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栗山巧の情報 (くりやまたくみ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

栗山巧の情報(くりやまたくみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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栗山 巧さんについて調べます

■名前・氏名
栗山 巧
(読み:くりやま たくみ)
■職業
野球選手
■栗山巧の誕生日・生年月日
1983年9月3日 (年齢40歳)
亥年(いのしし年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和58年)1983年生まれの人の年齢早見表

栗山巧と同じ1983年生まれの有名人・芸能人

栗山巧と同じ9月3日生まれの有名人・芸能人

栗山巧と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


栗山巧と関係のある人

土井正博: コーチとして「松井稼頭央、中島宏之、中村剛也、栗山巧、浅村栄斗、高橋周平…。


星秀和: 以降は栗山巧の運転手をしながらリハビリに努めた。


福地寿樹: 序盤は不調で佐藤友亮・栗山巧と中堅手のレギュラーを争う形となったが徐々に調子を上げ、6月16日の対広島東洋カープ戦では5打数5安打を記録するなど、印象的な固め打ちも多かった。


横川史学: 続く同18日の対西武戦(西武ドーム)でも9回裏に栗山巧のレフトへのライナー性の飛球を捕り損ね、サヨナラヒットとなった。


熊澤とおる: 西武コーチ時代に教えを受けた栗山巧や浅村栄斗は、熊澤の後押しが大きかったと振り返っている。


岩嵜翔: 2010年、3月30日に一軍登録されると、3月31日の対埼玉西武ライオンズ戦で7回4点ビハインドからプロ入り初の中継ぎ投手として登板を果たし、7回は3者凡退に抑えたが、8回に先頭石井義人のライト前ヒットを多村仁志が取り損ねてエラーで二塁へ進塁させると、浅村栄斗の二塁打、栗山巧の安打で点差を広げてしまい、4月2日に二軍降格となった。


斉藤彰吾: 2011年は春季キャンプ時に栗山巧の代役として一軍に昇格し、そのまま紅白戦・オープン戦と一軍帯同を続け、プロ入り4年目にして初めて開幕一軍入りを果たした。


秋山翔吾: 7月中盤に再昇格後は当初は右翼手として、栗山巧が怪我の影響で左翼手にコンバートされた後は中堅手のレギュラーとして固定され、広い守備範囲と強肩を活かした守備面での活躍が目立った。


辻発彦: 2021年は、栗山巧が下肢の張り、山川が肉離れ、外崎が骨折、源田が新型コロナウイルスに罹患と、主力選手が序盤に相次いで登録を抹消された。


片岡易之: プロ入り後最も多い139試合に出場し、打っては2番打者の栗山巧とともに167安打で最多安打のタイトルを獲得し、リーグトップの得点圏打率.382と勝負強さも発揮。


武内晋一: 同学年の栗山巧も同リーグの「小寺少年団」に所属していた。


藤村雅美: 2000年春・夏の甲子園で捕手の光司や栗山巧らを擁して出場を果たし、夏はベスト4に進んだ。


渡辺直人: 9回表には、指名打者を解除したうえで遊撃の守備に就くと、無死一・二塁から栗山巧のゴロを捕球後に併殺を完成。


大山暁史: 初奪三振:2016年3月26日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(西武プリンスドーム)、8回裏に栗山巧から見逃し三振


高山久: 2009年は大半を二軍で過ごしたが、栗山巧の戦線離脱に伴い、10月5日に一軍登録された。


秋山翔吾: これは元々、漫画『天才バカボン』の登場キャラクターであるウナギイヌに顔が似ているということから、ファン間やチーム内で呼ばれていたものだが、「チームに活力を与えるウナギのような存在になれ」という、先輩の栗山巧の発案などもあり、ライオンズ公式でうなぎグッズが発売されるなど半ば公式の愛称となっており、後輩からもこれをネタにいじられることがある。


