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山口俊の情報 (やまぐちしゅん)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

山口俊の情報(やまぐちしゅん) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山口 俊さんについて調べます

■名前・氏名
山口 俊
(読み:やまぐち しゅん)
■職業
野球選手
■山口俊の誕生日・生年月日
1987年7月11日 (年齢37歳)
卯年(うさぎ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
大分出身

(昭和62年)1987年生まれの人の年齢早見表

山口俊と同じ1987年生まれの有名人・芸能人

山口俊と同じ7月11日生まれの有名人・芸能人

山口俊と同じ出身地大分県生まれの有名人・芸能人


山口俊と関係のある人

平沼翔太: 2019年は、4月16日に一軍に昇格して以降出場を重ねていたが、6月15日の読売ジャイアンツ戦(札幌ドーム)で山口俊から左脹脛に死球を受け、6月16日に一軍登録を抹消される。


平良拳太郎: 2017年、1月5日にFAで巨人へ移籍した山口俊の人的補償として横浜DeNAベイスターズへの移籍が発表された。


小林誠司: 2019年は炭谷銀仁朗の加入や監督の原辰徳の方針もあり、先発マスクは菅野や山口俊などが投げる試合に限られ、出場試合は4年ぶりに100を割り込むなど減少した。


大竹寛: 2021年10月25日に開かれた引退会見では今村信貴、菅野智之、山口俊、中川皓太、鍵谷陽平、髙橋優貴、田中豊樹、大江竜聖、戸郷翔征、畠世周ら大竹を慕っていたチームメイトたちが駆け付けてドッキリを仕掛けるという大竹の人柄を現したような和やかな会見になった。


古池信三: 妻・智恵子(1907年 - ?、東京、山口俊太郎の五女)


高井美穂: 同年6月の第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で徳島2区から立候補したが、自由民主党現職の山口俊一に敗れ、落選した。


横川史学: その後は鉄平が深刻な打撃不振に陥った影響もあって出場機会が増加し、5月26日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)では山口俊から代打本塁打を打つと、2日後の5月28日の対阪神タイガース戦(クリネックススタジアム宮城)では10回裏に榎田大樹からプロ初となるサヨナラ安打を放った。


細田博之: 細田に対する追悼演説は同年12月7日、衆議院本会議で当選同期の山口俊一により行われた。


靍岡賢二郎: この時のチームメイトには前述した平田・辻内のほか、田中将大・山口俊・堂上直倫ら、後にプロ入りする選手が数多くいた。


新田玄気: 初打席・初安打:同上、9回裏に山口俊から左越二塁打


森福允彦: 森福自身も、DeNAからFA権の行使で移籍した山口俊と共に入団記者会見へ臨んだ。


七条明: 県議を4期務め、県議時代の同僚議員に、後に徳島2区で議席を争う山口俊一がいた。


小池百合子: 2014年の第186回国会において、過去に、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長の要職にあった衆議院議員で、質問、議員立法、質問主意書のいずれかの提出がなかった24人の議員(野田佳彦、小沢一郎、野田毅、亀井静香、鳩山邦夫、中村喜四郎、浜田靖一、高村正彦、平沼赳夫、丹羽雄哉、額賀福志郎、大島理森、川崎二郎、金子一義、山口俊一、山本有二、大畠章宏、小池百合子、細田博之、塩谷立、渡海紀三朗、林幹雄、伊藤達也、佐藤勉)の一人として紹介されている


伊嵜充則: 「鉄道警察官・清村公三郎8」(2012年2月8日) - 山口俊行 役


後藤田正純: しかし遠藤は、自民党徳島県連会長の山口俊一や衆議院議員の福山守らの支援を受けたまちづくり団体代表の内藤佐和子に僅差で敗れた。


三上朋也: 2017年は、FA権の行使によって巨人へ移籍した山口俊から、選手会長を引き継いだ。


松井飛雄馬: 初出場:2014年4月27日、対阪神タイガース6回戦(横浜スタジアム)、7回裏に山口俊の代打で出場


桜井郁三: 当初は政策科学研究所に属したが近未来政治研究会と分裂した1998年12月に1期上浜田靖一、2期上山口俊一と離脱、後に河野洋平及び麻生太郎率いる大勇会、06年12月大勇会発展的解消で為公会。


トニ=ブランコ: 7月8日のDeNA戦では山口俊から死球を受けた際に左手中指を骨折し登録を抹消、選手間投票で選ばれたオールスターゲームおよびファン投票で選出された本塁打競争の出場も辞退した(代わりに巨人の阿部慎之助が出場)。


川村丈夫: 2009年シーズンは1年間、湘南シーレックスの投手コーチを務め、山口俊の育成に貢献。


市川小文治: 片岡千恵蔵プロダクション、中根龍太郎喜劇プロダクション、山口俊雄プロダクション、嵐寛寿郎プロダクションの作品に出演したのちに、1929年(昭和3年)、日活太秦撮影所に入社する。


宮本丈: 初盗塁:2019年5月12日、対読売ジャイアンツ9回戦(東京ドーム)、2回表に二盗(投手:山口俊、捕手:小林誠司)


