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川上憲伸の情報 (かわかみけんしん)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

川上憲伸の情報(かわかみけんしん) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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川上 憲伸さんについて調べます

■名前・氏名
川上 憲伸
(読み:かわかみ けんしん)
■職業
野球選手
■川上憲伸の誕生日・生年月日
1975年6月22日 (年齢49歳)
卯年(うさぎ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
徳島出身

(昭和50年)1975年生まれの人の年齢早見表

川上憲伸と同じ1975年生まれの有名人・芸能人

川上憲伸と同じ6月22日生まれの有名人・芸能人

川上憲伸と同じ出身地徳島県生まれの有名人・芸能人


川上憲伸と関係のある人

大野雄大: 2014年はオープン戦で防御率1.29と好投したものの、川上憲伸との開幕投手争いに敗れた。


石井貴: 日本シリーズでもエース松坂がプレーオフ第2ステージで中3日を含めた2試合先発登板だったことを考慮し伊東監督は胴上げ投手石井の勢いを買い第1戦に先発し、中日の先発はこの年リーグ最多勝のタイトルを獲得したエース川上憲伸との投げ合いだったが7回をわずか2安打無失点で勝利投手となった。


森井茂: これは2014年に川上憲伸に抜かれるまで中日ドラゴンズの球団記録だった。


岩瀬仁紀: なお、同じく中継ぎで活躍した落合英二は「まんちゃん」、公私ともに仲の良い川上憲伸は岩瀬の「岩」の字から「ガンさん」と呼んでおり、川上がメジャーへ移籍後は川上の大学時代からの後輩である小笠原孝と仲が良いという。


清水隆行: 2003年、3月28日の中日ドラゴンズとの開幕戦で前年巨人相手にノーヒットノーランを達成した川上憲伸から先頭打者本塁打を放ち幸先のいいスタートを切ったが(巨人では1956年与那嶺要以来)、ニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井秀喜の穴を埋める中堅手の守備練習や開幕早々の肉離れなどの故障などが重なり打率.240、14本塁打の成績に終わり、規定打席にも到達しなかった。


武田一浩: また明治大学の後輩で、後に中日で同僚となった川上憲伸とは誕生日が同じ(6月22日)である。


小笠原孝: 高校時代はプロ球団から声がかかっていたようだが「もっと体を鍛えたい」として高校卒業後は明治大学に入学し、1学年上の川上憲伸(後にプロでも同僚となる)らと共に左右の両輪として2年秋には5勝でリーグ優勝に貢献、明治神宮大会でも優勝した。


廣瀬純: 10月5日の対中日ドラゴンズ戦で、エース川上憲伸から左翼席への先制3ランに、追加点の足がかりとなるヒットを放つ活躍を見せる。


亀井義行: 2008年は谷佳知の不振により開幕6試合目で2番打者として起用されると、4月3日の中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)で1番・高橋、3番・小笠原道大と共に川上憲伸から球団9年ぶりとなる3者連続本塁打を放ち、チームのシーズン初勝利に貢献。


平田洋: またプロ入りから着用していた背番号11も同い年である川上憲伸(明治大学から同年ドラフト1位)の入団に伴い剥奪され、12月18日に背番号を17に変更されることが発表された。


福田永将: また川上憲伸の球を受けられることや、監督の落合から打撃指導を受けられることも期待していた。


戸田懐生: 子供の頃からの憧れの投手は川上憲伸で、奇しくも、戸田も甲子園や徳島では川上と同じ背番号「11」を背負った。


紀藤真琴: 8月2日の中日戦(広島市民球場)では川上憲伸から通算2号(現役最後)となるソロ本塁打を放った。


筒井壮: 同期に橿渕聡、1学年先輩に野村克則、中村豊(高校でも1年先輩)、1学年後輩に川上憲伸がいた。


佐々木朗希: 2020年2月の時点でもキャンプ地での佐々木の投球をみた川上憲伸がお墨付きをするほどの評価を得ていた。


濱田達郎: 5月7日の対阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)で、予告先発されていた川上憲伸が腰痛で登板を回避したことから急遽先発で登板、6被安打11奪三振の内容で、中日では近藤真一が新人投手として1987年に達成して以来の一軍初先発、初完投、初完封勝利を挙げた。


正津英志: 投手分業の確立した中日で信頼できる中継ぎの一人となり、同期の川上憲伸の影に隠れていても、その活躍は新人王級とも言われ、入団から四年間毎年のように試験的に先発登板もし完投勝利も経験した事もあるが左打者に打ち込まれることが多く本格的な先発転向はならなかった。


二岡智宏: 4月24日の対横浜ベイスターズ戦で9回二死一塁の打席で阿波野秀幸からサヨナラ2点本塁打、5月16日の対横浜戦で1回裏、矢野英司から自身初の初回先頭打者本塁打、8月12日の対ヤクルトスワローズ戦で7回二死満塁の打席で山本樹から自身初の満塁本塁打、8月31日の対中日ドラゴンズ戦で6回、川上憲伸から球団通算7000号となる本塁打、9月19日の対広島戦で9回一死無走者の打席で横山竜士からサヨナラ本塁打を打った。


紀藤真琴: 同年は川上憲伸や朝倉健太といった先発ローテーションを担っていた投手たちが故障離脱したというチーム事情から、主に先発で登板。


八木亮祐: 知り合いが貰ってきてくれた川上憲伸のサインを宝物にしている。


落合博満: エースの川上憲伸を3戦目に先発させ3連敗のリスクを避けると同時に、川崎の開幕起用で「全選手横一線」と選手に刺激を与えること、FAで中日に加入しながら一度も登板していない川崎に最後のチャンスを与える(後に事実上の「引退試合」であったと言及している)こと、先発投手についての情報の漏洩がないかを確かめることが目的だったと、退任後語っている(「外部に漏らしそうなコーチには伝えていなかった」としている)。


岩田慎司: 2012年は開幕二軍だったが、川上憲伸の腰痛による二軍落ちの入れ替わりで一軍に昇格。


スコット=シーボル: 初打席・初安打:同上、2回表に川上憲伸から右前安打


加藤裕介: 2002年8月1日の『ラジオ日本ジャイアンツナイター』で中日ドラゴンズ川上憲伸投手のノーヒットノーラン達成試合を実況中継を担当した。


落合英二: 同年の福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでは3試合に登板、第2戦では9回から川上憲伸をリリーフし、勝利に貢献した。


野村克則: 1995年秋季リーグでは、2年下のエース川上憲伸らとバッテリーを組み、優勝。


落合英二: 中日でチームメイトであった川上憲伸が自身のYouTubeチャンネルにて落合との霊感エピソードについて語っている。


真木将樹: 3年次には1学年下の矢野英司が抑えを務める充実した投手陣のエースとして春のリーグ戦優勝に貢献、通算25勝(11敗)を挙げ、同じく28勝を挙げた川上憲伸のライバルともいえる存在だった。


