栗山巧の情報(くりやまたくみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
栗山 巧さんについて調べます
■名前・氏名 |
栗山巧と関係のある人
鈴木将平: 初出場:2019年4月3日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(メットライフドーム)、7回裏に栗山巧の代走で出場 牧田和久: さらに9月4日の西武戦では、5点リードの9回表に登板するも、一死から栗山巧に2000本安打となるヒットを打たれると、続く山川穂高に2点本塁打、呉念庭にもヒットを打たれ1イニング持たずに降板。 坂口智隆: 明石市立望海中学校時代は硬式野球のヤングリーグ「神戸ドラゴンズ」でプレー、チームの1年先輩には栗山巧、2年先輩には橘田恵(女子野球日本代表監督)。 攝津正: 2011年以降に放送されている、『プロ野球選手100人が選んだ「この選手がすごい!コントロール部門」』では2011年の3位入賞から4年連続でトップ5入りを果たしたほか、栗山巧は摂津が引退した2018年度放送回まで8年間連続で摂津に投票し続けた。 武内晋一: 同学年の栗山巧も同リーグの「小寺少年団」に所属していた。 田辺徳雄: 中村剛也・栗山巧など数多くの若手打者を一軍へ輩出した名伯楽でもある。 福山博之: 9月25日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)でも、先発のジム・ハウザーが1回裏二死に栗山巧への危険球で退場を宣告されたことから急遽登板すると、4回3分の1を投げて無失点に抑えたことでプロ入り後初のホールドポイントを記録した。 浅村栄斗: 一軍再昇格後は打撃が復調し、8月に栗山巧が左手の負傷で離脱後は、シーズン終了まで1番打者として起用された。 辻発彦: 2021年は、栗山巧が下肢の張り、山川が肉離れ、外崎が骨折、源田が新型コロナウイルスに罹患と、主力選手が序盤に相次いで登録を抹消された。 斉藤彰吾: 主に代走要員として一軍で起用されたが、7月2日の対北海道日本ハムファイターズ10回戦においては、8回裏に栗山巧の代走として起用されると、3対5で迎えた9回裏一死二三塁の場面でマイケル・クロッタから右越えに逆転サヨナラ3ランを放ち、プロ入り初本塁打を記録した。 伊織あい: 埼玉西武ライオンズファンで特に栗山巧選手を応援している。 佐藤友亮: 佐藤の代わりに栗山巧や高波文一、柴田博之らが1番・右翼手として活躍することとなり、レギュラー確保はならなかった。 星秀和: 以降は栗山巧の運転手をしながらリハビリに努めた。 惣田紗莉渚: 栗山巧の大ファン。 大山暁史: 初奪三振:2016年3月26日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(西武プリンスドーム)、8回裏に栗山巧から見逃し三振 今江敏晃: 2015年5月8日には、QVCマリンフィールドの対西武戦6回表一死二・三塁で、三塁手として栗山巧のファウルフライを追っていた今江が西武の三塁コーチ・奈良原浩と衝突。 エステバン=ヘルマン: 怪我が少なく、西武時代は中村剛也、片岡易之、栗山巧ら主力が怪我に苦しむ中でも2012年、2013年と2年連続で全試合出場を達成し、チームを支えた。 藤村雅美: 2000年春・夏の甲子園で捕手の光司や栗山巧らを擁して出場を果たし、夏はベスト4に進んだ。 渡辺直人: 9回表には、指名打者を解除したうえで遊撃の守備に就くと、無死一・二塁から栗山巧のゴロを捕球後に併殺を完成。 菊池保則: 初奪三振:同上、1回裏に栗山巧から空振り三振 斉藤彰吾: 2011年は春季キャンプ時に栗山巧の代役として一軍に昇格し、そのまま紅白戦・オープン戦と一軍帯同を続け、プロ入り4年目にして初めて開幕一軍入りを果たした。 土井正博: コーチとして「松井稼頭央、中島宏之、中村剛也、栗山巧、浅村栄斗、高橋周平…。 岩嵜翔: 2010年、3月30日に一軍登録されると、3月31日の対埼玉西武ライオンズ戦で7回4点ビハインドからプロ入り初の中継ぎ投手として登板を果たし、7回は3者凡退に抑えたが、8回に先頭石井義人のライト前ヒットを多村仁志が取り損ねてエラーで二塁へ進塁させると、浅村栄斗の二塁打、栗山巧の安打で点差を広げてしまい、4月2日に二軍降格となった。 秋山翔吾: これは元々、漫画『天才バカボン』の登場キャラクターであるウナギイヌに顔が似ているということから、ファン間やチーム内で呼ばれていたものだが、「チームに活力を与えるウナギのような存在になれ」という、先輩の栗山巧の発案などもあり、ライオンズ公式でうなぎグッズが発売されるなど半ば公式の愛称となっており、後輩からもこれをネタにいじられることがある。 福地寿樹: 序盤は不調で佐藤友亮・栗山巧と中堅手のレギュラーを争う形となったが徐々に調子を上げ、6月16日の対広島東洋カープ戦では5打数5安打を記録するなど、印象的な固め打ちも多かった。 ジェフリー=リーファー: しかし7月から8月に中島裕之と栗山巧が相次いで骨折で離脱したため、打線強化を狙って再び一軍登録される。 佐藤都志也: 憧れの選手は栗山巧(埼玉西武ライオンズ)。 エステバン=ヘルマン: 仲間思いな一面もあり、2012年9月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦では怪我で戦線離脱している栗山巧のリストバンドを着けて試合に臨んだ。 横川史学: 続く同18日の対西武戦(西武ドーム)でも9回裏に栗山巧のレフトへのライナー性の飛球を捕り損ね、サヨナラヒットとなった。 熊澤とおる: 西武コーチ時代に教えを受けた栗山巧や浅村栄斗は、熊澤の後押しが大きかったと振り返っている。 |