大西正樹: 新チーム結成以降、明治神宮野球大会準決勝で山口俊擁する柳ヶ浦高等学校に敗れるまで公式戦無敗だった。


荒木直也: 阪急阪神百貨店社長は山口俊比古へ引き継いだ。


高橋礼: 初安打:2019年6月22日、対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)、3回表に山口俊から遊撃内野安打


八百板卓丸: 自己最多の39試合に出場し、10安打を記録したものの、打率.227、打点0と目立った成績は残せず、2022年10月25日に山口俊とともに戦力外通告を受けた。


進藤英太郎: 同年末、松竹大阪の専属俳優となり、以後、松本泰輔の新人座、山口俊雄らの新潮座、小織桂一郎一座、新興成美団、関西新派と劇団の移籍を繰り返す。


森一郎: 山口俊


上本博紀: 1回表の第1打席に、山口俊から初球先頭打者本塁打を記録した。


伊藤達也: 2014年の第186回国会において、過去に、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長の要職にあった衆議院議員で、質問、議員立法、質問主意書のいずれかの提出がなかった24人の議員(野田佳彦、小沢一郎、野田毅、亀井静香、鳩山邦夫、中村喜四郎、浜田靖一、高村正彦、平沼赳夫、丹羽雄哉、額賀福志郎、大島理森、川崎二郎、金子一義、山口俊一、山本有二、大畠章宏、小池百合子、細田博之、塩谷立、渡海紀三朗、林幹雄、伊藤達也、佐藤勉)の一人として紹介されている。


山口俊の情報まとめ

もしもしロボ

山口 俊(やまぐち しゅん)さんの誕生日は1987年7月11日です。大分出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

事件、引退、結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。山口俊の現在の年齢は37歳のようです。

山口俊のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

山口 俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日 - )は、大分県中津市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。

レギュラーシーズンにおける平成最後のノーヒットノーランを達成している。

父は大相撲の元幕内力士・谷嵐久。

柳ヶ浦高等学校1年時の2003年に第85回全国高等学校野球選手権大会へ出場したが、初戦で常総学院高等学校に敗れた。

2年時の2004年は秋季九州大会、明治神宮野球大会で優勝。

3年時の2005年の第77回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦の天理高等学校戦では、初回に最速151km/hを計測(NHKの中継での表示は148km/h)したが、チームは敗退している。同年夏の第87回全国高等学校野球選手権大分大会では、準決勝の試合中に肘を痛めてしまい、緊急降板。チームも延長11回まで戦った末に敗れた。

同年のプロ野球高校生ドラフト会議にて横浜ベイスターズから1巡目指名を受け、契約金9000万円、年俸870万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は11。

2006年は6月23日に一軍へ初昇格すると、同月29日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)で両親も観戦する中、公式戦初登板初先発。5回表二死まで走者を1人も出さず、6回を投げて被安打2、四死球0、1失点という内容で勝利投手となった。最終的に、5試合に先発し、1勝2敗、防御率6.43という成績でシーズンを終えた。

2007年は4試合に先発し、0勝3敗、防御率6.30でシーズンを終えた。

2008年はリリーフとして16試合に登板し、防御率は0.76を記録した。

2009年は開幕からセットアッパーとして一軍に定着。リリーフで10試合に登板した4月には、投球イニング14回ながら14奪三振、防御率0.64、2勝5ホールドを記録した末に、セントラル・リーグの月間MVPを初めて受賞した。シーズン途中からはクローザーへ転向。通算では、51試合の登板で、5勝4敗18セーブ、防御率3.27という成績を残した。

2010年は球団がクローザー候補としてクリス・ブーチェックを獲得したことから、春季キャンプでは、先発投手への再転向を視野に調整していた。しかし、ブーチェックがオープン戦で不振だったことから、公式戦の開幕直前でクローザーに復帰。セントラル・リーグの監督推薦選手として初めて出場したオールスターゲームでは、「2試合を通じて最も印象的な活躍を見せた選手」としてマツダ・プレマシー賞を受賞した。後半戦で本来の調子を取り戻すと、自身初の30セーブを記録した。

2011年は2年連続でオールスターゲームに出場。2年連続で30セーブを挙げた。同年10月22日の巨人戦(東京ドーム)にて、長野久義に日本プロ野球史上8人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を打たれた。なお本人が2023年7月に上原浩治の公式YouTubeチャンネルで2011年オフに球団から許可を得て、ポスティングシステムを利用してメジャーリーグベースボール (MLB) へ挑戦する予定だったが、球団体制変更で立ち消えとなったことを語った。

2012年は開幕前から金髪にしていたが、シーズンに入ると打ち込まれるケースが目立ち、反省の意味をこめて丸刈りにした。9月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)で、NPB史上25人目の通算100セーブを達成。25歳と53日での達成は当時史上最年少であった。防御率もクローザー定着後では最も良い1.74を記録したが、同点や敗戦処理での登板機会が多かった影響で、セーブ数は前年から減少した。オフに開催された「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出された。抑えとして全2試合でセーブを記録。12月13日の契約交渉では、早ければ翌シーズンの終了後にポスティングシステムによるメジャーリーグベースボール (MLB) への移籍を目指す意向を球団側に伝えた。

