芦屋雁之助の情報(あしやがんのすけ) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
芦屋 雁之助さんについて調べます
■名前・氏名 |
芦屋雁之助と関係のある人
芦屋小雁: 1949年、芦乃家雁玉に弟子入りして「芦乃家雁之助・小雁」の名前をもらうが、雁之助の発案で「芦屋雁之助・小雁」になる。 西部里菜: 8歳の時、父の芦屋雁之助が主演のドラマ『裸の大将』の撮影に来たことがきっかけで同作に出演し、子役としてデビュー。 西部里菜: 父は俳優の芦屋雁之助。 林誠人: 裸の大将(芦屋雁之助版)(1994年‐1996年、関西テレビ) 芦屋小雁: 同年9月、東宝と絶縁した花登筺が結成した、劇団「笑いの王国」に大村崑、芦屋雁之助らと共に参加。 太平シロー: 山下清(芦屋雁之助) 山岡久乃: 1998年2月の日生劇場での舞台『おもろい女』(森光子や芦屋雁之助らと共演)が山岡の生涯最後の仕事となり、黄疸を化粧で隠して病状が悪化するなか千秋楽まで演じきった映像が残されている。 田畑猛雄: 裸の大将(芦屋雁之助公演) 芦屋雁平: 兄は俳優の芦屋雁之助、芦屋小雁。 桜田誠一: 芦屋雁之助 松本麻希: 小劇場への出演以外にも芦屋雁之助とお爺ちゃんと孫を演じるなど、上方喜劇作品への舞台出演も多数。 花紀京: 1959年には芦屋雁之助らとともに劇団・笑いの王国の旗揚げに参加。 石川浩司: バンド内では、テレビドラマ『裸の大将放浪記』にて芦屋雁之助演じる画家山下清に類似した、坊主頭と白のランニングシャツ(タンクトップ)・半ズボンの服装がトレードマークであった。 藤田まこと: 客演ゲスト扱いで野川由美子、芦屋雁之助、芦屋小雁の3名が名を連ね、結成に関わっている。 大平シロー: 山下清(芦屋雁之助) 嘉島典俊: 嘉島典俊特別公演(1987年〜2019年)里見浩太朗特別公演、杉良太郎特別公演、萬屋錦之介公演(鬼と人)、芦屋雁之助公演(珍説・忠臣蔵)、 西川佳明: 南海時代のニックネームは「ガンノ」だったが、その由来は芦屋雁之助に似ているから、というものだった 。 花登筺: 当時花登の下で人気を博していた大村崑・芦屋雁之助・芦屋小雁らが追随するが、同じ花登グループだった佐々十郎・茶川一郎らは東宝からの慰留もあり残留、グループが分裂する結果となった。 横矢勲: 80年代、「漢方肩こり薬」のCMにドラマ「裸の大将」と同じ山下清のいで立ちで芦屋雁之助が出演していた。 槙真太郎: ドラマ『裸の大将放浪記』にて山下清を演じた芦屋雁之助に類似した扮装(坊主頭、ランニングシャツに半ズボン)で、ネタに使用する絵も小林が描いている。 原一平: 芦屋雁之助 澤田隆治: 2017年8月3日、筑摩書房より「私説大阪テレビコメディ史 花登筐と芦屋雁之助」を発売。 福家美峰: お父ちゃん(1987年7月21日/RE-767、テイチクレコード) ※デュエット:芦屋雁之助 芦屋小雁: 兄に俳優の芦屋雁之助、弟に芦屋雁平(初代芦屋凡凡)がいる。 田渕岩夫: 芦屋雁之助 山岡久乃: しかし、山岡はドラマと舞台の仕事が事前に決まっていたものに関しては予定通り出演を続け、1998年2月の日生劇場での舞台「おもろい女」(森光子や芦屋雁之助らと共演)が山岡の生涯最後の仕事となった。 森光子: 芦屋雁之助とのコンビで、戦前活躍した漫才コンビであるミスワカナ・玉松一郎を演じる。 澤田隆治: 『私説大阪テレビコメディ史 花登筐と芦屋雁之助』「年表作成:高田準、大西康裕」筑摩書房 2017.8 今宮エビス: 立命館高校卒業後に芦屋雁之助に師事し、「十日戎」の芸名でデビュー。 榊原まさとし: 主演は芦屋雁之助)の主題歌「野に咲く花のように」はよく知られており、2007年9月1日に放送された塚地武雅主演によるリメイク版『裸の大将』の主題歌としても使われた。 |
芦屋雁之助の情報まとめ
芦屋 雁之助(あしや がんのすけ)さんの誕生日は1931年5月29日です。京都出身の俳優のようです。
家族、エピソードなどについてまとめました。卒業、兄弟、テレビ、結婚、解散、ドラマ、家族に関する情報もありますね。72歳で亡くなられているようです。
芦屋雁之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - 2004年4月7日)は、日本の俳優、歌手。本名、西部 清(にしべ きよし)。愛称は、雁ちゃん。京都府京都市出身。京都市立朱雀中学校卒業。 実家の家業は京都で友禅染の染物屋を営んでいたが、芸事、道楽事が好きであった父は戦後、「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。清は父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。その後京都の京都新京極の富貴、大阪の戎橋松竹中心に活躍、「若手漫才の有望株」といわれ将来を嘱望されるが、3、4年間コンビで活動したところで、演劇評論家の武智鉄二の勧めで突然漫才をやめ、1954年、開場した「OSミュージックホール」に入り、座付作者の花登筐のコントを演じるようになる。