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石井貴の情報 (いしいたかし)
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【6月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

石井貴の情報(いしいたかし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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石井 貴さんについて調べます

■名前・氏名
石井 貴
(読み:いしい たかし)
■職業
野球選手
■石井貴の誕生日・生年月日
1971年8月25日 (年齢52歳)
亥年(いのしし年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和46年)1971年生まれの人の年齢早見表

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石井貴と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


石井貴と関係のある人

クリス=ドネルス: 初本塁打:1996年4月17日、対西武ライオンズ3回戦(藤井寺球場)、8回裏に石井貴からソロ


城島健司: 初戦は石井貴、第3戦は張誌家、最終第5戦では松坂大輔から先制本塁打を放つなどプレーオフ計3本塁打を放つ活躍をしたが、守備面では第2戦先発の和田毅、第3戦先発の斉藤和巳が崩れるなど投手陣のリードにはやや苦しみ、チームは第5戦で敗れリーグ連覇を逃した。


武藤孝司: 初打点:1996年9月8日、対西武ライオンズ22回戦(藤井寺球場)、8回裏に石井貴から左前適時打


松坂恭平: “ソフトB松坂が元同僚石井貴氏と記念写真”. 日刊スポーツ. 2015年2月6日閲覧。


代田建紀: 2年先輩に石井貴がいた。


潮崎哲也: 2002年は石井貴の故障などから13試合に先発し、4月27日の対日本ハム戦では1年半ぶりに先発勝利を上げた。


衣川幸夫: 初打点:1998年10月7日、対西武ライオンズ26回戦(西武ドーム)、4回表に石井貴から中前適時打


武藤孝司: 初盗塁:同上、8回裏に二盗(投手:石井貴、捕手:髙木大成)


東尾修: 東尾が監督に就任した当時の西武は黄金期の主力選手が移籍したり、衰えが顕著になるなど戦力の低下が著しかったが、東尾は投手陣に関しては松坂、西口、石井貴、豊田清の「先発4本柱」や、中継ぎ・抑えの森などを育成し世代交代に成功した。


川上憲伸: 初戦では7回2失点と好投したが打線が西武先発の石井貴の前に2安打に抑えられ敗戦投手になった。


関根裕之: 当時の即戦力投手の中でも左腕の河原隆一(関東学院大学)に次ぐ目玉選手で、当初は福岡ダイエーホークス入りが有力視されたが、あくまで1位指名にこだわる関根に対してダイエーが難色を示した(ダイエーは逆指名1位で青山学院大学の小久保裕紀を、逆指名2位で即戦力投手を獲得する方針であった)ため、石井貴(三菱重工横浜)を西武ライオンズにさらわれた日本ハムが逆指名1位での入団を打診、獲得にこぎ付けた。


潮崎哲也: 1997年は前年オフに台湾プロ野球で最多セーブを記録したロバート・ウィッシュネフスキーを獲得、また同じく前年に石井貴がリリーフとして台頭してきたこともあり、東尾監督の勧めと潮崎の希望から先発に転向した。


黄川田将也: Presents〜うに煎餅〜(2007年 / 石井貴英監督) - 安田健介 役


五島裕二: 初本塁打:2000年9月17日、対西武ライオンズ24回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回裏に石井貴から右越ソロ


阿久根鋼吉: 初盗塁:2003年4月20日、対西武ライオンズ6回戦(東京ドーム)、8回裏に二盗(投手:石井貴、捕手:伊東勤)


武隈祥太: また、チェンジアップは松坂大輔の握りを石井貴から教わったものであり、武隈の代名詞でもある。


石井貴士: 2019年11月、YouTubeチャンネル「作家石井貴士のビジネス書解説チャンネル」開設


細川亨: 打撃ではサードフライ、三振、サードゴロと無安打、守備では石井貴をリードし6イニングを無失点、三井浩二も1イニング無失点とし、8回から中嶋聡に交代し、プロ初出場を完封リレーで繋ぎ勝利した。