菊池保則: 初奪三振:同上、1回裏に栗山巧から空振り三振


源田壮亮: 7回に指名打者・栗山巧の代走で出場したが、8回の攻撃でエルネスト・メヒアを代打に送られたことで「プレイヤーが連続試合出場を記録するためには、少なくとも自チームのあるイニングの守備(回の初めから終わりまで)に出場するか、あるいは塁に出るかアウトになって打撃を完了しなければならない」という公認野球規則(第9条23項c)の条件を満たさなかったため、同じくプロ1年目の開幕戦から続けてきた連続試合出場も同様に299試合で止まった。


鈴木照雄: 清原和博、垣内哲也、和田一浩、松井稼頭央、中島裕之、中村剛也、栗山巧、炭谷銀仁朗など多くの選手をスカウトした。


田辺徳雄: 中村剛也・栗山巧など数多くの若手打者を一軍へ輩出した名伯楽でもある。


水上由伸: しかし、9月5日の楽天戦、4回裏一死一・三塁の場面で登板するも、スクイズと四球で二死一・二塁となり、続く茂木栄五郎が放ったレフト前への打球を栗山巧が後逸し、一塁走者も生還。


福山博之: 9月25日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)でも、先発のジム・ハウザーが1回裏二死に栗山巧への危険球で退場を宣告されたことから急遽登板すると、4回3分の1を投げて無失点に抑えたことでプロ入り後初のホールドポイントを記録した。


攝津正: 2011年以降に放送されている、『プロ野球選手100人が選んだ「この選手がすごい!コントロール部門」』では2011年の3位入賞から4年連続でトップ5入りを果たしたほか、栗山巧は摂津が引退した2018年度放送回まで8年間連続で摂津に投票し続けた。


今江敏晃: 2015年5月8日には、QVCマリンフィールドの対西武戦6回表一死二・三塁で、三塁手として栗山巧のファウルフライを追っていた今江が西武の三塁コーチ・奈良原浩と衝突。


鈴木将平: 初出場:2019年4月3日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(メットライフドーム)、7回裏に栗山巧の代走で出場


惣田紗莉渚: 栗山巧の大ファン。


浅村栄斗: 一軍再昇格後は打撃が復調し、8月に栗山巧が左手の負傷で離脱後は、シーズン終了まで1番打者として起用された。


エステバン=ヘルマン: 怪我が少なく、西武時代は中村剛也、片岡易之、栗山巧ら主力が怪我に苦しむ中でも2012年、2013年と2年連続で全試合出場を達成し、チームを支えた。


ジェフリー=リーファー: しかし7月から8月に中島裕之と栗山巧が相次いで骨折で離脱したため、打線強化を狙って再び一軍登録される。


美馬学: その後は再び先発ローテーションを回ったが、10月4日の埼玉西武ライオンズ戦では3回表一死一・三塁、栗山巧に対してカウント2ボールとした場面で右肘の違和感を訴え、2回1/3で緊急降板。


栗山巧の情報まとめ

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栗山 巧(くりやま たくみ)さんの誕生日は1983年9月3日です。兵庫出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴、人物などについてまとめました。今年の情報もありました。栗山巧の現在の年齢は40歳のようです。

栗山巧のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

栗山 巧(くりやま たくみ、1983年9月3日 - )は、兵庫県神戸市西区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。

神戸市立小寺小学校時代は神戸市少年団リーグの小寺に所属し、武内晋一と同リーグだった。

神戸市立太山寺中学校時代はヤングリーグの「神戸ドラゴンズ」に所属。チームの1年後輩には坂口智隆、1年先輩に橘田恵(女子野球日本代表監督)がいた。

育英高等学校に進学し、2年時には3番左翼手として第72回選抜高等学校野球大会、第82回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場。春は開会式直後の1回戦で國學院栃木高校と対戦し初戦敗退。夏は大会第1試合となる1回戦で田村彰啓を擁する秋田商業高校と対戦して勝利し、その後ベスト4まで勝ち進むも、準決勝で中村一生・山田憲らを擁する東海大浦安高校に敗れた。自身は5試合で打率.348、9打点を記録。3年夏は兵庫大会5回戦敗退。高校通算47本塁打。

