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豊山勝男の情報 (ゆたかやまかつお)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

豊山勝男の情報(ゆたかやまかつお) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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豊山 勝男さんについて調べます

■名前・氏名
豊山 勝男
(読み:ゆたかやま かつお)
■職業
相撲
■豊山勝男の誕生日・生年月日
1937年8月18日 (年齢87歳)
丑年(うし年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
新潟出身

(昭和12年)1937年生まれの人の年齢早見表

豊山勝男と同じ1937年生まれの有名人・芸能人

豊山勝男と同じ8月18日生まれの有名人・芸能人

豊山勝男と同じ出身地新潟県生まれの有名人・芸能人


豊山勝男と関係のある人

琴櫻傑將: 大関在位32場所の長期在位(豊山勝男の大関在位記録にあと2場所と迫っていた。


蔵間龍也: 初土俵から程なく、師匠・双葉山が死去、時津風部屋は元横綱・鏡里喜代治が1場所だけ師匠を務めて、元大関・豊山勝男が師匠となり、以降は引退まで豊山を師匠として土俵を務めた。


栃ノ海晃嘉: 1964年1月場所は13勝2敗の好成績を挙げ、横綱昇進先陣争いと言われた佐田の山、豊山勝男に先行して場所後の横綱昇進を果たした。


時津海正博: 時津海自身は「まだ燃え尽きていない」と現役へのこだわりがあったが、今回の新弟子死亡事件からの出直しを図るため、14代時津風(豊山勝男=入門時の師匠)を始めとする関係者の説得を受け入れ、16代時津風となり、部屋の師匠として名門復活に全力を注ぐこととなった。


蔵間竜也: 初土俵から程なく、師匠・双葉山が死去、時津風部屋は元横綱・鏡里喜代治が1場所だけ師匠を務めて、元大関・豊山勝男が師匠となり、以降は引退まで豊山を師匠として土俵を務めた。


正代直也: この昇進は初土俵から所要17場所史上2位タイのスピード出世で、東京農業大学からの新関脇は豊山勝男以来2人目となる。


双葉山定次: 年寄・時津風としては鏡里喜代治を横綱に育て上げ、大内山平吉・北葉山英俊・豊山勝男を大関に育てるなど、自身も経験してきた猛稽古によって多くの名力士を育成した。


柏戸剛: 優勝旗手は豊山勝男が務め、オープンカーで北葉山英俊が賜杯を持った。


時天空慶晃: その一方で豊山勝男は時天空の葬儀の際に「真面目ないい子だった。


大鵬幸喜: 協会在籍中には理事長や執行部在任経験がなく(1期のみ審判部副部長を務めたが脳梗塞で退任し、地方場所部長の職が長かった)、先に定年退職していた理事長経験者の佐田の山晋松と豊山勝男が健在にも拘わらず館長職に就いたのは異例の抜擢と言われている。


豊山勝男の情報まとめ

もしもしロボ

豊山 勝男(ゆたかやま かつお)さんの誕生日は1937年8月18日です。新潟出身の相撲のようです。

もしもしロボ

引退、現在、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。豊山勝男の現在の年齢は87歳のようです。

豊山勝男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )は、新潟県新発田市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は内田 勝男(うちだ かつお)。最高位は東大関。現役時代の体格は189cm、137kg。得意手は突っ張り、右四つ、吊り、寄り、上手投げ。元日本相撲協会理事長(第8代)。

母子家庭に育ち、苦学しながら文武両道に励んだ。新潟県立新発田商工高等学校定時制在学中は陸上(投擲競技)や野球で活躍。一時はプロ野球の有名球団からの誘いもあったが、OBである先生の勧めにより東京農業大学農学部農芸化学科に進学し、相撲部に入部。相撲の経験は無かったが4年次には学生横綱となり、その実績が認められて1961年3月場所に時津風部屋から、異例の幕下10枚目格付出という破格待遇で初土俵を踏んだ。もともと農大相撲部は長年出羽海部屋で稽古し、農大相撲部長で日本学生相撲連盟会長の南礼蔵教授と出羽海親方の関係もあり、当初は出羽海部屋に入門する予定であったが鏡里(当時は年寄・粂川)から熱心な説得を受けて翻意して最終的に時津風部屋を選んだ。内田本人は憧れだった双葉山の弟子になりたかったのが本心だった。そのため本場所土俵に立つと出羽海勢の総攻撃を浴びた。

