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秋山翔吾の情報 (あきやましょうご)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

秋山翔吾の情報(あきやましょうご) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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秋山 翔吾さんについて調べます

■名前・氏名
秋山 翔吾
(読み:あきやま しょうご)
■職業
野球選手
■秋山翔吾の誕生日・生年月日
1988年4月16日 (年齢36歳)
辰年(たつ年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和63年)1988年生まれの人の年齢早見表

秋山翔吾と同じ1988年生まれの有名人・芸能人

秋山翔吾と同じ4月16日生まれの有名人・芸能人

秋山翔吾と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


秋山翔吾と関係のある人

吉川尚輝: 打撃面では秋山翔吾に「ここ5年間で216本以上安打を打ってシーズン最多安打を更新する選手がいたとすれば吉川(尚輝)が一番近い」と評価を受けている。


渡辺久信: また、3年目の浅村栄斗や新人の秋山翔吾といった若手野手を辛抱強く起用した結果、9月14日から27日にかけて2つの引き分けを挟んで10連勝を記録するなど9月の月間成績を19勝5敗とし、クライマックスシリーズ出場へ望みを繋いだ。


近藤健介: シーズンでは2015年以来、3年ぶりに規定打席へ到達し、柳田悠岐、秋山翔吾と首位打者の座を争った。


板山祐太郎: このため、シーズン終了後には、埼玉西武ライオンズから海外FA権の行使を宣言していた秋山翔吾(後にMLBのシンシナティ・レッズへ入団)の自主トレーニングに参加。


柳田悠岐: 首位打者のタイトルを秋山翔吾と、最多本塁打と最多打点のタイトルをチームメイトのアルフレド・デスパイネと争っていたが、以降の試合に出場できずそのタイトルを逃す。


楠本泰史: 2022年に対戦した秋山翔吾を参考に、始動を早める打撃フォームにし、投手の投球モーションの序盤から右足を上げ、投げる前に自分の間で待てるようにしている。


伊東勤: 7月26日の対西武13回戦の試合で、西武が攻撃中の6回一死三塁で打者・秋山翔吾が1-2からの4球目を空振りしたように見えたが、球審の原信一朗の判定はファウルとなり、この判定に抗議に出たが、去り際に原へ暴言を吐いたとして自身通算2度目の退場処分を受けた。


大野雄大: 6月の全日本大学野球選手権大会において初戦で強豪東北福祉大学を2安打完封し、大学No.1左腕として頭角を現すが2回戦で秋山翔吾率いる八戸大学に完封負けした。


梅津智弘: だが、秋山翔吾に本塁打を打たれるなど1回を投げて3失点という内容で交代した。


水沢英樹: 細川亨、岸孝之、菊池雄星、秋山翔吾などを獲得した。


坂田遼: 高橋徹と同期で、2学年後輩に秋山翔吾がいた。


愛甲猛: 1988年から1992年にかけての535試合連続フルイニング出場は、2018年に秋山翔吾に破られるまでパ・リーグ記録であった。


松島茂: 2015年10月1日に『文化放送ライオンズナイター』で放送されたオリックス・バファローズ対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム大阪)中継で、秋山翔吾(当時は西武の外野手)がNPB一軍公式戦のシーズン最多安打記録(216安打)を達成した瞬間を伝えた。


佐藤友亮: 2011年は秋山翔吾や熊代聖人といった若手に完全に出番を奪われ、出場機会は昨年に比べて大きく減った。


塩見貴洋: 大学の同期には秋山翔吾、1学年後輩には田代将太郎がいた。


源田壮亮: また秋山翔吾のメジャー移籍を受け、翌年から主将を務めることになった。


田代将太郎: リーグ通算52試合204打数68安打27打点2本塁打、打率.333、大学の1学年先輩に、塩見貴洋と秋山翔吾がいた。


柳瀬明宏: 1球敗戦投手:2012年9月5日、対埼玉西武ライオンズ20回戦(西武ドーム)、9回裏に秋山翔吾に右越サヨナラ本塁打 ※史上23人目(24度目)


髙橋宏斗: 8月17日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、4回に秋山翔吾を三振に打ち取ったところでシーズン100奪三振に到達。