山本昌広: この年は川上憲伸と左右のエースとしてチームを引っ張り、7年ぶりの11勝以上を挙げる13勝、リーグ2位の防御率3.15を挙げリーグ制覇に貢献した。


里崎智也: 鳴門市立鳴門工業高等学校(現:徳島県立鳴門渦潮高等学校)に進学し、2年夏には川上憲伸を擁する徳島県立徳島商業高等学校と対戦したが、チームは延長戦の末敗れた(徳島商とは1年秋の公式戦を含め2度対戦しているが、ともに敗戦)。


川上憲伸の情報まとめ

もしもしロボ

川上 憲伸(かわかみ けんしん)さんの誕生日は1975年6月22日です。徳島出身の野球選手のようです。

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現在、卒業、引退、テレビ、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。川上憲伸の現在の年齢は49歳のようです。

川上憲伸のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

川上憲伸 カットボールチャンネル

川上 憲伸(かわかみ けんしん、1975年6月22日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は野球解説者、YouTuberとして活動。

現役時代は主に、NPB(セントラル・リーグ)の中日ドラゴンズでエース投手として活躍した。2002年8月1日には、東京ドームで開催された対読売ジャイアンツ(巨人)20回戦でノーヒットノーラン(無安打無得点試合)を達成しているが、これは21世紀のNPBでは初のノーヒットノーランである。また、対巨人戦でノーヒットノーランを達成した投手は2023年終了時点で、川上が最後である。

徳島市立国府小学校、徳島市立国府中学校、徳島県立徳島商業高等学校、明治大学商学部卒業

国府中学校時代は遊撃手だった。徳島県立徳島商業高等学校部長がたまたま球場に立ち寄って試合を見た時、2度強肩で補殺を成功させたのを見てスカウトした。

徳島県立徳島商業高等学校時代は入学した直後にショートのレギュラーとなり、3年夏の第75回全国高等学校野球選手権大会に4番・エースとして出場した。2回戦の久慈商業戦では、自身が感じていたイップスのため、本来のピッチングができず最大7点差をつけられたが、8回に自身のタイムリーなどで追いついた。9回に本来のピッチングを取り戻すと、その裏、サヨナラのホームを踏み、逆転勝利。この試合について川上本人は「僕はこの試合で、投げるのが怖いと感じていたイップスを克服した。7点差を克服したときに、自分自身が本来の自分に戻ったと思った」と語った。3回戦の智辯和歌山戦では好投し1失点完投で破ったが、準々決勝の春日部共栄戦では試合中にマメが破れ降板、救援陣も打ち込まれて敗退。その後明治大学商学部に進学。

大学でもエースになると、大学2年秋と3年秋の(1996年)東京六大学野球秋季リーグ優勝(全勝優勝)に貢献した。明治神宮大会は3年時は勝利投手ではないものの全試合先発、4年時は決勝で完投するなど連覇。4年時には主将として活躍。慶應義塾大学の高橋由伸とは同期のライバルとして好勝負を繰り広げた。リーグ通算57試合登板、28勝15敗、防御率2.14、311奪三振。ベストナイン3回。

1997年度ドラフト会議直前の10月31日に、大学の先輩・星野仙一監督の率いる中日ドラゴンズへの逆指名を表明。ドラフト会議では、中日が川上の単独1位で交渉権を獲得。契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1300万円(金額は推定)という条件で入団。

1998年シーズンには、公式戦の開幕から、一軍の先発陣に定着。14勝6敗という成績で、前述の高橋をはじめ小林幹英、坪井智哉らも新人ながら好成績を残す中でセントラル・リーグの新人王に選出された。オールスターゲームに、プロ入り1年目にしてファン投票1位で出場し、MVPを獲得した。登板は2イニングの予定だったが、野村克也監督からもう1イニング投げるよう指示があり、3イニングに登板した。「MVPは特大ホームランを打った松井秀喜選手かと思ったが、自分がルーキーだったこともあり譲ってくれたのだと思う。野村さんの一言がなければ、MVP獲得は有り得なかった。ラッキーだった。」と川上は語っている。

1999年シーズンには公式戦で開幕投手を務めたが、10月2日の対横浜ベイスターズ戦では、7回を投げて19被安打(当時のリーグワースト記録)、14失点(当時のリーグ最多タイ記録)と打ち込まれた。この試合の前々日に中日ドラゴンズはリーグ優勝を決め、24時ごろまで会見などのメディア対応をし、さらに朝方まで宴会があったため「ぐだぐだ状態」での登板だった。「こんな状態で投げたのは後にも先にもこのときだけだった。」と後に川上がラジオ番組で振り返った。 チームのリーグ優勝で迎えた日本シリーズでは、チーム唯一の勝ち星を挙げたことから、敢闘賞を受賞。

2000年シーズンには急性感音性難聴を患った。春のキャンプ中、急に耳が聞こえなくなり検査したところ、手術が必要との診断で、沖縄で緊急手術を行った。その影響もあって、シーズンを通じて不調。一軍公式戦では2勝3敗に終わった。

2001年シーズンには一軍公式戦で6勝しか挙げられず、プロ入り初の2桁敗戦を喫する。秋季キャンプの時期に、肩の検査のためアメリカの病院へ行き、手術ではなく筋肉トレーニングで改善することとなった。リハビリ中にマリアノ・リベラ選手のカットボールを見たことで「あのボールは日本に無いし、投げられるようにならないかな」と思い、日本に戻ってからトレーニングしたことで川上のカットボールが生まれた。

1999年から2001年までの3年間は、成績と体調がだんだんと下がっていって、フィジカルの不調で思い切った試合ができていなかった。人生の中でも、この苦しい時期を耐えたからこそ、その後の活躍があった、と川上は振り返っている。

2002年シーズンには一軍の開幕投手候補に挙げられていた。しかし、靴ずれによって左足小指を痛めたため、二軍(ウエスタン・リーグ)の開幕投手に回った。開幕5戦目となる4月4日の巨人戦(ナゴヤドーム)でシーズン初登板。8月1日の対巨人20回戦(東京ドーム)では、4回に先頭打者の清水隆行に四球を与えた以外、走者を出さず、NPB史上70人目(81度目)のノーヒットノーラン(無安打無得点試合)を達成。これが21世紀初のノーヒットノーランになり、チームの対巨人戦の連敗も9で止めた。このノーヒットノーラン達成の際、「8回になると、小学生で投手を始めた頃など過去の野球人生が走馬灯のように蘇り、1球を投げるのに30分かかっているかのように思えた。」と川上は述懐している。24イニング連続無失点を記録するなど、シーズン終盤まで最優秀防御率のタイトルを狙える位置にいたが、10月10日の阪神戦(甲子園)では5回2/3を4失点(自責3)でタイトル獲得を逃した。それでも9月10日の巨人戦(ナゴヤドーム)でルーキーイヤー以来4年ぶりに2桁勝利を達成したほか、防御率2.35は桑田真澄に次ぐリーグ2位だった。

