日野原重明の情報(ひのはらしげあき) 医師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
日野原 重明さんについて調べます
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日野原重明と関係のある人
牛窪万里子: 日野原重明氏「だいすきなおばあちゃん」発刊記念特別講演会 岩城宏之: なお、2回目の公演では健康面に配慮して途中1時間の休憩時間を設けたり、医師の日野原重明を聴衆として立ち会わせ、休憩時間に体調チェックを行ってプログラムを消化していった。 田中亮一: BS朝日ザ・ドキュメンタリー(日野原重明の証言の朗読、BS朝日、2018年) 浅利陽介: 日野原重明 100歳 いのちのメッセージ(2011年10月8日、NHK) - 日野原重明 役 多湖輝: 『長生きすりゃいいってもんじゃない』日野原重明共著 幻冬舎 2010 黒岩祐治: 取材先の聖路加国際病院理事長日野原重明から「『葉っぱのフレディ』のミュージカルをやりませんか」と相談され、プロデューサーを務める。 乙武洋匡: 『65 27歳の決意・92歳の情熱』(日野原重明との対談)(2003年、中央法規出版)(2007年、幻冬舎文庫)ISBN 9784344410183 金田一秀穂: 『人生を考えるのに遅すぎるということはない』安藤忠雄,三國清三,山極寿一,C・W・ニコル,小菅正夫,瀬戸内寂聴,吉本隆明,益川敏英,日野原重明共著 講談社 2014年 玄侑宗久: 『中途半端もありがたい 玄侑宗久対談集』東京書籍 木田元・辰巳芳子・五木寛之・養老孟司・片田珠美・山田太一・中沢新一・佐藤優・日野原重明・山折哲雄 2012 阪倉篤義: カラー版日本語大辞典(梅棹忠夫、金田一春彦、日野原重明との共同監修、講談社) 曻地三郎: 新老人の会の活動などで親交のあった日野原重明聖路加国際病院理事長は、「本当に残念だ。 安田成美: “死”を見つめる舞台へ〜日野原重明・99歳の挑戦〜(2010年11月3日、NHK総合) 石橋湛山: 主治医は日野原重明。 木村利人: 『いのちを語る』(日野原重明、アルフォンス・デーケンと共著)集英社、2009年 澤地久枝: 『平和と命こそ 憲法九条は世界の宝だ』日野原重明,宝田明共著 新日本出版社 2014 石橋湛山: 1966年2月、手足に麻痺を感じ聖路加病院に入院、主治医は日野原重明が務めた。 阪倉篤義: 日本語大辞典(梅棹忠夫、金田一春彦、日野原重明との共同監修、講談社) 松本美和子: CD 日野原重明音楽プロデュース「さわやかに生きる」音楽シリーズ はつらつ編 松本美和子 吉田浩之 2007 鎌田實: 『医者と患者の絆 いのちの対話』日野原重明・舘野泉・村上信夫共著〈岩波ブックレット 729〉2008 ISBN 978-4000094290 井上真央: NHKスペシャル「日野原重明 100歳 いのちのメッセージ」(2011年10月8日、NHK総合) - ナレーション 堀文子: 老いて、若返る 人生、90歳からが面白い (日野原重明共著 小学館 2011年4月) 星野富弘: 『たった一度の人生だから』(日野原重明との対談)(2006年、いのちのことば社、ISBN 4264024684) 日向薫: 2005年10月、日野原重明との共演にて初演。 犬養道子: 『ひとはどう生き、どう死ぬのか』日野原重明共著 岩波書店 1997年 さかもと未明: 複数の病院を受診して治療に関する情報を収集し、知己である日野原重明からの手紙も受けたうえで、最終的に東大病院への通院治療を決める。 三浦敬三: 「100歳「元気生活」のススメ」 祥伝社 2004年 日野原重明と共著 |
日野原重明の情報まとめ
日野原 重明(ひのはら しげあき)さんの誕生日は1911年10月4日です。山口出身の医師のようです。
事件、家族、兄弟、卒業、結婚、父親、母親、病気、テレビ、趣味に関する情報もありますね。2017年に亡くなられているようです。
日野原重明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉10月4日 - 2017年〈平成29年〉7月18日)は、日本の医師、医学者。位階は従三位。学位は医学博士(京都帝国大学)。聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長。 京都帝国大学医学部副手、大日本帝国海軍軍医少尉などを経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長、英知大学客員教授などを歴任した。 京都帝国大学医学部第三内科副手、大日本帝国海軍軍医少尉等を経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、自治医科大学客員教授、ハーバード大学客員教授、国際内科学会会長、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長等を歴任した。