もしもし情報局 > 1980年 > 1月4日 > 野球選手

細川亨の情報 (ほそかわとおる)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【12月4日】今日誕生日の芸能人・有名人

細川亨の情報(ほそかわとおる) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

細川 亨さんについて調べます

■名前・氏名
細川 亨
(読み:ほそかわ とおる)
■職業
野球選手
■細川亨の誕生日・生年月日
1980年1月4日 (年齢44歳)
申年(さる年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
青森出身

(昭和55年)1980年生まれの人の年齢早見表

細川亨と同じ1980年生まれの有名人・芸能人

細川亨と同じ1月4日生まれの有名人・芸能人

細川亨と同じ出身地青森県生まれの有名人・芸能人


細川亨と関係のある人

吉見太一: 初打席:2010年4月7日、対オリックス・バファローズ2回戦(西武ドーム)、8回裏に細川亨の代打で出場、菊地原毅から二塁ゴロ


中西健太: 埼玉西武ライオンズの細川亨のFA移籍に伴い、背番号を31に変更。


涌井秀章: 5月23日の中日ドラゴンズ戦では細川亨とバッテリーを組み、第2打席ではプロ初安打を記録し、投げては7回2/3を1失点に抑え、1か月ぶりの白星。


大﨑雄太朗: 初出場:2007年9月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(フルキャストスタジアム宮城)、8回表に細川亨の代打で出場


岡田貴弘: 初盗塁:2011年4月13日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(京セラドーム大阪)、6回裏に二盗(投手:D.J.ホールトン、捕手:細川亨


中村渉: 青森大学では細川亨と同級生だったが、中村は大学進学直後に肘を痛め、また人間関係が合わなかったこともあり、公式戦に1度も登板することなく3年生の春に退部した。


ベニー=アグバヤニ: これにはベニーも怒り、相手捕手の細川亨を首投げしたことから、両チーム総出の大乱闘に発展。


髙谷裕亮: 横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズ第3戦では、1回裏に2014年の細川亨以来の日本シリーズ記録となる1イニング2度の盗塁阻止。


山下斐紹: 5月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、4回二死1塁から細川亨の代打として一軍初出場し、左飛だった。


細山田武史: 同年も三軍を中心に出場していたが、3月上旬に細川亨が骨折、3月下旬に開幕から起用されていた山下斐紹が靭帯損傷で離脱したため、4月3日に支配下選手登録され、背番号が00へと変更された。


帆足和幸: 2006年、1月17日、4度目の契約更改交渉で年俸7000万円でサインし、西武時代に工藤公康がつけていた背番号47を細川亨から譲り受けた。


鶴岡慎也: 細川亨が左肩痛で出遅れ、鶴岡はオープン戦で打率.417と打撃好調だったため開幕後しばらくは併用されたが、細川の復調と自身の深刻な打撃不振が重なり中盤戦からは控えに回る。


中谷仁: 初盗塁:2006年7月30日、対西武ライオンズ11回戦(フルキャストスタジアム宮城)、2回裏に二盗(投手:西口文也、捕手:細川亨


大崎雄太朗: 初出場:2007年9月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(フルキャストスタジアム宮城)、8回表に細川亨の代打で出場


清水将海: 2011年は山崎勝己とFAで埼玉西武ライオンズから移籍してきた細川亨らの存在もあり、わずか3試合の出場に終わった。


松岡功祐: “熊本火の国サラマンダーズの細川亨監督が退任 吉村裕基兼任コーチも”.


蝦名達夫: しかし、北東北大学野球リーグに加盟する青森大学の硬式野球部からNPB(西武ライオンズ)へ直接入った細川亨捕手への憧れが強く、結局は細川と同じ道を歩んだ。


伊東勤: 伊東本人の引退、松井稼頭央のメジャー移籍、アレックス・カブレラの死球による長期離脱などで苦戦が予想されたが、伊東の穴を細川亨が、松井の穴を中島裕之が、カブレラの穴をロッテから移籍したホセ・フェルナンデスが埋め、レギュラーシーズン2位からプレーオフ、日本シリーズを勝ち進み、2年ぶりのリーグ優勝と12年ぶりの日本一を達成。


神戸拓光: 直後の打席で死球を受け、神戸本人は一切怒りを表さず一塁に向かうも、報復と見たロッテのコーチの金森栄治が西武の細川亨に詰め寄るなど、あわや乱闘騒ぎとなる。


寺原隼人: 同試合で福岡のホークスファンから「横浜へ帰れ」などの野次が飛び、自身の都合で福岡の小学校へ転校させた2年生の息子まで学校で「ダメだったね」と言われて奮起し、5月1日の対西武戦(福岡ヤフオク!ドーム)では細川亨とのバッテリーでツーシームを封印して8回を1失点に抑え、移籍後初勝利を挙げた。


水沢英樹: 細川亨、岸孝之、菊池雄星、秋山翔吾などを獲得した。


塚田正義: 初出場:2014年8月1日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(札幌ドーム)、8回表に細川亨の代打で出場


山本一徳: 初奪三振:2007年3月31日、対西武ライオンズ3回戦(札幌ドーム)、7回表に細川亨から空振り三振


田原晃司: 伊東勤の引退後はその間の豊富な経験を生かしたリードが武器となり、若手で経験の浅い細川亨、野田浩輔、炭谷銀仁朗らのサポート役として一軍での出番が多くなり、守備固めでの起用が多かった。


和田一浩: 本塁打はレギュラー定着後最低の18本、打点は前年の約半分の49(9月半ば頃まで打率.239の細川亨より打点が低かった)に終わった。


荒金久雄: 初盗塁:2003年5月17日、対西武ライオンズ7回戦(西武ドーム)、10回表に二盗(投手:森慎二、捕手:細川亨


田上秀則: この年、FAで西武から移籍してきた細川亨が正捕手として起用された。


明石健志: 捕手・細川亨への送球によって三塁走者の生還を阻止すると、細川から自身への返球が西岡の背中に当たるハプニング(記録上は西岡の守備妨害)で併殺が完成したことによって、チームのシリーズ制覇の瞬間をダイヤモンド上で迎えた。


井手正太郎: 初盗塁:2008年4月11日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、2回裏に二盗(投手:帆足和幸、捕手:細川亨


岳野竜也: 2011年シーズンは正捕手細川亨がFA移籍したのと、ライバル捕手で経験豊富な野田、米野が怪我で離脱したこともあり3番手捕手として一軍登録された。


細川亨の情報まとめ

もしもしロボ

細川 亨(ほそかわ とおる)さんの誕生日は1980年1月4日です。青森出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。細川亨の現在の年齢は44歳のようです。

細川亨のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

細川 亨(ほそかわ とおる、1980年1月4日 - )は、青森県東津軽郡平内町出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・コーチ。

右投右打。モデル・女優の細川愛倫は実娘。

青森県東津軽郡平内町生まれ。平内町立浅所小学校から平内町立小湊中学校へ進学。青森県立青森北高等学校では主将を務め、県大会では1年次から出場。2年時に内野手から捕手へ転向し、強肩強打の捕手として活躍したが、1年夏の県大会ベスト4止まりで甲子園出場はなかった。

青森大学では捕手として異例の1番打者として活躍し、先頭打者本塁打も記録。一塁手、遊撃手にも挑戦し、2年春は遊撃手でレギュラー、3年春から正捕手となり3年春・4年春には北東北大学リーグのベストナインに選ばれた。1999年の全日本大学野球選手権大会ではベスト4まで進んだが早稲田大に敗れた。2000年の同大会はベスト8まで進んだ。4年秋のリーグ戦では1番打者で打率.333、7打点の成績で優勝に貢献し、MVPとベストナインを受賞した。当時のメンバーには工藤隆人がいた。

2001年10月31日には、同年のNPBドラフト会議自由獲得枠での指名を前提に、西武ライオンズへの入団が決定。同日付で、NPBから契約締結内定選手として公示された。長年の正捕手だった伊東勤がコーチを兼務することや、捕手登録の和田一浩が外野手に専念することを踏まえた獲得で、入団当初の背番号は47。

2002年は大半を二軍で過ごし、65試合に出場、178打数で.230、6本塁打だった。7月11日に長野オリンピックスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに8番捕手で先発出場した。初回に竜太郎の内野安打で先制点を奪われたが、直後の二盗を阻止。2回の初打席は藤川球児から適時打を打つ。リーグ優勝でチームが祝杯を挙げた翌日の9月22日に一軍へ昇格。二軍監督鈴木葉留彦の推薦もあり、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦で8番捕手で先発出場。打撃ではサードフライ、三振、サードゴロと無安打、守備では石井貴をリードし6イニングを無失点、三井浩二も1イニング無失点とし、8回から中嶋聡に交代し、プロ初出場を完封リレーで繋ぎ勝利した。翌9月23日の対オリックス・ブルーウェーブ戦でも8番捕手で先発出場し、エース西口文也との初コンビで、2回の塩崎真の同点打で本塁突入した高見澤考史をブロックした際に右大腿上部を打撲して負傷退場し、翌9月24日に出場選手登録を抹消され、10月10日に一軍へ戻ったが、同年の一軍出場は2試合で無安打。10月12日のファーム日本選手権で7番捕手として先発出場し、4回に適時打を打つが、帆足和幸が5回に6安打を打たれて逆転され、バッテリーごと交代となる。