2003年シーズンは開幕投手を務め、相手投手の上原浩治に投げ勝った。4月に4勝を挙げ月間MVPに選ばれた。しかし、5月13日のヤクルト戦(富山アルペンスタジアム)では、相手投手の石川雅規に2打席連続適時打を打たれるなど5回0/3を6失点でKOされた。この試合後に右肩関節唇の損傷で戦線離脱。その直後に左太ももの肉離れを起こし、残りのシーズンを棒に振ってしまった。最終的にわずか8試合で4勝に留まった。10月13日のよさこいリーグ・広島戦(高知)で実戦復帰。

2004年シーズンは開幕投手最有力だったが、この年監督に就任した落合博満は川崎憲次郎を起用したため、開幕3戦目となる4月4日の広島戦(ナゴヤドーム)でシーズン初登板。延長11回157球の熱投を見せ、11回裏に立浪和義がサヨナラ打を放ったため、346日ぶりの白星を手にした。5月15日の横浜戦(ナゴヤドーム)では、7回裏二死二塁で迎えた打席で2点本塁打を放って両チーム唯一の打点を挙げると、2対0で完封勝利を挙げ、落合博満監督に「昔の大エースの野球だよ」と言わしめた。このシーズンはチームの5年ぶりのリーグ優勝に貢献するとともに、リーグ最優秀選手、沢村賞、最多勝など合計9つのタイトルを獲得。西武ライオンズとの日本シリーズでは、初戦と第5戦に先発。初戦では7回2失点と好投したが打線が西武先発の石井貴の前に2安打に抑えられ敗戦投手になった。チームの2勝2敗で迎えた第5戦では8回1失点の好投で今度は勝利投手となったが、チームは第6戦と第7戦に連敗したため日本一を逃した。オフの12月27日に1億2500万円アップの年俸2億3000万円で契約更改。

2005年シーズンは自身2年ぶりの開幕投手を務め、9回無失点に抑えた。9回裏にアレックスがサヨナラ満塁本塁打を放ったため、球団史上4人目となる開幕戦完封勝利をマークした。5月20日のロッテ戦(千葉マリンスタジアム)では、8回途中まで完全試合のペースで好投。8回に李承燁に本塁打を打たれたが、被安打はこの本塁打のみで、スタメン全員から三振を奪って無四球完投勝利を達成した。シーズン途中までは10勝3敗と好調だったが、シーズン後半は1勝5敗と不振。優勝を争った阪神タイガースの主砲・金本知憲には、15打数で被安打8、被本塁打4と打ち込まれた。

2006年シーズンは、6月6日の対ロッテ戦で、9回を1安打2四球という内容で完封勝利を挙げた。7回二死までは完全試合(福浦和也に四球)、9回無死までノーヒットノーランペース(代打のサブローに右前安打)と好投した。8月3日には、NPB史上120人目の一軍公式戦通算1000奪三振を記録。シーズン通算では17勝を挙げて、自身2度目の最多勝、自身初の最多奪三振のタイトルを獲得した。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは、10月21日の開幕戦に8回2失点と勝利。ナゴヤドームでは、先発としてシリーズ初の勝利投手になった。日本ハムに王手をかけられていた第5戦で敗戦投手になったため、チームはまたしても日本一を逃したが、川上自身は2度目の敢闘選手賞を受賞。

2007年シーズンは、8月3日の対横浜戦で、NPB史上124人目(チーム史上9人目)の一軍公式戦通算100勝に到達。228試合目での到達は、212試合の杉下茂、221試合の服部受弘に次いで、チーム史上3番目のスピード記録だった。レギュラーシーズン通算では、4年連続2桁勝利を達成。規定投球回に達しながら完投を記録できないなど、本調子には至らなかったが、K/BBはNPB12球団の規定投球回数到達者でトップの6.90であった。チームのレギュラーシーズン2位で迎えたポストシーズンでは、阪神とのクライマックスシリーズ ファーストステージ第1戦(ナゴヤドーム)で、7回を9奪三振被安打2無四死球無失点と好投。同シリーズ初の勝利を記録した。巨人とのファイナルステージでは第2戦に先発し6回まで1失点に抑えるも7回にデーモン・ホリンズに3点本塁打を打たれ7回4失点で降板したが、打線の援護もあり勝利投手となった。チームの同ステージ3連勝で迎えた日本ハムとの日本シリーズでは、第1戦(10月27日)で先発に起用されたが、8回を被安打2と好投しながら初回にフェルナンド・セギノールに打たれた3点本塁打によって敗戦を喫した。しかし、バッテリーを組んだ谷繁元信はこの好投によって得た日本ハム打線の傾向を活かし、第2戦以降に先発陣がおおむね好投した結果、チームは53年ぶりの日本一を達成。

2008年シーズンには、広島東洋カープとの開幕戦(3月28日)に先発すると、打席でソロ本塁打を放った。この本塁打で、チームのレギュラーシーズン初本塁打・初打点を記録。前年までセ・リーグ4球団の投手から一軍公式戦で本塁打を放っていた川上にとっては、広島戦での初本塁打になった。しかし、次に先発した4月3日の対巨人戦では、高橋由伸・亀井義行・小笠原道大に3者連続本塁打を打たれて逆転負け。以降も調子が上がらなかったため、一時は中継ぎ要員に回った。故障以外では初めての中継ぎ転向だったが、この間に調子を取り戻すと、先発に復帰した6月にリーグの投手部門月間MVPを獲得。夏場に開かれた北京オリンピックでは、野球日本代表の一員として中継ぎに起用されたが、3位決定戦で敗戦投手になった。帰国後は、二軍での調整を経て一軍に復帰。最優秀防御率のタイトルを狙えるほど好調だったが、規定投球回に到達しなかった。シーズン終了後には、ダン・エバンスを代理人に起用するなど、メジャーリーグへの挑戦を模索。11月15日に海外FA権を行使することを発表した。11月19日に、海外フリーエージェント選手としてNPBから公示。

2009年1月13日にアトランタ・ブレーブスと3年契約を結び、入団発表が行われた。ブレーブスにとって初めての日本人選手となり、背番号は中日時代と同じ「11」に決定。4月11日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャー初登板を先発として果たし、6回を4安打3失点8奪三振で抑えて勝利投手となりデビューを飾った。5月13日のニューヨーク・メッツ戦では控え野手が尽きてしまったため延長12回に日本人メジャー投手として初めて代打で起用され、高橋建と対戦して空振り三振。31日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でも、控え野手が2人いたにもかかわらず再び代打で起用されるが、空振り三振を喫した。シーズン序盤は打ち込まれることが多く、4月末の時点で防御率7.06、WHIP1.62と不調だったが、5月以降は防御率3.34、WHIP1.30と復調。更にロイ・ハラデイやヨハン・サンタナらメジャーを代表するエース級投手に投げ勝ったことでドラゴンスレイヤーと呼ばれるが、得点援護率がリーグワースト3位になるなど勝ち星に恵まれず、エースのティム・ハドソンが故障から復帰することに伴い、シーズン後半はリリーフに回った。リリーフへ回ってから安定感を発揮し、防御率2.63と好投。シーズン終了後にはシーズンを通じて右肩に違和感があったことを明かした。

