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古谷徹の情報 (ふるやとおる)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

古谷徹の情報(ふるやとおる) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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古谷 徹さんについて調べます

■名前・氏名
古谷 徹
(読み:ふるや とおる)
■職業
声優
■古谷徹の誕生日・生年月日
1953年7月31日 (年齢70歳)
巳年(へび年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和28年)1953年生まれの人の年齢早見表

古谷徹と同じ1953年生まれの有名人・芸能人

古谷徹と同じ7月31日生まれの有名人・芸能人

古谷徹と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


古谷徹と関係のある人

飛田展男: バンダイSDガンダム GGENERATION NEO(2002年)古谷徹、檜山修之と共に


尾崎準: 尊敬する人物はジェイソン・ステイサム、ドウェイン・ジョンソン、ジェラルド・バトラー、マ・ドンソク、役所広司、窪田等、古谷徹、千葉繁、山路和弘、諏訪部順一、松岡禎丞、木村昴、野沢雅子、榊原良子、沢城みゆき。


池田秀一: 古谷徹とは、特にシャア、アムロ役の声優として関連イベントなどでの共演機会が多く、トークショーなどでも絶妙の掛け合いを見せている。


山寺宏一: 同年代の古谷徹や水島裕、江原正士、三ツ矢雄二、かないみかとは、プライベートでも仲が良く、よく遊びに行ったり、飲みに行ったりしている。


若井おさむ: 飛雄馬・星矢はアムロ同様、古谷徹が声を当てていたキャラクターであるため、「セリフを変えただけ」とよく弄られる。


鈴置洋孝: また同時に、鈴置を中心としたメインキャストが一丸となって、「主演の古谷徹を断固としてトップクレジットに掲載する」ようにも交渉したという。


小山茉美: 元夫は声優の古谷徹


羽佐間道夫: 山寺宏一との対談、野沢雅子、古谷徹、大塚芳忠、堀内賢雄、戸田恵子、林原めぐみ、朴璐美からの寄稿や、今回の本のために撮り下ろした朗読CDを収録


森田成一: 2005年には『聖闘士星矢 冥王ハーデス冥界編』において古谷徹に代わり主人公・ペガサス星矢の声を担当することになった。


飛田展男: 監督が富野であり、シャア・アズナブル役の池田秀一、アムロ・レイ役の古谷徹と共演することも分かっており、存在感のあるキャラクターが次々に出てくるため、主人公といえど途中でチェンジになるかもしれないというプレッシャーが常にあったという。


バードフミヤ: また、ヤムチャの声優である古谷徹繋がりでセーラームーンのタキシード仮面のモノマネをする事もある。


池田秀一: 飲み会の際に、携帯電話で泣きながら男と話している女の子を見かけ、その会話に我慢できなくなって携帯を奪い取り「俺はシャアだが、」と名乗って相手に説教を始めたことがある(『中川家ん!』(2005年2月1日毎日放送・関西ローカル)に出演した古谷徹談)。


山崎たくみ: 『聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編』で塩沢の持ち役である牡羊座のムウを担当することになった際は、当初は不安を感じていたが、共演者の古谷徹や矢田耕司からは「たくみ君なら大丈夫」と言葉をかけられ、イベントやインターネットでファンの様子を見て、「好意的に受け止めていただいて安心しました」と話している。


鈴置洋孝: 一方で不可解なNGを出すこともあり、古谷徹によるとOVA『聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編』では「白羊宮」と上手く言うことができず、「白洋舍なら言えるのに」と真剣に悩んでいたという。


尾崎淳: 尊敬する人物はジェイソン・ステイサム、ドウェイン・ジョンソン、ジェラルド・バトラー、マ・ドンソク、役所広司、窪田等、古谷徹、千葉繁、山路和弘、諏訪部順一、松岡禎丞、木村昴、野沢雅子、榊原良子、沢城みゆき。


堀秀行: 古谷徹とは仲が良く、一緒にゴルフ場に行くことが多い。


渡部薫: 同じく声優の古谷徹に声が似ているという事で、イベント出演時はモノマネをさせられている事が多い。


飛田展男: バンダイ「機動戦士ガンダム クライマックスU.C.」(2006年)古谷徹と共に


小山力也: ディープピープル「ヒーロー声優」(NHK総合テレビ、2011年8月22日、古谷徹・野沢雅子とともに出演)


吉田喜昭: 『巨人の星』 : 監督長浜忠夫・御厨恭輔・斎藤博、原作梶原一騎・川崎のぼる、声の主演古谷徹、製作東京ムービー、1968年3月30日 - 1971年9月18日放映(連続テレビアニメ映画・全182回) - 山崎忠昭・松岡清治・佐々木守・辻真先・伊東恒久・伊上勝・斉藤次郎・松元力・島修司・さわきとおる・山崎晴哉・宇佐美寛・林すみ子・鈴木良武・竹内泰之・金子裕とともに脚本