北野洸貴: 同期に秋山翔吾がいた。


丸佳浩: オフには秋山翔吾の負傷離脱に伴い、第2回WBSCプレミア12の日本代表に追加召集された。


西村天裕: 続く秋山翔吾にはレフト前に落ちる不運な適時打で勝ち越しを許し、さらに四球を与えて一死満塁となったものの、後続を抑えて追加点を防ぐと、チームは8回裏に同点に追いつき、西村に勝敗は付かなかった。


公文克彦: 2017年は初めて開幕を一軍で迎え、埼玉西武ライオンズとの開幕戦で秋山翔吾へのワンポイントとして移籍後初登板となり、空振り三振を奪った。


鈴木翔太: 秋山翔吾のソロ本塁打で1点を失ったが、1イニングを投げて2つの三振を奪った。


松井稼頭央: また西武時代に記録し球団記録となっていた23試合連続安打、シーズン193安打を同年シーズン中にいずれも秋山翔吾に破られている。


岩下大輝: 初奪三振:2018年7月29日、対埼玉西武ライオンズ16回戦(ZOZOマリンスタジアム)、8回表に秋山翔吾から空振り三振


松山晋也: 憧れの選手は黒田博樹で、対戦したい選手は八戸学院大学の先輩である秋山翔吾


大崎雄太朗: 7月以降は秋山翔吾のケガからの復帰に伴い右投手の先発出場が主な起用となったが、CS争いが激化した9月以降は左右の投手関係なくレギュラーとして定着した。


坂本勇人: 2016年開幕前、西武の秋山翔吾に打撃のアドバイスを求め、アッパー気味のスイングの打撃論を取り入れた。


森唯斗: 5月2日に初めて出場選手登録をされ、同11日の埼玉西武ライオンズ戦の9回二死の場面から4番手でプロ初登板を果たし、秋山翔吾を二ゴロに仕留めた。


秋山翔吾の情報まとめ

もしもしロボ

秋山 翔吾(あきやま しょうご)さんの誕生日は1988年4月16日です。神奈川出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴、人物などについてまとめました。父親、卒業、結婚、事故、テレビ、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。秋山翔吾の現在の年齢は36歳のようです。

秋山翔吾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

秋山 翔吾(あきやま しょうご、1988年4月16日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。

日本プロ野球におけるシーズン最多安打記録(216本・2015年)保持者。

2歳で野球を始め、1995年の卒園文集には「やきゅうせんしゅになりたいです。いちろう(イチロー)みたいにひっとうちたいです。」と書いていた。横須賀市立大津小学校に入学した小学1年からソフトボールチームの「大津スネークス」に入部。コンマ1秒でも早く一塁へ到達するよう右投げ左打ちに変更。左打ちのフォームは父親から指導された。父親の指導は厳しく、小学生時点で大津中学校の陸上部に入部し中学生と一緒に陸上の練習をしていた。「湘南武山フェニックス」では投手、捕手、内野手、外野手として活躍し2000年に卒団。小学校卒業文集のタイトルは「プロ野球選手を目指して」。横須賀市立大津中学校時代は横浜金沢シニアに所属していた。更に陸上部にも所属し、脚力を磨いた。

横浜創学館高等学校では1年時からレギュラーとなるも、3年夏は県ベスト8で敗退し甲子園出場は無かった。秋山は全国的には無名であったもののドラフト候補にもその名前が挙げられていた。同高の同期に北野洸貴がおり、秋山の2学年先輩には後にプロでもチームメイトとなる坂田遼がいた。

高校卒業後は八戸大学(現八戸学院大学)へ進学し、北東北大学野球連盟に加盟している硬式野球部へ入部する。大学では1年時の春からレギュラーとなり春秋連続でベストナインを受賞。4年時の春は4番打者を務め勝負強い打撃で打率.486、14打点を記録。優秀選手賞、首位打者、最多打点、ベストナインの4冠に輝いた。大学の同期には塩見貴洋、1学年後輩には田代将太郎がいた。

2010年10月28日に行われたプロ野球ドラフト会議にて埼玉西武ライオンズから3巡目で指名を受け入団。背番号は55。

2011年は、球団の新人外野手としては岡村隆則以来30年ぶりとなる開幕スタメンを迎え「9番・右翼手」で出場、翌日の2戦目にはプロ初安打初打点を記録し、3安打を打った。同年の新人選手の中で、公式戦で最初に安打を打った。しかし、開幕直後こそ調子がよかったもののその後不振に陥り二軍落ちを経験してしまう。7月中盤に再昇格後は当初は右翼手として、栗山巧が怪我の影響で左翼手にコンバートされた後は中堅手のレギュラーとして固定され、広い守備範囲と強肩を活かした守備面での活躍が目立った。打撃では主に9番あるいは7番を打ち.232と低打率だったが、9月の月間MVP候補にノミネートされるなど8月以降は好調であった。

