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野村祐輔の情報 (のむらゆうすけ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月13日】今日誕生日の芸能人・有名人

野村祐輔の情報(のむらゆうすけ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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野村 祐輔さんについて調べます

■名前・氏名
野村 祐輔
(読み:のむら ゆうすけ)
■職業
野球選手
■野村祐輔の誕生日・生年月日
1989年6月24日 (年齢34歳)
巳年(へび年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
岡山出身

(昭和64年/平成元年)1989年生まれの人の年齢早見表

野村祐輔と同じ1989年生まれの有名人・芸能人

野村祐輔と同じ6月24日生まれの有名人・芸能人

野村祐輔と同じ出身地岡山県生まれの有名人・芸能人


野村祐輔と関係のある人

松井雅人: 初盗塁:2013年7月15日、対広島東洋カープ13回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回表に二盗(投手:野村祐輔、捕手:會澤翼)


大西広樹: 初打席:2020年8月5日、対広島東洋カープ7回戦(明治神宮野球場)2回裏に野村祐輔から空振り三振


石川駿: 大学時代のチームメイトは2学年上に荒木郁也、1学年上に野村祐輔、阿部寿樹、島内宏明、柴田章吾、同学年に上本崇司、1学年下に岡大海、関谷亮太、2学年下に山﨑福也、糸原健斗、福田周平、3学年下に上原健太、坂本誠志郎、髙山俊などがおり、阿部とはプロ入り後再びチームメイトとなっている。


辻東倫: 初安打:2016年5月4日、対広島東洋カープ7回戦(東京ドーム)、6回裏に野村祐輔から右前安打


島内宏明: 大学時代の野球部の同期には野村祐輔、柴田章吾がいる。


安部友裕: 広島で同僚の野村祐輔とは全く同じ生年月日であり、しかも同じ病院で出生していて安部の方が野村よりも30分早く生まれている。


石原慶幸: 最優秀バッテリー賞:3回(2010年 投手:前田健太、2013年 投手:前田健太、2016年 投手:野村祐輔


大瀬良大地: 第2戦で先発の野村祐輔に次いで登板、4-2で勝利しこの試合の勝ち投手となった。


深井瞬: 2012年5月19日、広島東洋カープ-北海道日本ハムファイターズの試合で、共に交流戦初登板となった野村祐輔と斎藤佑樹の投げ合いを実況した。


村上頌樹: 初打席・初安打:2021年8月28日、対広島東洋カープ15回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表に野村祐輔から中前安打


熊代聖人: 準々決勝では野村祐輔、土生翔平、上本崇司、小林誠司を擁する広陵高等学校に敗れる。


上本崇司: 第42回明治神宮野球大会でも愛知学院大学との決勝戦で三塁打を放つなど、野村祐輔・島内宏明らと優勝に貢献した。


江尻亮: 2季連続で最優秀防御率にも輝いており、特に春季リーグは0.00という驚異的な記録を残しており、2008年秋季リーグに野村祐輔が達成するまで44年間も達成する者がいない大記録であった。


中田廉: 同校の1学年先輩には野村祐輔、小林誠司、土生翔平、同学年には上本崇司がいた。


藤岡貴裕: また、入寮の際は大学ビッグ3と呼ばれた同期の野村祐輔、菅野智之と共に撮った一番の宝物としていた写真を、準備に焦って持って来るのを忘れ、沖縄県石垣島でのキャンプでは、キャンプ用にわざわざ用意した抱き枕を持ってくるのを忘れるという素顔のマイペースな一面をみせるエピソードが続いた。


西田明央: 初打席:同上、2回裏に野村祐輔から空振り三振


中井哲之: 80年前と40年前に果たせなかった夏の全国制覇に挑むが、決勝戦の対佐賀北高戦でエースの野村祐輔(広島)が押し出し四球の直後に逆転満塁本塁打を打たれ、敗れた。


栗林良吏: 球団の新人では野村祐輔以来9年ぶりの選出となった。


堂林翔太: 7月は17日の対巨人戦(東京ドーム)では2点を追う4回一死満塁の場面で野村祐輔の代打として出場し、鍬原拓也から球団では31年ぶり、同一カード3連戦では72年ぶりの3試合連続満塁本塁打となる代打逆転満塁本塁打を放った。