剛力彩芽: KDDI/沖縄セルラー電話(各au) - 井川遥 伊勢谷友介 星飛雄馬(声・古谷徹)と共演(2012年1月 - 2014年5月)


杉田智和: 古谷徹、池田秀一、銀河万丈、石塚運昇、塩沢兼人、小山力也、速水奨、子安武人、森久保祥太郎などのモノマネも得意とする。


馬飼野康二: 古谷徹


國府田マリ子: この曲は共演者にとっても思い出に残ったようであり、共演者の1人である古谷徹は後に一緒に國府田と酒を飲んでいた際に携帯電話に保存したその曲を國府田に聞かせてくれた。


鶴ひろみ: しかし、古谷徹は鶴のことを「茶目っ気のある性格」と語っている。


入江麻衣子: 審査員は剛力彩芽、菊川怜、野沢雅子、古谷徹


豊口めぐみ: 好きになったきっかけは、古谷徹が出演していたために見ていた『セーラームーン』がミュージカル化されて観に行ったことから。


緑川光: 特にガンダムの雑誌インタビュー記事を見た時に、主演の古谷徹をはじめ、青二プロダクション所属の声優が多かったことから、そのプロダクションに入るという目的も出来る。


中村悠一: 古谷徹には『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のDVDにサインを貰ったが、同作のBD発売後に再度サインをもらった。


鶴ひろみ: 松野太紀と古谷徹とは、劇団時代からの旧知の仲。


古谷徹の情報まとめ

もしもしロボ

古谷 徹(ふるや とおる)さんの誕生日は1953年7月31日です。神奈川出身の声優のようです。

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人物、エピソードなどについてまとめました。母親、解散、子役、テレビ、ドラマ、映画、卒業、趣味、現在、引退、父親、結婚、離婚、再婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。古谷徹の現在の年齢は70歳のようです。

古谷徹のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

古谷 徹(ふるや とおる、1953年〈昭和28年〉7月31日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。神奈川県横浜市磯子区出身。青二プロダクション所属。別名義に蒼月 昇(そうげつ のぼる)がある(後述)。妻は元声優の間嶋里美。元妻は声優の小山茉美。

主な出演作に『巨人の星』(星飛雄馬)、『機動戦士ガンダム』(アムロ・レイ)、『ドラゴンボール』(ヤムチャ)、『聖闘士星矢』(天馬星座の星矢)、『きまぐれオレンジ☆ロード』(春日恭介)、『美少女戦士セーラームーン』(地場衛 / タキシード仮面)、『名探偵コナン』(安室透〈初代〉)、『ONE PIECE』(サボ〈初代〉)、『機動戦士ガンダム00』(リボンズ・アルマーク、ナレーション)などがある。

自動車番組『カーグラフィックTV』の2代目ナレーターを1986年から務め、さらに報道番組『クローズアップ現代+』のナレーターを2016年4月から2022年3月まで務めていた。

豆腐店の長男として神奈川県横浜市磯子区で誕生。

昔はお遊戯の延長線上でバレエ、ダンス、習い事として日本舞踊をしていた。当時は小柄であったことから女形ばかりしており、それが嫌で小学5年生くらいで日本舞踊は辞めた。「俳優の仕事に役立つ」ということであったが、一方で「単純に母が好きだったのだろう」とも語る。

一方、首には風呂敷、手には水鉄砲などの格好をして三輪車に乗り、商店街を走り回っていた。

5歳の頃に、ラジオに合わせ歌い踊っていた姿を見ていたアナウンサー・歌手志望だった長野県出身の母親が「芸事に向いているのでは」と子に夢を託す形で古谷を児童劇団の劇団みつばに入れる。その時は演技をするという意識はなく、発表会のような感覚であった。劇団みつば解散後は7歳くらいで劇団ひまわりに入団、子役として活動した。両親は自営業で、送迎できる状況ではなかったため、実家の横浜市から劇団がある東京都渋谷区恵比寿まで1人で通っていた。

子役としてのデビューは、テレビ番組の戦争ドラマだったと語る。記憶は薄いが、空襲を受けて地面に伏せる役で、付き添いで来ていただけの母も出演。親子としてそのまま出演しているため、母もある意味では夢がかなったという。

普段の練習はもちろん、撮影現場に出ることができて楽しかったという。『隠密剣士第七部 忍法根来衆』の現場では、日常には無かった刀や手裏剣などの小物にわくわくしていた。根岸線開通前、横浜市磯子区の自宅から東京都練馬区大泉学園にあった撮影所まで、京急線、JRなどを乗り継ぎ、1人で通っていた。収録後は帰りに東京都渋谷区のデパートのおもちゃ売り場に寄ったりして、ほとんど遊び感覚だったという。