同年9月場所に十両に昇進。11月場所で全勝優勝を果たして2場所で十両を通過、1962年1月場所に新入幕を果たし、本名の内田から「豊山」に改名。この場所では12勝を挙げ、これが初土俵から初の幕内2ケタ勝利を果たすまでの最速記録(当時)となった。1963年3月場所には幕内所要7場所で大学卒の力士として初めて大関に昇進し、“インテリ大関”と評された。小結昇進迄は負け越し知らず、大関昇進直前の3場所は12勝、12勝、13勝と連続して好成績(何れも殊勲・敢闘の両賞受賞)を挙げ、早い時期に横綱となり「“鵬豊時代”到来か」とも期待された。大関昇進を果たすことが確定的になった1963年1月場所13日目の大鵬戦は、がっぷり左四つで右上手を取り、じっくり構え、気を見て上手投げで崩してからの寄り切り、という流れであった。新入幕から大関昇進までの7場所のうち4度で雷電賞(1962年1月場所、9月場所、11月場所、1963年1月場所)を受賞していて、これは史上最多タイである。

だが、新大関の場所で初日、前頭5枚目金乃花に敗れると7勝8敗と負け越し、13勝を3度、12勝も1度挙げながら大事な一番になると硬くなって取りこぼすなど優勝に恵まれず、「豊山火山はいつ噴火するのか」等と言われたが、遂に横綱昇進は果たせず未完の大器に終わった。右でも左でもがっぷりになれば大鵬に対しても分がよく、両まわしを引いて動きが止まれば幕内最強といわれるほど迫力があった。3代目豊山は「昔の映像を何度も見ています。初代も本当は力ずくでいきたいタイプだと思います。でも突っ張りがダメなら右四つに組み止めて、それでも勝ってきた。参考にさせてもらっています」と2021年9月場所前に語っていた。だが、大関昇進後は“豊山の後ろ投げ”といわれた四つになると反り身になって相手を振り回すように後ろに投げ捨てる技が「大関らしくない」と批判され改めたり(これについては、同門の鶴ヶ嶺が「気にすることはない。あれはあなたの個性なんだから遠慮なくやったらいい」とアドバイスした)、突っ張り得意の佐田の山を突っ張り合いで逆に突き出す程の威力を持っていた強烈な上突っ張りが影を潜めたりするなど取り口が変化し、「迷いと言えば豊山」と言われるほど思い切りのない相撲が目立つようになった。その取り口から、評論家も「あれは、いったい何を考えているんでしょう」と歯ぎしりしていた。更に腰を痛め、大鵬の全盛期とぶつかったこと等もあり優勝は果たせなかった。1964年7月場所には11日目に優勝争いの単独トップに立ちながら12日目大関栃光、14日目横綱栃ノ海に敗れて前頭9枚目富士錦に優勝をさらわれた。また1968年3月場所では13日目に単独トップに立ったが14日目小結麒麟児(のち大麒麟)を寄り立てながらうっちゃりで敗れ、千秋楽は関脇清國に立合いから押し込まれて完敗、結局前頭8枚目若浪が優勝した。富士錦、若浪とも平幕優勝でかつ横綱・大関との対戦はなかった。

初の大関角番(1958年に現行の年6場所制が実施されてから1969年7月場所までは2回連続で負け越して角番、3場所連続負け越しで大関陥落の規定だった)は、引退する前年の1967年、3月場所に5勝10敗と皆勤負け越し、5月場所で僅か1勝の後途中休場した翌7月場所だった。同場所は10勝5敗と、3場所ぶりに勝ち越して角番を脱した。しかし1968年7月場所に7勝8敗と負け越して臨んだ1968年9月場所、5日目迄4勝1敗とまずまずの滑り出しだったが6日目から10連敗して4勝11敗、大関玉乃島に上手一本で吊り出されたり、前頭4枚目二子岳の変化についていけず土俵中央で足をすべらせたりするなど、かつての大器ぶりからは考えられない負け方が目立った。これにより自身大関の地位で通算9回目、かつ合計2回目となる2場所連続の負け越しを喫してしまう。