2010年シーズンのスプリングトレーニングでは右肩の負担を減らすための新フォーム開発に着手。開幕から先発ローテーション入りする。打線の援護もなく球団史上ワーストとなる開幕9連敗、前年から数えて11連敗を喫し、初勝利は6月26日のデトロイト・タイガース戦までずれこんだ。更にこの日の結果に限らずブルペンへの配置転換はすでに決まっており、以後はリリーフへと回ることとなった。8月にはマイナー落ちも経験。防御率、WHIPも前年度を大きく下回り、ポストシーズンのロースターからも外される悔いの残るシーズンとなった。11月13日には40人枠から外れ、傘下のAA級ミシシッピへ降格。

2011年シーズンはスプリングトレーニングに招待選手として参加。スプリングトレーニング中には東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の知らせを受けて被災者に5万ドルの義援金を寄付し、練習前のミーティングでチームメイトにも支援活動への協力を要請するなど支援活動に取り組み、2試合の先発を含む5試合に登板し防御率3.75、WHIP1.25の成績を残したが、先発時は計7回8安打6失点と打ち込まれ、AA級ミシシッピで開幕を迎えた。ミシシッピでは4月17日のモービル戦に先発し初勝利を挙げたが、翌日に右肩の痛みを訴えてDL入りする。22日には地元紙のインタビューで、若手の台頭によりAA級所属となった現在の状況について「コーチや監督たちにはよくしてもらっている。メジャーに戻れるようにと一生懸命努力してくれている」と周囲への感謝も口にした一方で「正直に言って現在の状況は想像していなかった。ショックだったのは3Aを飛ばして2Aに落とされたこと」と語った。6月12日のチャタヌーガ戦で復帰したが、7月12日に右肩痛を再発して再びDL入り。8月中旬に復帰するも、復帰後は6試合の登板で防御率16.07、WHIP2.67と打ち込まれ、この年はメジャーに昇格することなくシーズンを終えた。右肩痛についてはオフに手術に踏み切る覚悟もあることを明らかにした。11月2日にFAとなった。

2012年1月28日に、中日へ復帰することが球団から発表された。背番号「11」を改めて着用することも決まったため、2010年から「11」を付けていた岡田俊哉は、背番号を「21」に変更した。

2012年シーズンには、広島との開幕第2戦(3月31日)に、先発投手としてNPB復帰後初の公式戦登板。6回無失点という内容で、NPB復帰後初勝利を挙げた。しかし、その直後に故障で戦列を離れたため、レギュラーシーズン通算では一軍公式戦7試合の登板で3勝1敗、防御率2.83の成績に終わった。チームのレギュラーシーズン2位で迎えたポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファイナルステージ第4戦に先発した。チームの日本シリーズ進出に王手が掛かった一戦での登板だったが、4回2失点で敗戦。チームも、この敗戦から3連敗を喫したことによって日本シリーズ進出を逃した。しかし、シリーズ終了後の契約交渉では、推定年俸6000万円(3000万円増)で契約を更改した。

2013年シーズンには、右肩痛で出遅れたため、一軍公式戦初登板は8月22日の対広島戦まで持ち越された。この試合で勝利投手になったが、以降の登板では勝ち星を重ねられず、9月25日に出場選手登録を抹消。10月3日には、球団から戦力外を通告されると共に、引退会見の開催やコーチへの就任を打診された。しかし11月19日には、推定年俸3000万円という条件で2年契約を結んだ。球団がこのように方針を変更した背景には、かつて一軍監督を務めた落合博満ゼネラルマネジャーや、シーズン終了後に捕手兼任で一軍監督に就任した谷繁元信の意向があったとされる。

2014年シーズンには、森井茂を抜き球団史上最多となる7度目の開幕投手に抜擢。5月7日の対巨人戦(東京ドーム)でも先発を予定していたが、登板前に腰痛を訴えて登板を回避したため、翌5月8日に出場選手登録を抹消された。一軍公式戦では、6試合の登板で1勝2敗、防御率4.78と不振。ウエスタン・リーグ公式戦でも、10試合の登板で0勝5敗、防御率10.88という成績に終わった。それでも、球団ではシーズン終盤に、川上との契約を更新する方針を決定。シーズン終了後の11月5日には、推定年俸4000万円(1000万増)という条件で契約を更改した。

2015年シーズンには、右肩の腱板を痛めた影響で、一・二軍とも実戦登板の機会がなかった。9月末に腱板の再建手術を受けたが、世代交代を進めるチームの戦力構想から外れたことを背景に、10月20日に中日からの退団を表明した。なお、在籍中に一貫して着用してきた背番号「11」は、この年のドラフト会議の1巡目指名で入団した左腕投手・小笠原慎之介に引き継がれた。

退団会見の際に「限界に近いのは分かっている、限界を超えてまでもやりたい」と話すなど、現役続行を模索。中日への再々入団も視野に、NPBでの復帰を目指しながら、手術を受けた右肩のリハビリへ専念する意向を示した。「右太ももの筋膜を右肩の棘上筋に移植する」というスポーツ選手では前例の少ない手術で、リハビリに半年ほどの期間を要することから、2015年11月10日に草薙球場で開かれた12球団合同トライアウトには参加しなかった。

2016年には、現役復帰に向けたリハビリを続けながら、日本テレビ(副音声)・CBCテレビ・CBCラジオゲスト解説者と中日スポーツの野球評論家としても活動。「今年中に現役復帰出来なければ潔く引退する」と語った。シーズン終了後には、郷里の徳島県に本拠地を置く四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスから、選手兼任コーチへの就任を打診された。しかし、入団に至らなかったため、現役復帰は叶わなかった。

2017年3月19日に、現役を引退することを正式に表明。「今年の3月までに満足のいく投球が出来なければ引退するつもりだった」と語った。引退会見などは特に行っていないが、翌4月5日のナゴヤドームでの対広島戦前の始球式が引退登板となり、元同僚の岩瀬仁紀から花束を贈られている。

2017年からはCBCテレビ・CBCラジオの野球解説者と中日スポーツの野球評論家として正式に活動する。2018年からはテレビ朝日にも出演。報道ステーションのスポーツコーナーのコメンテーターとしてはテレビ朝日解説者である稲葉篤紀が侍ジャパンの監督に2017年から就任したが、稲葉も引き続き随時出演するがその間の穴埋めとして川上が出演する。

