今岡誠の情報(いまおかまこと) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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沖原佳典: この年は1番を打っていた今岡誠の離脱によって、1番・二塁手で先発出場することがあった。 前田忠節: 高校の先輩である今岡誠の卒業後は遊撃手に定着。 落合英二: 1球勝利投手:1999年7月11日、対阪神タイガース15回戦(ナゴヤドーム)、9回表1死に救援登板・完了、今岡誠を遊ゴロ併殺打 ※史上9人目 五十嵐亮太: 6月3日の対阪神タイガース戦で、当時の日本プロ野球最速タイ記録となる158 km/hを今岡誠に対して記録。 吉田義男: 前年オフのドラフトで今岡誠、関本健太郎、濱中治と、後にチームの主軸に成長する野手3人を上位指名した。遊撃手レギュラーであった久慈の放出は今岡誠の出場機会増加を目的としていた。 手塚一志: 今岡誠 ルー=フォード: その後、北京五輪から復帰した新井貴浩の故障、今岡誠の不振で右打者が手薄となっても、一軍昇格候補に挙がることはないまま、ライアン・ボーグルソンと共にクライマックスシリーズを前に帰国し、同年限りで退団した。 桧山進次郎: 同年、選手会長を退任して後任の今岡誠に引き継いだ。 吉田義男: 一方人材補強の面では在任中に今岡誠・関本健太郎・濱中治・坪井智哉・井川慶らを育成すると共にトレードで矢野輝弘を獲得。 藤本敦士: 同年11月からは、阪神時代の先輩で前年に引退した金本知憲・今岡誠などと交代で、MBSラジオのナイターオフ番組『withタイガース カワスポサタデー運動部!』にレギュラー出演した。 前田忠節: 阪神に入団後は遊撃の鳥谷敬が不動であること、二塁にも平野恵一や藤本敦士がいることで出番は少なかったが、PL学園高・東洋大共通の先輩であり、守備をあまり得意としない今岡誠にアドバイスを送っていることが報じられていた。 新井良太: シーズン3度の満塁本塁打を記録したのは阪神ではハル・ブリーデン、田淵幸一、今岡誠に次いで4人目。 檜山進次郎: 同年、選手会長を退任して後任の今岡誠に引き継いだ。 久慈照嘉: 1997年、6年連続規定打席到達し自己最多の3本塁打を記録したものの、同年に監督就任した吉田義男からは久慈の肩の弱さから併殺を取れないことを指摘され、同年に入団し、主に二塁・三塁を守っていた今岡誠を翌年からは遊撃手として育てる方針が固まっていた。 楠淳生: 今岡誠が阪神の主力選手だった時期には、ヒーローインタビューの担当者として今岡のインタビューを任された際に、以下に記す絶妙のやり取りで阪神ファンを沸かせた。 藤本敦士: 前年同様に関本との併用になったが、シーズン後半に今岡誠が離脱したことで関本が三塁手に回り、藤本が二塁手に定着した。 アンディ=シーツ: 今岡誠の離脱により三塁手でのスタメン出場が多く、今岡の復帰後は再び一塁手に戻った。 緒方凌介: その高橋からは、「(卒業後に阪神の主力選手として活躍したOBの)今岡誠・桧山進次郎を超える逸材」と評価されていた。 坪井智哉: 阪神時代には今岡誠とも親交が深かった(PL学園時代の後輩だが、プロでは今岡が先輩)。 鳥谷敬: 不調だった今岡誠が9月に復帰した後は再び6番に戻り、打率.281、13本塁打、自己最多の80打点を記録。 坪井智哉: 坪井の1学年上には入来祐作、1学年下には今岡誠、2学年下には松井稼頭央が在籍。 吉田義男: 4月15日の対ヤクルト戦から正捕手を山田勝彦から矢野輝弘に切り替え、新人の坪井智哉を外野手レギュラーに抜擢し、今岡誠を遊撃手レギュラーで使い続けた。 関口伊織: 大学の2年先輩に桧山進次郎と徳田吉成、1年先輩に和田孝志、2年後輩に清水隆行と川中基嗣、3年後輩に今岡誠がいた。 片岡篤史: 2005年は鳥谷が遊撃手に戻ったが、三塁手に今岡誠、一塁手にはアンディ・シーツが起用されたことでこの年もレギュラーで起用されなかった。 大山悠輔: 一方で、球団の生え抜き右打者では今岡誠以来となる2年連続20本塁打を記録し、球団33年ぶりとなる対巨人戦(甲子園)での逆転サヨナラ本塁打を放つなど、チームに貢献する活躍も残した。 赤星憲広: 2006年から今岡誠に代わって阪神の選手会長を務めることになった。 板山祐太郎: 阪神の新人選手が一軍公式戦においてクリーンナップで先発出場したのは、1997年の今岡誠以来19年ぶりである。 真弓明信: 就任1年目の2009年に、盤石のリリーフ陣「JFK」の一角として活躍した久保田智之の先発転向、新井貴浩の一塁からのコンバート、今岡誠のファーストコンバート、新外国人ケビン・メンチの右翼手固定を行ったが、成績は上向かず、自身の誕生日でもある7月12日に自力優勝の可能性がなくなった。 坂克彦: 2007年は今岡誠や関本健太郎らの不調もあり、6月から7月にかけて二塁手や三塁手でスタメン起用され、7月1日の対横浜ベイスターズ戦で寺原隼人からプロ初安打、初打点となる本塁打を放った。 上坂太一郎: 翌2002年、田淵幸一チーフ打撃コーチは当初2番二塁手として上坂のレギュラーを予定していたが、星野監督の「今岡を使ってみな」という指示に従い今岡誠を起用したところ固め打ちをし、そのまま二塁に定着。 |
今岡誠の情報まとめ
今岡 誠(いまおか まこと)さんの誕生日は1974年9月11日です。兵庫出身の野球選手のようです。
卒業、引退、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。今岡誠の現在の年齢は50歳のようです。