2001年のドラフト会議において、西武ライオンズから4巡目指名を受け入団。背番号は「52」。

2002年はイースタン・リーグで51試合に出場。

2003年は二軍で打率.274、出塁率.359、7本塁打を記録。フレッシュオールスターゲームに選出されフルイニング出場した。

2004年は二軍で打率3割、11本塁打を記録し優秀選手を受賞。西武にとってレギュラーシーズン最終戦となった9月24日の大阪近鉄バファローズ戦(大阪ドーム)で「9番・左翼手」で一軍初出場・初先発・初安打を記録した。

2005年は3・4月に打率3割を記録して一軍に定着し、セ・パ交流戦でも5本塁打、5月29日の対広島東洋カープ戦(インボイスSEIBUドーム)では1-1の同点で迎えた延長10回一死一・二塁の打席でサヨナラ安打を放つなど、84試合に出場して打率.297、出塁率.357を記録した。

2006年8月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で9回一死満塁の打席で空振りした際に右手首を痛め、直後に小林雅英から自身初の満塁本塁打を放ったが、翌日に右手有鈎骨の骨折と判明し、戦線離脱。シーズン終盤に一軍に復帰した。オフにはフェニックス・リーグに参加。

2007年は初めて100試合以上に出場。7月以降スタメンに定着する。チーム2位の45四球を選んで出塁率.380、得点圏打率.324を記録し、チームトップの勝利打点10を挙げた。オフに背番号を1へ変更。

2008年5月4日の対ロッテ戦で一塁手のフリオ・ズレータが弾いた栗山の打球を、二塁手のホセ・オーティズがグラブを投げて止め、公認野球規則に則り安全進塁権を3つ与えられ三塁打となった。これについて栗山は「ルール知りませんでした」、ヘッドコーチの黒江透修は「40年以上の野球人生で見たことがない」と発言した。10月1日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)では2回に渡辺俊介から満塁本塁打を放った。同年は2番に固定され自己最多の138試合に出場、初めて規定打席に到達して打率.317、チーム3位の49四球、同2位の出塁率.376、得点圏打率.325、72打点を記録した。初タイトルとなる最多安打を獲得した他、22犠打、17盗塁と小技足技も向上してリーグ優勝と日本一に貢献し、ベストナインにも選出された。

2009年はオープン戦で55打数22安打、打率.400だったが、開幕直後は21打席連続無安打を記録した。6月には18試合中9試合でマルチヒットを打ち、交流戦チームトップの打率.333を記録。その後、新型インフルエンザに感染した。同年は自己最多を更新する140試合に出場し、打率.267、リーグ9位の106三振を記録、サウスポーに対して打率.350、リーグ4位の6三塁打、同9位の18盗塁を記録し、外野守備ではリーグトップの守備率.997、同3位の8補殺を記録した。

2010年、外野手としては球団史上初の144試合フルイニング出場を、2年ぶりの3割超となる打率.310に、共に自己記録を更新する出塁率.400、74打点を記録。2度目となるベストナイン選出に加え、ゴールデングラブ賞を初受賞した。12月21日、兼ねてから交際していた3歳年上の一般人女性と同月14日に入籍したことが公表された。

2011年は2番打者・5番打者として起用されていたが、片岡易之が故障で離脱した7月以降は1番打者として起用され、好不調の波が激しかったチームにおいて安定した打撃で貢献した。2年連続で全試合フルイニング出場を達成したが、ケガの影響から9月8日の対ロッテ戦より従来の中堅から左翼の守備に回り、その後シーズン終了まで左翼手として起用され、2年連続の打率3割超、得点圏打率は両リーグトップの.380を記録した。5月6日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では田中将大から球団通算8000本塁打となる決勝2点本塁打を打った。11月には右肘の遊離軟骨除去手術を受けた。