子役時代には『ウルトラQ』第13話「ガラダマ」や『マグマ大使』などへの特撮ドラマ出演を果たし、自身も好きなヒーロードラマに出られて嬉しかったという。

10歳のときに『ローマに咲いた恋』で声優デビュー。小学校の頃のニックネームは「古ちん」。関東学院六浦小学校を経て、関東学院六浦中学校在学中、中学1年時の1966年にオーディションで合格した役である、『海賊王子』のキッド役でアニメに初出演した。中学3年生時の1968年からは、アニメ『巨人の星』で主人公の星飛雄馬役を担当。『巨人の星』に出演後、あまりにも人気が出て国民的に知られるようになったこともあり、星飛雄馬のイメージが大きくなったという。また海外ドラマでも6年近くレギュラーの出演をしていていた。声優デビューしてからも、1967年の加山雄三主演映画『続・何処へ』などで子役俳優として顔出し出演を続けていた。

ただし、前述のとおり母が「息子にこの道に進んでほしい」という思いがあったからであり、自分で選んだわけではなかった。そこで、『巨人の星』の放送終了後の高校3年生の頃、今後の進路について立ち止まって考えていた。その時は受験の時期ということもあり、それまでは親の敷いたレールの上を歩いてきたが、「果たして自分自身はこの仕事が好きなのか?」と自問していたという。子役から俳優への切り替えがうまくいかない先輩たちの前例も見て、少しずつ離れて芸能界を眺めてみたくなり、劇団ひまわりを退団して学業優先のためしばらく休業。ただしレギュラーではない単発での声優の仕事は不定期で行っていた。関東学院六浦高等学校から明治学院大学経済学部商学科へ進学し、「改めて自分がどんな仕事をしたいか考えてみよう」、「この世界に戻るにしても、一度きっぱり辞めて、大人の芝居を勉強し直して再び入ればいい」、「一生の仕事として何をしようかな」と考えていた。大学時代については、それまでの学業と芸能界の仕事を必死で両立する日々とは異なっていたため、楽しかったという。一人暮らしを始め、同級生とビリヤードなどをするなど、生活が一変した。

当時は第一次オイルショックのあとの不景気で、就職は公務員が一番人気であり、自身の叔父が公務員であったためそれを勧められた。他にも家業を継ぐ道や、会社員になる選択肢もあった。しかし『巨人の星』との出合いやそこで得た経験が大きく、芝居の難しさや出来た時の達成感、放送開始後にファンレターを多数貰いメチャクチャ嬉しかったこと、色々な取材を受けたり、サイン会などが忘れられず、大きな勲章を貰った気もしていた。すごく不安であったが、大学卒業時期に「一生の仕事は何をしよう」ともう一度考え、「やっぱりもう1回プロとして俳優の道を目指してみたい」、「そこに賭けてみよう」、「やっぱり俳優の道を行ってみよう」と声優の仕事で生きていくことを選び、1974年に東京俳優生活協同組合に所属した。俳協は顔出しの仕事もしていたため、「声のお仕事と両方できるから」と思った。その後は、昼のメロドラマに出演したり、舞台の仕事をしたりしていた。その時にだんだんとアニメの魅力にも熱中していき、「アニメの中だと自分はヒーローでいられる。これは凄く楽しい仕事だな」と思えるようになったという。1975年、『鋼鉄ジーグ』の司馬宙役で活動を再開。

『巨人の星』で星一徹役を演じていた加藤精三が仕事仲間を集めて民話の朗読会を開いていたが、その縁で加藤のもとで勉強をしたくなり、その会に入っていた時期もある。ここで様々なキャラクターを演じ分ける勉強をさせてくれたことが、その後の声優の芝居に大きな影響があったと語り、「この経験がなかったら、アムロは演じられなかったかもしれないです」と回想している。

1979年に『機動戦士ガンダム』で主人公のアムロ・レイ役を担当。作品自体の大ヒットと共に、それまで星飛雄馬の流れを継ぐ熱血キャラクターを演じることの多かった古谷にとって、内向的な少年であるアムロは大きなターニングポイントになった。1982年からは青二プロダクションに所属。

ちょうど30歳の節目の年で、角川映画初のアニメ作品『幻魔大戦』に出演。その時、ある人物に言われていた「男は30歳のときにやっていることが一生を決める」という言葉が自分の中に残っていた。「ここで僕の一生が決まる」と感じていた時、「声優として生きていこう」と決めたという。

1980年代・1990年代には、『ドラゴンボール』、『聖闘士星矢』、『美少女戦士セーラームーン』など社会現象を起こした多くの作品でレギュラーを務めた。

2000年代以降はガンダム関係の番組を中心に、バラエティ番組に顔出しで出演する機会も増加した。2012年からは『名探偵コナン』で人気キャラクターの安室透役を担当しており、2022年には同作のスピンオフ作品『名探偵コナン ゼロの日常』で14年ぶりにテレビアニメの主役を演じる。