今岡誠のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 今岡 真訪(いまおか まこと、本名及び旧登録名:今岡 誠(読み同じ)、1974年9月11日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ、野球解説者。 愛称は「マコ」、「イマハン」。妻は、ネイリストやタレントとして活動する今岡梨惠。 阪神タイガースの現役選手時代から、野球解説者として活動した時期をはさんで、阪神に二軍野手総合コーチとして復帰した2016年までは、本名を登録名に用いていた。コーチ在任中の2017年から、登録名を「今岡 真訪」(名前の読み方は本名と同じ)に変更した。アトランタオリンピック野球の銀メダリスト。 宝塚市立美座小学校、宝塚市立宝塚中学校卒業。少年時代は宝塚シニアに所属し、阪急沿線に住んでいた影響で、阪急ブレーブスのファンであった。PL学園高校3年時に第64回選抜高等学校野球大会に出場し、8強入りする。この時点で阪神タイガースからプロ入りの打診があったが、これを断って大学進学を選んだ。PL学園では2学年先輩に入来祐作、1学年先輩に坪井智哉、1学年後輩に松井稼頭央、2学年後輩にサブローがいた。 東都大学野球連盟所属の東洋大学に進学後は遊撃手として大学通算89試合出場、335打数100安打、打率.299、12本塁打、73打点を記録。ベストナインに2回選出された。東洋大学では3学年先輩に関口伊織、1学年先輩に清水隆行と川中基嗣と塩崎真、2学年後輩に福原忍、3学年後輩に前田忠節がいた(※塩崎は中退)。1996年アトランタオリンピックでは日本生命の福留孝介も含めて3人の遊撃手が選出されたが、主に「7番・遊撃手」井口忠仁、「8番・二塁手」今岡、「9番・三塁手」福留で起用され、打率.435を記録した。大学入学は当初、青山学院大学に入学する予定で野球部のセレクションも受けたが落選したため、東洋大学に急遽変更した経緯がある。 1996年のプロ野球ドラフト会議前に吉田義男監督復帰が決定の阪神タイガースを逆指名することを表明。ドラフトでは阪神が1位指名で交渉権を獲得し契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1200万円(金額は推定)で入団合意した。担当スカウトは今成泰章。 1997年、吉田監督の下、前半は主に三塁手で、後半は二塁手として一軍に出場し、1年目から百試合弱に出場した。出場機会の無い試合も常に一軍ベンチから試合を観察できたため、それが2年目に生きたという。 1998年、前年オフのトレードで放出された久慈照嘉に代わって「2番・遊撃手」のレギュラーとしてほぼ全試合に出場し、打率.293、本塁打7本、44打点を記録した。同年8月23日の対ヤクルトスワローズ戦(大阪ドーム)では1-1の同点の延長11回無死無走者の打席で山部太から自身初のサヨナラ本塁打を放った。オフには日米野球にも出場。 1999年、野村克也監督が就任し、前半は引き続き遊撃手レギュラー、終盤は二塁手のレギュラーで起用されるが、打撃成績は打率.252、本塁打6本、打点39と前年を下回る成績で終わった。オフには日韓プロ野球スーパーゲームにも出場。 2000年、遊撃手のポジションは田中秀太に奪われ開幕は二塁手スタートとなり、更に打撃不振に陥りレギュラーを剥奪される苦しいシーズンとなった。一軍出場わずか40試合の出場で打率.212に終わった。 2001年、開幕2戦目・3戦目で本塁打を放ったが、それ以降の成績は平凡で、シーズン中盤からは守備の負担を軽くするために三塁手として起用されたものの打率.268、本塁打4本、打点40にとどまった。3年間プレーした野村克也監督とは反りが合わなかったと今岡本人が後年振り返っている。野村克也の側も度々今岡批判を繰り返している。 2002年、星野仙一監督が就任し、春季キャンプからの活躍が認められ、二塁手のレギュラーを奪取。故障した赤星憲広に代わって1番打者に固定され、自己最高を更新する打率.317(セ・リーグ5位)、15本塁打を記録する。同年4月10日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)では両者無得点で迎えた9回一死無走者の打席で玉木重雄からサヨナラ本塁打を放った。オフには日米野球にも出場。 2003年も1番打者として起用され、打率.340(キャリアハイ)で首位打者のタイトルを獲得。二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞するなど、1985年以来のリーグ優勝に貢献、自身初のポストシーズン2003年の日本シリーズ全試合先発出場。同年は得点圏打率リーグ最高の.428を残したほか、年間初回先頭打者本塁打を7本放ち(うち5本は初球)、2試合連続で先頭打者初球本塁打も記録した。 2004年は新監督に就任した岡田彰布の意向で3番打者に抜擢され、打率.306、28本塁打、83打点の好成績を挙げる。同年から阪神選手会長に就任した。オフには日米野球にも出場。 2005年は守備の負担を軽減するため三塁手にコンバートされた。打撃では勝負強さを買われて5番打者を務めることになった。シーズンでは藤村富美男の球団記録を更新して日本プロ野球歴代3位となる147打点(キャリアハイ、NPB歴代3位)を残し、打点王のタイトルを獲得する活躍を見せ、リーグ優勝に貢献した。同年は得点圏打率.371(打数170)、満塁打率.600(25打数15安打の49打点)、満塁本塁打4本(歴代2位タイ、セ・リーグでは西沢道夫以来55年ぶり)を記録。シーズン29本塁打(キャリアハイ)のうち、実に15本塁打が得点圏で放ったものであった。また、同年の3番アンディ・シーツ、4番金本知憲、5番今岡らによるクリーンナップ3人の合計357打点は球団史上最高記録である。一方で三塁守備では不安定さが目立ち、三塁手としてリーグ3位の14失策を記録。2005年の日本シリーズ全試合先発出場。シーズン終了後に選手会長を退き、後任として赤星憲広を推薦した。 2006年の春季キャンプでは打率3割を切った前年の反省から、「当てること(安打を打つこと)を目標にすれば、自然に打点も付いてくる。大事なのは当てること」と打撃フォームの改造に着手。しかし、打率は2割前後に低迷する。