土生翔平: 第89回全国高等学校野球選手権大会では準決勝の常葉菊川戦で主戦の田中健二朗から先制のソロホームランを放つなど活躍し、エースの野村祐輔、小林誠司、1学年後輩の上本崇司らと共にチームを準優勝に導いた。


石原慶幸: 2016年は開幕戦に8番捕手でスタメン出場を果たし、その後もジョンソン、黒田博樹、野村祐輔が登板する試合を中心に正捕手を務めた。


上本崇司: 巨人、中日、広島などプロ7球団から注目されたが、志望届は提出せず、兄・博紀と同じ大学で比較されるのが嫌なのと先輩・野村祐輔がいるという理由で 明治大学進学を選択した。


西川遥輝: 29日の第6戦(マツダスタジアム)では、1回表の第1打席に野村祐輔が投じた初球で三塁打を記録すると、4回表の第3打席でも2点三塁打を打ってチームのシリーズ制覇に貢献した。


井上晴哉: 崇徳高校では1年秋から4番を務め、第88回全国高等学校野球選手権大会の広島県予選では、準決勝で吉川光夫、野村祐輔、小林誠司らを擁する広陵高校を下すが準優勝に終わった。


小林誠司: 甲子園ではエースの野村祐輔、土生翔平、上本崇司らと共に春は8強、夏は準優勝。


髙濱卓也: 小学校・中学時代のチームメイトには、のちに2007年夏の第89回全国選手権大会決勝で野村祐輔から逆転満塁本塁打を放った副島浩史(2018年11月から唐津工業高野球部監督)らがいた。


溝脇隼人: 初本塁打・初打点:2017年4月4日、対広島東洋カープ1回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に若松駿太の代打で出場、野村祐輔から右越ソロ


明石健志: 7月22日の第2戦(松山坊っちゃんスタジアム)では7回表に迎えたオールスターゲーム初打席で野村祐輔から初安打を記録。


池田英俊: また防御率は2.44を記録したが、広島の新人投手が規定投球回数に到達した上で防御率2.50未満でシーズンを終了した例は2020年終了時点で池田と明大の後輩である野村祐輔(2012年・防御率1.98)、森下(2020年・防御率1.91)の3人のみである。


阿部寿樹: 大学同期には野村祐輔・島内宏明・柴田章吾がいる。


野村祐輔の情報まとめ

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野村 祐輔(のむら ゆうすけ)さんの誕生日は1989年6月24日です。岡山出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴、人物などについてまとめました。卒業、趣味、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。野村祐輔の現在の年齢は34歳のようです。

野村祐輔のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

野村 祐輔(のむら ゆうすけ、1989年6月24日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。

母方の実家のある福岡県北九州市で出生。広島で同僚となる安部友裕は同じ生年月日。2人は奇しくも同じ病院で30分違いで出生している。倉敷市立連島南小学校1年生の時に軟式野球を始め、6年生の時に県大会準優勝。倉敷市立連島南中学校時代は地元の硬式少年野球チーム・倉敷ビガーズに入り、主に2番手投手として活躍。西日本大会で優勝する。3年時には地元の強豪高校への進学が決まりかけていたが、その年の9月に広陵高等学校の練習見学に行き、練習風景や先輩の選手を見て広陵進学を決意した。

広陵高校へ進学後は1年時からベンチ入りした。3年の第79回選抜高等学校野球大会では1回戦で唐川侑己を擁する成田高等学校と対戦し延長戦を制するなどベスト8に進出した。夏の第89回全国高等学校野球選手権大会では1回戦で第86回、第87回、第88回と夏の甲子園3年連続決勝進出中の駒大苫小牧高等学校に逆転勝ち、準々決勝では熊代聖人を擁する今治西高等学校、準決勝では同年の春夏連覇を目指していた田中健二朗を擁する常葉学園菊川高等学校に勝利。この勝利で、「夏の甲子園4年連続決勝進出阻止」と「春夏連覇阻止」という2つの記録を達成した。決勝の佐賀北高等学校戦では7回まで被安打1に抑えながら、8回裏に2被安打と2四球で1点を返された後、副島浩史に逆転満塁本塁打を打たれ、準優勝に終わった。試合終了後、グラウンドでは一切涙を流さなかったが、宿舎で行われた監督の中井哲之の会見中に隣で突然泣き崩れ号泣したという。同大会では、46回を投げて被安打43三振47四死球9自責点13、打者としては主に8番で起用され21打数10安打5打点だった。高校の2学年先輩には藤川俊介、1学年先輩に吉川光夫、同級生に土生翔平、小林誠司、1学年後輩に中田廉、上本崇司がいた。