里崎智也: なおこの試合では7回裏に石井貴から左翼へ適時二塁打を放ち初安打初打点も記録した。


永島聖羅: 永島聖羅×石井貴英(2012年5月2日) - EAN 4988009052250。


石井貴士: 『石井貴士の1分間易入門』 パブラボ  ISBN 978-4434192616


和田まあや: 和田まあや×石井貴英+KAI(2013年3月13日) - EAN 4988009080840。


森慎二: 後半には石井貴と入れ替わる形で抑えに抜擢され、最終的に38試合に登板し、6勝2敗9セーブを記録成績でチームの優勝に貢献した。


大竹寛: 初安打:2005年5月8日、対西武ライオンズ3回戦(広島市民球場)、2回裏に石井貴から中前安打


伊原春樹: 投手陣は「松坂が開幕6連勝と好スタートを切ったが、途中でひじを痛めてリタイア、張誌家、西口、石井貴ら他の投手が頑張り、森、豊田のリリーバーも盤石で、東尾監督時代中継ぎだった潮崎を少しスピード落ちていましたけど、技術がありましたし、何といってもシンカーがある。


鎌田光津希: 最速155km/hのストレートとスライダー・フォークを投げ分け、徳島インディゴソックス時代の監督であった石井貴から習ったナックルカーブも武器の1つである。


三井浩二: 2006年、この年から本格的に中継ぎとなり、石井貴に次ぐチーム2位のホールドを挙げた。


十川雄二: 退社後は小野剛の紹介で小野が石井貴と共同経営している都内の焼肉店ベイサイド東京牧場に勤務している。


鶴岡慎也: 同クラブでは1993年の石井貴以来のプロ野球選手となった。


坪井智哉: オールスター戦では石井貴から本塁打を放ち優秀選手に選ばれている。


石井貴の情報まとめ

もしもしロボ

石井 貴(いしい たかし)さんの誕生日は1971年8月25日です。神奈川出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、詳細情報などについてまとめました。父親、母親、引退、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。石井貴の現在の年齢は52歳のようです。

石井貴のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

石井 貴(いしい たかし、1971年8月25日 - )は、神奈川県綾瀬市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属契約。

アマチュア野球選手・監督の石井章夫は兄。心理学者の小野直広は伯父(父親の姉の夫)。

幼少時は巨人ファンだった。少年時代からカーブが苦手でスライダーを投げていた。綾瀬市立城山中学校時代はベンチ入りすら果たせずスタンドで応援していた。藤嶺学園藤沢高等学校から社会人野球の三菱重工横浜へ進み第64回都市対抗野球大会に補強選手でベスト4進出、1993年のドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受け、入団。背番号は14。

入団当時から速球が注目され、即戦力との期待が高かった。しかし制球力が低く、1年目の1994年はわずか3試合の登板に終わった。

1995年は17試合に登板し2勝を挙げた。

1996年には制球力が向上し、140km/hを超えるシュートが活きるようになり、この年から一軍に定着することになる。開幕当初は先発と中継ぎを兼任していたが、シーズン終盤には抑えも経験し10月4日、5日の近鉄との試合では2試合連続セーブを挙げチームがAクラスへ滑り込むのに貢献した。

1997年は中継ぎ・抑えとして活躍し、59試合に登板、10勝8敗9セーブ。先発としても2試合起用され、プロ初完封を達成した。なお、この頃から右肩に違和感を覚えるようになっていた。

1999年は自己最多の13勝を挙げた。

2000年も10勝を記録し、2年連続で2ケタ勝利を挙げた。完投は少なかったが、この2年間で完封を3度記録した。2000年まで、福岡ダイエーホークスは西武の投手陣(石井、西口文也、豊田清ら)を大の苦手としており、石井もダイエー相手に3年越しの連勝記録を更新していてダイエーをカモとしていた。この年の5月4日に行われた福岡ドームでの対ダイエー6回戦にて初回6失点となったが降板せず、その後迎えた5回1死の場面で秋山幸二が打ったピッチャー返しの打球が顔面へ直撃し、倒れこみのた打ち回りそのまま担架で運ばれ降板した(しかし登録抹消されず中9日で再び先発のマウンドに上った)。