栗山巧の情報まとめ
栗山 巧(くりやま たくみ)さんの誕生日は1983年9月3日です。兵庫出身の野球選手のようです。
ドラマ、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。栗山巧の現在の年齢は41歳のようです。
栗山巧のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 栗山 巧(くりやま たくみ、1983年9月3日 - )は、兵庫県神戸市西区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 神戸市立小寺小学校時代は神戸市少年団リーグの小寺に所属し、武内晋一と同リーグだった。 神戸市立太山寺中学校時代はヤングリーグの「神戸ドラゴンズ」に所属。チームの1年後輩には坂口智隆、1年先輩に橘田恵(女子野球日本代表監督)がいた。 育英高等学校に進学し、2年時には3番左翼手として第72回選抜高等学校野球大会、第82回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場。春は開会式直後の1回戦で國學院栃木高校と対戦し初戦敗退。夏は大会第1試合となる1回戦で田村彰啓を擁する秋田商業高校と対戦して勝利し、その後ベスト4まで勝ち進むも、準決勝で中村一生・山田憲らを擁する東海大浦安高校に敗れた。自身は5試合で打率.348、9打点を記録。3年夏は兵庫大会5回戦敗退。高校通算47本塁打。 2001年のドラフト会議において、西武ライオンズから4巡目指名を受け入団。背番号は「52」。 2002年はイースタン・リーグで51試合に出場。 2003年は二軍で打率.274、出塁率.359、7本塁打を記録。フレッシュオールスターゲームに選出されフルイニング出場した。 2004年は二軍で打率3割、11本塁打を記録し優秀選手を受賞。西武にとってレギュラーシーズン最終戦となった9月24日の大阪近鉄バファローズ戦(大阪ドーム)で「9番・左翼手」で一軍初出場・初先発・初安打を記録した。 2005年は3・4月に打率3割を記録して一軍に定着し、セ・パ交流戦でも5本塁打、5月29日の対広島東洋カープ戦(インボイスSEIBUドーム)では1-1の同点で迎えた延長10回一死一・二塁の打席でサヨナラ安打を放つなど、84試合に出場して打率.297、出塁率.357を記録した。 2006年8月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で9回一死満塁の打席で空振りした際に右手首を痛め、直後に小林雅英から自身初の満塁本塁打を放ったが、翌日に右手有鈎骨の骨折と判明し、戦線離脱。シーズン終盤に一軍に復帰した。オフにはフェニックス・リーグに参加。 2007年は初めて100試合以上に出場。7月以降スタメンに定着する。チーム2位の45四球を選んで出塁率.380、得点圏打率.324を記録し、チームトップの勝利打点10を挙げた。オフに背番号を1へ変更。 2008年5月4日の対ロッテ戦で一塁手のフリオ・ズレータが弾いた栗山の打球を、二塁手のホセ・オーティズがグラブを投げて止め、公認野球規則に則り安全進塁権を3つ与えられ三塁打となった。これについて栗山は「ルール知りませんでした」、ヘッドコーチの黒江透修は「40年以上の野球人生で見たことがない」と発言した。10月1日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)では2回に渡辺俊介から満塁本塁打を放った。同年は2番に固定され自己最多の138試合に出場、初めて規定打席に到達して打率.317、チーム3位の49四球、同2位の出塁率.376、得点圏打率.325、72打点を記録した。初タイトルとなる最多安打を獲得した他、22犠打、17盗塁と小技足技も向上してリーグ優勝と日本一に貢献し、ベストナインにも選出された。 2009年はオープン戦で55打数22安打、打率.400だったが、開幕直後は21打席連続無安打を記録した。6月には18試合中9試合でマルチヒットを打ち、交流戦チームトップの打率.333を記録。その後、新型インフルエンザに感染した。同年は自己最多を更新する140試合に出場し、打率.267、リーグ9位の106三振を記録、サウスポーに対して打率.350、リーグ4位の6三塁打、同9位の18盗塁を記録し、外野守備ではリーグトップの守備率.997、同3位の8補殺を記録した。 2010年、外野手としては球団史上初の144試合フルイニング出場を、2年ぶりの3割超となる打率.310に、共に自己記録を更新する出塁率.400、74打点を記録。2度目となるベストナイン選出に加え、ゴールデングラブ賞を初受賞した。12月21日、兼ねてから交際していた3歳年上の一般人女性と同月14日に入籍したことが公表された。 2011年は2番打者・5番打者として起用されていたが、片岡易之が故障で離脱した7月以降は1番打者として起用され、好不調の波が激しかったチームにおいて安定した打撃で貢献した。