日本循環器学会名誉会員となり、勲二等瑞宝章および文化勲章を受章した。京都帝国大学医学博士、トマス・ジェファーソン大学名誉博士(人文科学)、マックマスター大学名誉博士。 専門は内科学で、成人病と呼ばれてきた血栓によってひき起こされる心臓病、脳卒中の予防につなげるため1970年代から「習慣病」と呼び、旧厚生省はこの考えを受け入れ1996年に「生活習慣病」と改称し、その後広く受け入れられた。 1995年3月に発生したオウム真理教による「地下鉄サリン事件」では、聖路加国際病院を開放する決断を院長として下し、外来患者の診察など通常業務をすべて停止し、83歳の日野原は陣頭指揮を執り、被害者640名の治療に当たった。これができたのは、この3年前に日野原が北欧の病院の視察からヒントを得て日野原の発案で大災害を見越して廊下、待合室の壁面に酸素配管約2,000本を設置していたことや、広いロビーや礼拝堂を設けていたからである。
9人家族(6人兄弟)の次男。明治の年号に因み、兄弟全員の名前に「明」の字が入っている。 1913年に父が帰国して大分メソジスト教会に牧師として赴任し、大分に転居する。 1915年に父が大分メソジスト教会から、神戸中央メソジスト教会(現・日本基督教団神戸栄光教会)に移り、神戸に転居。 1918年、神戸市諏訪山尋常小学校(現・神戸市立こうべ小学校)に入学。 1921年、小学校4年のとき急性腎臓炎のため休学。
1924年、旧制第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)に合格。 1924年、第一神戸中学校を入学式当日に退学し、関西学院中学部に入学。
1929年、旧制第三高等学校理科に進学。
1930年、父が広島女学院長に就任。 1932年、京都帝国大学医学部に入学。
1933年、大学在学中に結核に罹り休学、父が院長を務める広島女学院の院長館や山口県光市虹ヶ浜で約1年間闘病生活を送った。
1934年、京都帝国大学医学部2年に復学。
1937年に京都帝国大学医学部を卒業し、京都帝国大学医学部三内科副手(無給)に就任(1939年まで)。
京都帝国大学医学部附属病院で2年間副手として研修をしたが、学ぶことはなかったと述懐していた。 1938年、北野病院や京都病院(現・国立病院機構京都医療センター)で勤務。 1939年、京都帝国大学医学部大学院博士課程(心臓病学専攻)に進学。
1941年、聖路加国際病院の内科医となる。
初仕事として同年7月から9月まで聖路加の軽井沢診療所に勤務。以降軽井沢には1944年まで毎夏勤務することになる。 1942年に結婚。
1943年、京都帝国大学医学博士の学位を取得。
1945年に志願して大日本帝国海軍軍医少尉に任官。
1951年、聖路加国際病院内科医長に就任。 1951年、エモリー大学医学部内科に1年間留学し、ポール・ビーソン教授に師事する。
1952年に帰国し、聖路加国際病院院長補佐(研究・教育担当)に就任する(1972年まで)。京都大学医学部第三内科学教授ポストの打診を断った。闘病中の母が脳卒中で死去した。
1953年、国際基督教大学教授に就任、以後4年間「社会衛生学」などを講じつつ同大学診療所顧問なども務める。 1957年、石橋湛山首相が脳梗塞で倒れ入院した際、石橋首相の主治医を務めた。 1958年、バージニア州リッチモンドのアズベリー神学校で客員教授を務めていた父が劇症肝炎のためリッチモンド記念病院で死去した。 1970年、福岡での内科学会への途上によど号ハイジャック事件に遭い、韓国の金浦国際空港で解放される。
事件に遭ったのを契機に自己の内科医としての名声を追求する生き方を止めた。 1970年、学校法人津田塾大学評議員に就任。 1970年、文部省医学視学委員となる。 1971年、聖路加看護大学副学長および教授に就任する。 1973年、財団法人ライフ・プランニング・センター設立、同理事長就任。 1974年、聖路加国際病院を定年退職。
1974年、聖路加看護大学学長(第4代)に就任(1998年まで)
1975年、文部省看護視学委員、旭川医科大学参与。 1977年、佐賀医科大学(現・佐賀大学医学部)参与。 1978年、厚生省医療関係者審議会臨床研修部会会長(1981年まで)。 1980年、聖路加国際病院理事に就任。 1982年、自治医科大学客員教授(1998年まで)。日本医師会最高優功賞を受賞。 1984年、国際内科学会会長(東洋人初、1986年まで)。 1985年、フィラデルフィア医師会日米医学科化学者賞を受賞。 1986年、日本バイオミュージック研究会(現:日本音楽療法学会)初代会長を務める。アメリカ内科学会名誉フェロー。 1987年、国際健診学会会長(1990年まで)。医療秘書教育全国協議会初代会長。 1987年、日本総合健診医学会会長(1997年まで)。 1989年、キリスト教功労者顕彰。社団法人学士会評議員。 1991年、国際基督教大学評議員(2001年まで)。 1992年、聖路加国際病院院長に就任(1996年まで)。
