小澤征爾の情報(おざわせいじ) 指揮者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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小澤征爾と関係のある人
子安文: 4歳のとき、小澤征爾の指揮による『第九』に衝撃を受け、5歳で久保田良作、堀米ゆず子の下でヴァイオリンを学ぶ。 江戸京子: “私の履歴書 小澤征爾(19)トロント響 曲目や人事…多くを学ぶ 父を招待、頼み事に面食らう”. レナード=バーンスタイン: マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾、大植英次、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出したことでも知られる。 出井伸之: 成城学園中学時代には音楽部に属し、小澤征爾らとカルテットを組んでいた。 原田禎夫: 1999年に30年間在籍した東京クヮルテットを離れ、ソリストとしては準・メルクルの指揮でNHK交響楽団、小澤征爾の指揮で新日本フィルハーモニー交響楽団などと共演。 井口基成: 一期生には小澤征爾(指揮者)、中村紘子(ピアニスト)、堤剛(チェリスト)らがいる。 小沢幹雄: 『ピアノの巨人 豊増昇 「ベルリン・フィルとの初協演」「バッハ全曲連続演奏」』小澤征爾共編著、小澤昔ばなし研究所、2015年 金聖響: またタングルウッド音楽祭に奨学聴講生として参加し、小澤征爾らに師事する。 江戸京子: 1962年(昭和37年)、井上靖夫妻の媒酌で、桐朋女子高校で同期だった小澤征爾と結婚したが、1966年に離婚。 中丸三千繪: 1986年、小澤征爾指揮、「エレクトラ」で日本デビュー。 佐藤研一郎: 小澤征爾音楽塾の立ち上げにも全面的な援助を行った。 萩元晴彦: 小澤征爾、広中平祐、プロデュース萩元晴彦『やわらかな心をもつ〜小澤征爾・広中平祐』新潮文庫、1984年10月。 小澤征悦: わたしが子どもだったころスペシャル 「指揮者 小澤征爾」再現ドラマ(2009年6月3日、NHK-BShi) - 小澤開作 役 下野竜也: その後、2008年2月の定期演奏会でNHK交響楽団を、同8月のサイトウ・キネン・フェスティバル松本でサイトウ・キネン・オーケストラを指揮するなど(2010年9月の同フェスティバル、12月のニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートでも小澤征爾の代役として一部演目で同オーケストラを指揮)、現在では国内の主なオーケストラを多く指揮している。 武満徹: 大阪御堂会館で行われた「リング」の初演で指揮を務めた小澤征爾とは、以後生涯にわたって親しく付き合うことになる。 釜洞祐子: オペラにとどまらず、コンサートでのオーケストラとの共演も非常に数多く、これまでに新日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、群馬交響楽団、NHK交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、山形交響楽団等のオーケストラとの演奏会で、サロネン、スウィトナー、デュトワ、秋山和慶、若杉弘、ブロムシュテット、小澤征爾、鈴木雅明、大友直人、ゲルハルト・ボッセ、現田茂夫、広上淳一、工藤俊幸らと、モーツァルト『レクイエム』、ロッシーニ『小荘厳ミサ』、ベートーヴェン『第九』『ミサ・ソレニムス』、メンデルスゾーン『エリヤ』、ヘンデル『メサイア』、ウェッバー『レクイエム』、ハイドン『天地創造』『四季』、ブラームス『ドイツ・レクイエム』、シューマン:オラトリオ『楽園とペーリ』、三枝成彰『レクイエム』などのソリストを務めた経験を有している。 イェルク=デームス: カラヤンや小澤征爾などの指揮の下で演奏することを好んだが、ソロとしてもバッハ、モーツァルト、シューマンなどドイツ人作曲家の音楽を弾いて活躍した。 小室哲哉: この頃になると「売れなくてもいい」「売れるに越したことはないけど、この時代にどれだけ人の心に届くかを重視している」「小澤征爾さんの作品の大ヒットを見て、メガヒットに頼らないセレクトショップのような音楽を目指したいと思った」 と心境の変化を語った。 柳澤寿男: 1996年2月26日、ウィーン旅行中にウィーンフィルハーモニー管弦楽団でR.シュトラウス「アルプス交響曲」を指揮する小澤征爾氏に強く感動し指揮者を志す。 佐渡裕: 近年で日本人としては恩師の小澤征爾以来のこと 渡辺俊幸: 留学先で話題になっていた日本人指揮者の小澤征爾の演奏を聴いて衝撃を受け、フルオーケストラの作曲を目指すようになる。 小沢幹雄: 小澤征爾の実弟であり、兄・征爾に関する仕事が多い。 木嶋真優: 指揮者小澤征爾が、小澤率いるサイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団に、木嶋を招聘した事でも注目される。 矢部達哉: ソリストとして、これまでに朝比奈隆、小澤征爾、若杉弘、フルネ、クレー、デプリースト、インバル、ベルティーニなどの指揮者と共演している。 小坂一也: 中学時代には小澤征爾や松尾勝吾(松尾雄治の叔父)などと共にラグビー部に所属。 城之内ミサ: 同楽団を指揮したのは、日本人では小澤征爾に次いで2人目、女性では世界初であった。 田中路子: 大賀典雄、小澤征爾や若杉弘を初めとして、欧州の楽壇へ広く日本人の音楽家を紹介した功績も大きい。 中丸美繪: 2015年、産経新聞社発行の「月刊モーストリー・クラシック」に8回にわたって、「小澤征爾異聞」を連載。 ツトム・ヤマシタ: 小澤征爾指揮、ニューヨーク・フィルの演奏会で武満徹作曲の打楽器協奏曲「カシオペア」のソリストなどを務める。 小沢健二: 父方の親族は、祖父に戦前の民族主義者・小澤開作、伯父に彫刻家の小澤克己、叔父に世界的な指揮者の小澤征爾、俳優の小澤幹雄、従弟に俳優の小澤征悦、従妹に作家の小澤征良らがいる。 |
小澤征爾の情報まとめ
小澤 征爾(おざわ せいじ)さんの誕生日は1935年9月1日です。旧 中国出身の指揮者のようです。
卒業、解散、家族、結婚、離婚、再婚、テレビ、事件、兄弟、母親、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2024年に亡くなられているようです。
小澤征爾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年〈昭和10年〉9月1日 - 2024年〈令和6年〉2月6日)は、日本の男性指揮者。1973年からボストン交響楽団の音楽監督を29年間務め、2002年 - 2003年のシーズンから2009年 - 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた。 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督、小澤征爾音楽塾塾長・音楽監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者など。 満洲国奉天省奉天市(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)で生まれる。父小澤開作は歯科医師、満洲国協和会創設者の一人で、同志で満洲事変の中心人物であった板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ貰って第三子を「征爾」と命名した。1941年3月に父を満洲に残したまま母や兄と日本へ戻り、東京府立川市の若草幼稚園に入園する。1942年4月に立川国民学校へ入学する。1945年に長兄でのち彫刻家になる小澤克己からアコーディオンとピアノの手ほどきを受ける。才能を感じた一家は、征爾に本格的にピアノを学ばせようと決意し、横浜市白楽の親類から安価で譲られたピアノをリアカーに縛りつけ、父と長兄の克己と次兄の俊夫が3日かけて立川市の自宅まで運搬した。 1947年に父が友人とミシン会社を始め、神奈川県足柄上郡金田村へ転居する。1948年4月に成城学園中学校へ入学し、小田急小田原線で新松田から成城学園前まで片道2時間かけて通学した。中学ではラグビー部に所属して3番プロップで活動しつつ、豊増昇からピアノを習う。当時はピアニスト志望だったが、ラグビーの雨の試合でスクラム時に右手人差し指を骨折してピアノを断念する。1950年秋に東京都世田谷区代田へ転居し、以後1951年から1952年は東京都世田谷区経堂、1952年から1955年は東京都渋谷区笹塚、1955年から1959年は神奈川県川崎市幸区戸手町、それぞれで育つ。 1951年に成城学園高校へ進学して齋藤秀雄の指揮教室に入門し、齋藤の肝煎りで設立された桐朋女子高校音楽科へ第1期生として1952年に入学する。同門に秋山和慶、山本直純、羽仁協子、久山恵子がいる。癇癪持ちの齋藤から指揮棒で叩かれたり楽譜を投げつけられたりするなど体罰を日常的に受け、ストレスのあまり小澤は自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我をした。1955年に齋藤が教授を務める桐朋学園短期大学音楽学部へ進学して1957年夏に卒業する。夏期の卒業は、肺炎を患い卒業試験を受験できず、のちに追試を受けて卒業が認められた事からであるが、療養期間中は仲間がどんどん仕事をしたりマスメディアに出演したりするのを見て焦りと嫉妬に苦しんだ。