開幕から5番を任され続けたものの調子は上向かず、6月17日の対オリックス・バファローズ戦でウェス・オーバーミューラーから死球を受けて右手首を挫傷したこともあり、バネ指の手術に踏み切った。9月17日の対中日ドラゴンズ戦に代打で復帰したが、手術の影響で送球ができなかったこともあり、復帰後はスタメンでの出場はなかった。85試合で打率も2割3分を下回る成績に終わった。 2007年も開幕から5番打者を務め前半戦は打率3割前後をキープするも、2005年とは逆に走者がいない場面では4割を超える出塁率を記録したが得点圏で打てず、前半戦は17打点にとどまった。7月25日に一軍登録を抹消され、9月27日に再昇格。「5番・三塁手」の定位置に戻り、6試合で7打点を挙げた。最終的に85試合に出場して打率こそ前年ほど悪くはなかったが、復活を印象付けたとは言い難かった。同年のオリンピック・アジア予選の第一次候補選手(5月8日発表)に名を連ね、星野仙一日本代表監督に右のキーマンとして期待されていたが、10月12日に発表された最終候補選手では選考から漏れた。 2008年のキャンプでは、本塁打増産を目指して前年オフから始めた加圧トレーニングなどによる筋力強化に取り組んだ。このシーズンより同じく三塁手の新井貴浩がFAで加入したが、岡田監督は早いうちから新井を一塁手、今岡を三塁手で起用する方針を明言。「5番・三塁手」で開幕を迎えた。しかし、打率1割台前半と低迷して守備も失策やミスが目立ったことから、5月25日に一軍登録を抹消された。9月11日に一軍に再昇格して「3番・三塁手」に復帰するとそのヤクルト戦でサヨナラ押出四球で勝利を呼んだ。9月だけで5本塁打を放ったが、シーズン序盤の低打率を巻き返すことはできず、関本賢太郎やアーロム・バルディリスにスタメンを譲ることもあった。結局55試合の出場に留まり、打率1割台でシーズンを終了した。クライマックスシリーズ (CS) では代打で1打席しか出番を得られず、成績も低迷した。 2009年は背水の陣で挑む覚悟と前年にコメントし、真弓明信監督も今岡の復活に期待をこめて新井を三塁手にコンバートし、一塁手で今岡を使えるように配慮した。しかし、打率1割前半と低迷し、出場の機会を失った。9月1日には同年限りで引退すると報道された。前年から更に出場機会を減らし23試合しか出場できず、同年10月に戦力外通告を受けて退団。 阪神退団直後の2009年11月11日に12球団合同トライアウトへ参加したことがきっかけで、翌2010年の2月1日から、ロッテの春季キャンプにテスト生として参加。2月3日に球団から合格が発表された。背番号は前年まで監督を務めたボビー・バレンタインが付けていた「2」で、年俸は推定1500万円。シーズンでは代打や指名打者で起用されるも不振に陥り、二軍に降格。二軍暮らしが長く26試合の出場に終わり、打率.227とシーズン通じての活躍はできず、プロ入り後初めて守備での出場がなかった。しかし、CS第2ステージ初戦では先制の口火を切る二塁打を、4戦目では移籍後初本塁打を放ち、5戦目では5年ぶりに犠打を決めるなど西村徳文監督の期待に応え大一番での強さを見せた。チームCS優勝、レギュラーシーズン3位から下克上での2010年の日本シリーズ制覇や日韓クラブチャンピオンシップ勝利に貢献した。 2011年は阪神時代以来2年ぶりに守備で出場することもあったが、打撃不振で13試合の出場にとどまった。 2012年からは選手兼任で二軍打撃守備コーチに就任。しかし一軍出場は無く、9月18日に現役引退を発表。10月5日に引退記者会見を行い、「レギュラーとしては短命だったが、山あり谷ありの濃い野球人生だった」とコメントした。 2013年から2015年までは、日刊スポーツの野球評論家・毎日放送の野球解説者として、地元・関西や中部を中心に活動。2012年12月1日には、自身初の著書「感じるままに生きてきて」が、ベースボール・マガジン社から発売された。毎日放送では、2014年までテレビ・ラジオとも野球解説者としての専属契約を結んでいたが、2015年には専属契約の対象をラジオ中継に限っていた。 阪神球団は2015年10月26日に、今岡に対して、翌2016年シーズンからの二軍野手総合コーチ就任を正式に要請。今岡がこの要請を受諾したため、球団は翌27日に、今岡のコーチ就任を発表した。背番号は2003年のリーグ優勝時の監督であった星野仙一が使用していた77。阪神時代のチームメイトだった金本の一軍監督就任(同月17日)を受けての現場復帰で、「二軍打撃兼野手総合コーチ」として、打撃部門を中心に二軍を総合的に指導していた。 2017年からは、登録名を本名(今岡誠)から今岡 真訪に変更した。ウエスタン・リーグ全日程終了後の10月8日付でコーチを退任した。 2017年10月31日に、2018年からロッテに二軍監督として復帰することが発表された。この年からロッテの監督に就任した井口資仁(今岡とは同学年で、かつてロッテで3年間チームメイトだった他、東都大学リーグやアトランタオリンピック(先述)で共にプレーした経験を持つ)の意向による就任だった。背番号は阪神の二軍コーチ時代に続いて77。 2021年には、一軍のヘッドコーチへ異動。チームのクライマックスシリーズ進出に貢献したが、オリックス・バファローズとのファイナルステージに敗れたことを受けて、球団に退団を申し入れ、球団も申し入れを受理したため、11月15日付で退団した。 2022年に、日刊スポーツの野球評論家へ7年ぶりに復帰。関西地方を拠点に、「今岡 真訪」名義で野球解説者としての活動も再開した。解説者としてはフリーランスの立場で、毎日放送・MBSラジオ・サンテレビジョン・スカイ・エーなどの阪神戦中継・関連番組にも登場。サンテレビのYouTube公式チャンネルでは、「今岡・湯浅の真の虎になれ!」(同局のスポーツアナウンサー・湯浅明彦との対談番組)の動画ライブ配信を、5月から8月まで定期的に実施していた。 阪神球団では、2023年シーズンから岡田が一軍監督を15年ぶりに務めることを受けて、今岡に打撃コーチへの就任を要請。本人もこの要請を正式に受諾したため、2022年10月28日に、一軍の打撃コーチとして阪神へ6年ぶりに復帰することが決まり、2023年1月17日に正式に発表された。背番号は再び77。 バットコントロールが巧みで三振が少ない悪球打ちで、初球から積極的に打つ傾向にあり、苦手なコースも少なく左右に打ち分けることもできるマルチな打者。今岡の2003年シーズンの打撃を見たランディ・バースは「左肘に遊びを持たせたフォームが対応力を増し、ボールの芯にミートする率を高めている」と分析した。147打点を記録した2005年には得点圏打率.370を記録し、特に三塁に走者を置いた際には.643という数字を残した勝負強さも持ち味。 一方、走塁面では足が遅く併殺打も多い。また、気持ちを前面に出すタイプではないため、野村監督に「覇気がない」と誤解されたこともあった。 阪神入団当初は遊撃手で、和田豊の現役晩年からは二塁手、2005年からは膝蓋靱帯炎に配慮して三塁手にコンバートされた。かつてはチーム屈指の強肩を誇り、守備の動きも悪くはなかったものの、持病のバネ指もあり送球が浮く場面を見せるなど、スローイングに難があって守備範囲も広くはなかった。2009年は真弓監督の意向で新井が三塁手に再コンバートされたため一塁手としてシーズンに臨んだが、不振のため一軍で守る機会はほとんどなかった。 各年度の太字はリーグ最高 各年度の太字はリーグ最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞 首位打者:1回(2003年) 打点王:1回(2005年) ベストナイン:3回(二塁手部門:2002年、2003年、三塁手部門:2005年) ゴールデングラブ賞:1回(二塁手部門:2003年) 月間MVP:3回(2002年4月、2003年7月、2005年9月) 最優秀JCB・MEP賞:1回(2005年) JA全農Go・Go賞:1回(好走塁賞:1999年4月) オールスターゲーム優秀選手賞:1回(2005年第2戦) 報知プロスポーツ大賞:1回(2003年) ヤナセ・阪神タイガースMVP賞:1回(2002年) サンスポMVP特別賞(2002年) 初出場:1997年4月8日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、9回裏に和田豊に代わり二塁手として出場 初安打:1997年4月9日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、8回表に米正秀から左翼線二塁打 初先発出場:1997年4月17日、対中日ドラゴンズ3回戦(阪神甲子園球場)、「7番・二塁手」として先発出場 初打点:1997年5月31日、対読売ジャイアンツ10回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に宮本和知から左前適時打 初本塁打:1997年8月3日、対読売ジャイアンツ19回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に斎藤雅樹からソロ 1000安打:2005年5月25日、対オリックス・バファローズ2回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に川越英隆から左越2ラン。※史上231人目。 1000試合出場:2005年8月2日、対横浜ベイスターズ13回戦(横浜スタジアム)、「5番・三塁手」として先発出場 ※史上406人目 100本塁打:2005年9月11日、対広島東洋カープ19回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に広池浩司から中越2ラン ※史上242人目 シーズン147打点:2005年 ※歴代3位、阪神タイガース球団記録 シーズン初回先頭打者初球本塁打:5本(2003年)※歴代1位 オールスターゲーム出場:5回(1998年、2002年、2003年、2004年、2005年) オールスターゲームファン投票年間得票数:1,588,712票(2003年)※史上最多 7(1997年 - 2009年) 2(2010年 - 2012年) 77(2016年 - 2021年、2023年 - )
今岡 誠(1997年 - 2012年、2016年) 今岡 真訪(2017年 - 2021年、2023年 - ) 放送局を特記していない番組は、いずれも毎日放送(MBSテレビ・MBSラジオ)の制作。同局とは、2014年までテレビ・ラジオ両方で解説者としての専属契約を結んでいた。2015年にラジオ限定の専属契約へ移行したため、テレビでは他局制作のプロ野球中継にもゲスト解説者として出演している。 2015年まで本名の「今岡誠」名義で活動した後に、阪神・ロッテのコーチを経て、2022年に「今岡真訪」名義で活動を再開していた。もっとも、再開後はMBSラジオの中継に出演せず、2023年から阪神のコーチに復帰。 せやねん!(2013年1月 - 2015年3月)「せやねん!スポーツ」以降の第1部 ちちんぷいぷい 水曜日(2013年1月 - 2013年5月)→月曜日(2013年6月 - 2014年3月)→水曜日(2014年4月 - 9月) ※2014年10月以降は、阪神・野球関連の企画を中心に不定期で出演。 侍プロ野球(2013 - 2015年および2022年に毎日放送が制作する阪神戦の中継を随時解説。2015年はTBSテレビ制作、BS-TBS、TBSチャンネルで放送のDeNA主催ゲームやパ・リーグのゲームの解説も阪神が関与しないカードを含めて担当) サンテレビボックス席(2015年・2022年シーズンにゲスト解説者として出演) 朝生ワイド す・またん!