1992年、ニューヨーク科学アカデミー会員となる。東京都文化賞受賞。広島女学院維持会顧問に就任する。 1992年、国際健診学会会長(1994年まで)。株式会社聖路加サービスセンター代表取締役(第4代)。 1993年、勲二等瑞宝章を受章する。 1995年、3月20日にオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生。院長として聖路加国際病院を開放する決断を下すと外来診察などの通常業務をすべて停止し、83歳の日野原は陣頭指揮を執り、被害者640名の治療に当たった。同年、全日本音楽療法連盟(現・日本音楽療法学会)会長に就任する。 1996年、財団法人聖路加国際病院(一般財団法人聖路加国際メディカルセンター)理事長に就任(2014年まで)、院長を退任し聖路加国際病院名誉院長となる。公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所を設立し、理事長に就任。 1998年、聖路加看護大学名誉学長及び名誉教授、東京都名誉都民、トマス・ジェファーソン大学人文科学名誉博士。医療法人真誠会名誉理事長。 1998年、ハーバード大学公衆衛生大学院沖永客員教授。 1999年、文化功労者に選ばれる。 1999年、中央区名誉区民となる。全日本学士会アカデミア賞を受賞。 2000年、財団法人笹川記念保健協力財団会長。日本パブリック・リレーションズ協会日本PR大賞社会部門賞受賞。財団法人ライフ・プランニング・センターに新老人の会を設立、会長に就任。 2001年、日本音楽療法学会初代理事長。株式会社ウェル・ビーイング顧問。 2002年、マックマスター大学名誉博士。経済界大賞特別賞を受賞。 2003年、佐賀大学医学部顧問。NHK放送文化賞、朝日新聞社朝日社会福祉賞、亀岡市生涯学習大賞・石田梅岩賞受賞。 2004年、日本栄養療法推進協議会理事長となる。 2005年、文化勲章を授与された。 2006年、社団法人日本循環器学会名誉会員、関西学院大学名誉博士、社団法人日本スポーツ吹矢協会最高顧問となるスポーツ吹矢を呼気が吸気を促す呼吸運動とし、その健康効果に注目していた。 2007年、日本ユニセフ協会の大使に任命された。有限責任中間法人日本総合健診医学会理事長に就任する。 2008年、4月から父親が戦中院長を務めた広島女学院大学で客員教授を務めた。 2008年、関西学院初等部教育特別顧問。
2008年、神戸市神戸大使。地方独立行政法人佐賀県立病院好生館顧問。日本ハンドベル連盟理事長。 2009年、聖トマス大学日本グリーフケア研究所名誉所長。 2010年、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長となる。世界宣教東京大会顧問、公益社団法人難病の子どもとその家族へ夢を最高顧問、医療法人名古屋澄心会名古屋ハートセンター顧問に就任、コルチャック功労賞を受賞する。 2011年、日本禁煙科学会賞を受賞。 2012年、ティーペック株式会社優秀糖尿病臨床医ネットワークサービス特別顧問となり、第12回日本音楽療法学会学術大会大会長、農林水産省みどりの特別大使を務めた。 2013年、オーストリアのアルベルト・シュヴァイツァー協会からアルベルト・シュヴァイツァー章受章。 2014年5月半ば、血中に大腸菌があり入院した。4日で回復したものの念の為に検査をしたら大動脈弁狭窄症を発見した。高齢のために手術は難しく、これを避ける為に移動のみ車椅子を使用していると、2014年6月21日の続きのコラムを差し替えて公言していた。 2015年、女子サッカー、日本-イングランドの観戦時に気分が悪くなり聖路加で検査した結果、心房細動が発見された。以降は力を込めて応援したくなる試合は生放送ではなく、結果を知ってから録画鑑賞することになった。 2017年7月18日、東京都世田谷区の自宅で呼吸不全により死去。満105歳没(享年107)。同日付で従三位叙位。墓所は多磨霊園の聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑。 少年時代、母親の命をある医師が救ってくれたことから医学の道を志した。 日野原は日本で最初に人間ドックを開設、早くから予防医学の重要性を説き終末期医療の普及にも尽くすなど、長年にわたって日本の医学の発展に貢献してきた功績が文化功労者と文化勲章の受章理由として挙げられた。従来は「成人病」と呼ばれていた一群の病気の名称を「生活習慣病」に改めたのも日野原である。 2001年(平成13年)12月に出版した著書『生きかた上手』は120万部以上を売り上げた。聖路加国際病院名誉院長まで務めて数多くの著書で知られ、高齢者の「希望の星」的存在となっていた。