2012年は2番、1番で起用されたが、8月21日の対福岡ソフトバンクホークス戦で左前腕に死球を受け、途中交代。連続試合フルイニング出場も、パ・リーグ歴代2位の390試合で途切れた。故障の状態からシーズン中の復帰は絶望となり、翌日に登録抹消されて以降は再昇格することなくシーズンを終えた。すでに規定打席に到達していたが、打率.289に終わり、3年連続の打率3割を逃した。なお、この年より中島裕之に代わり、キャプテン(主将)となった。

2013年は2年ぶりに全試合出場、自身4年ぶり4度目の2桁本塁打で自己最多タイとなる12本塁打を記録したが、打率は前年を下回った。

2014年は前年に続き全試合出場。7月5日の対オリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)では7回一死満塁の打席で馬原孝浩から満塁本塁打を放つなど、前年を上回る打率.288、出塁率.394を記録した一方で打点、本塁打数は前年を下回った。オフには球団史上初のゴールデンスピリット賞を受賞。

2015年、開幕直後は不調で5月上旬までは打率2割を下回った。その後は本来の調子を取り戻し、打率.268でシーズンを終了。また自身5度目の2桁本塁打を記録した。また、8月16日のみ試合に出なかったため、2013年から続いていた連続試合出場が396試合で途切れた。

2016年6月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、史上120人目の通算1500安打を記録した。7月4日にオールスターゲームの監督推薦選手が発表され、プロ15年目にして初めて選出された。7月15日の第1戦(福岡ヤフオクドーム)の7回の左翼守備で初出場。9回表に2点本塁打を打った。オールスターでの初打席初本塁打は16人目。この活躍で第1戦の敢闘賞に選ばれた。11月10日、FA権を行使した上で西武に残留を表明。同日、NPBより公示される。

2017年4月7日の対ソフトバンク戦で、史上187人目の通算1500試合出場を記録したが、翌日の試合で右足を負傷し、4月14日のロッテ戦で途中交代した後は指名打者や代打での起用が多く、10年ぶりに規定打席に到達しなかった。しかし、5月21日のソフトバンク戦でプロ初のサヨナラ本塁打。8月17日、楽天戦で代打サヨナラ3点本塁打。9月17日の対ソフトバンク戦で押し出しとなる四球を選びサヨナラ勝ちなどを記録しここ一番で勝負強さを発揮し、貴重な切り札として活躍した。

2018年4月30日の対楽天6回戦の4回に通算309本目となる適時二塁打を打ち、石毛宏典のもつ球団記録(308本)を更新。若手の活躍もあり、この年も控えに回ることが多かったが、左の代打の切り札として活躍。9月に入り外崎修汰が怪我で抜けて以降は5番に定着し、同月17日の対ソフトバンク戦(メットライフドーム)では初回にアリエル・ミランダから満塁本塁打を放つなど、10年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

2019年は開幕から先発出場。8月11日の対ロッテ戦にて通算100本塁打を達成。同月17日の対ソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)では2回二死一・二塁の打席で千賀滉大からNPBにおける令和通算1000本塁打となる3点本塁打を放った。そして同月31日の対ソフトバンク戦、3回裏の安打は通算1807安打目となり、石毛の持つ通算安打球団記録(1806本)を更新。また、2016年以来3年ぶりの規定打席にも到達した。

2020年は新型コロナウイルス感染症流行の影響で120試合制となる。開幕から好調を維持し、シーズン終盤は4番に起用され、11月3日の対北海道日本ハムファイターズ戦(メットライフドーム)では2点を追う3回二死一塁の打席で西村天裕から4番打者として初本塁打となる同点2点本塁打を放った。111試合の出場で規定打席到達の上、打率.272、12本塁打、67打点を記録した。指名打者としては自身初のベストナイン(通算4度目)に選出された。シーズン終了時点で通算安打数を1926とし、西武生え抜き選手(前身球団含む)として史上初の2000安打達成まであと74と迫った状況を考慮され、2000万円増の推定年俸1億7000万円で3年契約を結んだ。