このとき父から「嫉妬は人間の一番の敵だ」と言われて嫉妬心を殺す努力をしたことが後になって大変役立った、と語る。 短大卒業後、1957年頃から齋藤の紹介で群馬交響楽団で指揮棒を振り始めて北海道演奏旅行で指揮者を担当する。1957年12月に日本フィルハーモニー交響楽団第5回定期演奏会のラヴェル『子供と魔法』で、渡邉暁雄の下で副指揮者を務める。1958年に「フランス政府給費留学生」の試験を受けたが不合格となるも、成城学園時代の同級生の父である水野成夫らの援助で渡欧資金を調達する。 1959年2月1日から、スクーター、ギターとともに貨物船で単身フランスへ渡る。このとき、アシスタントの小澤を失うことを恐れた齋藤から渡欧に猛反対を受けたが、桐朋の父兄会や水野成夫らから支援を得て、約45万円相当の1200ドルを餞別として受けた。パリ滞在中の1959年に、第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。ヨーロッパのオーケストラに多数客演。カラヤン指揮者コンクール第1位。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。1960年、アメリカ・ボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現:タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー賞を受賞。指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年ニューヨーク・フィルの来日公演に同行。カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。 1961年にNHK交響楽団(N響)の指揮者に招かれ指揮活動を開始するが、感情的な軋轢のためN響からボイコットを受ける。小澤はたった一人で指揮台に立つという苦い経験をさせられ、指揮者を辞任する。このため日本では音楽活動をしないと決めて渡米した。32年後の1995年1月にNHK交響楽団と共演した。 1964年、シカゴ交響楽団(当時の指揮者はジャン・マルティノン)によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。急遽、ニューヨークにいた小澤が開催数日前に招聘され音楽監督として音楽祭を成功に収め、小澤の名声は全米に知れ渡る。シカゴ交響楽団とはRCAレーベル、EMIレーベルに複数の録音を残した。日本人指揮者が海外の一流オーケストラを指揮して海外の一流レコード会社からクラシック音楽録音を海外市場向けに複数発売したことは画期的な出来事であった。 1964年からはトロント交響楽団の指揮者に就任し1968年まで務める。1966年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初指揮。 この時期は作曲家の武満徹と親交を大きく持ち、深い友情関係を築いた。武満の死後も武満作品を演奏する機会が多かった。 1970年にはタングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任し1976年まで務めた。 1972年には、フジサンケイグループによる突然の日本フィルハーモニー交響楽団の解散後、楽員による自主運営のオーケストラとして新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。小澤は指揮者として中心的な役割を果たし、1991年に名誉芸術監督に就任、1999年9月から桂冠名誉指揮者となっている。1972年に日本芸術院賞を受賞している。 1973年、38歳のとき、前出のニューヨーク・フィルおよびシカゴ響と共にアメリカ五大オーケストラの一つに数えられるボストン交響楽団の音楽監督(第13代)に就任。当初はドイツグラモフォンとの契約でラヴェルのオーケストラ曲集、ベルリオーズのオーケストラ曲集など、ミュンシュの衣鉢を継ぐフランス音楽の録音を続けた。その後グスタフ・マーラーの交響曲全集(『大地の歌』を除く)など、フィリップスへの録音を行った。日本のクラシックファンにとっては、日本人指揮者の演奏をアメリカから逆輸入する形で聴くこととなり、また日本人指揮者の演奏が国際的に有名なレーベルから発売されるのは初めてであった。またボストンでの活動が進むにつれウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとするヨーロッパのオーケストラへの出演も多くなる。 ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことといわれる。その30年近くに及ぶ音楽監督期間中、少なくとも1978年3月、1981年秋、1986年、1989年にはボストン響を率いて来日し、日本公演を実施したほか、1979年3月には中国でも同楽団を率いての公演を行っている。 タングルウッドには、小澤征爾の功績を記念して日本の電気メーカーNEC、ソニー元社長の大賀典雄などの援助により“SEIJI OZAWA HALL”が建設された。 なお、アメリカを本拠にしての音楽活動が長かったため、アメリカ国内及び海外のマスコミでは「小澤征爾は日系アメリカ人(Japanese-American)」と記述する例もある。 1984年9月、恩師である齋藤秀雄の没後10年を偲び、小澤と秋山和慶の呼びかけにより、世界中から齋藤の門下生100名以上が集まり、齋藤秀雄メモリアルコンサートを東京と大阪にて開催。このコンサートが後のサイトウ・キネン・オーケストラ結成のきっかけとなる。1987年に第1回ヨーロッパ楽旅を行い、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリ、フランクフルトにて成功を収める。1992年からはサイトウ・キネン・オーケストラの音楽監督として活動を開始。このオーケストラでもフィリップスへの録音を多く行っており、今までにベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集などを完成させている。 1990年、吉田秀和に招かれ、水戸市に創設された水戸芸術館の専属楽団である水戸室内管弦楽団の音楽顧問・指揮者に就任。メンバーはサイトウ・キネン・オーケストラから小澤がセレクトした。 1992年にベルリン・フィルから、楽団に功績のあった人物に贈られるハンス・フォン・ビューロー メダル(英語版)を授与された。 1998年2月、長野オリンピック音楽監督を務め、世界の国歌を新日本フィルハーモニー交響楽団と録音。長野オリンピック開会式では、小澤指揮によるベートーベン第九を演奏。開会式会場と世界5大陸の都市(北京、ニューヨーク、シドニー、ベルリン、ケープタウン)を衛星中継で結び、歓喜の歌を世界同時合唱で結ぶ。同年、フランス政府からレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受賞。 1998年6月には水戸室内管弦楽団を率いて楽団初のヨーロッパツアーを行う。「ウィーン芸術週間(英語版)」「フィレンツェ五月音楽祭」「ルートヴィヒスブルク音楽祭」等から招待を受け、ハンブルク、チューリヒ、ウィーン、ルートヴィヒスブルク、フィレンツェの5都市で賞賛を得る。 1999年、小沢征爾とサイトウ・キネン・フェスティバル松本実行委員会が、第47回菊池寛賞を受賞した。 2001年3月、水戸室内管弦楽団と第2回ヨーロッパ公演。フィレンツェ、ミラノ、ウィーン、パリ、ミュンヘンの各地から招聘を受け公演を行い、評価を高めた。 2002年1月、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。このコンサートは世界同時生中継され、CDの売り上げ枚数は100万枚を超えた。2002年シーズンにウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。 2005年暮れに体調を崩し、同年12月に白内障の手術を受けた。 2006年1月半ばには、東京都内の病院で帯状疱疹、慢性上顎洞炎、角膜炎と診断され、通院しながら静養していた。2006年1月27日にアン・デア・ウィーン劇場で上演される予定であったモーツァルトの歌劇『イドメネオ』の指揮はキャンセルされた。 2006年2月1日、ウィーン国立歌劇場音楽監督としての活動を一時休止。東京のオペラの森で指揮予定であったヴェルディ『オテロ』の公演もキャンセルすると発表した。 2006年6月、スイス西部モントルー近郊ブロネ(英語版)で開催された「スイス国際音楽アカデミー(英: Seiji Ozawa International Academy Switzerland)」にて指揮活動を再開。また、7月20日には「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトVII」愛知県芸術劇場コンサートホール公演にてマーラーの交響曲第2番『復活』を指揮し、日本国内での指揮活動を再開した。2006年度のサイトウ・キネン・フェスティバル松本、2007年4月にベルリン・フィルを指揮をしている。 2007年、ウィーン国立歌劇場総監督ホーレンダー(英語版)の2010年勇退に伴い、音楽監督小澤征爾の同時退任が発表された。2010年シーズンからの総監督はドミニク・マイヤー(英語版)、音楽監督は、ウェルザー=メストの就任が発表された。 