村上公康の情報(むらかみきみやす) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
村上 公康さんについて調べます
■名前・氏名 |
村上公康と関係のある人
高橋博士: 1978年には村上公康の引退によりレギュラーを獲得、その後も土肥健二らと併用される。 片岡新之介: 翌1972年は、ロッテオリオンズに移籍した村上公康に代ってレギュラー捕手となるが、その後は打撃面での低迷もあって宮寺勝利、楠城徹と併用された。 筒井良紀: 初出場:1977年6月1日、対日本ハムファイターズ前期10回戦(宮城球場)、9回表に村上公康に代わり捕手として出場 榊親一: 主に醍醐猛夫・村上公康の控え捕手としての役割を担ったが、1972年のシーズン中盤からは醍醐に代わり43試合に先発マスクを被る。 中西太: 1969年は宮寺に代わって村上公康が正捕手となったが、チーム打率最下位・チーム防御率5位という散々な内容で2年連続で5位となる。 河合保彦: 1967年には後に捕手の二枚看板となる宮寺勝利・村上公康の台頭で出場試合が減少し、同年限りで現役を引退。 池永正明: 一方、西鉄でバッテリーを組んだ村上公康は池永の投球について「相手をねじ伏せる気迫を持っていて変化球が多かったが、打たせて取るという消極的な感じではなく、討ち取るのだという気迫に溢れていた。 前田康介: 1962年夏の甲子園県予選でも準々決勝に進出するが、村上公康のいた西条高に延長10回の熱戦の末に敗退。 大沢啓二: シーズン終了後、「打力だけでは日本一になれない」と榎本喜八、江藤慎一、アルト・ロペスを放出して野村収、村上公康、外山義明を獲得。 田中調: 準決勝で石川洵と村上公康のバッテリーを擁する愛媛県立西条高等学校と対戦し、延長16回の激闘の末にサヨナラ負けを喫して甲子園出場はならなかった。 大橋穣: 日大三高では1年次の1962年、控え内野手として夏の甲子園に出場するが、準々決勝で村上公康のいた西条高に敗れる。 三輪田勝利: しかし2回戦(準々決勝)で石川洵(のち立大-鐘紡)、村上公康のバッテリーを擁する西条高に敗退。 稲尾和久: 4月に入ると永易や藤縄から事件に関与した選手の実名が晒され、5月下旬に、コミッショナー委員会から池永正明・与田順欣・益田昭雄の3投手が永久追放、船田和英・村上公康が1年、基満男が1ヶ月の出場停止の処分が下された。 土肥健二: 1973年から村上公康の控え捕手として一軍に定着した。 浜崎正人: 同年の岡山国体でも準決勝に進むが、石川洵(立大-鐘紡)、村上公康のバッテリーを擁する西条高に惜敗。 島谷金二: しかし、西条高の石川洵(立大-鐘紡)、村上公康のバッテリーに抑えられ敗退、甲子園出場を逸する。 宮寺勝利: 1969年には故障もあり村上公康に定位置を譲るが、翌年には復活し、その後は村上や片岡新之介と激しいポジション争いが続いた。 児玉好弘: しかし2回戦では西条高(愛媛)の石川洵投手(立大-鐘紡)、村上公康捕手のバッテリーに0-4で完封を喫する。 溜池敏隆: 大学同期に若月宏之(全大丸)、石川洵(鐘紡)両投手、村上公康(中退)、槌田誠両捕手がいた。 醍醐猛夫: リーグを代表する柔らかいキャッチング技術で投手陣から「的が大きい」と好評で信頼され、打撃も荒いものの大物打ちで勝負強かったが、1973年には村上公康に正捕手のポジションを奪われる。 槌田誠: 同期に村上公康がいて厳しい正捕手競争となったが、村上は2年で中退しプロ入り。 長松純明: 強肩強打の捕手として期待されるが、村上公康、高橋博士らの控えに甘んじる。 |
村上公康の情報まとめ
村上 公康(むらかみ きみやす)さんの誕生日は1945年2月24日です。愛媛出身の野球選手のようです。
卒業、事件、引退、現在に関する情報もありますね。村上公康の現在の年齢は79歳のようです。
村上公康のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 村上 公康(むらかみ きみやす、1945年2月24日 - )は、愛媛県西条市出身の元プロ野球選手(捕手)・解説者。 西条高校3年次の1962年、3番・捕手として夏の甲子園に出場。同期の石川洵(立大-鐘紡)の好投もあって準決勝に進出するが、久留米商の伊藤久敏投手に0-3で完封され敗退。この大会では第3号本塁打を放っている。同年の岡山国体では久留米商を2-0で降し優勝、甲子園の雪辱を果たした。卒業後の1963年には石川と共に立教大学へ進学し、2年次の1964年からレギュラーとして活躍。同年春季の慶大戦で渡辺泰輔がリーグ初の完全試合を記録した際にも、石川とバッテリーを組んでいた。大学同期に槌田誠捕手、溜池敏隆外野手、若月宏之投手(全大丸)がいる。その後は大学を中退し、1965年に日本楽器へ入社すると、同年の都市対抗に出場。 1966年に第1次ドラフト4位で西鉄ライオンズへ入団。 