2003年は開幕一軍、4月2日の対オリックス戦で3回に伊東勤の代走から出場し、吉井理人から左中間へ二塁打を打ちプロ入り初安打、松井稼頭央の犠牲フライで初得点。4月4日の対大阪近鉄バファローズ戦でシーズン初の先発出場して松坂大輔との初バッテリーで2回まで5奪三振無失点と順調なリードだったが、松坂が右膝裏に張りを感じて降板、自身はフル出場したが中継ぎ陣が5失点し敗戦した。打撃では相手先発ジェレミー・パウエルからレフトへ二塁打を打ち、プロ入り初打点。4月21日の対オリックス戦で再び松坂と組んでフル出場し、守っては1失点11奪三振完投勝利のリードで、打っては4打数4安打のプロ入り初猛打賞、3打席目には具臺晟からライトにプロ初本塁打となるツーランホームランを放った。5月26日の対日本ハムファイターズ戦で8回から守備で出場し、毎回の被弾で2イニング4失点のリードにより、翌5月27日に二軍降格となり野田浩輔が昇格した。6月13日に一軍に再昇格。7月13日の対福岡ダイエーホークス戦で松坂とのコンビで臨んだが0回2/3を投げ7失点した所で松坂が右肘痛を発症して降板し、バッテリーごと交代させられたため自身も先発マスクでの最短交代となった。8月31日の対オリックス戦で後藤光貴をリードしてフル出場し、プロ入り初の完封勝利を手にした。この年で現役を引退した伊東勤に対し、先発出場数こそ下回ったが、途中出場を含めると20試合ほど上回り、事実上の正捕手となった。またフル出場は35試合で19勝16敗だった。

2004年の開幕マスクは野田浩輔に譲ったが、野田が左足首捻挫で抹消されると正捕手となった。4月4日の対日本ハム戦ではプロ史上59人目、西武では2000年松井稼頭央以来4人目のサイクル安打を達成した。4月7日の対オリックス戦で2打席連続本塁打を達成した。5月12日対ダイエー戦では再び1試合2本塁打を放った。なお、5回表第2打席に星野順治から打った1本目(ソロ本塁打)はサンマリンスタジアム宮崎におけるNPB公式戦第1号本塁打である。6月20日の対日本ハム戦で先発出場して8回11失点、本塁打3本、4盗塁を許した ことで伊東勤監督は翌日から野田を一軍昇格させ先発捕手に据えた。7月17日の対オリックス戦の3回裏本塁クロスプレーの際、ルーズベルト・ブラウンのタックルにより野田が肋骨を骨折したため4回から出場し、7回に勝ち越しとなるツーランホームランを放った。7月18日から正捕手として先発出場した。8月11日、8月13日に2試合連続完封試合達成。8月23日に野田の復帰により控えとなったが、8月27日の対ダイエー戦で野田が先発マスクで7イニング19失点し、再び正捕手へ戻った。9月1日対千葉ロッテ戦で先発し、松坂大輔とのコンビで球団新記録の1試合16奪三振を奪い、完封勝利へ導いた。最終的にレギュラーシーズンでは100試合に先発出場し、フル出場した63試合では45勝17敗1分、8完封勝利だった。プレーオフでは第1ステージ3試合全てにフル出場し、10月1日の第1戦では建山義紀からダメ押しとなるソロ本塁打を放ちポストシーズン初安打初打点を記録。第2ステージは第2試合、第4試合で先発出場したが、3打数無安打でいずれも敗戦した。日本シリーズは6試合に出場し、第2戦から第4戦は控え捕手、第5戦以降はフル出場した。10月22日の第5戦では先発出場し、シリーズ初安打初得点は記録したが敗戦した。10月24日第6戦では4打席連続三振したが勝利した。10月25日第7戦では8回まで無失点のリードで貢献し、日本一決定のマスクを被った。

2005年5月28日の対広島東洋カープ戦で延長10回無死満塁永川勝浩から遊撃手の頭上を越えるレフト前を放ち、これがプロ入り初のサヨナラ打となった。5月31日の試合で捕球の際に右手を打撲し、右手首腱鞘炎の疑いで6月5日に出場選手登録を抹消された。6月19日に一軍へ再昇格。8月26日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦の4回裏第2打席で有銘兼久からプロ入り初の満塁本塁打を記録した。最終的にレギュラーシーズンでは104試合に先発出場し、フル出場した57試合では43勝14敗、8完封勝利だった。また、リーグワーストの捕逸数、リーグワーストタイの盗塁阻止率と不名誉な記録を残した。プレーオフ第1ステージでは2試合ともに先発出場したが2連敗し、5打数ノーヒットだった。オフの12月14日に背番号が「47」から「30」に変更された。

2006年は前年の守備難もあり、開幕時期こそ高卒新人・炭谷銀仁朗に先発出場を明け渡したが、4月下旬から正捕手を奪い返し、涌井秀章の先発時以外はほぼ先発出場した。8月27日の福岡ソフトバンクホークスとの首位攻防戦では勝ち越しソロ本塁打を放った。炭谷先発マスクで首位陥落した翌日の9月3日の対日本ハム戦で先発出場し、4回裏の第2打席で二死満塁から金村曉の初球を左翼席へ運び自身2度目の満塁本塁打を放って勝利に貢献し、首位を奪回した。9月7日の対千葉ロッテ戦では右臀部に張りのある松坂大輔をリードして7回無失点、打っては先制のスリーランホームランを放ち、フル出場の完封リレー勝利で1位通過マジックを13とした。9月13日の対日本ハム戦でも松坂とのコンビで9回完封勝利。しかし9月16日の対オリックス・バファローズ戦で守備の際に左手首にファウルチップを受け打撲し、9月17日以降欠場、9月20日には出場選手登録を抹消された。この影響でチームは終盤4勝4敗となり、レギュラーシーズンは2位通過に終わった。 プレーオフ第1ステージでは3試合全てに出場した。10月7日第1戦では松坂を完封勝利に導いたものの、後の試合で大量失点し、打撃も振るわず第1ステージ敗退した。盗塁阻止率は12球団最高の.469を記録し、捕逸はゼロ と前年両部門最下位からリーグトップに転じるという長足の進歩を見せた。最終的にレギュラーシーズンでは79試合に先発出場し、フル出場した54試合では42勝11敗1分、5完封勝利だった。12月29日に伊東勤監督の現役時代の背番号「27」を受け継ぐことが決まった。

2007年は開幕から抹消されることなく一軍に居座り、捕手ではリーグ最多となる139試合に出場した。126試合に先発出場し、フル出場した86試合では50勝34敗2分、5完封勝利だった。打撃では4月19日から5月4日まで自己最長の11試合連続安打を記録、猛打賞も自己最多の8回を達成、打率・打点も自己記録を更新し、本塁打も3年ぶりに2桁に乗せた。守備では2年連続で12球団トップとなる盗塁阻止率.405を記録した。5月30日から6月11日までチームは球団史上2度目の10連敗を喫して借金10の最下位となったが、その8試合で先発出場し、途中出場でも1試合サヨナラ負けのマスクを被った。7月5日、7月7日に2試合連続完封試合を達成しチームの貯金を1とした。8月31日から9月7日まで先発マスクで6連敗してチームは5位へ転落、9月8日に銀仁朗が先発捕手で連敗を止めたのを境に9月はほぼ途中からの出場となった。9月26日の対千葉ロッテ戦では1点リードの8回から途中出場したが、9回にアレックス・グラマンが福浦和也に同点タイムリーを許し、続くサブローのヒットで本塁を狙った二塁走者の早川大輔が細川の顔面に左肩でタックルし、細川はボールは離さずスリーアウトチェンジとなった。しかし脳震盪状態となり担架で運び出され、西武は捕手2人体制かつ捕手経験者のG.G.佐藤も交代済みだったため、治療に時間を要したが9回裏の攻撃から続けて出場した。打撃結果は三振で、10回表の守備では登板した山岸穣が制球に苦しみ2四球3安打で2点勝ち越されそのまま敗戦し、チームのBクラスが確定した。9月29日から再び正捕手へ戻った。プロ入り6年間8・9番の先発出場だったが、10月1日に7番、10月5日には2番での先発起用を経験した。