2001年は不調に陥り5勝に留まった。

2002年は背番号を21に変更し、22試合に登板し8勝を挙げた。日本シリーズでは巨人と対戦し、第2戦に登板したが打ち込まれ敗戦投手となった。

2003年は右肩の故障に苦しみわずか6試合しか登板できず1勝2敗でシーズンを終えた。

2004年は14試合に先発したものの1勝5敗と絶不調だった。チームはリーグ2位で終え、この年からパ・リーグに導入されたプレーオフ進出を決めた。3位の北海道日本ハムファイターズと第1ステージを戦い2勝1敗で勝ち抜け、第2ステージでリーグ1位のダイエーと戦うこととなった。石井は第1ステージでは登板はなかったが、同じ先発で10勝を挙げた西口文也が怪我でプレーオフに登板できないことや第1ステージで3試合消化することになりこの年の主軸投手が次々に先発登板してしまい第2ステージ第1試合が西口の離脱で谷間先発投手の誰かにならざるを得ない状態になってしまった、伊東勤監督から投手陣のリーダーと評されていたことからこの年不振ではあったが実績を買い第2ステージでは第1戦の先発を任された。だが初回から捕まりホークスの強力打線を抑えられず4回1/3を投げて5失点でKOされ敗戦投手となった。しかし、ここからレギュラーシーズンで結果を出せなかった石井の逆襲が始まる。両チーム2勝2敗で迎えた最終第5戦で出番が訪れ、延長10回表に1点を勝ち越し、その裏に既にリリーフエースの豊田清も登板して後に任されるリリーフ投手が不調の森慎二しかいない中、石井が登板しランナーを1人出すも最後の打者鳥越裕介をセカンドゴロに打ち取りゲームセット。KOされた第1戦のリベンジに成功し2年ぶりのリーグ優勝を決め胴上げ投手となった。日本シリーズでもエース松坂がプレーオフ第2ステージで中3日を含めた2試合先発登板だったことを考慮し伊東監督は胴上げ投手石井の勢いを買い第1戦に先発し、中日の先発はこの年リーグ最多勝のタイトルを獲得したエース川上憲伸との投げ合いだったが7回をわずか2安打無失点で勝利投手となった。シリーズはもつれにもつれ石井は第7戦にも先発、打線が相手先発のドミンゴ・グスマンを早い回でKOしたことでリードを広げ6回を3安打無失点と好投し、勝利投手となった。登板2試合で中日打線を2戦合計13イニングを無失点に抑える活躍で日本シリーズMVPを受賞した。日本シリーズでの勝利数がレギュラーシーズンの勝利数を上回った投手は史上初めてである。右肩を痛めて以降ストレートの球速は140km/h前後だったが、この時は150km/h出たという。また、日本シリーズMVPの副賞であるトヨタ・クラウンマジェスタは母親にプレゼントしている。

2005年は復活を期待されていたが怪我と不振でわずか7試合の登板で2勝4敗、防御率8点台に終わった。この年FA権を取得したが、行使せずに西武残留の意思を示している。このことについて石井は、逆指名で西武に入ったのだから生涯西武を貫くという趣旨の発言を2006年にしている。

2006年は春季キャンプで佐々木主浩からフォークボールを伝授されると「今まで教わってきたことと全てが違っていた」と口にするほどの手応えでこの球種を習得。森慎二・豊田清が抜けリリーフ陣が苦しくなった事情もあり、9年ぶりにリリーフに転向。それまでのように速球で押すピッチングではなく、新球種フォークを武器にした新しい投球スタイルで開幕から11試合連続無失点を記録した。開幕から中継ぎ(主に8回)を任されるようになり、最終的に一軍定着後としては初の一軍先発無しに終わったが、47試合に登板してチームトップでリーグ3位の23ホールドを挙げた。同年8月1日の千葉ロッテマリーンズ戦にて1球勝利を達成。

2007年は開幕を二軍で迎えた。二軍で防御率0点台と安定感を誇ったが直球の球威が思うように戻らず一軍では登板機会も少なく防御率7点台に終わった。9月26日に同年限りで現役を引退することを表明。「理想の投球ができなくなった。悔しいけど、体力の限界に至った」と理由を語った。9月28日の本拠地最終戦となる北海道日本ハムファイターズ戦で9回に登板し、先頭打者の田中賢介を全て直球で3球三振に退け、14年に渡るプロ生活に有終の美を飾った。現役最終年は引退試合を含めて8試合の登板に終わった。試合後の引退セレモニーでは「もう私の肩は上がりません」「一生懸命、投げてきました」と涙ながらにコメントし、チームメイトから胴上げされた。なお10月30日付で任意引退が公示された。

2008年から西武の二軍投手コーチに就任。2012年からは一軍投手コーチを担当。コーチとして投手を指導する際、自分が得意だった球種を教えるより、自分が投げられない球種に関して、他人から聞いたコツを教えるほうが得意であると発言した。2013年はチーム救援防御率リーグ最下位、勝負どころの8月に投手陣が防御率5.23と崩れた責任をとり、同年10月22日に球団に退団を申し入れ、了承された事が発表された。