レオ・ブスカーリア作の絵本「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」のミュージカル化に当たっては、日野原が企画・原案に携わった。 晩年の日野原は100歳を超えてスケジュールは2、3年先まで一杯という多忙な日々を送っていた。乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活だったが、96歳にして徹夜を止め、睡眠を5時間に増やしたという。命の続く限り現場に立ち続けるという信念をあくまで貫き、生前には「少なくとも110歳まで現役を続けることを目標にしている」と語るほどであった。 2009年7月6日にNHKの「スタジオパークからこんにちは」に初出演、100歳を迎えて半年を経過した2012年5月31日に2回目の出演もした。
自身について戦争についていのちの器趣味・嗜好">趣味・嗜好趣味">趣味嗜好事件">よど号ハイジャック事件テレビ番組">テレビ番組
日経スペシャル ガイアの夜明け 名医を育てろ 〜伝承せよ! 医の技術〜(2005年9月27日、テレビ東京)。- 「言葉の技術」を取材。 NHKスペシャル 日野原重明 100歳 いのちのメッセージ(2011年10月8日、NHK) ザ・ドキュメンタリー 医師・日野原重明 105歳 ~自分の死と向き合った最期の瞬間~(2018年10月20日、BS朝日) 『2)心音並に心雜音の一新記録法』日本循環器病學 1940 『オスラー博士の生涯:アメリカ醫學の開拓者』 中央醫學社 1948
『看護学講座:第1解剖・生理学』 学術書院 1949 『看護学講座:第5薬理学』 学術書院 1949 『性と結婚の科学』 医学書院 1951 『解剖・生理学の要点』 医学書院 1951 『高等看護学講座:第1医学概論』 医学書院 1952 『水と電解質の臨床』 医学書院 1955 『看護学教科書:第3解剖生理』 医学書院 1957 『病む心とからだ』 日本YMCA同盟出版部 1958 『解剖生理の要点』 金原出版 1959 『人間ドック:もの言わぬ臓器との対話』 中公新書 1965 『POS医療と医学教育の革新のための新しいシステム』 医学書院 1973 『医療と教育の刷新を求めて』 医学書院 1979.2 『心臓病とともに生きる』 協和企画 1979.7 『女の一生と健康:各年代の充実をめざして』 婦人之友社 1979.10 『プライマリ・ケア入門』 金原出版 1979.6 『生の選択:水平の世界・垂直の世界』 日本YMCA同盟出版部 1981.1 『死をどう生きたか:私の心に残る人びと』 中公新書 1983.3 『医療と医学教育の新しい展開:日野原重明座談集』 医学書院 1983.4 『延命の医学から生命を与えるケアへ』 医学書院 1983.6 『老いを創める』 朝日新聞社 1985.3 のち文庫 『健やかないのちのデザイン』 春秋社 1986.10 『老いと死の受容』 春秋社 1987.3 『人生の四季に生きる』 岩波書店 1987.6 のち現代文庫 『いのちの終末をどう生きるか』 春秋社 1987.7 『日野原重明著作集』 全5巻 中央法規出版 1987-1988 『名医が答える血圧なんでもQ&A』 中央法規出版 1987.10 『狭心症と心筋こうそく:心臓病に克つ』 講談社 1988.4 『「いやし」の技のパフォーマンス』 春秋社 1989.7 『いのちの器:人生を自分らしく生きる』 主婦の友社 1989.10 のちPHP文庫 『老いへの挑戦』 1989.12 岩波ブックレット 『日野原重明著作・講演集』 1-2 医学書院 1991.6 『病むことみとること』 日本基督教団出版局 1991.10 『医と生命のいしずえ:医療をめざす、若き友へ』 同文書院 1991.6 『健康行動の提言:新しい健康教育をめざして』 中央法規出版 1991.1 『生と死に希望と支えを:全人的医療五十年に想う』 婦人画報社 1991.1 『命をみつめて』 岩波書店 1991.2 のち現代文庫 『心とからだの健康設計:人生の午後に立って』日本経済新聞社 1991.3 『心臓病にかかりやすい人かかりにくい人』 ごま書房 1992.7 (Goma books) 『生きることの質』 岩波書店 1993.5 のち現代文庫 『医の道を求めて:ウィリアム・オスラー博士の生涯に学ぶ』 医学書院 1993.9 『六十歳は二度目の成人式:親、社会に代わって、自分で自分を育てる時がはじまる』 ごま書房 1994.6 『看とりの愛』 春秋社 1994.4 『健康を創るヒント』 時事通信社 1994.6 『ボランティアを生きる:<いのちの泉>はつきることなく』 PHP研究所 1995.8 『豊かに老いを生きる』 春秋社 1995.10 『人間ドック・健康診断を受ける方、受けた方へ』 主婦の友社 1995.11 『音楽の癒しのちから』 春秋社 1996.12 『出会いに学び、老いに成長する』 講談社 1996.5のち+α文庫 『「生活習慣病」がわかる本:あなたがつくり、あなたが治す病気』 