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原口文仁の情報 (はらぐちふみひと)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月16日】今日誕生日の芸能人・有名人

原口文仁の情報(はらぐちふみひと) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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原口 文仁さんについて調べます

■名前・氏名
原口 文仁
(読み:はらぐち ふみひと)
■職業
野球選手
■原口文仁の誕生日・生年月日
1992年3月3日 (年齢32歳)
申年(さる年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
埼玉出身

(平成4年)1992年生まれの人の年齢早見表

原口文仁と同じ1992年生まれの有名人・芸能人

原口文仁と同じ3月3日生まれの有名人・芸能人

原口文仁と同じ出身地埼玉県生まれの有名人・芸能人


原口文仁と関係のある人

城島健司: リハビリ中は後輩の原口文仁から質問攻めにされていた。


矢野輝弘: その後は、解説者時代から注目してきた原口文仁や、新人の坂本誠志郎を一軍に抜擢。


村上頌樹: 7回まで無安打無四死球の完全試合状態だったが、1-0とリードした8回表の攻撃で原口文仁を代打として送られ、勝ち投手の権利を持ったまま降板した。


田中健二朗: 2番手投手のケビン・シャッケルフォードが打球を右膝に受けたことに伴う登板で、代打の原口文仁を四球で出塁させたものの、続く小野寺暖を凡退させたことで試合を締めくくった。


近藤一樹: 6月30日の阪神戦(阪神甲子園球場)では9回裏二死二・三塁、カウント2-2の場面でストッパーの秋吉亮のアクシデントを受け救援登板し、原口文仁を空振り三振に仕留め、プロ初セーブ(1球セーブ)を記録した。


岡﨑太一: 打力で勝る原口文仁が一軍の正捕手に抜擢された5月以降も、ランディ・メッセンジャーや能見が先発する試合を中心に、随時スタメンへ起用されていた。


若林忠志: 第11回(2022年) - 原口文仁


髙島祥平: 帝京高校時代、1学年後輩の原口文仁とは帰り道がいつも一緒で、互いのプロ入り後も友人のような関係を続けた。


掛布雅之: DC時代から指導してきた伊藤隼太・中谷将大・原口文仁などを一軍へ定着させたほか、2016年の春季キャンプでは、新人外野手の髙山俊に対するマンツーマン指導によって、高山によるセ・リーグ新人王獲得への礎を築いた。


田面巧二郎: 5月19日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)8回表に、自身と同じ経緯で先に支配下登録選手へ復帰した原口文仁とのバッテリーで一軍デビュー。


藤川球児: 4月6日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)では、延長10回表からの救援登板で2イニングを無失点に抑えると、原口文仁のサヨナラ本塁打によってシーズン初勝利を挙げた。


百﨑蒼生: 目標とする選手は原口文仁


長坂拳弥: しかし、一軍公式戦への出場機会は3試合(1打席)のみで、春季キャンプ中に大腸癌の手術を受けていた原口文仁が一軍に復帰した6月下旬以降は二軍生活に終始した。


鶴岡一成: さらに、4月下旬以降は、育成契約から支配下登録選手に復帰した原口文仁が一軍で台頭。


マウロ=ゴメス: 球宴明けである7月18日の巨人戦以後は、6番での起用が増加した上に、この年から躍進した原口文仁などに一塁手のスタメンを明け渡す試合も少なからずあった。


桜井広大: 2008年の年俸は当年の560万円から2500万円に上がり、346%増の昇給率は当時の球団歴代最高であった(2016年→2017年の原口文仁が358%で更新。


小熊凌祐: その後ローテーション入りするも5月5日に原口文仁の放った打球が右腕を直撃し負傷退場した。


前田三夫: 原口文仁(現阪神タイガース)


岡﨑太一: 2020年、一軍の捕手陣が梅野・坂本・原口文仁に事実上固定されたことなどから、一軍昇格の機会がなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも29試合の出場で前年と同じ打率にとどまった。