(読売テレビ、2022年4月より不定期でゲスト解説者として出演) with…夜はラジオと決めてます水曜日(2012年度のナイターオフ番組、2013年1月から3月まで隔週でスポーツニュース・企画コーナーに出演) MBSベースボールパーク(『MBSタイガースライブ』時代の2013年シーズンから2015年まで解説を担当) withタイガース カワスポサタデー運動部!(2013年度のナイターオフ番組、「記者」の肩書で週替わり出演) いずれも阪神タイガースの現役選手時代に出演 上新電機(赤星憲広・矢野燿大・藤川球児と共演、2003年 - 2008年) ハウス食品「六甲のおいしい水」(2004年 - 2006年、2005年までは単独、2006年のみ矢野と共に出演) 「感じるままに生きてきて」(ベースボール・マガジン社、2012年12月1日初版刊行)ISBN 978-4583104911 ^ 2002年シーズンは俊足の二塁手上坂太一郎とスタメンを争ったが、星野監督は走力よりも打撃重視で今岡を1番打者に固定した。 ^ 「77 今岡 真訪 選手名鑑2020|千葉ロッテマリーンズ」『千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト』。2021年8月24日閲覧。 ^ 「77 今岡 真訪 選手名鑑2021|千葉ロッテマリーンズ」『千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト』。2021年8月24日閲覧。 ^ 「今岡 真訪|2016年|監督・コーチプロフィール」『阪神タイガース』。2016年11月19日閲覧。 ^ 江川・KKから根尾・吉田まで…「ドラフト1位指名」53年史 ^ 『朝日新聞』1996年11月6日付朝刊(23面) ^ 『朝日新聞』1996年11月23日付朝刊(27面) ^ 「中西清起氏「初めて1位で指名が自分」今岡真訪氏「しょっちゅう浦和に激励」今成スカウト悼む」『日刊スポーツ』2022年3月3日。2024年10月17日閲覧。 ^ スペシャルインタビュー今岡誠 ^ 「村山さん、僕らがきっと… 山村が好投 今岡決めた」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1998年(平成10年)8月24日付朝刊、16面(スポーツ面)。 ^ “天才”今岡誠を生かした監督、生かせなかった監督 ^ 今岡 引退会見「山あり谷ありの濃い野球人生だった」 ^ 今岡誠 感性の1番打者 ^ 首位は譲らん!──今岡誠のスタイル── ^ 野村克也「阪神コキ下ろし猛毒本」の全容 ^ 「野村克也“ヤジ将軍”宣言「ボンボン監督の致命的欠陥は口にあり」」『Smart FLASH』2016年7月21日。2024年10月17日閲覧。 ^ 「今岡はゼブラ、優勝可能性ゼロ/ノムさん流の毒ガス」『日刊スポーツ』2019年6月24日。2024年10月17日閲覧。 ^ 「年度別成績 2002年 セントラル・リーグ」『NPB.jp 日本野球機構』。2024年10月17日閲覧。 ^ 今岡2軍コーチ、シンプルな教えで島野魂若虎に継承 ^ 「今岡サヨナラ弾 「ドラマ作る男だ」星野監督」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)4月11日付朝刊、21面(スポーツ面)。 ^ 年度別成績 2003年 セントラル・リーグ ^ 『日本プロ野球偉人伝 vol.14 2000→2005編』ベースボール・マガジン社、2014年、34–35頁。ISBN 978-4-583-62118-0。 ^ 阪神2度の優勝に貢献した今岡はなぜ突然、失速してしまったのか ^ 年度別成績 2005年 セントラル・リーグ ^ 「阪神今岡今季限りで引退、打撃低迷で決意」『日刊スポーツ』2009年9月1日。2011年12月3日閲覧。 ^ 「ロッテ、今岡と契約 1年契約、年俸1500万円」『朝日新聞』2011年2月5日。2011年2月5日閲覧。 ^ 「阪神の元スター今岡誠は「名脇役」2010年の日本一の支えに」『日刊ゲンダイDIGITAL』2021年6月12日。2024年10月17日閲覧。 ^ 「2012年度のコーチングスタッフのお知らせ」『千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト』2011年11月27日。2011年12月3日閲覧。 ^ 「今岡選手 引退のお知らせ」『千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト』2012年9月18日。2012年9月18日閲覧。 ^ ロッテ・今岡が現役引退=阪神時代、2度優勝に貢献-プロ野球 時事通信、2012年9月18日閲覧 ^ 「ロッテ今岡が引退会見 「山あり谷ありだった」」『日本経済新聞社』2012年10月5日。2018年2月11日閲覧。 ^ 「今岡氏「金本さん男に」阪神二軍野手総合コーチ受諾」『日刊スポーツ』2015年10月27日。2015年10月27日閲覧。 ^ 「2016年度 監督及びコーチについて」『阪神タイガース公式サイト』2015年10月27日。2015年10月28日閲覧。 ^ 「2018年度のコーチ契約について」『阪神タイガース公式サイト』2017年10月8日。2017年10月30日閲覧。 ^ 「今岡真訪氏 二軍監督就任のお知らせ」『千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト』2017年10月31日。2017年10月31日閲覧。 ^ 「井口資仁が監督を引き受ける際「どうしても欲しい」と直訴した人物」『BEST TIMES』2018年1月12日。2018年1月12日閲覧。 ^ 「今岡真訪氏 二軍監督就任のお知らせ」『千葉ロッテマリーンズ』2017年10月31日。2018年2月11日閲覧。 ^ 「2021年コーチングスタッフ決定のお知らせ」『千葉ロッテマリーンズ』2020年12月14日。2020年12月14日閲覧。 ^ 「今岡一軍ヘッドコーチの退団について」『千葉ロッテマリーンズ』2021年11月15日。