2013年は、5月の時点で4勝を記録。44試合に登板したが、救援失敗を繰り返したため、3回の二軍への降格を経験した。ホルヘ・ソーサが抑えに定着したシーズン途中に1勝を上乗せしたが、全体では7セーブ、防御率5.40と低迷した。

2014年は開幕からソーサにつなぐセットアッパーを任されたが、5月終了時点の防御率が7.62に達したため、再び先発へ転向すべく二軍で調整。6月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、2007年9月19日の対広島東洋カープ戦以来7年ぶりの先発登板を果たすと、6回2被安打無失点の好投でシーズン初勝利を挙げた。公式戦での先発登板で勝利投手になったのは、2006年の一軍デビュー戦以来8年ぶりであった。この月には先発登板4試合で3勝1敗、防御率0.99という好成績を残し、自身2度目の月間MVPに選ばれた。7月1日の対中日ドラゴンズ戦(石川県立野球場)では、3回表の第1打席で初本塁打を記録。9月には、3日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)に11奪三振の力投で一軍初の完投勝利を果たすと、さらに9月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)では4安打無四球でプロ初完封勝利を挙げた。9月は2完封を含む3完投でリーグトップタイの3勝を挙げ、自身3度目の月間MVPに選ばれた。シーズン全体では、月間MVPを2度獲得したほか、リーグ最多の3完投を記録。8勝5敗3ホールド、防御率2.90という好成績を残したことから、12月11日の契約交渉後の記者会見では、翌2015年も先発投手に専念することを明かした。

2015年は、4月25日の対中日戦(横浜)でチームのシーズン初完投勝利を挙げるなど、先発投手として自身3連勝を記録。ただし、同年は試合途中の6回に失点を重ねる傾向が見られたほか、好調な打線の援護にも恵まれていた。5月中旬から不調に転じると、7月4日の対阪神戦でシーズン初黒星。7月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦でシーズン3敗目を喫してからは、一軍と二軍を何度も往復した。結局3勝を挙げただけで、7月以降に6連敗を記録。防御率も4.49にとどまった。

2016年は下園辰哉に代わり、球団の選手会長に就任。球団の仕事始めであった1月4日には、かつてのチームメイトでもあった新任のアレックス・ラミレス監督から、公式戦の開幕投手に初めて指名されたが、オープン戦期間中に調整の目的で登板したロッテとのイースタン・リーグ公式戦(3月12日)で、一塁へのベースカバーへ入った際に右足首を捻挫。この事態を受けて、首脳陣は開幕投手を井納翔一へ急遽変更した。4月9日の対ヤクルト戦(横浜)でシーズン初登板・初先発を果たすと、自身2年ぶりの本塁打を放つ活躍も見せ、シーズン初勝利を挙げた。セ・パ交流戦の期間中には、セ・リーグ球団の投手で初めて2試合連続完封勝利を記録。7月上旬の時点で両リーグ単独トップの3完封勝利を記録するほどの好調を背景に、オールスターゲームでは、セ・リーグの監督推薦選手として第2戦(7月16日・横浜)での先発が内定していた。しかし、7月9日の投球練習中に左足首を捻挫し、その後の診察で左前距腓靱帯ぜんきょひじんたいおよび脛腓靱帯しょうひじんたいの損傷が判明したため、オールスターゲームへの出場を辞退するとともに、井納が代替選手として出場することになった。山口と共に監督推薦選手へ選ばれていたチームメイトの石田健大が、第2戦の先発を務めた。8月3日に一軍へ復帰してからも、右のエースとして好調を維持。9月3日の対阪神戦(甲子園)で自身初のシーズン10勝に到達するなど、チーム史上初のクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。レギュラーシーズン全体では、規定投球回には到達できず19試合の登板にとどまりながらも、11勝5敗、防御率2.86を記録。完投試合数(5)と完封試合数(3)はリーグトップであったが、先発で登板した9月10日の対中日戦(ナゴヤドーム)後に右肩痛を発症したため、レギュラーシーズンの残り試合やポストシーズンでの登板機会はなかった。

2016年のレギュラーシーズン中に国内FA権を取得。ポストシーズン終了後の11月8日には、「選手としてせっかく取れた権利なので、『プロ野球選手としての評価を聞きたい』という気持ちが強くなった」という理由で、権利を行使する意向を涙ながらに表明した。

11月10日付でNPBからフリーエージェント宣言選手として公示されると、11日には、巨人が3年契約を条件に山口への入団交渉を開始。同年にナゴヤドームでの主催公式戦で山口に2戦全敗を喫した中日も、契約期間5年規模・年俸総額10億円以上という条件で交渉に入った。FA宣言選手の残留を認めているDeNAでも、契約期間3年・年俸総額5億円以上という条件で残留交渉を続けていたが、同月29日の交渉中に山口が他球団へ移籍する意向を表明。12月1日には、巨人が山口から入団の意向を伝えられたことを公表した。