その1968年9月場所千秋楽当日の夜、時津風部屋の打ち上げの席で豊山自ら現役引退を発表。記者会見では「未練はあるが自信がない」と語った。なお大関数在位34場所は、当時北葉山の30場所を超える史上1位であり、その後貴ノ花(50場所・現在史上3位)に抜かれるまでの最長記録だった。場所後は年寄・錦島を襲名した。

引退直後に師匠時津風(元横綱双葉山)が死去し、元横綱鏡里の立田川親方が直後に時津風部屋を継承した。しかし、ある時を過ぎる頃、時津風未亡人が「時津風は平素、『豊山に部屋を継がせたい』と言っていた」と証言。遺言状はなかったが、立田川があっさり身を引くという複雑な経緯を経て豊山が年寄・時津風を襲名して、31歳の若さで双葉山相撲道場以来の伝統を誇る名門部屋を継承した(鏡里は再び立田川を襲名し、2年後に他の部屋付き親方と共に立田川部屋を興した)。時津風部屋後援会「双葉山会」の笹山忠夫会長や永田雅一が、部屋の土地を買い取るために、亡き師匠の子飼いの直系弟子で31歳と若い豊山なら資金を出すが、粂川部屋から序二段で移籍した預かり弟子だった45歳の鏡里なら資金を出さない意向だった背景もあった。時津風理事長は親友の玉の海梅吉に「これからの時代は、大学を出て、先を見る能力のある男でないと協会運営はできない。ゆくゆくは豊山を時津風にしたい。」と生前言っていたという。

関脇蔵間、小結豊山、双津竜等、多くの関取を育てた。部屋の師匠としては「礼に始まり礼に終わる」という12代時津風からの教えを継承し、指導方法が各部屋付き年寄などによって異なると力士が混乱してしまうので、コーチ会議を開いて個人個人にどう教えたらよいか、意見統一して指導するようにしていた。

引退からわずか2年後の1970年に時津風一門の代表として32歳5ヶ月の若さで日本相撲協会理事に選出される(日本相撲協会理事としては歴代最年少記録)。地方場所部長(九州場所担当)や生活指導部長などを歴任した後、1982年の役員人事で出羽海と共に協会執行部である在京常勤役員に抜擢され、両国国技館建設に邁進する春日野理事長・二子山理事長代行兼事業部長体制を支える要の位置に就いた。1992年の出羽海理事長体制になると同時に協会ナンバー2の事業部長に就任する。

1998年には60歳5ヶ月で第8代日本相撲協会理事長へ就任する。力士出身としては初の大卒理事長であり、最高位が大関の理事長も初めてだった。

理事長としては2期4年在職し、前代の境川理事長時代に混乱した年寄名跡改革問題等、角界の収拾に当たった。具体的には「大関経験者の時限付年寄襲名の許可と準年寄制度の創設」により年寄襲名の融通を図り、また 「年寄名跡の複数所有・貸借禁止」を打ち出して年寄名跡の高騰売買や不透明さに切り込んだ。また幕下付出の基準設定厳格化(2000年9月)、外国人力士の入門規制強化(2002年1月)といった施策を行った。

時津風理事長時代の2000年9月、横綱審議委員会のメンバーに史上初めての女性委員となる内館牧子(脚本家・小説家)を任命し、内館は2010年1月迄の約10年間横審委員を務めた(ほか時津風理事長は、同時期に女優・吉永小百合にも横綱審議委員への打診をしたが、吉永は「相撲には詳しくないから」との理由で断られたという)。

理事長として最後の場所となった2002年1月場所千秋楽の協会御挨拶では「自分の言葉で御礼を申し上げたい」と挨拶状を持たずに挨拶し、観客を唸らせた。その後相談役に退き、最後は後継に指名した元双津竜の錦島親方と名跡を交換、1日だけ年寄・錦島に戻って停年退職した。部屋の継承を巡り騒動になるケースが大部屋では多いが、豊山には実子がいなかったためすんなりと錦島への禅譲で話が進んだ。2007年の時津風部屋力士暴行死事件で元双津竜が解雇された後の後継選びにも取りまとめ役として動き、後継に決まった時津海の断髪式では止め鋏を入れた。