1967年から一軍の控え捕手となる。 1969年には宮寺勝利に代わって正捕手となり、同年は自己最多の14本塁打を放った。 1970年の黒い霧事件では金銭授受の疑惑に対し、返却を主張したが、結局は船田和英と共に半年間(シーズン終了まで)の野球活動停止処分を受けて5月から欠場。同年は宮寺に定位置を譲る。 1971年にはレギュラーに復帰する。 1972年に榎本喜八との交換トレードでロッテオリオンズへ移籍。同時に船田もヤクルトへトレードされている。 1973年からは醍醐猛夫に替わり正捕手となる。 1974年にはチーム2度目のリーグ優勝に貢献、同年の中日との日本シリーズでは全6試合に出場し15打数4安打、4試合に先発マスクを被り初のチーム日本一に大きく寄与した。同年のベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。村田兆治のフォーク・ボールをノーサインで捕球できる捕手でもあり、1977年まで正捕手として活躍していたが、持病の膝痛が悪化したことから、同年限りで現役を引退。 引退後は東京12チャンネル「○曜ナイター」解説者(1978年)を経て、郷里・愛媛に戻り、スポーツ用品店の代表取締役に就任。また、新居浜市の少年野球チーム「新居浜スワローズ」の監督(1979年 - 1986年)を務めた。現在は技術顧問。 2005年3月27日、千葉ロッテマリーンズ開幕戦の始球式に1974年当時の優勝メンバーとして登場した。 ベストナイン:1回 (1974年) ダイヤモンドグラブ賞:1回 (1974年) 初出場:1967年5月14日、対近鉄バファローズ5回戦(日生球場)、6回表に清俊彦の代打で出場 初打席・初安打・初打点:同上、6回表に長田裕之から適時打 初先発出場:1967年5月23日、対近鉄バファローズ7回戦(平和台野球場)、6番・中堅手で先発出場(偵察要員:試合開始時に玉造陽二と交代) 初本塁打:1968年7月21日、対阪急ブレーブス18回戦(阪急西宮球場)、9回表に石井茂雄から左越決勝ソロ オールスターゲーム出場:3回 (1969年、1974年、1975年) 10 (1967年 - 1971年) 28 (1972年 - 1977年) ^ 歩み 新居浜スワローズ 愛媛県出身の人物一覧 立教大学の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 表 話 編 歴 投 金田留広 捕 村上公康 一 C.ジョーンズ 二 山崎裕之 三 有藤通世 遊 大橋穣 外 張本勲 / 福本豊 / D.ビュフォード 表 話 編 歴 1972 種茂雅之 1973 野村克也 1974 村上公康 1975 有田修三 1976 有田修三 1977 加藤俊夫 1978 中沢伸二 1979 梨田昌崇 1980 梨田昌崇 1981 梨田昌崇 1982 大宮龍男 1983 梨田昌崇 1984 藤田浩雅 1985 伊東勤 1986 伊東勤 1987 伊東勤 1988 伊東勤 1989 中嶋聡 1990 伊東勤 1991 伊東勤 1992 伊東勤 1993 田村藤夫 1994 伊東勤 1995 伊東勤 1996 高田誠 1997 伊東勤 1998 伊東勤 1999 城島健司 2000 城島健司 2001 城島健司 2002 城島健司 2003 城島健司 2004 城島健司 2005 城島健司 2006 里崎智也 2007 里崎智也 2008 細川亨 2009 鶴岡慎也 2010 嶋基宏 2011 細川亨 2012 炭谷銀仁朗 2013 嶋基宏 2014 伊藤光 2015 炭谷銀仁朗 2016 大野奨太 2017 甲斐拓也 2018 甲斐拓也 2019 甲斐拓也 2020 甲斐拓也 2021 甲斐拓也 2022 甲斐拓也 2023 若月健矢 2024 甲斐拓也 表 話 編 歴 1位:岡村佳典 2位:柳田俊郎 3位:甲斐和雄 4位:村上公康 5位:田中武(入団拒否) 6位:小野泰敏 7位:大津秀美 8位:村上利春(入団拒否) 9位:玉国光男(入団拒否) 10位:内藤久 1位:荒武康博 2位:塩沢誠(入団拒否) 3位:清水正輝(入団拒否) 4位:斎藤正人(入団拒否) 日本の野球選手 愛媛県立西条高等学校出身の野球選手 立教大学野球部の選手 ヤマハ硬式野球部及びその前身チームの選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 NPBオールスターゲーム選出選手 八百長に関与した選手 日本の野球監督 少年野球指導者 20世紀日本の実業家 愛媛県出身のスポーツ選手 1945年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/12/01 15:54更新
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