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里崎智也の情報 (さとざきともや)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

里崎智也の情報(さとざきともや) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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里崎 智也さんについて調べます

■名前・氏名
里崎 智也
(読み:さとざき ともや)
■職業
野球選手
■里崎智也の誕生日・生年月日
1976年5月20日 (年齢48歳)
辰年(たつ年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
徳島出身

(昭和51年)1976年生まれの人の年齢早見表

里崎智也と同じ1976年生まれの有名人・芸能人

里崎智也と同じ5月20日生まれの有名人・芸能人

里崎智也と同じ出身地徳島県生まれの有名人・芸能人


里崎智也と関係のある人

大島洋平: 日本シリーズでは、第4戦の11回表に値千金となる決勝適時三塁打を放ち、第6戦の11回表、二死一・二塁の場面で里崎智也が放った中堅への大飛球を好捕するなど活躍。


良川昌美: 2007年7月17日の千葉ロッテマリーンズ対オリックス・バファローズで球審を務めたが、3回表に打者タフィ・ローズが内角に投じられたボールを巡って捕手里崎智也に殴りかかり、両軍入り混じる乱闘に発展。


ボビー=バレンタイン: 大胆な若手選手の先発起用、ほぼ全てのポジションに複数の選手を充て競争意識を高めつつ適度に休養を取らせる、里崎智也、橋本将の2人の捕手を先発投手に合わせ入れ替える(両選手ともに打撃も良く、スタメンマスクを外れても指名打者として出場することもあった)、クリーンナップを2組作って投入するなど独特の起用法が当たり、「ボビーマジック」と呼ばれた。


田中雅彦: 当時のロッテの捕手陣は、相手が左投手の時は里崎智也、右投手の時は橋本将という田中より打撃力のある二人を併用していたため、田中が故障で離脱した中盤戦を除いて3番手捕手として一軍に帯同。


吉村裕基: 5月18日の対千葉ロッテマリーンズ戦では久保康友 - 里崎智也バッテリーからプロ初盗塁を記録。


橋本将: ロッテ時代の2005年は監督のボビー・バレンタインが当時の球界で一般的でなかったスタメン捕手を右打ちの里崎智也と左打ちの橋本を相手先発に応じて使い分けるツープラトン体制が成功し、チームは31年ぶりの日本一を果たす。


清水将海: 2002年は、清水より打撃が良い里崎智也の台頭でレギュラーを奪われる。


小宮山悟: また、同日、里崎智也からも空振りを奪っている。


小野晋吾: 元千葉ロッテマリーンズの捕手であった里崎智也に、投球のサインを変えた際に「(サインを)間違う奴は決まっている」選手として挙げられ、サインミスしたことを後輩である里崎に叱咤されたことがある。


永江恭平: 初盗塁:2013年9月15日、対千葉ロッテマリーンズ21回戦(西武ドーム)、7回裏に二盗(投手:カルロス・ロサ、捕手:里崎智也


柳田悠岐: 5月31日、交流戦対巨人戦(東京ドーム)で、2021年7月4日の佐藤輝明(阪神)以来史上20人目、パ・リーグでは2016年4月20日の茂木栄五郎(楽天)以来8人目、ホークスとしては史上初となる日本プロ野球ワーストタイ記録の1試合5三振を喫したが、全5打席が空振り三振となったのは2011年9月15日の館山昌平(ヤクルト、投手)以来史上4人目、野手およびパ・リーグの選手としては2006年5月2日の里崎智也(ロッテ)に次ぐ史上2人目であった。


松本秀夫: ニッポン放送の社員として最後に、3月31日に東京ドームで催された2017年セントラル・リーグ開幕戦の読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦を、里崎智也の解説とともに実況中継した。


ベニー=アグバヤニ: 里崎智也に4番を譲る形となった。


細川亨: 9月24日にマジック1で迎えた対千葉ロッテ戦で4回3点ビハインドから涌井秀章が里崎智也に押し出し死球、代わった三井浩二もフリオ・ズレータに押し出し死球、7点ビハインド二死一三塁で登板した許銘傑もベニー・アグバヤニの腕に当て同イニング3度目の死球を与えた事で、ベニーが興奮してマウンドへ向かい、止めに入った細川を首投げして両チームの乱闘に発展し、ベニーは退場となった。