2020年9月場所で部屋の後輩であり東農大の後輩でもある正代が最後まで優勝争いに絡んだことで、千秋楽の日には12代時津風の墓前で正代の優勝を祈願。正代が優勝を果たして場所後に大関に昇進した際には、伝達式にも立ち会った。

2021年8月18日、84歳の誕生日を迎えた。記録が明確な明治以降の大関以上の力士では最年長である。

無口でインタビューには答えないが、美男で独身ということから、佐々木味津三(みつぞう)の小説『むっつり右門捕物帖』から取られて「むっつり右門」と呼ばれた。

年寄時代終盤より学生相撲選手を有望な新弟子に仕上げるべく母校・東京農業大学相撲部の指導を本格的に行うようになり、現在でも指導に参加することがあるという。年寄時代終盤の弟子で16代時津風を継いだ時津海が母校の後輩であることもあり、親方を退いた現在でも東農大出身の力士の殆どが時津風部屋に在籍している。

豊山は師匠の12代時津風に関しては「師匠は包容力のある温かみのある方だった。晩年は稽古場に降りると、連日2時間ほど実地の指導をしてくれた。亡くなる寸前まで『相撲道を究めることはいまだにできない。だから、お前が4年や5年で分かるはずがない。頑張れや』と、すべての面で完成された師匠が励ましてくれたことを、私は常に胸の中にたたきこんでいる」と、後年回顧しつつ語っている。

佐藤栄作がファンだった。媒酌人は同郷の田中角栄が務めた。

故郷の新発田市には「ドライブイン豊山」という食堂がある。豊山勝男・豊山広光と同食堂の先代社長は親友同士で、故郷に豊山の名前を残したいということでこの店名になった。

体格に恵まれ、また当時の力士としてはかなりの男前で、アイドル力士の先駆けのような存在であり、女性人気も高かった。その一方中学卒が殆どの角界にあって大学相撲出身故の苦労も多かったという。中でも時津風部屋入門に至るまでの前述のような経緯から、佐田の山が「学生さんにゃ負けられませんよ」、さらには「褌担ぎもした事のない内田に負けてたまるか」とライバル心を剥き出しにするといった話を始めとして出羽海部屋勢からは敵意を向けられていたという。ただ、佐田の山が敵意を向けたことは報道などが大げさに取り上げた面もあり、「負けたら髷を切る」などいう文言でファンを盛り上げた面もあったが、引退後に佐田の山自身としてもそれは弁解するつもりは無いと言いつつも、「一種の演出」であったと注釈を付けている。佐田の山は親方になって以降、自身と同じく部屋の師匠となった豊山に対して「現役時代はよくやっていましたよ本当に。学生相撲から入ってきて、ワシなんかよりうんと苦労したと思うんです。人に言われるというより自分自身で、人がああ思っているんじゃないか、こう思っているんじゃないかと…。それに耐えて立派に大成したのですし、本当にえらいと思います」

現役時代に自身の師匠を務めていた時津風こと双葉山が保持している幕内69連勝の記録まであと一歩となる63連勝を達成した白鵬の話題について「記録の価値を対比させるのは、間違っている。優劣を論じること自体が、不敬だと思うな」とコメントを寄せていた。停年後にNHKのラジオの大相撲中継にゲスト出演した時も、白鵬の土俵上での所作を指摘して、(徳俵に足を踏み付ける行為等)自身の現役時代に師匠の双葉山から場所中でも土俵上の所作はこうしなければいけないと指導を受けていたというエピソードを披露した。

理事長時代、休場と不振続きだった横綱・曙太郎が1999年1月場所の最中、周囲に極秘のまま突如引退届を提出した。しかし、時津風は曙に対し「今はじっくりと怪我を治す事だけに専念しなさい。進退を考えるのはそれからだ」と笑顔で励まし慰留した為、曙は引退を撤回した。後年の曙は「理事長まで行く途中(師匠や後援会等)で止められるのではと思ったが、まさか理事長で止められるとは思ってもいなかった」と述べている。

1970年に32歳で相撲協会理事に就任したのは歴代最年少だが、2002年に停年に絡むため理事長を退任するまで32年間相撲協会理事を務めていた。これは、歴代理事最長の在任記録である。一方で1998年に理事長に就任したのは、60歳5ヶ月でこちらは就任時は歴代最高齢での就任だった(その後、武蔵川〈元横綱・三重ノ海剛司〉が60歳7ヶ月、放駒〈元大関・魁傑将晃〉が62歳5ヶ月で理事長に就任したため、現在は歴代3位の高齢就任)。