山口は2016年に、推定年俸8000万円という条件でDeNAと契約していた。FA権の行使に関するNPBの規定では、この年俸がBランク(同年にDeNAへ在籍していた日本人選手の上位4位以下10位以内)に該当するため、巨人にはDeNAに対する人的(または金銭)補償の義務が生じる。このため、巨人は12月12日までに、DeNAが人的補償措置で獲得できる選手の名簿を同球団へ提出。2017年1月5日に人的補償選手として平良拳太郎をDeNAが獲得した。

2016年12月5日に、巨人が山口の入団を正式に発表し、ソフトバンクからFA権の行使で移籍した森福允彦と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は42。年俸については、入団当初の推定で8000万円とされていた。しかし、NPBのFA規約第7条による「特別な事情の申請」がコミッショナーに認められていたことが後に判明したため、実際には2億5000万円程度と見られている。

2017年は前年から続く右肩痛の影響で、春季キャンプを三軍でスタート。開幕に出遅れたものの6月14日の対福岡ソフトバンクホークス戦(東京ドーム)で、先発投手として移籍後初登板を果たした。この試合で6回表終了まで無安打無失点に抑えると、山口の後を受けて登板したスコット・マシソンとアルキメデス・カミネロもソフトバンク打線を無安打に抑えたため、セ・リーグ史上初の継投によるノーヒットノーランで移籍後初勝利を挙げた。一方で移籍後3試合目となった7月2日の古巣DeNA戦では4回6失点という内容で初黒星を喫すると、次の登板となった同月9日の阪神戦でも5回6失点と試合を作れず、防御率は6.43に達した。

30歳の誕生日に当たる7月11日に東京都内の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。更に、山口が負傷後に訪れた東邦大学医療センター大橋病院で、泥酔状態のまま出入口の扉の損壊や男性警備員への暴行に及んだとされる疑いが浮上した。上記の疑いが発覚した7月18日には球団は事態を重く見て、事態の全容が判明するまで山口の登板を見合わせることを決定。先発が予告されていた同日の対中日戦(ナゴヤドーム)は、中日球団からの承諾を得たうえで高木勇人を急遽先発させた。8月18日には、上記のトラブルに関して傷害と器物損壊の疑いで書類送検に処された。山口は容疑を認めており、記者会見で謝罪を行った。被害者との示談も成立しており、当初被害者が警察署に提出していた被害届も取り下げられているといい、同月23日に東京地検は山口を不起訴処分とした。球団は一連の行為が統一契約書第17条(模範行為)に違反し、プロ野球協約第60条の不品行に該当すると判断。同協約に基づき、8月18日からシーズン終了の11月30日までの出場停止、事件当日の7月11日から出場停止処分が決まるまでの8月17日までは1日につき年俸の300分の1に相当する罰金、出場停止期間中にあたる8月18日から11月30日までも、1日につき年俸の300分の1に相当する減俸を科すことも決まった。罰金と減俸の総額は1億円以上に上るとされている。この処分については、甘すぎるとの苦情が球団に寄せられたが、日本プロ野球選手会からは交渉時の経緯等から「処分は不当に重い」として、球団に処分の再検討を求めた。その後、2日後の20日に練習を球場で再開し、チームメイトに謝罪した。前述の抗議については「知らなかった」と困惑していた。オフの契約更改では、契約期間が1年短縮されたものの現状維持でサインした。移籍1年目の成績は1勝1敗だった。

読売ジャイアンツ山口俊投手ノーヒットノーラン達成

2018年は、7月27日に史上79人目のノーヒットノーランを達成。出塁を許したのは大島洋平への四球1つのみで、準完全試合としては史上14人目であった。この日の中日の先発は、前回のセ・リーグのノーヒットノーラン達成者である山井大介(2013年6月達成)であった。また、100セーブ以上を記録してからのノーヒットノーラン達成は、史上初の快挙となった。さらに、これがレギュラーシーズンにおける平成最後のノーヒットノーランになった。チーム事情で9月以降は抑えに回り、9月23日の阪神戦で5年ぶりとなるセーブを挙げた。プロ13年目で自身初となる規定投球回に到達し、成績は30登板、154回、6完投、2完封、9勝9敗1セーブ1ホールド、防御率3.68、144奪三振だった(リリーフでは9試合1勝1敗1セーブ1ホールド、防御率1.50)。