山中潔: ^ 誰でもできるようなことをどれだけできるのかが勝負!吉見も納得!里崎智也が推奨する“準備そして継続”(CBCテレビ) - Yahoo!ニュース


藤川球児: 背番号は、同じ「22」を着ける里崎智也に配慮して24を選んだ。


宮﨑祐樹: 初盗塁:同上、8回表に二盗(投手:吉見祐治、捕手:里崎智也


クロマツテツロウ: 監督・脚本は飯塚健、音楽は海田庄吾、出演は醍醐虎汰朗、黒羽麻璃央、高嶋政宏、駒木根隆介、市川知宏、三浦健人、里崎智也、小沢仁志他、主題歌は電気グルーヴの『HOMEBASE』。


ブライアン=シコースキー: しかし、長田も里崎智也に同点ソロ本塁打を打たれるとこの試合も延長11回に勝ち越され、そのまま敗れCS敗退となった。


大村直之: 200盗塁:2009年4月28日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表に二盗(投手:伊藤義弘、捕手:里崎智也) ※史上67人目


筒香嘉智: 里崎智也は「しっかりと自分のポイントまでボールを引きつけて打っているので、変化球が来ても崩されることも少なく、崩されたとしても、まだ打てるポイントに体が残っていますね」と高く評価している。


ヘクター=カラスコ: ところが、開幕4戦目の3月30日対 ロッテ戦、最終回1点リードという初のセーブ機会で、ベニー・アグバヤニ・里崎智也に本塁打を浴びて逆転負けを喫したのを皮切りに、4月9日の西武戦では中島裕之にサヨナラ犠飛を打たれ、11日の同カードでは2点リードの最終回に登板するも、取ったアウトは小関竜弥の犠飛による1死のみで、最後は和田一浩にサヨナラ満塁本塁打を浴びるなど、度重なる炎上を繰り返し、開幕からのチーム低迷の一因となった。


大西宏明: 初盗塁:同上、7回裏に三盗(投手:長崎伸一、捕手:里崎智也


内藤尚行: 内藤の野球解説について、野球解説者の里崎智也からは「現役時代から解説を聞いてイラッとしていた」「自分がされて嫌な解説はしないようにしてます」と抽象的な解説に苦言を呈されている。


袴田英利: なお、ロッテオリオンズで規定打席に到達した捕手は1985年の袴田で最後となる(千葉移転後は2006年に里崎智也が規定打席に初めて到達した)。


福川将和: 初盗塁:2007年6月23日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(明治神宮野球場)、4回裏に二盗(投手:小林宏之、捕手:里崎智也


袴田彩会: 8月7日から里崎智也のYouTubeチャンネルでアシスタントを務め、高木豊のYouTubeチャンネルにもたびたび出演する。


橋本将: また、清水将海や里崎智也らと併用されることが多かったため、完全なレギュラー定着とはならなかったものの、チームに欠かせない存在であった。


窪田淳: 1年上に愛敬尚史、里崎智也がいた。


根本和也: 憧れの選手として、伊藤光、ホセ・アルトゥーベ、ダルビッシュ有、里崎智也を挙げる。


里崎智也の情報まとめ

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里崎 智也(さとざき ともや)さんの誕生日は1976年5月20日です。徳島出身の野球選手のようです。

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代表経歴、選手としての特徴などについてまとめました。引退、卒業、テレビ、結婚、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。里崎智也の現在の年齢は48歳のようです。

里崎智也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

Satozaki Channel

里崎智也セカンドチャンネル enjoy Life

メイン 67.1万人

サブ 3.52万人

    メイン 399,845,971回

    サブ 2,726,342回

    里崎 智也(さとざき ともや、1976年5月20日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、野球解説者、野球評論家、タレント、YouTuber。

    ビックリマン終身名誉PR大使。愛称は「サト」。所属事務所はレプロエンタテインメント。血液型はA型。

    現役時代はロッテの正捕手としてリーグ優勝1回、日本一2回、日本代表では2006 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献。同大会では正捕手として大会優勝に貢献した。

    戸籍上の本名は「里﨑 智也(読み同じ)」だが、自身は20歳になるまでこのことを知らなかった。ただし「﨑」の字を使うと字画が一つ多くなるため、本人は「崎」の字を一生使い続けていくという。

    鳴門市大津西小学校2年生の時に野球を始め、鳴門市第一中学校では軟式野球部に所属した。鳴門市立鳴門工業高等学校(現:徳島県立鳴門渦潮高等学校)に進学し、2年夏には川上憲伸を擁する徳島県立徳島商業高等学校と対戦したが、チームは延長戦の末敗れた(徳島商とは1年秋の公式戦を含め2度対戦しているが、ともに敗戦)。3年時にはキャプテンを務め、3年夏の最後の公式戦は県大会3回戦でコールド負けを喫した。