声優アワードにおいて、2008年(第2回)に富山敬賞を、2010年(第4回)にはシナジー賞を、2019年(第13回)には助演男優賞を受賞した。

2024年5月22日、37歳下の一般女性ファンと2023年9月まで4年半の間、不倫の関係にあり、口論になり手をあげたこと、妊娠・中絶させたことが報じられ、本人はXを更新し報道された内容が事実と認め謝罪した。

2024年8月に予定していた『朗読劇READING WORLDユネスコ世界記憶遺産 舞鶴への生還 「約束の果て」』や10月に発売を予定したゲーム『メタファー:リファンタジオ(英語版)』は諸般の事情により降板、配信番組「古谷徹のほっこりThanksroom」は終了、イベント「『ZERO STAR × 名探偵コナン』produced by 古谷徹 古谷徹さんトーク&『ノベルティ』お渡し会」を中止することとなった。

2024年6月22日、所属事務所の青二プロダクションから「著しく作品及びキャラクターのイメージを傷つけた」として『名探偵コナン』の安室透役、『ONE PIECE』のサボ役の降板が発表された。古谷はこの2役の降板について「今の自分に唯一できる償いの形」と表現している。また、発表と共に古谷自身の公式Xアカウントの削除も確認されている。

人物

役者としての特色

声種はテノール(F - F〈2オクターブ〉)。

声優としては、多数のアニメ、洋画、ゲーム、CDドラマに出演しており、ナレーション、ラジオのパーソナリティも務めるなど、幅広く活躍。

役柄としては、主に大ヒット作の主人公、正義感が強いヒーロー的な役を演じる。

『巨人の星』では作中年齢に近い星飛雄馬を15歳の古谷が演じ、大きな反響を引き起こす。その後は、アムロ・レイ、ペガサス星矢など数々の男の子向けアニメでカッコいいヒーローを演じた。

任天堂のゲームキャラクター・マリオの声を、1990年代ごろまで各種アニメ、テレビCMで担当していた。

ナレーション業としては、『カーグラフィックTV』を1986年から担当している。『闘牌伝説アカギ 〜闇に舞い降りた天才〜』、『機動戦士ガンダム00』などのアニメ作品のナレーターを担当することもある。

吹き替えではユン・ピョウを担当しており、大滝進矢と分け合う形となっている。

音楽

小学生の頃からウクレレを弾いている。また、中学1年生になった時に両親からギターを入学祝いとして買ってもらってからは、1人でギターを弾いていた。

中学2年生の時にジミ・ヘンドリックスに憧れ、中学3年生の時に同級生とロックバンドを組み、リードギターとボーカルを担当し、ギターに夢中になってミュージシャンになろうとしていた時期もあった。その時に「将来は食事しながら音楽のライブや芝居がみられるライブハウスを持ちたい」と考えていたことから、前述の通り大学は経済学部を選んだという。

大学時代に渡辺プロダクション経営の東京音楽学院に入学し、歌手デビューを目指していたという。しかし大学卒業が近づき、一生の職業を考えるようになっていた時、「ミュージシャンとか歌手では将来性はどうなんだろう、難しいかな」と思うようになっていたという。

1977年に声優仲間とバンド「スラップスティック」を結成し、古谷はドラムを担当。声優活動復帰後は「音楽は趣味でいい」と思っていたが、今度は声優がクローズアップされるようになり、「レコードを出しませんか?」、「声優たちのバンドを組もうよ」といった話が持ち上がった。その時にスラップスティックに始まり、ソロ、キャラソン、アニメ主題歌など、音楽も少し仕事になっていったことから、より多くの作品を残せたのかもしれず、「これ、一番いい方向に行ってるな」、「大学時代に歌を勉強した2年間というのは、全然無駄じゃなかったな」と思っていたという。キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)より『いじわるばあさん』のテーマ曲、『ぼくパタリロ!』のエンディング曲『クックロビン音頭』などの他、11枚のアルバムを約10年の活動中にリリースした。その後解散したが、メンバーだった曽我部和恭、鈴置洋孝が2006年に相次いで死去したことに際し、追悼ライブを行っている。

ソロでもビクターレコード(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から、1980年『TORU Page1』、1981年『TORU Page2』、1982年『TORU Page3』、1983年『HEARTS』と4枚のアルバムをリリースした。アニメソングでも主演作の『ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説』の第二部にて、オープニングテーマを歌っている。また、2009年にはゲームソフト『仮面ライダー クライマックスヒーローズ』の主題歌『集合! クライマックスヒーローズ』を担当した。この他、ヤムチャ(『ドラゴンボール』)、タキシード仮面(『美少女戦士セーラームーン』)、春日恭介(『きまぐれオレンジ☆ロード』)、坂本耕作(『ストップ!! ひばりくん!』)、無限真人(『特装機兵ドルバック』)など、持ち役のキャラクターソングも多い。