2014年からは、テレビ埼玉(TVSライオンズアワー・TVSヒットナイター)・文化放送(文化放送ライオンズナイター・文化放送ホームランナイター)・FOX SPORTS ジャパンの野球解説者を務める。2014年に吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)を受けてスポーツマネージメントして所属契約してる。

また、日本学生野球協会の研修を受けアマ指導の資格を回復させ、2015年には母校・藤嶺学園藤沢中学校・高等学校において高校野球部の非常勤コーチとしての指導も行っていた。

2017年12月1日、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスの監督に就任することが発表された。

2018年、徳島は前期は最下位、後期は最大6.0ゲーム差を付けながら最終戦で愛媛マンダリンパイレーツに逆転を許して優勝はならなかったが、プロ野球ドラフト会議で、鎌田光津希が千葉ロッテマリーンズからリーグでこの年唯一となる育成1位での指名を受けた。10月31日、2019年からの東北楽天ゴールデンイーグルス二軍コーチ就任に伴い、徳島の監督を退任することが発表された。

楽天では、2020年まで二軍の投手コーチを務めたのち、2021年からは一軍投手コーチを担当。2024年からは再び二軍投手コーチを務める。

選手としての特徴

現役時代は気合を前面に押し出したピッチングで知られ、西武ライオンズの投手陣のリーダー格的存在だった。文化放送『文化放送ライオンズナイター』では、石井を「投げる金剛力士像」と称していた。

1998年以降先発投手を務めることが増えたが、本人はリリーフのほうが向いていると感じていた。

金村義明は「球は速かったが、リリースポイントが見やすかった」、大塚光二は「スライダーを投げる時は顔の表情でわかった」と現役時代の石井について発言している。本人も左肩の開きが早くリリースポイントが見やすいフォームだったと認めている。ただし、右肩の痛みのためフォームを変更(本人曰く柔道の一本背負いのようなフォーム)している。

詳細情報

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セ丨ブ ホ丨ルド 勝率 打者 投球回 被安打 被本塁打 与四球 敬遠 与死球 奪三振 暴投 ボ丨ク 失点 自責点 防御率 WHIP
1994 西武 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 35 6.2 14 1 5 0 0 2 0 0 13 12 16.20 2.85
1995 17 7 0 0 0 2 2 0 -- .500 284 67.0 76 5 22 1 1 34 1 0 30 30 4.03 1.46
1996 35 7 0 0 0 3 6 4 -- .333 414 95.1 100 4 39 0 3 74 4 0 41 31 2.93 1.46
1997 59 2 1 1 0 10 8 9 -- .556 443 102.1 113 7 35 4 1 68 1 2 46 41 3.61 1.45
1998 30 19 1 0 0 9 3 0 -- .750 616 145.0 143 10 44 2 7 98 1 7 59 53 3.29 1.29
1999 26 26 4 1 2 13 8 0 -- .619 743 178.2 177 16 43 3 1 108 4 4 62 61 3.07 1.23
2000 25 23 2 2 0 10 7 0 -- .588 588 135.2 148 9 39 0 4 80 1 2 68 65 4.31 1.38
2001 23 15 2 0 0 5 9 0 -- .357 402 91.0 96 7 39 0 3 42 2 0 44 38 3.76 1.48
2002 22 19 2 0 1 8 3 0 -- .727 553 130.1 134 7 36 0 6 73 3 0 45 45 3.11 1.30
2003 6 6 1 0 0 1 2 0 -- .333 175 40.1 45 4 8 0 3 22 0 0 20 19 4.24 1.31
2004 14 14 0 0 0 1 5 0 -- .167 321 69.2 82 6 28 0 5 35 1 2 49 36 4.65 1.58
2005 7 6 0 0 0 2 4 0 0 .333 134 28.0 42 4 11 0 1 8 0 1 27 25 8.04 1.89
2006 46 0 0 0 0 4 1 0 23 .800 164 38.2 39 4 8 1 0 22 2 0 17 15 3.49 1.22
2007 8 0 0 0 0 0 0 0 3 ---- 37 7.1 10 0 4 0 1 5 0 0 6 6 7.36 1.91
通算:14年 321 144 13 4 3 68 58 13 26 .540 4909 1136.0 1219 84 361 11 36 671 20 18 527 477 3.78 1.39