2008年、世界の音楽界に多大な影響を与えたことや、若手音楽家育成に尽力した功績が認められ、文化勲章を受章した。 2010年1月、人間ドックの検査で食道癌が見つかり治療に専念するために、同年6月までの活動を全てキャンセルすることを発表した。食道全摘出手術を受け、同年8月に復帰。同年開催のサイトウ・キネン・フェスティバル松本は一部プログラムで代役を立て総監督として出演。 2010年11月、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。 2011年1月、悪化した腰の手術を受ける。 2012年3月7日、体力回復のため、1年間の指揮活動の中止を発表。 2012年8月31日、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(村上春樹との共著、新潮社)で小林秀雄賞受賞。 2013年4月1日、前年死去した吉田秀和の後任として水戸芸術館の2代目館長に就任。 2014年8月4日 長野県松本市の音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(SKF)」が翌2015年から、小澤征爾の名を冠した「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に生まれ変わることになったことを、実行委員会が東京都内で記者会見して明らかにした。 2015年7月、ケネディ・センター名誉賞を受賞。日本人では初の受賞となる。 同年8月、セイジ・オザワ松本フェスティバル開催。腰椎棘突起および横突起骨折により、ベルリオーズ・オペラ『ベアトリスとベネディクト』を降板。長野県名誉県民栄誉賞の第1号を受賞。 2016年2月、自らが指揮する歌劇『こどもと魔法』(ラヴェル作曲)を収めるアルバムが第58回グラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞した。 2016年3月、成城大学初となる名誉博士号を贈呈された。記念式典ではサイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団メンバー、成城学園にゆかりのアーティスト達が集結し、『S.オザワ祝典アンサンブル』を結成した。 2016年4月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。 2016年10月、名誉都民に顕彰される。2016 GQ Men of the Yearを受賞。 2018年12月5日、サントリーホールで行われたドイツ・グラモフォン創立120周年 スペシャル・ガラ・コンサートにて、サン=サーンス 序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28を指揮。 (ヴァイオリン:アンネ=ゾフィー・ムター)。 2019年8月18日、セイジ・オザワ 松本フェスティバルのふれあいコンサートIのアンコールでサプライズ出演し、小澤征爾スイス国際アカデミーを中心としたメンバーによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番ヘ長調の第三楽章(弦楽合奏版)を指揮した。同フェスティバルの有料公演での指揮はこの演奏が最後となった。 2022年11月23日、キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)においてサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)を4年ぶりに指揮した。演奏ではそのとき、国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」でミッションにあたる宇宙飛行士の若田光一に向けて、ベートーヴェンの「エグモント序曲」のライブ配信が行われた。宇宙へのオーケストラ演奏のライブ配信は史上初であった。なお、直後の同月25日・26日に行われたセイジ・オザワ 松本フェスティバル(旧称: サイトウ・キネン・フェスティバル松本)30周年記念特別公演の指揮はアンドリス・ネルソンスが行った(25日公演のカーテンコールの際、車椅子に乗った小澤が登壇した)。 2023年9月2日、セイジ・オザワ 松本フェスティバルにおいて、親交のあるジョン・ウィリアムズ がゲスト指揮者として登壇した公演のカーテンコールに登場した。公の場に姿を現したのはこれが最後となった。 2024年1月23日、元妻である江戸京子が死去。 2024年2月6日、東京都内の自宅で心不全のため死去。88歳没。訃報は9日に所属事務所から報じられた。 2024年2月6日、ボストン交響楽団は小澤を追悼し と始まる長文で哀悼の意を公式サイトのトップおよび特集ページに掲載。一部抜粋「親切で思慮深い人道主義者、指揮台でのバレエのような優雅さと天才的な記憶力を兼ね備えた音楽の天才」「セイジは世界中のファンにとって、これらすべて、そしてそれ以上の存在だった。彼の遺産は、私たちの集団的、個人的な多くの思い出と、彼の忘れがたい録音を通して生き続けています。マエストロ・オザワのご家族、ご友人、そしてクラシック音楽界に深い哀悼の意を表します」と称え、偲んだ。ほかにもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、シカゴ交響楽団や国内のオーケストラなど、世界中のオーケストラから追悼の声明が寄せられ、ジョン・ウィリアムズやヨーヨー・マといった世界中の音楽家がメッセージを出した。音楽以外の分野からも、谷川俊太郎、横尾忠則、安藤忠雄、黒柳徹子、村上春樹らがコメントを出した。 訃報は国内外の多くのメディアで報じられ、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ガーディアンなどは長い追悼記事を出し、「東アジアのクラシック音楽家に対する偏見を払拭することに貢献した(ニューヨーク・タイムズ)」などと、その功績を讃えた。 1960年 クーセヴィツキー賞 1972年 日本芸術院賞 1975年 モービル音楽賞 1985年 朝日賞 1987年 国際文化デザイン大賞 1989年 山ノ内町名誉町民 1996年 松本市名誉市民 1998年 仏レジオンドヌール勲章シュヴァリエ 2000年 米国ハーバード大学名誉博士号 2001年 文化功労者 2002年 オーストリア科学芸術一等名誉十字章(ドイツ語版、英語版) 2003年
サントリー音楽賞 2004年 仏ソルボンヌ大学名誉博士号 2006年 NHK放送文化賞 2008年
仏レジオンドヌール勲章オフィシエ 仏芸術アカデミー外国人会員 イタリア・プレミオ・ガリレオ2000財団金百合賞 2011年
渡邉暁雄音楽基金特別賞 2012年 小林秀雄賞 2014年 モンブラン国際文化賞 2015年
長野県県民栄誉賞 2016年
東京都名誉都民 成城大学名誉博士号 第11回GQ Men of the Year 2019年 市川三郷町名誉町民 2022年 日本芸術院会員 2024年 山ノ内町永世名誉町民 1962年、井上靖の仲人により、三井不動産社長江戸英雄の娘でピアニストの江戸京子と結婚。京子とは桐朋女子高校の第一期生同士であり、当時から小澤は江戸家に入り浸りだったが、留学先のパリで再会し、結婚に至ったものである。ただし英雄は「娘は強い性格で個性が強烈」との理由により、この結婚に最初から反対していた。結局、二人は1966年に離婚したが、その原因について江戸京子は「ピアニストとして練習するにしても、自分が弾きたい時に弾けませんしね。主人が練習に疲れて家に帰って来て、もう音は聞きたくないという。その気持もわかりますしね。それで議論になると、結局は"オレが稼いでいるんだから、オレの意見を尊重しろ"ということで押し切られてしまう。いちばん単純な議論でやって来るんです。それなら、自分が経済力を持てば納得のいく生活が出来るんじゃないかと──」と語っている。このほか、コンクール優勝後にスターとなった小澤が銀座のバーのマダムやモデルの入江美樹(後述)と浮名を流したのも離婚の一因だったと報じられた。また、小澤は留学前に岳父の江戸英雄から約20万円(一説によると50万円)の経済的援助を受けていた。このため、京子との離婚については、桐朋学園の関係者から「デビューまでは江戸家に経済的な負担をかけておきながら、目的を達したらサヨナラ」との非難も浴びた。小澤がN響と契約したのは江戸京子との婚約中であり、若い小澤がN響の常任指揮者に抜擢された背景には、江戸英雄の政治力があったとも報じられた。江戸英雄が自民党の有力者を通じてNHKに工作を行い、前田義徳(NHK専務理事、のち会長)を通じ、小澤をN響の指揮者に雇うよう命令したとの説を、毎日新聞記者であった原田三朗は紹介している。 1968年、白系ロシア人貴族の血を二分の一引くファッションモデル兼デザイナーで一時的に女優としても活動していた入江美樹(小澤・ベラ・イリーン)と再婚。美樹の母は料理研究家の入江麻木。美樹との間に生まれた娘の小澤征良はエッセイスト。同じく、息子の小澤征悦は俳優。NHKアナウンサーの桑子真帆は征悦の妻。またミュージシャンの小沢健二は甥にあたる。兄で健二の父・小澤俊夫は「小澤昔ばなし研究所」を主宰する口承文芸学者で筑波大学名誉教授。弟の小澤幹雄は俳優でテレビ・リポーターである。 指揮者齋藤秀雄の母方の祖母である前島久(ひさ。旧姓大津)は、小澤の母方の曽祖父である大津義一郎の実妹であり、小澤は「僕は先生の弟子というより近かったわけです。