2008年に自身名義としては初のCD(前述のアルバムはレコードの時代に制作され、現在に至るまで未CD化)ミニアルバムとなる『HEROES 〜to my treasure〜』を発表した。

仕事に対する姿勢

本人は自分の役作りについて、まずは情報収集であると語る。「キャラクターについて手に入る情報はすべて頭にインプットする」「キャラクター表を見て、同じポーズをとってみる(例:ヒーローであれば、目つきやポーズ)」といったようなことを自分の体にコピーしていくのだという。また、インプットした情報は忘れないように台本の余白ページに書き込み、他の役の設定もメモをしておき、自分の役との関係性をはっきりさせておくとのこと。

役への取り組み方は「この役はどんな声を出すんだろう?」を考えるところから始まり、スタジオに入る前にできる限りの資料を集めて自分の中で分析をしている。レギュラーのアニメーションの役を勝ち取るというのが、大変かということを痛感しているため、ひと言ひと言のセリフなど、ひとつの役というのを大事にして取り組んでいる。

一時期は週7本レギュラーがあったが、レギュラーがなくなってしまった時期もあった。月給制ではないため、仕事がなければ一銭も入って来ず、不安に感じていた。当時はちょうど声優専門の養成所ができ始め、若手声優たちが台頭し始めた頃であった。また自身のギャランティーのランクも高くなっていたなど予算的な部分もあり、また色々な作品で自身の声が広まっていたため、「僕の声はもうわかっている」、「(古谷以外の)もっと新鮮な声が欲しい」ということで、若手にアニメの主人公役が変わっていく傾向にあった。その時はオーディションにも呼ばれなくなっていった時期であった。このことはたった半年くらいの出来事であったが、それがきっかけで色々な役を演じるようになった。そのような経験を経て、ひとつの役に対する捉え方、取り組み方などが変わり、「この役をいただいて本当にありがとうございます」という「感謝の気持ち」から「真剣にやろう、手間暇をかけよう」という気持ちになっていった。

職業としての声優にプライドを持っていることからこの仕事が好きであり、また「自分にはこの道しかない」と思っていたことから「声優を辞めよう」と思ったことはなかった。「声優は俳優より多くのスキルが必要だ」と語り、モチベーションという意味では、アニメーションではヒーローでいられるため、その思いが「今まで自分を支えてくれたんじゃないか」と感じており、「もっともっとヒーローをやりたい!」とのこと。

自身でこのセリフをこのトーンでこんな雰囲気で喋ることは決めないようにしている。本人は「アフレコ現場で監督と話し合って作り上げていくものだから」と公言している。

体調管理は、2016年時点では朝晩うがい薬でうがいする程度と語る。ナレーションの仕事では、腹筋が無いと長い文章を息継ぎなしで喋れないため、トレーニングはしている。酒はほぼ毎晩飲んでいるが、量は少ないという。深酒すると午前中は低い声になってしまうため、高い声を出す必要のある時は控えている。

2016年時点では5歳から活動しているため、レギュラーの番組がなくなったら辞めて、「できれば早く引退したいなぁ」と語っていた。

2018年時点では「死ぬまでヒーローをやっていたい」という気持ちは常にあり、快感のために声優を続けている。自分のセリフを「うわあ、カッコいい!」と思える瞬間が忘れられず、「カッコいいセリフを言い続けていたい」という。

エピソード

自身の演じた役柄の中で熱血ヒーローの集大成は『聖闘士星矢』のペガサス星矢を挙げている。自身の年齢から、「これが恐らく僕の最後のヒーローになる」とも語っていた。

『巨人の星』に関しては元々原作漫画の大ファンであり、「まさか自分が星飛雄馬を演るとは思わなかったので驚いた」「飛雄馬の成長をずっと追いかけていく物語を、役者として3年半演じ続けたことはとても勉強になった」と語っている。オーディションに際、飛雄馬をどう演じるかなどの役作りは前述のとおり原作のファンであったことから、自分の中で、「飛雄馬はこう喋る」というのができあがっており、それをそのまま出した感じであった。ただし、そのオーディションは、野沢雅子ら、業界の大先輩たちも受けており、「正直、受かることはないだろうな」と思っていた。

当時は『週刊少年マガジン』で連載中の人気作品であったこと、週連載を読み泣いていたことから「この作品をヒットさせないといけない」という思いが自分の中にあった。すごく嬉しかったが、「もし星飛馬のイメージが崩れたらどうしよう」とプレッシャーでもあったという。