    因みに里崎は、自分がチームを選ぶ方針は強いかどうかよりも出場機会を得られるかどうかだとする意見を、引退後に公表している。

    高校卒業後は、18歳から仕事をしたくないという理由から、首都大学野球連盟所属の帝京大学に入学。元々の志望校は駒澤大学であったが、同学年の城島健司(別府大学附属高等学校)が駒澤大に進学するという情報を聞き、同大学に進学しても試合に出られない可能性を踏まえ、志望校を帝京大学に変更した。なお、城島健司は福岡ダイエーホークスからの強行指名を受けプロ入りしたため、駒澤大には進学しなかった。また、大学卒業後は高校野球の指導者を目指しており、教職課程も履修していたが自身がプロから注目され始めたことで監督から教職課程を諦め野球部の練習に集中して欲しいと言われ、高校教員を諦めている。大学では当初、打撃を生かして指名打者として出場し、3年秋から捕手のレギュラーとなる。同期の愛敬尚史とバッテリーを組み、3年秋にはチーム22季ぶりの優勝に貢献し、明治神宮野球大会に出場すると初戦敗退ながら本塁打を放つ。2年春に4試合連続本塁打のリーグタイ記録を樹立。リーグ戦通算69試合出場、235打数69安打、打率.294、12本塁打、48打点。ベストナイン3回受賞。

    1998年のドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから2位指名され、入団した。背番号は22。

    1999年、8月に左尺骨茎状突起(左手首)を骨折した。2度の手術後長期のリハビリが必要となり、公式戦の出場はなかった。

    2000年、4月6日の対西武ライオンズ戦にてプロ初先発初出場を果たす。なおこの試合では7回裏に石井貴から左翼へ適時二塁打を放ち初安打初打点も記録した。

    2001年、公式戦出場はわずか9試合に終わったが、フレッシュオールスターゲームに出場し1本塁打3打点を挙げるなどの活躍をし、MVPに選出された。

    2002年、清水将海に代わる正捕手の座を橋本将などと争い、開幕から暫くマスクを任された。4月3日の対福岡ダイエーホークス戦にて山田秋親からプロ初本塁打を放った。しかし、同年放った安打はこの本塁打のみで、公式戦出場は12試合に終わり目立った活躍はできなかった。

    2003年、5月4日の対ダイエー戦の延長11回表、3対3の同点の場面でロッテ監督の山本功児は清水将海の代打に井上純を送る。直後、ダイエー監督の王貞治が左投手の渡辺正和を出したので、山本は里崎を代打に送る。ここで里崎は期待に応え、決勝適時三塁打を放った。実は前日に祖母を亡くし、告別式を欠席してまでの出場だった。里崎はヒーローインタビューで涙を流した。ウイニングボールは祖母の墓前に手向けられた(このエピソードは2004年3月20日に放送された『徳光&所のスポーツえらい人グランプリPart19』(日本テレビ)でドキュメンタリー形式にて取り上げられた)。それ以後、規定打席未到達ながら打率.319、本塁打8本の成績を残すなど活躍し一軍定着を果たした。

    2004年、監督にボビー・バレンタインが就任した同年は正捕手の座を確実視されたが、4月に左膝の半月板を損傷し約80%を切除する手術を行ったため、61試合の出場に終わった。

    2005年、橋本将との併用で活躍した。基本的に相手先発投手が左投げなら里崎、右投げなら橋本だったが、右投げ投手が先発の場合でも出場することがあった。4月27日の対西武戦ではプロ入り初の4番打者に抜擢されるなど、チームの躍進に攻守にわたって大きく貢献した。福岡ソフトバンクホークスとのプレーオフ2ndステージでは、第5戦(ヤフードーム)の八回表に1対2の1点ビハインドの場面から逆転適時二塁打を打ったほか、第1戦では同年沢村賞の杉内俊哉、第4戦でも和田毅から本塁打を放つなど大舞台に強いところを存分に示した。日本シリーズでも阪神タイガースを相手に活躍し、日本一に貢献した。

    2006年は4月26日にWBCでの活躍が評価され、出身地の徳島県から特別功労賞が贈られた。5月2日の対ソフトバンク戦ではNPBタイ記録の5打席連続三振を喫した。6打席目は安打を放ち記録更新は免れた。また、オールスターゲームに初のファン投票(捕手)での選出(2005年にも監督推薦で出場)。高校時代1本も安打を打てなかった同郷の川上憲伸から初安打となるソロ本塁打を放った。この年、橋本将の故障と不調もあり正捕手に座った。球団としては1985年の袴田英利以来、捕手として21年ぶりの規定打席に到達し(球団名がマリーンズに変更されてからは初)、ゴールデングラブ賞とベストナインにも選出された。また、11月には日米野球にも出場した。