2012年は、開幕レギュラーが期待されたが、右大腿部の故障で開幕を二軍で迎えた。その後も2回出場選手登録を抹消されたが、その間に前年の課題だった打撃面が向上し、一軍にいる間はチーム事情から1〜3番と5番を経験、栗山が離脱してからは2番に固定された。9月5日の福岡ソフトバンクホークス戦ではプロ入り初のサヨナラ本塁打を打った。また規定打席にも初めて到達、打率はリーグ6位の好成績を残した。オフの11月6日に「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出された。第一戦は守備固めとして出場、第二戦は七番中堅手で先発出場し2打数0安打2四球であった。

2013年は、中堅手として全試合に先発出場して終盤に代打と交代した1試合を除いてフルイニング出場を果たし、ゴールデングラブ賞のタイトルを初めて受賞した。打撃では6月と8月の月間打率が2割を下回った。打順は5月までは主に2番、6月は主に1番、7月は主に5番で起用された。オフの11月には、台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。同チームから浅村栄斗、炭谷銀仁朗も選出された。また、この年には高校3年時から交際していた女性と結婚した。契約更改交渉に臨み、3000万円増の推定年俸6500万円でサインした。

2014年は、開幕から3番として起用されたが打率1割台と打撃不振に陥り、4月24日に主砲の中村剛也と入れ替わりで登録を抹消された。一軍復帰後は1番で起用され、5月と6月は月間打率が3割を超えるなど調子を上げていったが夏場は打率を伸ばせず下位打線に回り、最終的に本塁打も前年の13本から4本に減った。10月に中村と共に右肘のクリーニング手術を受けた。

2015年は、森友哉のフォームを参考にしたというバットを寝かせて構えた打撃フォームに変え、開幕から好成績を残す。6月14日、63試合目で100安打を打ち、100安打到達では1994年のイチロー(60試合)、1964年の広瀬叔功(61試合)に次いで史上3番目の記録になった。6月27日、イチロー(1994年5・6月)以来史上2人目となる2か月連続での月間40安打を達成した。6月3日の中日ドラゴンズ戦から7月14日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦に途切れるまで打った連続試合安打31試合は、1979年の高橋慶彦による日本最長記録33試合に及ばずも歴代3位タイにランクインした(左打者としては歴代1位)。記録が途切れることとなった延長10回裏の第5打席では四球を選び、結果的に中村剛也のサヨナラ3点本塁打を呼び込みチームの連敗を止めるチームプレーとなった。9月13日の対千葉ロッテマリーンズ戦で先発の元チームメイト・涌井秀章から左前に適時打を打ち、史上7人目となるシーズン200本安打を達成した。9月30日の対オリックス・バファローズ戦では1試合5安打を記録し、マット・マートンの保持するシーズン歴代最多安打記録(214本)に並んだ。日本人打者としては歴代単独1位に立ち、翌日10月1日のシーズン最終戦となる対オリックス戦では第3打席にブライアン・バリントンから三塁内野安打を打ち、NPB新記録となる215安打を達成した。さらに第4打席に三塁打を打ち、最終的に216安打とした。秋山はこの年にチームで唯一のフルイニング出場を果たした。10月9日には第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された。12月8日に埼玉県の彩の国スポーツ功労賞を受賞した。

2016年は、2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された。レギュラーシーズンでは全試合に出場したが、終始打率が3割前後を行き来した。7月18日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初の2打席連続本塁打を記録した。10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された。12月1日契約更改交渉を行い、5000万円増の年俸2億円(推定)プラス出来高払いの3年契約を結んだ。

2017年は、全試合フルイニング出場を果たし、初めて首位打者のタイトルを獲得した。この年、パ・リーグ規定打席到達者で打率が3割を超えた選手は秋山と首位打者のタイトルを競った柳田悠岐の2人のみだった。また、本塁打が初めて20本を超えた。