2021年11月18日閲覧。 ^ 「【阪神】今岡真訪新コーチ「岡田監督を男にする!」と熱く決意表明「今の心境はその1点に集約」」『日刊スポーツ』2022年10月28日。2022年10月29日閲覧。 ^ 「阪神・今岡真訪氏の打撃コーチ就任発表「選手個々の能力を引き出す」」『スポーツニッポン』2023年1月17日。2023年1月17日閲覧。 ^ 小関順二、泉直樹、荒井太郎『プロ野球スカウティングレポート2006』アスペクトムック、2006年、220–221頁。ISBN 978-4-7572-1246-6。 ^ 「ランディ・バースが語る星野阪神の謎」『スポーツ・ヤア!』2003年7月25日&8月7日号、角川書店、2003年、雑誌25401-8/7、28-32頁 ^ 「2台目ベンツゲット!虎・福留「来年優勝」してEクラス頂く(5)ヤナセ・阪神タイガースMVP賞歴代受賞者」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2015年12月12日。2018年3月1日閲覧。 ^ 「【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2016年11月23日。2017年9月8日閲覧。 ^ 「1000安打 | 各種記録達成者一」『NPB 公式サイト』。2024年2月21日閲覧。 小池百合子 - 自身の後援会長 オリンピックの野球競技・メダリスト一覧 兵庫県出身の人物一覧 東洋大学の人物一覧 阪神タイガースの選手一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 個人年度別成績 今岡誠 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE 今岡誠 - 株式会社ジャパン・スポーツ・マーケティング(所属事務所) 注目企業.COM インタビュアーズ アイ 表 話 編 歴 22 藤川球児 74 藤本敦士(総合) 88 安藤優也(投手チーフ) 73 金村曉(投手) 86 和田豊(1・2軍打撃巡回) 83 小谷野栄一(打撃チーフ) 71 上本博紀(打撃) 70 田中秀太(内野守備走塁) 96 筒井壮(外野守備兼走塁チーフ) 87 野村克則(バッテリー) 93 片山大樹(ブルペン兼ブルペン捕手) 78 平田勝男(監督) 90 久保田智之(投手チーフ) 72 江草仁貴(投手) 89 渡辺亮(投手) 91 北川博敏(打撃チーフ) 77 梵英心(打撃) 81 馬場敏史(守備走塁チーフ) 75 山崎憲晴(内野守備走塁) 76 工藤隆人(外野守備走塁) 84 日高剛(バッテリー) 79 俊介(野手) 00 ゲラ 13 岩崎優 14 岩貞祐太 15 西純矢 16 西勇輝 17 青柳晃洋 19 下村海翔 20 森木大智 21 秋山拓巳 26 椎葉剛 27 伊藤将司 28 鈴木勇斗 29 髙橋遥人 30 門別啓人 34 漆原大晟 35 才木浩人 36 浜地真澄 37 及川雅貴 41 村上頌樹 46 島本浩也 47 桐敷拓馬 48 茨木秀俊 49 大竹耕太郎 50 富田蓮 54 加治屋蓮 63 石黒佑弥 64 岡留英貴 65 湯浅京己 66 津田淳哉 69 石井大智 92 川原陸 93 岩田将貴 98 佐藤蓮 99 ビーズリー 2 梅野隆太郎 12 坂本誠志郎 39 榮枝裕貴 57 長坂拳弥 59 藤田健斗 68 中川勇斗 95 片山雄哉 0 木浪聖也 3 大山悠輔 4 熊谷敬宥 8 佐藤輝明 25 渡邉諒 33 糸原健斗 38 小幡竜平 44 戸井零士 45 遠藤成 51 中野拓夢 52 山田脩也 56 百﨑蒼生 62 植田海 67 髙寺望夢 94 原口文仁 1 森下翔太 5 近本光司 32 井上広大 40 井坪陽生 43 髙濱祐仁 53 島田海吏 58 前川右京 60 小野寺暖 61 豊田寛 97 野口恭佑 122 小川一平 123 松原快 125 伊藤稜 131 ベタンセス 132 マルティネス 126 福島圭音 表 話 編 歴 1950 藤村富美男 1951 川上哲治 1952 西沢道夫 1953 川上哲治 1954 与那嶺要 1955 川上哲治 1956 与那嶺要 1957 与那嶺要 1958 田宮謙次郎 1959 長嶋茂雄 1960 長嶋茂雄 1961 長嶋茂雄 1962 森永勝治 1963 長嶋茂雄 1964 江藤慎一 1965 江藤慎一 1966 長嶋茂雄 1967 中暁生 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 若松勉 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 谷沢健一 1977 若松勉 1978 水谷実雄 1979 F.ミヤーン 1980 谷沢健一 1981 藤田平 1982 長崎啓二 1983 真弓明信 1984 篠塚利夫 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 篠塚利夫, 正田耕三 1988 正田耕三 1989 W.クロマティ 1990 J.パチョレック 1991 古田敦也 1992 J.ハウエル 1993 T.オマリー 1994 A.パウエル 1995 A.パウエル 1996 A.パウエル 1997 鈴木尚典 1998 鈴木尚典 1999 R.ローズ 2000 金城龍彦 2001 松井秀喜 2002 福留孝介 2003 今岡誠 2004 嶋重宣 2005 青木宣親 2006 福留孝介 2007 青木宣親 2008 内川聖一 2009 A.ラミレス 2010 青木宣親 2011 長野久義 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.マートン 2015 川端慎吾 2016 坂本勇人 2017 宮﨑敏郎 2018 D.