高校卒業後は明治大学商学部に進学、硬式野球部入部後は1年春から登板。1年秋では34回2/3を投げ自責点0(失点1)。1964年春の江尻亮以来44年ぶりとなるリーグ史上5人目の「シーズン防御率0.00」を達成し、最優秀防御率に輝いた。2年春は4勝を挙げるものの、第7週の法政大学2回戦で今井諒にサヨナラ本塁打を打たれて3位に終わった。3年秋は5勝を挙げ、防御率1.30で自身2度目の最優秀防御率に輝いた。11月22日には大学日本代表としてU-26のNPB選抜戦に出場し、1回を無失点に抑えた。4年春には史上14人目の通算300奪三振を達成。秋には東京六大学史上7人目の30勝300奪三振を達成。初のベストナインに選出された。2011年の第42回明治神宮野球大会では、決勝戦の愛知学院大学戦で被安打4ながら打者27人で抑え無四球完封するなど、3試合連続完封勝利の大会新記録で明大5回目の優勝に貢献し、野球人生で初の日本一になった。東京六大学リーグ戦通算65試合に登板し30勝12敗、358奪三振、防御率1.92。菅野智之(東海大)、藤岡貴裕(東洋大)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ注目される。

2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議では広島東洋カープから1巡目指名を受け、学生野球の全日程が終了した11月29日に球団と初交渉を行い、契約金1億円、年俸1500万円で契約。背番号は「19」。

2012年は、開幕から一軍の先発ローテーションの一角を担うと、4月8日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)でプロ初勝利。4月29日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、8回を被安打1と好投した末に、本拠地・MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島での初勝利を挙げた。前半戦で7勝(3敗)を挙げるほどの好調を受けて、オールスターゲームにも、新人ながらセントラル・リーグの監督推薦選手として初出場。第2戦(7月21日・松山坊っちゃんスタジアム)6回表から救援で登板すると、3回無失点という好投で敢闘賞に選ばれた。一軍公式戦通算では、9勝11敗と負け越したものの、防御率1.98を記録。セ・リーグの一軍公式戦で最終規定投球回に到達した末に防御率1点台を記録した新人投手は、1966年の堀内恒夫以来46年ぶり5人目であった。シーズンの終了後には、パ・リーグの益田直也とともに、平成生まれ初の新人王に選ばれている。

2013年は、公式戦の開幕から連敗すると、4月17日に右肩関節唇損傷でプロ入り後初めて出場選手登録を抹消。抹消後に投球フォームの修正を経て一軍へ復帰すると、5月17日の対オリックス・バファローズ(呉市二河野球場)戦で、一軍公式戦自身初の完投勝利を挙げた。先発投手として登板した9月12日の対ヤクルト戦(神宮)では、3回表の打席でプロ初本塁打を記録すると、投げても6回4失点ながら自身初のシーズン10勝を達成。一軍公式戦全体では、23試合の登板で、前年に続いてセ・リーグの最終規定投球回に到達。12勝(2完投勝利)6敗、防御率3.74という成績を残した。シーズン終了後の11月には、日本代表の一員として、台湾で開かれた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」に出場した。

2014年は、4月に3勝を記録。しかし防御率が6点台に達するほど投球内容が不安定で、5月に出場選手登録を抹消された。再登録後の6月18日に対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(マツダ)で一軍公式戦およそ2か月ぶりの勝利を挙げると、8月まで月間防御率2点台を記録していた。しかし、9月24日の対ヤクルト戦(神宮)で4回を投げて6失点を喫すると、再び登録を抹消。チームはレギュラーシーズン3位でクライマックスシリーズに進出したものの、野村自身はシーズンの最終規定投球回を満たせず、7勝8敗、防御率4.39。同シリーズでの登板機会もなかった。