森田一成: 小・中学生や大人を対象に個別指導を実施しているほか、プロ野球のオフシーズンには、現役生活を続けている阪神時代のチームメイト(原口文仁など)を小・中学生相手の臨時コーチに招いている。


八木亮祐: 1イニング4奪三振:2016年5月24日、対阪神タイガース9回戦(明治神宮球場)、1回表に北条史也・大和(振り逃げ)・マウロ・ゴメス・原口文仁から※史上18人目


奥浪鏡: 初盗塁:同上、6回表に二盗(投手:安藤優也、捕手:原口文仁


関本健太郎: また、「必死のパッチ」は原口文仁にも引き継がれたが、ファンの要望で2019年シーズンから「必死のグッチ」に改められている。


髙島祥平: 高校時代の1学年上に中村晃、1学年下に原口文仁、2学年下に山﨑康晃がいる。


水樹奈々: 他に、マット・マートン、赤星憲広、能見篤史、原口文仁もお気に入りの選手として挙げている。


赤木誠: 2019年6月9日、阪神×日本ハムのラジオ中継(裏送り制作分)で、この年の1月に大腸ガンの手術を受けたばかりの原口文仁(阪神)が、9回裏に代打で実戦復帰後初めてのサヨナラ安打を放った瞬間をSTVラジオ向けに実況。


梅野隆太郎: 2020年、4年連続となる開幕マスクを任されたものの、同カードの2戦目は原口文仁、3戦目には坂本誠志郎がそれぞれスタメンとして起用された。


岡崎太一: 打力で勝る原口文仁が一軍の正捕手に抜擢された5月以降も、ランディ・メッセンジャーや能見が先発する試合を中心に、随時スタメンへ起用されていた。


湯浅大: 初盗塁:2020年6月20日、対阪神タイガース2回戦(東京ドーム)、7回裏に二盗(投手:小川一平、捕手:原口文仁


山崎康晃: 帝京高校では1学年上に原口文仁、2学年上には杉谷拳士と髙島祥平がいた。


原口文仁の情報まとめ

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原口 文仁(はらぐち ふみひと)さんの誕生日は1992年3月3日です。埼玉出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴、人物などについてまとめました。現在、卒業、結婚、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。原口文仁の現在の年齢は32歳のようです。

原口文仁のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身のプロ野球選手(捕手、内野手、外野手)。右投右打。阪神タイガース所属。

読売ジャイアンツ(巨人)の正捕手だった阿部慎之助への憧れが高じて、小学4年時に、軟式野球チームの寄居ビクトリーズ(現在のキングフィッシャーズ)で捕手として野球生活を始めた。埼玉県寄居町立城南中学校在学中には、寄居リトルシニア(現在の深谷彩北リトルシニア)で一塁手としてプレー。中学校からの卒業を機に、帝京高校(東京都板橋区)へ進学した。進学の決め手になったのは、中学3年時に世田谷西シニアとの試合で放った本塁打で、同チームの監督としてこの一打を目にした蓬萊昭彦(元・西武ライオンズ)が帝京高校硬式野球部監督(いずれも当時)の前田三夫に原口の入部を推薦したという。

帝京高校への進学を機に硬式野球部へ入ったが、部員向けの合宿所や寮が設けられていないことから、寄居町の実家から学校までの距離を片道2時間かけて東武東上線の始発電車で通学。授業と部活動を終えて23時(夜11時)過ぎに帰宅してからも、自宅裏に実父が作った打撃ケージで、深夜2時前まで練習していた。入部当初は二塁・三塁・外野とポジションを転々としていたものの、1年時の冬から捕手へ本格的に転向すると、3年夏の第91回全国高等学校野球選手権大会に東東京代表として出場。5番打者として、準々決勝までの3試合で通算打率.385を記録した。県立岐阜商業高校との準々決勝では最後の打者になったが、さまざまな投手の持ち味を活かせるリードが評価されて、大会終了後の日米親善高校野球大会にも日本代表の一員として出場した。ちなみに、硬式野球部の2学年先輩には中村晃と大田阿斗里、1学年先輩には杉谷拳士と髙島祥平、1学年後輩には山﨑康晃、2学年後輩には伊藤拓郎と松本剛がいる。