ごま書房 1997.2 『六十歳の新人宣言』 ごま書房 1997.5(ゴマブックス) 『現代医学と宗教』 岩波書店 1997.8(叢書現代の宗教) 『老いに成熟する』 春秋社 1997.12 『<ケア>の新しい考えと展開』 春秋社 1999.2 『医のアート、看護のアート』 中央法規出版 1999.8(日野原重明著作選集 上) 『死と、老いと、生と』 中央法規出版 1999.9(日野原重明著作選集 下) 『道をてらす光:私が学んだ人と言葉』 春秋社 2000.1 『院内ルールと医師のマナー』 エルゼビア・ジャパン 2000.4 『「フレディ」から学んだこと:音楽劇と哲学随想』 童話屋 2000.10 『生きかた上手』ユーリーグ(現ハルメク)、2001 のち文庫
『「新老人」を生きる:知恵と身体情報を後世に遺す』 光文社 2001.5 『50歳からの「生きる」技術:75歳以上の新老人を目指して』 朝日出版社 2001.12 『いのちを創る:生き方・生命力・安らぎ・からだ』 2002.2 講談社+α文庫 『人生百年私の工夫』 幻冬舎 2002.7 のち文庫 『刷新してほしいナースのバイタルサイン技法:古い看護から新しい臨床看護へ』 日本看護協会出版会 2002.8 『いのちの言葉』 春秋社 2002.8
『日野原重明の生き方哲学:よく生き、よく老い、よく病み、よく死ぬ』(中央法規出版、2002年9月/PHP文庫、2006年6月、ISBN 4569666175) 『こころ上手に生きる:病むことみとること人の生から学ぶこと』 2002.10 講談社+α文庫 『生きかたの選択』河出書房新社、2002 『生きるのが楽しくなる15の習慣』 講談社 2002.10 のち+α文庫 『満たされる人生のつくり方:CD・book』 講談社 2002.10 『生きかた上手:対話篇』 ユーリーグ(現ハルメク) 2002.10 『生きかたの可能性』 河出書房新社 2002.11 『人生改造生活習慣病を防ぐ本』 幻冬舎 2002.11 『日野原重明のいのちと生きがい』 青春出版社 2003.1
『生きかたの処方箋』 河出書房新社 2003.2 『続・生きかた上手』ユーリーグ(現ハルメク)、2003 のち文庫 『100歳になるための100の方法:未来への勇気ある挑戦』 文藝春秋 2004.1 のち文庫 『テンダー・ラブ:それは愛の最高の表現です。』 ユーリーグ(現ハルメク) 2004.10 『日野原重明アートでいきいき』 実業之日本社 2004.12 『あるがまま行く』(朝日新聞社、2005年1月)
『私が人生の旅で学んだこと』 集英社 2005.3 のち文庫 『「幸福な偶然」をつかまえる』 光文社 2005.6 『新・生きかた上手』 ユーリーグ(現ハルメク) 2005.10 のち文庫 『いのちの哲学詩:水のように形なく風のように姿が見えない』 ユーリーグ(現ハルメク) 2005.10 『私の幸福論「しあわせ」を感じる生き方』 大和書房 2005.11
『わたしが経験した魂のストーリー』 キリスト教視聴覚センター 2005.12 『人生、これからが本番:私の履歴書』 日本経済新聞社 2006.4 『十歳のきみへ:九十五歳のわたしから』 冨山房インターナショナル 2006.4 『私のすすめる健康の秘義:ライフプランニング実践への誘い』 中央法規出版 2006.9 『いのちの授業』 ユーリーグ(現ハルメク) 2006.10 『いのちのおはなし』 村上康成絵 講談社 2007.1 『95歳からの勇気ある生き方』(朝日新聞社、2007年/「あるがまゝ行く」文庫) 『ササッとわかる「長生き人生」の優先順位』 講談社 2007.5 『日野原重明 いのちと勇気のことば:いかに生きるか・何を残すか』(こう書房、2007年/ぶんか社文庫) 『看護の知識と技を革新する:古い看護から新しい看護へ:science and art』 日本看護協会出版会 2007.6 『子どもを輝かせる10のお話』 実業之日本社 2007.12 『人生を輝かせる10のお話』 実業之日本社 2007.12 『いま伝えたい大切なこと:いのち・時・平和』 日本放送出版協会 2008.1 『今日の「いのち」のつかい方:ペイフォワードな生活のすすめ』 主婦の友インフォス情報社 2008.5 『いのちのバトン:97歳のぼくから君たちへ』 いわさきちひろ絵 ダイヤモンド社 2008.11 『道は必ずどこかに続く』 講談社 2009.3 『臨床看護の基礎となる新看護学テキスト:看護の革新を目指して』 日本看護協会出版会 2009.5 『いのちのメッセージ』 三笠書房 2009.6 『いのちの絆:ストレスに負けない日野原流生き方』 ダイヤモンド社 2009.8 『旅での人と自然との出会い:紀行詩』 集英社 2009.9 『メメント・モリ:死を見つめ、今を生きる:死を想え』 海竜社 2009.12ISBN 978-4759310993 『日野原先生からナースに贈る35のメッセージ』 日本看護協会出版会 2009.10 『子どもを育てる聖書のことば』 いのちのことば社フォレストブックス 2009.11 『日野原重明の「こころ」と「からだ」の相談室』 日本放送出版協会 2010.1 『日野原体操で健康長寿』 日本放送出版協会 2010.1 『働く。