ビシエド 2019 鈴木誠也 2020 佐野恵太 2021 鈴木誠也 2022 村上宗隆 2023 宮﨑敏郎 2024 T.オースティン 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 青田昇 1952 西沢道夫 1953 藤村富美男 1954 杉山悟, 渡辺博之 1955 川上哲治 1956 宮本敏雄 1957 宮本敏雄 1958 長嶋茂雄 1959 森徹 1960 藤本勝巳 1961 桑田武 1962 王貞治 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 王貞治 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 王貞治 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 王貞治 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 王貞治 1979 山本浩二 1980 山本浩二 1981 山本浩二 1982 掛布雅之 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 C.ポンセ 1988 C.ポンセ 1989 落合博満 1990 落合博満 1991 広沢克己 1992 L.シーツ 1993 広沢克己, R.ローズ 1994 大豊泰昭 1995 江藤智 1996 L.ロペス 1997 L.ロペス 1998 松井秀喜 1999 R.ローズ 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 A.ラミレス 2004 金本知憲 2005 今岡誠 2006 T.ウッズ 2007 A.ラミレス 2008 A.ラミレス 2009 T.ブランコ 2010 A.ラミレス 2011 新井貴浩 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.ゴメス 2015 畠山和洋 2016 筒香嘉智 2017 J.ロペス 2018 W.バレンティン 2019 N.ソト 2020 岡本和真 2021 岡本和真 2022 村上宗隆 2023 牧秀悟 2024 村上宗隆 表 話 編 歴 1950 千葉茂 1951 千葉茂 1952 千葉茂 1953 千葉茂 1954 箱田弘志 1955 井上登 1956 井上登 1957 井上登 1958 井上登 1959 土屋正孝 1960 井上登 1961 土屋正孝 1962 小坂佳隆 1963 高木守道 1964 高木守道 1965 高木守道 1966 高木守道 1967 高木守道 1968 土井正三 1969 土井正三 1970 安藤統夫 1971 国貞泰汎 1972 J.シピン 1973 J.シピン 1974 高木守道 1975 大下剛史 1976 D.ジョンソン 1977 高木守道 1978 D.ヒルトン 1979 F.ミヤーン 1980 基満男 1981 篠塚利夫 1982 篠塚利夫 1983 真弓明信 1984 篠塚利夫 1985 岡田彰布 1986 篠塚利夫 1987 篠塚利夫 1988 正田耕三 1989 正田耕三 1990 高木豊 1991 高木豊 1992 和田豊 1993 R.ローズ 1994 和田豊 1995 R.ローズ 1996 立浪和義 1997 R.ローズ 1998 R.ローズ 1999 R.ローズ 2000 R.ローズ 2001 E.ディアス 2002 今岡誠 2003 今岡誠 2004 荒木雅博, G.ラロッカ 2005 荒木雅博 2006 荒木雅博 2007 田中浩康 2008 東出輝裕 2009 東出輝裕 2010 平野恵一 2011 平野恵一 2012 田中浩康 2013 西岡剛 2014 山田哲人 2015 山田哲人 2016 山田哲人 2017 菊池涼介 2018 山田哲人 2019 山田哲人 2020 菊池涼介 2021 山田哲人 2022 牧秀悟 2023 牧秀悟 表 話 編 歴 1950 藤村富美男 1951 藤村富美男 1952 藤村富美男 1953 与儀眞助 1954 宇野光雄 1955 児玉利一 1956 児玉利一 1957 三宅秀史 1958 長嶋茂雄 1959 長嶋茂雄 1960 長嶋茂雄 1961 長嶋茂雄 1962 長嶋茂雄 1963 長嶋茂雄 1964 長嶋茂雄 1965 長嶋茂雄 1966 長嶋茂雄 1967 長嶋茂雄 1968 長嶋茂雄 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 長嶋茂雄 1972 長嶋茂雄 1973 長嶋茂雄 1974 長嶋茂雄 1975 衣笠祥雄 1976 掛布雅之 1977 掛布雅之 1978 掛布雅之 1979 掛布雅之 1980 衣笠祥雄 1981 掛布雅之 1982 掛布雅之 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 掛布雅之 1986 レオン 1987 原辰徳 1988 原辰徳 1989 落合博満 1990 バンスロー 1991 山崎隆造 1992 J.ハウエル 1993 江藤智 1994 江藤智 1995 江藤智 1996 江藤智 1997 L.ゴメス 1998 江藤智 1999 L.ゴメス 2000 江藤智 2001 江藤智 2002 岩村明憲 2003 鈴木健 2004 立浪和義 2005 今岡誠 2006 岩村明憲 2007 小笠原道大 2008 村田修一 2009 小笠原道大 2010 森野将彦 2011 宮本慎也 2012 村田修一 2013 村田修一 2014 H.ルナ 2015 川端慎吾 2016 村田修一 2017 宮﨑敏郎 2018 宮﨑敏郎 2019 高橋周平 2020 岡本和真 2021 村上宗隆 2022 村上宗隆 2023 宮﨑敏郎 表 話 編 歴 投 上原浩治 捕 阿部慎之助 一 R.