2009年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから6巡目で指名。契約金3000万円、年俸480万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は52。

2010年、ウエスタン・リーグ公式戦9試合に出場。打率.143(7打数1安打)という成績を残した。

2011年、ウエスタン・リーグ公式戦48試合に出場。打率は.329(79打数26安打)で打数が少ないながらも2本塁打、11打点という好成績を残した。

2012年、レギュラーシーズン開幕前の3月に椎間板性の腰痛で戦線を離脱。5月初旬に練習へ復帰した直後に、腰の故障が再発した。このような故障の影響で、ウエスタン・リーグ公式戦では、16試合の出場で打率.189(37打数7安打)、打点5という成績にとどまった。さらに、シーズン終了後には、自由契約選手の公示を経て育成選手契約へ移行。育成選手に関するNPBの規約に沿って、背番号を124に変更した。

2013年、4月のシートバッティング中に田面巧二郎からの死球で左手の尺骨を骨折。ウエスタン・リーグ公式戦では、17試合の出場で打率.263、2打点という成績を残した。シーズンの終了後には、育成選手の規約に沿って自由契約選手として公示された後に、改めて育成選手契約を結んだ。

2014年、ウエスタン・リーグ公式戦57試合に出場。打率.264、5本塁打、13打点を記録した。しかし、シーズン終了後に参加したフェニックス・リーグの試合で一塁へ出塁したところ、牽制球で帰塁したはずみで右肩の関節唇を痛めた。最初に診察した医師から右肩の手術を勧められるほどの重症であったが、後に別の医師からのセカンド・オピニオンを経て、手術を受けずに右肩を回復させている。シーズン終了後は、自由契約選手として公示を経て、11月13日に育成選手としての再契約に至った。

2015年、ウエスタン・リーグ公式戦で自己最多の59試合に出場。打率.220、4本塁打、11打点を記録したが、守備面では捕手としてマスクを被る機会はなく10試合で一塁を守っただけにとどまった。シーズン終了後の11月11日に3年連続で育成選手契約を更新したが、契約を更新する前の10月24日には、一軍監督へ就任したばかりの金本知憲の意向で一軍の秋季練習へ急遽参加。2012年までのチームメイト(当時は外野手)でありながら、プレーを共にする機会のなかった金本から付きっきりで打撃の指導を受けた。

2016年、春季キャンプ期間終盤の2月25日に一軍キャンプへ合流すると、オープン戦の途中まで一軍に帯同した。公式戦開幕後の4月27日付で3年ぶりに支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を94へ変更。当日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(阪神甲子園球場)5回裏に代打で一軍公式戦デビューを果たすと、捕手として守備に就いた後に、8回裏の第2打席で田口麗斗から一軍初安打を放った。4月28日の同カードでも、阪神の1点ビハインドで迎えた9回裏一死二・三塁の局面で代打に起用されると、澤村拓一からの犠飛で一軍初打点を記録している。なお、以上の2試合のみ、山田勝彦二軍バッテリーコーチ(背番号82)のユニフォームを借りて出場した。阪神球団が原口の支配下再登録と並行しながら出場選手登録をNPBに申請したことや、当該カード限定で阪神ナインが「輝流ラインユニフォーム2016(1975 - 1978年の阪神ホームゲーム用ユニフォームのリメイク版)」を特別に着用していたこととの兼ね合いで、復帰後の背番号94のユニフォームを手配できなかったことによる。4月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)からスタメンマスクを任されると、5月4日の対中日戦(ナゴヤドーム)で一軍初本塁打を記録。5月には、月間通算で打率.380、5本塁打、17打点という好成績を残した末に、セントラル・リーグ(セ・リーグ)野手部門の月間MVPを受賞した。NPBの球団で育成契約を経験した野手では初の受賞で、阪神の捕手としては、第1回(1975年4月)の田淵幸一以来41年ぶりの快挙であった。5月11日の対巨人戦(甲子園)では、3回表に捕手として本塁上でタッチプレーを敢行した際に、セントラル・リーグ史上初のコリジョンルールの適用による警告を与えられた。5月12日の対巨人戦(甲子園)では、阪神の捕手としては2011年の城島健司以来5年ぶりにクリーンアップ(5番・捕手)でスタメンに起用。5月19日の対中日戦(甲子園)では、自身と同じく育成契約から支配下登録に復帰した田面とのコンビで、8回表に阪神の一軍公式戦史上初の「育成選手出身バッテリー」が実現した。さらに、9回裏の打席で、一軍初のサヨナラヒットを打った。オールスターゲームには、育成契約を経験したNPB球団の捕手としては初めて出場メンバーに選出。その一方で、レギュラーシーズンの終盤には、右肩を痛めたことから一塁手や代打にも起用された。一軍公式戦全体では、107試合に出場。セ・リーグの最終規定打席には届かなかったものの、3割近い打率(.299)、2桁本塁打(11本)、46打点を記録した。捕手として登録されている阪神の野手が、レギュラーシーズンの一軍公式戦で2桁の本塁打を打った事例は、2010年の城島以来6シーズンぶりであった。このような活躍を背景に、シーズン終了後の契約更改では、育成契約の影響で480万円であった年俸が2200万円にまで増加。昇給率は358%で、更改時点では球団の歴代最高記録とされていた(金額・昇給率はいずれも推定)。