各年度の太字はリーグ最高

表彰

日本シリーズMVP:1回(2004年)

記録

初登板:1994年6月7日、対日本ハムファイターズ10回戦(東京ドーム)、1回裏1死に2番手として救援登板、2回2/3を7失点(自責点6)

初奪三振:同上、1回裏に田村藤夫から

初先発登板・初勝利・初先発勝利:1995年8月19日、対近鉄バファローズ19回戦(西武ライオンズ球場)、7回1/3を2失点

初セーブ:1996年9月2日、対千葉ロッテマリーンズ24回戦(西武ライオンズ球場)、9回表1死に3番手として救援登板・完了、2/3回無失点

初完投勝利・初完封勝利:1997年9月29日、対日本ハムファイターズ27回戦(西武ライオンズ球場)

初ホールド:2006年4月1日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、8回裏1死に3番手として救援登板、2/3回無失点

1000投球回:2004年4月24日、対大阪近鉄バファローズ5回戦(大阪ドーム)、5回裏1死目に水口栄二を三邪飛で達成 ※史上296人目

1イニング3与死球:2004年4月17日、対福岡ダイエーホークス戦の4回 ※史上5人目

オールスターゲーム出場:3回(1997年、1999年、2000年)

背番号

14(1994年 - 2001年)

21(2002年 - 2007年)

97(2008年 - 2013年、2017年 - 2018年)

80(2019年 - )

2024/06/14 10:10更新

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石井 正則(いしい まさのり、1973年3月21日 - )は、日本の俳優、タレント、声優、ナレーターである。お笑いコンビ「アリtoキリギリス」でボケを担っていた。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身で神奈川県…

石井 慎二_(アナウンサー)(いしい しんじ)
1959年7月29日生まれの有名人 神奈川出身

7月29日生まれwiki情報なし(2024/06/18 20:32時点)

石井 みどり_(舞踏家)(いしい みどり)
1913年3月17日生まれの有名人 栃木出身

石井 みどり(いしい みどり、本名:折田 ハナ、1913年3月17日 - 2008年3月6日) は、日本の舞踊家。 1913年3月17日、栃木県宇都宮市日野町にて質屋の長女として生まれる。出生名は…

石井 あや_(アイドル)(いしい あや)
1985年11月11日生まれの有名人 神奈川出身

プロフィール 石井あやは日本のアイドル、タレント。1985年11月11日生まれ。神奈川県出身。 身長166cm B94(G) W59 H85。 アバンギャルド所属。 写真集 石井あや十七歳 …

石井 義信(いしい よしのぶ)
1939年3月13日生まれの有名人 広島出身

石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 2018年4月26日)は広島県福山市出身の 元日本代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 元フジ…

石井 茂巳(いしい しげみ)
1953年7月7日生まれの有名人 出身

石井 茂巳(いしい しげみ、1953年7月7日 - )は日本出身の元サッカー選手。 古河電工などに所属し、日本代表としても1974年のアジア競技大会など、国際Aマッチ15試合に出場した。1976年…

石井 大裕(いしい ともひろ)
1985年6月5日生まれの有名人 東京出身

石井 大裕(いしい ともひろ、1985年6月5日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 東京都大田区出身。テニス選手を志していたが、怪我がきっかけでプロの道を断念した後に、2010年TBSテレビ…

石井 かおる(いしい かおる)
1963年4月30日生まれの有名人 東京出身

石井 かおる(いしい かおる、1963年4月30日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 東京都立九段高等学校を経て東京外国語大学卒業後、1987年入局。 2004年、最初に金沢局に赴任した際…

石井 陽菜(いしい はるな)
1994年3月30日生まれの有名人 東京出身

石井 陽菜(いしい はるな、1994年3月30日 - )は、日本の女優。トキエンタテインメント所属(2023年1月 - )。東京都出身。 『こっくりさん 劇場版 新都市伝説』にて映画デビュー(20…

石井 トミコ(いしい とみこ)
1935年1月12日生まれの有名人 大阪出身

石井 トミコ(いしい トミコ、1935年1月12日 - )は、日本の女優。本名は、山根富子。旧姓名及び旧芸名、石井 富子(いしい とみこ)。大阪府大阪市出身。血液型はB型、身長154cm。趣味は水泳、…

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