2008年は開幕から抹消されることなく一軍で過ごした。5月5日の対日本ハム戦で6点ビハインドの5回第2打席にブライアン・スウィーニーから左翼上段へ自身3度目の満塁本塁打を放ち、逆転勝利へ貢献した。5月25日の対阪神タイガース戦で西口文也のフォークボール捕球の際に右手人差し指と親指の間を裂傷し、試合後病院に直行し4針縫ったが、1試合の欠場でスタメンに復帰した。6月1日の対中日ドラゴンズ戦では3点本塁打を含む、自己最多の1試合5打点の活躍で勝利に貢献した。7月9日の対ソフトバンク戦の7回2点ビハインド二死二塁の守備で中西健太のレフトフェンス直撃の二塁打で中継の中島裕之がバックホームする前に、細川がホームベースを跨いでブロックしようとしたため、そのまま滑り込めば完全にセーフのタイミングだったが一塁走者の明石健志はやむなく回り込んで本塁を触ろうとし、細川がタッチし、球審の津川力はアウトを宣告してチェンジとなった。これにソフトバンクの王貞治監督は激怒して人生初退場寸前の猛抗議をし、試合は5分間中断し、後日ソフトバンクはパシフィック・リーグへ質問状を提出。7月11日にリーグは走塁妨害を認めた。7月19日の対千葉ロッテ戦で4回1点リード二死一二塁から西岡剛が打った右中間タイムリーの返球で早川大輔とのクロスプレーで左大腿部を打撲して交代となった。 オールスターゲームに自身初となるファン投票1位で選出された。7月31日第1戦は守備のみの途中出場、8月1日第2戦では先発出場した。9月24日にマジック1で迎えた対千葉ロッテ戦で4回3点ビハインドから涌井秀章が里崎智也に押し出し死球、代わった三井浩二もフリオ・ズレータに押し出し死球、7点ビハインド二死一三塁で登板した許銘傑もベニー・アグバヤニの腕に当て同イニング3度目の死球を与えた事で、ベニーが興奮してマウンドへ向かい、止めに入った細川を首投げして両チームの乱闘に発展し、ベニーは退場となった。細川は負傷により交代し、試合後左肩の脱臼が判明した。これにより3試合欠場し、リーグ優勝を決めた9月28日のマスクを被る事はできなかった。最終的にレギュラーシーズンでは128試合に先発出場し、フル出場した77試合では55勝20敗2分、8完封勝利(完封引き分け1試合)だった。守備面ではリーグワーストの捕逸8を記録したものの、捕手として12球団トップの133試合に出場し、自身初となる三井ゴールデン・グラブ賞を受賞した。 打撃では本塁打、打点共にプロに入って最高成績を記録し、打率も前年に近い数字を残し、自身初のベストナインに選出された。チームトップとなる23犠打で5年連続20犠打を記録した。クライマックスシリーズ第2ステージでは全5試合に先発出場し、10月17日第1戦は守備では8回1失点のリード、打っては2点タイムリー三塁打と初戦勝利に活躍した。10月21日第3戦ではブライアン・スウィーニーからクライマックスシリーズ第1号となるツーランホームランを放った。10月22日第5戦では涌井秀章を9回完封勝利に導き、日本シリーズ出場を決めた。日本シリーズでは第1戦から第5戦まで先発出場した。11月1日第1戦では9回を1失点に抑えて勝利。11月5日は岸孝之を完封勝利に導いた。11月6日の第5戦の2回第1打席でプッシュバントを試みて一塁に頭から滑り込んだ際に右肩を脱臼して負傷交代し、以降の試合はアジアシリーズも含め全て欠場した。また同年は北京オリンピック野球日本代表最終候補選手に選出されたが、最終メンバーには選出されなかった。オフの12月15日に2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表一次登録メンバーに選ばれた。

2009年2月25日にWBC日本代表が発表されたが最終メンバーから漏れた。4月3日の千葉ロッテとの開幕戦で、清水直行から逆転となる三点本塁打を放ち同試合のヒーローとなった。同日が3歳の誕生日となる息子へのプレゼントとして本塁打を打つ約束を守った。その後も正捕手として先発出場していたが、前年に負傷した右肩をかばった影響などにより右肘を痛めて4月29日に出場選手登録を抹消された。7月28日に治療を終えて一軍に昇格した。最終的に38試合に先発出場し、フル出場はわずか14試合となり結果は9勝5敗、2完封勝利だった。故障から復帰後は48打数5安打、打率.104と打撃不振となり、代打を出されての途中交代が激増した。

2010年3月7日のオープン戦で銀仁朗が膝を故障した事で正捕手として開幕を迎えた。4月4日に帆足和幸、4月6日に岸孝之をリードしてチームを2試合連続完封勝利に導いた。首位で迎えた6月18日の対ソフトバンク戦では8回3点リードの場面で陽耀勲の直球を右翼中段に打ち返し、2年ぶり自身4本目の満塁本塁打を放った。6月19日、6月20日 の同カードでも本塁打を放ち、3試合連続の本塁打、4打点を記録。7月の先発マスク時に負けが込み、月間打率も.094と不調だったことから、7月の打率が.316と好調だった上本達之に先発出場を徐々に奪われていった。9月は打率.255と復調し正捕手へ戻り、9月18日からのソフトバンクとの直接対決で3試合先発出場したが3連敗し、リーグ優勝は2厘差でソフトバンクに奪われた。レギュラーシーズンでは104試合に先発出場し、フル出場した54試合では47勝7敗、7完封勝利だった。盗塁阻止率は.361で3年ぶりにリーグ1位となった。クライマックスシリーズファーストステージ全2試合に先発出場したが、第1戦は同点で代打を出され、第2戦では9回に追いつかれ延長11回に勝ち越しを許して交代した。打撃は2試合で4打数無安打だった。オフの11月8日にFA権を行使。福岡ソフトバンクホークス、横浜ベイスターズ、オリックス・バファローズと交渉した。

2010年11月23日に福岡ソフトバンクホークスと4年契約で合意した。12月6日に正式に契約を交わし、横浜からFA移籍した内川聖一と共に入団会見を行った。年俸は総額2億5000万〜8億円(推定)で 背番号は西武時代と同じ「27」に決まった。自由獲得枠で入団した選手がFA権を行使し、国内他球団に移籍した初の事例となった。

2011年4月12日のオリックスとの開幕戦(京セラドーム大阪)に先発出場し、7回1点リード二死二塁で木佐貫洋からレフトにタイムリー三塁打を放ち、これが移籍後初安打・初打点となった。4月15日の対西武戦で本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームで移籍後初出場した。4月20日に北九州市民球場で行われた対楽天戦でダレル・ラズナーからバットを折りながらもライト前へタイムリー打を放ち、一足先に準本拠地で初安打・初打点を記録した。4月21日の同カードで6回に川岸強からセンター前ヒットを打ち、これが移籍後本拠地初安打となった。4月27日の対日本ハム戦でD.J.ホールトンをリードし9回無失点で移籍後初の完封マスクを達成。5月13日の対西武戦の3回第1打席に牧田和久からショートへ内野安打を放ち、内川のタイムリー打で生還し、これが移籍後古巣からの初安打・初得点となった。6回第3打席には同じく牧田から左中間突破の2点タイムリーツーベースを放ち、これが古巣からの初打点、福岡 Yahoo! JAPANドーム初打点となった。5月29日の対横浜戦で、2回第1打席にクレイトン・ハミルトンの初球を捉えてソロ本塁打を放ち、これが移籍後初本塁打(本拠地初)となった。7月5日の対西武戦の初回一死三塁の場面で中島裕之のサードゴロで本塁狙った三塁走者浅村栄斗を本塁でブロック成功しアウトにしたが交錯により左膝を痛め、2回表に田上秀則を代打に送られて負傷退場した。7月6日に出場選手登録を抹消され、福岡市内の病院で精密検査を受けた結果、左膝内側半月板損傷と診断された。7月28日に一軍へ復帰した。8月4日の対オリックス戦の5回同点無死一二塁の場面で西勇輝から顎に死球を受けて出血、西は危険球退場となり、自身は山崎勝己を代走に送られて負傷退場し病院へ直行した。顎を4針縫合したが翌日8月6日の西武戦には先発出場した。8月27日の対楽天戦試合前のシートノック中に右脹脛に違和感を訴え、1回裏の守備で山崎と交代し、同日右脹脛の筋挫傷で出場選手登録を抹消された。9月19日に一軍へ戻り、同日の対オリックス戦で先発出場した。9月27日の2位日本ハムとの直接対決では2回一死一三塁の場面で止めたバットにボールが当たりブライアン・ウルフから先制のタイムリー内野安打を打って勝利に貢献した。9月29日同カードでは6回1点ビハインド一死三塁の場面でダルビッシュ有から同点の犠牲フライを打った。10月1日の対西武戦は9番捕手で先発出場し、岩嵜翔、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩をリードし、9回完封リレーでチームのリーグ連覇に貢献した。リーグ優勝決定の瞬間にマスクを被ったのは自身初である。レギュラーシーズンでは84試合に先発出場し、フル出場した46試合では40勝5敗1分、11完封勝利だった。開幕から両エースとも組んだが、和田毅は先発3試合で0勝1敗、杉内俊哉は4試合で0勝2敗だったため、5月中旬以降2者の先発マスクは山崎勝己に奪われた。和田は8月3日以降再びコンビを組み8月17日から4試合連続の完封(リレー)勝利で5連勝した。他のスタメンマスクでは先発転向1年目の攝津正と組み11勝、最多勝を獲得したD.J.ホールトンと組み14勝、3年間未勝利の岩嵜翔とはプロ初勝利を含む5勝するなど結果を出した。打撃では1本塁打と大きく数字を落とした一方、犠打は自己最多の34犠打を記録した。守備では盗塁阻止率.183だったが無失策を記録し、3年ぶりにベストナイン と三井ゴールデングラブ賞 を受賞した。

クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでは全3試合に出場。11月3日第1戦はフル出場し9回2失点のリード、打撃では3回に初球で犠打を決めて内川聖一の先制2点タイムリーを呼んだ。11月4日第2戦は8回2失点のリードだった。11月5日第3戦は11回同点から守備で出場し、2回無失点のリードでサヨナラ勝利を呼ぶなど3試合全ての勝利に絡みCS突破に貢献した。日本シリーズでは11月12日第1戦で先発出場し和田毅を8回1失点とリードし、代打を出され同点で交代した。第2戦は8回同点で守備から出場したが馬原孝浩が森野将彦に勝ち越し打を許し敗戦。11月15日はフル出場し9回2失点のリード、打撃では3安打の猛打賞で、鈴木義広からダメ押しとなるソロ本塁打も放ち、これが日本シリーズ初本塁打・初打点となった。11月16日第4戦はフル出場し9回1失点のリードで勝利に貢献した。11月17日第5戦では7回1点リード一死一二塁の場面でチェン・ウェインからバスターでタイムリー打を放ち、守ってはフル出場して中日打線を完封した。11月19日第6戦は代打で交代するまで8回2失点に抑えたが敗戦した。11月20日第7戦では8回から守備で出場して2回を無失点に抑えて完封勝利し、球団の8年ぶりの日本一の瞬間にマスクを被った。アジアシリーズ予選リーグでは11月25日の対統一セブンイレブン・ライオンズ戦にフル出場し、3回にライアン・グリンからライト前安打で出塁して同点の走者として生還した。11月26日の対サムスン・ライオンズ戦では先発出場し、2回一死三塁からバスターを仕掛け李宇善から左中間を深々と破るタイムリー二塁打を放った。守備では途中交代するまで8回無失点のリードだった。11月29日のサムスンとの決勝戦ではフル出場したが、5回に岩嵜翔が崩れ、川﨑宗則のタイムリーエラーも重なり、チームを1イニング5失点させて敗戦の一因を作った。

2012年は開幕を一軍で迎えて正捕手として出場していたが、打率.156と不調だったこともあり6月30日に二軍再調整となった。7月14日に再昇格し正捕手へ戻ったが、打率は2割に届くことなく終わった。レギュラーシーズンでは82試合に先発出場し、フル出場した46試合では27勝3敗、8完封勝利だった。同年も攝津正(同年最多勝)との相性が良く、先発マスク時に14勝した。打撃では打率.157と、西武時代の2003年からの正捕手定着後以降最低を記録した上、出塁率も2割に届かず極度の打撃不振に陥った。 守備では捕手部門で最多失策、盗塁阻止率も.224とリーグワースト2位だった。クライマックスシリーズファーストステージでは全3試合に先発出場した。第1戦では西武を9回1失点に抑え勝利した。第2戦は3回に自身はパスボールし、1イニング7失点させて4回で交代させられ敗戦の一因となった。第3戦はフル出場し9回2失点に抑えてファーストステージを突破した。打撃では6打数無安打だった。ファイナルステージでも全3試合に先発出場したが3連敗でCS敗退した。第1戦では吉川光夫から2打数2安打だったが得点には繋がらず8回に代打を出されて交代した。

2013年は開幕から抹消されることなく一軍で過ごしたが、9月11日の対西武戦の2回に十亀剣から左側頭部に死球を受け救急車で運ばれ、福岡市内の病院で打撲と診断された。翌日9月12日の同カードには先発出場したが、脳震盪のような症状で吐き気を催し途中交代した。ソフトバンク移籍後最多となる112試合に出場。レギュラーシーズンでは96試合に先発出場し、フル出場した33試合では29勝4敗、6完封勝利だった。盗塁阻止率は.297(リーグ3位)と前年よりも改善した。

2014年は開幕2カードは新加入の鶴岡慎也にスタメンを奪われたが、鶴岡が4月5月に打率1割台と打撃不振のため徐々に先発出場が増え、7月下旬からは完全に奪い返し正捕手へと戻った。6月3日の対巨人戦の6回に自打球を左膝に当て途中交代、翌6月4日に左膝打撲のため出場選手登録を抹消された。6月14日に最短で一軍へ復帰した。7月26日のオリックスとの首位攻防戦では4回同点の場面で東明大貴からバックスクリーン左へ勝ち越しツーランホームランを放ち、これが決勝打となりチームは首位を奪回した。10月2日、2位オリックスとの両チームの優勝がかかったシーズン最終戦では2回一死二三塁の場面でディクソンから先制の犠牲フライを放った。フル出場し10回1失点のリードで松田宣浩のサヨナラ打を呼び、2011年に続きチームのリーグ優勝決定の瞬間のマスクを被った。レギュラーシーズンでは95試合に先発出場し、フル出場した41試合では35勝5敗1分、7完封勝利だった。クライマックスシリーズファイナルステージでは全6試合に先発出場し、打っては14打数6安打、打率.429だった。10月20日第6戦では5回に鍵谷陽平からダメ押しのソロ本塁打を放つなど3打席3出塁で、守ってはフル出場し9回を1失点に抑え、CS突破に貢献した。日本シリーズでは全5試合に先発出場した。守備では8回6失点で代打を出された第1戦以外はフル出場し、残り4試合は阪神打線を2失点以下に抑えた。10月28日第3戦では1点リードの4回一死二塁の打席で藤浪晋太郎の7球目のカットボールに空振り三振したが、阪神捕手の鶴岡一成がボールを一塁側へ逸らした隙に振り逃げを成立させ、二塁走者の吉村裕基が一気に本塁を陥れてチームは貴重な追加点を挙げた。10月30日第5戦は守っては9回無失点のリードで阪神打線を完封し、自身3度目となる日本一決定の瞬間のマスクを被った。同試合の9回表は1点リードでデニス・サファテと一死満塁の場面を作ったが、続く西岡剛をファーストゴロに打ち取り、一塁手の明石健志が本塁へ送球しフォースアウト、ここで細川は一塁へ送球したが西岡の体に当たってボールは転がり、その間に二塁走者の田上健一は本塁を踏んだ。冷静にプレーを見ていた主審の白井一行は西岡の走塁を守備妨害と判定し、これにより併殺完成でゲームセットを宣告し、ソフトバンクの日本一が決定した。また、3回守備時には一死一塁からマートン、二死一塁から上本博紀の二盗をいずれも阻止し、1イニングで2度の盗塁阻止が日本シリーズ新記録となった。シーズン中の8月29日に2度目のFA資格を取得したが、11月6日に翌年の残留を明言し、12月16日の契約交渉で3,600万円アップの年俸1億円で更改し、2年契約を結んだ。

2015年は2月中旬の春季キャンプから故障が相次ぎ(ブルペンで投球を受けた際に右手親指を痛め、当初は打撲と診断されたが、3月2日に福岡市内の病院で再検査の結果、中手骨骨折が判明した ほか(4月11日のウエスタン・リーグ対広島戦で先発マスクを被って一旦実戦に復帰)、4月22日に首の痛みを訴え再びリハビリ組へ戻った。)59試合に終わった。本塁打が0本だったのは2002年以来だった。

2016年はレギュラーシーズンの一軍公式戦49試合、チームがリーグ2位で迎えたCS5試合でスタメンマスクを任された。その一方で、チームが日本ハムとのCSファイナルステージで敗退した後に、球団からバッテリーコーチへの就任を打診。現役続行を希望していた細川がこの打診を固辞した ことから、10月24日には事実上の退団が発表された。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示。

2016年11月15日に地元球団の東北楽天ゴールデンイーグルスとの間で、捕手として契約を結んだことが発表された。背番号は68。

2017年は正捕手の嶋基宏や若手投手へのサポート役として、公式戦の開幕から一軍に帯同した。左脹脛を痛めたため、4月30日に出場選手登録を抹消されたが、6月下旬に一軍へ復帰。同月28日に故郷の青森県内で29年振りに開かれたNPB一軍公式戦(はるか夢球場の対オリックス戦)で移籍後初めてのスタメンマスクを任されると、7回裏の第3打席で一軍公式戦での移籍後初安打を放った。レギュラーシーズンには、一軍公式戦20試合に出場。通算打率は.100(20打数2安打)ながら、8月3日の対西武戦(メットライフドーム)でこの年唯一の本塁打を放ったほか、チームのレギュラーシーズン3位で迎えた古巣(西武およびソフトバンク)相手のCSにも、捕手として出場した。シーズン終了後の12月7日に、推定年俸2,000万円(現状維持)という条件で契約を更改。契約更改時点の年齢は37歳で、西武時代のチームメイトでもあった40代の松井稼頭央がこの年限りで退団(コーチ兼任で西武へ復帰)したことによって、チームの現役最年長選手になった。