2017年、プロ入り後初めて春季キャンプを一軍でスタート。キャンプ終了直後の3月1日には一般女性との結婚を発表した。その一方で、春季キャンプ中には、捕手に加えて一塁の守備練習にも参加。前年の終盤に痛めた右肩での送球に不安が残ることや、前年までのレギュラー一塁手であった右の強打者マウロ・ゴメスが退団したことなどを背景に、オープン戦からもっぱら一塁手としてクリーンアップの一角を担っていた。レギュラーシーズンでは、捕手としての登録を続ける一方で、プロ入り後初めて公式戦を一軍でスタート。「5番・一塁手」としてスタメンに起用された4月6日の対東京ヤクルトスワローズ戦(京セラドーム大阪)では、4-4の同点で迎えた延長11回裏の打席で杉浦稔大からシーズン初本塁打(ソロ本塁打)を打ったことによって、チームをサヨナラ勝ちに導いた。「野球人生で初めて」というサヨナラ本塁打で、阪神の選手としては、2015年5月27日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で福留孝介が記録して以来のサヨナラ本塁打でもあった。しかし、オープン戦の終盤から打撃の調子が安定しないため、5月上旬からは自身と同じ捕手出身の右打者・中谷将大と交互に「5番・一塁手」へ起用される方針に変更。代打や捕手としての出場も再開したが、月を重ねる度に打率が下がるほど打撃不振が長引いたため、7月12日の対中日戦(甲子園)を最後にスタメンから外れた。8月26日に出場選手登録を抹消されると、左の脇腹を痛めた影響で、一軍へ復帰できないままシーズンを終了。このため、秋季キャンプでは、自身の希望で捕手の練習へ再び取り組んでいる。キャンプ後の契約交渉では、推定年俸2000万円(前年から200万円減)という条件で契約を更改した。

