伊藤みどりの情報(いとうみどり) フィギュアスケート 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
伊藤 みどりさんについて調べます
■名前・氏名 |
伊藤みどりと関係のある人
宮原知子: 総合で坂本花織、紀平梨花に続く3位となり、伊藤みどり以来の全日本選手権5連覇とはならなかった。 小岩井久美子: スケートを始めた時は小塚光彦(小塚崇彦の祖父)が設立したオリオンFSCに所属し、のちに伊藤みどりらを育てた山田満知子に師事し、女子フィギュアスケート選手として活躍。 多田護: 1987年 - 1994年のフィギュアスケート世界選手権(1989年パリ大会で伊藤みどり初優勝、1994年幕張大会で佐藤有香優勝の実況を担当) 浅田真央: 尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどり、エフゲニー・プルシェンコ。 八木沼純子: 1枠目は伊藤みどりが確実視され、2枠目は小沢樹里、加藤雅子、結城幸枝の大学生トリオが有力視されていたなか、初出場の八木沼が2位となり14歳で五輪代表に選出された(第2次世界大戦後の冬季オリンピック女子代表選手としては最年少)。 安藤美姫: 伊藤みどり、佐藤有香、荒川静香に次いで日本人歴代4人目の世界女王となった。 樋口新葉: さらに力強いジャンプも特徴的で、同じく豪快なジャンプが持ち味であった伊藤みどりも「私と樋口さんはパワフルさで一緒」と高く評価している。 浅田真央: 全日本選手権ではショートプログラムで5位と出遅れるも、フリーで苦手の3回転ルッツをクリーンに成功させ3位となり、伊藤みどりに並ぶ11個目のメダルを獲得した。 トーニャ=ハーディング: 当時女子選手でトリプルアクセルの成功者は、伊藤みどりに次ぎ史上2人目の快挙だった。 浅田真央: 浅田は伊藤みどり・荒川静香に次ぐ日本女子史上3人目のオリンピックメダリストとなった。 佐藤有香: アルベールビルオリンピックに続き、冬季五輪で2大会連続入賞を果たした(他女子シングル日本代表では伊藤みどり(5位・銀メダル)に次ぐ二人目の快挙である)。 山本宏美: また冬季五輪で当時の日本代表女子選手としては、1992年アルベールビルオリンピックで各メダルを獲得した橋本聖子(スピードスケート女子1500m)の銅と、伊藤みどり(女子フィギュアスケート)の銀に続いて山本が史上3人目のメダリストとなった。 城田憲子: 日本への大会誘致にも取り組んでおり、伊藤みどりのサラエボオリンピック出場の可能性を上げるために1984年世界ジュニアフィギュアスケート選手権を札幌に招致したことや、年齢制限のためトリノオリンピックに出場できない浅田真央に世界フィギュアスケート選手権で初出場初優勝の可能性を持たせるため2007年世界フィギュアスケート選手権を東京に誘致したことは有名な話である。 加藤雅子: しかし、日本スケート連盟は加藤の将来性を買い、2位の吉田万里子や5位の薬師蓉子の代わりに加藤を優勝者小林れい子と共に世界選手権へ送るという前代未聞の動きを見せた(3位の伊藤みどりは当時10歳でシニアの世界選手権の出場権なし)。 西岡明彦: また、西岡本人も同園の卒業生で、幼稚園時代の同級生に伊藤みどりがいる。 竹井みどり: 私の青春売ります(1988年8月2日)‐ 伊藤みどり 八巻大: 2004年にアルベールビル五輪女子フィギュアスケート銀メダリストの伊藤みどりと結婚したが、2006年に離婚した。 山田満知子: 伊藤みどり、浅田真央ら国際大会で活躍した多くの選手たちを輩出した世界的な名コーチとして知られる。 中野友加里: シーズン初戦の中部ブロック大会で3回転アクセルに成功すると、続くスケートアメリカではISU公認記録としては伊藤みどり、トーニャ・ハーディングに次いで3人目となる3回転アクセルに成功。 加藤治子: さぼてんとマシュマロ(1971年 ‐ 1972年) - 伊藤みどり 木村元: 花王ファミリースペシャル 伊藤みどり物語 前編・後編(1993年、KTV) 加藤雅子: 1985年3月の東京で開催された世界選手権には伊藤みどりと共に出場。 キンタロー。: 伊藤みどり 堤義明: そして、伊藤みどり、八木沼純子、荒川静香、黒岩彰らを輩出した。 渡部絵美: この連覇記録は女子では伊藤みどりと並び現在も破られていない。 トッド=エルドリッジ: (1位:クーリック、2位:ストイコ)あまりにも完成度の高いエルドリッジの演技にテレビ解説の五十嵐文男も思わず「惜しかったですね」と本音を漏らし、ゲストの伊藤みどりは「わたしはエルドリッジが一番だと思ったんですけどね」と言った。 木下ほうか: 花王ファミリースペシャル「伊藤みどり物語」(1993年、関西テレビ) ラッシャー板前: また伊藤みどりのものまねをして日本スケート連盟のひんしゅくを買い、それ以前までロケで使っていたスケートリンクが使えなくなったこともある。 栗本薫: 『プリンスアイスワールド 伊藤みどり・フライングエンジェル!』(1993年) デビ=トーマス: トーマスはフリースケーティングで最終滑走者となったが、極度の緊張からかジャンプに次々とミスが重なり、フリーのみの順位では4位まで落ちてしまう(フリーの順位は1位マンリー、2位ヴィット、3位が伊藤みどりだった)。 |
伊藤みどりの情報まとめ
伊藤 みどり(いとう みどり)さんの誕生日は1969年8月13日です。愛知出身のフィギュアスケート選手のようです。
卒業、離婚、母親、家族、引退、結婚、再婚、テレビ、ドラマ、事故に関する情報もありますね。今年の情報もありました。伊藤みどりの現在の年齢は55歳のようです。