2021年は開幕戦から好調だったが、左下肢の張りにより3月31日に登録を抹消された。4月18日の二軍戦で実戦復帰を果たし、これが2006年9月30日以来、約15年ぶりとなるイースタン・リーグ公式戦への出場となった。4月20日に一軍復帰すると、6月12日の対中日ドラゴンズ戦で史上52人目の通算2000試合出場を達成した。6月23日には通算安打数を1970としたことで、西武公式が『ONE ROAD』と題したカウントダウン特設サイトが公開された。ただ6月以降は月間OPSが.600→.583→.584と不調に苦しんだ。通算1998安打で迎えた9月3日の楽天戦では史上初「誕生日での2000安打達成」に注目が集まったが、4打席に立ち1安打でバースデー到達とはならなかった。翌9月4日の楽天戦の第4打席で牧田和久から左安打を放ち史上54人目の2000安打を達成。西武の生え抜き選手では初となる偉業を成し遂げた。記録達成直後は打撃の調子が上向いたが、それも長くは続かず、最終的には117試合の出場で規定打席に到達はしたが、打率.251、長打率.320は共にキャリア20年目で最も低い数字に終わった。900万円増の推定年俸1億7900万円で契約更改した。

2022年、5月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(ベルーナドーム)で2-2の同点で迎えた9回無死無走者の場面で古賀悠斗の代打として出場し、平田真吾からシーズン初本塁打となる代打サヨナラ本塁打を放った。西武で38歳8か月でのサヨナラ本塁打は2000年8月23日の対福岡ダイエーホークス戦で放ったトニー・フェルナンデスの38歳0か月を抜く球団最年長記録となった。この一打は後に5月度の「月間スカパーサヨナラ賞」に選出された。6月28日の日本ハム戦(ベルーナドーム)で史上12人目の同一球場での1000安打を本塁打で達成した。西武ドームでの達成は栗山が史上初だった。7月5日に新型コロナウイルス陽性判定者と接触があったため、特例2022で出場選手登録を抹消された(8月2日に一軍に復帰)。シーズン通算では89試合の出場で打率.264、3本塁打、29打点を記録した。オフの12月2日には現状維持の1億7900万円で契約更改した。

2023年、5月31日の対阪神タイガース戦(ベルーナドーム)で4回無死無走者の打席で西勇輝からシーズン初本塁打を放ち、球団で伊東勤(1984年 - 2003年)、中村剛也(2004年 - 2023年)に次ぐ史上3人目の19年連続本塁打を記録した。7月17日の対日本ハム戦(ベルーナドーム)ではシーズン初めて4番打者で出場し、2回無死無走者の打席で鈴木健矢から自身4番打者として2本目の本塁打を放った。8月20日の対ソフトバンク戦(福岡PayPayドーム)で第3打席に放った福岡銀行の看板直撃打を含む2020年9月16日以来の1試合4安打を記録した。シーズン通算では77試合に出場し、打率.217、7本塁打、19打点の成績に終わった。オフの12月5日の契約更改では7100万円減の推定年俸1億800万円の単年契約でサインした。

2024年は開幕を一軍で迎え、指名打者(中村剛也との併用)や代打として起用されたが、8試合・26打席で打率.150の不振で4月21日に登録抹消。同25日の二軍戦では出場機会を求め、3年ぶりに実戦での外野守備に就いたが、5月11日終了時点ではイースタン・リーグで10試合に出場し、30打席で打率.148と二軍でも打撃不振が続いた。ただ、その後の11試合で打率.314、同リーグのシーズン打率を.242まで持ち直す復調を見せ、6月4日に出場選手登録されると、同日対ヤクルト戦の7回に代打で出場し、勝ち越しとなる中越え二塁打を放つ。これが通算400本目の二塁打で、NPB史上15人目となった。

選手としての特徴

打撃

手元までボールを呼び込みバットを振り切る打撃を持ち味とし、選球眼、出塁能力、投手に球数を費やさせる能力に優れる。

藤井康雄は栗山について「実に嫌らしいバッターに成長しましたね。粘っこいし、広角に打ち分ける技術を持っている。またボールを呼び込んで打つタイプなので三振が少なく、どんなボールにも対応することができる。」などと評している。