2015年は、シーズン初の一軍公式戦登板から5試合目までに3勝を記録。その後は、5月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦でプロ入り後自己ワーストの10失点(8自責点)を喫したり、防御率が5点前後を記録したりするなど不振に陥った。7月には、5日の対ヤクルト戦で約2か月ぶりの勝利を挙げたが、7月21日の対中日ドラゴンズ戦(いずれもマツダ)で3回表途中までに5失点(2自責点)を喫したことを機に出場選手登録を抹消。当初は無期限の二軍調整とされていたが、後に一軍へ復帰すると、レギュラーシーズン最終登板であった9月29日の対ヤクルト戦(神宮)でおよそ3か月ぶりの勝利を手にした。一軍公式戦全体の成績は5勝8敗で、登板試合数(15)・投球回(87回1/3)ともプロ入り後最少。防御率(4.64)や勝率(.385)はプロ入り後最も悪かった。

2016年は、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した前田健太に代わる右のエースとして、公式戦の開幕から好調を維持。4月28日の対ヤクルト戦(神宮)で一軍公式戦初の完封勝利を挙げると、5月25日の対巨人戦から7月22日の対阪神戦(いずれもマツダ)まで、8試合の先発登板で8連勝を記録した。この間には、6月にセ・リーグ投手部門の月間MVPへ初めて選ばれたほか、7月5日の対中日戦(富山アルペンスタジアム)でこの年のセ・パ両リーグ最速の10勝目に到達。オールスターゲームにセ・リーグの監督推薦選手として4年ぶりの出場を果たすと、セ・リーグ最多勝利のタイトルをチームメイトのクリス・ジョンソンと争いながら、チームの25年ぶりリーグ優勝に貢献した。9月2日の対ヤクルト戦(神宮)で自己最多のシーズン13勝目を挙げると、レギュラーシーズンの最終登板であった9月24日の同カード(マツダ)で、リーグ単独トップの16勝目と勝率.842(16勝3敗)を記録。投球回は少ないながらも(防御率は2.71)、打線の援護と強力な中継ぎ陣に助けられ、セ・リーグの最多勝利と最高勝率のタイトルを獲得し、セ・リーグベストナインにも選ばれた。横浜DeNAとのクライマックスシリーズファイナルステージでは2回戦に先発し、6回を3安打無失点の好投で同シリーズ初勝利を記録した。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは、第2戦に先発し6回を2安打1失点(自責点0)の内容で日本シリーズ初勝利を記録。その後、広島の2勝3敗で迎えた第6戦でも先発したが4回4失点(自責点1)で降板。勝敗は付かなかったが、その後チームは敗れたため日本一を逃した。10月18日には「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された。12月16日に契約更改を行い、年俸1億円に到達した。

2017年は、2月8日にワールド・ベースボール・クラシック日本代表において大会中に入れ替えが可能となる指名投手枠に入った。4月4日の対中日戦(ナゴヤドーム)で先発しシーズン初勝利を挙げ、通算50勝に到達。プロ入り110試合目での達成は、前田健太の122試合目を上回り球団最速記録となった。5月23日の対ヤクルト戦(マツダ)で腰の違和感を訴え3回で緊急降板し、翌日に出場選手登録を抹消されたが、6月3日に復帰を果たして以降はローテーションを守り続けチームトップの投球回(155回1/3)、リーグ3位の防御率2.78を記録するなどチームの37年ぶりのリーグ連覇に貢献した。しかし前年とは対照的に勝ち星が伸びず、9勝5敗に終わった。またクライマックスシリーズファイナルステージでは2試合に先発するも合計で8回を投げ7失点を喫し、両試合で負け投手になるなど精彩を欠き、日本シリーズ進出を逃す一因となった。

2018年は、3月30日の対中日戦(マツダ)で自身初の開幕投手を務め、6回3失点でシーズン初勝利を挙げる。しかし4月26日の対DeNA戦で背中の違和感を訴え4回で緊急降板し、同27日に出場選手登録を抹消、同28日に背中の筋挫傷と診断された。6月23日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で復帰登板し3勝目を挙げるもシーズン通しては7勝に終わり、2015年以来3年ぶりに防御率は4点台(4.22)、規定投球回未到達(119回1/3)と苦しいシーズンになった。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは第4戦に先発し、4回1/3を投げて3失点で敗戦投手になった。

2019年は、不調での二軍落ちを経験するなど精彩を欠き、2015年以来4年ぶりに投球回が100イニングを下回った。7月25日に国内FA権を取得したが、10月26日に権利を行使せず2年契約を結んで残留することを発表した。