伊藤みどりのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)伊藤 みどり(いとう みどり、1969年8月13日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。愛知県名古屋市出身。東海女子高等学校(現、東海学園高等学校)、東海学園女子短期大学卒業。兄は元インラインスケート選手の伊藤裕幸。 1992年アルベールビルオリンピック女子シングル銀メダリスト。1989年世界選手権優勝。1988年カルガリーオリンピック5位入賞。1985年から1992年まで全日本選手権8連覇。女子選手として世界初のトリプルアクセルや3回転-3回転連続ジャンプに成功した。 1989年に「最も高得点を取ったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載。2004年には、日本人として初めて世界フィギュアスケート殿堂入り。2007年、国際スケート連盟 (ISU) は「伊藤はたった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」との声明を発表した。 三人兄妹の真ん中で、兄と妹がいる。伊藤が小学1年生の時に両親は離婚し、子供たちは母親に引き取られる。 スケートを始めた頃は、全日本選手権を8連覇した渡部絵美に憧れていた。12歳当時の将来の目標は、オリンピックや世界選手権でメダルを取ること、夢はアイスショーに出演することであった。プロフィギュアスケーターの西田美和とは、ジュニア大会のデビューが同期で、文通相手でもあった。東海女子高等学校では、遠征の時を除けば、ほぼ無遅刻無欠席で通学した。東海学園女子短期大学に進学し、家政学科人間関係コースで出羽秀明のゼミに参加して、「塩の道」をテーマに卒業論文を書いた。卒業後はプリンスホテルに就職する。1991年12月には母校である東海学園女子短大 (現・東海学園大学) に「伊藤みどりメモリアルホール」が作られている。 10歳の頃から早朝、深夜の練習のためコーチの山田満知子の家に寝泊りするようになり、中学2年生の時には山田コーチ宅に住むようになる。山田の家族には伊藤と同い年の一人娘がいたが、家庭では伊藤の方が威張っていたほどであった。 小学生の時は偏食でガリガリに痩せており、肉と野菜は一切食べず、魚もサンマとイワシ以外はほとんど食べなかった。成長期・思春期に入ると、偏食は治り、肉が好物になったものの、今度は体重管理に苦労した。中学時代には右足首を2度骨折している。最初の骨折は、体重が1年で9kgも増加してジャンプの着地で足首に大きな負担がかかったのが原因だった。骨折以外のケガや故障も含めて、1992年に引退するまでの治療回数は500回にも上った。ジャンプの練習を重ねたため、かかとが角張って変形するようになった。 性格は新しいもの好きで負けず嫌い。そのため反復練習が嫌いであった。 中学時代には、伊藤の才能に着目した西武鉄道グループのオーナーである堤義明の経済的援助を受けるようになる。高校時代にはアメリカへのスケート留学の誘いがあったが、山田のもとに残ることを選んだ。プロに転向してからも、人気のあるフランスや北米のアイスショーへの出演の話もあったが、日本のプリンスアイスワールドでのプロ活動を選ぶ。 2004年に元劇団四季所属のミュージカル俳優の八巻大と結婚したが、2006年に離婚する。その後2009年9月に一般人男性と再婚して北九州市でスケートの教育指導をしている。 スケートを始めたのは、3歳のころ。家族レジャーの一環として近所のスケートリンク(名古屋スポーツセンター)に行くようになったのがきっかけだった。5歳のとき、このリンクで山田満知子が教えている子供たちのスピンやジャンプを真似して遊んでいたところを、山田に見出される。山田によれば、伊藤は自分の教え子よりうまく、ジャンプは飛び抜けていたという。幼稚園のうちから小学生のスケート教室に年齢をごまかして参加した。初級~上級の3クラスを合わせて10日間で卒業し、本格的にフィギュアスケートを習い始める。 1980年3月、小学校4年生で全日本ジュニア選手権に優勝。同年11月のNHK杯に特別出場し、日本全国に演技が放送されたことにより伊藤の存在が知られるようになった。1980年12月の世界ジュニア選手権に史上最年少の日本代表に選出され、フリー1位、総合8位となった。次いで12月の全日本選手権で3位入賞し、これは稲田悦子以来45年ぶりの小学5年生(11歳)での入賞で、このことから「天才少女スケーター」と呼ばれるようになった。 1982年11月、練習中に右足首を骨折し、全治1か月。12月の1983年世界ジュニア選手権などシーズンの残り試合をすべて欠場した。翌シーズン札幌で行われる1984年世界ジュニア選手権の出場を目標に努力した。 1983年11月にヨーロッパに遠征し、シニアでの国際デビューを果たす。プラハ国際選手権では5種類の3回転ジャンプを成功させ、国際大会で初優勝した。オランダでのエニア・チャレンジ・カップではヨーロッパ選手権者のカタリナ・ヴィットに次ぐ2位となる。 1984年サラエボオリンピックの出場の際、前年7月1日時点で13歳の伊藤には、年齢制限のため原則として出場資格がなかった。ただし、「オリンピック開催年に世界ジュニア選手権で3位以内に入れば資格を与える」という特例措置があった。1984年世界ジュニア選手権(札幌)での3位以内を目標にするが、規定(コンパルソリーフィギュア)13位とほぼ絶望的となる。しかし、ショートプログラム1位、フリースケーティング1位と追い上げ総合3位となった。この結果、伊藤は出場資格を得ることができた。 しかし、代表最終選考会を兼ねた1984年1月の全日本選手権において、規定で10位と出遅れ、ショートプログラムでは右足首に痛みを感じるなど不調で、2回転アクセルで転倒して5位。フリースケーティングで1位と追い上げたが加藤雅子に次ぐ総合2位に終わった。日本の女子シングルのオリンピックと世界選手権への出場枠は各1名であったため、日本スケート連盟は加藤をオリンピックへ、伊藤を世界選手権へ派遣した。伊藤は、1984年オタワの世界選手権に初めて出場し、7位に入賞した。 1985年、中学校3年生で全日本選手権初優勝。以後、1992年まで優勝を重ね、渡部絵美と並ぶ史上最高8連覇を達成する(後に1996年大会も制し、通算9回優勝)。この年の東京での世界選手権では、規定競技前日に右足首を骨折し棄権した。 1987年の世界選手権は、規定の出遅れから総合8位に終わるが、翌年のカルガリーオリンピックの出場枠2を確保する。1988年1月、全日本選手権で優勝して、念願だったカルガリーオリンピックへの初出場を果たす。