親類だったからね」と発言している。 小澤征爾とNHK交響楽団(N響)が初めて顔を合わせたのは、1961年7月の杉並公会堂における放送録音であった。翌1962年には、半年間「客演指揮者」として契約。当初は6月の定期演奏会を含めた夏の間だけの契約予定だったが、秋の定期演奏会を指揮する予定だったラファエル・クーベリックが出演をキャンセルしたため、12月まで契約期間が延長された。7月4日にはオリヴィエ・メシアンのトゥーランガリラ交響曲日本初演を指揮するなど小澤とN響の関係は順調に推移しているように思われたが、10月2日の香港を皮切りとするシンガポール・マレーシア・フィリピン・沖縄への演奏旅行でN響と小澤の間に感情的な軋轢が生じ、11月の第434回定期公演の出来ばえが新聞に酷評された直後、11月16日にN響の演奏委員会が「今後小澤氏の指揮する演奏会、録音演奏には一切協力しない」と表明。小澤とNHKは折衝を重ねたが折り合わず、N響の理事は小澤を「あんにゃろう」と罵り、N響は小澤に内容証明を送りつけ、小澤も1962年12月18日、NHKを契約不履行と名誉毀損で訴える事態となった。このため、12月20日、第435回定期公演と年末恒例の「第九」公演の中止が発表された。 このトラブルの原因について、小澤が遅刻を繰り返したためという説を八田利一が述べている。原田三朗もまた、小澤が「ぼくは朝が弱い」と称して遅刻を繰り返し、しかもそのことを他人のせいにして謝罪しなかったのがN響から反感を買った一因だったと述べている。東南アジア演奏旅行における小澤はホテルのバーで朝の6時半まで飲み明かした状態で本番に臨み、マニラ公演で振り間違いを犯して演奏を混乱させ、コンサートマスターの海野義雄が小澤に敵対心を持ったため、或いは「38度の熱があった」「副指揮者が来なかったせいだ」ともいわれる。これについて、小澤は としている。「一説によると美男子で鳴るコンサートマスター(海野)が、小澤が現れてからファンレターがめっきりへったため、アタマに来てアジったということだ」との報道もあった。 後年、1984年の齋藤秀雄メモリアルコンサートを追ったアメリカのテレビドキュメンタリー(2007年9月にサイトウ・キネン・フェスティバルの企画として、NHKで放送された)で、小澤はこの事件の背景について「僕の指揮者としてのスタイルはアメリカ的で、いちいち団員に指図するやり方だった。でも日本での指揮者に対する概念はそうではない。黙って全体を把握するのが指揮者だ。この違いに加えて僕は若造だった」との趣旨の発言で振り返っている。しかし原田三朗はこの見解を否定し、 と述べている。 この事件はN響にとどまらず政財界を巻き込む社会問題に発展し、青柳正美、秋山邦晴、浅利慶太、安倍寧、有坂愛彦、一柳慧、石原慎太郎、井上靖、大江健三郎、梶山季之、曽野綾子、高橋義孝、武満徹、谷川俊太郎、團伊玖磨、中島健蔵、黛敏郎、三島由紀夫、村野藤吾、山本健吉、由起しげ子が「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し、NHKとN響に質問書を提出すると共に、芥川也寸志・武満徹・小倉朗といった若手音楽家約10名が事件の真相調査に乗り出した。小澤は活動の場を日本フィルに移し、翌1963年1月15日、日比谷公会堂における「小澤征爾の音楽を聴く会」の音楽会で指揮。三島由紀夫は『朝日新聞』翌1月16日付朝刊に「熱狂にこたえる道―小沢征爾の音楽をきいて」という一文を発表し、 と、小澤を擁護した。 結局、1月17日に黛敏郎らの斡旋により、NHK副理事の阿部真之助と小澤が会談し、これをもって一応の和解が成立した。しかし「あの時は『もう俺は日本で音楽をするのはやめよう』と思った」(先のドキュメンタリーでの発言)ほどのショックを受けた小澤が次にN響の指揮台に立つのは32年3ヶ月後、1995年1月のことであった。小澤は後年、N響とのトラブルが刺激になってよく勉強したとも述懐している。 1995年1月23日、サントリーホールにおいて小澤とN響は32年ぶりに共演を果たした。このコンサートは、日本オーケストラ連盟主催による、身体の故障で演奏活動が出来ないオーケストラ楽員のための慈善演奏会であり、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチをソリストに迎え、以下の曲目を演奏した。 J. S. バッハ:『G線上のアリア』(阪神・淡路大震災犠牲者追悼) バルトーク:管弦楽のための協奏曲 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番サラバンド(阪神・淡路大震災犠牲者追悼。ロストロポーヴィチの独奏) なお、小澤はこのコンサートを引き受けた理由として「ロストロポーヴィチから、いつまでもN響と喧嘩しているべきではないとたしなめられた」「(「小澤事件」を知る)昔の楽団員が退職したり亡くなったりしていなくなったから引き受けた」という趣旨の発言をしている。 2005年10月26日には、小澤とN響はNHK音楽祭で再び顔合わせをした。マーカス・ロバーツ(英語版)を共演者に迎え、「子供たちのためのコンサート」と銘打たれたこのコンサートの当初発表されていた曲目は、次のような1時間で収まるプログラムであった。 ベートーヴェン:交響曲第5番より ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー しかし、打ち合わせが山場を越えた段階になっても、どういう曲目にするかは第5番以外は決まっていなかったようである。最終的には「『ラプソディ・イン・ブルー』は、よりジャズ的な要素が強いが内容は難解なピアノ協奏曲ヘ調に差し替えられ、それに伴って出演者もマーカス・ロバーツ単身ではなく、トリオそろっての来日となった。またNHKが千住明に依頼していたNHK放送80周年記念の委嘱作品『日本交響詩』の初演の場を探していたこともあり、結局以下のような2時間を超えるか超えないかという、「子供向け」にしては盛り沢山なプログラムになった。 ベートーヴェン:交響曲第5番(全楽章) ガーシュウィン:ピアノ協奏曲 ヘ調 千住明:『日本交響詩』 コンサートは小澤が時々演奏を止めて曲の解説をするスタイルであり、コンサートの最後は『さくらさくら』の大合唱で締めくくられた。 『ボクの音楽武者修行』音楽之友社、1962年。/新潮文庫、2002年。ISBN 4-10-1228-01-9 『小澤征爾 指揮者を語る:音楽と表現』(有働由美子・インタビュー、100年インタビュー制作班編)PHP研究所、2012年。ISBN 978-4-569-78224-9 『おわらない音楽』日本経済新聞出版社〈私の履歴書〉、2014年。ISBN 978-4-532-16933-6 『やわらかな心をもつ:ぼくたちふたりの運・鈍・根』(広中平祐との対談)創世紀、1977年。/ 新潮文庫、1984年。ISBN 978-4-10-122804-4 『小沢征爾:対談と写真』(小沢幹雄編・木之下晃写真)ぎょうせい、1980年。/新潮文庫、1982年。ISBN 978-4-10-122802-0 『音楽』(武満徹共著)新潮社、1981年。/新潮文庫、1984年。ISBN 978-4-10-122803-7 『同じ年に生まれて:音楽、文学が僕らをつくった』(大江健三郎共著)中央公論新社、2001年。/中公文庫、2004年。ISBN 978-4-12-204317-6 『理想の室内オーケストラとは!:水戸室内管弦楽団での実験と成就』吉田秀和共著(諸石幸生・音楽之友社構成・編)音楽之友社、2002年。ISBN 978-4-276-21109-4 『谷川俊太郎が聞く武満徹の素顔』(語り手:小澤征爾・坂本龍一・恩地日出夫ほか)小学館、2006年。ISBN 978-4-09-387657-5 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(村上春樹共著)新潮社、2011年。/新潮文庫、2014年。ISBN 978-4-10-100166-1 『ピアノの巨人 豊増昇:「ベルリン・フィルとの初協演」「バッハ全曲連続演奏」』(小澤幹雄共編著)小澤昔ばなし研究所、2015年。ISBN 978-4-902875-72-0 『小澤征爾、兄弟と語る:音楽、人間、ほんとうのこと』(小澤俊夫・小澤幹雄共著)岩波書店、2022年。ISBN 978-4-00-061525-9 『素顔の小沢征爾 写真集』リンカーン・ラッセル撮影、キャロライン・スメドゥヴィク(wikidata)編、石井史子訳)ヤマハミュージックメディア、2000年。ISBN 978-4-636-20738-5 『小澤征爾』(大窪道治・写真)新潮社、2016年。ISBN 978-4-10-350211-1 レーベルは発売当時のものである。 