2015年10月21日から28日まで東京都美術館で開かれた「第66回一線展」に「屋久島」というタイトルの作品を出品。大相撲の優勝額(縦317cm、横228cm)と同じくらいの大きさもある作品で、訪れた人たちは「さすがに元力士だけにスケールが違う」と感心していた。豊山は停年後に母校の成人学校に通学し絵画教室に参加、腕を磨いてきた。

幕内時代の豊山は、優勝次点を合計8回も記録しながら、悲願の幕内優勝は一度も達成出来なかった(更に優勝決定戦進出・優勝同点もゼロだった)。

通算成績:413勝245敗8休 勝率.628

幕内成績:373勝234敗8休 勝率.614

大関成績:301勝201敗8休 勝率.600

通算在位:46場所

幕内在位:41場所

大関在位:34場所(大関在位数当時歴代1位、現在歴代9位)

三賞:7回

    殊勲賞:3回(1962年9月場所、1962年11月場所、1963年1月場所)

    敢闘賞:4回(1962年1月場所、1962年9月場所、1962年11月場所、1963年1月場所)

    雷電賞:4回(1962年1月場所、1962年9月場所、1962年11月場所、1963年1月場所)

    金星:1個(柏戸1個)

    各段優勝

      十両優勝:1回(1961年11月場所:15戦全勝)

      内田 勝男(うちだ かつお)1961年3月場所~11月場所

      豊山 勝男(ゆたかやま - )1962年1月場所~1967年3月場所

      豊山 勝夫(ゆたかやま - )1967年5月場所~1968年9月場所

      錦島 勝男(にしきじま かつお)1968年9月~1969年2月、2002年8月

      時津風 勝男(ときつかぜ - )1969年2月~2002年8月

      『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p86-87

      ^ 現在の最速記録は逸ノ城駿と伯桜鵬哲也の初土俵から5場所目。

      ^ もし引退せずに翌1968年11月場所も出場すれば、通算2回目の大関角番の予定だった。

      ^ これ以前には、戦後の協会復興に尽力した武蔵川理事長(在職1968年~1974年)の最高位が前頭筆頭という例はあるが、それ以外の理事長はすべて横綱経験者であり、大関が最高位での就任は豊山の時津風が初である。その後も2016年現在、放駒が続くのみとなっている(在職2010年~2012年)。ちなみに放駒は学歴面でも大学には進学しており、ここでも時津風と共通している。

      ^ これらの年寄名跡改革のうち、準年寄制度と年寄名跡の貸借禁止はその効果を見ることができず、次代の北の湖理事長時代に廃止されている。

      ^ それまでの幕下最下位付出を改め、幕下15枚目格付出資格を「全日本選手権・学生選手権・実業団選手権・国体成年Aのいずれかに優勝」、幕下10枚目格付出資格を「全日本選手権優勝に加え、学生選手権・実業団選手権・国体成年Aのいずれかに優勝」とした。

      ^ 『従来の総数40人』を『1部屋1人まで』に制限するもの。

      ^ かつて入幕~大関時代の稀勢の里寛は、2016年11月場所まで優勝次点を通算12回も達成したが、幕内での最高優勝・優勝同点は未経験で、元大関・豊山を超える珍しい記録を更新し続けていた。また2016年には、大相撲史上初となる幕内最高優勝ゼロで年間最多勝(1957年制定)を獲得する。しかし、2017年1月場所に悲願の幕内初優勝を達成し、場所後には第72代横綱へ昇進している。

      ^ 大関角番

      ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p23

      ^ 浅坂さんの「ニックネーム力士列伝」〜その5〜 おすもうさん 2021年8月10日 (2023年2月27日閲覧)

      ^ 『プレジデント = President』1983年2月号,角界ニューリーダーが修業した「親方道」とは / 石井代蔵/p138,プレジデント社,1983-02

      ^ 『相撲記者が見た大相撲百年 : 相撲記者碑建立百周年記念誌』東京相撲記者倶楽部会友会,2016年

      ^ 『プレジデント = President』1983年2月号,角界ニューリーダーが修業した「親方道」とは / 石井代蔵/p138,プレジデント社,1983-02

      ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p12-13

      ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p42

      ^ 豊山は豊山を知る 初代の映像で相撲の幅を広げる 2021年9月10日 16時8分スポーツ報知 (2021年9月11日閲覧)

      ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p46

      ^ 『プレジデント = President』1983年2月号,角界ニューリーダーが修業した「親方道」とは / 石井代蔵/p139,プレジデント社,1983-02

      ^ 石井代蔵 著『土俵の修羅』p288「双葉山の審判‐時津風部屋騒動」,新潮社,1985.11

      ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39

      ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p14-15

      ^ 『プレジデント = President』1983年2月号,角界ニューリーダーが修業した「親方道」とは / 石井代蔵/p134,プレジデント社,1983-02

      ^ 内館牧子『「横審の魔女」と呼ばれて』(朝日新聞出版)

      ^ “正代の大関昇進に元豊山の内田勝男さんも喜び「立派に成長した」”. SANSPO.COM. サンケイスポーツ (2020年9月30日). 2021年3月21日閲覧。

      ^ “双葉山の墓前にお礼参り 大相撲”. 時事ドットコムニュース - スポーツ総合. 時事通信社 (2020年9月30日). 2021年3月21日閲覧。

      ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p60-63

      ^ 朝日新聞 2010年11月13日

      ^ 『大相撲ジャーナル』2016年1月号94頁

      新潟県出身の人物一覧

      大関一覧

      シルバーコレクター

      廣瀬正徳 1928 - 1938

      出羽海秀光 1944 - 1957

      時津風定次 1957 - 1968

      武蔵川喜偉 1968 - 1974

      春日野清隆 1974 - 1988

      二子山勝治 1988 - 1992

      境川尚 1992 - 1998

      時津風勝男 1998 - 2002

      北の湖敏満 2002 - 2008

      武蔵川晃偉 2008 - 2010

      村山弘義(代行) 2010

      放駒輝門 2010 - 2012

      北の湖敏満 2012 - 2015

      八角信芳 2015 - 現在

      161代 能代潟錦作

      162代 常陸岩英太郎

      163代 豊國福馬

      164代 玉錦三右エ門

      165代 武藏山武

      166代 清水川元吉

      167代 男女ノ川登三

      168代 双葉山定次

      169代 鏡岩善四郎

      170代 前田山英五郎

      171代 羽黒山政司

      172代 安藝ノ海節男

      173代 五ツ嶋奈良男

      174代 照國万蔵

      175代 名寄岩静男

      176代 佐賀ノ花勝巳

      177代 東冨士謹一

      178代 汐ノ海運右衛門

      179代 増位山大志郎

      180代 千代ノ山雅信

      181代 吉葉山潤之輔

      182代 鏡里喜代治

      183代栃錦清隆

      184代 三根山隆司

      185代 大内山平吉

      186代 松登晟郎

      187代 若乃花勝治

      188代 朝汐太郎

      189代 琴ヶ濱貞雄

      190代 若羽黒朋明

      191代 柏戸剛

      192代 大鵬幸喜

      193代 北葉山英俊

      194代 佐田の山晋松

      195代 栃ノ海晃嘉

      196代 栃光正之

      197代 豊山勝男

      198代 北の富士勝昭

      199代 玉乃島正夫

      200代 琴櫻傑將

      201代 清國勝雄

      202代 前の山太郎

      203代 大麒麟將能

      204代 輪島大士

      205代 貴ノ花利彰

      206代 大受久晃

      207代 北の湖敏満

      208代 魁傑將晃

      209代 三重ノ海剛司

      210代 旭國斗雄

      211代 若三杉壽人

      212代 増位山太志郎

      213代 千代の富士貢

      214代 琴風豪規

      215代 隆の里俊英

      216代 若嶋津六夫

      217代 朝潮太郎

      218代 北天佑勝彦

      219代 大乃国康

      220代 北尾光司

      221代 北勝海信芳

      222代 小錦八十吉

      223代 旭富士正也

      224代 霧島一博

      225代 曙太郎

      226代 貴ノ花光司

      227代 若ノ花勝

      228代 貴ノ浪貞博

      229代 武蔵丸光洋

      230代 千代大海龍二

      231代 出島武春

      232代 武双山正士

      233代 雅山哲士