大会には「女らしさ」「優雅さ」を意識した演技で競技に臨んだ。規定で10位につけ、ショートプログラムは4位で暫定8位となり、入賞の目処が立った。フリーでは5種類の3回転ジャンプを7度決め、思い通りの演技にガッツポーズを演技終了直前に見せた。演技終了前から2万人の観客のスタンディング・オベーションを受ける。技術点では5.8-5.9点と出場選手中最高点をマークし再びスタンディングオベーション。芸術点は5.5-5.7点(芸術点だけで5位)と低く抑えられたため、観客からはブーイングが起きた。この演技によってフリー演技だけで3位、総合成績で5位入賞を果たした。なお5位入賞は、1964年インスブルック大会の福原美和と並ぶ冬季五輪のフィギュアスケート日本代表選手最高位の記録(当時)で、6位以内の入賞は 1980年レークプラシッド大会の渡部絵美以来8年ぶりだった。大会最終日のエキシビションでは当時としては珍しく、総合5位ながら演技者の1人に選ばれた。 1988年7月、国際スケート連盟のルール変更によって規定の課題数が3課題から2課題になった。規定が苦手な伊藤にとって若干有利な状況となる。1988年11月、愛知県フリー選手権で、競技会では女子選手として世界初の3回転アクセルに成功。1989年1月の全日本選手権では、規定で初めてトップに立ち5連覇を達成する。1989年世界選手権は、カルガリー五輪のメダリスト3人が引退したため、4-6位のジル・トレナリー、伊藤、クラウディア・ライストナーの争いになった。規定で自身最高の6位につけ、オリジナルプログラムは1位(暫定3位)。フリープログラムでは、女子選手としては初の3回転アクセルを着氷が乱れたが決め、他5種類の3回転ジャンプも成功させた。この演技でフリー1位となり、日本人初・アジア人初の世界チャンピオンとなった。。このフリー演技は、9人中5人の審判が技術点で6.0満点を出したこともあわせてフィギュアスケート史に残るプログラムとなった。 1989年NHK杯では、自身2度目の芸術点6.0を獲得(NHK杯では初)。1990年世界選手権は規定で5位以内が目標であったが、10位と出遅れて総合2位となる。オリジナルプログラム、フリープログラム共に1位と追い上げたが連覇はならなかった。このときスタンドでは伊藤の6.0満点を期待して、「6」のボードを持つ観客もいた。 1990年7月から規定が廃止され、伊藤にとってはさらに有利にはたらくと思われた。しかし、11月に左足首を痛め、1991年世界選手権大会1か月前に右あご下の唾液を分泌する部分にできた結石を除去する手術のため入院するなどして、大会に臨んだ。オリジナルプログラムでの直前の6分間練習中に、レティシア・ユベールと接触して相手のエッジが左足の靴に突き刺さり、左脇腹を強打し負傷した。演技中には、コーナー付近で連続ジャンプを着氷した際、リンク外のカメラ席に飛び出してしまう。フリーでも前半の3回転ジャンプを失敗、後半は立ち直ったが、総合順位は4位に終わる。この結果、翌シーズンのオリンピック出場枠を3から2に減らしてしまった。 1991年11月のラリック杯は、アルベールビルオリンピックの有力選手が集まる大会となった。伊藤はこの大会でフリーでは3回転ルッツー3回転トーループ、3回転アクセルー2回転トーループの2つのコンビネーションを含む6種類6回の3回転ジャンプを成功させ、前年の世界チャンピオンのクリスティ・ヤマグチに逆転して優勝し、アルベールビルオリンピックの優勝候補の筆頭となる。 しかし、アルベールビルのオリジナルプログラムでは、精神的な緊張から2日前の練習の段階で、3回転アクセルのコンビネーションジャンプが14回中すべて失敗、3回転アクセルだけが5回成功と成功率が落ちていた。そのため予定していた3回転アクセルをより確実性の高い3回転ルッツに変更したが、そのルッツで転倒して4位と出遅れた。このため、自力での金メダル獲得は不可能になった。フリー演技でも一度は3回転アクセルで転倒するが、演技後半の残り1分で再び3回転アクセルに挑んで成功。なお、フリーでは元々3回転アクセルを2度跳ぶ予定だった。オリンピックでは惜しくも日本人初のフィギュアスケート選手としての金メダル獲得はならなかったが、日本女子としては同アルベールビル五輪スピードスケート1500mで冬季五輪史上初のメダル(銅)を獲得した橋本聖子に続き、日本女子二人目のメダルとなる銀メダルを獲得した。 3回転アクセルを決めたことについて稲田悦子は「最後に決めたトリプルアクセルには、自分のスケート人生をかけたんだという気迫が感じられました」と、感想を述べた。後年恩田美栄は、「もう並大抵の体力じゃないです。それに同じジャンプを一度転んでるにも関わらず。私にはできない。跳ぶとしたら死ぬくらいの覚悟がいる」と語った。翌日のエキシビションの際には、「レイン・ストーリー」と「レ・ミゼラブル」のテープを名古屋に忘れてしまったため、NHKの衛星回線を使ってアルベールビルまで送ってもらった。なおそのエキシビジョンでは最初のテープの音楽が掛からないハプニングが発生したが、その間立ち尽くしたままの伊藤に対し観客は拍手を送っていた。 オリンピックの期間中アルベールビルでは風邪が流行しており、山田満知子は点滴を打ちながら伊藤の練習に立ち会っていた。伊藤自身も帰国するころから体調を崩し、出場を予定していた1992年世界選手権を欠場することになった。 今後の去就が注目されたが、1992年4月25日に新高輪プリンスホテルで引退記者会見を行った。引退の理由を「技術的には三回転半をクリアしたという達成感があった。一方で精神的にはプレッシャーが大きくなっていて、追いつめられたというか。これ以上頑張れないなと……区切りにしたいなと思ったんです。」と語った。今後は「楽しみながらスケートを続けたい」とコメントを残した。6月17日には正式にプロ転向を表明し、夢のひとつだったアイスショーに出演することになった。6月にはホームリンクである名古屋スポーツセンターで、アマチュア最後の「サヨナラ公演」でアルベールビル五輪の演技を再現した。 1992年バルセロナオリンピックでのテレビのレポーターとして現地に赴いた。長野オリンピック招致活動では、1991年6月のバーミンガムでのIOC総会に小谷実可子とともに競技者代表として出向き、現役選手の立場から招致演説をした。 