ラヴェル管弦楽全集(ボストン交響楽団)(ドイツ・グラモフォン) マーラー交響曲全集(ボストン交響楽団)(フィリップス) ブラームス交響曲全集(サイトウ・キネン・オーケストラ)(フィリップス) ベートーヴェン交響曲全集(サイトウ・キネン・オーケストラ)(フィリップス) 春の祭典(シカゴ交響楽団)(RCA) カルメン全曲(フランス国立管弦楽団)(フィリップス) プロコフィエフ交響曲全集(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)(ドイツ・グラモフォン) ドヴォルザーク交響曲第8番、交響曲第9番(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)(フィリップス) コンプリート RCA&コロンビア・アルバム・コレクション (51 CD) Seiji Ozawa Anniversary 2010 (Decca, 11 CD) The Complete Deutsche Grammophon Recordings (50 CD) The Complete Warner Recordings (25 CD) 小澤征爾コレクション EMIレコーディングス (7 CD) The Philips Years (50 CD) German Masterworks (Decca, 15 CD) 小澤征爾70歳記念BOX (71 CD&DVD) ムター&小澤征爾 ドイツ・グラモフォン録音集 (10 CD) 世間が現代音楽を宣伝したおかげで、小澤も1980年代前半まではこの手の曲目をよく振った。また、邦人作曲家の作品も積極的に振った。特に盟友であった武満徹の楽曲の初演は多く手がけた。(各曲の括弧内は初演時のオーケストラ。) 武満徹『リング』 武満徹『弧(アーク)』第1部 第2楽章(読響) 武満徹『ノヴェンバー・ステップス』(NYP) 武満徹『アステリズム』(TSO) 武満徹『クロッシング』(日フィル) 武満徹『カシオペア』(CSO) 武満徹『秋』(NJP) 武満徹『カトレーン』(NJP) 武満徹『夢窓』(京響) 武満徹『For Lenny’s Birthday』(BSO) 武満徹『フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム』(BSO) 武満徹『セレモニアル』(SKO) 武満徹『2つのシネ・パストラル』(NJP) 高橋悠治『オルフィカ』(日フィル) 篠原眞『ヴィジョンⅡ』(日フィル) 石井真木『遭遇第2番』(日フィル) 一柳慧『アップ・トゥ・デイト・アプローズ』 (武満徹と2人で指揮。)(日フィル) 黛敏郎『交響詩 輪廻(さむらーら)』(N響) 千住明『日本交響詩』(N響) シュニトケ『チェロ協奏曲第2番』(LSO) デュティユー『時の影』(BSO) デュティユー『時の大時計』(SKO) ロジャー・セッションズ『管弦楽のための協奏曲(英語版)』(BSO) ピーター・リーバーソン(英語版)『ピアノ協奏曲第1番(英語版)』 (BSO) ジョージ・ウォーカー(英語版)『ライラックス(英語版)』(BSO) ピーター・マックスウェル・デイヴィス『交響曲第2番(英語版)』(BSO) ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ『交響曲第8番(英語版)』(BSO) ジョン・コリリアーノ『交響曲第2番(英語版)』(BSO) オットー・ヨアヒム(英語版)『コントラスツ』(CSO) ガンサー・シュラー『レチタティーヴォとロンド』(CSO) ルーカス・フォス『バロック変奏曲』(CSO) エルンスト・クルシェネク『遠景』(CSO) ウィリアム・ルッソ(英語版)『ブルース・バンドとシンフォニー・オーケストラのための3つの小品(英語版)』(CSO) アラン・スタウト(英語版)『交響曲第2番』(CSO) エリオット・カーター『ファゴット協奏曲』(CSO) アラン・ホヴァネス『日本の版画による幻想曲』(CSO) クシシュトフ・ペンデレツキ『ラルゴ』(VPO) レイモンド・マリー・シェーファー『香を聴く』(京響) ジェルジ・リゲティ『サンフランシスコ・ポリフォニー』(SFS) オリヴィエ・メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』(パリ・オペラ座) アンジェイ・パヌフニク『交響曲第8番』(BSO) レナード・バーンスタイン『ディヴェルティメント(英語版)』(BSO) トリスタン・ミュライユ 『シヤージュ(wikidata)』(京響) 日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、NHK交響楽団などと数々の日本初演も手がけている。 オリヴィエ・メシアン『トゥーランガリラ交響曲』 ジェルジュ・リゲティ『アトモスフェール』 ヤニス・クセナキス『戦術』 (若杉弘と2人で指揮) ハイドン『交響曲第47番』 ベルリオーズ『死者のための大ミサ曲』 ベルリオーズ『テ・デウム』 ベルリオーズ『レリオ、あるいは生への復帰』 ストラヴィンスキー『火の鳥』 (全曲演奏会初演) バーンスタイン『チチェスター詩篇(英語版)』 バーンスタイン『交響曲第3番《カディッシュ》』 オーケストラがやって来た(TBS) 小沢征爾の世界(ニッポン放送) マエストロ、マエストロ!カラヤン(1999年、フランス) ロストロポーヴィチ 人生の祭典(2006年、ロシア) ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(2019年、アップリンク) 成城学園中学時代には音楽部に属し、のちのソニー会長出井伸之らとカルテットを組んでいた。小澤はピアノ、出井はヴァイオリン担当であった。以来、2人は仕事とプライベートの両面で生涯の友人となった。 息子の征悦をして、「(幼い頃、早朝にトイレのために起きて)親父の勉強部屋の前を通ると、もう勉強してるんですよね。あまりに集中しすぎて、自分が横に立っても気づかないくらい」とまで言われた。楽曲について予習をする際、白地の五線譜に自ら各パートを書き写している。 そして、征悦は、あるとき、欧米において、自分のことは知らない人でも、父・征爾の名は殆どの人が知っていることに驚いたという。 1972年6月、日本芸術院会館で日本芸術院賞授賞式に出席した際、経営危機だった日本フィルについて「皇室が交響楽団のパトロンになってほしい」と昭和天皇に直訴したこともある。 ボストンレッドソックスファンで、ボストン在住時に本拠地フェンウェイパークに足しげく通っていたところ、MLB関係者から全球場にフリーパスで入れるメダルを授与された。その後2012年7月11日に同球団から親善大使に任命されている。 ユージン・オーマンディはカラヤン、バーンスタインの次代を継ぐ有望な指揮者として、若き日の小澤をアバド、メータ、マゼール、ケルテスとともに五指に数えていた。 没した時点で、カラヤンと並びウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを生涯で1度だけ指揮した指揮者となった。 野村義男(『ボクの音楽武者修行』、1982年) 日本盲導犬協会「パートナーのいる幸せ」篇(2014年7月) - ACジャパン支援キャンペーンの一環として。 『読売新聞』2010年11月3日東京朝刊 サイトウ・キネン・オーケストラ - 1992年から音楽監督 サイトウ・キネン・フェスティバル松本(2015年よりセイジ・オザワ 松本フェスティバル) 新日本フィルハーモニー交響楽団 水戸芸術館 水戸室内管弦楽団 ボストン交響楽団 ウィーン国立歌劇場 ^ その後、世田谷区には2019年時点でも居住。 ^ ただし吉田秀和によると、このとき小澤が卒業できなかったのは「小澤にはまだ第九を教えていない。第九を勉強させないで指揮科を卒業させるわけにはいかない」との斎藤秀雄の意向によるものだったという。 ^ NHKの音楽プロデューサー細野達也が小澤の日本フィルの指揮ぶりを聴いて「N響にも欲しい」と思い、N響副理事長の有馬大五郎や事務長の木村竜蔵を説得し、小澤の抜擢に至ったという。 ^ なお、ボストン交響楽団を初めて指揮したのは同楽団音楽監督就任の約5年前にあたる1968年1月、同楽団のホームグラウンドであるボストン・シンフォニーホールで開催された同楽団公演に於いてのことである。 ^ 高等学校音楽科に限って、男女共学である。 ^ 美樹(ヴェラ)の父方祖父母は二人ともロシア人である。 ^ N響事件の後、小澤は「指揮者は本当に大変なことをやっている」という言葉を繰り返すようになった。 ^ 日本経済新聞「理想追い 曲折の29年間 時に反目、洗練と重みに磨き」 ^ Liste der Ehrenmitglieder der Wiener Staatsoper ^ 「小沢征爾さん ウィーン・フィル名誉団員に 「どんな勲章よりうれしい」」『読売新聞』2010年11月3日 東京朝刊 33頁。 ^ 岡崎久彦『百年の遺産:日本近代外交史73話』産経新聞ニュースサービス、2002年、181頁 ^ ただし、母親の小澤さくらによれば、夫の開作がその命名を板垣に伝えたところ、「二人の名前を並べるなら石原のほうが偉いんだから『爾征』とつけなきゃいけない』と言われたらしい。小澤さくら『北京の碧い空を わたしの生きた昭和』58頁。 ^ 山田 2006, p. 20. ^ 山田 2006, p. 23. ^ 小澤, 小澤 & 小澤 2022, p. 50. ^ 山田 2006, p. 24. ^ 市川三郷町議会だより(2019年11月1日発行 第57号)(2019年11月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project ^ 山田 2006, p. 25. ^ 小澤 2014, p. 164. ^ 山本 1999, pp. 40–42. ^ 山田 2006, p. 34. ^ 小澤征爾『ボクの音楽武者修行』 ^ レコード芸術編『吉田秀和 音楽を心の友と』p.38(音楽之友社、2012年) ^ 広中平祐との対談『やわらかな心をもつ』p.54-55 ^ 山田 2006, p. 41. ^ 小澤 2014, pp. 47–48. ^ 山田 2006, p. 44. ^ 原田 1989, pp. 190–191. ^ “小澤征爾さんが世界に飛び立つ転機“N響事件”とは 三島由紀夫、石原慎太郎らが団結 「敬意と感謝」追悼”. www.sponichi.co.jp. www.sponichi.co.jp (2024年2月9日). 2024年2月10日閲覧。 ^ BIOGRAPHY - ユニバーサルミュージック・ジャパンWebサイト内、小澤征爾アーティスト・サイトより《2017年11月23日閲覧》 ^ 『朝日新聞』1972年4月12日(東京本社発行)朝刊、23頁。 ^ 旅のテーマ~日本とのつながり - マサチューセッツ州政府観光局・日本語版サイトより《2017年11月23日閲覧》 ^ “A Tribute to Seiji Ozawa” (英語). 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江宮隆之『満洲ラプソディ:小澤征爾の父・開作の生涯』河出書房新社、2018年。ISBN 978-4-309-02742-5 小沢さくら『北京の碧い空を:わたしの生きた昭和』二期出版、1991年。※書誌では「小沢」表記。国立国会図書館サーチ確認。角川文庫も同様。
