東野幸治の情報 (ひがしのこうじ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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本多スイミングスクール: おもしろく入る部屋 ※東野幸治 監視中(テレビ東京)- 2021年3月26日 ぐたく: 『あらびき団』では「天保山ネタ」を披露し司会の東野幸治から「本日のベストオブあらびき」と評された。 田中みな実: 外国人少女エイミーとして、東野幸治(リーダーゴメス)、藤井隆(外国人少年ピーター)と共に、毎週日本全国を旅した。 小島瑠璃子: 3月2日に生放送の『漫才Loversスペシャル〜ytv漫才新人賞決定戦〜』(読売テレビ)では、東野幸治と共に初めて司会を担当。 火将ロシエル: 東野幸治「アニ☆カツ」 #16・17(2023年8月3日、10日、Lemino) 多胡邦夫: 司会の東野幸治からは「多胡ちゃん」の愛称で呼ばれた。 三浦マイルド: 2024年1月5日放送のABCラジオ「東野幸治のホンモノラジオ」にゲスト出演。 山根良顕: 当初は異なる大学であることと、ルックスがかぶり過ぎで何となく敬遠し合っていたが、サークルの連絡ノートに田中が自分の名前を「たくしのり」と記入していたのを見かけた山根は、田中が自分と同じ東野幸治ファンだと知り声をかけた。 小池栄子: 芸能人が本気で考えた!ドッキリGP(2018年11月10日 - 、フジテレビ) - 東野幸治と共に司会 唐沢拓磨: 『あらびき団』では「天保山ネタ」を披露し司会の東野幸治から「本日のベストオブあらびき」と評された。 安田美沙子: 2011年9月4日、新潟県の佐渡で開催された「2011佐渡国際トライアスロン大会」のAタイプに、上記『行列〜』の企画で、東野幸治・菊地幸夫弁護士・ノッチとともに出場。 ふとっちょ☆カウボーイ: 2008年1月16日放送の『あらびき団』にて芸名を改名したいと言う提案がなされ、東野幸治により(ふとっちょ☆カウボーイ)を提案され、2月に改名。 辻本茂雄: 入団してしばらくは、同期の石田靖、同時入団の今田耕司、東野幸治らが主役級の大役をもらう一方、自身の特徴的な顎をいじられるという「アゴネタ」で笑いはとるもののそれだけですぐに出番が終わるだけの、セリフの少ない端役ばかりであった。 梅沢富美男: 梅沢富美男と東野幸治のまんぷく農家メシ!(2017年4月4日 - 2022年3月21日 、NHK BSプレミアム) 中山秀征: お笑い第三世代が台頭する以前はABブラザーズは関東のお笑い代表として扱われており、それに対する違和感からダウンタウン、今田耕司、東野幸治といった主に関西勢の芸人からは敵視されていた。 安田美沙子: これも上記の番組企画の一環であり、東野幸治・菊地幸夫弁護士・ノッチとともに出場した。 内村光良: 共演の東野幸治は「ヒガシノイス」と言うキャラであった。 村瀬みちゃこ: ラストのピースサインを決めた時の顔面があまりにもインパクトが強烈なために、MCの東野幸治は「めっちゃ不愉快!」「誰や!あいつ見つけてきた奴!」「テレビに出たらアカン!」と辛口の評価だったが、ゲストの藤本美貴は「怖過ぎてもう一度見たい」と大ウケだった。 武内由紀子: 1995年にWコウジ(今田耕司・東野幸治)と結成した「WEST END×YUKI」として、本家「EAST END×YURI」の「DA.YO.NE」の数あるローカル版の1つである大阪弁カバー「SO.YA.NA」を歌って話題(売上枚数は約50万枚と大ヒット)になり武内自身も全国的な知名度を獲得した。 よのひかり: 東野幸治のナイモノネダリ(TBSテレビ) 大石まどか: 1992年に本名の「大石円」で演ドルとして東芝EMI(現在のEMIミュージック・ジャパン)からデビュー、1994年にはフジテレビで木曜深夜に放送されていた「天使のU・B・U・G(ウブゲ)」(今田耕司・東野幸治が司会を担当)に出演していたこともある。 山崎邦正: これを東野幸治に相談したところ、古典落語を勧められる。 前田政二: 現在も交友は続いており、『ごぶごぶ』(毎日放送)では東野幸治に「(浜田が前田と)定期的に遊ぶ機会をつくるために関西ローカル番組を始めた」と何度もネタにされている。 吉田ヒロ: 吉本新喜劇入団後もダウンタウンファミリーとして、ダウンタウンの番組に今田耕司、東野幸治、木村祐一、130Rらと共にレギュラーで出演する事が多く、そのメンバーの中でも中高生の女子から圧倒的な人気を得ていた。 篠原涼子: 2012年12月17日放送のフジテレビ系『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』最終回にサプライズ出演し、ダウンタウンや東野幸治と久々の共演を果たした。 横澤章悟: 憧れの芸人は東野幸治、おぎやはぎ。 村上ショージ: 東野幸治曰く、「会社の方から『あまり関わり合い持つな』と言われている」。 三浦初美: 現在 テレビ東京 人気番組やりすぎコージー(当時「やりにげコージー」)のレギュラーとして今田耕司、東野幸治のアシスタントMCに抜擢 羽生幸次郎: 椿鬼奴に気に入られている(東野幸治曰く「しんじを降ろしてキュートンに入れたいんちゃう」)。 木村祐一: 東野幸治とは正確には東野の方が先輩に当たるが、東野が同期扱いしたことから、木村も東野を同期として扱っている。 |
東野幸治
東野 幸治(ひがしの こうじ)さんの誕生日は1967年8月8日です。兵庫出身のタレントのようです。
人物、芝居などについてまとめました。卒業、テレビ、引退、家族、結婚、離婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。東野幸治の現在の年齢は56歳のようです。