1992年8月以降、プリンスアイスワールドのメンバーとして、日本の各都市でのアイスショーに出演する。その一方で、1993年世界プロフィギュア選手権や1995年の第10回インターナショナル・プロフィギュア選手権(チャレンジ・オブ・チャンピオン)を制し、第一線で活躍を続けた。 1995年に日本スケート連盟の要請によって、長野オリンピック出場を目指してアマチュアに復帰する。1996年1月の全日本選手権では3回転アクセルを成功させ、4年ぶり9度目の優勝を果たした。しかし3月の世界選手権では体重を絞り過ぎてしまい、貧血による体調不良もあって7位に終わり、1996年11月に再びアマチュアを引退した。1998年2月7日に行われた長野五輪開会式では聖火台に聖火を点す役を務めた。2001年1月には4年10か月ぶりに競技会に復帰し、国際オープン選手権で3位となった。 2004年3月、世界フィギュアスケート殿堂入りを果たす。伊藤と共に、1976年インスブルック五輪銅メダリストトーラー・クランストン、カタリナ・ビットのコーチユッタ・ミューラーも表彰された。2002年8月よりアイスショーからは離れていたが、2009年には「プリンスアイスワールド」で7年ぶりにアイスショーに出演、2回転アクセルを披露した。2005年からは主にフィギュアスケート解説者として活動している。 2011年6月、元選手や愛好家向けの大会である国際アダルト選手権に初出場。国際スケート連盟公認の国際大会への出場は15年ぶり、新採点法移行後では初の競技会出場となった。マスターズエリートIIクラス(フリースケーティング)で2位となる。 2013年5月、国際アダルト選手権に出場し、マスターズエリートIIクラス(フリースケーティング)で1位となる。 2014年1月、NHKの報道番組で、函館市文化スポーツ振興財団(函館市民スケート場)にて、子供たちを相手にスケートの指導をしている姿が放映される。 2015年2月、RKB毎日放送「北九州マラソン2015」のテレビ中継にゲスト出演し、福岡県北九州市でスケートの指導をしていることが紹介される。 2018年5月、国際アダルト選手権に出場し、マスターズエリートIIクラス(アーティスティック)で1位となる。 2019年5月、国際アダルト選手権に出場し、マスターズエリートⅢクラス(フリースケーティング)で1位となる。 2022年12月、シングルアクセルを成功させた動画をSNSに投稿し、オリンピック公式チャンネルが取り上げるなど海外でも大きな話題を集める。 2023年5月にもシングルアクセルを成功させ、再び話題となる。 2023年5月と2024年5月に国際アダルト選手権に出場し、マスターエリート女子Ⅲ+Ⅳアーティスティックで1位となる。 少女時代から「ジャンプの申し子」、「ジャンプの天才」と呼ばれていた。小学校6年で3回転-3回転の連続ジャンプを跳んでいた。自身初の海外遠征である1981年世界ジュニアフィギュアスケート選手権では4種類の3回転ジャンプを跳び、海外プレスからは「津波ガール」「台風ガール」のニックネームを付けられた。中学生でアクセルを除く5種類の3回転ジャンプを習得した。当時は、女子選手が5種類の3回転ジャンプを跳ぶことは体力的にも技術的にも不可能と考えられていた。 元全日本チャンピオンでフィギュアスケート解説者の五十嵐文男によると、ジャンプは正確で高さがあり、右足のフリーレッグが左足の膝上の高い位置で巻き足になるのが特徴であったという。伊藤のジャンプ自体が自己表現でありアートでもあると評した。元フィギュアスケート選手の今川知子によると、ジャンプの助走やジャンプ後の滑りでも失速しなかった。また、ジャンプが回転不足になることはほとんどなかった。連続ジャンプは通常第2ジャンプの方が低いジャンプとなるが、伊藤の場合は第1ジャンプより高いジャンプを跳ぶことができたという。 ジャンプの高さは40センチを越え、ピーク時には64センチを記録した。東京大学体育学研究室の吉岡伸彦(1994年当時)の分析によると、伊藤のジャンプは踏み切り時の最高速度秒速8m、高さ約70cm、滞空時間約0.73秒、着氷時に片足に掛かる荷重約250kgで、ジャンプ時のある時点での速度は男子をも凌ぐとされた。 スケーティングには敏捷性があった。規定課題に苦心したため、規定をスケーティングの基礎と考え、練習時間の大半を費やしていた。 演技の表現面では、ドラマを演じる情感に乏しく、手足の舞踊的な美しさに欠けると指摘されていた。しかし、「ジャンプだけの伊藤」という評判を払拭し表現力を身につけるために、高校時代にバレエ教室に通い基礎から習った。この努力をし始めてからは表現力も向上し、「東洋の真珠」「氷上の舞姫」とも書かれた。アルベールビルオリンピック直前には、ニューズウィーク アジア・太平洋版2月10日号の表紙に「JEWEL ON ICE(氷上の宝石)」の文字とともに伊藤の写真が掲載されるようになった。 自身の性格を喜怒哀楽が激しいと語っており、演技中にも自然と顔がほころんだり、失敗して舌を出したりしていたと振り返っている。観客からは庶民的なキャラクターで親しまれた。カルガリーオリンピックのフリー演技後には、当時女子フィギュアスケートの選手としては前代未聞のガッツポーズを見せ、現地で好評を博したこともあった。 コーチの山田満知子は、伊藤の演技について「つくり物でない、本物のスポーツの美を表現する選手でした。(中略)すごいスピードで質の高いジャンプを跳び、誰よりも力強い演技をしました。その姿が、多くの人々をひきつけ、心を動かした。いかにも日本人らしい、ひたむきさ、親しみやすさ、美しさがあの子の演技にはありました」と評した。 3回転アクセルを跳ぼうと意識したのは中学1年のころで、初めて練習で跳んだのは中学3年のシーズンであった。練習を始めてから3ヶ月ほどの6月8日に着氷に成功していたが、競技会では成功しなかった。1985年世界選手権の直前に右足首を骨折したため、それ以来練習を中断していた。ところが、カルガリーオリンピック後のエキシビションツアーで男子選手が3回転アクセルを跳ぶ姿を見て、再挑戦を決意し、3回転アクセルの練習を再開した。