2019年現在はジャパンスポーツマーケティングがマネージメントを請け負っている。

全盛期には平均球速89.8 mph(約144.5 km/h)の速球(フォーシーム、シュート)や平均球速86.3 mph(約138.9 km/h)のカットボール、そしてこれとは対照的に70mph(約113km/h)前後のスローカーブ、フォークボールを駆使した。過去にはナックルボールを投げたこともあった。左打者には一発を打たれる傾向こそあるものの強さを発揮した。

川上の代名詞であるカットボールであるが、本人によればアメリカ大リーグ中継でマリアノ・リベラ(ニューヨーク・ヤンキース)が自分が見たこともない変化球を投げているのを見て、この球種を覚えたいと思ったのがきっかけだったという。そこへ明治大学の先輩にあたる武田一浩がドラゴンズへ移籍して来てチームメイトとなったこともあり、その武田からカットボールについて教わり、リベラの投げ方を参考にして開発したという。それまで変化球はスライダーとスローカーブとフォークボールのオーソドックスな投手であったが、カットボールをマスターすることにより投球パターンが大きく変わった。特に左バッターの外へのカットボールについては、自身のYouTubeチャンネルなどで度々、「谷繁さんがカットボール(の使い方)を作った」「投げてる自分からしたら、左バッターへの外のカットボールはボール。それを動かさないキャッチングで審判にストライクだと思わせていた。あれは左バッターは打てない」と述べている。それに対して谷繁は、「俺は(ストライクゾーンに)入ってると思う」「ちょっとだけベースをかすってるんだよ」と返した。

外国人野手や日米野球等で対戦したメジャーリーガー達から「日本で唯一本物のカットボールを投げる投手」と称されたこともあり、2010年には被打率.148を記録するなどメジャー移籍後もその威力は健在だが、投球割合のわずか数パーセントしか投げなくなり、逆に投球割合を増やしたストレートとシュートは合わせて被打率.358と大きく打ち込まれた。

2009年のスプリングトレーニングにおいて、ボビー・コックス監督から「すごい戦力になるはず。真っすぐはもちろん、ダンディーなカーブを投げる。」などと高く評価された。当日のオープン戦では4三振のうち3つをカーブで奪い、シーズン序盤にカットボールが打ち込まれるようになった際には投手コーチのロジャー・マクダウェルからカーブを多投するようアドバイスを受け(※訂正点あり)、上述のように復調した。

NPB在籍時のバッティングには定評があり、中日在籍時は自身のウェブサイトに全本塁打の詳細な記録を載せていた(通算本塁打数は8本)。海外でも高く評価されており、MLB移籍後も前述のようにブレーブス在籍時に代打で2度起用されたことがある。

フィールディングもうまく、2006、2007年度と2年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。2006、2007年度は同僚の谷繁元信さんも2年連続で受賞しており、同一チームの同一バッテリーによる2年連続受賞はセ・リーグ初の快挙であった。

2011年末に一般女性と結婚していたことが2012年2月に明らかになった。

クライマックスシリーズ反対派。2022年シーズン中、自身の公式動画で「最近のドラゴンズがなかなか育ってこなかったのがCSがひとつの原因なんじゃないかな?」と指摘しており、それについては「クライマックスシリーズがあるために最後の最後まで若手を不用意に使えない」という趣旨の説明をしている。

各年度の太字はリーグ最高

「-」は記録なし

通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字年はゴールデングラブ賞受賞

最多勝利:2回(2004年、2006年)

最多奪三振:1回(2006年)

最高勝率 :1回(2006年) ※当時連盟表彰なし。セントラル・リーグでは、1972年までと2013年以降表彰。

沢村栄治賞:1回(2004年)

最優秀選手:1回(2004年)

新人王(1998年)

ベストナイン:2回(投手部門:2004年、2006年)

ゴールデングラブ賞:3回(投手部門:2004年、2006年、2007年)

月間MVP:8回(投手部門:1998年7月、2002年8月、2003年4月、2004年5月・8月、2005年7月、2006年5月、2008年6月)※セ・リーグ投手最多タイ記録(他は山本昌、菅野智之)。

最優秀バッテリー賞:2回(2004年 捕手:谷繁元信、2006年 捕手:谷繁元信) ※同一バッテリーの複数回受賞はセ・リーグ史上初

最優秀投手:2回(2004年、2006年)

最優秀JCB・MEP賞:1回(2004年)

優秀JCB・MEP賞:1回(2002年)

JA全農Go・Go賞:1回(最多奪三振賞:2008年5月)

日本シリーズ敢闘選手賞:2回(1999年、2006年)

オールスターゲームMVP:1回(1998年 第1戦)

出身地別東西対抗戦優秀選手:1回(2002年)

初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:1998年4月9日、対阪神タイガース3回戦(ナゴヤドーム)、7回0/3を1失点

初奪三振:同上、3回表に藪恵壹から

初完投勝利・初完封勝利:1998年7月4日、対読売ジャイアンツ15回戦(ナゴヤドーム)

初セーブ:1999年6月3日、対読売ジャイアンツ8回戦(ナゴヤドーム)、6回表に2番手として救援登板・完了、4回無失点

初ホールド:2008年10月12日、対阪神タイガース24回戦(スカイマークスタジアム)、3回裏に2番手として救援登板、2回無失点

1000投球回数:2005年5月13日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(ナゴヤドーム)、1回表三死目にフリオ・ズレータを中飛で達成 ※史上301人目

1000奪三振:2006年8月3日、対横浜ベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、4回裏に古木克明から ※史上120人目

100勝:2007年8月3日、対横浜ベイスターズ13回戦(横浜スタジアム)、先発登板で7回2失点 ※史上124人目

1500投球回数:2007年9月6日、対読売ジャイアンツ21回戦(ナゴヤドーム)、8回表三死目に李承燁を右飛で達成 ※史上160人目

初打席・初打点:1998年4月9日、対阪神タイガース3回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に藪恵壹から投手前スクイズ

初安打:1998年4月16日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、5回表に三澤興一から左中間二塁打

初本塁打:1998年7月11日、対横浜ベイスターズ11回戦(釧路市民球場)、3回表に川村丈夫から左越2ラン

ノーヒットノーラン:2002年8月1日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム) ※史上70人目

開幕投手:7回(1999年、2003年、2005年‐2008年、2014年)

オールスターゲーム出場:6回(1998年、2002年、2004年 - 2006年、2008年)

通算本塁打:8本

11(1998年 - 2015年)

2008年北京オリンピックの野球競技・日本代表

ボディメンテ(2023年、大塚製薬) - 東海ローカル(B&Dドラッグストアとのコラボ)

セブン-イレブン・ジャパン(2023年7月・10月)- 「いいともあいち応援フェア」吉見一起と共演

^ これは谷繁元信兼任監督が同年3月24日のセ・リーグファンミーティングにて発表した。

^ カーブを多投するように言われたことについて、川上自身が間違いを指摘しており、「アメリカではスライダーも投げる必要がある、お前も投げろ」と指示され練習したが、スライダーを投げられなかったことが結果的にAAに降格する原因となったと振り返っている。【上原&川上 メジャー契約金で激モメ】屈辱の2A生活激白!20歳の選手からまさかの説教・・・メジャーのリードは実は監督だった?【第4話】(7分21秒から) - 2022年11月10日投稿 ミスターパーフェクト槙原 - 槙原寛己チャンネル. - YouTube

