南原繁の情報(なんばらしげる) 政治学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
南原 繁さんについて調べます
■名前・氏名 |
南原繁と関係のある人
笠置シヅ子: ひばりとの和解前後の1951年2月に、シズ子は東京大学総長南原繁が差し向けたハイヤーに乗って東京大学を訪れ、大学内の応接室で南原と面談した。 三木武夫: 三木は戦後まもなく、お互いの家が近かったこともあって南原繁との交流があった。 福田歓一: 丸山眞男らとともに、南原繁から西洋政治思想を学ぶ。 栗原祐幸: 戦後、栗原は東大時代の恩師である南原繁より、「戦前の日本は優秀な人材が官僚組織や軍部に集中して民間の裾野が手薄になり、権力の暴走をくい止めることができなかった。 田中耕太郎: 第二次世界大戦末期には、南原繁、高木八尺らと東京帝大の知米派教授グループによる対米終戦交渉、カトリック信者としての人脈を生かしてのローマ教皇庁を通じた対外和平工作にも関与した。 柳宗玄: 『學士會会報』の表紙図案・カットを、南原繁(元東大総長で理事長)の要請で、1965年より2009年5月刊まで描いた(後任は西野嘉章が務める)。 会津八一: 妥協を許さぬ人柄から孤高の学者として知られるが、同僚であった津田左右吉が右翼から攻撃された際は(いわゆる津田事件)、早大の教授たちが行動を起こさなかったのに対して、南原繁や丸山眞男らによる署名運動に参加し、津田の無実を訴えるという一面もあった。 新渡戸稲造: その時のメンバーから矢内原忠雄、高木八尺、南原繁、宇佐美毅、前田多門、藤井武、塚本虎二、河井道などの著名な教育者、政治家、聖書学者らを輩出した。 福田歓一: (丸山眞男)『南原繁著作集(全10巻)』(岩波書店、1972年 - 1973年) 小熊英二: 西尾幹二は、『<民主>と<愛国>』の索引での言及頁数は多い方から、丸山眞男、竹内好、鶴見俊輔、吉本隆明、江藤淳、小田実、石母田正、荒正人、大塚久雄、清水幾太郎の順であり、これら以外で頻出するのは小田切秀雄、本多秋五、井上清、網野善彦、中野好夫、久野収、国分一太郎、鶴見和子、中野重治、南原繁、宮本百合子、宗像誠也、大江健三郎であり、 江藤淳と晩年の清水幾太郎を除けば、全てが左派系だけであり、「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、埃を払い、茣蓙を敷いてその上にずらっと並べて天日に干して、もう一度眺められるようにお化粧直しする」「もう誰も相手にしてくれなくなった戦後進歩主義あるいは戦後左翼主義は、彼らにとっては心を慰めてくれるなによりもの〈癒し〉であるであろう。 フレッド=イサム=ワダ: これを契機として、当時日本水泳連盟会長だった田畑政治や東京大学総長だった南原繁、後に東京都知事となる東龍太郎らと親交が生まれた。 小野塚喜平次: 弟子に吉野作造、南原繁、河合栄治郎、蠟山政道、矢部貞治等多数。 石田雄: 父の友人である大内兵衛、南原繁の助言も受けて研究者の道を選び、東京大学法学部助手、東京大学社会科学研究所助教授・教授・所長、千葉大学法経学部教授、八千代国際大学教授を歴任した。 酒井新二: 東京帝国大学法学部政治学科(南原繁研究室所属)卒業後、海軍経理学校に学士入学し、1942年9月、短現9期主計科士官として太平洋戦争に参加。 笠置シヅ子: 1951年春にシズ子の後援会長を引き受けたのが、実父の友人で同じ香川県出身の南原繁である。 丸山眞男: 師は南原繁。 福田歓一: (丸山眞男)『回想の南原繁』(岩波書店、1975年) 内村鑑三: 矢内原は柏会に入し、坂田は南原繁と別の会を作り、明治45年(1912年)1月30日に、白雨会として発足した。 丸山眞男: 1937年(昭和12年)、大学を卒業し、南原繁の研究室の助手となる。 矢内原忠雄: その後1946年(昭和21年)社会科学研究所長、1948年(昭和23年)経済学部長、1949年(昭和24年)教養学部長を歴任し、1951年(昭和26年)、南原繁の後任として東京大学総長に選出される(1957年(昭和32年)まで2期6年務めた)。 中村伸郎: 第10集 オペラハウスの日章旗 サンフランシスコ講和会議 - 東大学長:南原繁 金田一京助: 葬儀委員長は亀井要社長、弔辞は文部大臣高見三郎、日本学士院院長南原繁などが故人の功績を称え、大学、マスコミから俳優、政治家まで弔花を寄せるなど、学者の葬儀としては盛大なものだった。 |