1988-1989シーズンの愛知県フリー選手権で3回転アクセルに挑戦し、競技会では初めての成功を収めた。国際大会では1988年NHK杯で成功した。 3回転トウループ-3回転トウループ(女子選手として初の3回転-3回転) 2回転ループ-3回転ループ 3回転ルッツ-3回転トウループ 3回転アクセルを除く5種類の3回転ジャンプ 3回転アクセル 3回転アクセルを含む6種類の3回転ジャンプ 女子選手として初めて3回転アクセルからのジャンプコンビネーションに成功したのは、トーニャ・ハーディング(1991年10月スケートアメリカのオリジナルプログラムでの3回転アクセル-2回転トウループ)である。伊藤は同年10月の東日本選手権のオリジナルプログラムで3回転アクセル-2回転トウループを、同年12月のNHK杯でも成功した。なお、1991年11月のラリック杯のフリー直前練習では、3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させている。 伊藤が世界選手権で3回転アクセルに成功したことによって、当時、芸術性が重要視されていた女子シングルにもジャンプという魅力があることを世界が知るようになった。世界各国の選手たちは、伊藤に対抗するために5種類の3回転ジャンプに挑戦するようになった。その結果、規定の廃止に伴ってジャンプの高度化、選手の低年齢化が起こった。 金メダルを期待していたアルベールビル五輪で伊藤が銀メダルに終わったことから、日本スケート連盟は金メダルを狙える選手を複数人育成する強化プロジェクトを発足させた。その結果、伊藤の地元愛知県出身の女子選手たちを中心に後続の選手たちが次々と世界のトップレベルに躍り出て、日本におけるフィギュアスケート人気、関心が高まった。 主要な国際競技会の結果(順位)を表す。 1988-89年
全日本フリー選手権 NHK杯 全日本選手権 世界選手権 1989-90年
世界選手権 1990-91年
NHK杯 全日本選手権 1991-92年
ラリック杯 NHK杯 SPとFSで成功 全日本選手権 SPとFSで成功 アルベールビル五輪 1995-96年
(原題:Concerto No.1 for Piano) 作曲:フランク・ミルズ振付:山田満知子 作曲:アドルフ・アダン 振付:山田満知子、松本道子 名古屋市スポーツ功労賞(1988年、1992年) 文部省(現:文部科学省) スポーツ功労賞(1989年) 愛知県スポーツ功労賞(1989年)、(1990年) 第39回 日本スポーツ賞 大賞(1989年) 第1回 朝日スポーツ賞(1989年) 第2回 大島鎌吉スポーツ文化賞 ジャンプ賞(1990年) 世界フィギュアスケート殿堂入り表彰(2004年) 『タイムパッセージ-時間旅行』伊藤みどり著 紀伊國屋書店(1993年1月) ISBN 9784314100816 『氷上の宝石-伊藤みどり写真集』三枝照雄 小島直子著 菅原正治(写真) あすか書房(1993年9月) ISBN 9784317800362 『伊藤みどりのフィギュアスケート・ライフ DVDボックス』伊藤みどり、西田美和、鈴木亮介、松本美雪 出演 株式会社ジュニア・ドリーマーズ・インターナショナル(2007年8月10日) NHK紅白歌合戦(NHK総合・ラジオ第1)
第48回(1997年12月31日) - 審査員 『ヒーローたちの名勝負▽残り1分からの大逆転 伊藤みどり五輪初のトリプルアクセル』(2013年12月14日、NHK総合) テレビ愛知開局30周年記念作品『スケート靴の約束』(2013年12月25日、テレビ愛知制作・テレビ東京系) - 特別出演 「艦これ」鎮守府“氷”祭り in 幕張特設泊地 -氷上の観艦式-(2018年7月14日~7月15日、幕張メッセイベントホール) - 深海氷翔王女 役 カルビー グリンピース (1992年) 第一製薬(現:第一三共ヘルスケア) 新パテックスA(1992年) 公共広告機構(現:ACジャパン) 安全運転のメッセージ・ラジオCM (1992年) 『タイムパッセージ-時間旅行』伊藤みどり著 紀伊國屋書店(1993年1月) ISBN 978-4314100816 『銀盤のエンジェル-伊藤みどり物語』藤崎康夫著 エフエー出版(1992年12月) ISBN 978-4872080360 『20世紀スポーツ列伝―世界に挑んだ日本人』読売新聞社運動部著 中央公論新社 2000年9月 ISBN 978-4120030468 『伊藤みどり トリプルアクセルの先へ』 野口美恵著 主婦の友社 2011年12月 ISBN 978-4072803479 日本の冬季オリンピック銀メダル ギネスブック - スポーツに関する世界一の一覧 世界フィギュアスケート殿堂 TBS「いのちの響」 ^ 1987-1988シーズンまではショートプログラム、1988-1989シーズンからはオリジナルプログラム ^ ヤマハ提供曲 ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』p.93, p.109 ^ 『ギネス世界記録 2009 JAPAN』 ゴマブックス p.136 ^ ジャパンタイムズ (2007年3月23日). “ISU honors Ito, Carroll”. 2010年7月10日閲覧。 ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』p.23 ^ 「伊藤みどりとその時代」『20世紀スポーツ列伝―世界に挑んだ日本人』 読売新聞運動部著 p.227 ^ 『フィギュアスケートの魔力』 梅田香子、今川知子著 文芸春秋 2004年11月 p.43 ^ 「超ミニの大器 伊藤みどり フィギュアスケート選手」『読売新聞夕刊』昭和56年11月28日 (1) ^ “アーカイブされたコピー”. 2010年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月7日閲覧。 