2018年は一軍公式戦への出場がわずか2試合で、2打数ノーヒットに終わった。球団では、10月5日に細川へ戦力外を通告するとともに、コーチへの転身を打診。しかし、細川がNPB他球団での現役続行を希望したため、退団に至った。

2018年12月6日に千葉ロッテマリーンズが細川を1年契約で獲得した。背番号は55。獲得に至った背景には、金澤岳の現役引退(二軍バッテリーコーチ就任)に伴って、ベテランの捕手が不足していたことが挙げられる。ちなみに、進退に悩むあまり小学校6年生の長男に相談したところ、長男から「東京ディズニーランドが近くなる」という理由でロッテへの加入を後押しされたという。

2019年はいわゆる「抑え捕手」(試合終盤の守備要員)としての起用を中心に、一軍公式戦で楽天時代の2シーズンを上回る37試合に出場。打撃面では、7月16日に古巣の対西武戦(メットライフドーム)で一軍公式戦2年振りの安打を放つなど、通算で6打数2安打ながら打率.333を記録した。シーズン終了後の11月29日に、推定年俸1,600万円(前年から100万円増)という条件で契約を更改。更改時点の年齢は39歳で、この年までロッテの二軍打撃コーチ兼内野手として現役生活を続けていた福浦和也が43歳で引退(コーチ職に専念)したことから、2020年シーズンをパ・リーグの現役最年長選手として迎えることも決まった。

2020年はファームで12試合に出場したものの、打席に立つことはなく、11月4日に球団から戦力外通告を受けた。11月9日に引退を表明し、同日の日本ハム戦(ZOZOマリンスタジアム)で引退試合を行った。8回裏に代打で登場し(結果は空振り三振)、9回表には捕手として最後の守備に就いた。

2020年12月8日、2021年から新設される九州アジアリーグ・火の国サラマンダーズの監督に就任することが発表された。初年度のシーズンはリーグ優勝を達成したが、シーズン終了後の9月28日に今シーズン限りでの退任が発表された。2021年12月7日にロキテクノ富山にバッテリーコーチ兼ディフェンス担当として入団することが発表された。2024年11月8日、2025年からソフトバンクの三軍バッテリーコーチを務めることが発表された。

打率.200前後と安定感はないものの、ボールにバックスピンをかけて飛距離を出す長打力が持ち味で、打球方向のほとんどがレフト方向へ向かうプルヒッター。2006年シーズン中盤からランナーの有無に関係なくバントの構えからヒッティングに切り替えるバスター打法を取り入れた。フォーム改造後は三振を大幅に減らし、本塁打も増え「恐怖の8番打者」として注目を集めたが、シーズン打率は1割台に終わった。2007年は通常の打法に戻し、以降は打法の変更を繰り返し2008年、2009年は三振率が再び3割を越えた。2010年には再びバスター打法に取り組むが打率が低迷し、取りやめると打率が向上し、3試合連続本塁打を記録するなど調子の波が激しい。5年連続20犠打を二度記録しており、34犠打を記録した2011年には犠打成功率.921を記録するなど得意としている。

2010年にはリーグトップの守備得点を記録している。打者の苦手コースを突く慎重なリードが持ち味、野村克也は「パ・リーグで一番キャッチャーらしいキャッチャー」と高く評価しており、ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の選抜においても、本大会で正捕手を務めた城島健司よりも細川が適任であると考えていたという。西武時代の監督でもあった伊東勤も細川のことはもっと評価されてもいい捕手だと評している。ブロックも上手く、本塁での相手選手からの体当りにもボールを離さない。捕球に関してはソフトバンク移籍後の2011年に杉内俊哉、森福允彦が評価している。肩も強く、盗塁阻止率が1割台に落ちたのは2011年のみで、それ以外のシーズンは全て2割以上を記録している。プロ入り以来、配球の研究熱心さには定評があり、電話帳の厚さを越えるほどのメモを残していたが、2008年度から『感性のリード』へシフトした。

かつて同じ捕手としてチーム内で競合した鶴岡慎也の証言によると、外角のストレートで見逃し三振を取るのが非常に上手かった、ある投手にとって優先順位のかなり低いカーブを綺麗に通したとのことである。特に攝津正とのコンビネーションは抜群であったと語っている。

本人は独特のフレーミングについて引退後「ボールに親指をぶつけて親指を伸ばす」と解説している一方で、それは自分の中ではフレーミングではないと主張している。

愛称は「とーるちゃん」。また、西武時代は自身が演歌歌手の氷川きよしと顔が似ていることから『きよし』とも呼ばれていた。入場時の応援曲も同歌手の『きよしのズンドコ節』を採用していたこともあった。

2014年1月6日に東奥日報第9回東奥スポーツ賞の東奥スポーツ大賞を受賞した。

各年度の太字はリーグ最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞

ベストナイン:2回(2008年、2011年)

ゴールデングラブ賞:2回(2008年、2011年)

初出場・初先発出場:2002年9月22日、対千葉ロッテマリーンズ26回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・捕手で先発出場

初打席:同上、2回表に加藤康介から三飛

初安打:2003年4月2日、対オリックス・ブルーウェーブ3回戦(西武ドーム)、7回裏に吉井理人から左中間二塁打

初打点:2003年4月4日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(西武ドーム)、5回裏にジェレミー・パウエルから左越適時二塁打

初犠打:2003年4月6日、対大阪近鉄バファローズ3回戦(西武ドーム)、2回裏に前川勝彦から投手前犠打

初本塁打:2003年4月21日、対オリックス・ブルーウェーブ4回戦(札幌ドーム)、6回裏に具臺晟から右越2ラン

初盗塁:2003年6月29日、対福岡ダイエーホークス16回戦(福岡ドーム)、5回表に二盗(投手:水田章雄、捕手:城島健司)

200犠打:2012年5月28日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、7回表に田島慎二から投手前犠打 ※史上33人目

1000試合出場:2012年7月16日、対オリックス・バファローズ13回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9番・捕手で先発出場 ※史上455人目

250犠打:2014年7月11日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(札幌ドーム)、8回表に大塚豊から投手前スクイズバント ※史上15人目

1000三振:2017年8月24日、対千葉ロッテマリーンズ18回戦(ZOZOマリン) 、4回表に関谷亮太から ※史上64人目

サイクル安打:2004年4月4日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)※史上59人目(63度目)

オールスターゲーム出場:1回(2008年)

47(2002年 - 2005年)

30(2006年)

27(2007年 - 2016年)

68(2017年 - 2018年)

55(2019年 - 2020年)

81(2021年)

87(2025年 - )

『きよしのズンドコ節』氷川きよし( - 2012年)

『マル・マル・モリ・モリ!』薫と友樹、たまにムック。(2011年)

『僕の宝物』シクラメン(2012年 - )

『移民の歌』レッドツェッペリン(2014年 - )

『ありがとうの唄』吉幾三(2017年 - 2018年)

『東京VICTORY』サザンオールスターズ(2019年 - )

^ 9月18日は交代後に上本達之が逆転負け

^ 「こんなに可愛い娘さんいたんだ!」モデルの愛娘が球界レジェンド捕手の父を祝福「パパでいてくれてありがとう。だいすきだよ」西日本スポーツ 2024年1月4日15時4分発信。

^ 細川亨オフィシャルサイトプロフィール

^ Sponichi Annex プロ野球 福岡ソフトバンクホークス選手名鑑 細川亨 スポニチ2013年度選手名鑑

^ スポニチアネックス 2001年ドラフト情報 西武ライオンズ

^ 期待の新人4選手が入団! Seibu Lions News '01年12月13日号

^ npb.or.jp

^ 「全力 伊原春樹監督・53」 Seibu Lions News '02年9月22日号

^ ファンと共につかんだ頂点 Seibu Lions News '02年9月22日号。この勝利で伊原監督は新人監督プロ野球新記録の83勝を達成する。ロッテファンから「イ・ハ・ラ」コール 2002年9月23日スポニチ

^ [1]

^ 許、151球完投勝利! Seibu Lions News '03年4月2日号

^ 長田好投、細川初打点! Seibu Lions News '03年4月4日号

^ 細川、プロ初ホームラン Seibu Lions News '03年4月21日号

^ 松坂 ひじ痛発症で自己最短38球KO 2003年7月14日スポニチ

^ the baseball 7月13日(日) 西武 vs ダイエー(試合詳細) TBSラジオ公式サイト

^ 後藤今季初完封、細川好リード! Seibu Lions News '03年8月31日号

^ 細川サイクル 西武大勝 2004年4月5日スポニチ

^ 球団史上4人目のサイクルヒット細川選手 Seibu Lions News '04年4月4日号

^ 西武 5連勝で貯金1 2004年4月8日スポニチ

^ 山崎、プロ入り初勝利! Seibu Lions News '04年5月12日号

^ 西武のルーキー山崎、ダイエー相手にうれしい初勝利 2004年5月13日SANSPO.COM

^ 小笠原5打席すべて出塁 ハム快勝 2004年6月21日スポニチ

^ nikkansports.comスコア速報 日本ハム対西武

^ 中島15号、細川8号ホームラン Seibu Lions News '04年7月17日号

^ the baseball 9月1日(水) ロッテ vs 西武(試合詳細) TBSラジオ

^ 2004年度日本シリーズ 試合結果(第7戦)