    2007年、バレンタイン監督より主将に任命される(ユニフォームにも四芒星の中に「C」入りのキャプテンマークが付いた。位置は左腕のペットマークパッチ直上)。この年も規定打席に到達し、自己最多となる75打点を記録。クライマックスシリーズでも活躍した。また、2年連続でゴールデングラブ賞とベストナインを受賞。北京オリンピックアジア予選日本代表メンバーに選出され、台湾で行われた最終予選の第3戦の対台湾戦に先発フル出場した。

    2008年、前半戦で早くも故障してチームを離脱し、さらに同じ時期に他の捕手も故障したため、チームは大きく低迷した。復帰後もけがの影響で本調子ではなく、打撃で復活を果たした橋本将とは対照的に打率も下げ、規定打席にも届かなかった。

    2009年、8月2日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でトッド・リンデンと一触即発の状態となる。発端は3回表の胸元への投球にリンデンが挑発行為を行い、6回表の次打席でリンデンがバントの構えから引いたバットが、里崎のマスクをかすめ、それをリンデンが謝罪しなかったことにより報復行為とみなされたことである。両選手の争いはベンチより選手・コーチらが飛び出し両チームを巻き込むものへと発展したが、幸い乱闘騒ぎが起こるようなことはなかった。しかし延長11回裏に今度は里崎の頭部付近への投球があり、次打者福浦和也の頭部への死球により有銘兼久が危険球退場になるなど、禍根を残した。打率をさらに下げてしまったものの橋本の不調もあり正捕手に復帰。規定打席に到達したほか、リーグトップの盗塁阻止率.382も記録。

    2010年、自らの故障や守備面での的場直樹の高評価もあり、出場機会が前年より減った。守備では盗塁阻止率が前年の38%から17%へ急落。打撃面では10本塁打を放ち6年連続2桁本塁打を記録したが、ケガによる欠場が多く78試合の出場に終わった。それでもクライマックスシリーズ1stステージに合わせて復帰すると、第1戦では同点適時打、第2戦では同点ソロ本塁打をいずれもビハインドの9回に放ち、抜群の勝負強さを見せつけた。またファイナルステージ進出に際し「史上最大の下克上を見せる!」と発言。レギュラーシーズン3位からの日本シリーズ制覇はメディアにおいて"史上最大の下克上"と用いられるようになった。なお日本シリーズでは左肩にガングリオンができたことを隠しながらプレーしていた。

    2011年、同年から導入された統一球の影響もあり打撃成績が大幅に下降してしまい、109試合に出場したものの打率.222、本塁打はわずか5本に終わり7年ぶりに2桁に届かず、打点も25打点で前年を下回ったが、盗塁阻止率は前年の17%から25%まで改善した。

    2012年、7月4日の対楽天戦で、3回裏に美馬学からプロ通算100号本塁打を放つ。なお、ロッテの生え抜き捕手で100号本塁打は里崎が初。同年は正捕手の座を取り戻し120試合に出場し、盗塁阻止率も前年の25%から30%に上昇した。わずかに7打席不足して規定打席には届かなかったもののチーム2位の9本塁打を記録した。11月に元看護師の一般人女性と結婚していたことが2014年の現役引退時に公表されている。

    2013年、故障の影響で開幕を二軍で迎え、シーズン中盤戦の6月21日に一軍登録される。8月14日の対楽天戦では1号となるサヨナラ本塁打を放った。しかし、開幕から出遅れたことや一軍昇格後も度重なる故障に泣かされ、わずか48試合の出場でシーズンを終えた。

    2014年、開幕戦の3月28日の対ソフトバンク戦で8番・捕手で出場。7月には双子の男児が産まれた。しかし左膝が回復せず、9月11日に現役引退を発表。同月28日の対オリックス戦(QVCマリンフィールド)に引退試合として、プロ入り初の1番・指名打者で出場、本塁打を打てば捕手では史上初となる全打順本塁打達成だったが、2打席で2三振に終わり達成ならず、この後3打席目にデスパイネが代打に送られ、試合から退いた。12月2日、自由契約公示された。

    2015年1月、千葉ロッテマリーンズのスペシャルアドバイザーに就任。同年よりニッポン放送、千葉テレビ、TBSニュースバード→日テレNEWS24・BS日テレ(ロッテ球団制作の中継)、日刊スポーツの野球解説者に就任する。2月より『芹澤信雄のゴルフアカデミー』(WOWOW)に出演中。4月よりレギュラー番組『The BAY☆LINE』の月曜パーソナリティをきゃんひとみ(BAY LINE GO!GO!から続投)と共に担当。