以来、花登にすすめられ、兄弟で喜劇役者に転身する。 1959年、花登が東宝から独立して結成した『劇団・笑いの王国』に大村崑らと参加。劇団の主軸を支える。同年3月にスタートした毎日放送の公開コメディー番組『番頭はんと丁稚どん』で、薬屋の番頭を演じ、「強面で下の者には厳しい半面、裏に回ると『女性(今で言うところの「大阪のおばちゃん」、ただし当時はこの言い方はなかった)口調』を使い、女性的な仕草を見せるキャラクター」で人気を集める。主なギャグに「いやいやっ、もの凄いこと言わはる」、「いやっ!えらいとこ見つかってしもうた」、「わてが雁之助だんねん」などがある。 1960年3月1日、大村、小雁とともに、当時としては極めて珍しい3組合同による『テレビ結婚式』を挙げている。最初の結婚相手は元・OSミュージックのダンサー・夏丘梨枝だったが、その後離別している。 1963年、劇団内では「人気の崑、実力の雁之助」という図式の下、2枚看板が成立していたが、雁之助は主演舞台を評価されながらも2番手に甘んじている事など自身の処遇に対する不満などから、主宰者の花登、座長の大村から距離を置くようになり、弟の芦屋小雁、芦屋雁平や花登に不満を抱く一部座員もこれに追従し始める。こうした事がやがて劇団内の軋轢となり、雁之助は舞台にスッピンのままで出るなど傍目にも花登への猜疑心を露わにするようになっていく。加えて「元・宝塚娘役」、「主宰者の妻」というプライドから看板女優の座に居座る由美あづさの横暴、孤立化する座長・大村など、座員間の不協和音が次第に表面化していく。1964年、花登は劇団解散を決め、西部兄弟らは花登の下を離れる。 1964年、小雁らとともに劇団「喜劇座」を旗揚げ。座付き作家であった藤本義一から、風貌が画家の山下清に似ている事を指摘され、それをヒントに藤本が舞台劇『裸の大将放浪記』を書き上げ、初演。評判となる。 1969年、劇団解散。その後は活動拠点を東京に移し、喜劇だけでなく、本格的な演技派俳優として、活動の幅を広げる。 1976年、人気時代劇「必殺シリーズ」の『必殺からくり人』で山田五十鈴と共演。1977年には同じく関西喜劇出身で、必殺シリーズレギュラーだった藤田まことが旗揚げした「新演技座」に発起人として名を連ね、一時在籍している。 1979年、森光子と共演した舞台『おもろい女』で芸術祭大賞を受賞、代表作の1つとなり舞台での活動も精力的に行った。その一方で関西での喜劇舞台も継続、兄弟共演やミヤコ蝶々、かしまし娘らと共演している。 1980年『裸の大将放浪記』(関西テレビ・フジテレビ系『花王名人劇場』→『花王ファミリースペシャル』)で、かつて評判だった山下清役をテレビで再び演じることとなり、これ以降の当たり役となった。 1984年2月1日に発売した、演歌歌手としてのシングル『娘よ』が150万枚を超える(オリコンでは約80万枚)大ヒットとなり、同年末の『第35回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。大阪制作・全国ネットのドラマにも多く出演した。この年『佐渡島他吉の生涯』と『裸の大将放浪記』で第10回 菊田一夫演劇賞を受賞。 1994年頃から持病の糖尿病が悪化、静養しながらテレビや舞台出演を継続した。 2004年4月7日午後2時、鬱血性心不全のため京都市上京区の京都第二赤十字病院で死去。72歳没。後に「芦屋雁之助さんを偲ぶ会」が5月29日に東京、6月2日に地元の京都で行われ、東京会場では森繁久彌、森光子を始め200人が足を運んだ。 家族妻は梅田コマ劇場のダンサー出身の大島久里子(西部久里子)で雁之助の20歳近く年下だった。三男に俳優の芦屋雁三郎(旧名:塩の屋きくお)、娘に元女優で音楽ユニット「indigo blue」のボーカル“Rina”として活動している西部里菜。実弟は芦屋小雁(俳優)、芦屋雁平(俳優、吉本新喜劇入団当初は芸名を初代芦屋凡凡と名乗った)。弟子に船場太郎、今宮エビス、芦屋凡凡{2代目}らがいる。 エピソード裸の大将・山下清との出会いは藤本義一が脚本を担当した1964年の舞台公演が始めであり、その後数回、本人とも対面している。 本名が山下と同じ清である。 弟と共に大食漢で知られ多い時で1日5回の食事を摂っていた。それが原因で持病の糖尿病を患ったといわれているが、「山下清の役作りのために体重を落とすわけにもいかなかった」と本人は晩年に語っている。 毎日欠かさず飲むほどのコーヒー好きで、葬儀の際には参列者が焼香の代わりに小さな缶に入ったコーヒー豆をコーヒー樽に移し替える、といった趣向がとられた。 1967年京都南座で裸の大将初演時、山下清が激励し「客席にもボク、舞台にもボク」と喜んでいたという。 2024/06/15 04:21更新
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ashiya gannosuke
芦屋雁之助と同じ誕生日5月29日生まれ、同じ京都出身の人
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