^ 西武細川、10回自身初のサヨナラ打も反省 2005年5月28日 日刊スポーツ

^ 細川、サヨナラ打! Seibu Lions News '05年5月28日号

^ 伊東監督渋い表情…「走者を出せず完敗だった」 2005年6月5日SANSPO.COM (リンク切れ)

^ 大当たり~!西武・細川がプロ初満塁弾&股間直撃で退場 2005年8月27日SANSPO.COM

^ 細川、満塁ホームラン! Seibu Lions News '05年8月26日号

^ 2005年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(守備部門)

^ ライオンズレポート 2006年8月27日 西武ライオンズ公式

^ 【西武】細川が4回に6号満塁弾 2006年9月3日 日刊スポーツ

^ ライオンズレポート 2006年9月3日 西武ライオンズ公式

^ 2006年度 パシフィック・リーグ 盗塁阻止率(捕手)【リーダーズ(守備部門)】

^ 2006年度 パシフィック・リーグ 個人守備成績(規定以上)

^ ライオンズレポート 2006年12月29日 西武ライオンズ公式

^ 2007年度 パシフィック・リーグ 盗塁阻止率(捕手)【リーダーズ(守備部門)】

^ あぁ西武…出口見えない10連敗 2007年6月12日スポニチ

^ エース涌井でも止まらず…西武、借金&連敗とうとう10 2007年6月12日SANSPO.COM

^ エキサイトベースボール | 7月7日(土) 西武 vs ソフトバンク(試合詳細) TBSラジオ

^ 2008年5月5日埼玉西武 対 北海道日本ハム インタビュー 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト

^ 裂傷男 細川“手負い”の3ラン! 2008年6月2日スポニチ

^ 2008年6月1日埼玉西武 対 中日 インタビュー 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト

^ 王監督「走塁妨害だ」退場覚悟の猛抗議 2008年7月9日 日刊スポーツ

^ 鷹、首位レオ斬った!熱~く5割復帰! SANSPO.COM 2008年7月9日

^ ソフトバンクの質問状でパ誤審認める 2008年7月12日スポーツ報知 | 野球総合ニュース comical-baseball

^ 走塁妨害認める回答 パがソフトバンクに 共同通信社 2008年7月11日 (リンク切れ)

^ 【西武】岸が4回途中5失点KO 2008年7月19日 日刊スポーツ

^ 2008年7月19日千葉ロッテ 対 埼玉西武テキスト速報 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト

^ マツダオールスターゲーム2008 ファン投票結果

^ 2008年度マツダオールスターゲーム 試合結果(第2戦)

^ 2008年9月24日埼玉西武 対 千葉ロッテ テキスト速報 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト

^ ベニー首投げ細川脱臼!西武痛いVお預け 2008年9月25日 日刊スポーツ

^ 2008年度 三井ゴールデン・グラブ賞

^ 2008年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン)

^ 2008年10月21日埼玉西武 対 北海道日本ハムテキスト速報 | 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト

^ 西武痛い…中島シリーズ絶望か?/日本S 2008年11月7日 日刊スポーツ紙面

^ 中島は強行出場 細川はベンチ外れる 2008年11月8日スポニチ

^ 西武 今年の“きよし”は安定志向より変革

^ 日本代表24人決定!上原、新井も… 2008年7月17日 スポニチ

^ '09 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表 第一次登録メンバー候補選手 - 日本野球機構オフィシャルサイト

^ 2009年 WBC 日本代表 第1次登録メンバー候補に5選手が選出! 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト2008年12月15日配信

^ '09 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー - 日本野球機構オフィシャルサイト

^ 今日のヒーローは見事な逆転3ランホームランの細川選手です!! 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト

^ 西武細川息子の誕生日に贈った逆転3ラン 2009年4月4日 日刊スポーツ

^ 西武・細川が右ひじ不調で抹消 2009年4月29日

^ 西武細川28日先発マスク、右ひじ痛回復 2009年7月28日 日刊スポーツ

^ 西武銀仁朗は半月板損傷、復帰まで数カ月

^ 今日のヒーローは岸投手と細川選手です!! 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト

^ エースは負けない!涌井4連勝で40勝一番乗り 2010年6月19日スポニチ

^ 女房役・細川 帆足に捧ぐ5号3ラン! 2010年6月20日スポニチ

^ 「父の日」にパパ輝く…細川、また満塁弾! 2010年6月21日スポニチ

^ 2010年度 パシフィック・リーグ 盗塁阻止率(捕手)【リーダーズ(守備部門)】

^ 内川「九州に帰ってきた」 日刊スポーツ、2010年12月6日。

^ 細川ソフトバンク入り決定 4年総額2・5~8億円 2010年11月23日スポニチ

^ ソフトB内川、細川 得点力100% 2011年4月13日 日刊スポーツ

^ ホールトン、7回2失点で今季初勝利!内川も今季第1号を放ち、北九州で完勝! ゲームレポート | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト

^ 2011年4月21日福岡ソフトバンク 対 楽天テキスト速報 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト

^ 先発・岩崎が悲願のプロ初勝利!女房役の細川も、2安打2打点の活躍! ゲームレポート | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト

^ 強すぎるソフトバンク!序盤の猛攻で横浜をまったく寄せ付けず、交流戦いまだ無敗! ゲームレポート | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト

^ 【ソフトB】細川が左膝痛めて交代

^ ソフトB細川 半月板損傷で前半戦絶望的

^ 小久保死球「やばい」今日西武戦は欠場濃厚 2011年8月5日 日刊スポーツ紙面

^ 細川死球で4針縫うも気合の先発マスク 2011年8月6日 日刊スポーツ紙面

^ 細川右ふくらはぎ肉離れで抹消か 2011年8月27日 日刊スポーツ

^ 【ソフトB】細川右ふくらはぎ痛で抹消 2011年8月27日 日刊スポーツ

^ 古巣本拠で好リード…細川、移籍1年目Vも「通過点」 2011年10月2日 日刊スポーツ

^ 【ソフトB】細川&カブ古巣本拠でV 2011年10月1日 日刊スポーツ

^ 2011年度 パシフィック・リーグ 個人守備成績(規定以上)

^ 2011年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン)

^ 2011年度 三井ゴールデン・グラブ賞

^ 細川「たまたま振ったら当たった」/日本S 2011年11月16日 日刊スポーツ

^ ソフトBがマーに3戦連続完封負け 2012年6月30日 日刊スポーツ

^ 2012年度 パシフィック・リーグ 【失策(捕手)】 リーダーズ(守備部門)

^ 2012年度 パシフィック・リーグ 【盗塁阻止率(捕手)】 リーダーズ(守備部門)

^ 【ソフトB】頭部死球の細川、打撲と診断 2013年9月11日 日刊スポーツ

^ 細川「脳振とうみたい」で交代 頭部死球の影響 しばらく絶対安静 2013年9月12日スポニチ

^ 2013年度 パシフィック・リーグ 【盗塁阻止率(捕手)】 リーダーズ(守備部門)

^ ソフトB細川、左膝打撲で抹消 2014年6月4日 日刊スポーツ

^ 細川、左膝打撲で抹消、3日の試合で自打球が直撃 2014年6月4日スポニチ

^ 8番・細川の一発で首位奪還!先発・中田は好投でチームトップの8勝目 ゲームレポート | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト

^ ソフトB細川4号2ラン「真っすぐ一本」 2014年7月26日 日刊スポーツ

^ ソフトバンク 吉村が好走塁!藤浪の暴投の間に追加点!