2年連続で全試合フルイニング出場を達成したが、ケガの影響から9月8日の対ロッテ戦より従来の中堅から左翼の守備に回り、その後シーズン終了まで左翼手として起用され、2年連続の打率3割超、得点圏打率は両リーグトップの.380を記録した。5月6日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では田中将大から球団通算8000本塁打となる決勝2点本塁打を打った。11月には右肘の遊離軟骨除去手術を受けた。 2012年は2番、1番で起用されたが、8月21日の対福岡ソフトバンクホークス戦で左前腕に死球を受け、途中交代。連続試合フルイニング出場も、パ・リーグ歴代2位の390試合で途切れた。故障の状態からシーズン中の復帰は絶望となり、翌日に登録抹消されて以降は再昇格することなくシーズンを終えた。すでに規定打席に到達していたが、打率.289に終わり、3年連続の打率3割を逃した。なお、この年より中島裕之に代わり、キャプテン(主将)となった。 2013年は2年ぶりに全試合出場、自身4年ぶり4度目の2桁本塁打で自己最多タイとなる12本塁打を記録したが、打率は前年を下回った。 2014年は前年に続き全試合出場。7月5日の対オリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)では7回一死満塁の打席で馬原孝浩から満塁本塁打を放つなど、前年を上回る打率.288、出塁率.394を記録した一方で打点、本塁打数は前年を下回った。オフには球団史上初のゴールデンスピリット賞を受賞。 2015年、開幕直後は不調で5月上旬までは打率2割を下回った。その後は本来の調子を取り戻し、打率.268でシーズンを終了。また自身5度目の2桁本塁打を記録した。また、8月16日のみ試合に出なかったため、2013年から続いていた連続試合出場が396試合で途切れた。 2016年6月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、史上120人目の通算1500安打を記録した。7月4日にオールスターゲームの監督推薦選手が発表され、プロ15年目にして初めて選出された。7月15日の第1戦(福岡ヤフオクドーム)の7回の左翼守備で初出場。9回表に2点本塁打を打った。オールスターでの初打席初本塁打は16人目。この活躍で第1戦の敢闘賞に選ばれた。11月10日、FA権を行使した上で西武に残留を表明。同日、NPBより公示される。 2017年4月7日の対ソフトバンク戦で、史上187人目の通算1500試合出場を記録したが、翌日の試合で右足を負傷し、4月14日のロッテ戦で途中交代した後は指名打者や代打での起用が多く、10年ぶりに規定打席に到達しなかった。しかし、5月21日のソフトバンク戦でプロ初のサヨナラ本塁打。8月17日、楽天戦で代打サヨナラ3点本塁打。9月17日の対ソフトバンク戦で押し出しとなる四球を選びサヨナラ勝ちなどを記録しここ一番で勝負強さを発揮し、貴重な切り札として活躍した。 2018年4月30日の対楽天6回戦の4回に通算309本目となる適時二塁打を打ち、石毛宏典のもつ球団記録(308本)を更新。若手の活躍もあり、この年も控えに回ることが多かったが、左の代打の切り札として活躍。9月に入り外崎修汰が怪我で抜けて以降は5番に定着し、同月17日の対ソフトバンク戦(メットライフドーム)では初回にアリエル・ミランダから満塁本塁打を放つなど、10年ぶりのリーグ優勝に貢献した。 2019年は開幕から先発出場。8月11日の対ロッテ戦にて通算100本塁打を達成。同月17日の対ソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)では2回二死一・二塁の打席で千賀滉大からNPBにおける令和通算1000本塁打となる3点本塁打を放った。そして同月31日の対ソフトバンク戦、3回裏の安打は通算1807安打目となり、石毛の持つ通算安打球団記録(1806本)を更新。また、2016年以来3年ぶりの規定打席にも到達した。 2020年は新型コロナウイルス感染症流行の影響で120試合制となる。開幕から好調を維持し、シーズン終盤は4番に起用され、11月3日の対北海道日本ハムファイターズ戦(メットライフドーム)では2点を追う3回二死一塁の打席で西村天裕から4番打者として初本塁打となる同点2点本塁打を放った。111試合の出場で規定打席到達の上、打率.272、12本塁打、67打点を記録した。指名打者としては自身初のベストナイン(通算4度目)に選出された。シーズン終了時点で通算安打数を1926とし、西武生え抜き選手(前身球団含む)として史上初の2000安打達成まであと74と迫った状況を考慮され、2000万円増の推定年俸1億7000万円で3年契約を結んだ。 2021年は開幕戦から好調だったが、左下肢の張りにより3月31日に登録を抹消された。4月18日の二軍戦で実戦復帰を果たし、これが2006年9月30日以来、約15年ぶりとなるイースタン・リーグ公式戦への出場となった。4月20日に一軍復帰すると、6月12日の対中日ドラゴンズ戦で史上52人目の通算2000試合出場を達成した。6月23日には通算安打数を1970としたことで、西武公式が『ONE ROAD』と題したカウントダウン特設サイトが公開された。ただ6月以降は月間OPSが.600→.583→.584と不調に苦しんだ。通算1998安打で迎えた9月3日の楽天戦では史上初「誕生日での2000安打達成」に注目が集まったが、4打席に立ち1安打でバースデー到達とはならなかった。