      234代 魁皇博之

      235代 栃東大裕

      236代 朝青龍明徳

      237代 琴欧洲勝紀

      238代 白鵬翔

      239代 琴光喜啓司

      240代 日馬富士公平

      241代 把瑠都凱斗

      242代 琴奨菊和弘

      243代 稀勢の里寛

      244代 鶴竜力三郎

      245代 豪栄道豪太郎

      246代 照ノ富士春雄

      247代 髙安晃

      248代 栃ノ心剛史

      249代 貴景勝貴信

      250代 朝乃山英樹

      251代 正代直也

      252代 御嶽海久司

      253代 霧島鐵力

      254代 豊昇龍智勝

      255代 琴櫻将傑

      256代 大の里泰輝

      19 田中四郎

      20 糸谷孫一

      21 福井清吉

      22 縄田喜美雄

      23 竹田繁七

      24 稲垣登

      25 平田義太郎

      26 猿丸吉雄

      27 浅見浅一

      28 大畠政次郎

      29 豊平悠三

      30 菅谷定

      31 藤岡俊夫

      32 狩野俊英

      33 皆藤勝美

      34 佐藤三郎

      35 白山辰夫

      36 佐藤三郎

      37 城崎将雄

      38 田内貢三郎

      39 古塚良夫

      40 井口義明

      41 田内貢三郎,井口義明,小田敬治

      42-45 中止

      46 中村富次

      47 影山信雄

      48 有光一

      49 吉村道明

      50 有光一

      51 有光一

      52 高須晃

      53 福田芳郎

      54 照井久見

      55 中尾三郎

      56 石黒馨

      57 田畑外登雄

      58 田畑外登雄

      59 小谷修一

      60 内田勝男(豊山)

      61 新保茂

      62 平野孝行

      63 近藤正勝

      64 堀口圭一

      65 笹谷洋三

      66 三木功

      67 田中英壽

      68 輪島博(大士)

      69 輪島博(大士)

      70 中山国久

      71 舘岡儀秋

      72 谷川和正

      73 野村双一(出羽の花)

      74 尾形静雄(天ノ山)

      75 中熊誠一

      76 長岡末弘(朝潮)

      77 長岡末弘(朝潮)

      78 藤沢和穂(琴藤沢)

      79 小谷一美(花嵐)

      80 服部祐兒(藤ノ川)

      81 山崎幸一

      82 服部祐兒(藤ノ川)

      83 吉橋宏之

      84 久嶋啓太(久島海)

      85 久嶋啓太(久島海)

      86 久嶋啓太(久島海)

      87 本田浩二

      88 山崎直樹(大翔山)

      89 林正人(大輝煌)

      90 池森ルイス剛(隆濤)

      91 坂本直人(肥後ノ海)

      92 伊藤辰博

      93 鶴賀文仁(北勝森)

      94 後藤泰一(栃乃洋)

      95 柳川信行(増健)

      96 齊藤直飛人(追風海)

      97 田宮啓司(琴光喜)

      98 田宮啓司(琴光喜)

      99 西村公憲

      00 垣添徹

      01 成田旭(豪風)

      02 横山英希(高見藤)

      03 上林義之(大岩戸)

      04 吐合明文

      05 下田圭将

      06 森友樹(大翔湖)

      07 榎本翔太

      08 佐久間貴之(常幸龍)

      09 森本太良

      10 明月院秀政(千代大龍)

      11 正代直也

      12 中村大輝(北勝富士)

      13 一ノ瀬康平

      14 大道久司(御嶽海)

      15 黒川宏次朗

      16 バーサンスレン・トゥルボルド(水戸龍)

      17 中島望

      18 菅野陽太(栃武蔵)

      19 中村泰輝(大の里)

      20 プレブスレン・デルゲルバヤル(欧勝馬)

      21 川副圭太

      22 バトジャルガル・チョイジルスレン(阿武剋)

      23 草野直哉

      実業団

      国スポ

      アマチュア

      学生

      高校

      中学生

      ()内は四股名

      新潟県出身の大相撲力士

      東京農業大学出身の大相撲力士

      時津風部屋

      1937年生

      日本相撲協会理事長

      存命人物

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2024/11/19 02:22更新

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