2019年からは背番号を横浜時代と同じ11に変更。3・4月は4勝0敗・防御率1.59を記録して月間MVPを受賞したが、5月は未勝利だった。6月29日の対ヤクルト戦(秋田)では、プロ通算1000投球回を達成した。6月は4勝0敗、防御率0.77の成績で、同年2度目の月間MVPを受賞した。オールスターには監督推薦で、自身3度目の出場を果たした。7月16日の対ヤクルト戦(神宮)で、勝利投手になり、10勝目を挙げ、巨人移籍後初の2桁勝利した。8月1日時点で、11勝2敗、勝率.846、防御率2.55、131奪三振と4部門でリーグトップの成績を残していたが、右肘周囲の筋肉に張りを訴え、登録を抹消された。その後無事に復帰し、26登板、170回を投げ15勝4敗(勝率.789)、防御率2.91、188奪三振のキャリアハイの成績を残し、自身初のタイトルとなる最多勝利、最多奪三振、最高勝率を獲得し、自身初のベストナインも受賞した。防御率もリーグ3位で、援護率6.19という数字を残した。さらに自身初となるチームのリーグ優勝に大きく貢献した。ポストシーズンではCSファイナルステージの対阪神戦(東京ドーム)の第1戦目に先発し7回1/3、1失点の好投で勝利投手になった。自身初の日本シリーズでは対ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)の第1戦目に先発し6回3失点の好投するも敗戦投手になり、チームは4連敗し日本シリーズ優勝はならなかった。

オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出された。同大会ではオープニングラウンドのベネズエラ戦で4回1失点、スーパーラウンドのオーストラリア戦では4回2失点と試合を作り日本代表初となるプレミア12の決勝進出に貢献した。決勝の韓国戦では1回3失点と打ち込まれたがチームが逆転してくれ勝利し自身初の国際大会での優勝を経験した。シーズン終了後にポスティングシステムを利用してMLBへ挑戦することが明らかとなった。これまで巨人軍ではポスティングシステムの利用は認めてこなかったが、山口は球団から認められたことにより巨人軍としては初となるポスティング移籍となった。また、FAで移籍した選手がポスティング移籍するのも史上初である。

2019年12月27日にトロント・ブルージェイズと2年総額635万ドルで契約を結んだことが発表された。背番号は1で、ポスティング費用として巨人にはブルージェイズから127万ドルが支払われる。これにより、FAで移籍した選手並びに巨人としてはポスティングシステムを利用してMLB移籍した初の選手となった。

2020年7月26日のタンパベイ・レイズ戦、1点リードの10回裏にメジャー初登板を果たした。しかし、タイブレークの無死二塁からホセ・マルティネスに四球、続くケビン・キアマイアーに逆転サヨナラ2点適時打を打たれ、敗戦投手となった。続く2試合目の登板となった7月29日のワシントン・ナショナルズ戦でもタイブレークの10回から登板するも、4失点で再び負け投手となった。8月に入ってから主にロングリリーフとして起用されると一転して復調し、8月20日のフィラデルフィア・フィリーズ戦まで5試合に登板し、計7回2/3を1失点で抑えた。8月26日のボストン・レッドソックス戦では3回表から登板し、4回1失点の好投をみせ、メジャー初勝利を収めた。8月は月間防御率1.54の好成績を残したが、9月15日の対ニューヨーク・ヤンキース戦で1回1/3を投げ7失点を喫するとそれ以降は乱調に陥り、最終的にすべてリリーフとして17試合に登板し、2勝4敗1ホールド、防御率8.06という成績でMLB1年目を終えた。 チームはポストシーズンに出場したが、山口はロースターから漏れた。

2021年は2年契約最終年となったが、キャンプ直前の2月11日にDFAとなり、13日にFAとなった。

2021年2月20日にサンフランシスコ・ジャイアンツとスプリット契約を結んだ。シーズン開幕は、傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎えた。しかし、5試合に登板して0勝3敗、防御率6.17と不振で、6月2日に契約を破棄して日本へ復帰する意向であることを球団に伝え、翌3日に正式にFAとなった。自身のインスタグラムでは「日本に帰国することを決断しました」「夢を追ってメジャーに挑戦しましたが、力及ばずシーズン途中での帰国となります」と発信した。

山口が帰国することを決断したことを受け、古巣である読売ジャイアンツが獲得に乗り出し、6月10日に球団から契約合意が正式発表された。背番号は99。2022年までの契約となり、2021年シーズンの推定年俸は3000万円であった。6月23日のDeNA戦でNPB復帰後初登板・初先発し、5回2/3を5安打1失点で勝利投手となった。7月7日の中日戦で2勝目を挙げたが、以降は好投しても援護が獲られない試合や突然崩れる試合が多く7連敗でシーズンを終え、最終成績は2勝8敗、防御率3.56であった。オフに、3000万円増となる推定年俸6000万円で契約を更改し、翌年から背番号を17に変更することを発表した。

2022年は、5月26日にファイターズ鎌ケ谷スタジアムで開催されたイースタン・リーグ、対北海道日本ハムファイターズ戦では古川裕大に1球目を投じた直後に左膝の痛みを訴えて、そのまま降板した。この年は、左ふくらはぎの肉離れなど怪我が多く、一軍では1試合のみの登板に終わり、シーズン終了後、戦力外通告を受けた。 同年11月8日に開催された12球団合同トライアウトには参加せず、オファーを待つ身となった。独立リーグ・九州アジアリーグに所属する、大分B-リングスからオファーがあったものの、NPB球団からのオファーはなく、翌2023年3月29日に現役引退を表明し、4月17日に自身のインスタグラムで報告した。