西田美和/公式ブログ ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』p.101 ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』p.111 ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』p.165 ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』p.144 ^ 山田満知子著『素直な心が才能を伸ばす!』青春出版社、2007年4月、p.37(同書には「小さい頃から引き取って」とある) ^ 「伊藤みどりとその時代」『20世紀スポーツ列伝―世界に挑んだ日本人』 読売新聞運動部著 p.228 ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.48 ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』pp.43-45 ^ 小林公子「Eat to win 勝つために食べる 伊藤みどり」『Number 1985/1/20号』pp.136-137 ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』pp.84-92 ^ 「編集手帳」『読売新聞』 1992年2月23日 (1) ^ 『フィギュアスケートの魔力』 梅田香子、今川知子著 文芸春秋 2004年11月 p.136 ^ 「日本の100年 第6部 冬の華 22 トリプルアクセルと歩む」『読売新聞』2009年7月24日 (23) ^ 『フィギュアスケートに懸ける人々-なぜ、いつから、日本は強くなったのか』 (小学館101新書) 宇都宮直子著 小学館 2010年1月14日 ISBN 978-4098250684 p.148 ^ 『タイム・パッセージ ~時間旅行~』p.134 ^ 『フィギュアスケートに懸ける人々-なぜ、いつから、日本は強くなったのか』 (小学館101新書) 宇都宮直子著 小学館 2010年1月14日 ISBN 978-4098250684 p.166 ^ 『フィギュアスケートの魔力』 梅田香子、今川知子著 文芸春秋 2004年11月 p.156 ^ “伊藤みどりさん、結婚そして離婚”. スポーツ報知. 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表 話 編 歴 1906-1907: マッジ・サイアーズ 1908-1911: クロンベルガー・リリー 1912-1914: メーライ=ホルヴァート・ジョーフィア 1922-1926: ヘルマ・サボー 1927-1936: ソニア・ヘニー 1937: セシリア・カレッジ 1938-1939: メーガン・テイラー 1947-1948: バーバラ・アン・スコット 1949-1950: アリーナ・フルザーノワ 1951: ジャネット・アルウェッグ 1952: ジャクリーヌ・デュ・ビエフ 1953: テンリー・オルブライト 1954: ガンディ・ブッシュ 1955: テンリー・オルブライト 1956-1960: キャロル・ヘイス 1962-1964: ショーケ・ディクストラ 1965: ペトラ・ブルカ 1966-1968: ペギー・フレミング 1969-1970: ガブリエル・ザイフェルト 1971-1972: ベアトリクス・シューバ 1973: カレン・マグヌセン 1974: クリスティーネ・エラート 1975: ディアンネ・デ・レーブ 1976: ドロシー・ハミル 1977: リンダ・フラチアニ 1978: アネット・ペッチ 1979: リンダ・フラチアニ 1980: アネット・ペッチ 1981: デニス・ビールマン 1982: エレイン・ザヤック 1983: ロザリン・サムナーズ 1984-1985: カタリナ・ヴィット 1986: デビ・トーマス 1987-1988: カタリナ・ヴィット 1989: 伊藤みどり 1990: ジル・トレナリー 1991-1992: クリスティー・ヤマグチ 1993: オクサナ・バイウル 1994: 佐藤有香 1995: 陳露 1996: ミシェル・クワン 1997: タラ・リピンスキー 1998: ミシェル・クワン 1999: マリア・ブッテルスカヤ 2000-2001: ミシェル・クワン 2002: イリーナ・スルツカヤ 2003: ミシェル・クワン 2004: 荒川静香 2005: イリーナ・スルツカヤ 2006: キミー・マイズナー 2007: 安藤美姫 2008: 浅田真央 2009: 金妍兒 2010: 浅田真央 2011: 安藤美姫 2012: カロリーナ・コストナー 2013: 金妍兒 2014: 浅田真央 2015: エリザベータ・トゥクタミシェワ 2016-2017: エフゲニア・メドベージェワ 2018: ケイトリン・オズモンド 2019: アリーナ・ザギトワ 2021: アンナ・シェルバコワ 2022-2024: 坂本花織 欧州 男子シングル 欧州 女子シングル ペア アイスダンス 世界選 男子シングル 世界選 女子シングル 五輪 男子シングル 五輪 女子シングル 表 話 編 歴 1934: 稲田悦子 1935: 東郷球子 1936-1940: 稲田悦子 1946: 月岡芳子 1947: 丹羽芳子 1950: 稲田悦子 1952: 月岡芳子 1953-1954: 山下艶子 1955-1958: 上野純子 1959: 福原美和 1960: 上野純子 1961-1965: 福原美和 1966-1967: 大川久美子 1968-1971: 山下一美 1972-1979: 渡部絵美 1980: 小林れい子 1981: 吉田万里子 1982: 小沢樹里 1983: 加藤雅子 1984-1991: 伊藤みどり 1992-1993: 佐藤有香 1994: 横谷花絵 1995: 伊藤みどり 1996: 村主章枝 1997-1998: 荒川静香 1999: 椎名千里 2000-2002: 村主章枝 2003-2004: 安藤美姫 2005: 村主章枝 2006-2009: 浅田真央 2010: 安藤美姫 2011-2012: 浅田真央 2013: 鈴木明子 2014-2017: 宮原知子 2018: 坂本花織 2019-2020: 紀平梨花 2021-2023: 坂本花織 ※ 開催年は年度 1934-65年度は翌年1-4月、1966-81年度は同年11-12月、1982-96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。 