2018年は、5月5日の楽天戦で球団タイ記録(3人目)となる8試合連続マルチヒットを記録、翌6日の試合で3打数1安打3四球で連続記録は途切れた。7月13日のオールスターゲーム第1戦ではオールセントラル先発の松坂大輔から先頭打者本塁打を打ったが、オールスターゲームで2年連続先頭打者本塁打を記録したのはプロ野球史上初であった(2017年は第1戦でラウル・バルデスから記録)。9月25日の楽天戦では自身初の逆転満塁本塁打を記録した。最終的に2年連続で最多安打のタイトルを獲得した。また3割20本塁打も2年連続でクリアする等山賊打線の切り込み隊長として活躍、西武の10年ぶりの優勝に貢献した。シーズン中の8月には日米野球の代表に選出され、11月14日の第4戦ではこれまた自身初となるランニング本塁打を記録した。1490万円アップの推定年俸2億3490万円で契約更改した。

2019年は、楽天へFA移籍した浅村の後任としてキャプテンに指名された。5月には自身4回目の月間MVPに選出された。9月26日の楽天との最終戦にフル出場し、自身初となる5年連続のフルイニング出場を達した。2014年から継続中のフルイニング出場を「739」に更新し、パ・リーグ記録、NPB歴代単独2位を記録した。10月29日に海外FA権を行使し、メジャー挑戦が発表された。プレミア12にも選出されたが、10月31日の強化試合のカナダ戦で右足に死球を受け骨折。本大会を辞退した。

2020年1月6日にシンシナティ・レッズと3年総額2100万ドルで契約を結んだことが発表された。オプションとして表彰等の出来高が含まれ、背番号は4。メジャー30球団の中で唯一日本人選手が所属したことがなかったレッズにとって初めての日本人選手となった。

7月24日のデトロイト・タイガースとの開幕戦の6回裏に代打でメジャー初出場。ホセ・シスネロから中前適時打を打ち、メジャー初打席初安打初打点を記録した。8月まで打率.196、出塁率.282と苦しみ、6〜8番の下位になることも多くなったが、9月に入ってからはチーム最高の月間打率.317、出塁率.459を記録するなど1番打者として躍動。チームの7年ぶりとなるポストシーズン進出に貢献したものの、シーズンでは最終的に54試合に出場し、打率.245、0本塁打、9打点、7盗塁、OPS.654の成績に終わった。

2021年は、キャンプ中に夫人が倒木に挟まれる事故に遭い入院したため一時離脱。直後に自身も左太もも裏の張りで故障者リスト入りし、そのままシーズン開幕を迎える。5月7日にメジャー昇格するが、ニック・カステヤノス、タイラー・ネイキン、ジェシー・ウィンカーらレッズ外野手陣が打撃好調だったこともあり、シーズン全体を通して途中出場とスタメン起用を繰り返されながら88試合に出場。9月16日の試合で右太もも裏の張りのため途中交代し、シーズン2度目の故障者リスト入りをすると、復帰することなくそのままシーズンを終えた。最終的に打率.204、12打点、本塁打0、2盗塁にとどまった。

2022年は、オフシーズンに外野のレギュラーであったカステヤノスがフィラデルフィア・フィリーズ、ウィンカーがシアトル・マリナーズにそれぞれ移籍し、外野の定位置争いに追い風が吹いていた。しかし、オープン戦で不振に喘ぎ、打率.182、OPS.364と低調な成績を記録。開幕を4日後に控えた4月3日に開幕ロースターから外れたと発表され、4月5日にFAとなった。なお、メジャー時代には一度も本塁打を打てなかった。

2022年5月9日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級エルパソ・チワワズへ送られた。契約期間は、5月1日から6月15日までの45日間であった。エルパソでは、6月7日に新型コロナウイルスに感染し、1週間離脱した期間があったものの、10試合連続安打を放つなど、出場16試合のうち15試合で安打を放ち、打率.343、3本塁打、21打点、2盗塁を記録したが、パドレスの「若い選手を使っていきたい」という方針もあり、同15日までのメジャー昇格は叶わず、同日にFAとなった。その後数日間メジャー球団からのオファーを待ったが実現せず、同19日に日本球界へ復帰することを表明した。