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^ 小野塚康之 (2023年2月27日). “【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】高校野球人国記(37)徳島県・川上憲伸 変化球も自在に操り逆風の中でも輝ける真の実力 アクシデントで見せたポテンシャルの高さ(1/4ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2023年8月9日閲覧。

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選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

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川上憲伸 (@kenshink2k2k2) - X(旧Twitter)

1947 別所昭

1948 中尾碩志

1949 藤本英雄

1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 杉下茂

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 金田正一

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 村山実

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 小山正明

1963 伊藤芳明

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実, 堀内恒夫

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 星野仙一

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 松岡弘

1979 小林繁

1981 西本聖

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 大野豊

1989 斎藤雅樹

1990 野茂英雄

1991 佐々岡真司

1992 石井丈裕

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 西口文也

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2001 松坂大輔

2002 上原浩治

2003 井川慶, 斉藤和巳

2004 川上憲伸

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 ダルビッシュ有

2008 岩隈久志

2009 涌井秀章

2010 前田健太

2011 田中将大

2012 攝津正

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 前田健太

2016 K.ジョンソン

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2020 大野雄大

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

沢村栄治

V.スタルヒン

石田光彦

中尾輝三

亀田忠

浅野勝三郎

三輪八郎

森弘太郎

西沢道夫

天保義夫

藤本英雄

別所昭

石丸進一

呉昌征

梶岡忠義

真田重男

金田正一

林義一

大友工

山下登

杉下茂

大津守

大脇照夫

大矢根博臣

井上善夫

中山義朗

G.バッキー

外木場義郎

清俊彦

若生忠男

堀内恒夫

城之内邦雄

鈴木啓示

成田文男

渡辺秀武

鬼頭洋

藤本和宏

高橋直樹

江夏豊

神部年男

加藤初

戸田善紀

郭泰源

田中幸雄

近藤真一

柴田保光

湯舟敏郎

西崎幸広

佐藤義則

T.ブロス

渡辺久信

野口茂樹

石井一久

川尻哲郎

佐々岡真司

M.バンチ

N.エルビラ

川上憲伸

井川慶

R.ガトームソン

山本昌

前田健太

杉内俊哉

西勇輝

山井大介

岸孝之

山口俊

菅野智之(CS)

千賀滉大

大野雄大

小川泰弘

東浜巨

今永昇太

山本由伸

C.ポンセ

石川柊太

戸郷翔征

大瀬良大地

1953 簑原宏

1954 大下弘

1955 戸川一郎

1956 稲尾和久

1957 宮本敏雄

1958 藤田元司

1959 土屋正孝

1960 田宮謙次郎

1961 J.スタンカ

1962 吉田義男

1963 稲尾和久

1964 山内一弘

1965 森下整鎮

1966 渡辺泰輔

1967 足立光宏

1968 長池徳二

1969 長池徳二

1970 井石礼司

1971 山田久志

1972 足立光宏

1973 野村克也

1974 高木守道

1975 山本浩二

1976 柴田勲

1977 河埜和正

1978 足立光宏

1979 井本隆

1980 小川亨

1981 井上弘昭

1982 上川誠二

1983 西本聖

1984 山沖之彦

1985 石毛宏典

1986 達川光男

1987 篠塚利夫

1988 宇野勝

1989 新井宏昌

1990 岡崎郁

1991 川口和久

1992 岡林洋一

1993 清原和博

1994 清原和博

1995 小林宏

1996 仁志敏久

1997 松井稼頭央

1998 大塚光二

1999 川上憲伸

2000 城島健司

2001 T.ローズ

2002 A.カブレラ

2003 金本知憲

2004 井上一樹

2005 矢野輝弘

2006 川上憲伸

2007 ダルビッシュ有

2008 A.ラミレス

2009 髙橋信二

2010 和田一浩

2011 吉見一起

2012 稲葉篤紀

2013 長野久義

2014 R.メッセンジャー

2015 山田哲人

2016 B.エルドレッド

2017 宮﨑敏郎

2018 鈴木誠也

2019 亀井善行

2020 戸郷翔征

2021 山本由伸

2022 J.オスナ

2023 紅林弘太郎

2024 今宮健太

1950 小鶴誠

1951 川上哲治

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 川上哲治

1956 別所毅彦

1957 与那嶺要

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 長嶋茂雄

1962 村山実

1963 長嶋茂雄

1964 王貞治

1965 王貞治

1966 長嶋茂雄

1967 王貞治

1968 長嶋茂雄

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 長嶋茂雄

1972 堀内恒夫

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 山本浩二

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 若松勉

1979 江夏豊

1980 山本浩二

1981 江川卓

1982 中尾孝義

1983 原辰徳

1984 衣笠祥雄

1985 R.バース

1986 北別府学

1987 山倉和博

1988 郭源治

1989 W.クロマティ

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 J.ハウエル

1993 古田敦也

1994 桑田真澄

1995 T.オマリー

1996 松井秀喜

1997 古田敦也

1998 佐々木主浩

1999 野口茂樹

2000 松井秀喜

2001 R.ペタジーニ

2002 松井秀喜

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 金本知憲

2006 福留孝介

2007 小笠原道大

2008 A.ラミレス

2009 A.ラミレス

2010 和田一浩

2011 浅尾拓也

2012 阿部慎之助

2013 W.バレンティン

2014 菅野智之

2015 山田哲人

2016 新井貴浩

2017 丸佳浩

2018 丸佳浩

2019 坂本勇人

2020 菅野智之

2021 村上宗隆

2022 村上宗隆

2023 村上頌樹

1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 大友工, 長谷川良平

1956 別所毅彦

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 藤田元司

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 権藤博

1963 金田正一

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 江夏豊

1974 松本幸行, 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 高橋里志

1978 野村収

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 小松辰雄

1988 小野和幸, 伊東昭光

1989 斎藤雅樹, 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二, 山本昌広, 野村弘樹

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹, B.ガルベス

1997 山本昌

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2000 M.バンチ

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治, K.ホッジス

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 下柳剛, 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 S.グライシンガー