小澤さくら『北京の碧い空を(復刻版)』小澤昔ばなし研究所、2015年。ISBN 978-4-902875-69-0 神保璟一郎『名曲をたずねて』角川文庫、1975年。 岡崎久彦『百年の遺産:日本近代外交史73話』産経新聞ニュースサービス、2002年。 入江麻木『バーブシカの宝石』講談社、1987年8月。ISBN 4-06-202906-5 佐野之彦『N響80年全記録』文藝春秋、2007年。 原田三朗『オーケストラの人びと』筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、1989年。ISBN 978-4480041340。 アルク出版企画編『小澤征爾大研究』p.231(春秋社、1990年)ISBN 978-4-393-93121-9 「『小澤征爾』という虚妄」『新潮45』2000年10月 『週刊文春』1962年12月24日号「N響の不協和音」 『ゴシップ10年史』(三一新書) SEIJI OZAWA Official 小澤征爾 Seiji Ozawa (@seijiozawa_info) - X(旧Twitter) 小澤征爾 Seiji Ozawa (seijiozawaofficial) - Facebook 小澤征爾 Seiji Ozawa (@seijiozawa_official) - Instagram 小澤征爾 Seiji Ozawa 公式チャンネル - YouTubeチャンネル ポートレイト:Seiji Ozawa ウィーン国立歌劇場(ドイツ語)(英語) セイジ・オザワ 松本フェスティバル サイトウ・キネン・フェスティバル 松本 アーカイブ 2014年6月25日 - ウェイバックマシン 東京のオペラの森 小澤征爾音楽塾 小澤国際室内楽アカデミー奥志賀 Seiji Ozawa International Academy Switzerland(小澤征爾スイス国際アカデミー)(フランス語)(英語) 小澤征爾 - NHK人物録 小澤征爾と世界の仲間たち - NHK放送史 世界のマエストロ・小澤征爾 入魂の一曲 - NHK放送史 表 話 編 歴 ルイジ・フォン・クニッツ1922-1931 / アーネスト・マクミラン1931-1956 / ワルター・ジュスキント1956-1965 / 小澤征爾1965-1969 / カレル・アンチェル1969-1973 / アンドルー・デイヴィス1975-1988 / ギュンター・ヘルビヒ1988-1994 / ユッカ=ペッカ・サラステ1994-2001 / ピーター・ウンジャン2001- 表 話 編 歴 ヘンリー・ハドリー1911-1915 / アルフレッド・ヘルツ1915-1930 / ベイジル・キャメロン&イサイ・ドブローウェン1930-1934 / ピエール・モントゥー1935-1954 / エンリケ・ホルダ1954-1963 / ヨーゼフ・クリップス1963-1970 / 小澤征爾1970-1977 / エド・デ・ワールト1977-1985 / ヘルベルト・ブロムシュテット1985-1995 / マイケル・ティルソン・トーマス1995-2020 / エサ・ペッカ・サロネン2020- 表 話 編 歴 ジョージ・ヘンシェル1881-1884 / ヴィルヘルム・ゲーリケ1884-1889 / アルトゥル・ニキシュ1889-1893 / エーミール・パウア1893-1898 / ヴィルヘルム・ゲーリケ1898-1906 / カール・ムック1906-1908 / マックス・フィードラー1908-1912 / カール・ムック1912-1918 / アンリ・ラボー1918-1919 / ピエール・モントゥー1919-1924 / セルゲイ・クーセヴィツキー1924-1949 / シャルル・ミュンシュ1949-1962 / エーリヒ・ラインスドルフ1962-1969 / ウィリアム・スタインバーグ1969-1972 / 小澤征爾1973-2002 / ジェームズ・レヴァイン2004-2011 / アンドリス・ネルソンス2014- 表 話 編 歴 ヨハン・ヘルベック1870-1875 / ヴィルヘルム・ヤーン1880-1897 / グスタフ・マーラー1897-1907 / フェリックス・ワインガルトナー1908-1911 / フランツ・シャルク1918-1929 / リヒャルト・シュトラウス1919-1924 / クレメンス・クラウス1929-1934 / フェリックス・ワインガルトナー1935-1936 / カール・ベーム1943-1945,1954-1956 / ヘルベルト・フォン・カラヤン1956-1964 / ロリン・マゼール1982-1984 ハンス・リヒター1893-1900 / フランツ・シャルク1900-1918 / ブルーノ・ワルター1901-1913 / クラウディオ・アバド1986-1992 / 小澤征爾2002-2010 / フランツ・ウェルザー=メスト2010-2014 / フィリップ・ジョルダン2020- マニュエル・ルグリ2010- 表 話 編 歴 クレメンス・クラウス1939,1941-1944 ヨーゼフ・クリップス1946-1947 クレメンス・クラウス1948-1954 ヴィリー・ボスコフスキー1955-1979 ロリン・マゼール1980-1986 ヘルベルト・フォン・カラヤン1987 クラウディオ・アバド1988 カルロス・クライバー1989 ズービン・メータ1990 クラウディオ・アバド1991 カルロス・クライバー1992 リッカルド・ムーティ1993 ロリン・マゼール1994 ズービン・メータ1995 ロリン・マゼール1996 リッカルド・ムーティ1997 ズービン・メータ1998 ロリン・マゼール1999 リッカルド・ムーティ2000 ニコラウス・アーノンクール2001 小澤征爾2002 ニコラウス・アーノンクール2003 リッカルド・ムーティ2004 ロリン・マゼール2005 マリス・ヤンソンス2006 ズービン・メータ2007 ジョルジュ・プレートル2008 ダニエル・バレンボイム2009 ジョルジュ・プレートル2010 フランツ・ウェルザー=メスト2011 マリス・ヤンソンス2012 フランツ・ウェルザー=メスト2013 ダニエル・バレンボイム2014 ズービン・メータ2015 マリス・ヤンソンス2016 グスターボ・ドゥダメル2017 リッカルド・ムーティ2018 クリスティアン・ティーレマン2019 アンドリス・ネルソンス2020 リッカルド・ムーティ2021 ダニエル・バレンボイム2022 フランツ・ウェルザー=メスト2023 クリスティアン・ティーレマン2024 リッカルド・ムーティ2025 表 話 編 歴 1943: 島田墨仙 1948: 伊東深水 1951: 徳岡神泉 1953: 児玉希望 1954: 金島桂華 1955: 橋本明治 1956: 東山魁夷・山口華楊 1957: 杉山寧 1958: 森白甫・菅楯彦・望月春江 1959: 加藤栄三・森田沙伊 1960: 高山辰雄・池田遙邨・郷倉千靱 1961: 川崎小虎・岩田正巳・矢野橋村・西山英雄 1962: 榊原紫峰・小倉遊亀・三輪晁勢 1963: 奥田元宋・山田申吾 1964: 山本丘人 1965: 浜田観・麻田弁自 1966: 中村貞以・山本倉丘 1967: 上村松篁・佐藤太清 1968: 伊東万燿 1969: 三谷十糸子 1970: 寺島紫明 1971: 吉岡堅二 1972: 岩橋英遠 1973: 大山忠作 1974: 猪原大華 1975: 片岡球子 1976: 川本末雄 1977: 加藤東一 1978: 浦田正夫 1979: 松尾敏男 1980: 浜田台児 1981: 加倉井和夫 1982: 吉田善彦 1984: 福王寺法林 1985: 村山径 1986: 関主税 1987: 堂本元次 1988: 鈴木竹柏 1989: 佐藤圀夫 1990: 郷倉和子 1991: 稗田一穂 1992: 山岸純 1993: 岩沢重夫 1994: 白鳥映雪 1995: 上村淳之 1997: 中路融人 2000: 那波多目功一 2001: 福王寺一彦 2003: 岩倉寿 2004: 宇佐美江中 2005: 川崎春彦 2006: 福田千惠 2007: 土屋礼一 2008: 清水達三 2011: 山﨑隆夫 2013: 能島和明 2016: 後藤純男 