星一徹役の加藤精三、星明子役の白石冬美、伴宙太役の八奈見乗児、花形満役の井上真樹夫といった『巨人の星』で共演していた先輩声優たちとは年が離れており、当時の古谷はまだ中学生であった。白石とは『海賊王子』でも一緒であったため、凄く可愛がって貰った。加藤は演じる星一徹と同じく、「スタッフが委縮してるぐらい超怖かった」と語る。

最初の頃、役柄についての理解はできていたが、「どう表現すれば視聴者を感動させられるのか」ということがわかっていなかった。その時、音響監督を務めていた山崎あきらが助けてくれたという。古谷は本格的な声の演技をするのは初めてであったことから、山崎が1回収録をするたびにその演技について話し合いをするというやり方で、演技指導をしてくれた。しかし、収録時には他の声優もいるため緊張し、先輩に迷惑をかけているという意識もあり恐縮していた。しかし皆理解のある人物ばかりで、古谷を責める人物は1人もいなかったという。星飛雄馬は劇中で成長していき、実年齢を超えることになったが、声変わりは中学2年生くらいで終わり、喉が痛んだり声が枯れたりすることもなかったため、影響は無かった。

飛雄馬を演じる上でもっとも難しかったのは、ヒロインの日高美奈とのシーンで飛雄馬と恋人同士になるが、大人の恋愛は無知だったため、感情表現には苦労していた。山崎に感情表現、気持ちを言葉に乗せて演技をすることを多くを教わり技術的な部分のアドバイスに近く、要するに耳元で実演してくれた。まず自分で解釈した芝居を聞いて山崎との話し合いして、「このシーンはこういう気持ちでやると言うと、ではこういう風にしゃべるのはどうか」と実演してくれたことを耳で聞いてコピーして演じていた。具体的に成長の過程を表現する方法としては、「父ちゃん」というセリフは、末尾の「ん」を高くすると子供っぽくなり、逆に「ん」の発声を低くすると大人っぽくなったといった技術面での指導であった。こうした経験を中学生から高校生の間に勉強できたことは、「僕の声優人生の中でも本当に貴重な時間だった」、「それが自分にとっての役作りだ」というところまで最終的にたどり着くことができ得たものは大きかったという。

星飛雄馬を演じるための役作りとして、野球未経験を払拭しようと、弟を相手に骨折するまでキャッチボールの練習をしていたという。

様々な媒体のインタビューで、今まで演じた最も好きなキャラクターは『きまぐれオレンジロード』の春日恭介と答えている。2016年時点では『名探偵コナン』の安室透、『ONE PIECE』のサボを挙げており、そういう青年役を演じていたため、「若い役を演じていると、ついその気になってしまうからではないでしょうか」と語っていた。2016年時点では『名探偵コナン』の安室透、『ONE PIECE 』のサボを演じ切るのが目標としていた。

テレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』シリーズでのタキシード仮面役は、「タキシード仮面は今までになかったオイシイ役」と評している。「今までやって来た主役は飛雄馬にしろ、星矢にしろ、ほとんどが底辺から這い上がってくるタイプでしたから。しかも皆サブキャラとかライバルとか、たまに出て来て一言二言だけのワキ役に人気をさらわれていましたし、そんなわけで、力一杯キザにやらせてもらっています」と放映当時にコメントしている。当初、タキシード仮面役のオファーを受けた時は驚き、 「何これ、マジシャン?」と思っていたという。アフレコの際も非常に乗り気だったようで、第10話の「運転手は私だ」や、『セーラームーンR』のキャラクターである「月影の騎士(つきかげのナイト)」が去り際に残す俳句(川柳)など、台本にはなかったアドリブを随所に織り込んでいた。

『美少女戦士セーラームーン』シリーズで地場衛を演じていた頃、古谷に長女が誕生。これを祝う形で、テレビアニメ第53話では衛と主人公の月野うさぎが、一時的に赤ん坊を預かり保育に奮闘するというアニメオリジナルの話が製作された(当時、テレビアニメは原作に追いつくことを避けるため、「魔界樹編」としてオリジナルの展開が続いていた)。

『美少女戦士セーラームーン』の新シリーズの『美少女戦士セーラームーンCrystal』シリーズでは、地場衛/タキシード仮面役は野島健児が演じることになったが、健児の父親で同じく声優の野島昭生とはバンドを組んでいた仲であったことから縁を感じ、健児にエールを送っている。

実家は豆腐屋であった。「お父さんの家業は何?」と問われると、間髪入れず「豆腐屋です!」と真面目に答える誠実さと清々しさが魅力だったと勝田久は語る。古谷は現在でこそ「好物は豆腐」と語るが、かつては「味がしないし、歯ごたえもない」として苦手だった。30歳を過ぎた頃から食べ物の好みが変わり、豆腐を「おいしい」と思えるようになったが、その頃には両親は店を畳んでいたため、それを残念に感じたという。豆腐屋だったこともあり「自分が接客業に向いている」と思ったことも前述の大学は経済学部を選んだ理由だと語る。