現役引退を正式に発表する前の2022年12月3日に妻の高木加織と共に東京・六本木でちゃんこ屋「TANIARASHI」を開業。

打者に対してやや左足を一塁方向へずらしてセットするスリークォーターから、平均球速約145km/hのフォーシームと落差の大きいフォークボールを軸に、縦横のスライダー、カーブを織り交ぜて勝負する投手。先発転向後はシュート、SFFも使用し始めた。さらに、2016年からはワンシームを習得している。リリーフ時には自己最速157km/hを記録した。

死球によって相手打者の負傷が相次いだことにより、「壊し屋」と呼ぶメディアも存在する。2012年7月8日の中日戦(名古屋)では中日の4番・トニ・ブランコの左手に死球。ブランコは左手甲を骨折し、長期離脱となった。抑えで登板した同年8月2日の広島戦(横浜)では、9回表一死一・二塁、DeNAが5-1でリードした場面で代打・會澤翼の右目下部に死球をぶつけ危険球退場。會澤は鼻骨を骨折して顔面から大量出血し、救急車がグラウンド内に乗り入れる騒ぎとなった。試合は菊地和正が1失点に抑えてDeNAが5-2で勝利したものの、DeNAは広島に配慮し、ハイタッチ及びヒーローインタビューを自粛。先発で登板した2014年7月21日の対中日戦(横浜)では、先頭打者から4球で3連打を打たれて先制を許すと、4番・和田一浩の左頭部に死球。「試合開始から5球目での危険球退場処分」という当時NPB一軍史上最短記録を残した。NPBの一軍公式戦で一死も取れずに危険球で退場した先発投手は、史上3人目であった。2015年4月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、田中浩康の頭部に死球をぶつけ危険球退場。危険球退場の回数が、NPB最多タイ記録の3回に達した。

2014年12月25日、グラビアアイドルの高木加織と結婚。この時点で加織が芸能活動を事実上休止していたことから、当初の発表では、結婚相手を「一般女性」と表現。加織自身も、同日付の公式ブログで結婚と懐妊を伝える記事を掲載した際に、山口への配慮などから結婚相手の氏名を伏せていた。しかし、夫が山口であることを一部の週刊誌が報じたことから、2015年3月14日に公式ブログを通じて山口との結婚を正式に公表。同月21日には、前日(20日)に第1子(長女)を出産したことを報告した。2016年には、山口の先発が予告されていた8月20日の対中日戦(ナゴヤドーム)試合前に、加織が第2子(長男)を出産。山口自身も、当時の自己最多記録に並ぶシーズン8勝目を挙げている。

各年度の太字はリーグ最高

横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

最多勝利:1回(2019年)

最多奪三振:1回(2019年)

最高勝率:1回(2019年)

ベストナイン:1回(投手部門:2019年)

月間MVP:5回(投手部門:2009年4月、2014年6月、2014年9月、2019年3・4月、2019年6月)

最優秀バッテリー賞:1回(2019年 捕手:小林誠司)

オールスターゲーム マツダ プレマシー賞:1回(2010年)

初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:2006年6月29日、対読売ジャイアンツ9回戦(横浜スタジアム)、6回2安打1失点

初奪三振:同上、2回表に李承燁から空振り三振

初ホールド:2008年9月23日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に3番手で救援登板、1回無失点

初セーブ:2009年5月5日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点

初完投・初完投勝利:2014年9月3日、対阪神タイガース18回戦(阪神甲子園球場)、9回5安打1失点11奪三振

初完封勝利:2014年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム)、9回4安打5奪三振無四球

初安打:2006年7月15日、対広島東洋カープ9回戦(横浜スタジアム)、2回裏に大島崇行から中前安打

初打点:2010年7月17日、対読売ジャイアンツ12回戦(横浜スタジアム)、8回裏に久保裕也から右前2点適時打

初本塁打:2014年7月1日、対中日ドラゴンズ9回戦(石川県立野球場)、3回表に朝倉健太から左越ソロ

100セーブ:2012年9月4日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(横浜スタジアム)、9回表に2番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上25人目

1000投球回:2019年6月29日、対東京ヤクルトスワローズ10回戦(秋田こまちスタジアム)、7回裏一死目に中山翔太から見逃し三振 ※史上353人目

1000奪三振:2019年8月12日、対広島東洋カープ18回戦(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)、3回裏に鈴木誠也から見逃し三振 ※史上150人目

ノーヒットノーラン:2018年7月27日、対中日ドラゴンズ12回戦(東京ドーム)、1四球の準完全試合 ※史上79人目、90度目

先発投手最短危険球退場:2014年7月21日、対中日ドラゴンズ11回戦(横浜スタジアム)、1回表に5球目を和田一浩へ頭部死球

通算危険球退場:4回 ※史上最多

オールスターゲーム出場:3回(2010年、2011年、2019年) ※2016年は選出されるも出場辞退

初登板:2020年7月26日、対タンパベイ・レイズ3回戦(トロピカーナ・フィールド)、10回裏に8番手で救援登板、0/3回を1安打2失点(自責点1)で敗戦投手

初奪三振:2020年7月29日、対ワシントン・ナショナルズ3回戦(ナショナルズ・パーク)、10回裏にビクター・ロブレスから空振り三振

初勝利:2020年8月26日、対ボストン・レッドソックス5回戦(セーレン・フィールド)、3回表に2番手で救援登板、4回2被安打1失点

初ホールド:2020年9月20日、対フィラデルフィア・フィリーズ6回戦(シチズンズ・バンク・パーク)、8回裏に3番手で救援登板、2/3回無失点

11(2006年 - 2016年、2019年)

42(2017年 - 2018年)

1(2020年)

99(2021年6月11日 - 同年終了)

17(2022年)

「WILD WILD WILD」EXILE THE SECOND(2017年)

「Rusty Nail」X JAPAN(2017年)

「バンビーナ」布袋寅泰(2018年 - 2019年9月、2021年6月 - )

「裸 〜Nude〜」ゆしん(2019年10月)

2005年AAAアジア野球選手権大会日本代表

2019 WBSCプレミア12 日本代表

^ それまでの最年少記録は赤堀元之の26歳と55日。2018年に松井裕樹が22歳10か月で達成し、更新した。

^ 26先発・170.0回。1point02.jpによる。

^ 2019年シーズンデータ。リリーフ時代の2011年シーズンは平均148km/h。

^ 後に畠世周が4球で退場。

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大分県出身の人物一覧

横浜DeNAベイスターズの選手一覧

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個人年度別成績 山口俊 - NPB.jp 日本野球機構

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1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 大友工, 長谷川良平

1956 別所毅彦

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 藤田元司

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 権藤博

1963 金田正一

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 江夏豊

1974 松本幸行, 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 高橋里志

1978 野村収

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 小松辰雄

1988 小野和幸, 伊東昭光

1989 斎藤雅樹, 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二, 山本昌広, 野村弘樹

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹, B.ガルベス

1997 山本昌

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2000 M.バンチ

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治, K.ホッジス

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 下柳剛, 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 S.グライシンガー

2008 S.グライシンガー

2009 吉見一起, 館山昌平

2010 前田健太

2011 吉見一起, 内海哲也

2012 内海哲也

2013 小川泰弘

2014 R.メッセンジャー, 山井大介

2015 前田健太

2016 野村祐輔

2017 菅野智之

2018 大瀬良大地, 菅野智之

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋, 九里亜蓮

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1950 杉下茂

1951 金田正一

1952 金田正一

1953 金田正一

1954 杉下茂

1955 金田正一

1956 金田正一

1957 秋山登

1958 金田正一

1959 金田正一

1960 金田正一

1961 権藤博

1962 小山正明

1963 金田正一

1964 金田正一

1965 村山実

1966 村山実

1967 江夏豊

1968 江夏豊

1969 江夏豊

1970 江夏豊

1971 江夏豊

1972 江夏豊

1973 高橋一三

1974 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 池谷公二郎

1978 斉藤明雄

1979 新浦寿夫

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 江川卓

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 遠藤一彦

1987 川口和久

1988 槙原寛己

1989 川口和久

1990 木田優夫

1991 川口和久

1992 仲田幸司

1993 今中慎二

1994 桑田真澄

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤隆

1997 山本昌

1998 石井一久

1999 上原浩治

2000 石井一久

2001 野口茂樹

2002 井川慶

2003 上原浩治

2004 井川慶

2005 門倉健, 三浦大輔

2006 川上憲伸, 井川慶

2007 内海哲也

2008 C.ルイス

2009 C.ルイス

2010 前田健太

2011 前田健太

2012 杉内俊哉, 能見篤史

2013 R.メッセンジャー

2014 R.メッセンジャー

2015 藤浪晋太郎

2016 菅野智之

2017 M.マイコラス

2018 菅野智之

2019 山口俊

2020 大野雄大

2021 柳裕也

2022 戸郷翔征

2023 今永昇太

2024 戸郷翔征

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 藤村隆男

1953 大友工, 石川克彦

1954 杉下茂

1955 大友工

1956 堀内庄

1957 木戸美摸

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 伊藤芳明

1962 小山正明

1963 山中巽

1964 石川緑

1965 山中巽

1966 堀内恒夫

1967 堀内恒夫

1968 島田源太郎

1969 高橋一三

1970 村山実

1971 坂井勝二

1972 堀内恒夫

1973 倉田誠

1974 松本幸行

1975 星野仙一

1976 加藤初

1977 新浦寿夫

1978 鈴木康二朗

1979 藤沢公也

1980 福士敬章

1981 江川卓

1982 都裕次郎

1983 津田恒美

1984 江川卓

1985 北別府学

1986 北別府学

1987 川端順

1988 小野和幸

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 北別府学

1992 斎藤雅樹

1993 山本昌広

1994 紀藤真琴

1995 石井一久

1996 斎藤雅樹

1997 三浦大輔

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 入来祐作

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 安藤優也

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 館山昌平

2009 D.ゴンザレス

2010 久保康友

2011 吉見一起

2012 杉内俊哉

2013 小川泰弘

2014 山井大介

2015 M.マイコラス

2016 野村祐輔

2017 薮田和樹

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

 投  山口俊

 捕  會澤翼

 一  D.ビシエド

 二  山田哲人

 三  高橋周平

 遊  坂本勇人

 外  鈴木誠也 / 丸佳浩 / N.ソト

沢村栄治

V.スタルヒン

石田光彦

中尾輝三

亀田忠

浅野勝三郎

三輪八郎

森弘太郎

西沢道夫

天保義夫

藤本英雄

別所昭

石丸進一

呉昌征

梶岡忠義

真田重男

金田正一

林義一

大友工

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杉下茂

大津守

大脇照夫

大矢根博臣

井上善夫

中山義朗

G.バッキー

外木場義郎

清俊彦

若生忠男

堀内恒夫

城之内邦雄

鈴木啓示

成田文男

渡辺秀武

鬼頭洋

藤本和宏

高橋直樹

江夏豊

神部年男

加藤初

戸田善紀

郭泰源

田中幸雄

近藤真一

柴田保光

湯舟敏郎

西崎幸広

佐藤義則

T.ブロス

渡辺久信

野口茂樹

石井一久

川尻哲郎

佐々岡真司

M.バンチ

N.エルビラ

川上憲伸

井川慶

R.ガトームソン

山本昌

前田健太

杉内俊哉

西勇輝

山井大介

岸孝之

山口俊

菅野智之(CS)

千賀滉大

大野雄大

小川泰弘

東浜巨

今永昇太

山本由伸

C.ポンセ

石川柊太

戸郷翔征

大瀬良大地

1991 西村龍次 - 古田敦也

1992 岡林洋一 - 古田敦也

1993 山本昌広 - 中村武志

1994 桑田真澄 - 村田真一

1995 T.ブロス - 古田敦也

1996 斎藤雅樹 - 村田真一

1997 田畑一也 - 古田敦也

1998 佐々木主浩 - 谷繁元信

1999 野口茂樹 - 中村武志

2000 五十嵐亮太 - 古田敦也

2001 藤井秀悟 - 古田敦也

2002 上原浩治 - 阿部慎之助

2003 井川慶 - 矢野輝弘

2004 川上憲伸 - 谷繁元信

2005 藤川球児 - 矢野輝弘

2006 川上憲伸 - 谷繁元信

2007 高橋尚成 - 阿部慎之助

2008 S.グライシンガー - 阿部慎之助

2009 D.ゴンザレス - 阿部慎之助

2010 前田健太 - 石原慶幸

2011 吉見一起 - 谷繁元信

2012 内海哲也 - 阿部慎之助

2013 前田健太 - 石原慶幸

2014 菅野智之 - 阿部慎之助

2015 石川雅規 - 中村悠平

2016 野村祐輔 - 石原慶幸

2017 菅野智之 - 小林誠司

2018 大瀬良大地 - 會澤翼

2019 山口俊 - 小林誠司

2020 大野雄大 - 木下拓哉

2021 柳裕也 - 木下拓哉

2022 青柳晃洋 - 梅野隆太郎

2023 東克樹 - 山本祐大

2024 菅野智之 - 小林誠司

希望入団枠:高宮和也

3巡目:内藤雄太

4巡目:三橋直樹

1巡目:山口俊

3巡目:黒羽根利規

迫田穆成

永田裕治

1 田中将大

2 好永貴雄

3 辻内崇伸

4 山口俊

5 古川秀一

6 片山博視

7 景山一旗

8 靍岡賢二郎

9 水野祐希

10 林裕也

11 加藤政義

12 船引俊秀

13 堂上直倫

14 正木修平

15 川端慎吾

16 平田良介

17 柳田隆宏

18 小島宏輝

80 稲葉篤紀

88 金子誠(ヘッド兼打撃)

81 建山義紀(投手)

84 村田善則(バッテリー)

82 井端弘和(内野守備・走塁)

87 清水雅治(外野守備・走塁)

11 岸孝之

13 山岡泰輔

17 大竹寛

18 山口俊

19 山﨑康晃

20 甲斐野央

21 今永昇太

22 大野雄大

28 高橋礼

43 山本由伸

47 中川皓太

57 嘉弥真新也

90 田口麗斗

10 小林誠司

27 會澤翼

62 甲斐拓也

1 山田哲人

2 源田壮亮

3 浅村栄斗

4 菊池涼介

5 外崎修汰

6 坂本勇人

7 松田宣浩

8 近藤健介

9 丸佳浩

23 周東佑京

34 吉田正尚

51 鈴木誠也

日本の野球選手

在アメリカ合衆国日本人の野球選手

横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手

読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手

MLBの日本人選手

トロント・ブルージェイズの選手

サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の選手

最多勝利 (NPB)

最多奪三振 (NPB)

最高勝率 (野球)

NPBオールスターゲーム選出選手

WBSCプレミア12日本代表選手

2019 WBSCプレミア12選手

WBSCプレミア12優勝選手

柳ヶ浦高等学校出身の野球選手

大分県出身のスポーツ選手

1987年生

存命人物

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プロジェクト人物伝項目

2024/11/16 13:21更新

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