2018年、捕手に再び専念すると一軍公式戦82試合に出場。4月下旬から梅野隆太郎と交互に捕手として起用されたが、シーズン通算の得点圏打率が.455に達した。57試合で起用された代打での打率は.404で、通算打率(.315)を1割近く上回ったほか、この年に一軍公式戦で打った本塁打(2本)も全て代打で記録した。9月7日の対広島戦(マツダ)では、8回表一死一・二塁からの代打起用でシーズン2号本塁打を打ったことによって、1982年の永尾泰憲に並ぶ球団歴代2位の一軍公式戦シーズン22安打を記録。左打者の桧山進次郎が2008年に達成した球団のシーズン代打最多安打記録(23安打)への到達も見込まれていたが、9月14日の対ヤクルト戦(甲子園)で左手第5中手骨を痛めたため、9月21日にこの年初めて出場選手登録を抹消された。一時はシーズン中の一軍復帰が困難と見られていたほどの重症であったにもかかわらず、シーズン最終盤の10月5日に再登録を果たすと、同日の対中日戦(甲子園)8回裏に代打で出場。笠原祥太郎が投じた初球で中前安打を打ったことによって、桧山の持つ球団記録に並んだ。以降も6試合で代打に起用されたものの、いずれもノーヒットで、球団記録の更新までには至らずシーズンを終えた。ちなみに、代打による一軍公式戦でのシーズン23安打は、右打者としての球団最多記録で、左打者を含めてもNPB歴代3位の記録でもある。

2019年、春季キャンプのスタートを二軍で迎える予定だったが、キャンプイン直前の1月24日に大腸癌を患っていることを自身のTwitter公式アカウントと球団を通じて公表。前年末に受診した人間ドックで判明したもので、シーズン中に実戦へ復帰することを目標に、患部の手術を受けたうえで治療に専念することを明らかにした。2日後(同月26日)の手術、2月上旬の退院、リハビリなどを経て、5月8日に中日とのウエスタン・リーグ公式戦(阪神鳴尾浜球場)8回裏に代打で実戦復帰を果たした。この試合から同リーグの公式戦18試合へ出場すると、「4番・指名打者」に起用された6月2日の対ソフトバンク戦(春日総合運動公園野球場)で復帰後初本塁打を記録した。セ・パ交流戦が開幕した6月4日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、当日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)9回表一死三塁の局面で代打に起用。ジョシュ・レイビンから左翼フェンスを直撃する適時二塁打を放った。6月9日の対日本ハム戦(甲子園)でも、3-3の同点で迎えた9回裏二死一・二塁の場面で代打に起用されると、秋吉亮からサヨナラ安打を記録。このサヨナラ安打で、同月のセ・リーグサヨナラ賞を受賞した。代打での活躍に加えて、交流戦の期間中に指名打者としてのフル出場やや捕手としての起用も経験したことを背景に、オールスターゲームにもセ・リーグの「プラスワン投票」得票数1位で3年ぶりに出場。7月12日の第1戦(東京ドーム)9回裏二死一塁に代打で2点本塁打、「7番・指名打者」としてスタメンに起用された翌13日の第2戦(甲子園)2回裏の第1打席でソロ本塁打を打ったことによって、2試合にわたりながらも2打席連続本塁打を記録した。一軍の公式戦でも、8月4日の対広島戦(マツダ)5回表二死一塁で代打に起用されると、九里亜蓮が投じた初球で復帰後初本塁打を打っている。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦43試合の出場で1本塁打、打率.276、11打点を記録。17試合でマスクをかぶったほか、チームのレギュラーシーズン3位で臨んだクライマックスシリーズでも、DeNAとのファーストステージ(横浜)全3試合および、巨人とのファイナルステージ(東京ドーム)2試合で代打に起用された。結局、一軍復帰後は登録を一度も抹消されず、シーズンの終了後にはホセ・ロペス(DeNA)と共にセ・リーグの特別賞を受賞した。