守備・走塁

一軍定着当初は左翼手や指名打者として起用され、打撃に比べて守備走塁面が課題とされていたが、2009年途中から「いつかは守りたい」と同年の開幕前に話していた中堅手に定着。同年はレンジファクターと刺殺でリーグトップの数値を記録した。しかし、翌2010年はリーグ3位の守備率.994を記録しゴールデングラブ賞を受賞したものの、守備イニング500以上の選手の中ではワースト4位のUZR -5.2と数字を落とした。2011年途中からは故障の影響もあるため再び左翼手で起用され、2012年には守備イニング500以上の左翼手で両リーグ2位のUZR13.9を記録した。

2017年以降は指名打者としての出場が多くなり、守備に就く機会は減少している。

走塁面では一塁到達まで3.90秒で、盗塁に関しても「20個以上走れたら(盗塁できたら)、『アイツは走れる』というイメージがつくと思うので狙っていきたい」と述べている。

人物

愛称は「クリ」、「クリボー」、「ミスターレオ」など。

少年時代からプロ野球選手になるのが夢で、グリーンスタジアム神戸から至近距離に住んでいたこともあり、当時はオリックス・ブルーウェーブのファンであった。ファンクラブにも加入し、当時在籍していたイチローのサインボールを持っている。

2011年に自身の名前を冠した「栗山巧杯少年野球大会」を神戸市の少年団野球リーグなどと共に創設し、小学生を対象にした野球教室と並行して主催している。

握力は80.7kgfを記録する。

パインアメが幼少期からの好物であり、2000安打を達成した際には2000粒のパインアメが贈られた。

2024/06/16 06:25更新

kuriyama takumi


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栗山 朋子(くりやま ともこ)
1975年11月4日生まれの有名人 大阪出身

栗山 朋子(くりやま ともこ、1975年11月4日 - )はオリズボイスステーション所属のフリーアナウンサー、元三重テレビ放送のアナウンサー。 大阪府立寝屋川高等学校、同志社大学文学部新聞学専攻卒…

栗山 桃実(くりやま ももみ)
1984年3月25日生まれの有名人 出身

栗山 桃実(くりやま ももみ、1984年3月25日 - )は、日本の声優。 過去にアーツビジョン、Doaプロダクションに在籍経験があった。 デンマークからの帰国子女である。 PIXゾンビの山田…

栗山 裕貴(くりやま ゆうき)
1988年9月15日生まれの有名人 熊本出身

栗山 裕貴(くりやま ゆうき、1988年9月15日 - )は、熊本県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。JFL・鹿児島ユナイテッドFC所属。 …

栗山 昌良(くりやま まさよし)
1926年1月18日生まれの有名人 東京出身

栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月18日 - 2023年(令和5年)6月23日)は、日本の演出家、オペラ演出家、教育者。国立音楽大学名誉教授。劇団青年座座友。妻は声楽家(メゾ…

栗山 志朗(くりやま しろう)
1937年1月23日生まれの有名人 岡山出身

栗山 志朗(くりやま しろう、1937年〈昭和12年〉1月23日 - )は、日本の政治家、元岡山県備前市長(4期)。 岡山県出身。岡山県立備前高等学校(現岡山県立備前緑陽高等学校)卒。備前市商工会…

栗山 祐哉(くりやま ゆうや)
1983年2月2日生まれの有名人 東京出身

栗山 祐哉(くりやま ゆうや、1983年5月7日 - )は、日本の元男性タレント。現在は実業家。本名同じ。 東京都出身。 1986年 - オスカープロモーションに所属し、芸能界デビュー。後に東京…

栗山 孝夫(くりやま たかお)
1951年3月5日生まれの有名人 東京出身

3月5日生まれwiki情報なし(2024/06/16 03:50時点)

栗山 英樹(くりやま ひでき)
1961年4月26日生まれの有名人 東京出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 栗山 英樹(くりやま ひでき、1961年〈昭和36年〉4月26日 - )は、東京都小平市出身の野球指導者、元プロ野球選手(外野手)。右…

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