男子シングル 女子シングル ペア アイスダンス ジュニア男子シングル ジュニア女子シングル 表 話 編 歴 32: 平岡露子 33: 稲田悦子 34: 中村衣子 35: 依岡礼子 36: 鯱美佐子 37-38: 生田艶子 39: 佐藤登美代 40-46: 中止 47: 饗場奈々 48: 中止 49: 加藤好子 50-51: 饗場奈々 52: 本多久子 1953: 美土路耀子 1954: 工藤久子 55: 虫明百合 56: 金子恵以子 57: 吉原とき子 58: 大岩洋子 59: 村上由希子 60: 田村直子 61-62: 中島典子 63: 峰松早苗 64: 石川洋子 65: 北野真知子 66: 藤本歌子 67: 酒井正子 68: 小林幸子 69: 清瀬邦子 70: 大橋美和子 71: 渡部絵美 72: 藤木久代 73: 足土英子 74: 井口えり 75: 金妙実 76: 伊藤順子 77: 飛松郁子 78: 水原宏美 79: 伊藤みどり 80: 川上智子 81: 浅沼まり 82: 堀林久乃 83: 伊藤みどり 84: 青谷いずみ 85: 浅沼まり 86: 伊奈恭子 87: 柏原由起子 88-89: 佐藤有香 90: 井上怜奈 91: 小岩井久美子 92: 井上怜奈 93: 横谷花絵 94-96: 荒川静香 97: 金沢由香 98-99: 椎名千里 00: 中野友加里 01-03: 安藤美姫 04: 浅田真央 05: 澤田亜紀 06: 武田奈也 07: 水津瑠美 08: 今井遥 09: 村上佳菜子 10: 庄司理紗 11-12: 宮原知子 13: 本郷理華 14-15: 樋口新葉 16: 坂本花織 17: 紀平梨花 18: 横井ゆは菜 19: 河辺愛菜 20: 松生理乃 21-23: 島田麻央 開催年は年度 男子シングル 女子シングル ペア アイスダンス ジュニア男子シングル ジュニア女子シングル 表 話 編 歴 1979: 渡部絵美 1980: デニス・ビールマン 1981: クリスティーナ・ウェゲリウス 1982: カタリナ・ヴィット 1983: カーリン・ヘンチュケ 1984: 伊藤みどり 1985: 伊藤みどり 1986: カタリナ・ヴィット 1987: カタリナ・ヴィット 1988: 伊藤みどり 1989: 伊藤みどり 1990: 伊藤みどり 1991: 伊藤みどり 1992: スルヤ・ボナリー 1993: スルヤ・ボナリー 1994: 陳露 1995: 陳露 1996: マリア・ブッテルスカヤ 1997: タニヤ・シェフチェンコ 1998: タチアナ・マリニナ 1999: マリア・ブッテルスカヤ 2000: イリーナ・スルツカヤ 2001: タチアナ・マリニナ 2002: 恩田美栄 2003: 村主章枝 2004: 荒川静香 2005: 中野友加里 2006: 浅田真央 2007: カロリーナ・コストナー 2008: 浅田真央 2009: 安藤美姫 2010: カロリーナ・コストナー 2011: 鈴木明子 2012: 浅田真央 2013: 浅田真央 2014: グレイシー・ゴールド 2015: 宮原知子 2016: アンナ・ポゴリラヤ 2017: エフゲニア・メドベージェワ 2018: 紀平梨花 2019: アリョーナ・コストルナヤ 2020: 坂本花織※ 2021: 坂本花織 2022: キム・イェリム 2023ː エヴァ・マリー・ジーグラー 2024: 坂本花織 表 話 編 歴 1973-1974: リン・ナイチンゲール • 1975: スザンナ・ドリアーノ • 1976: キム・アレットソン • 1977: リンダ・フラチアニ • 1978: リサ=マリー・アレン • 1979: 非開催 • 1980: エレイン・ザヤック • 1981: トレイシー・ワイマン • 1982: ビッキー・デ・ブリーズ • 1983: カタリナ・ヴィット • 1984: 伊藤みどり • 1985: カリン・カダヴィ • 1986: エリザベス・マンリー • 1987: デビ・トーマス • 1988: ナタリア・レベデワ • 1989: クリスティー・ヤマグチ • 1990: ジョゼ・シュイナール • 1991: スルヤ・ボナリー • 1992: マリア・ブッテルスカヤ • 1993: 陳露 • 1994: クリスティーナ・チャコ • 1995: ミシェル・クワン • 1996: イリーナ・スルツカヤ • 1997: ミシェル・クワン • 1998: エレーナ・リアシェンコ • 1999: ミシェル・クワン • 2000: イリーナ・スルツカヤ • 2001: サラ・ヒューズ • 2002-2003: サーシャ・コーエン • 2004: シンシア・ファヌフ • 2005: アリッサ・シズニー • 2006: ジョアニー・ロシェット • 2007: 浅田真央 • 2008-2009: ジョアニー・ロシェット • 2010: アリッサ・シズニー • 2011: エリザベータ・トゥクタミシェワ • 2012: ケイトリン・オズモンド • 2013: ユリア・リプニツカヤ • 2014: アンナ・ポゴリラヤ • 2015: アシュリー・ワグナー • 2016: エフゲニア・メドベージェワ • 2017: ケイトリン・オズモンド • 2018: エリザベータ・トゥクタミシェワ • 2019: アレクサンドラ・トゥルソワ • 2020: 非開催 • 2021: カミラ・ワリエワ • 2022: 渡辺倫果 • 2023-2024: 坂本花織 表 話 編 歴 1987: ジル・トレナリー • 1988: クラウディア・ライストナー • 1989-1990: スルヤ・ボナリー • 1991: 伊藤みどり • 1992-1994: スルヤ・ボナリー • 1995: ジョゼ・シュイナール • 1996: ミシェル・クワン • 1997: レティシア・ユベール • 1998-2001: マリア・ブッテルスカヤ • 