:社会で羽ばたくあなたへ』 冨山房インターナショナル 2010.4 『生きてるだけで100点満点:99歳のぼくから君たちへ』 ダイヤモンド社 2010.9 『百歳は次のスタートライン:祝百歳記念!悩めるあなたに贈る「至福の百話」』 光文社 2010.10 『愛とゆるし』 教文社 2010.11 『いのちを育む:百歳の私から人生を楽しむための「道しるべ」』 中央法規出版 2011.9 『100歳のことば100選』 PHP文庫 2011.10 『100歳の金言』 ダイヤモンド社 2012.2 『「いのち」の使命:3.11後を生きる』 日本キリスト教団出版局 2012.8 『いのちの使い方』 小学館 2012.10 『生きかた上手手帳:2013年版』 いきいき 2012.10 『日野原重明ダイアローグ』 医学書院 2012.10 『生きがいを感じて生きる:福祉の役わり・福祉のこころ』 聖学院大学出版会 2012.11 『「与」命:団塊世代よ、あなたの晩年は40年間ある』 小学館 2013.2 『長寿の道しるべ』 中央公論新社 2013.3 『101歳の金言』 ダイヤモンド社 2013.3 『日野原重明の「わくわくフェイスブックのすすめ」』小学館 2013.4 『永久保存版 健康&長寿の秘訣 生き方バイブル:DVD2枚組+ブックレットで繋ぐ、日野原重明101年の集大成』 小学館 2013.5 『いのちのギフト:犬たちと私から送る勇気のエール』 小学館 2013.9 『だから医学は面白い:幻(ビジョン)を追い続けた私の軌跡』 日本医事新報社 2014.9 『明日をつくる十歳のきみへー一〇三歳のわたしから』 冨山房インターナショナル 2015.4.16 『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』小学館 2015.9 『10月4日 104歳に 104句』ブックマン社 2015.10.2 『今日すべきことを精一杯!』ポプラ新書 2017.3.8 『最後まで、あるがまま行く』朝日新聞出版 2018.3.7 遷延性心内膜炎の一例 新村正幸共著 日本循環器病學 1939 最新簡明看護学 川畑愛義共編 学術書院 1949 家庭医学宝典 松田心一共編 社会保険法規研究会 1955 准看護婦試驗の總仕上げ 問題と解答 平野みどり共編 医学書院 1955 看護必携 医学書院 1956 人間ドック その企画・検査から生活指導まで 橘敏也共著 中外医学社 1960 臨床検査の知識と介助 柴田進、小酒井望共編 医学書院 1961 心臓病・高血圧の治療と食事 羽田明子共著 柴田書店 1963 対症検査 鑑別診断のすすめ方 小酒井望、阿部正和共編 医学書院 1963 成人病の発見から管理まで 医学書院 1963 医学の歩みにおくれない心臓病診療の良識 橋本寛敏共著 改訂版 金原出版 1965 高校看護学 阿部正和、金子光共編 医学書院 1966 慢性疾患の新しい理解とリハビリテーション看護 医学書院 1966 内科系統診断学 新しい診察技術と診断のポイント 中外医学社 1968 老人患者の理解と看護 村地悌二共編 医学書院 1968 心臓病 予防と回復に役立つ 香川綾共著 女子栄養大学出版部 1969 私の処方 184人の専門医による 中外医学社 1970 正常値と異常値の間 その判定と対策 河合忠共編 中外医学社 1972 心筋梗塞 その新しい理解と診断・治療・生活管理 太田怜共著 医学書院 1972 看護のための水と電解質の知識 柴垣昌功、山本高治郎共著 医学書院 1974 心緊急症をどう診るか 加藤和三共著 金原出版 1975 打聴診のコツ 佐々貫之、安部英共著 金原出版 1975 栄養指導必携 堀内光共編著 医歯薬出版 1979.10 POSによる高血圧のマネジメント プライマリ・ケアへの新しいアプローチ 道場信孝共著 医学書院 1980.7 これからの家庭看護 毎日新聞社 1985.8 訪問看護の技術「在宅ケア」を支える看護の理論と実際 荻野文共著 現代社 1986.2 講座21世紀へ向けての医学と医療 第8巻 健康教育 日本評論社 1987.4 アートとヒューマニティ 中央法規出版 1988.6 外来・継続看護のアート 中央法規出版 1988.6 死生学・Thanatology 死から生の意味を考える 第1-3集 山本俊一共編 技術出版 1988-1990 患者家族へのケア 中央法規出版 1988.7 訪問看護のアート 中央法規出版 1988.7 末期患者のクオリティ・オブ・ライフ 中央法規出版 1988.8 老人患者のクオリティ・オブ・ライフ 中央法規出版 1988.8 