2020年は、春期キャンプ中に右ふくらはぎを痛め、新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れたがプロ9年目にして初の開幕二軍スタートとなった。7月中旬に一軍昇格したが10月15日の巨人戦で緊急降板すると、翌16日に「右鎖骨下静脈血栓症除去術」を受け離脱。しかし、シーズンでは6勝を挙げた。

2021年は、開幕ローテ入りを果たした。4月11日の巨人戦で先発し、プロ初登板から188試合連続先発登板の日本新記録を樹立した。この年は8試合に先発しながらQSは1度だけと不調が続き、0勝4敗、防御率6.31とキャリア初の未勝利に終わった。

2022年は、キャンプ前のコンディション不良の影響もあって二軍での開幕スタートであった。しかし、二軍では8試合に登板して防御率1.42と安定した投球を続け、6月10日の西武戦で同年初登板を果たした。緩急を駆使した投球でこの試合に勝利し、2020年9月30日以来618日ぶりの白星を手にした。その後も好投を続け、8月25日には節目となる200試合連続先発登板を達成した。

2023年は、開幕二軍スタート。6月29日のDeNA戦で同年初登板し、6回を3安打無失点に抑えたが、勝利投手とはならなかった。平成30年7月豪雨から5年となる7月6日の阪神戦で6回無失点の二塁を踏ませぬピッチングで同年初勝利を挙げた。その後も防御率0.00に抑えたが、7月28日の阪神戦で森下翔太に適時打を打たれ同年初失点となった。最終的に防御率1.16の好成績を残したが、プロ入り後最少の6試合の登板に終わり、オフに1050万ダウンの4450万円で更改した。

選手としての特徴

スリークォーターから平均球速約133km/h、最速149km/h(プロ入り後の最速は147km/h)のストレートとカットボールに近い高速スライダーを武器にし、他にもチェンジアップ、カーブを投げ分ける。また、2014年のシーズンに向けて、大竹寛から教わったシュート系の球種にも取り組んでいる。2015年からは、クリス・ジョンソンの「パワーカーブ」の習得も目指している。

下半身主体のフォームで制球が良く、アマチュア時代には「洞察力、観察力、なんといっても対応力が素晴らしいのでしょう。プロで10年もやってるようなうまさがある」とプロのスカウトから評されていた。

井端弘和は「僕にとっては全てが魔球」であったとコメントするなど、高く評価している。

人物

愛称は「ユウスケ」「ノムスケ」。

周囲からはマイペースと言われるが、負けず嫌いで勝負では何でも負けたくないという。両親は「幼い頃からとても変わっている子どもで、自分が決めたことは貫き、人に流されない子でした」と話している。

ピッチャーとしては精神面とキレ・コントロールを大事にしているといい、澤村拓一からウエイトトレーニングを薦められたことがあるが「自分は『しなり』で投げるタイプなので、筋肉を硬くしたら終わり」という理由でウエイトトレーニングは一切やらないという。

趣味映画鑑賞と風呂。登板日の前日は1時間近く寮の大浴場に浸かり、プライベートで温泉旅行も楽しんでいるという。

もともと左利きであったが、2歳の時に祖父に初めて買って貰ったグローブが右利き用で右投げで野球を教えてくれたため、右投右打になった。箸は左手で持ち、字は右手で書く。

俳優の吉村卓也とは親友で、高校時代では同級生であった。

好きなミュージシャンはMr.Children。雑誌の取材中もミスチルの話を多く語る。

2024/06/10 00:56更新

nomura yuusuke


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野村 奈央(のむら なお)
1999年8月10日生まれの有名人 愛知出身

野村 奈央(のむら なお、1999年〈平成11年〉8月10日 - )は、日本のタレント・女優である。女性アイドルグループ・AKB48の元チームKドラフト研究生である。愛知県出身。 2015年 3…

野村 沙知代(のむら さちよ)
1932年3月26日生まれの有名人 東京出身

野村 沙知代(のむら さちよ、1932年〈昭和7年〉3月26日 - 2017年〈平成29年〉12月8日)は、日本のタレント。所属事務所は株式会社エフエンタープライズ(東京都千駄ヶ谷)。 元プロ野球選…

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野村祐輔
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