翌9月4日の楽天戦の第4打席で牧田和久から左安打を放ち史上54人目の2000安打を達成。西武の生え抜き選手では初となる偉業を成し遂げた。記録達成直後は打撃の調子が上向いたが、それも長くは続かず、最終的には117試合の出場で規定打席に到達はしたが、打率.251、長打率.320は共にキャリア20年目で最も低い数字に終わった。900万円増の推定年俸1億7900万円で契約更改した。 2022年、5月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(ベルーナドーム)で2-2の同点で迎えた9回無死無走者の場面で古賀悠斗の代打として出場し、平田真吾からシーズン初本塁打となる代打サヨナラ本塁打を放った。西武で38歳8か月でのサヨナラ本塁打は2000年8月23日の対福岡ダイエーホークス戦で放ったトニー・フェルナンデスの38歳0か月を抜く球団最年長記録となった。この一打は後に5月度の「月間スカパーサヨナラ賞」に選出された。6月28日の日本ハム戦(ベルーナドーム)で史上12人目の同一球場での1000安打を本塁打で達成した。西武ドームでの達成は栗山が史上初だった。7月5日に新型コロナウイルス陽性判定者と接触があったため、特例2022で出場選手登録を抹消された(8月2日に一軍に復帰)。シーズン通算では89試合の出場で打率.264、3本塁打、29打点を記録した。オフの12月2日には現状維持の1億7900万円で契約更改した。 2023年、5月31日の対阪神タイガース戦(ベルーナドーム)で4回無死無走者の打席で西勇輝からシーズン初本塁打を放ち、球団で伊東勤(1984年 - 2003年)、中村剛也(2004年 - 2023年)に次ぐ史上3人目の19年連続本塁打を記録した。7月17日の対日本ハム戦(ベルーナドーム)ではシーズン初めて4番打者で出場し、2回無死無走者の打席で鈴木健矢から自身4番打者として2本目の本塁打を放った。8月20日の対ソフトバンク戦(福岡PayPayドーム)で第3打席に放った福岡銀行の看板直撃打を含む2020年9月16日以来の1試合4安打を記録した。シーズン通算では77試合に出場し、打率.217、7本塁打、19打点の成績に終わった。オフの12月5日の契約更改では7100万円減の推定年俸1億800万円の単年契約でサインした。 2024年は開幕を一軍で迎え、指名打者(中村剛也との併用)や代打として起用されたが、8試合・26打席で打率.150の不振で4月21日に登録抹消。同25日の二軍戦では出場機会を求め、3年ぶりに実戦での外野守備に就いたが、5月11日終了時点ではイースタン・リーグで10試合に出場し、30打席で打率.148と二軍でも打撃不振が続いた。ただ、その後の11試合で打率.314、同リーグのシーズン打率を.242まで持ち直す復調を見せ、6月4日に出場選手登録されると、同日対ヤクルト戦の7回に代打で出場し、勝ち越しとなる中越え二塁打を放つ。これが通算400本目の二塁打で、NPB史上15人目となった。 手元までボールを呼び込みバットを振り切る打撃を持ち味とし、選球眼、出塁能力、投手に球数を費やさせる能力に優れる。 藤井康雄は栗山について「実に嫌らしいバッターに成長しましたね。粘っこいし、広角に打ち分ける技術を持っている。またボールを呼び込んで打つタイプなので三振が少なく、どんなボールにも対応することができる。」などと評している。 一軍定着当初は左翼手や指名打者として起用され、打撃に比べて守備走塁面が課題とされていたが、2009年途中から「いつかは守りたい」と同年の開幕前に話していた中堅手に定着。同年はレンジファクターと刺殺でリーグトップの数値を記録した。しかし、翌2010年はリーグ3位の守備率.994を記録しゴールデングラブ賞を受賞したものの、守備イニング500以上の選手の中ではワースト4位のUZR -5.2と数字を落とした。2011年途中からは故障の影響もあるため再び左翼手で起用され、2012年には守備イニング500以上の左翼手で両リーグ2位のUZR13.9を記録した。 2017年以降は指名打者としての出場が多くなり、守備に就く機会は減少している。 走塁面では一塁到達まで3.90秒で、盗塁に関しても「20個以上走れたら(盗塁できたら)、『アイツは走れる』というイメージがつくと思うので狙っていきたい」と述べている。 愛称は「クリ」、「クリボー」、「ミスターレオ」など。 少年時代からプロ野球選手になるのが夢で、グリーンスタジアム神戸から至近距離に住んでいたこともあり、当時はオリックス・ブルーウェーブのファンであった。ファンクラブにも加入し、当時在籍していたイチローのサインボールを持っている。 2011年に自身の名前を冠した「栗山巧杯少年野球大会」を神戸市の少年団野球リーグなどと共に創設し、小学生を対象にした野球教室と並行して主催している。 握力は80.7kgfを記録する。 パインアメが幼少期からの好物であり、2000安打を達成した際には2000粒のパインアメが贈られた。 