南原繁の情報まとめ
南原 繁(なんばら しげる)さんの誕生日は1889年9月5日です。香川出身の政治学者のようです。
思想、著作などについてまとめました。
南原繁のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学の総長を務めた。 1889年(明治22年) 1895年(明治28年) 1901年(明治34年) 1907年(明治40年) 1910年(明治43年) 1914年(大正3年) 1917年(大正6年) 1919年(大正8年) 1921年(大正10年) 1925年(大正14年) 1945年(昭和20年) 1946年(昭和21年) 1947年(昭和22年) 1950年(昭和25年) 1967年(昭和42年) 1974年(昭和49年) 思想無教会主義の立場から国家主義とマルクス主義を批判。サンフランシスコ講和条約をめぐっては全面講和を主張して内閣総理大臣吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた。 著作『国家と宗教 ヨーロッパ精神史の研究』(岩波書店、1942年/改訂版・岩波文庫、2014年9月) 『學問・教養・信仰』(近藤書店、1946年) 『歌集 形相』(創元社、1948年/岩波文庫、1984年7月、解説氷上英廣) ISBN 4003316711
『日本とアメリカ』(朝日新聞社、1950年) 『人間と政治』(岩波新書、1953年) 『フィヒテの政治哲学』(岩波書店、1959年) 『自由と国家の理念―政治哲学論文集』(青林書院、1959年、新版1965年) 『政治理論史』(東京大学出版会、1962年/新装版2007年) ISBN 4130301454 『現代の政治と思想 新しい歴史の転機に立って』(東京大学出版会、1963年) 『日本の理想』(岩波書店、1964年) 『文化と国家』 (東京大学出版会、〈上・下〉 1968年/新装版〈全1冊〉 2007年) ISBN 4130010050 『歴史をつくるもの』(東京大学出版会、1969年) 『南原繁書簡集 付・南原繁宛書簡』(岩波書店、1987年) ISBN 4000015354 『政治哲学序説』(岩波書店、1988年、復刊1993年) ISBN 4000011855-著作集「第5巻」 『聞き書 南原繁回顧録』 (丸山真男・福田歓一編、東京大学出版会、1989年) ISBN 413033039X 『日本平和論大系13 南原繁』 (家永三郎責任編集、日本図書センター、1994年) ISBN 4820571540 『人間の記録70 南原繁 ふるさと』 (日本図書センター、1998年) ISBN 4820543156 『南原繁対話 民族と教育』 (東京大学出版会、2001年) ISBN 4130030043 『わが歩みし道 南原繁 ふるさとに語る』(同刊行委員会編、東京大学出版会、2004年) ISBN 4130330497 『南原繁著作集』(全10巻、丸山真男・福田歓一編、岩波書店、1972-73年、復刊1984年、2006年) 『国家と宗教』 『フィヒテの政治哲学』 『自由と国家の理念』 『政治理論史』 『政治哲学序説』 『学問・教養・信仰、歌集形相』 『文化と国家』 『現代の政治と思想-新しい歴史の転機に立って、小野塚喜平次-総長時代と晩年』 『日本の理想』 『歴史をつくるもの』 『政治思想における西欧と日本 : 南原繁先生古稀記念』(上下巻、福田歓一編、東京大学出版会、1961年) 2024/05/31 19:41更新
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nanbara shigeru
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