東野 幸治(ひがしの こうじ、1967年〈昭和42年〉8月8日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者。吉本興業所属。BSよしもと宣伝局長。 兵庫県宝塚市出身。身長178 cm、体重73 kg、血液型はO型。兵庫県立宝塚高等学校卒業。 愛称はひがしのり。由来は髪の毛が濡れた際に頭に海苔がのっているような見た目だったことから。 1985年、高校3年生のときに吉本興業の新人オーディションを受け、星野勘太郎のモノマネをして合格し、そのまま芸人となる。合格賞品はボールペン1本だった。当時、漫才ブームが終わりダウンタウンという新しい世代の芸人を中心に吉本興業が新たなムーブメントを起そうとしていて、そのオーディションの一環でダウンタウンが2丁目劇場で公開録音していたラジオ番組『心斎橋お笑い探検隊』(ラジオ大阪)に出演する。番組に出演すると豪華賞品が貰えると友達に誘われたのがきっかけであるが、貰えたのはボールペンだった。なお、同じオーディションをリットン調査団も受けていた。一時期、大学に通う友人に乗せられ大学受験を決意し芸人を休業するも受験に失敗し、その後は芸人活動に本腰を入れる。 若手時代は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動、ダウンタウンが司会を務める公開生番組『4時ですよ〜だ』(毎日放送)などに出演していた。番組開始当初は素人参加コーナー「ダウンタウンの欲望」の募集の告知を呼びかける「欲望の男」だけの役だったが、次第に頭角を現し、最後の半年は今田耕司・石田靖らと共に司会を任されることとなる。また『4時ですよ〜だ』(毎日放送)が放送されていた頃、今田とのコンビで2丁目劇場の超若手が出演するライブイベント「2丁目jrたんけんたい」(上部組織にダウンタウンがメイン司会を務める「2丁目探検隊」というライブがあった)の司会進行を担当していた。この頃の月収は7~8万円程度で、とくに危機感も向上心も湧かなかった。 また、同時期に夕方の帯番組として放送されていた清水圭・和泉修が司会を務める『素敵!KEI-SHU5』(関西テレビ)では、白いランニングシャツにトレパン姿の「セニョール東野」というキャラクターで各地をリポートするVTR企画も担当(このセニョールのキャラは、当時の舞台上でのネタで演じられていたものだった)。 『4時ですよ〜だ』の終了後、今田らと共に、当時立て直しが急務とされていた吉本新喜劇の補強メンバーとされたが、当初は新喜劇の出演をどうしても受け入れる事ができず、芸人を引退し植木屋への転職を考えていた。しかし、今田らの熱心な説得により芸人引退を思い止まり、新喜劇では主に主役として出演する。 その後、今田らと共にダウンタウンが上京した2年後に東京へ進出。NSC出身ではないため、4期生で数か月先輩である今田などには敬語を使い、ほぼ同時期に芸能界デビューした木村祐一には、東野の方が数か月先輩ではあるものの同期として接し、5期生の辻本茂雄に対しては先輩として振舞っている。 東京進出以降は今田と「Wコウジ」としてのテレビ出演を経て、2000年代以降は司会者としての活動も増えている。 2020年2月23日よりYouTubeにて『東野幸治の幻ラジオ』というラジオ番組の配信を開始した。本番組はリビングで収録した音声を娘が編集してアップするという手作り番組で、吉本興業に頼らず作成している。長女がディレクターを務めており、東野は「娘D」と呼んでいる。 2023年3月21日からBSよしもとの「宣伝局長」に就任。 人物小学校高学年時から中学2年まで家族が離散して大変な思いをしている。それからは家族や親友を信じず『己の力』だけを信じてきた。「ワイはワイの力だけしか信じへんのや」とのこと。 上京前まではおかけんたと同居していた。 女優の天海祐希とは生年月日が同じである。 プロ野球ではオリックス・バファローズを応援しているが、これは元々は前身球団である阪急ブレーブスのファンであったためである。 私生活では1991年に一般人女性と結婚し、二女をもうける。2001年に離婚したが、2011年に復縁し再婚した。前述の「娘D」こと長女は夫婦で海外に居住しており、2020年8月24日に配信された『幻ラジオ』にて、東野から自身にとっては初孫となる女児を出産をした事が報告された。 芝居
その後2001年に『明日があるさ』(日本テレビ)で久々のドラマ出演を果たしたが、演技力は全く成長しておらず、挙句には彼の演技のあまりの酷さに他の共演者のNGを誘発する始末となった(撮影初日のシーンで出したNGは8回)。そのため、本来ならNG同然の箇所も見受けられるが「これ以上の演技力は求められない」として放送されている部分もある。ガチガチの動きは浜田雅功(ダウンタウン)曰く「東野だけ時代劇だった」とのこと。 若手の頃Vシネマに出演し、ベッドシーンで騎乗位を行ったが、ガチガチで「高い高い」のようになっていた。 2004年に子供向け特撮ドラマ『戦隊シリーズ』の司令官役での出演オファーが来ていたことを自身の番組内で公表していたが、これは東映制作のスーパー戦隊ではなく、松竹制作の『魔弾戦記リュウケンドー』だった。後にこの役は諸処の事情から辞退し、同じ吉本興業所属の清水圭が演じる事となった。 尊敬する役者は萬屋錦之介である。 2024/05/23 05:05更新
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higashino kouji
東野幸治と同じ誕生日8月8日生まれ、同じ兵庫出身の人
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