2020年、大腸がんの経過観察中ながら体調が安定していることなどを背景に、2018年の秋季以来2年ぶりにキャンプへ参加。春季キャンプとしては同年以来の一軍スタートで、大腸がんの手術後初めて練習に制限を設けないフルメニューへ臨んだ。オープン戦以降も一軍に帯同した結果、梅野・坂本誠志郎と交互にスタメンマスクを任せる矢野燿大監督の方針などを背景に、レギュラーシーズンの開幕を2年ぶりに一軍で迎えた。6月20日に巨人との開幕カード第2戦(東京ドーム)で「7番・捕手」としてスタメンに起用されると、4回表二死無走者で迎えた第2打席で、自身および阪神の野手としてのシーズン初本塁打を打った。6月27日の対DeNA戦(横浜)までは3試合でスタメンに起用されていたが、開幕からチーム随一の打撃成績を残している梅野の正捕手復帰を前提に捕手2人制へ移行したこともあって、この試合以降はベンチ入りを続けていながら一軍の公式戦から半月以上遠ざかっていた。捕手3人制へ戻った7月中旬から代打要員として一軍公式戦への出場を再開したものの、12試合の代打起用で10打数1安打と振るわず、8月17日付で出場選手登録を抹消された。抹消後はウエスタン・リーグ公式戦で打率.361を記録するほど好調で、梅野が9月17日の対巨人戦(東京ドーム)で右脇腹を痛めたことから、翌18日に梅野と入れ替わる格好で一軍に復帰。復帰後はスタメンマスクを再び任されているほか、梅野が戦線に戻った10月以降は、一塁手としてもスタメンに起用されている。

2021年、一軍にフルシーズン帯同していたため、レギュラーシーズン中の一軍公式戦には、前年を上回る56試合へ出場。主に代打で起用されたが、通算の打席数が前年を下回る58打席にとどまった。さらに、打撃面では通算打率.204、3打点と振るわず、一軍デビューを果たした2016年以降のシーズンでは初めての本塁打なしに終わった。捕手としての出場もわずか3試合で、矢野が前半に梅野・終盤に坂本へスタメンマスクを一任していたこともあって、原口が捕手としてスタメンへ起用される機会はなかった。一軍公式戦では捕手以外にも4試合で一塁の守備に就いていたが、「捕手以外のポジションで勝負してでも出場の機会を増やしたい」との思いから、秋季練習中のノックにはもっぱら一塁と外野で参加。12月10日に推定年俸2500万円(前年から300万円減)という条件で契約を更改した直後の記者会見で、翌2022年から捕手の登録を外れることを明言した。

2022年、ポジション登録を内野手に変更。「捕手以外の守備で経験を積ませたい」という首脳陣の方針で若手主体の「安芸組」へ振り分けられた春季キャンプでは、外野に加えて三塁の守備にも取り組み始めていた。キャンプ後の3月初旬にハムストリングを痛めた影響で、レギュラーシーズンの開幕を二軍での別メニュー調整で迎えたものの、4月中旬から実戦に復帰。ウエスタン・リーグで左翼手としての公式戦出場を初めて経験した後に、4月26日から一軍に昇格した。昇格後は、一軍公式戦5試合に出場。5月25日の対楽天戦(甲子園)では、一塁手としてスタメンに起用されていたジェフリー・マルテの負傷を受けて、2回表から9回表まで一塁を守った。同月29日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)では「5番・指名打者」としてスタメンからのフル出場を果たしたものの、打撃面では5試合通算で10打数ノーヒットと振るわず、5月30日付で出場選手登録を抹消。抹消後は6月12日までウエスタン・リーグの公式戦に出場していたが、喉の痛みをきっかけにPCR検査を受診したところ、新型コロナウイルスに感染していることが翌13日に判明した。療養と再調整を経て、7月1日からウエスタン・リーグの公式戦で実戦に復帰。自身の復帰後も二軍の他の内野手に感染が相次いでいることを背景に、8月7日の対ソフトバンク戦(鳴尾浜)で公式戦初の三塁守備に就くと、同月9日の対オリックス戦(京セラドーム)では2打席連続で本塁打を放った。一軍でも8月の長期ロード中に主力選手の感染が次々と確認されていることから、NPBが定める「感染拡大防止特例2022」に沿って、感染者の代替選手として同月10日から一軍へ再登録。8月14日の対中日戦(京セラドーム)8回裏に、一軍公式戦でのシーズン初安打を代打で記録した。一軍でのシーズン初安打までに要した試合は8試合で、阪神への入団後に一軍公式戦へ出場したシーズンでは最も遅く、8月にまで持ち越されたことも初めてである。もっとも、チームが8連敗で迎えた8月18日の対ヤクルト戦(神宮)に「5番・一塁手」としてスタメンに起用されると、一軍公式戦としては2年(665日)ぶりの本塁打を含む2安打を記録。同月だけで打率.381(21打数8安打)を記録すると、先発投手の左右を問わず「5番・一塁手」としてスタメンに定着した9月には、月間打率が.405(37打数15安打)にまで達した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦への出場こそ一軍デビュー後最少(33試合)にとどまったものの、捕手登録の前年を軒並み上回る打撃成績(打率.324、2本塁打、10打点、OPS.827)でチームのクライマックスシリーズ(CS)進出に貢献。CSでは、10月10日にDeNAとのファーストステージ第3戦(横浜)でチームをステージ突破に導く決勝打を放ったが、ファイナルステージを含めた全6試合の出場(5試合のスタメン起用)で通算18打数2安打と振るわずにシーズンを終えた。なお、CSの後に参加した秋季キャンプからは、一軍の実戦で就く機会のなかった左翼の守備練習を再開。キャンプ終了後の11月29日に、推定年俸3100万円(前年から600万円増)という条件で契約を更改した。さらに、日本ハムとオリックスを経て2017年からチームへ加わっていた外野手の糸井嘉男が、41歳で現役を引退。このような事情から、自身と同年齢(契約更改の時点では31歳)の梅野と共に、チーム内の現役選手としては最年長の野手になった。