2009年1月27日に死去したという情報がサイバッチのメルマガで流れ、一時期ネット上は騒然となった。同年1月29日付けの公式サイトの更新で「他界したのは僕ではなく母(享年81)です」とのコメントが書き込まれ、事態は収束に向かった。

「NHK大河ドラマは毎年見ている。特に戦国時代モノが好き。できれば大河ドラマ・ナレーターをやってみたい」と述べている。

前述のとおり、吹き替えではユン・ピョウくらいしか持ち役がないため、『24 -TWENTY FOUR-』のようなカッコいい刑事モノ、大人の主人公を演じてみたいと語っていた。

『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』では当初レッドタイガーの声を演じていたが「声が若すぎてイメージに合わない」という理由から第4話で降板した。

2007年発売のスーパー戦隊Vシネマ『轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊』では、スーパー戦隊30作目の記念として生み出されたキャラクター「アカレッド」の声を演じた。また、その4年後の2011年放送の『海賊戦隊ゴーカイジャー』でも放送前のCMナレーションと第2話に登場した謎の赤い戦士(後にアカレッドと判明)として声を演じるなど、スーパー戦隊シリーズにおける節目の作品に出演している。

『名探偵コナン』で演じている安室透はアムロ・レイと古谷に因んで名づけられている。古谷は大のコナンファンであり、劇場版第20作『純黒の悪夢』の公開を記念した赤井秀一役 の池田秀一とのインタビュー形式の対談で、キャラクター名に自身の本名が入っていることを嬉しく思う旨を原作者の青山剛昌に直接伝えたと語っている。

2016年3月にイスラエルのプーリームでコスプレイベントにゲスト出演した。

他声優絡み

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "古谷徹" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年9月)

若い頃は、自分と同様に数多くの熱いヒーローを担当していた神谷明に対して、ライバル意識を持っていたと自伝で明かしている。共演の多い声優には、男性では井上和彦、古川登志夫、鈴置洋孝、堀川りょう、女性では小山茉美、潘恵子、鶴ひろみ、渡辺菜生子などがいる。特に鶴とは、恋人・両思い・片思いなど恋愛の絡む役同士での共演が多い。

鶴との共演が多かったことに対し、古谷は「互いの声が合っていたのでは」との見解を示している。また「仕事がやりやすい」とも発言している(『きまぐれオレンジ☆ロード』キャストトークより)。『ドラゴンボール』でも古谷=ヤムチャ、鶴=ブルマと恋人役を共演していたが、話が進行していくうちブルマはベジータと結婚してしまう。古谷は『週刊少年ジャンプ』のパーティで作者である鳥山明に抗議したが「だってヤムチャは浮気者だから仕方ないでしょ!」と鳥山に言われたという。

私生活では、NHK名古屋のFMドラマで知り合いになった声優の小山茉美と1976年に結婚し、1983年に離婚した。その後、同じく声優の間嶋里美と1985年に再婚し、現在は間嶋との間にもうけた一人娘の父親である。

古川とは互いの家を行き来するほど仲が良いという。また、鈴置も親友として知られた。この他にも、広い交友関係を持つ。歳が近い水島裕とは「トオル」、「ユウ」と呼び合う仲(実際は古谷の方が2歳年上)。『聖闘士星矢』で水島がシドとバドの2役に挑戦するのに悩んでいた時には「ユウならできるよ」と言って励ましたという。またカンフー映画の吹き替えにおいて、古谷は一時期ユン・ピョウ専属の吹き替えも担当していたため、サモ・ハン・キンポー専属の水島とは共演が多い。また同い年である井上とは「徹」、「和彦」と呼び合う仲。

趣味・声優以外との交友

趣味はスキー、スノーボード、ゴルフ、テニス、ウインドサーフィン、ルアーフィッシング、パソコン、ゲーム、ダーツ。特技はギター、ドラム、プログラミング。このように多趣味であるが、料理は苦手としている。

アウトドアスポーツが好きであることから、日焼けで1年中肌が黒く、夏はウィンドサーフィン、テニス、冬にはスキー、スノーボードもしている。

資格は普通自動車運転免許、大型二輪免許、四級アマチュア無線技士、一級小型船舶操縦士、二級海上特殊無線技士。

左利き。

好きな酒は日本酒、ビール、焼酎、サワー、シャンパン、ワイン、ウオッカ・ジンベースのカクテル、純米大吟醸など。一方、芋焼酎、ウイスキーは苦手である。シメは牛乳とアンコで特に月餅が大好物である。酔っ払っていても、最後はアンコを食べるという。