2008 S.グライシンガー

2009 吉見一起, 館山昌平

2010 前田健太

2011 吉見一起, 内海哲也

2012 内海哲也

2013 小川泰弘

2014 R.メッセンジャー, 山井大介

2015 前田健太

2016 野村祐輔

2017 菅野智之

2018 大瀬良大地, 菅野智之

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋, 九里亜蓮

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1950 杉下茂

1951 金田正一

1952 金田正一

1953 金田正一

1954 杉下茂

1955 金田正一

1956 金田正一

1957 秋山登

1958 金田正一

1959 金田正一

1960 金田正一

1961 権藤博

1962 小山正明

1963 金田正一

1964 金田正一

1965 村山実

1966 村山実

1967 江夏豊

1968 江夏豊

1969 江夏豊

1970 江夏豊

1971 江夏豊

1972 江夏豊

1973 高橋一三

1974 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 池谷公二郎

1978 斉藤明雄

1979 新浦寿夫

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 江川卓

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 遠藤一彦

1987 川口和久

1988 槙原寛己

1989 川口和久

1990 木田優夫

1991 川口和久

1992 仲田幸司

1993 今中慎二

1994 桑田真澄

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤隆

1997 山本昌

1998 石井一久

1999 上原浩治

2000 石井一久

2001 野口茂樹

2002 井川慶

2003 上原浩治

2004 井川慶

2005 門倉健, 三浦大輔

2006 川上憲伸, 井川慶

2007 内海哲也

2008 C.ルイス

2009 C.ルイス

2010 前田健太

2011 前田健太

2012 杉内俊哉, 能見篤史

2013 R.メッセンジャー

2014 R.メッセンジャー

2015 藤浪晋太郎

2016 菅野智之

2017 M.マイコラス

2018 菅野智之

2019 山口俊

2020 大野雄大

2021 柳裕也

2022 戸郷翔征

2023 今永昇太

2024 戸郷翔征

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 藤村隆男

1953 大友工, 石川克彦

1954 杉下茂

1955 大友工

1956 堀内庄

1957 木戸美摸

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 伊藤芳明

1962 小山正明

1963 山中巽

1964 石川緑

1965 山中巽

1966 堀内恒夫

1967 堀内恒夫

1968 島田源太郎

1969 高橋一三

1970 村山実

1971 坂井勝二

1972 堀内恒夫

1973 倉田誠

1974 松本幸行

1975 星野仙一

1976 加藤初

1977 新浦寿夫

1978 鈴木康二朗

1979 藤沢公也

1980 福士敬章

1981 江川卓

1982 都裕次郎

1983 津田恒美

1984 江川卓

1985 北別府学

1986 北別府学

1987 川端順

1988 小野和幸

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 北別府学

1992 斎藤雅樹

1993 山本昌広

1994 紀藤真琴

1995 石井一久

1996 斎藤雅樹

1997 三浦大輔

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 入来祐作

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 安藤優也

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 館山昌平

2009 D.ゴンザレス

2010 久保康友

2011 吉見一起

2012 杉内俊哉

2013 小川泰弘

2014 山井大介

2015 M.マイコラス

2016 野村祐輔

2017 薮田和樹

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 堀内恒夫

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 新浦寿夫

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 山根和夫

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 山本昌

1998 佐々木主浩

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 S.グライシンガー

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 内海哲也

1950 真田重男

1951 別所毅彦

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 別所毅彦

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 権藤博

1962 村山実

1963 金田正一

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 堀内恒夫

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 新浦寿夫

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 山根和夫

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 山本昌

1998 佐々木主浩

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 S.グライシンガー

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 内海哲也

2013 前田健太

2014 菅野智之

2015 前田健太

2016 野村祐輔

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 柳裕也

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

1972 堀内恒夫

1973 堀内恒夫

1974 堀内恒夫

1975 堀内恒夫

1976 堀内恒夫

1977 堀内恒夫

1978 堀内恒夫

1979 西本聖

1980 西本聖

1981 西本聖

1982 西本聖

1983 西本聖

1984 西本聖

1985 西本聖

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 桑田真澄

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 桑田真澄

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二, 桑田真澄

1994 桑田真澄

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 桑田真澄

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 野口茂樹

2002 桑田真澄

2003 上原浩治

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 石川雅規

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 浅尾拓也

2012 前田健太

2013 前田健太

2014 前田健太

2015 前田健太

2016 菅野智之

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2019 西勇輝

2020 菅野智之

2021 柳裕也

2022 森下暢仁

2023 東克樹

2024 菅野智之

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 佐藤孝夫

1953 権藤正利

1954 広岡達朗

1955 西村一孔

1956 秋山登

1957 藤田元司

1958 長嶋茂雄

1959 桑田武

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 城之内邦雄

1964 高橋重行

1966 堀内恒夫

1967 武上四郎

1968 高田繁

1969 田淵幸一

1970 谷沢健一

1971 関本四十四

1972 安田猛

1974 藤波行雄

1976 田尾安志

1977 斉藤明雄

1978 角三男

1979 藤沢公也

1980 岡田彰布

1981 原辰徳

1982 津田恒美

1983 槙原寛己

1984 小早川毅彦

1985 川端順

1986 長冨浩志

1987 荒井幸雄

1988 立浪和義

1989 笘篠賢治

1990 与田剛

1991 森田幸一

1992 久慈照嘉

1993 伊藤智仁

1994 藪恵市

1995 山内泰幸

1996 仁志敏久

1997 澤﨑俊和

1998 川上憲伸

1999 上原浩治

2000 金城龍彦

2001 赤星憲広

2002 石川雅規

2003 木佐貫洋

2004 川島亮

2005 青木宣親

2006 梵英心

2007 上園啓史

2008 山口鉄也

2009 松本哲也

2010 長野久義

2011 澤村拓一

2012 野村祐輔

2013 小川泰弘

2014 大瀬良大地

2015 山﨑康晃

2016 髙山俊

2017 京田陽太

2018 東克樹

2019 村上宗隆

2020 森下暢仁

2021 栗林良吏

2022 大勢

2023 村上頌樹

1991 西村龍次 - 古田敦也

1992 岡林洋一 - 古田敦也