^ 西岡守備妨害で幕 猛抗議に胴上げお預け 2014年10月31日 日刊スポーツ

^ 細川「何で転がっているのかと」…守備妨害に“ナットク”

^ ソフトB細川が2度目のFA資格取得 2014年8月29日 日刊スポーツ

^ ソフトB細川来季残留 FA書類提出せず 2014年11月7日 日刊スポーツ

^ ソフトB細川3600万増、投手育成に注力 2014年12月16日 日刊スポーツ

^ ソフトB細川が右手親指骨折、開幕絶望 2015年3月3日 日刊スポーツ

^ ソフトB細川右手親指骨折 開幕アウト 2015年3月4日 日刊スポーツ

^ 2軍試合結果 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト

^ 2015年4月22日西日本スポーツ紙面

^ ソフトB細川が構想外、退団へ コーチ就任打診も現役続行希望 スポニチアネックス 2016年10月24日

^ “来季契約について”. 福岡ソフトバンクホークス (October 24, 2016). November 13, 2016閲覧。

^ “自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。

^ “楽天 元ソフトB細川獲得を発表 背番68「東北に帰って心機一転」”. スポニチアネックス. (2016年11月16日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/16/kiji/K20161116013735050.html 2016年11月16日閲覧。 

^ “【楽天】細川、左ふくらはぎ痛で登録抹消…正捕手・嶋に続き痛い離脱”. スポーツ報知. (2017年4月30日). https://web.archive.org/web/20170430064525/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170430-OHT1T50106.html 2017年6月29日閲覧。 

^ “【楽天】細川、故郷・青森で初安打!移籍後6打席目の快音に地元ファンから大きな拍手”. スポーツ報知. (2017年6月28日). https://web.archive.org/web/20170701063226/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170628-OHT1T50156.html 2017年6月29日閲覧。 

^ “【楽天】ベテラン細川に戦力外通告、現役続行希望で退団”. スポーツ報知. (2018年10月5日). https://hochi.news/articles/20181005-OHT1T50118.html 2018年10月5日閲覧。 

^ 細川亨選手 入団について千葉ロッテマリーンズ 2018年12月6日

^ 2019プロ野球写真&データ選手名鑑140ページ

^ “ロッテ細川100万円増、抑え捕手起用に「ド緊張」”. 日刊スポーツ. (2019年11月29日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911290000469.html 2019年11月29日閲覧。 

^ “ロッテ・細川が100万円増1600万円で更改、来季はパ最年長「筋肉を戻したい」”. サンケイスポーツ. (2019年11月29日). https://www.sanspo.com/article/20191129-A3JJ4G6KNJNZ5KC4HX7TB44KIY/ 2019年11月29日閲覧。 

^ “ロッテ・細川が現役引退「こんなに長くプロの世界でやれるとは」”. full-count. (2020年11月9日). https://full-count.jp/2020/11/09/post967695/ 2020年12月3日閲覧。 

^ “ロッテ、細川亨が引退発表「ブルペンでボールを受けている時間が大好きでした」”. ベースボールキング. (2020年10月9日). https://baseballking.jp/ns/254733 2020年12月3日閲覧。 

^ “細川選手引退のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2020年11月9日). 2020年12月3日閲覧。

^ 引退ロッテ細川は笑顔「おなかいっぱい」今後は未定”. 日刊スポーツ. (2020年10月9日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202011090001115_m.html?mode=all 2020年12月3日閲覧。 

^ “熊本新球団監督に細川亨氏 火の国サラマンダーズ”. サンケイスポーツ (2020年12月8日). 2020年12月8日閲覧。

^ “九州アジアリーグ初年度優勝は火の国サラマンダーズ 指導陣に細川亨氏、馬原孝浩氏、吉村裕基氏ら”. 西日本新聞. (2021年9月11日). https://web.archive.org/web/20210911105527/https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/799421/ 2021年9月28日閲覧。 

^ “熊本火の国サラマンダーズの細川亨監督が退任 吉村裕基兼任コーチも”. 日刊スポーツ. (2021年9月28日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202109280000877.html 2021年9月28日閲覧。 

^ “パ・リーグ4球団で19年間プレーした細川亨氏入団のお知らせ”. 日刊スポーツ. (2021年9月28日). https://rokitechnobc.com/news/%e3%83%91%e3%83%bb%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%b04%e7%90%83%e5%9b%a3%e3%81%a719%e5%b9%b4%e9%96%93%e3%83%97%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%81%97%e3%81%9f%e7%b4%b0%e5%b7%9d-%e4%ba%a8%e6%b0%8f%e5%85%a5%e5%9b%a3/ 2021年9月28日閲覧。 

^ 「新入団・就任コーチのお知らせ」『福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト』2024年11月8日。2024年11月9日閲覧。

^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2008』アスペクトムック、2008年、424頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。 

^ ソフトB 細川 “バント職人”のワケ「押さず、引かず、受け止める」 スポニチ、2012年2月7日

^ 捕手の総合力比較 SMR Baseball Lab

^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2007』アスペクトムック、2007年、76頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。 

^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2009』アスペクトムック、2009年、45頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。 

^ 野村克也『あぁ監督―名将、奇将、珍将』角川書店、2009年、124ページ、ISBN 9784047101838。

^ 『プロ野球選手100人が選ぶ! 現役最強ベストナイン』宝島社、2011年、35頁。ISBN 978-4-7966-8666-2。 

^ 「投げやすい」杉内、森福が細川絶賛 2011年2月11日 日刊スポーツ

^ 古田・谷繁・鶴岡に視聴者から質問「最近の配球、どう思いますか?」【キャッチャーズバイブル】 フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】 2022/08/16 (2022年8月19日閲覧)

^ 野村克也も認めた最強キャッチャー細川亨の「捕らない」捕手論!フレーミングなんて... プロ野球OBクラブチャンネル 2022/11/16 (2022年11月30日閲覧)

^ “55 細川 亨 選手名鑑2020|千葉ロッテマリーンズ”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト. 2021年8月26日閲覧。

^ Web東奥・第9回東奥スポーツ賞

青森県出身の人物一覧

青森大学の人物一覧

埼玉西武ライオンズの選手一覧

福岡ソフトバンクホークスの選手一覧

東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧

千葉ロッテマリーンズの選手一覧

個人年度別成績 細川亨 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

細川亨オフィシャルサイト

90 小久保裕紀

92 奈良原浩(ヘッド)

94 倉野信次(投手〈チーフ〉兼ヘッドコーディネーター〈投手〉)

72 若田部健一(投手〈ブルペン〉)

71 中田賢一(投手〈ブルペン補佐〉)

78 村上隆行(打撃)

80 本多雄一(内野守備走塁兼作戦)

79 大西崇之(外野守備走塁兼作戦)

84 髙谷裕亮(バッテリー)

74 松山秀明(監督)

73 小笠原孝(投手〈チーフ〉)

97 牧田和久(ファーム投手)

93 村松有人(打撃)

82 髙田知季(内野守備走塁)

96 城所龍磨(外野守備走塁)

83 清水将海(バッテリー)

88 斉藤和巳(監督)

86 佐久本昌広(投手〈チーフ〉)

76 寺原隼人(ファーム投手)

86 奥村政稔(投手)

75 大道典良(打撃)

91 金子圭輔(内野守備走塁)

98 高波文一(外野守備走塁)

87 細川亨(バッテリー)

011 大越基(監督)

013 森笠繁(打撃)

014 笹川隆(内野守備走塁)

015 釜元豪(外野守備走塁)

016 的山哲也(バッテリー)

017 森山良二(リハビリ担当〈投手〉)

018 中谷将大(リハビリ担当〈野手〉)

012 川越英隆(コーディネーター〈投手ファーム統括〉)

020 星野順治(コーディネーター〈投手〉)

023 荒金久雄(コーディネーター〈野手統括〉)

019 関川浩一(コーディネーター〈野手〉)

022 森浩之(コーディネーター〈野手〉)

021 井出竜也(コーディネーター〈野手〉)