2022年、日本球界復帰にあたって、古巣の埼玉西武ライオンズに加えて福岡ソフトバンクホークス、広島東洋カープが獲得に名乗りを挙げ、交渉の末、6月27日に広島と3年総額5億円規模で契約することが発表された。背番号は緒方孝市や丸佳浩が使用していた9。古巣の西武は2年契約の提示であったのに対し、広島やソフトバンクは3年契約であり、また、メジャーでプレーしたことによって新しい環境でプレーしたいという気持ちから、セ・リーグの広島に決めたという。

7月8日に一軍昇格し、同日の中日戦(バンテリンドーム ナゴヤ) に3番・左翼手として先発出場。この試合では3回表の第2打席で日本球界復帰後初安打となる中前適時打を放つなど、4打数2安打1打点の成績を記録した。7月15日の巨人戦で移籍後初本塁打、8月6日の阪神タイガース戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では5-5の同点で迎えた9回一死二塁の打席で岩崎優から移籍後初のサヨナラ安打を放ち、翌7日の阪神戦(マツダスタジアム)では、日米通算1500安打を達成した。9月13日に8月度の「月間スカパーサヨナラ賞」に選出された。12月2日、契約更改交渉に臨み、3年契約2年目となる翌年は現状維持の推定年俸1億5000万円でサインした。

2023年、4月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(マツダスタジアム)では1点を追う9回二死一塁の打席で田口麗斗から逆転サヨナラ2点本塁打を放ち、5月17日に3・4月度の「月間スカパーサヨナラ賞」に選出された。同月31日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)では両者無得点で迎えた7回一死一・二塁の打席で黒木優太から決勝3点本塁打を放ち、チームの対オリックス戦での連敗を13で止めた。オールスターゲームにはファン投票で4年ぶりに選出され、広島の一員としては初出場となった。7月19日の第1戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では2番・中堅手で先発出場し、6回無死一塁の打席で山﨑颯一郎から2018年7月14日の第2戦(リブワーク藤崎台)で9回に左前打を放って以来、5年ぶりの球宴安打を放った。8月11日の対中日戦で右ふくらはぎを痛め、検査の結果、右下腿ヒラメ筋筋損傷と診断された。これにより12日に登録抹消される。9月8日に出場選手登録されるも同月20日に体調不良のため、特例2023で出場選手登録を抹消。同月22日に一軍復帰すると翌23日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で7回二死二塁の打席で船迫大雅から115日ぶりの本塁打となる2点本塁打を放った。シーズン通算では115試合に出場、打率.274、4本塁打、38打点の成績に終わった。10月31日に右膝外側半月板部分切除の手術を受けた。

選手としての特徴

パ・リーグ歴代1位、NPB全体では歴代2位の連続フルイニング出場記録を持っている。

打撃

NHK BS1のテレビ番組『球辞苑』で放送した「流し打ち」の回を視聴したことがきっかけで、アベレージヒッターに徹する決意が生まれ、その結果として年間最多安打記録を更新した。

守備・走塁

50メートル5秒9、一塁到達3.88秒の俊足と遠投110メートルの強肩を兼ね備える。特にスローイングは短い距離での精度には欠けるもののバックホームなどの長距離では力強さを見せ、西武外野陣で一番の強肩であると評価されている。

2016年シーズンは671打席で併殺打がわずか2と規定打数に達した野手の中では3位の記録であった。

人物

秋山は子供の頃に父親から野球を教わり、清水隆行のフォームを真似していたという。父親は秋山が小学6年の時に病死し、秋山もこのような経験から2015年シーズンから主催試合で一人親家庭を招待しており、それが評価されて2019年度のゴールデンスピリット賞を受賞した。

ラジオ好きとしても知られ、移動中にradikoを使い、特に好きだと語るニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』、TBSラジオ『バナナマンのバナナムーンGOLD』を聴いている。また、西武時代には、ラジオ単営局である文化放送のスポーツアナウンサー・松島茂と親しく交流。しかし、レッズの外野手としてプレシーズンゲームでMLBにおける対外試合初安打を打った直後(2020年2月23日)に松島が47歳で死去したため、初安打のボールを松島の遺族へ急遽届けた。

主な愛称は「うなぎ」。これは元々、漫画『天才バカボン』の登場キャラクターであるウナギイヌに顔が似ているということから、ファン間やチーム内で呼ばれていたものだが、「チームに活力を与えるウナギのような存在になれ」という、先輩の栗山巧の発案などもあり、ライオンズ公式でうなぎグッズが発売されるなど半ば公式の愛称となっており、後輩からもこれをネタにいじられることがある。また、その他にも同学年の前田健太や先輩の青木宣親らに「アキ」と呼ばれている。