2024年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最高 2024年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞 最多安打:1回(2008年) ベストナイン:4回(外野手部門:2008年、2010年、2011年、指名打者部門:2020年) ゴールデングラブ賞:1回(外野手部門:2010年) 月間MVP:1回(野手部門:2013年3・4月) JA全農Go・Go賞:1回(最多二・三塁打賞:2008年8月) スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞:1回(2017年) 月間サヨナラ賞:2回(2017年8月、2022年5月) スピードアップ賞:2回(2013年、2014年) ゴールデンスピリット賞:1回(2014年) オールスターゲーム敢闘選手賞:1回(2016年第1戦) 初出場・初先発出場:2004年9月24日、対大阪近鉄バファローズ27回戦(大阪ドーム)、9番・左翼手で先発出場 初打席:同上、2回表に髙村祐から二塁ゴロ 初安打:同上、7回表に小池秀郎から右前安打 初打点・初二塁打:2005年4月12日、対北海道日本ハムファイターズ5回戦(インボイスSEIBUドーム)、4回裏に江尻慎太郎から左中間2点適時二塁打 初本塁打:2005年4月13日、対北海道日本ハムファイターズ6回戦(インボイスSEIBUドーム)、3回裏に鎌倉健から右越ソロ 初盗塁:2005年5月21日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、3回表に二盗(投手:土肥義弘、捕手:相川亮二) 1000安打:2013年4月16日、対オリックス・バファローズ4回戦(西武ドーム)、3回裏に東野峻から左前適時打 ※史上271人目 1000試合出場:2013年7月2日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、3番・左翼手で先発出場 ※史上458人目 1500安打:2016年6月19日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、8回表に秋吉亮から左前安打 ※史上120人目 1500試合出場:2017年4月7日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(メットライフドーム)、5番・指名打者で先発出場 ※史上187人目 300二塁打:2017年7月2日、対オリックス・バファローズ11回戦(メットライフドーム)、1回裏にブランドン・ディクソンから ※史上69人目 100本塁打:2019年8月11日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(ZOZOマリンスタジアム)、8回表に松永昂大から右中間越2ラン ※史上295人目 350二塁打:2020年7月26日、対千葉ロッテマリーンズ11回戦(メットライフドーム)、2回裏に中村稔弥から ※史上45人目 2000試合出場:2021年6月12日、対中日ドラゴンズ2回戦(メットライフドーム)、3番・指名打者で先発出場 ※史上52人目 2000安打:2021年9月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス17回戦(楽天生命パーク宮城)、9回表に牧田和久から左前安打 ※史上54人目、球団生え抜き選手としては史上初 1000四球:2023年4月23日、対オリックス・バファローズ6回戦(京セラドーム大阪)、2回表に山下舜平大から ※史上17人目、球団史上初 400二塁打:2024年6月4日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、7回表に吉村貢司郎から※史上15人目、球団史上初 通算2120安打:2019年8月31日、対福岡ソフトバンクホークス22回戦(メットライフドーム)、3回裏に松田遼馬から右前安打で通算1807安打目 ※石毛宏典を抜き球団史上最多記録(2023年シーズン終了時点) 通算73犠飛:2021年4月30日、対北海道日本ハムファイターズ5回戦(札幌ドーム)、6回表にドリュー・バーヘイゲンから左犠飛で通算61犠飛目 ※伊東勤を抜き球団史上最多記録(2023年シーズン終了時点) 同一球場で通算1000安打:2022年6月28日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(ベルーナドーム)、8回裏に鈴木健矢から右越2ラン ※史上12人目 オールスターゲーム出場:1回(2016年) 52(2002年 - 2007年) 1(2008年 - ) 「あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。」クレイジーケンバンド(2005年 - 2017年・2020年 - )