2017: 西田俊英 2018: 田渕俊夫 2020: 村居正之 1942: 小磯良平 1943: 宮本三郎 1950: 鍋井克之 1951: 三宅克己・寺内万治郎 1952: 白滝幾之助・中山巍 1953: 石川寅治 1954: 小糸源太郎 1956: 鬼頭鍋三郎 1957: 鈴木千久馬・東郷青児 1958: 中野和高 1959: 木村荘八・小山敬三・林武 1960: 大久保作次郎・鈴木信太郎 1961: 新道繁・田崎広助 1962: 耳野卯三郎 1963: 田村一男・中村琢二 1964: 中川紀元・岡鹿之助 1965: 吉井淳二 1966: 池部鈞・井手宣通 1967: 島村三七雄 1968: 佐竹徳・服部正一郎 1969: 黒田重太郎・中村善策 1970: 小堀進・森田茂 1971: 高光一也 1972: 高田誠 1973: 野村守夫 1976: 岡田又三郎 1977: 伊藤清永 1979: 宮永岳彦 1980: 西山真一 1981: 楢原健三 1982: 菅野矢一 1984: 寺田竹雄 1985: 渡辺武夫 1986: 広瀬功 1988: 大内田茂士 1990: 鶴岡義雄 1991: 国領経郎 1992: 平松譲 1993: 藤本東一良 1994: 芝田米三 1995: 織田広喜 1996: 奥谷博 1997: 寺島竜一 1998: 中山忠彦 1999: 島田章三 2000: 庄司栄吉 2001: 絹谷幸二 2002: 清原啓一 2003: 塗師祥一郎 2004: 山本貞 2005: 寺坂公雄 2006: 村田省蔵 2007: 大津英敏 2008: 藤森兼明 2009: 藪野健 2010: 山本文彦 2012: 池口史子 2013: 佐藤哲 2015: 馬越陽子 2017: 根岸右司 2018: 湯山俊久 1943: 古賀忠雄 1950: 吉田三郎 1952: 加藤顕清 1953: 沢田正広 1954: 清水多嘉示 1955: 橋本朝秀 1957: 雨宮治郎 1958: 松田尚之 1961: 堀進二 1963: 中川清・大内青圃 1966: 円鍔勝三・藤野舜正 1968: 北村治禧 1970: 昼間弘 1971: 水船六洲 1972: 富永直樹 1973: 進藤武松 1974: 木下繁 1975: 分部順治 1977: 淀井敏夫 1979: 三坂耿一郎 1980: 佐藤助雄 1981: 野々村一男 1982: 伊藤五百亀 1985: 小森邦夫 1986: 高橋剛 1987: 中村博直 1988: 中村晋也 1990: 雨宮敬子 1991: 長江録弥 1992: 柴田鋼造 1994: 吉田鎮雄 1996: 橋本堅太郎 1997: 雨宮淳 1998: 川崎普照 1999: 山田良定 2002: 蛭田二郎 2003: 澄川喜一 2004: 山本真輔 2005: 能島征二 2006: 市村緑郎 2007: 瀬戸剛 2008: 神戸峰男 2009: 宮瀬富之 2012: 吉野毅 2016: 山田朝彦 2019: 池川直 1943: 吉田源十郎 1950: 小場恒吉 1951: 岩田藤七 1952: 山鹿清華 1953: 香取正彦 1954: 沼田一雅 山崎覚太郎・楠部弥一 1955: 杉浦非水・内藤春治 1956: 初代竜村平蔵・六代目清水六兵衛・三井義夫 1957: 宮之原謙 1958: 山室百世 1959: 三代目井上良斎・大須賀喬 1960: 各務鑛三・岸本景春 1961: 佐治賢使・皆川月華 1962: 蓮田修吾郎・山脇洋二 1963: 河村蜻山・番浦省吾・森野嘉光 1964: 辻光典 1965: 高橋節郎 1966: 帖佐美行 1967: 浅見隆三 1968: 北出塔次郎・安原喜明 1969: 般若侑弘 1970: 海野建夫 1971: 吉賀大眉 1973: 佐野猛夫 1980: 新開寛山 1981: 浅蔵五十吉 1982: 岩田久利 1983: 大久保婦久子 1984: 十三代目中里太郎右衛門 1985: 大樋年朗 1986: 折原久佐ヱ門 1988: 三谷吾一 1989: 藤田喬平 1990: 奥田小由女 1991: 青木竜山 1992: 永井鉄太郎 1993: 中井貞次 1994: 井波唯志 1996: 大塩正義 1997: 河合誓徳 1998: 今井政之 1999: 西本瑛泉 2000: 吉賀将夫 2001: 川尻一寛 2003: 大角勲 2004: 伊藤裕司 2006: 原益夫 2007: 森野泰明 2010: 武腰敏昭 2012: 宮田亮平 2013: 寺池静人 2016: 春山文典 2018: 三田村有純 2019: 並木恒延 1951: 川村驥山 1953: 辻本史邑 1955: 西川寧 1957: 鈴木翠軒 1960: 田中親美・松本芳翠 1961: 安東聖空・二代中村蘭台 1962: 炭山南木 1963: 山崎節堂 1964: 松井如流 1965: 日比野五鳳 1966: 青山杉雨 1967: 金子鷗亭 1968: 村上三島 1969: 田中塊堂 1970: 桑田笹舟 1971: 大石隆子・金田心象 1972: 広津雲仙 1973: 宮本竹径 1976: 木村知石 1977: 殿村藍田 1978: 上条信山 1981: 小坂奇石 1983: 杉岡華邨 1984: 小林斗盦 1985: 古谷蒼韻 1986: 浅見筧洞 1987: 今井凌雪 1989: 浅香鉄心 1990: 伊藤鳳雲 1991: 近藤摂南 1992: 成瀬映山 1993: 尾崎邑鵬 1994: 栗原蘆水 1995: 高木聖鶴 1996: 榎倉香邨 1997: 甫田鵄川 1998: 松下芝堂 1999: 日比野光鳳 2000: 梅原清山 2001: 津金孝邦 2002: 桑田三舟 2003: 井茂圭洞 2004: 新井光風 2005: 黒野清宇 2006: 劉蒼居 2007: 池田桂鳳 2008: 杭迫柏樹 2009: 小山やす子 2010: 樽本樹邨 2011: 黒田賢一 2012: 星弘道 2017: 高木聖雨 2018: 土橋靖子 2019: 真神巍堂 1950: 岸田日出刀 1952: 吉田五十八 1953: 村野藤吾 1957: 堀口捨己 1959: 中村順平 1961: 谷口吉郎 1962: 竹腰健造 1965: 前田健二郎 1966: 今井兼次 1967: 佐藤武夫 1968: 藤島亥治郎 1971: 海老原一郎 1974: 前川国男 1975: 吉村順三 1980: 白井晟一 1981: 大江宏 1982: 高橋靗一 1984: 芦原義信 1985: 西沢文隆 1987: 谷口吉生 1988: 池原義郎 1989: 内井昭蔵 1990: 阪田誠造 1991: 中村昌生 1992: 黒川紀章 1993: 安藤忠雄 1995: 柳沢孝彦 1996: 岡田新一 1999: 伊東豊雄 2000: 長谷川逸子 2001: 山本理顕 2003: 栗生明 2004: 宮本忠長 2006: 香山寿夫 2008: 鈴木了二 2010: 北川原温 2011: 古谷誠章 2013: 槇文彦 2015: 陶器二三雄 2020: 藤森照信 1950: 大仏次郎 1951: 小川未明 1952: 川端康成 1955: 坪田譲治 1956: 井伏鱒二 1957: 幸田文 1959: 井上靖 1960: 火野葦平 1961: 石川淳 1963: 獅子文六 1966: 中山義秀・永井竜男 1967: 伊藤整 1968: 網野菊 1969: 芹沢光治良 1972: 平林たい子・宇野千代 1973: 庄野潤三 1975: 中里恒子 1976: 司馬遼太郎・安岡章太郎 1977: 戸板康二・海音寺潮五郎 1979: 阿川弘之・遠藤周作・吉行淳之介 1980: 田中千禾夫 1981: 島尾敏雄 1982: 芝木好子・野口冨士男・小島信夫 1984: 河野多恵子 1986: 水上勉 1987: 三浦朱門・吉村昭 1988: 八木義徳 1989: 阪田寛夫 1993: 曽野綾子・石井桃子 1994: 竹西寛子 1995: 陳舜臣 1998: 大原富枝・堀田善衛 1999: 加賀乙彦 2000: 小川国夫・黒井千次・日野啓三 2001: 伊藤桂一 2003: 津村節子 2004: 中野孝次・富岡多恵子 2006: 辻井喬 2007: 三木卓 2009: 井上ひさし 2011: 山崎正和 2016: 辻原登 2017: 髙樹のぶ子 2019: 松浦寿輝 1942: 高村光太郎・川田順 1948: 折口信夫 1949: 半田良平 1951: 尾山篤二郎 1953: 三好達治・土屋文明・服部担風 1958: 川路柳虹 1964: 水原秋桜子 1971: 富安風生 1977: 宮柊二 1980: 佐藤佐太郎 1981: 飯田竜太 1983: 木俣修 1984: 中村草田男・中村汀女 1987: 山口誓子・上田三四二 1994: 那珂太郎 1995: 大岡信・清岡卓行 1997: 森澄雄 1998: 岡野弘彦・田村隆一 1999: 伊藤信吉 2003: 馬場あき子・まど・みちお・金子兜太 2005: 前登志夫 2015: 吉増剛造・鷹羽狩行 2016: 宇多喜代子 2019: 荒川洋治 1943: 野口米次郎 1950: 山内義雄 1951: 小林秀雄 1952: 日夏耿之介 1953: 石川欣一 1954: 小宮豊隆 1955: 鈴木信太郎 1956: 昇曙夢 1957: 折口信夫 1957: 和田芳恵 1958: 新関良三 1959: 吉田精一 1961: 河上徹太郎 1963: 福原麟太郎 1964: 亀井勝一郎 1966: 舟木重信・山本健吉 1967: 三宅周太郎・中村光夫 1969: 高橋健二 1971: 唐木順三 1973: 