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木見金治郎の情報 (きみきんじろう)
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木見 金治郎さんについて調べます

■名前・氏名
木見 金治郎
(読み:きみ きんじろう)
■職業
将棋棋士
■木見金治郎の誕生日・生年月日
1878年6月24日 (年齢1951年没)
寅年(とら年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
岡山出身

木見金治郎と同じ1878年生まれの有名人・芸能人

木見金治郎と同じ6月24日生まれの有名人・芸能人

木見金治郎と同じ出身地岡山県生まれの有名人・芸能人


木見金治郎と関係のある人

神田辰之助: 1922年、母を亡くした30歳の時に親族や同僚の反対を振り切って、大阪伏見町の木見金治郎に身を寄せる。


佐瀬勇次: 米長邦雄・丸山忠久と二人の名人の師匠となったが、これは近代将棋史上木見金治郎(大山康晴・升田幸三の師匠)と佐瀬のみの記録である。


坂田三吉: この背景には、1924年(大正13年)の東京棋界再編で「東京将棋連盟」の結成に貢献した木見金治郎、大崎熊雄、金易二郎、花田長太郎が褒賞として昇段し、それまで専業プロ棋士では坂田三吉、土居市太郎のみだった「八段」の棋士が一挙に増えたことに対する不満があったとされる。


大山康晴: 才能を注目されて、1935年(昭和10年)に大阪に出て、同じく岡山県出身の木見金治郎八段(当時)に入門し、内弟子となる。


大野源一: 東京出身だが大阪の棋士・木見金治郎の内弟子となる。


坂田三吉: 1919年(大正8年)5月11日、木見金治郎の七段披露の席で大阪を訪れた土居と対戦し、阪田流向かい飛車を使用して勝利する。


大野源一: 木見金治郎九段門下。


東公平: 木見金治郎九段に将棋を師事する。


升田幸三: 木見金治郎の弟子であり、木村義雄・塚田正夫・大山康晴と死闘を演じ、木村引退後は大山と戦後将棋界で覇を競った。


金易二郎: 大正13年(1924年)、棋界統一に功績があり、大崎熊雄や木見金治郎と共に八段に昇進する。


関根金次郎: 弟子の数では木見金治郎には及ばないものの、後の日本将棋連盟に連なる直弟子としては土居市太郎や木村義雄を筆頭に8人を輩出している。


大山康晴: 木見金治郎九段門下。


升田幸三: 広島市での飲食店やクリーニング店の丁稚奉公など紆余曲折を経て、大阪の木見金治郎八段の門下生となる。


関根金次郎: 1927年(昭和2年)、東京将棋連盟に木見金治郎が主催する関西の「棋正会」が合流し、日本将棋連盟になると、会長に就任した。


金易二郎: 長考派の受け将棋で、同じ棋風の西の重鎮木見金治郎と並び称されたこともある。


木見金治郎の情報まとめ

もしもしロボ

木見 金治郎(きみ きんじろう)さんの誕生日は1878年6月24日です。岡山出身の将棋棋士のようです。

もしもしロボ

家族に関する情報もありますね。1951年に亡くなられているようです。

木見金治郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

木見 金治郎(きみ きんじろう、1878年6月24日 - 1951年1月7日)は、将棋棋士。追贈九段。関根金次郎十三世名人門下。岡山県児島郡木見村(現・倉敷市)出身。

古鉄商の子として生まれる。明治19年、数えで9歳のころ、家族と神戸に移る。

二十歳頃までは実家にいて、家業のかたわら、賭け将棋をしていたらしい。数えの19歳の頃、後の十三世名人関根金次郎に四枚落ちで一ひねりされ、将棋の勉強を始める。1914年、家業を捨て東京に出て、関根金次郎門下に入門。プロ棋士となる。

第一次世界大戦後に古鉄の相場が再び上昇したため、大阪に戻り古鉄商を再開する。しかし将棋と力仕事の両立が難しい事から、古鉄商をやめて棋士の道を歩む。大阪では大阪朝日新聞嘱託の坂田三吉に対抗し、大阪毎日新聞嘱託のスター棋士となる。受け将棋で関西棋界の大御所として人望を集めた。

1924年に八段昇段。

1927年5月5日、主宰していた棋正会を関根金次郎名人の東京将棋連盟に合流させ、日本将棋連盟の創立に参加。大阪支部長となる。当時の事務所は木見の自宅に設けられた。

1935年、神田辰之助の八段昇段をめぐり連盟が分裂したが、1936年に「将棋大成会」として合流する。この時、木見は後見役に退き、神田辰之助が支部長、藤内金吾が幹事長となる。1941年、大阪支部が関西本部に昇格。神田辰之助の名人挑戦に配慮し、本部長となる。

1937年、上京し八段の全棋士(9名)が参加する名人戦リーグに参加したが、高齢のために惨敗。戦後、順位戦が開始されるが、高齢と戦災に拠り参戦しなかった。

1951年に亡くなる。日本将棋連盟関西本部の立ち上げに大変な尽力をした事から、関西会館で初めての「日本将棋連盟葬」が営まれる。1962年、九段を追贈される。

中将棋にも造詣が深く、弟の栄二郎とともに教えていた。栄二郎と大山康晴は、大山が四段に昇段する前に頻繁にさしていたという記録がある。

香落ちでの鳥刺しを得意戦法とした。

さらにユーハイムの創業者のドイツ人、カール・ユーハイムとバーでしばしばチェスを闘わせていたという事が伝わっている。

関根金次郎の門下だったという資料もあるが、日本将棋連盟の棋士系統図においては関根とは別系統の祖の一人となっている。

近代将棋黎明期の祖となっている人物としては下記の通り、最も多い11人となる弟子を輩出した名伯楽として知られ、特に戦後の将棋界を牽引した升田幸三と大山康晴が有名。神田と共に西日本出身の棋士を数多く育てた。また系譜筋には平成以降に数多くの弟子を輩出した森信雄(村上真一の孫弟子)や、大山の孫弟子で名人となった佐藤天彦がおり、現代でも木見門下の系譜で一線級で活躍する棋士は多い。

村上真一

中井捨吉

大野源一

角田三男

上田三三

升田幸三(実力制第四代名人)

大山康晴(十五世名人)

山中和正

西本馨

橋本三治

二見敬三

将棋必勝法 上,下(渡瀬荘治郎、木見金次郎解)(1914年 大阪屋號書店,斯文館)

将棊初心の手引(高橋其木,木見金次郎訂補)(1928年 博多成象堂)

将棋新定跡大観(1934年 大文館書店)

歩式早指南 将棋大全 (1935年 大文館書店)

^ 大内延介・天狗太郎「振り飛車のルーツ」(1982年 時事通信)

^ 天狗太郎『名棋士名勝負』(光風社書店)P.142

^ 天狗太郎『名棋士名勝負』(光風社書店)P.143

^ 天狗太郎『名棋士名勝負』(光風社書店)P.144

^ 日本将棋連盟「棋士系統図」

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