2023年、春季キャンプを2年ぶりに一軍で過ごすと、キャンプ中からの好調を背景に、レギュラーシーズンも2年ぶりに一軍でスタート。4月2日にDeNAとの開幕カード第3戦(京セラドーム大阪)8回裏二死二塁から代打に起用されたところ、チームのレギュラーシーズン初本塁打をエドウィン・エスコバーからの2点本塁打で記録した(詳細後述)。以降もセ・パ交流戦の直前まで代打限定の起用が続いたものの、実際には打率が1割台に低迷していて、交流戦の前半には二軍での調整を余儀なくされた。

選手としての特徴

遠投100メートル、本塁・二塁間の送球が1.8秒台という強肩の持ち主。2012年までのチームメイトの金本知憲が一軍監督として阪神に復帰した直後(2015年11月)の秋季キャンプでは、支配下登録選手の北條史也と並んで、首脳陣から同キャンプのMVPに選ばれた。

打者としては、力強いスイングが特徴。2016年の支配下再登録後は、一軍公式戦のスタメンで、4番打者や5番打者といったクリーンナップに起用されることがある。

育成選手時代の2014年・2015年には、前述した故障の影響で、二軍の対外試合に一塁手としてスタメンで起用されることがあった。しかし、阪神の捕手や野球解説者として原口のプレーを見てきた矢野燿大が2015年のシーズン終了後に「一軍作戦兼バッテリーコーチ」として復帰したことを機に、矢野に対して「(自分は)捕手で勝負したい」と直訴。矢野も、原口を「野球へ熱心に取り組む努力型の選手」として評価していたことから、その直訴を受け入れた。支配下再登録を経て一軍に昇格した2016・2017年にも、一軍の公式戦で他の捕手がスタメンマスクを担う場合に、一塁手としてスタメンへ同時に起用されることがあった。金本の監督最終年だった2018年には捕手に再び専念していたものの、矢野が金本から一軍監督を引き継いだ2019年以降は捕手として起用される機会が少なく、本人も2021年のシーズン終了後に一塁手や外野手として出場機会を増やす意向を示すに至った。現に、矢野が監督職を退任する意向を春季キャンプの直前から表明していた2022年シーズンには内野手として登録されていて、レギュラーシーズン中の公式戦では一・二軍とも捕手として起用される機会がなかった。その一方で、チームが不測の事態(スタメンに起用していた捕手の試合中での負傷など)へ見舞われた場合に、捕手として急遽マスクをかぶる余地も残している。

