丸山眞男の情報(まるやままさお) 政治学者、思想史家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
丸山 眞男さんについて調べます
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■名前・氏名 |
丸山眞男と関係のある人
藤原弘達: 東京大学の丸山眞男に師事。 小室直樹: 丸山眞男が指導教官となり政治学を学ぶが、小室が心理学ばかり勉強しているので、丸山の弟子の京極純一に預けられた。 秦郁彦: 当初の指導教官は丸山眞男だったが、この休学で丸山ゼミには入れず、岡義武に学んだ。 庄司薫: 法学部時代の恩師に丸山眞男がいる。 津田左右吉: 当時東京大学法学部の助手であった丸山眞男によると、「先秦政治思想史」の最終講義の終わりに津田を講師控室に導いた際に大勢の人々が押しかけて来て、その中の1人が「津田先生の立場は唯物史観ではないか」と迫られた時に、津田は素早く「唯物史観は学問なんかじゃありません」と一蹴したという。 松下康雄: 在学中は丸山眞男のゼミに所属。 福田歓一: 丸山眞男らとともに、南原繁から西洋政治思想を学ぶ。 吉本隆明: 竹内洋は、吉本は京橋区の下町の船大工の家庭に生まれ、東京府立化学工業学校、米沢高等工業学校、東京工業大学の学歴を歩み、東京府立化学工業学校は実業学校、米沢高等工業学校は専門学校であり、旧制中学や旧制高校を正系とする戦前の学歴では傍系学歴となり、大学卒業後、会社に勤めたが、組合活動をおこない馘首、隔日の特許事務所に勤務し生計を立てつつ作家活動をおこない、その後フリーランスとなり、大学教師の経歴はなく、山の手に対する下町、正系学歴に対する傍系学歴と、「正系」(丸山眞男)、「正系的傍系」(清水幾太郎)、「傍系」(鶴見俊輔)でもない、正系にもっとも遠い立ち位置にいた「傍系的傍系」と評している。 西島秀俊: 知の巨人たち 第3回「民主主義を求めて〜政治学者 丸山眞男〜」(2014年7月19日) - 朗読 内田喜久: ^ 丸山眞男は1949年に発表した論文「軍国支配者の精神形態」で次のように述べた(『現代政治の思想と行動』に収録)。 筑紫哲也: 面接の身上調書では愛読書を1冊書けとあり、一世を風靡した丸山眞男『現代政治の思想と行動』にしようとしたものの、面接で論争したら負けると思い、「鉄道時刻表」と書いて出した。 武田清子: 武田清子「講演 私の出会った丸山眞男 : 戦後日本の座標軸」『世界』第704号、岩波書店、2002年8月、265-275頁、ISSN 0582-4532、OCLC 5181568295。 石田雄: 敗戦で復員した後は、特例措置で東京大学法学部政治学科へ転じて丸山眞男ゼミに参加。 内田喜久: ^ 丸山眞男 『超国家主義の論理と心理 他八編』 岩波文庫、2015年2月17日、169-172頁。 内田健三: 抑留・復員後、新制東京大学法学部に復学し、政治学者・丸山眞男に師事。 鶴見俊輔: アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 内田喜久: ^ 丸山眞男 『超国家主義の論理と心理 他八編』 岩波文庫、2015年2月17日、178-179頁。 福田歓一: (丸山眞男)『回想の南原繁』(岩波書店、1975年) 姜尚中: また、戦後の日本の対朝鮮史観については、丸山眞男のいう「悔恨の共同体」を経て、経済復興、高度経済成長を背景に「日本特殊論」などが登場してくる中で、西欧との同一化と差異化のプロセスとして、再び戦前と同様の対朝鮮・東北アジア史観が「再発見」されたと主張している。 天谷直弘: 丸山眞男門下。 家永三郎: リチャード・マイニアは、同年代の井上清・遠山茂樹・丸山眞男・家永を評し、井上と遠山をマルキスト、丸山と家永はマルキストではないが影響はあったと規定している。 松井石根: 極東国際軍事裁判昭和22年(1947年)11月24日、ノーラン検察官が南京事件に関して反対尋問した際の松井石根の証言について政治学者の丸山眞男は昭和24年(1949年)に発表した「軍国支配者の精神形態」で論じた。 福田歓一: 『丸山眞男とその時代』(岩波書店「岩波ブックレット」、2000年) 松井石根: このような丸山眞男の松井評価について牛村圭は、松井石根が同尋問で「私は方面軍司令官として、部下を率いて南京を攻略するに際して起こったすべての事件に対して責任を回避するものではありませんけれども、しかし各軍隊の将兵の軍紀、風紀の直接責任者は私ではないということを申した」と自分の責任を回避しないと答弁したことが裁判記録に残っており、丸山は論文に引用にする際に松井答弁を意図的に省略していたことを発見した。牛村圭は裁判記録を虚心坦懐に読解すれば、松井が「道義上の責任は決して回避せぬが日本陸軍の法規ではこうなっていると説明している」と解釈する方が自然であり、丸山眞男の論については「松井の人格を歪曲する削除を加え」「予断と先入観を、恣意的と呼んでいい論証法を用いて押し通そうとした。このような論法につき、丸山眞男は<道義上の責任>を感じてしかるべきであろう」と批判している。 吉本隆明: そこにおいては、いわゆる「知識人」のいかがわしさを端的に代表しているのが、丸山眞男に象徴される大学教員に他ならない、とされ、丸山からの「ルサンチマン」との応答を含む激しい論戦が展開された。 大正天皇: 1944年(昭和19年)に遠眼鏡事件の噂を語った男が不敬罪で捕まっているほか、1921年に小学2年生であった丸山眞男は、当時、「大正天皇が脳を患っており、勅書を丸めて覗いた」という噂が流れていたことを1989年(平成元年)のエッセイで回想している。 加藤秀俊: 東京商大(現・一橋大学)で社会学を学び、丸山眞男らの「思想の科学研究会」に参加。 長谷川宏: 『丸山眞男をどう読むか』講談社現代新書, 2001年 小熊英二: 『〈民主〉と〈愛国〉』において戦後思想史の中では、一見、相反すると思われている「民主」と「愛国」という概念が、丸山眞男などの議論ではむしろ相性の良い概念として使われていることなどを紹介し、戦後日本におけるナショナリズムの多様性を主張した。 小熊英二: 西尾幹二は、『<民主>と<愛国>』の索引での言及頁数は多い方から、丸山眞男、竹内好、鶴見俊輔、吉本隆明、江藤淳、小田実、石母田正、荒正人、大塚久雄、清水幾太郎の順であり、これら以外で頻出するのは小田切秀雄、本多秋五、井上清、網野善彦、中野好夫、久野収、国分一太郎、鶴見和子、中野重治、南原繁、宮本百合子、宗像誠也、大江健三郎であり、 江藤淳と晩年の清水幾太郎を除けば、全てが左派系だけであり、「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、埃を払い、茣蓙を敷いてその上にずらっと並べて天日に干して、もう一度眺められるようにお化粧直しする」「もう誰も相手にしてくれなくなった戦後進歩主義あるいは戦後左翼主義は、彼らにとっては心を慰めてくれるなによりもの〈癒し〉であるであろう。 |
丸山眞男の情報まとめ
丸山 眞男(まるやま まさお)さんの誕生日は1914年3月22日です。大阪出身の政治学者、思想史家のようです。
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maruyama masao
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