『カーグラフィックTV』のナレーターを20年以上務めているが、古谷自身も20歳代の頃から自動車にこだわりを持っている。免許を取って初めて乗った車は父が乗っていたスカイライン1500DXとのこと。大学生の頃は横浜ナンバーのC10型スカイライン(ハコスカ)に乗っていた。当時はガソリンスタンドのアルバイトもしており、夜勤だったことから、客が少なく自分のクルマばかりイジっていた。2016年時点はゴルフに行くことが多いため、長距離でも自分の車で運転していたという。

声優業の他に、雑誌やインターネット上のコラムもいくつか連載している。自作でデータベースなどを開発するなど、マルチな才能を発揮し、パソコンの強者としても知られる。

徳永英明の熱烈なファンであり、古谷の主演作『ドラゴンクエスト』(アベル役)で、徳永が前期エンディングテーマ『夢を信じて』を担当することを知った際には、非常に感激したという。『夜のヒットスタジオSUPER』では、徳永が出演した際に古谷も出演していたことで対面を果たしている。

パソコン

初めて購入したパソコンにヤマハのMSX CX-5を挙げており、MSXのプロデュース元であるアスキーの月刊誌『MSXマガジン』でも、1993年の同誌休刊まで連載を持っていた。パソコン通信時代から、ネットコミュニケーション上でファンと直接交流を取っている。前述した連載コラムの中にはパソコン関連のものもあり、声優としての古谷徹というよりは、パソコン通としての側面がクローズアップされている物もあり、かなり専門的な内容となっている。パソコンパーツ専門店であるドスパラの店頭イベントでも度々出演している。

ニフティサーブ全盛の時代は自身がアフレコの様子を毎回報告し、頻繁にオフ会を開催するなど、ファンサービスの域を超えた活動が人気となった。インターネット時代以降は自身のホームページやネットワークゲームなどを介し、長きに渡りファンと交流の場を設けている。

PS2ゲームの『機動戦士ガンダム』のネット対戦に参加したこともあるという。チャットも行い参加は告知していた。

しかしそれゆえに、自身の作品の抱負やプライベートな報告のみならず、キャスト降板の他、昔からの声優仲間である井上瑤、鈴置洋孝、戸谷公次、曽我部和恭らの訃報を相次いで報告せざるを得ない状況をも生んだ。特に井上と戸谷のケースは、古谷からの発表ではなく、ファンが噂を聞きつけて質問し、古谷が返答せざるを得なくなったものである。しかし、古谷は常に故人の所属事務所や遺族に事前に確認を取り、正式に訃報を伝える許可を貰ったうえで追悼コメントを出していた。

また、複数の作品で共演経験もある富沢美智恵が引退と報道された際 には、その報道を目にした1人として、自身と富沢の所属事務所である青二プロダクションに確認を取り、事実を把握。自身のウェブサイト上で発表し、引退報道が誤りであることをファンへと明らかにした。

聖闘士星矢

上記のように1986年放送のテレビアニメ『聖闘士星矢』では主人公・星矢を演じ、2003年のOVA『聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編』と2004年の映画『聖闘士星矢 天界編 序奏〜overture〜』でも引き続き担当したが、2005年のOVA『聖闘士星矢 冥王ハーデス冥界編』からはキャストが一新され、星矢の担当声優も古谷から森田成一へ交代した。

これはオリジナルキャスト陣の声変わりが理由である。『十二宮編』はテレビシリーズ終了から13年ぶりの制作であり、長いブランクによるオリジナルキャスト陣の声質の変化がファンからも指摘されていた。原作者の車田正美は、古谷が演じる星矢にこだわりがあったため、古谷は残してそれ以外の声の変化が著しい出演者数名の交代を求めた。しかし、古谷は長年のチームワークを優先し、若手との共演を善しとせず拒んだため、やむなく古谷を含む全員が交代することになったという。

その後、2012年放送のテレビアニメ『聖闘士星矢Ω』で古谷は8年振りに星矢の声を担当。本人は「この年になってもう一度演じることになるとは思いもしなかった」と語っている。なお公式サイトでのコメントによると、(2006年に紫龍役の鈴置が死去したため)初代のメインキャストが全員揃うことが不可能となってしまい、キャスティングに関するこだわりはもうないという。また『Ω』の星矢は30歳前後の設定であり、旧作より十数年未来が舞台である。

役に対する入り込みは相当なもので、『聖闘士星矢』のオーディションの際、星矢と同じ格好(スリムのジーンズ、スニーカー、赤いTシャツの袖をまくり、赤いリストバンド)でアフレコに臨み、劇場版の舞台挨拶もこのコスプレで回った。

2024/06/26 17:20更新

furuya tooru


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