看護にいかすPOS 井部俊子共編 医学書院 1990.3 老人医療への新しいアプローチ 柄沢昭秀共編 医学書院 1992.2 医療文書の正しい書き方と医療補償の実際 加我君孝共編 金原出版 1993.9 私の歩んだ道 内科医六十年 植村研一共著 岩波書店 1995.8 生と死のケア 山本俊一共編 医学書院 1995.3 現代医療への提言 内科医六十年 植村研一共著 岩波書店 1995.10 Quality of life 医療新次元の創造 万代隆共編著 メディカルレビュー社 1996.4 ひとはどう生き、どう死ぬのか 犬養道子共著 岩波書店 1997.6 希望とともに生きて 難病ホスピス開設にいたる「ありのまま舎」のあゆみ 山田富也、西脇智子共編 中央法規出版 1997.7 いのち、生ききる 瀬戸内寂聴共著 光文社 2002.9 のち文庫 病んでこそ知る老いてこそ始まる 高野悦子共著 岩波書店 2002.10 死をみつめ、今を大切に生きる memento mori 春秋社 2002.12 よみがえれ、日本の医療 高木邦格共著 中央公論新社 2003.1 輝いて人生 高木慶子共著 学習研究社 2003.2 夢を実現するチカラ 黒岩祐治共著 扶桑社 2003.2 明日の日本への贈り物 91歳の医学界のリーダーと平和活動家が語る 相馬雪香共著 毎日新聞社 2003.2 医のこころ患者のこころ看護のこころ 瀬戸山元一共著 医療タイムス社 2003.7 九一歳の人生論 「本分」を極める生き方とは? 瀬島龍三共著 扶桑社 2003.9 かんじゃ想い 病んでも幸せ生きがいのある医療のために QOL研究会共編 日総研出版 2003.11 6527歳の決意・92歳の情熱 乙武洋匡共著 中央法規出版 2003.12 のち幻冬舎文庫 あなたとともによい医療を 日本の医療と教育の勇気ある変革 福井次矢共著 インターメディカ 2004.7 音楽力 湯川れい子共著 海竜社 2004.10 100歳「元気生活」のススメ "一生元気"を実現する生き方の処方 三浦敬三共著 祥伝社 2004.12 家族を看とるとき 春秋社 2005.5 おとなのいのちの教育 水野治太郎、アルフォンス・デーケン共編著 河出書房新社 2006.11 『たった一度の人生だから』(星野富弘対談)いのちのことば社 2006 輝いて生きる 95歳×2講演と対談チャリティーフォーラム メイ牛山共著 同友館 2007.1 習慣が「いのちの樹」を育てる 小野恵子共著 大和書房 2007.8 だいわ文庫 高齢者の健康学 みずからかちとる生き方上手 道場信孝共著 創英社 2007.9 病気にならない15の食習慣 楽しく生きる長寿の秘訣 劉影共著 青春出版社 2008.2 百歳青春 LPC財団新老人の会俳句の会/合同句集 木下星城共編著 富嶽出版 2008.8 19歳の君へ 人が生き、死ぬということ 春秋社 2008.8 生活座禅で長生き人生のススメ 朴禧善共著 講談社 2008.10 俳句療法 生命の学際的研究 木下照嶽共編著 富嶽出版 2009.2 いのちを語る デーケン、木村利人共著 集英社 2009.5 アートを楽しむ生き方 ちひろさんの絵に恋をして 松本猛共著 新日本出版社 2010.5 長生きすりゃいいってもんじゃない 多湖輝共著 幻冬舎 2010.5 たっぷり生きる 金子兜太共著 角川学芸出版 2010.8 のち角川ソフィア文庫 俳句療法/自治体病院経営(俳句療法学会研究叢書) 湯田雅夫、木下照嶽共著 富嶽出版 2010.11 老いて、若返る 人生、90歳からが面白い 堀文子共著 小学館 2011.4 病気にならない15の食習慣 天野暁共著 青春出版社 2011.9 日野原重明 一〇〇歳 NHK取材班共著 NHK出版 2011.9 100歳! 日野原重明のフレディ・エクササイズ 黒岩祐治共著 飛鳥新社 2011.10 合同句集 生き生き百寿―LPC財団新老人の会「俳句の会」日野原重明先生百寿記念 木下星城共著 富嶽出版 2011.10 医療行政/俳句療法―日野原重明名誉会長百寿記念 石津寿惠、井出健二郎、木下照嶽共著 富嶽出版 2011.11 さあ出発しよう!「新老人の会」で目指す人生 板東浩著 メディカル情報サービス 2011.12 医師のミッション 非戦に生きる 小池政行聞き手 藤原書店 2012.1 看護の時代 看護が変わる 医療が変わる 川島みどり、石飛幸三共著 日本看護協会出版会 2012.3 電子カルテ時代のPOS 患者指向の連携医療を推進するために 渡辺直著 医学書院 2012.5 母を語る 今井奈緒子、大坪直史、片山裕子、伊藤美子共著 日本キリスト教団出版局 2012.12 現代思想imago 総特集=ヴィクトール・E・フランクル フランクル、姜尚中、諸富祥彦、池田香代子、斎藤環共著 青土社 2013.3 脳とこころのプライマリケア