    同年6月、芸能事務所「レプロエンタテインメント」に所属したことを発表。

    2019年2月、パナソニック野球部の臨時コーチに就任。

    同年3月26日、自身のYouTubeチャンネル「Satozaki Channel」を開設し、YouTuberとしても活動していく旨を語った動画を投稿した。もともとは4月1日がビックリマンチョコの日であり、そのプロモーションの一環として開設したもので、4月22日の投稿で一旦終了となったがチャンネルはそのまま残していた。その後、8月7日よりアシスタントにフリーアナウンサーの袴田彩会を迎え入れて再始動している。

    ほぼ毎日、日によって2本動画を投稿する投稿頻度は他の球界OBにはない特徴で、YouTuberとして成功した要因と言える。

    本人によると、「現役引退後にプロ野球の指導者を目指そうと思ったことは一度もない」という。

    2024年3月21日、自身のYouTubeチャンネルで2024年3月末日で千葉ロッテマリーンズのスペシャルアドバイザーを退任することを発表した。退任理由については里崎自身は野球チームの運営指導ではなく裏方の営業としてのアドバイザー参加であったが、コロナによる活動低下と社長交代に伴い継続的な活動が出来ない状況であったと話している。

    代表経歴

    2006年は開幕前の3月に開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。正捕手として出場し、22打数9安打で打率.409、1本塁打、5打点を記録し優勝に貢献。ラッキーボーイとして知名度を上げた。大会ベストナイン(捕手部門)にも選出された。

    2008年は北京オリンピック野球日本代表に選ばれたが、打率.071、1安打に終わった。

    選手としての特徴

    打撃

    確実性には欠けるが、極端なアッパースイングから狙い球をしぼって広角に長打を放つ。その持ち前の長打力を生かし、正捕手に定着した2005年から2010年にかけて6年連続2桁本塁打を記録し、2012年にはロッテの生え抜き捕手として初のプロ入り通算100号本塁打を達成した。

    また満塁の場面に強く、交流戦では2005年より3年連続で満塁本塁打を放っている。それも2006年、2007年はともに雨中の神宮球場での二死からの満塁逆転弾だった。ヒーローインタビューでもこの点について触れられ、「特に雨が降る満塁の神宮は縁起が良いみたいです」とコメントした。2008年は交流戦では満塁弾はなかったものの、レギュラーシーズンでは満塁弾を放った試合があり、4年連続で満塁本塁打を放った。現在、ロッテで4年連続で満塁本塁打を放った選手は里崎のみである。

    引退に際してのインタビューでは、自身のバッティングを「当たるも八卦、当たらぬも八卦のヤマ張りバッティング」と評し、「チームの勝利にかかわる、重要な場面でしっかりと打てるバッター」であることを追求していたと振り返っている。

    本人曰く、現役を通して一番鮮明に記憶に残る苦手投手はライアン・グリン(楽天・日本ハム・横浜)であり、「タイミングが合わない、対処法もない」と感じるほどに通算でも全くと言っていいほど打てた記憶がなく、横浜に移籍してパ・リーグから居なくなると聞いた時に心底喜んだという。

    守備

    パスボールの少なさと内角を執拗しつように突くリードを持ち味とする。遠投120メートルと地肩は強く、送球はシュート回転することが多いものの、谷繁元信の下半身の動きを手本として上達したという。捕球してから送球するまでの動作が非常に素早いため盗塁阻止率が高く、2005年と2009年にはリーグトップの盗塁阻止率を記録した。

    1000試合以上出場した捕手では日本プロ野球最少となる通算捕逸19個(1018試合の守備出場)という記録を持つが、本人はそれについて「特別なこととは思っていません」「自分でサインを出しているんだから捕球するのは当たり前。サインミスなら仕方ないですが、僕からすれば19個でも多いくらい」と述べている。

    柔軟な足首や股関節は、高校時代まで正座してちゃぶ台に向かって食事を行い、トイレは和式を使っていた生育環境で培った面もあると、元豊ノ島との対談で分析している。

2024/06/15 17:39更新

satozaki tomoya


里崎智也と同じ誕生日5月20日生まれ、同じ徳島出身の人

福島 由登(ふくしま ゆうと)
1990年5月20日生まれの有名人 徳島出身

5月20日生まれwiki情報なし(2024/06/06 10:42時点)

植上 健治(うえがみ けんじ)
1955年5月20日生まれの有名人 徳島出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 植上 健治(うえがみ けんじ、1955年5月20日 - 1995年2月16日)は徳島県徳島市出身のプロ野球選手、打撃投手、スコアラー。…


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