナナスキスサミット(第28回主要国首脳会議)で同席したドイツのシュレーダー首相を日本国政府専用機に乗せ、横浜国際総合競技場に招待した。外国の要人が日本国政府専用機に乗った最初の例である。

          スポーツで日本人選手や日本代表が活躍をすると、記者会見で称賛などのコメントを行っている。

          連珠に精通しており、連珠で二段を取得している。

          1998年、世界のワイン名士・著名人に贈られるメドック・グラーヴ・ボンタン騎士団騎士の称号を送られた。

          1999年に放送されたドラマ「TEAM」(フジテレビ系)に文部大臣役として出演したことがある。また同じ年に、同じくフジテレビ製作の「SMAP×SMAP」のBISTRO SMAPのコーナーにも出演している。番組中に中居正広は「総理大臣になるのではないか?」と冗談で言ったが、現実のものとなった。日本テレビ製作の「モー。たいへんでした」にも出演した。

          2002年5月26日に東京競馬場で行われた東京優駿(日本ダービー)に来場し、表彰式で優勝馬(タニノギムレット)の馬主(谷水雄三)に「内閣総理大臣賞」を授与した。現職首相のダービー観戦は、1958年の岸信介首相以来の44年ぶり2回目。

          2009年の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』にてウルトラマンキングの声を担当している。

          株式会社エスエンタープライズに講師登録しており、同社の看板登録講師となっている。

          公式プロフィールでは留学とされているが、実際は聴講生で単位取得はなし。『週刊ポスト』(2004年2月27日号と3月5日号)には「小泉首相が初挑戦した1969年12月の衆院選挙の際の選挙公報、初当選した1972年12月の衆院選挙の選挙公報に届出されていた小泉首相の履歴は“慶應義塾大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学”とあるが、これはあやふやな表現に当たる。なぜなら、ロンドン大学群の一つのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London)に政治経済学部はないからである。ロンドン大学群にはいくつかのカレッジがあり、政治経済学部といえば一般的にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを指し、世界中から優秀な学生が集まることで知られ、ノーベル経済学賞受賞者を多く輩出しているが、小泉元首相が在籍したのはここではない。小泉首相はユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大学群)の経済学部に1年足らず聴講生のような形で語学留学していた。」とある。そもそも、ロンドン大学という単一の大学はない。

          YKKでは、政策の加藤に対比して、政局の小泉と評された。

          1998年の自民党総裁選に出馬した際田中眞紀子は小渕恵三を凡人、士官学校卒の梶山静六を軍人、そして小泉を変人と評した(総裁選で選ばれた際の真紀子の演説では「変人の母でございます」)。以後このニックネームが定着したが、このとき本人は「『変人』とは『変革の鉄人』のことである」と述べている。2005年の郵政解散の折には、参議院での法案否決による衆議院解散を思いとどまるよう説得に訪れた森喜朗に「変人以上」と評されている。

          麺類を好む。幅広麺には一家言もつ。

          田原総一郎 「小泉は『イエス』『ノー』が極めてはっきりしていた。あんなにはっきりしていた首相は珍しい。振り返ってみても、田中角栄、中曽根康弘、小泉くらいだろうね。主張が明快だったから、魅力があったんだと思う。加えて、小泉はマネースキャンダルが全くなかった。その透明性も支持されて長期政権となった。近年は、すっかり“反原発”主義者だね。日本は原発がなくても十分やっていける、と訴えている。反原発を語らせたら、本当に説得力がある」

          曾祖父・由兵衛(とび職人、請負師)

          曾祖母・徳(岡崎文五郎・二女)

          祖父・又次郎(とび職人、請負師、小学校代用教員、新聞記者、政治家)

          大叔父・岩吉(土木建築請負業)

          祖母・石川 ハツ(又次郎の妾)

          父・純也(政治家)

          母・芳江(父は又次郎、母はハツ)

          長姉・道子

          次姉・隆子

          三姉・信子(政策秘書)

          弟・正也(私設秘書)

          元妻・佳代子(エスエス製薬元会長・泰道照山の孫娘、泰道三八の姪、経営コンサルタント)

          長男・孝太郎(俳優、タレント)

          次男・進次郎 (政治家、環境大臣)

          三男・宮本 佳長

          嫁・滝川クリステル(次男の妻、フリーアナウンサー)

          孫・道之助(次男夫婦の長男)

          孫(次男夫婦の長女)

          兄弟・井料克己(いりょう かつみ、政治家・元横須賀市議会議長)

          義兄・豊島格(官僚・元資源エネルギー庁長官)

          父方の祖父・彌三左衛門

          ノンフィクション作家の神一行は、「その小泉の閨閥であるが名門といわれるほどのものではない。むしろ小泉の性格は三代続く政治家家系の血筋とみてよい。」と述べている。

          1942年1月8日 - 神奈川県横須賀市に生まれる。

          1954年 - 横須賀市立山崎小学校卒業

          1957年 - 横須賀市立馬堀中学校卒業

          1960年3月 - 神奈川県立横須賀高等学校卒業

          1967年 - 慶應義塾大学経済学部卒業。ロンドン大学留学。実父の急死で1969年8月帰国。

          1969年12月27日 - 第32回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補するも落選

          1970年 - 衆議院議員福田赳夫(後に首相)の秘書となる。同い年の同僚に佐藤静雄

          1972年12月10日 - 第33回衆議院議員総選挙において自民党公認で衆議院議員に初当選、以後連続当選。飯島勲が秘書となり、二人三脚で進む。

          1979年11月 - 大蔵政務次官に就任(第2次大平内閣)

          1980年 - 自民党財政部会長

          1988年12月 - 厚生大臣に就任(竹下内閣)

          1989年6月 - 厚生大臣に就任(宇野内閣)

          1992年12月 - 郵政大臣に就任(宮澤内閣)

          1995年9月 - 自民党総裁選に出馬。橋本龍太郎に敗れる。

          1996年11月 - 厚生大臣に就任(第2次橋本内閣)

          1998年7月 - 自民党総裁選に出馬。小渕恵三、梶山静六につぐ三位。

          2000年4月 - 清和会(森派)会長に就任

          2001年4月24日 - 3度目の挑戦で、自民党総裁に選出

          2001年4月26日 - 第87代内閣総理大臣に就任(第1次小泉内閣)