浦和レッドダイヤモンズの阿部勇樹と親交があり、2021年に彼が引退会見を開いた際はサプライズで花束を贈呈した。

シーズンオフには毎年『ジョブチューン』で野球企画が年末に放送されているが、秋山は毎年欠かさず出演しており、2019年のオフは西武の優勝旅行中に収録があったが、現地ホテルから中継を繋いで出演したほか、レッズ移籍後も出演を続けていたが、2021年2月放送のプロ野球企画には出演がなかった。また、前述の経緯から、『球辞苑』にも度々ゲスト出演しており、同番組の出演者であるナイツの塙宣之とも親交がある。

2022年11月23日に行われた広島東洋カープの「ファン感謝デー」で「広島県人になりました」と話した。

2024/06/15 12:46更新

akiyama syougo


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秋山 莉奈(あきやま りな、1985年9月26日 - )は、日本の女優、タレント、元グラビアアイドルである。 現在の本名は後藤 莉奈(ごとう りな。結婚前の旧姓は現芸名と同一)。 東京都出身。キリ…

秋山 ゆずき(あきやま ゆずき)
1993年4月14日生まれの有名人 埼玉出身

秋山 ゆずき(あきやま ゆずき、1993年4月14日 - )は、日本の女優、元アイドル。レディバード(フロム・ファーストプロダクション)所属。埼玉県出身。旧芸名は橋本 柚稀(はしもと ゆずき)。 …

秋山 優(あきやま ゆう)
1986年10月10日生まれの有名人 埼玉出身

秋山 優(あきやま ゆう、1986年10月10日 - )は、日本の元タレント。 埼玉県熊谷市出身。A-teamに所属していた。 明石家さんちゃんねる(2007年 - 、TBS) みんなのウマ倶楽…

秋山 実希(あきやま みき)
1977年11月11日生まれの有名人 愛知出身

秋山 実希(あきやま みき、1977年11月11日 - )は、日本の歌手、女優、タレント。旧芸名、柴田 実希、MIKI。愛知県出身。スターダストプロモーションに所属していたが、2010年4月で辞め、ほ…

秋山 真凜(あきやま まりん)
1996年10月12日生まれの有名人 福岡出身

秋山 真凜(あきやま まりん、1996年10月12日 - )は、日本の元アマチュア女子ゴルファー、タレント、スポーツキャスター。福岡県福岡市出身。生島企画室所属。父はプロ野球ソフトバンクホークス元監督…

秋山 ちえ子(あきやま ちえこ)
1917年1月12日生まれの有名人 宮城出身

秋山 ちえ子(あきやま ちえこ、1917年(大正6年)1月12日 - 2016年(平成28年)4月6日)は、日本のラジオパーソナリティ、エッセイスト、時事評論家。本名、橘川ちゑ(きっかわ ちえ)。 …

秋山 衣梨佳(あきやま えりか)
1994年11月18日生まれの有名人 京都出身

秋山 衣梨佳(あきやま えりか、1994年11月18日 - )は、日本の元タレント。 2011年京都にあるアイドル事務所にスカウトされ、アイドルデビュー。当時は「衣梨佳」として活動をしていた。 …

秋山 依里(あきやま えり)
1989年12月26日生まれの有名人 東京出身

秋山 依里(あきやま えり、1989年12月26日 - )は、日本のモデル、女優、歌手、コスプレイヤー。旧芸名は秋山 奈々(あきやま なな)。 東京都出身。所属レコード会社はビクターエンタテインメン…

秋山 まい(あきやま まい)
1979年3月10日生まれの有名人 埼玉出身

秋山 まい(あきやま まい、1979年3月10日 - )は、日本のモデル、タレント。元レースクイーン。本名、上本 昌代(うえもと まさよ)旧姓、秋山。埼玉県出身。芸能活動当時の所属事務所はスタイルコー…

秋山 菜津子(あきやま なつこ)
1964年10月8日生まれの有名人 東京出身

秋山 菜津子(あきやま なつこ、1964年10月8日 - )は、日本の女優。東京都出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業。 高校在学中は演劇部に所属、ケラリーノ・サンドロヴィッチは演劇部の先輩。 198…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「秋山翔吾」を素材として二次利用しています。

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