並木路子の情報(なみきみちこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
並木 路子さんについて調べます
■名前・氏名 |
並木路子と関係のある人
岡本敦郎: 1995年には戦後50年及び自身のコロムビア専属50年を記念し、同じく専属50年の並木路子・池真理子と共に新曲を発売し、日比谷公会堂でジョイントコンサートを行った。 人生幸朗: 並木路子「リンゴの唄」 荒井恵子: ラジオ歌謡も多数歌っており、「森の水車」(後に並木路子がシングル発売)などをヒットさせている。 近江俊郎: 『花咲く丘』1949年3月コロムビア 共演:並木路子 小月冴子: 同期に曙ゆり(入団時は曙あをみ)、並木路子、加藤治子(在団時は御舟京子)、月城彰子(後の岩井半四郎夫人)、矢口陽子(在団時は若園照美、後の黒澤明夫人)らがいた。 霧島昇: 御代の春(1943) - 共唱:並木路子、作詞:山口国敏/作曲:万城目正 万城目正: 戦後は映画『そよかぜ』の音楽を担当し、主題歌の「リンゴの唄」は並木路子が歌い大ヒットした。 霧島昇: リンゴの唄(1946) - 共唱:並木路子、作詞:サトウハチロー/作曲:万城目正/編曲:仁木他喜雄 三木鶏郎: ホープさん〈僕はサラリーマン〉(歌:三木鶏郎、並木路子) 霧島昇: そよ風(1946) - 共唱:並木路子、作詞:サトウハチロー/作曲:仁木他喜雄 加藤治子: 同期には、後の男役トップスター・小月冴子や曙ゆり、並木路子、矢口陽子(後の黒澤明夫人)、月城彰子(後の十代目・岩井半四郎夫人)などがいた。 安藤まり子: その後は江戸千家茶道師範などで生計を立てていたが、1982年(昭和57年)に二葉あき子・並木路子・池真理子・胡美芳らに誘われ、コロムビア五人会の1人として歌謡界復帰し、五人会結成コンサート「あなたのために唄います」を開催。 生恵幸子: 並木路子「リンゴの唄」 大下弘: 鈴木惣太郎に色塗りのバットを勧められた大下は、川上の「赤バット」に対抗する意味で並木路子の「リンゴの唄」の「赤いリンゴに(中略)青い空」をヒントに青バットを選ぶ。 佐々木康: 終戦後、戦後第1作の映画『そよかぜ』を撮り、その主題歌『リンゴの唄』(歌:並木路子)は大ヒットし、終戦直後の日本を象徴する歌謡曲となる。 暁テル子: 1939年(昭和14年)準幹部となり、並木路子らと4人のジョリー・シスターズで活躍。 安藤まり子: 2000年(平成12年)に池真理子、翌年に並木路子が死去。 日高真弓: 並木路子 万城目正: 「リンゴの唄」(並木路子、霧島昇歌、サトウハチロー作詞; 1945年):終戦直後に大ヒット サトウハチロー: 並木路子の歌により大流行し、連合国軍占領下の日本を象徴する歌となった。 近江俊郎: 『赤い羽根の歌』1950年10月コロムビア 共演:並木路子 米山正夫: 『森の水車』(昭和26年8月) 作詞:清水みのる、歌:並木路子 池真理子: また、1982年(昭和57年)からは二葉あき子、並木路子、安藤まり子、柴田つる子と「コロムビア五人会」を立ち上げ、老人ホーム慰問からハワイ公演、演劇まで幅広く活動した。 よっぴ: 並木路子 山野さと子: 並木路子のカバー。 池真理子: 1995年には、デビュー50周年記念で、並木路子・岡本敦郎とそれぞれ新曲を発売し、健在振りをアピールした。 |
並木路子の情報まとめ
並木 路子(なみき みちこ)さんの誕生日は1921年9月30日です。東京出身の歌手のようです。
エピソード、主な出演作品(映画)などについてまとめました。映画、結婚、母親、テレビに関する情報もありますね。
並木路子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)並木 路子(なみき みちこ、1921年(大正10年)9月30日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の歌手。本名:南郷 庸子(なんごう つねこ)、旧姓:小林。東京浅草生まれで、5歳まで台湾で暮らした。 松竹歌劇団の娘役スターとして、戦前から戦中戦後と活躍。戦後の混乱期に主演した松竹映画『そよかぜ』の主題歌及び挿入歌として歌った「リンゴの唄」が爆発的なヒットとなり、日本の代表的歌手と評されている。「リンゴの唄」は、歌謡史のみならず日本の歴史に残る歌となった。 芸名は ミス・コロムビアの「並木の雨」と、歌詞に出てくる「並木の路に…」の「路」に子を付けたもの。 1936年(昭和11年) 松竹少女歌劇学校に4期生として入学。