1993 山本昌広 - 中村武志

1994 桑田真澄 - 村田真一

1995 T.ブロス - 古田敦也

1996 斎藤雅樹 - 村田真一

1997 田畑一也 - 古田敦也

1998 佐々木主浩 - 谷繁元信

1999 野口茂樹 - 中村武志

2000 五十嵐亮太 - 古田敦也

2001 藤井秀悟 - 古田敦也

2002 上原浩治 - 阿部慎之助

2003 井川慶 - 矢野輝弘

2004 川上憲伸 - 谷繁元信

2005 藤川球児 - 矢野輝弘

2006 川上憲伸 - 谷繁元信

2007 高橋尚成 - 阿部慎之助

2008 S.グライシンガー - 阿部慎之助

2009 D.ゴンザレス - 阿部慎之助

2010 前田健太 - 石原慶幸

2011 吉見一起 - 谷繁元信

2012 内海哲也 - 阿部慎之助

2013 前田健太 - 石原慶幸

2014 菅野智之 - 阿部慎之助

2015 石川雅規 - 中村悠平

2016 野村祐輔 - 石原慶幸

2017 菅野智之 - 小林誠司

2018 大瀬良大地 - 會澤翼

2019 山口俊 - 小林誠司

2020 大野雄大 - 木下拓哉

2021 柳裕也 - 木下拓哉

2022 青柳晃洋 - 梅野隆太郎

2023 東克樹 - 山本祐大

2024 菅野智之 - 小林誠司

1951 川上哲治, 野口明, 林義一

1952 飯島滋弥

1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

1954 中西太, 山内和弘

1955 山内和弘, 西沢道夫

1956 森下正夫, 吉田義男

1957 大下弘, 宮本敏雄

1958 宮本敏雄, 中西太

1959 山内和弘, 中利夫

1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

1962 ブルーム, 張本勲

1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

1969 土井正博, 船田和英

1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

1989 村田兆治, 彦野利勝

1990 R.ブライアント, 清原和博

1991 古田敦也, 広沢克己

1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

1993 清原和博, T.オマリー

1994 秋山幸二, G.ブラッグス

1995 落合博満, 松井秀喜

1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

1997 松井稼頭央, 清原和博

1998 川上憲伸, 松井秀喜

1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

2002 G.アリアス, 的山哲也

2003 高橋由伸, 金本知憲

2004 松坂大輔, SHINJO

2005 金城龍彦, 前田智徳

2006 青木宣親, 藤本敦士

2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

2008 山﨑武司, 荒木雅博

2009 青木宣親, 松中信彦

2010 阿部慎之助, 片岡易之

2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

2016 筒香嘉智, 大谷翔平

2017 内川聖一, A.デスパイネ

2018 森友哉, 源田壮亮

2019 森友哉, 近本光司

2020 (中止)

2021 菊池涼介, 島内宏明

2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

2023 柳田悠岐, 万波中正

2024 牧秀悟,佐藤都志也

1950 大島信雄

1951 藤本英雄

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 大友工

1957 義原武敏

1958 藤田元司

1959 義原武敏

1960 鈴木隆

1961 中村稔

1962 小山正明

1963 伊藤芳明

1964 村山実

1965 金田正一

1966 城之内邦雄

1967 金田正一

1968 金田正一

1969 堀内恒夫

1970 堀内恒夫

1971 堀内恒夫

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 松本幸行

1975 外木場義郎

1976 堀内恒夫

1977 小林繁

1978 安田猛

1979 北別府学

1980 山根和夫

1981 江川卓

1982 小松辰雄

1983 江川卓

1984 山根和夫

1985 池田親興

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 槙原寛己

1991 佐々岡真司

1992 岡林洋一

1993 荒木大輔

1994 桑田真澄

1995 T.ブロス

1996 斎藤雅樹

1997 石井一久

1998 野村弘樹

1999 野口茂樹

2000 工藤公康

2001 石井一久

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 井川慶

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 上原浩治

2009 D.ゴンザレス

2010 吉見一起

2011 チェン

2012 内海哲也

2013 内海哲也

2014 R.メッセンジャー

2015 石川雅規

2016 K.ジョンソン

2017 井納翔一

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 奥川恭伸

2022 小川泰弘

2023 村上頌樹

2024 A.ジャクソン

1936春夏 牧野潔

1936秋 加藤智男

1937春 森井茂

1937秋 森井茂

1938春 松尾幸造

1938秋 森井茂

1939 松尾幸造

1940 村松幸雄

1941 森井茂

1942 河村章

1943 松尾幸造

1944 森井茂

1946 森井茂

1947 松尾幸造

1948 服部受弘

1949 服部受弘

1950 清水秀雄

1951 近藤貞雄

1952 大島信雄

1953 杉下茂

1954 石川克彦

1955 石川克彦

1956 杉下茂

1957 伊奈努

1958 中山俊丈

1959 伊奈努

1960 伊奈努

1961 板東英二

1962 柿本実

1963 河村保彦

1964 河村保彦

1965 柿本実

1966 山中巽

1967 小川健太郎

1968 小川健太郎

1969 小川健太郎

1970 小川健太郎

1971 伊藤久敏

1972 水谷寿伸

1973 稲葉光雄

1974 星野仙一

1975 松本幸行

1976 星野仙一

1977 松本幸行

1978 星野仙一

1979 星野仙一

1980 藤沢公也

1981 三沢淳

1982 小松辰雄

1983 小松辰雄

1984 鈴木孝政

1985 小松辰雄

1986 郭源治

1987 杉本正

1988 小松辰雄

1989 小野和幸

1990 西本聖

1991 小松辰雄

1992 郭源治

1993 今中慎二

1994 今中慎二

1995 今中慎二

1996 今中慎二

1997 山本昌

1998 山本昌

1999 川上憲伸

2000 野口茂樹

2001 山本昌

2002 山本昌

2003 川上憲伸

2004 川崎憲次郎

2005 川上憲伸

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 川上憲伸

2009 浅尾拓也

2010 吉見一起

2011 M.ネルソン

2012 吉見一起

2013 吉見一起

2014 川上憲伸

2015 山井大介

2016 大野雄大

2017 大野雄大

2018 小笠原慎之介

2019 笠原祥太郎

2020 大野雄大

2021 福谷浩司

2022 大野雄大

2023 小笠原慎之介

2024 柳裕也

本川貢

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30 佐竹政和

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11 松修康

14 建山義紀

16 川上憲伸

17 前田和之

18 上原浩治

19 池添修世

20 椎葉厚生

9 大橋晋也

21 黒須隆

22 小田幸平

1 福留孝介

2 上村匡史

3 二岡智宏

5 松葉研志

6 桑元孝雄

7 前田健吾

8 西郷泰之

10 高林孝行

24 坪井智哉

25 佐藤友昭

26 川崎博孝

27 石田勝彦

大田垣耕造

荒井信久

筒井大助

池添修世

杉浦正則

建山義紀

宮田仁

川上憲伸

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渡辺敦

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77 星野仙一

88 田淵幸一

80 山本浩二

72 大野豊

11 川上憲伸

13 岩瀬仁紀

14 小林宏之

16 涌井秀章

18 ダルビッシュ有

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27 藤川球児

28 長谷部康平

60 成瀬善久

10 阿部慎之助

22 里崎智也

39 矢野輝弘

6 井端弘和

7 西岡剛

17 荒木雅博

25 新井貴浩

36 宮本慎也

50 川﨑宗則

55 村田修一

5 和田一浩

9 大村三郎

23 青木宣親

29 森野将彦

41 稲葉篤紀

77 星野仙一

88 田淵幸一(ヘッド兼打撃)

72 大野豊(投手)

80 山本浩二(守備走塁)

11 川上憲伸

13 岩瀬仁紀

15 田中将大

16 涌井秀章

17 成瀬善久

18 ダルビッシュ有

19 上原浩治

21 和田毅

28 藤川球児

47 杉内俊哉

10 阿部慎之助

22 里崎智也

39 矢野輝弘

2 荒木雅博

3 中島裕之

6 宮本慎也

7 西岡剛

25 新井貴浩

52 川﨑宗則

55 村田修一

23 青木宣親

31 森野将彦

41 稲葉篤紀

46 佐藤隆彦

1位:川上憲伸(逆指名)

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