第2巻「知能の衰え」 池田学、宮岡等共著 2013.6 第3巻「こころと身体の相互作用」 宮岡等共著 2013.3 第4巻「子どもの発達と行動」 宮岡等、飯田順三共著 2010.10 第5巻「意識と睡眠」 宮岡等、千葉茂共著 2012.6 第6巻「幻覚と妄想」 宮岡等、堀口淳共著 2011.11 第7巻「食事と性」 中山和彦、宮岡等共著 2011.7 第8巻「依存」 宮岡等、福居顕二共著 2011.3 新しい診断学の方法論と患者へのアプローチ よき臨床医をめざして Philip A.Tumulty 塚本玲三共訳 医学書院 1978.4 看護のためのPOS F.ロス・ウリィほか 共訳 医学書院 1978.5 プライマリ・ケアとは何か 医療への新しいアプローチ ジョン・フライ 紀伊國献三共訳 医学書院 1981.7 平静の心 オスラー博士講演集 仁木久恵共訳 医学書院 1983.9 ふたたび勇気をいだいて 悲嘆からの出発 H.S.クシュナー 斎藤武共訳 ダイヤモンド社 1985.9 のち同時代ライブラリー「なぜ私だけが苦しむのか」斎藤単独訳 医の倫理 いのちを考える拠点 イエッツィ 斉藤武共訳 医学書院サウンダース 1985.4 よき臨床医をめざして 全人的アプローチ フィリップ・A.タマルティ 塚本玲三共訳 医学書院 1987.10 なぜ明快に書けないのか 英語医学・科学論文の診断と治療 Lester S.King 助川尚子共訳 第2版 メディカル・サイエンス・インターナショナル 1992.5 勇気 バーナード・ウェーバー ユーリーグ 2003.6 メイヨー兄弟の格言集 アメリカの近代医療の基礎を築いた医師 Charles Horace Mayo、Mayo、William James Mayo 近代出版 2004.2 おばあちゃんのきおく メム・フォックス 講談社 2007.11 こぶたくんのめいそう ケリー・リー・マクリーン 産経新聞出版 2008.3 愛する人を亡くした時〈新版〉 E.A.グロルマン 春秋社 2011.5 日野原重明、「人間ドックの刷新を目指しての提言」『健康医学』 1989年 3巻 2号 p.5-10, doi:10.11320/ningendock1986.3.2_5, 日本人間ドック学会 日野原重明、「1.人間ドック」 『日本内科学会雑誌』 2002年 91巻 11号 p.3147-3149, doi:10.2169/naika.91.3147 一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長 公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長 財団法人日本訪問看護振興財団副理事長 財団法人キープ協会顧問 財団法人日本科学協会顧問 財団法人富山県健康スポーツ財団顧問 公益財団法人野村生涯教育センター顧問 財団法人がんの子供を守る会名誉顧問 財団法人三菱財団理事 財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団理事 財団法人日本スピリチュアルケア学会理事 公益財団法人日本音楽財団理事 財団法人アジア保健研修財団理事 財団法人防長倶楽部評議員 社団法人日本スポーツ吹矢協会最高顧問 社団法人臨床心臓病学教育研究会最高顧問 公益社団法人難病の子どもとその家族へ夢を永久最高顧問 社団法人学士会評議員 特定非営利活動法人医療の質に関する研究会理事長 特定非営利活動法人日本医療ネットワーク協会顧問 特定非営利活動法人卒後臨床研修評価機構理事 一般社団法人日本総合健診医学会理事長 有限責任中間法人日本人間ドック学会名誉顧問 有限責任中間法人日本抗加齢医学会顧問 日本医療秘書学会会長 日本音楽療法学会理事長 日本POS医療学会会頭 医療の質・安全学会顧問 日本医療福祉情報科学会特別顧問 日本介護福祉学会顧問 日本在宅医学会顧問 日本エイジマネージメント医療研究機構顧問 日本禁煙科学会特別顧問 日本サイコオンコロジー学会顧問 がん医療マネジメント研究会名誉顧問 腎循環器病研究会顧問 日本医療バランスト・スコアカード研究学会評議員 日本ユニセフ協会大使 環境省エコチル調査サポーター 医療法人真誠会名誉理事長 ^ 『be』5面「102歳私の証あるがま’行く 車椅子を使い始めて1年」(朝日新聞 2015年8月1日)では、病気発表から1年経過、読者から沢山のお見舞いの言葉と自身の考え方に力つけたと言う感想を頂いた事を紙面で記述していた。 ^ 一部省略。 ^ 事件から30年目にあわせ開催された国内の集いでメッセージを求めた際、日野原氏は「精神的、肉体的に大きなトラウマだった」とコメントしていた。 ^ “Shigeaki Hinohara, Doctor of Science”. 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hinohara shigeaki
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