2022年から捕手登録を外れたことを機に、打撃フォームを改造。「少ない打席のワンスイングで投球を仕留める」という確実性を強く意識した結果、ノーステップに近い打法へ変えるとともに、現役時代後半の関本賢太郎(かつてのチームメイト)さながらにコンパクトな構えでバットを改造前より短く持つようになった。

人物

愛称は「グッチ」、「フミ」。

原口と同じく、2010年に阪神へ入団した城島を「(捕手としての)生きた教材」「師匠」として尊敬している。城島が阪神で現役を引退した2012年までは、城島の自主トレーニングに同行したり、城島に積極的に質問することもあった。その縁で、支配下登録への復帰と一軍への初昇格を同時に果たした時には、野球界を離れていた城島に連絡したという。 ちなみに、阪神で2020年まで長らくバッテリーを組んでいた能見篤史(2021年にコーチ兼任でオリックスへ移籍した後に2022年限りで現役を引退した左投手)や、複数の野球解説者からは「プレーや仕草が城島にそっくり」と評価されている。

2011年まで投手として阪神に在籍した下柳剛や、2019年まで阪神で二軍監督などを務めた掛布雅之からも、野球人生を変えるほど多大な影響を受けている。下柳からはウエスタン・リーグの公式戦でバッテリーを組むたびに、捕手として必要な知識を数多く伝えられたという。打撃でのインパクトのタイミングに苦慮した際には、現役時代の掛布の経験談を基に、素振りを徹底することで打撃フォームを固めた。本人によれば、「育成選手時代の2015年に金本さんから一軍の秋季練習に呼ばれたこと(詳細前述)が、この世界(NPB)で自分が得られる最後のチャンスだった」とのことで、「甲子園球場のバックスクリーンを背に金本さんから打撃指導を受けている写真を、入団当初から自分をずっと取材してきた『日刊スポーツ』大阪本社カメラマン(当時)の河南真一さん(在職中の2018年に56歳で急逝)に撮影してもらえたことも忘れられない」という。

一軍に昇格した2016年からは、サヨナラヒットを打った5月19日の対中日戦を皮切りに、ヒーローインタビューで「必死のパッチ」(矢野や関本が阪神の現役選手時代に多用していた決め台詞)を披露していた。その一方で、2018年12月19日に開催されたファンとの交流イベントでは、「必死のパッチ」に代わるヒーローインタビューの決め台詞を参加者から募集。原口自身が厳選したうえで、自身の苗字(原口)から「必死の"グッチ"(で打ちました)!」というフレーズを、2019年の一軍復帰後から使用している。

帝京高校3年時の秋(2009年のNPBドラフト会議で阪神から指名された直後)に地元(埼玉県寄居町)の野球教室へ参加した際に知り合った1学年後輩の女性と、8年近くにわたる交際を経て2017年に結婚結婚後に2人の女児を授かっている。矢野や関本がそのことを承知で「自分の娘の結婚相手は原口しかいない」と繰り返し公言するほど、阪神の関係者や報道陣からの人望が厚い。

阪神の一軍に定着してからは、マネジメント業務をオフィスS.I.Cに委託。2018年には、代打による一軍公式戦でのシーズン最多安打の球団記録を樹立したことを受けて、「FUMIHIT」ブランドのTシャツやマフラータオルが同社から発売された。

阪神へ入団した2010年から2022年までは、対外試合で打席に入る際の登場曲を、5度の変更を経ながら毎年設定していた(詳細後述)。2023年には過去に使用していなかった楽曲から選ぶことを予定していたが、「使用を希望していた楽曲の著作権の所在が判明しなかった」とのことで、実際には登場曲を設定していない。本人はその理由として、NPBが新型コロナウイルス感染拡大防止策の一環で2020年から3シーズン禁止してきた「試合会場(球場)での声出し応援(声援)」が2023年シーズンから解禁されることを踏まえて、「『登場曲に良い』と思えそうな楽曲が見付かるまでは、大腸がんを克服したうえで一軍への復帰を果たした2019年のように、ファンの声援を背に戦う」との考えに至ったことを明かしている。

2024/06/14 20:52更新

haraguchi fumihito


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