翌2017年途中には打撃不振脱却のきっかけ作りのため登場曲自体の変更を検討したが、良い代用曲を見つけるに至らず、そのままシーズン終了まで「登場曲なし」のままプレーした。これに違和感がなかったことなどにより、2018年以降暫くは登場曲を使うことがなかった(栗山自身は2019年に「登場曲をかけないことによってファンの声援などをより感じられる」と心境を述べている)。 2020年は無観客試合となることから、例年とテンポを変える意味合いで登場曲を復活させた。その後も使用を続けている。 なおヒーローインタビュー後のレフトスタンドへの挨拶及びフィールドシートのファンとのハイタッチ時は引き続き使用されている。また突発的に応援時にファンがアカペラで歌うこともある。 「愛がすべて」スタイリスティックス(2006年 - 2007年) 栗山 巧 華麗なる若獅子、背番号1(PCBE-53189 2011年4月29日発売、販売元:ポニーキャニオン、発売元:ジェイ・スポーツ・ブロードキャスティング) ^ 「西武 - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2023年12月5日閲覧。 ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、204ページ ^ 「卒部生紹介」『神戸ドラゴンズ』。2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月22日閲覧。 ^ 侍ジャパン女子 女性初のW杯優勝監督・橘田恵×坂口智隆SP対談【坂口智隆の伸び代しかない!】 ^ 「レオ連日の延長サヨナラ ルーキー涌井 近い初白星」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)5月30日付朝刊、14面(スポーツ面)。 ^ 「西武・栗山が右手ねん挫」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)8月2日付朝刊、21面(スポーツ面)。 ^ 「栗山プロ初満塁弾」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)8月2日付朝刊、21面(スポーツ面)。 ^ 「西武・栗山は右手骨折」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)8月3日付朝刊、18面(スポーツ面)。 ^ 「ロッテ悔し4位」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2008年(平成20年)10月2日付朝刊、21面(スポーツ面)。 ^ 「栗山結婚 3歳上「ムーミンのミイ似」」『日刊スポーツ』2010年12月21日。2010年12月21日閲覧。 ^ 「2012 NEW TEAMLEADER INTERVIEW 栗山巧」『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20441-2/6, 8-11頁。 ^ 「【西武】栗山がマー君打ち!球団8000号」『日刊スポーツ』2011年5月6日。2021年7月22日閲覧。 ^ 「栗山骨折、シーズン絶望」『日刊スポーツ』2012年8月22日。2021年7月22日閲覧。 ^ 「西武栗山地元で満塁弾「言葉に出来ない」」『日刊スポーツ』2014年7月5日。2024年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月1日閲覧。 ^ 「栗山巧選手が球団史上初のゴールデンスピリット賞を受賞!」『西武球団公式サイト』2014年11月5日。2021年7月22日閲覧。 ^ 「栗山選手 通算1,500安打達成!」『埼玉西武ライオンズ』2016年6月19日。2016年11月13日閲覧。 ^ 「「マツダオールスターゲーム2016」監督選抜選手について」埼玉西武ライオンズ、2016年7月4日。2016年11月13日閲覧。 ^ 「初打席で特大弾!敢闘賞の西武・栗山「神ってますかね!?」/球宴」『サンケイスポーツ』2016年7月16日。2021年7月22日閲覧。 ^ 「15年目西武栗山、16人目の球宴初打席ホームラン」『日刊スポーツ』2016年7月15日。2021年7月22日閲覧。 ^ 「栗山巧選手「マツダオールスターゲーム2016」第1戦で敢闘選手賞を獲得!」『埼玉西武ライオンズ』2016年7月16日。2016年11月13日閲覧。 ^ 「栗山選手フリーエージェント(FA)権利行使についてお知らせ」『埼玉西武ライオンズ』2016年11月10日。2016年11月13日閲覧。 ^ 「フリーエージェント宣言選手契約締結合意 日本野球機構公示」『日本野球機構』。2021年7月22日閲覧。 ^ 「西武・栗山が1500試合出場「次は2000試合を目指したい」」『サンケイスポーツ』2017年4月8日。2021年7月22日閲覧。 ^ 「明日も試合に出るために西武栗山が示す「プロ意識」」『日刊スポーツ』2017年5月14日。2017年11月30日閲覧。 ^ 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ROAD』ライオンズ栗山選手2000本安打達成記念特設サイト」埼玉西武ライオンズ。2021年7月22日閲覧。 ^ 「西武・辻監督 通算2000安打間近で不調の栗山を思いやる「栗山も人間だから」」『Sponichi Annex』2021年8月25日。2021年9月1日閲覧。 ^ 「西武栗山が2000安打王手、9回に右前打 代走送られ史上初のバースデー到達はならず」『西日本スポーツ』2021年9月3日。2021年9月3日閲覧。 ^ 「栗山巧2000安打達成!西武生え抜きで初、NPB54人目の快挙」『日刊スポーツ』2021年9月4日。2021年9月4日閲覧。 ^ 「西武・栗山、2000安打達成後の打率は.391 逆転CS進出へ、ポイントゲッターの重責」『Full-Count』2021年9月16日。2021年11月2日閲覧。 ^ 2000本安打達成の西武 栗山 推定年俸1億7900万円で契約更改 NHK、2021年12月2日 ^ 「【西武】栗山巧の劇的一発 トニー・フェルナンデス超え球団最年長サヨナラ弾」『スポーツ報知』2022年5月29日。2024年6月1日閲覧。 ^ 「【西武】栗山巧が5月度スカパー!サヨナラ賞「今度はスタメンで」DeNA戦代打でサヨナラ弾」『日刊スポーツ』2022年6月17日。2024年6月1日閲覧。 ^ 「【西武】ホームランで決めた!栗山巧12人目「同一球場1000安打」和田一浩氏から一喝で奮起」日刊スポーツ、2022年6月28日。2023年1月20日閲覧。 ^ 「西武・栗山 特例2022対象選手で登録抹消 コロナ陽性判定者と接触」『スポニチ Sponichi Annex』2022年7月6日。2024年6月1日閲覧。 ^ 「【西武】栗山巧1軍登録、コロナ陽性から1か月ぶり 西川愛也は抹消翌日に特例で再昇格」『スポーツ報知』2022年8月2日。2024年6月1日閲覧。 ^ 「【西武】栗山巧が現状維持の1億7900万円でサイン「ベストを尽くすことが大事」」『スポーツ報知』2022年12月2日。2023年1月20日閲覧。 ^ 「西武・栗山巧19年連続本塁打 今季56打席目で待望の1号」『スポニチ Sponichi Annex』2023年5月31日。2024年6月1日閲覧。 ^ 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仁志敏久(野手チーフ兼打撃) 83 立花義家(打撃) 80 大引啓次(内野守備走塁) 84 熊代聖人(外野守備走塁) 79 小関竜也(監督) 72 土肥義弘(投手総合) 98 渡辺智男(投手) 93 青木勇人(投手) 85 榎田大樹(投手) 82 野田浩輔(二軍バッテリー) 87 黒田哲史(二軍野手) 77 辻竜太郎(二軍野手) 86 赤田将吾(二軍野手) 88 大島裕行(二軍野手) 97 青木智史(三軍総合) 76 田辺徳雄(三軍野手) 94 鬼﨑裕司(三軍野手) 89 木村文紀(三軍野手) 11 上田大河 12 渡邉勇太朗 13 髙橋光成 14 増田達至 15 與座海人 16 隅田知一郎 17 松本航 19 佐藤隼輔 20 田村伊知郎 21 武内夏暉 23 糸川亮太 25 平井克典 29 青山美夏人 34 甲斐野央 36 山田陽翔 40 浜屋将太 41 成田晴風 42 ボー 43 羽田慎之介 45 本田圭佑 47 杉山遙希 48 今井達也 54 アブレイユ 56 宮澤太成 57 黒田将矢 58 中村祐太 59 大曲錬 61 平良海馬 69 水上由伸 70 豆田泰志 71 菅井信也 2 岡田雅利 22 古賀悠斗 27 炭谷銀仁朗 37 柘植世那 38 野田海人 53 牧野翔矢 65 古市尊 0 児玉亮涼 4 山野辺翔 5 外崎修汰 6 源田壮亮 8 渡部健人 10 佐藤龍世 30 元山飛優 31 平沼翔太 32 山村崇嘉 50 髙松渡 52 陽川尚将 60 中村剛也 62 滝澤夏央 66 ブランドン 67 野村大樹 99 村田怜音 1 栗山巧 7 金子侑司 9 蛭間拓哉 33 古川雄大 35 松原聖弥 46 鈴木将平 51 西川愛也 63 長谷川信哉 68 岸潤一郎 73 高木渉 75 奥村光一 ガルシア 114 上間永遠 115 佐々木健 116 ロペス 120 井上広輝 121 三浦大輝 125 シンクレア 127 森脇亮介 129 川下将勲 131 木瀬翔太 122 是澤涼輔 118 野村和輝 126 谷口朝陽 130 金子功児 134 川野涼多 119 モンテル 135 仲三河優太 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1999 松井秀喜 2000 片岡篤史 2001 中村紀洋 2002 飯田哲也 2003 井上一樹 2004 赤星憲広 2005 ボビー・バレンタイン 2006 和田毅 2007 三浦大輔 2008 岩隈久志 2009 小笠原道大 2010 ダルビッシュ有 2011 山﨑武司 2012 藤川球児 2013 宮本慎也 2014 栗山巧 2015 今江敏晃 2016 内海哲也 2017 岩田稔 2018 井口資仁 2019 秋山翔吾 2021 矢野燿大 2022 吉田正尚 2023 宮西尚生 表 話 編 歴 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 松井稼頭央 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 松井稼頭央 2003 谷佳知 2004 松中信彦, 川﨑宗則 2005 和田一浩 2006 大村直之 2007 稲葉篤紀 2008 栗山巧, 片岡易之 2009 中島裕之 2010 西岡剛 2011 坂口智隆 2012 内川聖一 2013 長谷川勇也 2014 中村晃 2015 秋山翔吾 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 秋山翔吾 2019 秋山翔吾 2020 柳田悠岐 2021 荻野貴司 2022 島内宏明 2023 柳田悠岐 2024 辰己涼介 表 話 編 歴 投 岩隈久志 捕 細川亨 一 A.カブレラ 二 片岡易之 三 中村剛也 遊 中島裕之 外 稲葉篤紀 / 栗山巧 / リック.S 指 T.ローズ 表 話 編 歴 投 和田毅 捕 嶋基宏 一 A.カブレラ 二 田中賢介 三 小谷野栄一 遊 西岡剛 外 多村仁志 / T-岡田 / 栗山巧 指 福浦和也 表 話 編 歴 投 田中将大 捕 細川亨 一 小久保裕紀 二 本多雄一 三 中村剛也 遊 中島裕之 外 糸井嘉男 / 内川聖一 / 栗山巧 指 J.フェルナンデス 表 話 編 歴 投 千賀滉大 捕 甲斐拓也 一 中田翔 二 浅村栄斗 三 鈴木大地 遊 源田壮亮 外 柳田悠岐 / 吉田正尚 / 近藤健介 指 栗山巧 表 話 編 歴 1972 池辺巌, 広瀬叔功, 福本豊 1973 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1974 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1975 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1976 B.ウイリアムス, 弘田澄男, 福本豊 1977 大熊忠義, 弘田澄男, 福本豊 1978 B.ウイリアムス, 福本豊, 簑田浩二 1979 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1980 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1981 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1982 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1983 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1984 島田誠, 高沢秀昭, 簑田浩二 1985 金森永時, 島田誠, 簑田浩二 1986 西岡良洋, 山本和範, 山森雅文 1987 秋山幸二, 新井宏昌, 島田誠, 高沢秀昭 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 平野謙, 本西厚博 1990 秋山幸二, 西村徳文, 平野謙 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1994 秋山幸二, イチロー, 佐々木誠 1995 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1996 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1997 イチロー, 井出竜也, 田口壮 1998 イチロー, 大友進, 大村直之 1999 秋山幸二, イチロー, 大友進 2000 イチロー, 柴原洋, 田口壮 2001 柴原洋, 田口壮, 谷佳知 2002 井出竜也, 小関竜也, 谷佳知 2003 大村直之, 柴原洋, 谷佳知, 村松有人 2004 谷佳知, 村松有人, SHINJO 2005 大村直之, サブロー, SHINJO 2006 稲葉篤紀, 森本稀哲, SHINJO 2007 稲葉篤紀, サブロー, 森本稀哲 2008 稲葉篤紀, 坂口智隆, 森本稀哲 2009 糸井嘉男, 稲葉篤紀, 坂口智隆 2010 糸井嘉男, 坂口智隆, 栗山巧 2011 岡田幸文, 糸井嘉男, 坂口智隆 2012 陽岱鋼, 糸井嘉男, 岡田幸文 2013 陽岱鋼, 糸井嘉男, 秋山翔吾 2014 陽岱鋼, 糸井嘉男, 柳田悠岐 2015 柳田悠岐, 秋山翔吾, 清田育宏 2016 秋山翔吾, 陽岱鋼, 糸井嘉男 2017 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2018 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2019 秋山翔吾, 荻野貴司, 西川遥輝 2020 柳田悠岐, 大田泰示, 西川遥輝 2021 荻野貴司, 辰己涼介, 柳田悠岐 2022 髙部瑛斗, 辰己涼介, 福田周平 2023 辰己涼介, 万波中正, 近藤健介 2024 辰己涼介, 周東佑京, 万波中正 表 話 編 歴 2009 井口資仁 2010 小久保裕紀 2011 松田宣浩 2012 中田翔 2013 浅村栄斗 2014 松田宣浩 2015 柳田悠岐 2016 吉村裕基 2017 栗山巧 2018 森友哉 2019 鈴木大地 2020 井上晴哉 2021 岡大海 2022 宗佑磨 2023 角中勝也 表 話 編 歴 自由獲得枠:細川亨 2巡目:中村剛也 4巡目:栗山巧 5巡目:竹内和也 日本の野球選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 ゴールデンスピリット賞受賞者 名球会 NPBオールスターゲーム選出選手 アジアシリーズ選手 育英高等学校出身の野球選手 神戸市出身の人物 兵庫県出身のスポーツ選手 1983年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/21 19:26更新
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kuriyama takumi
栗山巧と同じ誕生日9月3日生まれ、同じ兵庫出身の人
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