2002-2003: サーシャ・コーエン • 2004: ジョアニー・ロシェット • 2005: 浅田真央 • 2006: 金妍兒 • 2007: 浅田真央 • 2008: ジョアニー・ロシェット • 2009: 金妍兒 • 2010: キーラ・コルピ • 2011: エリザベータ・トゥクタミシェワ • 2012-2013: アシュリー・ワグナー • 2014: エレーナ・ラジオノワ • 2015: グレイシー・ゴールド • 2016: エフゲニア・メドベージェワ • 2017: アリーナ・ザギトワ • 2018: 紀平梨花 • 2019: アリョーナ・コストルナヤ • 2020: 非開催 • 2021: アンナ・シェルバコワ • 2022: ルナ・ヘンドリックス • 2023: イザボー・レヴィト • 2024: アンバー・グレン 表 話 編 歴 1986: ダイアン・タケウチ • 1987: 伊藤みどり • 1988: 非開催 • 1989: トーニャ・ハーディング • 1990: クリスティー・ヤマグチ • 1991: ナンシー・ケリガン • 1992: スルヤ・ボナリー • 1993: タニヤ・シェフチェンコ • 1994: マリナ・キールマン • 1995: ミシェル・クワン • 1996: イリーナ・スルツカヤ • 1997: タニヤ・シェフチェンコ • 1998: エレーナ・ソコロワ • 1999-2001: マリア・ブッテルスカヤ • 2002: 恩田美栄 • 2003: ジョアニー・ロシェット • 2004: ジェーン・ブガエワ 表 話 編 歴 ベルリン1936 - フリッツ・シルゲン ロンドン1948 - ジョン・マーク ヘルシンキ1952 - パーヴォ・ヌルミ メルボルン1956 - ロン・クラーク ローマ1960 - ジャンカルロ・ペリス 東京1964 - 坂井義則 メキシコ1968 - エンリケタ・バシリオ ミュンヘン1972 - ギュンター・ツァーン モントリオール1976 - ステファン・プレフォンテーヌ、サンドラ・ヘンダーソン モスクワ1980 - セルゲイ・ベロフ ロサンゼルス1984 - レイファー・ジョンソン ソウル1988 - 孫基禎 バルセロナ1992 - アントニオ・レボジョ アトランタ1996 - モハメド・アリ シドニー2000 - キャシー・フリーマン アテネ2004 - ニコラオス・カクラマナキス 北京2008 - 李寧 ロンドン2012 - キャメロン・マクリッチー、デジレー・ヘンリー他7人 リオ2016 - バンデルレイ・デ・リマ 東京2020 - 大坂なおみ パリ2024 - テディ・リネール、マリー=ジョゼ・ペレク オスロ1952 - エイイル・ナンセン コルチナ・ダンペッツオ1956 - グイド・カロリ スコーバレー1960 - ケン・ヘンリー インスブルック1964 - ヨーゼフ・リーダー グルノーブル1968 - アラン・カルマ 札幌1972 - 高田英基 インスブルック1976 - クリストゥル・ハース、ヨーゼフ・ファイストマントル レークプラシッド1980 - チャールズ・カー サラエボ1984 - サンダ・ドゥブラヴチッチ カルガリー1988 - ロビン・ペリー アルベールビル1992 - ミシェル・プラティニ リレハンメル1994 - ホーコン・マグヌス皇太子 長野1998 - 伊藤みどり ソルトレーク2002 - レークプラシッド金メダルのアメリカ・アイスホッケーチーム トリノ2006 - ステファーニア・ベルモンド バンクーバー2010 - ウェイン・グレツキー ソチ2014 - イリーナ・ロドニナ、ウラディスラフ・トレチャク 平昌2018 - 金妍兒 北京2022 - 趙嘉文、ジニゲル・イラムジャン 一覧 カテゴリ 表 話 編 歴 51 古橋廣之進 52 石井庄八 53 山田敬蔵 54 長沢二郎 55 古川勝 56 笹原正三 57 第24回世界卓球選手権日本代表選手団 58 曾根康治 59 山中毅 60 ローマ五輪日本男子体操チーム 61 大日本紡績貝塚女子バレーボールチーム 62 三宅義信 63 田中聡子 64 遠藤幸雄 65 重松森雄 66 深津尚子 67 鈴木惠一 68 君原健二 69 第6回世界柔道選手権大会日本代表選手団 70 西側よしみ、第17回世界体操競技選手権日本代表チーム 71 中山紀子、湯木博恵 72 田口信教、ミュンヘン五輪体操日本男子選手団 73 第8回世界柔道選手権大会日本代表選手団 74 バレーボール全日本女子チーム 75 エベレスト女子登山隊 76 モントリオール五輪バレーボール日本女子チーム 77 河野満 78 山下泰裕 79 藤猪省三 80 瀬古利彦 81 釜本邦茂 82 室伏重信 83 黒岩彰 84 山下泰裕 85 正木嘉美 86 中山竹通 87 小川直也 88 鈴木大地 89 伊藤みどり 90 橋本聖子 91 谷口浩美 92 岩崎恭子 93 浅利純子 94 リレハンメル五輪日本代表複合チーム 95 田村亮子 96 恵本裕子 97 鈴木博美 98 清水宏保 99 篠原信一 00 高橋尚子 01 田村亮子 02–03 北島康介 04 野村忠宏 05 冨田洋之 06 荒川静香 07 吉田沙保里 08 北島康介 09 内村航平 10 吉田沙保里 11 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表 12 ロンドン五輪レスリング男女日本代表選手団 13 内村航平 14 羽生結弦 15–16 伊調馨 17 桐生祥秀 18 羽生結弦 19 ラグビー日本代表 20–21 大野将平 22 髙木美帆 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 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2024/11/22 00:28更新
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itou midori
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