中村白葉 1976: 江藤淳 1977: 平野謙 1981: 福田恒存 1981: 生島遼一 1982: 佐伯彰一 1984: 磯田光一 1986: 富士川英郎 1990: 新庄嘉章 1991: 佐藤朔 1997: 高橋英夫 2000: 河竹登志夫 2001: 菅野昭正 2002: 高階秀爾 2010: 粟津則雄 2012: 三浦雅士 2017: 渡辺保 2018: 芳賀徹 1948: 野口兼資 1951: 観世華雪 1953: 桜間弓川 1954: 茂山弥五郎 1960: 近藤乾三 1961: 橋岡久太郎 1963: 後藤得三 1970: 六世野村万蔵 1975: 喜多実 1977: 三世茂山千作 1980: 宝生弥一 1983: 田中幾之助 1985: 梅若雅俊 1987: 四世野村万之丞 1988: 梅若恭行・観世元正 1990: 九世片山九郎右衛門・二世野村万作 1992: 八世観世銕之丞・宝生閑 1995: 二世金剛巌 1996: 二十二世金春惣右衛門 1999: 五十六世梅若六郎 2000: 粟谷菊生 2001: 近藤乾之助 2002: 関根祥六 2003: 友枝昭世 2005: 三世観世喜之 2006: 野村四郎 2007: 四世山本東次郎 2008: 一噌仙幸 2009: 九世観世銕之丞 2011: 山本孝 2013: 浅見真州 2014: 香川靖嗣 2015: 柿原崇志 2016: 高橋章 2017: 大槻文蔵 2019: 亀井忠雄 1951: 三代目中村時蔵 1952: 二代目市川猿之助 1953: 三代目市川寿海 1954: 三代目阪東寿三郎 1956: 三代目市川左団次 1962: 六代目中村歌右衛門 1966: 七代目尾上梅幸・八代目坂東三津五郎 1969: 十七代目中村勘三郎 1970: 二代目中村鴈治郎 1972: 十三代目片岡仁左衛門 1974: 八代目松本幸四郎 1975: 七代目中村芝翫 1981: 四代目中村雀右衛門 1982: 三代目實川延若 1984: 十七代目市村羽左衛門 1985: 二代目中村吉右衛門 1986: 二代目中村扇雀 1987: 五代目中村富十郎・七代目尾上菊五郎 1988: 片岡孝夫 1989: 十二代目市川団十郎 1990: 八代目中村福助 1991: 九代目坂東三津五郎 1993: 五代目中村松江 1996: 二代目中村又五郎 1999: 五代目中村勘九郎 2001: 六代目沢村田之助 2005: 九代目中村福助 2006: 十代目坂東三津五郎 2007: 五代目中村翫雀 2008: 五代目中村時蔵・五代目中村芝雀 2011: 三代目中村橋之助 2016: 五代目中村歌六・五代目坂東玉三郎 2017: 四代目市川左團次 2018: 三代目中村扇雀 2020: 十代目松本幸四郎 2021: 片岡孝太郎 1944: 二代目豊竹古靱太夫 1950: 四代目鶴沢清六 1963: 八代目竹本綱大夫 1968: 二代目野沢喜左衛門 1972: 六代目鶴沢寛治 1976: 十代目竹沢弥七 1997: 三代目吉田簑助 1998: 七代目竹本住大夫 2003: 九代目竹本綱大夫 2009: 豊竹咲大夫 2010: 三代目桐竹勘十郎 2011: 五代目野沢錦糸 2012: 二代目鶴沢藤蔵 2013: 六代目鶴沢燕三 2014: 吉田玉女 2018: 鶴澤清介 1948: 芝祐泰 1953: 三代目常磐津文字兵衛・初代中尾都山 1955: 山田抄太郎 1956: 三代目杵屋栄蔵 1957: 七代目芳村伊十郎 1959: 中能島欣一 1961: 十四代目杵屋六左衛門 1962: 安倍季巌 1968: 清元志寿太夫 1971: 五代目荻江露友 1972: 杵屋六一朗 1974: 中能島慶子 1980: 二代目上原真佐喜 1983: 三代目今藤長十郎 1987: 初代富山清琴 1990: 多忠麿 1991: 二代目青木鈴慕・清元栄三郎 1992: 三代目杵屋五三郎 1993: 四代目常磐津文字兵衛 1994: 山彦節子 1995: 山口五郎 1999: 十五代目杵屋喜三郎 2000: 東儀俊美 2002: 六代目山勢松韻 2002: 初代米川敏子 2003: 芝祐靖・東音宮田哲男 2004: 鶴沢清治・川瀬白秋・二代目富山清琴 2007: 唯是震一 2009: 七代目杵屋巳太郎・豊英秋 2010: 二代目今藤政太郎・五代目常磐津文字兵衛 2011: 二代目野坂操寿 2012: 山本邦山・笠置侃一 2013: 二代目米川文子 2014: 小野功竜 2015: 十二代目都一中・二代目米川敏子 2017: 鳥羽屋里長 2020: 杵屋勝国 1943: 井口基成 1948: 藤原義江 1961: 豊増昇 1965: 柳兼子 1966: 団伊玖磨 1967: 渡辺暁雄 1971: 園田高弘 1972: 小沢征爾 1975: 安川加寿子 1976: 朝比奈隆 1979: 江藤俊哉 1980: 武満徹 1986: 山田一雄 1989: 伊藤京子 1990: 三善晃 1991: 東敦子 1992: 若杉弘 1993: 堤剛 1994: 吉田雅夫 1996: 木村俊光 1999: 湯浅譲二 2002: 岩城宏之 2004: 前橋汀子 2005: 内田光子 2006: 畑中良輔 2007: 栗林義信 2009: 中村紘子 2010: 大野和士 2011: 栗山昌良 2013: 飯守泰次郎 2014: 野島稔 2017: 一柳慧 2019: 野平一郎 1952: 四代目井上八千代 1957: 二代目花柳寿輔 1963: 六代目藤間勘十郎 1965: 四代目藤間勘右衛門 1966: 八代目坂東三津五郎 1967: 吾妻徳穂 1979: 藤間藤子 1985: 森下洋子 1988: 二代目花柳寿楽 1989: 藤間友章 1990: 三代目花柳寿輔 1991: 十代目西川扇蔵 1992: 花柳寿南海 1997: 七代目藤間勘十郎 1999: 五代目井上八千代 2000: 藤間蘭景 2001: 五代目花柳芳次郎 2002: 二代目尾上菊之丞 2004: 二代目吾妻徳弥 2008: 藤間藤太郎 2015: 山村友五郎 2016: 二代目中村梅弥 2018: 三代目花柳寿楽 2019: 宮城能鳳 2020: 藤間蘭黄 2021: 西川箕乃助 1948: 杉村春子 1950: 伊藤熹朔 1955: 花柳章太郎 1956: 初代水谷八重子 1959: 小津安二郎 1980: 六代目市川染五郎 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー スペイン フランス BnF data カタルーニャ ドイツ イタリア イスラエル フィンランド アメリカ ラトビア 日本 チェコ オーストラリア ギリシャ 韓国 クロアチア オランダ ポーランド ポルトガル CiNii Books CiNii Research エミー賞 グラミー賞 MusicBrainz ULAN BMLO ドイッチェ・ビオグラフィー Trove(オーストラリア)
SNAC IdRef 日本の指揮者 日本フィルハーモニー交響楽団 ボストン交響楽団 日本藝術院会員 日本藝術院賞受賞者 高松宮殿下記念世界文化賞受賞者 菊池寛賞受賞者 朝日賞受賞者 文化勲章受章者 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者 グラミー賞受賞者 ケネディ・センター名誉賞受賞者 名誉都民 在アメリカ合衆国日本人 在アメリカ合衆国日本人のミュージシャン 小澤家 私の履歴書の登場人物 桐朋学園芸術短期大学出身の人物 成城学園中学校高等学校出身の人物 満洲国出身の人物 瀋陽出身の人物 1935年生 2024年没 心臓病で死亡した人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 外部リンクがリンク切れになっている記事/2024年2月 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 CANTICN識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 ICCU識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 KANTO識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 LNB識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLA識別子が指定されている記事 NLG識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NSK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 PortugalA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 Emmy識別子が指定されている記事 Grammy識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 ULAN識別子が指定されている記事 BMLO識別子が指定されている記事 DTBIO識別子が指定されている記事 Trove識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 17:39更新
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