          2001年8月13日 - 首相就任後初の靖国神社参拝

          2001年11月 - テロ対策特別措置法を公布

          2002年1月29日、田中眞紀子外務大臣を更迭。1月31日まで外務大臣を兼務。2月1日から川口順子環境大臣に交代

          2002年9月17日 - 北朝鮮の平壌で金正日総書記と初の日朝首脳会談、日朝平壌宣言に調印

          2002年9月30日 - 小泉改造内閣発足

          2002年10月15日 - 北朝鮮の日本人拉致被害者5人帰国

          2003年1月 - ロシア連邦を訪問

          2003年6月 - 有事関連3法を公布

          2003年8月 - イラク特措法を公布

          2003年9月20日 - 小泉再改造内閣発足

          2003年11月19日 - 第88代内閣総理大臣に就任(第2次小泉内閣)

          2004年1月 - 自衛隊のイラク、サマワへの出兵を命令

          2004年4月 - イラク日本人人質事件。武装集団が「イラクからの自衛隊の撤退」を要求するも拒否。人質3人は後に解放。さらに2人が拉致され後に解放される。

          2004年5月22日 - 再訪朝し平壌で金正日総書記と会談。北朝鮮に対する25万トンの食糧及び1000万ドル相当の医療品の支援を表明し、日朝国交正常化を前進させると発表。5人の拉致被害者の家族の帰国を実現。このとき反対派からデマ報道で攻撃されている。

          2004年5月28日 - 朝鮮総聯第20回全体大会に対して歴代首相、自民党総裁として初めて祝辞を贈った。

          2004年7月、第20回参議院議員通常選挙で自民党が民主党に僅差で敗れる。

          2004年9月27日 - 第2次小泉改造内閣発足

          2004年10月 - イラク日本人青年殺害事件。イラク聖戦アルカーイダが「イラクからの自衛隊の撤退」を要求するも拒否。人質は殺害された。

          2005年3月27日 - フランスのジャック・シラク大統領と首脳会談

          2005年4月23日 - 中国の胡錦涛国家主席と首脳会談

          2005年4月26日 - 旧首相官邸を改築した新公邸に転居

          2005年7月5日 - 郵政民営化関連法案が衆議院本会議で可決

          2005年8月8日 - 郵政民営化関連法案が参議院本会議で否決。衆議院解散を閣議決定し、署名を拒否した島村宣伸農林水産大臣を罷免し自ら兼務。同日、憲法7条に基づき衆議院を解散。この解散を「郵政解散」と命名

          2005年8月11日 - 兼務していた農林水産大臣の後任に岩永峯一起用

          2005年8月15日 - 1995年に発表された村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」を踏襲した首相談話を発表し、第二次世界大戦中に行われた日本のアジア諸国に対する侵略と植民地支配を謝罪

          2005年9月11日 - 第44回衆議院議員総選挙において自由民主党だけで296議席、与党で327議席の大勝

          2005年9月21日 - 第89代内閣総理大臣に就任(第3次小泉内閣)

          2005年10月14日 - 特別国会に再提出された郵政民営化法案が衆参両院の可決を経て成立

          2005年10月31日 - 第3次小泉改造内閣発足

          2006年6月 - 政権最後となる訪米を実施。ブッシュ大統領よりテネシー州のエルヴィス私邸を公務として訪問。実質これが首相としての「卒業旅行」

          2006年7月15日 - ロシアサンクトペテルブルクサミットにG8各国首脳と共に参加。

          2006年7月25日 - 野口英世アフリカ賞の創設を正式に発表。

          2006年8月15日 - 終戦の日に靖国神社へ参拝

          2006年9月21日 - 自民党総裁任期満了

          2006年9月26日 - 内閣総理大臣を退任。

          2006年12月15日 - 自民党の国会議員らで作る「改革加速議員連盟」の顧問に就任。

          2007年9月13日 - 飯島勲が辞表提出。

          2008年9月25日 - 次期総選挙に出馬せず、政界引退を表明。

          2009年7月21日 - 衆議院解散により議員の地位を失い政界引退

          『官僚王国解体論 : 日本の危機を救う法』光文社、1996年6月。ISBN 4-334-05234-7。 

          『小泉純一郎の暴論・青論』集英社、1997年9月。 

          業田良家 画『コイズム』メディアレブ、2001年7月。 

          時事画報社「Cabiネット」編集部 編『小泉純一郎です。 : 「らいおんはーと」で読む、小泉政権の5年間』時事画報社、2006年10月。 

          『音楽遍歴』日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ ; 1〉、2008年5月。 

          『原発ゼロ、やればできる』太田出版、2018年12月。 

          梶原一明『郵政省解体論 : 「マルチメディア利権」の読み方』光文社〈カッパ・ビジネス〉、1994年9月。 

          松沢しげふみ『郵政民営化論 : 日本再生の大改革!』PHP研究所、1999年12月。 

          小泉純一郎[他]『自民党の底力 : 日本政策アカデミー「シンクタンク2005・日本」非公開セミナー講演集』成甲書房、-2007-06。 

          常井健一『小泉純一郎独白』文藝春秋、2016年2月。 

          吉原毅『黙って寝てはいられない』扶桑社、2016年7月。 

          常井健一 取材・構成『決断のとき : トモダチ作戦と涙の基金』集英社〈集英社新書〉、2018年2月。 

          小泉孝太郎&ムロツヨシ 自由気ままに2人旅(2022年9月28日、フジテレビ

          小泉総理 ラジオで語る(2003年1月18日 - 2006年7月22日、ニッポン放送)※パーソナリティ

          TEAM(1999年10月13日、フジテレビ) - 文部大臣 役

          大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(2009年) - ウルトラマンキング 役(声の出演)

          ザ・決断!世紀の決戦〜実録・永田町人間ドラマ〜(2005年9月11日、テレビ東京)- 田中健が演じた

          アンテナ22 特別版テレビドラマ『告白』(2006年1月9日、日本テレビ) - 岩城滉一が演じた

          ・ムダヅモ無き改革(大和田秀樹)

          自民党総裁選 ―小泉純一郎の挑戦―〈前・後編〉(2006年6月30日・7月7日、週刊コミックバンチ・Yahoo!みんなの政治、原作:田中良紹、作画:今泉伸二) - 週刊青年漫画雑誌『週刊コミックバンチ』(新潮社)と『Yahoo!みんなの政治』の共同企画。本誌掲載及び「みんなの政治」サイトにて公開

          ^ 入れ墨を入れている者は軍人になることができなかった。又次郎が背中から二の腕、足首まで彫った入れ墨は、九門竜だったとも「水滸伝」の魯智深(ろちしん)、すなわち花和尚だったともいわれる(佐野眞一 2006, p. 147)。藤原肇によると「巷間(こうかん)いわれている“軍人になるのを諦めるために刺青を彫った”という話は作り話であり、やはりテキ屋の親分になるために彫ったという方が真相に近いと私は解釈している」という(藤原肇 2005, pp. 39–40)。彫り師凡天太郎によると「とくに港町ともなれば素性もわからないような流れ者がゴロゴロ集まった。そんな彼らの上に立つには、刺青を彫るような人物ではないと現場を仕切れなかったろう」という(岩崎大輔 2006, p. 58)

          ^ 慶應で同級だった学者の栗本慎一郎によれば「みんなから浮いているのではなくて、沈んでいるんです。友人から無視されるような存在でした。精神的な病気でおかしくなって、おそらく、高校時代も同じでしょう。その社会性の欠如とそこから来る孤独感が彼の奇矯な政治行動の原点だと思います。彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、精神がおかしくなり、事件を起こし逮捕歴があり、そのままロンドンにほとぼりが冷めるまで、遊びに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです。」という

          ^ 小泉は平成初頭に行われたインタビューで「小選挙区制になるとね、組織から資金から人事からもう全て党の一部幹部に集中される訳ですよ。執行部の気に沿わないことが言えなくなる状況が生まれる恐れが出てくる。恐ろしいことですね」と反対理由を語っているが、皮肉なことに自らが政権をとったときには小選挙区制の後押しを受けて選挙で地滑り的勝利を収めて中央集権化を進めることとなる。

          ^ 「自衛隊員に警護をさせるというのは、いままでの国会の議論と違う。させるべきではない。自衛隊であろうが、文民警察官であろうが、戦闘状態のところに行くという想定はしていない。戦闘状態に合わせて対策を取ったり、自衛隊になにかをさせようというのは間違っている。今後、そのような意見が表に出てくるようであれば、私も国会での議論を踏まえて発言していく」1993年5月14日の閣議後の記者会見

          ^ 紺谷典子は、「防衛庁長官だった純也氏の急死で、ロンドンから呼び戻され・・最初の衆院選に僅差で敗れた。・・特定局長たちが・・もう一人の自民党議員に鞍替えしたせいだと言われている。鞍替えの理由は、地元の横須賀では良く知られた話だそうで、私自身地元財界の人々から口々に聞かされた。小泉氏の人間性を強く疑わせる事件があったそうである」と述べている。

          ^ 小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』の11巻では「いろいろ意見を持っている方がいるから、造るんだったらいいものを造りたい、私も(国立墓地を)前から考えていた。」という小泉の戦没者を慰霊する国立墓地検討に対する批判があった。

          ^ 安倍長官は衆院予算委で「政治問題を達成するために『会わない』という外交手段をテコに使うのは明らかに間違っている」と批判。麻生外相も 「一つの問題だけでほかの問題もすべてダメで、話も面会もない形は少々異常だ。靖国の問題で会わないのは中国だけだ」と同調した。

          ^ 1992年に次いで2008年にも天皇・皇后も招待する予定だったが、その予定を断った。

          ^ 作家火野葦平著『青春の岐路』によると、「請負師も、小頭も、仲仕も、ほとんどが、酒とバクチと女と喧嘩とによって、仁義や任侠を売りものにする一種のヤクザだ。大部分が無知で、低劣で、その日暮らしといってよかった。普通に考えられる工場などの労働者とはまるでちがっている」という。猪野健治著『侠客の条件 吉田磯吉伝』170-171頁によると「やくざ組織の構成層は、いつの時代においても社会から疎外された被差別階層であった。その構成層は、封建時代にあっては、下級武士、浪人、人足、農民、職人などであり、明治以降、昭和にかけては、没落士族、中小鉱山港湾土木建築関係者、土方、農漁民、職人などの一部であった。彼らこそ失うべき名誉も地位も財産もなにものももたない階級の所属者であった。彼らがときに発揮する反権力性は、実は彼らの階級性の気まぐれな表現であり、民衆が彼らに期待する任侠道とは、階級意識の原始的顕現に他ならない。」という

          ^ 猪野健治著『やくざと日本人』211頁によると、「博徒の伝統的な業態に“労働力供給業”がある。戦後でいう“手配師”がそれだが、戦前は単に労務者を労働現場へ送り込むだけでなく、自らも労働現場で“飯場”を経営した。大正、昭和の炭鉱、鉱山、工事現場、沖仲仕などの“タコ部屋”、“労働監獄”は、そのあくどさの典型であった。“労働力供給業”のすべてが、そうであったわけではないが、この業態そのものが労働者を不当に拘束し、虐待する性格をもっていることは否定しがたい。明治以後の“労働力供給業”は、日本の急テンポの近代化ともあいまって土木建築請負業に集中した。」という

          ^ 岩崎大輔 2006, p. 83.

          ^ 【週刊現代 2005/12/24号 巻頭記事】 栗本慎一郎 : 「パンツをはいた純一郎」

          ^ 小泉純一郎「ワンフレーズ政治」の原点は“父親のグチ”だった?――池上彰が語る“小泉像”『文春オンライン』2019年3月24日

          ^ 梅田功 2001, p. 125.

          ^ 梅田功 2001, pp. 125–126.

          ^ 岩崎大輔 2006, pp. 176–177.

          ^ 神一行 2002, p. 243.

          ^ 安井, 浩一郎 (2019年1月31日). “発掘された後藤田正晴の“遺言” 平成政治史の“劇薬”小選挙区制導入とは何だったのか?”. 文春オンライン. 2020年3月4日閲覧。

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          ^ 『私の後藤田正晴』編纂委員会, ed (2007). 私の後藤田正晴. 講談社. p. 307 

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          ^ “幹事長打診でつまずいた「加藤の乱」 山崎拓氏が語る”. 日本経済新聞 電子版. 2020年10月12日閲覧。

          ^ 亀井静香『晋三よ! 国滅ぼしたもうことなかれ :(傘張り浪人決起する)』メディア・パル、2014年、149頁。ISBN 978-4896108422。 

          ^ 文藝春秋2018年二月号、平成17年 郵政選挙は純ちゃんとのケンカだった、亀井静香、前衆議院議員、273-274頁

          ^ “「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン 新語・流行語大賞”. 「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン 新語・流行語大賞. 2023年7月1日閲覧。

          ^ [飯島勲氏、小泉純一郎前首相の秘書を辞職…福田支持に反発?(2007年9月14日 サンスポ)]

          ^ 空回り小泉チルドレン…小池擁立も失敗、福田支持へ(2007年9月14日 産経新聞)

          ^ 『週刊FLASH』2008年6月10日号

          ^ 時事ドットコムニュース>特集>「原発「即ゼロ」を 小泉純一郎元首相」

          ^ 2011年7月26日に行われたシンポジウム「震災後の日本経済を展望する」における発言など

          ^ 産経ニュース 小泉純一郎元首相ら「原発ゼロ基本法案」発表 2018.1.10 18:20

          ^ 小泉元首相ら「原発ゼロ」法案「国民の賛同で必ず実現」

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          平野貞夫 『亡国 民衆狂乱「小泉ええじゃないか」』 展望社 2005年

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          今泉伸二、田中良紹『自民党総裁選小泉純一郎の挑戦』新潮社

          小泉内閣メールマガジン

          小泉総理 ラジオで語る

          YKK (政治同盟)

          米百俵

          靖国神社問題#小泉首相参拝訴訟

          聖域なき構造改革

          郵政解散/郵政民営化

          小泉劇場/小泉旋風

            B層

            小泉組 (請負業)

            小泉チルドレン

            政治家の年金未納問題

            北朝鮮による日本人拉致問題

            飯島勲

            e-Japan#e-Japan戦略

              第87代 小泉 純一郎 | 歴代内閣 - 首相官邸

              小泉内閣メールマガジン - ウェイバックマシン(2006年10月4日アーカイブ分)

              小泉純一郎 (@J_Koizumi_Japan) - X(旧Twitter)

              小泉純一郎 - NHK for School

              第87~89代総理大臣 小泉純一郎【歴代総理列伝】 - YouTube(TBS NEWS)

              『小泉純一郎』 - コトバンク

              【平井事典】「首相ぶら」を世に広めたのは小泉純一郎さん 「ぶら」って何?

              伊藤博文

              黑田淸隆

              山縣有朋

              松方正義

              大隈重信

              桂太郎

              西園寺公望

              山本權兵衞

              寺内正毅

              原敬

              高橋是清

              加藤友三郎

              清浦奎吾

              加藤高明

              若槻禮次郎

              田中義一

              濱口雄幸

              犬養毅

              齋藤實

              岡田啓介

              廣田弘毅

              林銑十郎

              近衞文麿

              平沼騏一郎

              阿部信行

              米内光政

              東條英機

              小磯國昭

              鈴木貫太郎

              東久邇宮稔彦王

              幣原喜重郎

              吉田茂

              片山哲

              芦田均

              鳩山一郎

              石橋湛山

              岸信介

              池田勇人

              佐藤榮作

              田中角榮

              三木武夫

              福田赳夫

              大平正芳

              鈴木善幸

              中曽根康弘

              竹下登

              宇野宗佑

              海部俊樹

              宮澤喜一

              細川護煕

              羽田孜

              村山富市

              橋本龍太郎

              小渕恵三

              森喜朗

              小泉純一郎

              安倍晋三

              福田康夫

              麻生太郎

              鳩山由紀夫

              菅直人

              野田佳彦

              菅義偉

              岸田文雄

              石破茂

              新設

              島村一郎

              川野芳滿

              夏堀源三郎

              佐藤重遠

              奥村又十郎

              千葉三郎

              井上良二

              松原喜之次

              山本幸一

              足鹿覚

              早川崇

              植木庚子郎

              山本勝市

              足立篤郎

              小川平二

              臼井荘一

              山中貞則

              吉田重延

              三池信

              内田常雄

              田村元

              田中正巳

              毛利松平

              斎藤邦吉

              金子一平

              鴨田宗一

              安倍晋太郎

              上村千一郎

              田中六助

              小渕恵三

              大村襄治

              加藤六月

              増岡博之

              綿貫民輔

              森喜朗

              森美秀

              瓦力

              越智伊平

              小泉純一郎

              池田行彦

              越智通雄

              中村正三郎

              中西啓介

              衛藤征士郎

              平沼赳夫

              太田誠一

              藤井裕久

              宮地正介

              尾身幸次

              久間章生

              額賀福志郎

              村上誠一郎

              村井仁

              衛藤征士郎(代理)

              金子一義

              萩山教嚴

              廃止

              木戸幸一

              広瀬久忠

              小原直

              秋田清

              吉田茂

              安井英二

              金光庸夫

              小泉親彦

              広瀬久忠

              相川勝六

              岡田忠彦

              松村謙三

              芦田均

              河合良成

              一松定吉

              竹田儀一

              林譲治

              黒川武雄

              橋本龍伍

              吉武恵市

              山縣勝見

              草葉隆圓

              鶴見祐輔

              川崎秀二

              小林英三

              神田博

              堀木鎌三

              橋本龍伍

              坂田道太

              渡邊良夫

              中山マサ

              古井喜実

              灘尾弘吉

              西村英一

              小林武治

              神田博

              鈴木善幸

              坊秀男

              園田直

              斎藤昇

              内田常雄

              斎藤昇

              塩見俊二

              斎藤邦吉

              福永健司

              田中正巳

              早川崇

              渡辺美智雄

              小沢辰男

              橋本龍太郎

              野呂恭一

              斎藤邦吉

              園田直

              村山達雄

              森下元晴

              林義郎

              渡部恒三

              増岡博之

              今井勇

              斎藤十朗

              藤本孝雄

              小泉純一郎

              戸井田三郎

              津島雄二

              下条進一郎

              山下徳夫

              丹羽雄哉

              大内啓伍

              井出正一

              森井忠良

              菅直人

              小泉純一郎

              宮下創平

              丹羽雄哉

              津島雄二

              坂口力

              米窪満亮

              加藤勘十

              増田甲子七

              鈴木正文

              保利茂

              吉武恵市

              戸塚九一郎

              小坂善太郎

              千葉三郎

              西田隆男

              倉石忠雄

              松浦周太郎

              石田博英

              倉石忠雄

              松野頼三

              石田博英

              福永健司

              大橋武夫

              石田博英

              小平久雄

              山手満男

              早川崇

              小川平二

              原健三郎

              野原正勝

              原健三郎

              塚原俊郎

              田村元

              加藤常太郎

              長谷川峻

              大久保武雄

              長谷川峻

              浦野幸男

              石田博英

              藤井勝志

              栗原祐幸

              藤波孝生

              藤尾正行

              初村滝一郎

              大野明

              坂本三十次

              山口敏夫

              林迶

              平井卓志

              中村太郎

              丹羽兵助

              堀内光雄

              福島譲二

              塚原俊平

              小里貞利

              近藤鉄雄

              村上正邦

              坂口力

              鳩山邦夫

              浜本万三

              青木薪次

              永井孝信

              岡野裕

              伊吹文明

              甘利明

              牧野隆守

              吉川芳男

              坂口力

              坂口力

              尾辻秀久

              川崎二郎

              柳澤伯夫

              舛添要一

              長妻昭

              細川律夫

              小宮山洋子

              三井辨雄

              田村憲久

              塩崎恭久

              加藤勝信

              根本匠

              加藤勝信

              田村憲久

              後藤茂之

              加藤勝信

              武見敬三

              福岡資麿

              2001年の省庁再編により厚生大臣と労働大臣は統合された。

              小沢佐重喜

              田村文吉

              佐藤栄作

              高瀬荘太郎

              塚田十一郎

              武知勇記

              松田竹千代

              村上勇

              石橋湛山

              平井太郎

              田中角栄

              寺尾豊

              植竹春彦

              鈴木善幸

              小金義照

              迫水久常

              手島栄

              小沢久太郎

              古池信三

              徳安実蔵

              郡祐一

              新谷寅三郎

              小林武治

              河本敏夫

              井出一太郎

              広瀬正雄

              三池信

              久野忠治

              原田憲

              鹿島俊雄

              村上勇

              福田篤泰

              小宮山重四郎

              服部安司

              白浜仁吉

              大西正男

              山内一郎

              箕輪登

              檜垣徳太郎

              奥田敬和

              左藤恵

              佐藤文生

              唐沢俊二郎

              中山正暉

              片岡清一

              村岡兼造

              大石千八

              深谷隆司

              関谷勝嗣

              渡辺秀央

              小泉純一郎

              宮澤喜一

              神崎武法

              日笠勝之

              大出俊

              井上一成

              日野市朗

              堀之内久男

              自見庄三郎

              野田聖子

              八代英太

              平林鴻三

              片山虎之助

              竹田儀一

              野溝勝

              岩本信行

              木村小左衛門

              木村小左衛門

              本多市郎

              岡野清豪

              岡野清豪

              本多市郎

              塚田十一郎

              西田隆男

              川島正次郎

              太田正孝

              田中伊三次

              郡祐一

              青木正

              愛知揆一

              青木正

              石原幹市郎

              石原幹市郎

              山崎巌

              周東英雄

              安井謙

              篠田弘作

              早川崇

              赤沢正道

              吉武恵市

              永山忠則

              塩見俊二

              藤枝泉介

              赤沢正道

              野田武夫

              秋田大助

              渡海元三郎

              福田一

              江﨑真澄

              町村金五

              福田一

              天野公義

              小川平二

              加藤武徳

              渋谷直蔵

              後藤田正晴

              石破二朗

              安孫子藤吉

              世耕政隆

              山本幸雄

              田川誠一

              古屋亨

              小沢一郎

              葉梨信行

              梶山静六

              坂野重信

              渡部恒三

              奥田敬和

              吹田愰

              塩川正十郎

              村田敬次郎

              佐藤観樹

              石井一

              野中広務

              深谷隆司

              倉田寛之

              白川勝彦

              上杉光弘

              西田司

              野田毅

              保利耕輔

              西田司

              片山虎之助

              後藤田正晴

              江﨑真澄

              玉置和郎

              山下徳夫

              高鳥修

              金丸三郎

              池田行彦

              水野清

              塩崎潤

              佐々木満

              岩崎純三

              鹿野道彦

              石田幸四郎

              山口鶴男

              江藤隆美

              中山正暉

              中西績介

              武藤嘉文

              佐藤孝行

              小里貞利

              太田誠一

              続訓弘

              片山虎之助

              片山虎之助

              麻生太郎

              竹中平蔵

              菅義偉

              増田寛也

              鳩山邦夫

              佐藤勉

              原口一博

              片山善博

              川端達夫

              樽床伸二

              新藤義孝

              高市早苗

              野田聖子

              石田真敏

              高市早苗

              武田良太

              金子恭之

              寺田稔

              松本剛明

              鈴木淳司

              松本剛明

              村上誠一郎

              小笠原長行

              山口直毅

              仁和寺宮嘉彰親王

              山階宮晃親王

              三条実美

              伊達宗城

              東久世通禧

              澤宣嘉

              山階宮晃親王

              伊達宗城

              澤宣嘉

              澤宣嘉

              岩倉具視

              副島種臣

              (副島種臣(外務事務総裁))

              寺島宗則

              井上馨

              井上馨

              伊藤博文

              大隈重信

              青木周藏

              榎本武揚

              陸奥宗光

              西園寺公望

              大隈重信

              西徳二郎

              大隈重信

              青木周蔵

              加藤高明

              曾禰荒助

              小村壽太郎

              林董

              寺内正毅

              小村壽太郎

              内田康哉

              桂太郎

              牧野伸顯

              石井菊次郎

              本野一郎

              後藤新平

              山本權兵衞

              伊集院彦吉

              松井慶四郎

              幣原喜重郎

              田中義一

              幣原喜重郎

              犬養毅

              芳澤謙吉

              齋藤實

              廣田弘毅

              有田八郎

              林銑十郎

              佐藤尚武

              宇垣一成

              近衛文麿

              有田八郎

              阿部信行

              野村吉三郎

              松岡洋右

              豊田貞次郎

              東郷茂徳

              東條英機

              谷正之

              重光葵

              鈴木貫太郎

              吉田茂

              芦田均

              岡崎勝男

              岸信介

              藤山愛一郎

              小坂善太郎

              大平正芳

              椎名悦三郎

              三木武夫

              愛知揆一

              福田赳夫

              木村俊夫

              宮澤喜一

              鳩山威一郎

              園田直

              大来佐武郎

              伊東正義

              櫻内義雄

              安倍晋太郎

              倉成正

              宇野宗佑

              三塚博

              中山太郎

              渡辺美智雄

              武藤嘉文

              羽田孜

              柿澤弘治

              河野洋平

              池田行彦

              小渕恵三

              高村正彦

              田中眞紀子

              小泉純一郎

              川口順子

              町村信孝

              麻生太郎

              高村正彦

              中曽根弘文

              岡田克也

              前原誠司

              松本剛明

              玄葉光一郎

              岸田文雄

              河野太郎

              茂木敏充

              林芳正

              上川陽子

              岩屋毅

              高橋是清

              岡崎邦輔

              早速整爾

              町田忠治

              山本悌二郎

              町田忠治

              山本悌二郎

              後藤文夫

              山崎達之輔

              島田俊雄

              山崎達之輔

              有馬頼寧

              櫻内幸雄

              伍堂卓雄

              酒井忠正

              島田俊雄

              近衛文麿

              石黒忠篤

              井野碩哉

              山崎達之輔

              千石興太郎

              松村謙三

              副島千八

              和田博雄

              吉田茂

              木村小左衛門

              平野力三

              波多野鼎

              永江一夫

              周東英雄

              森幸太郎

              広川弘禅

              根本龍太郎

              広川弘禅

              小笠原三九郎

              広川弘禅

              田子一民

              内田信也

              保利茂

              河野一郎

              井出一太郎

              赤城宗徳

              三浦一雄

              福田赳夫

              南条徳男

              周東英雄

              河野一郎

              重政誠之

              赤城宗徳

              坂田英一

              松野頼三

              倉石忠雄

              西村直己

              長谷川四郎

              倉石忠雄

              赤城宗徳

              足立篤郎

              櫻内義雄

              倉石忠雄

              安倍晋太郎

              大石武一

              鈴木善幸

              中川一郎

              中川一郎

              渡辺美智雄

              武藤嘉文

              亀岡高夫

              田沢吉郎

              金子岩三

              山村新治郎

              佐藤守良

              羽田孜

              加藤六月

              佐藤隆

              羽田孜

              堀之内久男

              鹿野道彦

              山本富雄

              近藤元次

              田名部匡省

              宮澤喜一

              畑英次郎

              加藤六月

              大河原太一郎

              野呂田芳成

              大原一三

              藤本孝雄

              越智伊平

              島村宜伸

              中川昭一

              玉澤徳一郎

              谷洋一

              谷津義男

              武部勤

              大島理森

              亀井善之

              島村宜伸

              小泉純一郎

              岩永峯一

              中川昭一

              松岡利勝

              赤城徳彦

              若林正俊

              遠藤武彦

              若林正俊

              太田誠一

              石破茂

              赤松広隆

              山田正彦

              鹿野道彦

              郡司彰

              林芳正

              西川公也

              林芳正

              森山裕

              山本有二

              齋藤健

              吉川貴盛

              江藤拓

              野上浩太郎

              金子原二郎

              野村哲郎

              宮下一郎

              坂本哲志

              小里泰弘

              江藤拓

              鳩山一郎

              石橋湛山

              岸信介

              池田勇人

              佐藤栄作

              田中角栄

              三木武夫

              福田赳夫

              大平正芳

              鈴木善幸

              中曽根康弘

              竹下登

              宇野宗佑

              海部俊樹

              宮澤喜一

              河野洋平

              橋本龍太郎

              小渕恵三

              森喜朗

              小泉純一郎

              安倍晋三

              福田康夫

              麻生太郎

              谷垣禎一

              菅義偉

              岸田文雄

              石破茂

              福田赳夫1979-1986

              安倍晋太郎1986-1991

              三塚博1991-1994

              三塚博1994-1998

              森喜朗1998-2000

              小泉純一郎2000-2001

              森喜朗2001-2006

              町村信孝2006-2014

              細田博之2014-2021

              安倍晋三2021-2022

              土井直作

              笹口晃

              白井佐吉

              小暮藤三郎

              今野武雄

              白井佐吉

              永井要造

              土井直作

              土井直作

              山本正一

              小泉純也

              志村茂治

              山本正一

              小泉純也

              志村茂治

              土井直作

              小泉純也

              志村茂治

              野田武夫

              山本正一

              土井直作

              中嶋英夫

              小泉純也

              山本正一↓

              野田武夫↑

              中嶋英夫

              小泉純也

              田川誠一

              野田武夫

              中嶋英夫

              田川誠一

              秋山徳雄

              小泉純也

              田川誠一

              曽祢益

              小泉純也

              中嶋英夫

              松尾正吉

              中嶋英夫

              曽祢益

              田川誠一

              田川誠一

              岩垂寿喜男

              中路雅弘

              小泉純一郎

              田川誠一

              曽祢益

              市川雄一

              小泉純一郎

              岩垂寿喜男

              市川雄一

              田川誠一

              小泉純一郎

              中路雅弘

              岩垂寿喜男

              田川誠一

              小泉純一郎

              岩垂寿喜男

              市川雄一

              中路雅弘

              田川誠一

              市川雄一

              小泉純一郎

              岩垂寿喜男

              小川泰

              小泉純一郎

              市川雄一

              田川誠一

              岩垂寿喜男

              中路雅弘

              小泉純一郎

              田川誠一

              岩垂寿喜男

              市川雄一

              原田義昭

              永井英慈

              小泉純一郎

              市川雄一

              松沢成文

              岩垂寿喜男

              松本純

              佐藤謙一郎

              松本純

              中林美恵子

              松本純

              篠原豪

              菅義偉

              西川知雄

              小此木八郎

              岡本英子

              小此木八郎

              中西健治

              飯島忠義

              大石尚子

              林潤

              長島一由

              浅尾慶一郎

              早稲田夕季

              田中慶秋

              坂井学

              田中慶秋

              坂井学

              池田元久

              上田勇

              池田元久

              上田勇

              青柳陽一郎

              古川直季

              青柳陽一郎

              鈴木恒夫

              首藤信彦

              鈴木恒夫

              首藤信彦

              鈴木馨祐

              中谷一馬

              中田宏

              江田憲司

              岩國哲人

              江田憲司

              松沢成文

              笠浩史

              山内康一

              笠浩史

              永井英慈

              田中和徳

              城島光力

              田中和徳

              小泉純一郎

              小泉進次郎

              桜井郁三

              江﨑洋一郎

              中塚一宏

              桜井郁三

              中塚一宏

              星野剛士

              阿部知子

              冨沢篤紘

              甘利明

              橘秀徳

              甘利明

              太栄志

              藤井裕久

              赤間二郎

              本村賢太郎

              赤間二郎

              河野太郎

              亀井善之

              亀井善太郎

              後藤祐一

              義家弘介

              後藤祐一

              義家弘介

              後藤祐一

              河野洋平

              神山洋介

              牧島かれん

              (2002年新設)

              樋高剛

              山際大志郎

              樋高剛

              山際大志郎

              宗野創

              (2022年新設)

              草間剛

              (2022年新設)

              大塚小百合

              日ソ国交回復と国連加盟

              保守合同

              初の総裁公選による選出

              満洲人脈

              警察官職務執行法改正案

              新安保

              国民皆保険

              所得倍増計画

              農業基本法公布

              OECD加盟

              1964年東京オリンピック

              岸派分裂

              財界四天王

              日韓基本条約

              非核三原則(日米核持ち込み問題)

              公害国会

              日本万国博覧会

              沖縄返還(西山事件

              佐藤派五奉行

              黒い霧事件

              日通事件

              日中国交正常化

              日本列島改造論

              第1次オイルショック

              第一次角福戦争

              青嵐会結成

              椎名裁定

              ロッキード事件

              三木おろし

              日中平和友好条約調印

              福田ドクトリン

              大福密約

              第二次角福戦争

              田園都市構想

              総合安全保障構想

              第2次オイルショック

              ダグラス・グラマン事件

              四十日抗争

              第三次角福戦争

              ハプニング解散

              「和の政治」

              増税なき財政再建

              新保守主義

              「戦後政治の総決算」(国鉄分割民営化ほか)

              二階堂擁立構想

              死んだふり解散

              創政会結成と田中派分裂

              皇民党事件

              ニューリーダー(安竹宮)と中曽根裁定

              消費税導入

              昭和天皇崩御

              竹下派七奉行

              ネオ・ニューリーダー

              リクルート事件

              参院選惨敗

              バブル景気

              自衛隊初の海外派遣

              YKK

              一龍戦争

              一六戦争

              安倍派四天王分裂と三六戦争

              海部おろし

              バブル崩壊

              東京佐川急便事件

              ゼネコン汚職

              KK戦争

              経世会(金竹小)分裂

              嘘つき解散

              小選挙区比例代表並立制

              自社さ連立政権

              阪神・淡路大震災

              失われた10年

              六大改革と中央省庁再編の決定

              保保連合構想

              金融国会

              ITバブル

              ブッチホン

              五人組

              KSD事件

              加藤の乱

              神の国解散

              自公連立政権

              聖域なき構造改革

              金融再生プログラム

              郵政民営化

              年金未納問題(政治家の年金未納)

              小泉劇場(小泉旋風)と抵抗勢力

              日歯連事件(日歯連闇献金事件

              中二階と麻垣康三

              美しい国

              憲法改正論議(国民投票法)

              防衛省昇格

              教育基本法改正

              価値観外交(自由と繁栄の弧)

              再チャレンジ

              年金記録問題

              フールファイブ

              大宏池会構想

              参院選惨敗、第一党より転落

              麻生包囲網

              中宏池会

              大連立構想

              世界金融危機(リーマン・ショック)

              麻生おろし

              自民大敗、民主大勝

              参院選勝利、改選第一党へ復帰

              東日本大震災

              三党合意(社会保障と税の一体改革)

              結党以来初の総裁再登板

              近いうち解散

              3年ぶりの政権奪還、自公で2/3確保

              アベノミクス

              参院選圧勝、ねじれ解消

              2020年夏季五輪開催地が東京に決定

              国家安全保障会議創設

              特定秘密保護法制定

              防衛装備移転三原則

              地方創生

              一億総活躍社会

              集団的自衛権の行使容認(平和安全法制)

              森友学園問題及び加計学園問題

              組織犯罪処罰法改正によるテロ等準備罪新設

              都民ファーストの会と三大政党制

              憲法改正論議

              憲政史上初の皇位継承と令和改元

              河井夫妻選挙違反事件

              桜を見る会問題

              新型コロナウイルス感染症の流行

              岸破義信

              安倍政権の継承

              東北新社役職員による総務省幹部接待問題

              2020年東京オリンピック・パラリンピック

              デジタル庁設置

              未来選択選挙

              新しい資本主義

              ロシアによるウクライナ侵攻への対応

              安倍晋三銃撃事件

              参院選で改選過半数を獲得

              安倍晋三元首相の国葬

              旧統一教会問題

              政治資金パーティー収入の裏金問題

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              衆院選での与党大敗

              石破おろし

              30年ぶりの少数与党

              国民民主党との政策協議開始

              宏池会(宏池会系)

              宏池会(池田派 → 前尾派 → 大平派 → 鈴木派 → 宮澤派) → 木曜研究会(加藤派 → 小里派 → 谷垣派 → 古賀派に合流×) 、※新財政研究会(堀内派 → 丹羽・古賀派) → 宏池政策研究会(古賀派 → 岸田派 → ×)、※大勇会(河野派) → 為公会(麻生派) → 志公会(麻生派)、※有隣会(谷垣グループ → ×)

              平成研究会(木曜研究会系)

              木曜研究会(佐藤派) → 周山会(佐藤派) → 周山クラブ(保利グループ → 福田派に合流×)、※七日会(田中派) → 政治同友会(田中派) → 木曜クラブ(田中派 → 二階堂派 → ×)、※経世会(竹下(登)派 → 小渕派) → 平成政治研究会(小渕派) → 平成研究会(小渕派 → 橋本派 → 津島派 → 額賀派 → 竹下(亘)派 → 茂木派)、※改革フォーラム21(羽田・小沢派 → 新生党に合流×)

              水曜会

              水曜会(緒方派 → 石井派 → ×)

              白政会

              白政会(大野派) → 睦政会(大野派) → 一新会(船田派 → ×)、※一陽会(村上派) → 巽会(水田派 → ×)

              清和政策研究会(十日会系)

              十日会(岸派 → ×)、※党風刷新懇話会 → 党風刷新連盟 → 紀尾井会(福田派) → 八日会(福田派) → 清和会(福田派 → 安倍(晋太郎)派 → 三塚派) → 21世紀を考える会・新政策研究会(三塚派 → 森派) → 清和政策研究会(森派 → 町村派 → 細田派 → 安倍(晋三)派 → ×)、※政眞会(加藤派 → 新生党に合流×)、※愛正会(藤山派 → 水田派に合流×)、※(南条・平井派 → 福田派に合流×)、※交友クラブ(川島派 → 椎名派 → ×)、※(亀井グループ → 村上・亀井派に合流×)

              志帥会、近未来政治研究会(春秋会系)

              春秋会(河野派 → 森派 → 園田派 → 福田派に合流×)、※新政同志会(中曽根派) → 政策科学研究所(中曽根派 → 渡辺派 → 旧渡辺派 → 村上派 → 村上・亀井派に合流×) → 志帥会(村上・亀井派 → 江藤・亀井派 → 亀井派 → 伊吹派 → 二階派)、※近未来政治研究会(山崎派 → 石原派 → 森山派 → ×)、※さいこう日本(甘利グループ)、※国益と国民の生活を守る会(平沼グループ → 日本のこころに合流×)

              番町政策研究所(政策研究会系)

              政策研究会(松村・三木派) → 政策同志会(松村・三木派) → 政策懇談会(松村・三木派 → ) → 政策懇談会(三木派) → 新政策研究会(河本派) → 番町政策研究所(河本派 → 高村派 → 大島派 → 山東派 → 麻生派に合流×)、※(松村派 → ×)、※(早川派 → 福田派に合流×)

              二日会

              火曜会(石橋派)、二日会(石田派 → 三木派に合流×)