同期に曙ゆり、小月冴子、加藤治子、月城彰子(後の岩井半四郎夫人)、若園照美(矢口陽子、後の黒澤明夫人)らがいた。 1937年(昭和12年) 浅草国際劇場落成杮落し公演『第8回東京踊り』オペレッタ『グリーンアルバム』で初舞台。 1945年(昭和20年) 松竹映画『そよかぜ』で映画初主演。主題歌及び挿入歌として映画の中で歌った「リンゴの唄」が爆発的ヒット。12月31日、NHK『紅白音楽試合』に「リンゴの唄」で出場。(『NHK紅白歌合戦』の前身。並木は後の『NHK紅白歌合戦』には生涯出場していない) 1946年(昭和21年)松竹歌劇団(SKD)を退団。 1955年(昭和30年) 東宝の宣伝プロデューサー、南郷隼人と結婚。 1961年(昭和36年)長男を出産。 1999年(平成11年)勲四等瑞宝章を受章。夫の南郷と死別以後は体調を崩しがちになっていく。 2001年(平成13年) 4月7日、自宅で入浴中に心筋梗塞で急死。享年79。 エピソードステージデビューは1937年(昭和12年)7月3日、国際劇場でオペレッタ「グリーンアルバム」。 レコードデビューは1942年(昭和17年)1月、コロムビアレコード「世界隣組」。松竹歌劇団では多くの歌を歌ったが、「世界隣組」もその一つ。コロムビアレコードのスタジオで吹き込み、発売された。 1945年(昭和20年)3月9日、10日の東京大空襲で母親を亡くしている。彼女自身も、左目を痛め、後遺症となった。その他、次兄と父も戦争で、乗艦していた船がアメリカ軍の潜水艦に撃沈され死亡している。その上、立教大学の学生で初恋の人・上田四郎も学徒出陣による特攻隊出撃で亡くしている。よく「親類を戦争で全て亡くした」という記述を観ることがあるが誤りで、当時既に結婚していた姉と長兄(ただし東京大空襲当時は音信不通状態にあった。戦後しばらしてから復員)は無事であった。 「リンゴの唄」は松竹映画「そよかぜ」の主題歌で、主演に抜擢された並木が松竹歌劇団在籍のまま出演し、映画の中でも歌っている。レコードのオリジナル版「リンゴの唄」が霧島昇とのデュエットになっているのは、たまたまスタジオに来ていた霧島が「この曲は絶対当たる」と思い、スタッフに頼みデュエットという形にしたためと、彼女が新人だったためである。その代わり、裏面の「そよかぜ」を霧島の独唱から並木とのデュエットにしたという話がある。戦前戦後を通してヒット曲の多い霧島は、この唄をテレビやステージで歌うことは殆ど無かった。そのため「リンゴの唄」が霧島とのデュエットであったことは、並木によるソロバージョンの方が最も良く流通している理由もあり、後にあまり知られなくなった。なお裏面の「そよかぜ」は霧島のお気に入りで、後年ステレオで複数回再録音をしている。 1995年、阪神・淡路大震災の最大の被災地である神戸市長田区への慰問に訪れた際には、当時の新聞紙面には「焼け跡に再び『リンゴの唄』が流れた」という見出しで紹介された。奇しくも戦後50年の年である。この年には山野さと子(山野智子名義であった)による「リンゴの唄」のカバーシングルが発売されている(後に二人でステージにてデュエットしている)。 その「リンゴの唄」は、歌謡曲の人気投票では意外にふるわず、「青い山脈」などにトップを譲った。理由をある文筆家が評していわく「あまりにも焼け跡のイメージと直結しすぎるのではないか」と。 晩年に至るまで活発に活動し、亡くなった次の日もステージの仕事が入っていた。 「リンゴの唄」は大事な財産と公言していたが、リンゴ自体は好きではなかった。 コロムビアの所属歌手からは小姐(なお大姐は二葉あき子)と呼ばれ、慕われていた。 二葉あき子の大ファンで、レパートリーは全部歌えると生前語っていた。また二葉も「私が死んだら、私の唄を歌い継いでね」というほど公私共に仲も良かった。 主な出演作品(映画)「そよかぜ」 「グランドショウ1946年」 「歌のアルバム第一輯」 「歌のアルバム第二輯」 「仮面の街」 「弥次喜多凸凹道中」 「陽気な街」 「結婚狂時代」 「のど自慢狂時代」 「踊る龍宮城」 「鐘の鳴る丘」(クロの巻) 「弥次喜多猫化け道中」 「バナナ娘」 「エノケンの天一坊」 「おやおや人生」 「海を渡る千万長者」 「権九郎旅日記」 2024/06/11 01:25更新
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namiki michiko
並木路子と同じ誕生日9月30日生まれ、同じ東京出身の人
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