ペタジーニ 二 今岡誠 三 岩村明憲 遊 井端弘和 外 松井秀喜 / 清水隆行 / 福留孝介 表 話 編 歴 投 井川慶 捕 矢野輝弘 一 G.アリアス 二 今岡誠 三 鈴木健 遊 二岡智宏 外 福留孝介 / 赤星憲広 / A.ラミレス 表 話 編 歴 投 黒田博樹 捕 矢野輝弘 一 新井貴浩 二 荒木雅博 三 今岡誠 遊 井端弘和 外 青木宣親 / 赤星憲広 / 金本知憲 表 話 編 歴 1972 J.シピン 1973 J.シピン 1974 高木守道 1975 大下剛史 1976 D.ジョンソン 1977 高木守道 1978 土井正三 1979 高木守道 1980 基満男 1981 篠塚利夫 1982 篠塚利夫 1983 高木豊 1984 篠塚利夫 1985 岡田彰布 1986 篠塚利夫 1987 正田耕三 1988 正田耕三 1989 正田耕三 1990 正田耕三 1991 正田耕三 1992 和田豊 1993 和田豊 1994 和田豊 1995 立浪和義 1996 立浪和義 1997 立浪和義 1998 R.ローズ 1999 仁志敏久 2000 仁志敏久 2001 仁志敏久 2002 仁志敏久 2003 今岡誠 2004 荒木雅博 2005 荒木雅博 2006 荒木雅博 2007 荒木雅博 2008 荒木雅博 2009 荒木雅博 2010 平野恵一 2011 平野恵一 2012 田中浩康 2013 菊池涼介 2014 菊池涼介 2015 菊池涼介 2016 菊池涼介 2017 菊池涼介 2018 菊池涼介 2019 菊池涼介 2020 菊池涼介 2021 菊池涼介 2022 菊池涼介 2023 中野拓夢 2024 吉川尚輝 表 話 編 歴 投 上原浩治 捕 矢野輝弘 一 G.アリアス 二 今岡誠 三 立浪和義 遊 宮本慎也 外 福留孝介 / 高橋由伸 / 赤星憲広 表 話 編 歴 76 王貞治 77 王貞治 78 若松勉 79 掛布雅之 80 山本浩二 81 江川卓 82 中尾孝義 83 原辰徳 84 衣笠祥雄 85 R.バース 86 北別府学 87 桑田真澄 88 郭源治 89 斎藤雅樹 90 斎藤雅樹 91 佐々岡真司 92 古田敦也 93 広沢克己 94 桑田真澄 95 斎藤雅樹 96 松井秀喜 97 古田敦也 98 佐々木主浩 99 上原浩治 00 松井秀喜 01 古田敦也 02 松井秀喜 03 今岡誠 04 嶋重宣 05 金本知憲 06 福留孝介 07 阿部慎之助 08 小笠原道大 09 坂本勇人 10 前田健太 11 浅尾拓也 12 阿部慎之助 13 阿部慎之助 14 菅野智之 15 山田哲人 16 新井貴浩 17 菅野智之 18 大瀬良大地 19 丸佳浩 20-21 中止 表 話 編 歴 30 太田誠 40 本川貢 50 後藤寿彦 55 岸雅司 11 河原純一 16 宮本智司 17 大塔正明 18 山内泰幸 19 金森隆浩 20 中川隆治 8 濵岡武明 9 北川博敏 10 髙木大成 1 西岡隆一 2 高木浩之 3 大橋晋也 4 今岡誠 5 筒井壮 6 本間満 7 沖原佳典 12 稲葉篤紀 14 中村豊 15 箱崎豊 24 早川浩史 25 森中聖雄 21 高根澤力 22 荒井修光 23 江崎亘 26 村上恭一 31 桂良実 27 土屋竜 29 小池慎一 28 岩瀬仁紀 32 船坂信吾 33 細見和史 34 小川孝之 36 三井大史 35 益田大介 37 谷佳知 42 徳村光晴 43 金藤本樹 39 蒲原圭一郎 38 岩永大輔 41 柴原洋 表 話 編 歴 山中正竹 伊藤義博 小泉陽三 門倉健 今井圭吾 倉野信次 小林雅英 三澤興一 森中聖雄 矢野英司 荒井修光 髙木大成 小野公誠 浦口雅広 武藤孝司 井口忠仁 今岡誠 鈴木章仁 副島孔太 中村壽博 江崎亘 大野倫 奥村幸司 清水隆行 中村豊 菅原勇輝 荒野洋司 表 話 編 歴 川島勝司 垣野多鶴 大田垣耕造 井尻陽久 森昌彦 杉浦正則 木村重太郎 須合哲哉 舩木聖士 小野仁 倉野信次 大久保秀昭 黒須隆 髙木大成 西郷泰之 松中信彦 松本尚樹 仁志敏久 今岡誠 井口忠仁 中村大伸 高林孝行 佐藤友昭 谷佳知 表 話 編 歴 30 川島勝司 31 垣野多鶴(打撃) 32 大田垣耕造(投手) 33 井尻陽久(守備・走塁) 11 三澤興一 12 森中聖雄 14 木村重太郎 15 川村丈夫 16 小野仁 18 森昌彦 19 杉浦正則 9 大久保秀昭 21 黒須隆 1 福留孝介 2 野島正弘 3 松中信彦 4 今岡誠 6 桑元孝雄 7 井口忠仁 8 西郷泰之 10 中村大伸 24 高林孝行 25 佐藤友昭 27 谷佳知 表 話 編 歴 1位:今岡誠(逆指名) 2位:関本健太郎 3位:濱中治 4位:星山忠弘 ISNI VIAF 日本 本名のリダイレクト 日本の野球選手 阪神タイガース及びその前身球団の選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 首位打者 (NPB) 打点王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 野球日本代表選手 日米大学野球選手権大会日本代表選手 ユニバーシアード野球日本代表選手 日本のユニバーシアード銅メダリスト オリンピック野球日本代表選手 日本のオリンピック銀メダリスト 野球のオリンピックメダリスト 野球選手の画像提供依頼 日本の野球監督 野球解説者 PL学園高等学校出身の野球選手 東洋大学硬式野球部の選手 兵庫県出身のスポーツ選手 1974年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 外部リンクがリンク切れになっている記事/2022年6月 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
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