1 風間球打

2 スチュワート・ジュニア

11 津森宥紀

14 又吉克樹

16 東浜巨

17 有原航平

18 武田翔太

20 中村亮太

26 大津亮介

27 岩井俊介

29 石川柊太

34 村田賢一

35 モイネロ

38 澤柳亮太郎

39 尾形崇斗

40 杉山一樹

41 前田悠伍

42 三浦瑞樹

47 大関友久

48 藤井皓哉

49 松本晴

50 板東湧梧

51 前田純

53 大山凌

54 オスナ

56 田浦文丸

58 木村大成

59 長谷川威展

60 大野稼頭央

63 ヘルナンデス

66 松本裕樹

67 笠谷俊介

68 木村光

70 田上奏大

12 嶺井博希

19 甲斐拓也

22 牧原巧汰

45 谷川原健太

55 石塚綜一郎

62 海野隆司

64 吉田賢吾

65 藤田悠太郎

79 渡邉陸

0 川瀬晃

4 ダウンズ

6 今宮健太

8 牧原大成

13 三森大貴

23 周東佑京

24 栗原陵矢

25 山川穂高

33 廣瀨隆太

36 イヒネイツア

43 井上朋也

46 川原田純平

52 リチャード

69 仲田慶介

99 野村勇

3 近藤健介

7 中村晃

9 柳田悠岐

28 ウォーカー

30 佐藤直樹

31 正木智也

32 柳町達

37 生海

44 笹川吉康

57 緒方理貢

61 川村友斗

126 宮里優吾

133 星野恒太朗

134 大城真乃

135 アルメンタ

136 大竹風雅

139 井﨑燦志郎

142 藤原大翔

145 ハモンド

146 藤田淳平

148 山崎琢磨

156 ロドリゲス

158 赤羽蓮

160 長水啓眞

161 内野海斗

162 岡植純平

163 佐々木明都

164 水口創太

165 宮崎颯

169 飛田悠成

176 サルディ

151 加藤晴空

171 盛島稜大

122 藤野恵音

124 桑原秀侍

129 佐倉俠史朗

130 勝連大稀

131 中澤恒貴

159 山下恭吾

170 西尾歩真

175 アルモンテ

123 大泉周也

144 シモン

150 山本恵大

166 重松凱人

168 佐藤航太

173 オスーナ

細川亨 2021

馬原孝浩 2022 - 2023

ボビー・ローズ 2024 - 2024.2.15

【代行】荒西祐大 2024.2.15 - 終了

小斉祐輔 2025 -

1950 土井垣武

1951 土井垣武

1952 土井垣武

1953 松井淳

1954 C.ルイス

1955 C.ルイス

1956 野村克也

1957 野村克也

1958 野村克也

1959 野村克也

1960 野村克也

1961 野村克也

1962 野村克也

1963 野村克也

1964 野村克也

1965 野村克也

1966 野村克也

1967 野村克也

1968 野村克也

1969 岡村浩二

1970 野村克也

1971 野村克也

1972 野村克也

1973 野村克也

1974 村上公康

1975 野村克也

1976 野村克也

1977 加藤俊夫

1978 中沢伸二

1979 梨田昌崇

1980 梨田昌崇

1981 梨田昌崇

1982 中沢伸二

1983 香川伸行

1984 藤田浩雅

1985 伊東勤

1986 伊東勤

1987 伊東勤

1988 伊東勤

1989 山下和彦

1990 伊東勤

1991 伊東勤

1992 伊東勤

1993 田村藤夫

1994 吉永幸一郎

1995 中嶋聡

1996 吉永幸一郎

1997 伊東勤

1998 伊東勤

1999 城島健司

2000 城島健司

2001 城島健司

2002 伊東勤

2003 城島健司

2004 城島健司

2005 城島健司

2006 里崎智也

2007 里崎智也

2008 細川亨

2009 田上秀則

2010 嶋基宏

2011 細川亨

2012 鶴岡慎也

2013 嶋基宏

2014 伊藤光

2015 炭谷銀仁朗

2016 田村龍弘

2017 甲斐拓也

2018 森友哉

2019 森友哉

2020 甲斐拓也

2021 森友哉

2022 甲斐拓也

2023 森友哉

2024 佐藤都志也

1972 種茂雅之

1973 野村克也

1974 村上公康

1975 有田修三

1976 有田修三

1977 加藤俊夫

1978 中沢伸二

1979 梨田昌崇

1980 梨田昌崇

1981 梨田昌崇

1982 大宮龍男

1983 梨田昌崇

1984 藤田浩雅

1985 伊東勤

1986 伊東勤

1987 伊東勤

1988 伊東勤

1989 中嶋聡

1990 伊東勤

1991 伊東勤

1992 伊東勤

1993 田村藤夫

1994 伊東勤

1995 伊東勤

1996 高田誠

1997 伊東勤

1998 伊東勤

1999 城島健司

2000 城島健司

2001 城島健司

2002 城島健司

2003 城島健司

2004 城島健司

2005 城島健司

2006 里崎智也

2007 里崎智也

2008 細川亨

2009 鶴岡慎也

2010 嶋基宏

2011 細川亨

2012 炭谷銀仁朗

2013 嶋基宏

2014 伊藤光

2015 炭谷銀仁朗

2016 大野奨太

2017 甲斐拓也

2018 甲斐拓也

2019 甲斐拓也

2020 甲斐拓也

2021 甲斐拓也

2022 甲斐拓也

2023 若月健矢

2024 甲斐拓也

自由獲得枠:細川亨

2巡目:中村剛也

4巡目:栗山巧

5巡目:竹内和也

日本の野球選手

青森県立青森北高等学校出身の人物

青森大学硬式野球部の選手

埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手

福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手

東北楽天ゴールデンイーグルスの選手

千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手

NPBオールスターゲーム選出選手

アジアシリーズ選手

火の国サラマンダーズ

日本の野球監督

社会人野球指導者

青森県出身のスポーツ選手

1980年生

存命人物

Pages using the JsonConfig extension

ISBNマジックリンクを使用しているページ

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/11/30 07:46更新

hosokawa tooru


細川亨と同じ誕生日1月4日生まれ、同じ青森出身の人

北村 小松(きたむら こまつ)
1901年1月4日生まれの有名人 青森出身

北村 小松(きたむら こまつ、1901年(明治34年)1月4日 - 1964年(昭和39年)4月27日)は、日本の劇作家、小説家、脚本家。 青森県三戸郡八戸町(現・八戸市)生まれ。八戸中学校を経て慶…

小原 日登美(おばら ひとみ)
1981年1月4日生まれの有名人 青森出身

小原 日登美(おばら ひとみ(旧姓・坂本)、1981年〈昭和56年〉1月4日 - )は、日本の女子レスリング元選手。2012年ロンドンオリンピック女子レスリング48kg級・金メダリスト。青森県八戸市出…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


細川亨と近い名前の人

細川 ふみえ(ほそかわ ふみえ)
1971年9月2日生まれの有名人 青森出身

細川 ふみえ(ほそかわ ふみえ、1971年〈昭和46年〉9月2日 - )は、日本の元グラビアアイドル、タレント、女優、歌手、レースクイーン。青森県むつ市出身。B94cm、W60cm、H90cm(199…

細川 藍(ほそかわ あい)
1995年3月5日生まれの有名人 神奈川出身

細川 藍(ほそかわ あい、1995年3月5日 - )は、日本の女性タレント。 神奈川県出身。フランス系アメリカ人を祖父にもち、クォーターの父を持つワンシクスティーンス。 2000年 - 芸能界デビ…

細川 桃仁(ほそかわ とに)
1977年7月5日生まれの有名人 神奈川出身

細川 桃仁(ほそかわ とに、1977年7月5日 - )は、日本の女優、ファッションモデル。神奈川県出身。 イタリア系アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフ。 2歳の時、モデル事務所にスカウトされ芸能…


細川 直美(ほそかわ なおみ)
1974年6月18日生まれの有名人 神奈川出身

細川 直美(ほそかわ なおみ、1974年〈昭和49年〉6月18日 - )は、日本の女優。本名・葛山 知保(かつらやま ちほ、旧姓・細川)。夫は、俳優の葛山信吾。オスカープロモーション所属。 神奈川県…

細川 ちか子(ほそかわ ちかこ)
1905年12月31日生まれの有名人 東京出身

細川 ちか子(ほそかわ ちかこ、1905年12月31日 - 1976年3月20日)は、日本の女優である。本名横田 冬(よこた ふゆ)。 1905年12月31日、東京市麹町区内幸町1-5(現在の千代田…

細川 聖可(ほそかわ せいか)
1979年9月24日生まれの有名人 高知出身

細川 聖可(ほそかわ せいか、1979年9月24日 - )は、日本の元女性声優。高知県出身。かつてはアトリエアーに所属していた。声優予備軍で結成したアイドルユニット「KiraKira☆メロディ学園」の…

細川 量代(ほそかわ かずよ)
11月20日生まれの有名人 香川出身

細川 量代(ほそかわ かずよ、11月20日 - )は日本の声優、舞台女優。ケッケコーポレーション、劇団芝居屋所属。香川県出身。 学生時代よりサークルで小劇場での演劇活動を開始。 1999年から20…

細川 俊之(ほそかわ としゆき)
1940年12月15日生まれの有名人 福岡出身

細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12月15日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の俳優。所属事務所は活動屋。 福岡県生まれ、山口県下関市育ち。山口県立豊浦高等学…


細川 伸二(ほそかわ しんじ)
1960年1月2日生まれの有名人 兵庫出身

細川 伸二(ほそかわ しんじ、1960年1月2日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。 1984年のロサンゼルス五輪と1985年の第14回世界選手権大会で金メダルを獲得したほか、国内でも全日本選抜…

細川 護煕(ほそかわ もりひろ)
1938年1月14日生まれの有名人 東京出身

細川 護煕(ほそかわ もりひろ、1938年〈昭和13年〉1月14日 - )は、日本の政治家、陶芸家、茶人。 朝日新聞記者を経て、政治家となり、参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、衆議院…

細川 隆元(ほそかわ りゅうげん)
1900年1月17日生まれの有名人 熊本出身

細川 隆元(ほそかわ たかちか、1900年〈明治33年〉1月17日 - 1994年〈平成6年〉12月19日)は、日本の政治評論家、衆議院議員。熊本県熊本市出身。音読みでりゅうげんと呼ばれた。 中学濟…

細川 淳矢(ほそかわ じゅんや)
1984年6月24日生まれの有名人 埼玉出身

細川 淳矢(ほそかわ じゅんや、1984年6月24日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 2003年、仙台大学に進学。2005年の天皇杯でベガルタ仙台と対戦経…

細川 大輔(ほそかわ だいすけ)
1982年4月18日生まれの有名人 兵庫出身

細川 大輔(ほそかわ だいすけ、男性、1982年4月18日 - )は、日本の元競泳選手。兵庫県尼崎市出身。100m自由形及び200m自由形の元日本記録保持者。2003年世界水泳選手権400mメドレーリ…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
細川亨
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

SOLIDEMO BMK_(音楽グループ) WATWING さくらしめじ 原因は自分にある。 M!LK 三四郎 10神ACTOR MAZZEL PRIZMAX 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「細川亨」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました