岩本薫の情報(いわもとかおる) 囲碁 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
岩本 薫さんについて調べます
■名前・氏名 |
岩本薫と関係のある人
中村雅俊: HINOKIO(2005年) - 岩本薫 杉内雅男: 1954年の大手合の前田陳爾戦で八段昇段したが、この時には昇段点に達していたのに気付かず、次の岩本薫戦で白番ジゴとした時に計算して気付いた。 菊池康郎: 『圍碁』誌 高段者二子局シリーズ(1952/4-53/2月号) 10-1(○宮下秀洋、○瀬越憲作、○雁金準一、○坂田栄男、○木谷實、○鈴木為次郎、○高川秀格、○橋本宇太郎、○岩本薫、×藤沢朋斎、○藤沢秀行) つだみきよ: 岩本薫:『ADコンプレックス』 小林覚: 加えて孝之は瓊韻社の富田忠夫八段、覚は岩本薫九段にも師事する。 島村俊廣: NHKラジオで放送開始されたNHK杯争奪囲碁トーナメントの第1回は、本因坊2連覇中の高川格が宮下秀洋、岩本薫を、島村利博が橋本宇太郎、木谷實をそれぞれ破って決勝進出。 新海洋子: 1974年に岩本薫の研究会に入りそのまま門下へ。 麻々原絵里依: ヘビー×ビューティ 〜プリティ・ベイビィズ〜(原作:岩本薫、新書館) 藤沢朋斎: またこの時期、呉清源は十番碁で橋本宇太郎、岩本薫を先相先に打ち込み、高段者総当たり十番碁の成績により1950年に九段に推挙され、史上初めて同時に二人の九段が存在することとなった。 宮城とおこ: 絶体×絶命(岩本薫) 橋本宇太郎: 1950年の第5期本因坊戦の挑戦者となり、岩本薫和本因坊に4連勝で勝って本因坊位に返り咲く。 木谷実: 岩本薫和本因坊に挑戦するが、2-3で敗退。 高川格: 立会人の岩本薫から「高川七段の傑作である」と評され、白番の名局として知られている。 島村俊廣: 1936年四段時に、鈴木の懇意であった各務鎌吉により、岩本薫、前田陳爾と各5局の十番碁を行う。 橋本昌二: この予選では元本因坊の岩本薫八段を破るなどの活躍をしたが、鈴木五良五段に敗れて挑戦者決定リーグ入りはならなかった。 橋本宇太郎: 1945年第3期は岩本薫の挑戦を受け、6番勝負を3勝3敗の後、翌年の再決戦3番勝負で2連敗して敗れる。 橋本宇太郎: 1945年の第3期本因坊戦での岩本薫七段との挑戦手合において、広島市郊外の佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区)で行われた第2局は原爆下の対局として有名。 長谷川章: 1939年報知新聞社5人抜き戦で5人抜き達成(藤沢庫之助、木谷實、関山利一、村島誼紀、岩本薫)。 瀬越憲作: この第2局は五日市町吉見園(現佐伯区吉見園)で行われ、橋本宇太郎(昭宇)本因坊と挑戦者岩本薫七段の対局中、原爆が炸裂、強烈な爆風に見舞われ市内に残っていた広島支部の関係者は全員死亡、自身も被爆し、三男と甥も犠牲となった。 不破慎理: YEBISUセレブリティーズ(原作:岩本薫) 麻々原絵里依: Pretty Babies(原作:岩本薫、新書館) 新海洋子: 岩本薫九段門下。 大平修三: 大平は、トーナメントでは、岩本薫、三輪芳郎、杉内雅男、藤沢朋斎、決勝で大竹英雄を破って、三度目の挑戦手合進出となった。 呉清源: 1926年に岩本薫六段と小杉丁四段が訪中し、呉は岩本に三子で2連勝、二子で負け、小杉に二子で勝ちとなる。 長谷川章: 戦争で伊東に疎開したが、戦後は1946年の大手合から参加、同年の日本棋院新体制で理事に就任し、岩本薫、村島誼紀らと日本棋院の再建、新開館建設に尽力し、長谷川の後援会長だった津島寿一が日本棋院理事長となった。 呉清源: 1948年には岩本薫本因坊との十番碁で、6局目までで5勝1敗で先相先に打込む。 不破慎理: YEBISUセレブリティーズ(原作/文:岩本薫) 藤沢朋斎: 1943年から始まった第3期本因坊戦予選では七段で出場し、八段級予選で4戦全勝して上位3人による挑戦者決定リーグに入るが、岩本薫七段に敗れる。1946年に木谷実、岩本薫、橋本宇太郎、藤沢による四強豪戦に出場するが、途中で中止となる。 |
岩本薫の情報まとめ
岩本 薫(いわもと かおる)さんの誕生日は1902年2月5日です。島根出身の囲碁棋士のようです。
引退、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1999年に亡くなられているようです。
岩本薫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)岩本 薫(いわもと かおる、1902年〈明治35年〉2月5日 - 1999年〈平成11年〉11月29日)は、大正・昭和の囲碁棋士。第3、4期本因坊で本因坊 薫和と号する。島根県益田市出身、広瀬平治郎八段門下。 中盤の戦いに強く、序盤はあちこちに散在する石が徐々に関連して相手に圧力をかけてくるところから「豆まき碁」と呼ばれた。 1945年の第3期本因坊戦での橋本昭宇本因坊との挑戦手合において、広島市郊外の五日市(現佐伯区五日市町)で行われた6番勝負の第2局は原爆下の対局として有名。1948年から日本棋院理事長、1954年から中央会館館長を歴任。囲碁の海外普及に尽力し、また私財を投じた岩本基金により、サンパウロ、アムステルダム、ニューヨーク、シアトルの囲碁会館設立に多大な貢献をした。日本における七大タイトル獲得経験者では最年長にあたる。 島根県美濃郡高津村(現益田市)に生まれる。3歳で韓国の釜山へ移住。10歳で父から囲碁を習う。1913年(大正2年)11歳の時に釜山に立ち寄った高部道平と6子で打って東京での修行を勧められ、上京して方円社の広瀬平治郎(当時六段)に入門。各務鎌吉の後援を受けて研鑽、1917年に入段。1920年三段昇段、記念に各務の主催で小岸壮二と十番碁を打つ。1924年の碁界大合同で日本棋院に加わり、1926年に六段、棋正社との院社対抗戦で雁金準一に勝ち、小野田千代太郎に敗退。1926年に碁界を引退してブラジルに移住したが、2年後に帰国して復帰する。1940年七段。 1945年に第3期本因坊戦挑戦者となり、橋本昭宇本因坊との六番勝負で3勝3敗となり、翌年再決戦三番勝負に2連勝して本因坊に就位、薫和と号する。1947年の第4期は、初のコミ4目半を導入した五番勝負で、挑戦者の木谷実八段に3勝2敗で防衛。翌年本因坊2期の実績により、当時の最高段位八段に推挙された。1950年の第5期は橋本宇太郎に敗れる。1952年、全本因坊全八段戦で優勝。1955年、ラジオ放送時代のNHK杯で優勝。1973年に72歳で名人戦リーグ入り。 1949年には呉清源と十番碁を行い、第6局までで呉の5勝1敗で先相先に打込まれ、最終的に呉の7勝2敗1ジゴだった。 1951年の呉九段対日本棋院七・八段戦では、コミ無し白番を勝って殊勲局と言われる。1948年には桑原要次郎がスポンサーとなって、呉との非公開一番勝負がある。大手合1935年秋期甲組優勝。 1945年の東京大空襲による日本棋院焼失時には、自宅を仮事務所にするなどして、瀬越憲作らと日本棋院復興に尽力した。1948年に日本棋院理事長、1954年に東京駅八重洲口にオープンした中央会館の初代館長。1958年に訪米、続いて1961年からアメリカに1年半滞在してから海外普及に情熱を注ぎ、アメリカ・ヨーロッパ各国・南米等を訪問して囲碁の指導と普及を行った。 1961年に日本棋院理事でもあった永野護が、瀬越憲作、岩本らが、中央会館と別に「国際囲碁連盟」の設立を進めたが、伊予本桃市が、これへの日本棋院の協力に反対する。永野の協会には大倉喜七郎が援助する予定だったが、1963年の大倉の死去により自然消滅となった。 1975年にロンドンに囲碁会館を建設したが、3年ほどで経営不振で閉館。1986年に、所有していた囲碁サロン「薫和サロン」ビルを日本棋院に寄付し、それを売却した5億3千万円を資金として岩本囲碁振興基金を設立。1989年にはサンパウロに南米囲碁会館を建設、1992年にアムステルダムにヨーロッパ囲碁文化センター、1995年にシアトルとニューヨークに囲碁会館を建設するなど、世界各地での普及に尽くした。ヨーロッパ囲碁文化センターの日本間は「薫和」と名付けられている。 1967年に九段。1967年紫綬褒章、1972年大倉賞、1972年勲三等瑞宝章受章、1976年サンフランシスコ文化勲章受章。1987年度名誉東京都民、1989年棋道賞「国際賞」。日本棋院顧問を務める。 1973年に71歳で名人リーグ入り。1983年に現役を引退。『棋道』誌1992年6月号から1993年3月号まで「岩本放談」を連載。1999年に死去。島根県益田市では2002年に生誕100年を記念して名誉市民の称号を贈り、市立歴史民俗資料館では郷土の偉人として資料を展示している。2011年、第8回囲碁殿堂入り。 門下に、曲励起九段、福井正明九段、福井進九段、中岡二郎七段、ジェームズ・カーウィン初段ら。木谷門下の小林覚九段も指導した。 『棋聖秀策の布石(上下)』 東京創元社 1955年 『算砂・道碩 (日本囲碁大系第1巻) 』 筑摩書房 1975年 『囲碁を世界に(本因坊薫和回顧録)』 講談社 1979年 『岩本薫』(現代囲碁大系5)講談社 1981年 (監修)『道策全集』日本棋院 1991年 『本因坊薫和選集』岩本薫先生棋譜編纂会 1995年 (監修)『完本 本因坊秀策全集』福井正明編集 誠文堂新光社 1996年 ^ “囲碁,棋聖戦,上達の指南”. 読売新聞 囲碁コラム. 2024年7月13日閲覧。 本因坊 原爆下の対局 日本棋院の岩本薫 紹介ページ 益田市立歴史民俗資料館常設展「郷土の偉人 岩本薫和」 朝日新聞「異才伝:岩本薫」 表 話 編 歴 1 関山利一 2 橋本宇太郎 3 岩本薫 4 岩本薫 5 橋本宇太郎 6 橋本宇太郎 7 高川格 8 高川格 9 高川格 10 高川格 11 高川格 12 高川格 13 高川格 14 高川格 15 高川格 16 坂田栄男 17 坂田栄男 18 坂田栄男 19 坂田栄男 20 坂田栄男 21 坂田栄男 22 坂田栄男 23 林海峰 24 林海峰 25 林海峰 26 石田芳夫 27 石田芳夫 28 石田芳夫 29 石田芳夫 30 石田芳夫 31 武宮正樹 32 加藤正夫 33 加藤正夫 34 加藤正夫 35 武宮正樹 36 趙治勲 37 趙治勲 38 林海峰 39 林海峰 40 武宮正樹 41 武宮正樹 42 武宮正樹 43 武宮正樹 44 趙治勲 45 趙治勲 46 趙治勲 47 趙治勲 48 本因坊治勲 49 本因坊治勲 50 本因坊治勲 51 本因坊治勲 52 本因坊治勲 53 本因坊治勲 54 趙善津 55 王銘琬 56 王銘琬 57 加藤正夫 58 張栩 59 張栩 60 高尾紳路 61 高尾紳路 62 高尾紳路 63 羽根直樹 64 羽根直樹 65 山下敬吾 66 山下敬吾 67 井山裕太 68 井山裕太 69 井山裕太 70 井山裕太 71 本因坊文裕 72 本因坊文裕 73 本因坊文裕 74 本因坊文裕 75 本因坊文裕 76 本因坊文裕 77 本因坊文裕 78 一力遼 79 一力遼 表 話 編 歴 瀬越憲作1946-1948 岩本薫1948-1949 津島壽一1949-1951 足立正1951-1955 三好英之1955-1956 有光次郎1956-1975 長谷川章1975-1978 坂田栄男1978-1986 色部義明1986-1987 朝田静夫1988-1993 渡辺文夫1993-1998 利光松男1999-2004 加藤正夫2004 岡部弘2006-2008 大竹英雄2008-2012 和田紀夫2012-2016 團宏明2016-2019 小林覚2019-2024 武宮陽光2024-現在 表 話 編 歴 04 徳川家康、本因坊算砂、本因坊道策、本因坊秀策 05 本因坊丈和 06 大倉喜七郎、本因坊秀和 07 本因坊秀甫 08 本因坊秀栄、本因坊秀哉 09 瀬越憲作 10 木谷実 11 岩本薫 12 二世安井算哲、陳毅 13 喜多文子 14 橋本宇太郎 15 呉清源 16 寛蓮、井上幻庵因碩 17 正岡子規 18 正力松太郎 19 本因坊栄寿、趙南哲 20 藤沢秀行 21 本因坊秀格 ISNI VIAF WorldCat ドイツ ベルギー アメリカ 日本 チェコ オランダ 日本の囲碁棋士 広島原爆の被爆者 紫綬褒章受章者 勲三等瑞宝章受章者 囲碁殿堂表彰者 名誉都民 島根県出身の人物 1902年生 1999年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 KBR識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事
2024/11/21 10:24更新
|
iwamoto kaoru
岩本薫と同じ誕生日2月5日生まれ、同じ島根出身の人
TOPニュース
岩本薫と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「岩本薫」を素材として二次利用しています。