              青嵐会、自由革新同友会(中川グループ → 石原グループ → 福田派に合流×)

              新しい波(二階グループ → 伊吹派に合流×)

              83会、新しい風(武部グループ → ×)、伝統と創造の会(稲田グループ)、保守団結の会

              さわらび会(石破グループ) → 水月会(石破派 → 石破グループ)

              無派閥連絡会、無派閥有志の会、のぞみ(山本グループ)、きさらぎ会(鳩山グループ → 菅グループ)、 ガネーシャの会

              自由民主党総裁選挙

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              (護国同志会 → )日本協同党 → 協同民主党 → 国民協同党 → 民主党と合同し国民民主党を結党

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              …じゃあ〜りませんか チャーリー浜

              「うれしいような、かなしいような」「はだかのおつきあい」 きんさんぎんさん

              Jリーグ 川淵三郎(Jリーグチェアマン)

              すったもんだがありました 宮沢りえ / イチロー(効果) イチロー(オリックス・ブルーウェーブ) / 同情するならカネをくれ 安達祐実

              無党派 青島幸男(東京都知事) / NOMO 野茂英雄(ロサンゼルス・ドジャース) / がんばろうKOBE 仰木彬(オリックス・ブルーウェーブ監督)

              自分で自分をほめたい 有森裕子(マラソン選手) / 友愛 / 排除の論理 鳩山由紀夫(民主党代表) / メークドラマ 長嶋茂雄(読売ジャイアンツ監督)

              失楽園(する) 渡辺淳一、黒木瞳

              ハマの大魔神 佐々木主浩(横浜ベイスターズ) / だっちゅーの パイレーツ(お笑い芸人)

              ブッチホン 小渕恵三(内閣総理大臣) / リベンジ 松坂大輔(西武ライオンズ) / 雑草魂 上原浩治(読売ジャイアンツ)

              おっはー 慎吾ママ / IT革命 木下斉(商店街ネットワーク社長・早稲田大学高等学院三年)

              「小泉語録」(米百俵・聖域なき構造改革・恐れず怯まず捉われず・骨太の方針・ワイドショー内閣・改革の「痛み」) 小泉純一郎(内閣総理大臣)

              タマちゃん 佐々木裕司(川崎市民)、黒住祐子(フジテレビ・レポーター) / W杯(中津江村) 坂本休(中津江村・村長)

              毒まんじゅう 野中広務(元衆議院議員) / なんでだろ〜 テツandトモ(お笑いグループ) / マニフェスト 北川正恭(早稲田大学教授)

              チョー気持ちいい 北島康介(競泳選手)

              小泉劇場 武部勤(自由民主党幹事長)ほか / 想定内(外) 堀江貴文(ライブドア社長)

              イナバウアー 荒川静香(プロスケーター) / 品格 藤原正彦(数学者)

              (宮崎を)どげんかせんといかん 東国原英夫(宮崎県知事) / ハニカミ王子 石川遼(アマチュアゴルフ選手)

              グ〜! エド・はるみ / アラフォー 天海祐希

              政権交代 鳩山由紀夫(内閣総理大臣)

              ゲゲゲの -  武良布枝(『ゲゲゲの女房』作者)

              綜合原爆展

              原爆の子〜広島の少年少女のうったえ

              杉並アピール

              原爆裁判

              エンタープライズ入港反対運動

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              非核三原則

              非核神戸方式

              非核平和都市宣言

              10フィート運動

              原爆の絵運動

              脱原発法制定運動

              原発訴訟

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              日本被団協

              東友会

              日本平和委員会

              原子力資料情報室

              原発問題住民運動全国連絡センター

              首都圏反原発連合

              たんぽぽ舎

              ノーニュークス・アジア・フォーラム

              原爆の図丸木美術館

              長田新

              安井郁

              森滝市郎

              伊東壮

              草野信男

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              1942年生

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小泉 かな(こいずみ かな)
1994年6月15日生まれの有名人 東京出身

小泉 かな(こいずみ かな、1994年6月15日 - )は日本のタレント、グラビアアイドル。東京都出身。 「第2回サンスポGoGoクイーン オーディション」入賞。 雑誌『週刊ポスト』にて日本を代表…

小泉 麻耶(こいずみ まや)
1988年7月2日生まれの有名人 東京出身

テレビドラマ『俺の空 刑事編』 映画『女神戦隊ヴィーナスファイブ』『特命女子アナ 並野容子』『Re:Play-Girls リプレイガールズ』『暗闇から手をのばせ』 小泉 麻耶(こいずみ まや、19…

小泉 留菜(こいずみ るな)
1998年2月27日生まれの有名人 埼玉出身

小泉 留菜(こいずみ るな1998年2月27日 - )は、日本のアイドルであり、女性アイドルユニットナナランドの元メンバーである。埼玉県出身。前身ユニットの『drop』での属性は毒、担当カラーは紫、愛…

小泉 陽一(こいずみ よういち)
1965年8月13日生まれの有名人 神奈川出身

小泉 陽一(こいずみ よういち、1965年(昭和40年)8月13日 - )はフジテレビアナウンサー、報道記者、解説委員。 神奈川県平塚市出身。神奈川県立二宮高等学校、コロンビア大学留学を経て、慶應義…

小泉 堯史(こいずみ たかし)
1944年11月6日生まれの有名人 茨城出身

小泉 堯史(こいずみ たかし、1944年11月6日 - )は、日本の映画監督。茨城県水戸市出身。 茨城県立水戸第一高等学校、東京写真短期大学(現在の東京工芸大学)写真技術科、早稲田大学卒業。早大卒業…


小泉 まき(本名・旧芸名:小泉 真希)
1981年11月18日生まれの有名人 東京出身

2002年:文学座附属演劇研修所に入所 2005年:新国立劇場研修所に入所 小泉 まき(本名・旧芸名:小泉 真希、1981年11月18日 - )は、東京都出身の女優。東京俳優生活協同組合及び中野成樹…

小泉 知也(こいずみ ともや)
8月28日生まれの有名人 出身

小泉 知也(こいずみ ともや、8月28日 - )は、日本の男性声優。 北海道旭川市出身。身長 183cm。以前は、ケッケコーポレーションに所属していた。 2005年 ロックマンエグゼBEAST(…

あっぱれコイズミ(あっぱれこいずみ)
1979年7月13日生まれの有名人 神奈川出身

あっぱれコイズミ(1979年7月13日(45歳) - )は、日本のお笑い芸人。本名は、小泉 信。旧芸名は、アッハー小泉。神奈川県川崎市出身。吉本興業東京本社(東京吉本)所属。東京NSC4期生。武相高等…

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