もしもし情報局 > 1954年 > 1月19日 > シンガー ソングライター

松任谷由実の情報 (まつとうやゆみ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月15日】今日誕生日の芸能人・有名人

松任谷由実の情報(まつとうやゆみ) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

松任谷 由実さんについて調べます

■名前・氏名
松任谷 由実
(読み:まつとうや ゆみ)
■職業
シンガー ソングライター
■松任谷由実の誕生日・生年月日
1954年1月19日 (年齢70歳)
午年(うま年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和29年)1954年生まれの人の年齢早見表

松任谷由実と同じ1954年生まれの有名人・芸能人

松任谷由実と同じ1月19日生まれの有名人・芸能人

松任谷由実と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


松任谷由実と関係のある人

上白石萌音: 自身がよく聴いているアーティストには松任谷由実、aiko、星野源、コトリンゴ、Mr.Children、いきものがかり、小林武史、ハナレグミ、大橋トリオ等の名前を挙げている。


旭孝: 松任谷由実


工藤静香: 当時中島もキャニオン所属だった)が工藤を兼任することになったことと、デビュー前に工藤が渡辺より「中島みゆきと松任谷由実と竹内まりやなら誰が一番好き?」と聞かれ、中島みゆきと答えたことから縁が出来たとされる(それ以前より中島の曲に影響されたともいわれている)。


瀧川ありさ: 「ノーサイド」は敬愛する松任谷由実のカバーソング。


桜井ちひろ: 松任谷由実


黒木瞳: 夫の曽祖父は頭山満(夫の父方の祖母が頭山満の娘)で、竹下登、DAIGO(25親等)、北川景子(25親等)、千葉雄大(51親等)、加山雄三(30親等)、筑紫哲也、ジョン・レノン(35親等)、オノ・ヨーコ(35親等)、岸恵子、松任谷正隆(8親等)、松任谷由実(8親等)、小澤征爾、小澤征悦、桑子真帆とは遠戚関係にあたる。


久保田早紀: 松任谷由実や矢野顕子に憧れ、自作の曲を書き溜めていた。


岩沢厚治: 星がきれい (The Little Monsters Family) - クリスマスの約束 (ゆずおだ) - ミュージック (Golden Circle feat.寺岡呼人/松任谷由実/ゆず) - two友 (ゆずグレン) - 第九のベンさん (The fevers) - 忘れられぬミュージック (ゆず/ももいろクローバーZ/back number/大原櫻子 & 松任谷由実)


今井マサキ: 1999年より松任谷由実のコンサートツアーにて初の男性バックコーラスとして参加、プロのシンガーとして活動する。


伊集院静: 松原みき、松任谷由実(1979年「OLIVE」〜1981年「水の中のASIAへ」)、松田聖子、薬師丸ひろ子、和田アキ子らのツアーのほかファッションショーも手がける。


濱田美和子: その後、大江千里・浜崎あゆみ・松任谷由実・TUBEなどアーティストのライブやレコーディングに参加。


こまつ: コラボミュージックも得意としており、松任谷由実の楽曲とアニソンをミックスさせた時は清水ミチコが大絶賛している程。


真田カオル: 1983年、松任谷由実プロデュース演出のアルバム「東京JAP大作戦」発売・コンサートデビュー。


杏里: 幼少時からピアノを習い、長兄の影響でドライブの時によく聴いていたポール・モーリアをよくコピーしたり、フォーク、ニューミュージックが盛んな時代に、松任谷由実(当時は荒井由実)、尾崎亜美、風、かぐや姫、吉田拓郎、井上陽水などの邦楽、また洋楽などあらゆるジャンルの楽曲を聴いて育った。


レスリー・キー: 表紙はレスリー・キー自身が最も尊敬するアーティスト・松任谷由実である。


岩男潤子: その後、少女時代に赤い鳥や松任谷由実などに憧れて、歌手を志すようになる。


シー=ユー=チェン: 少女時代にザ・フィンガーズの追っかけをしていた松任谷由実に、「ユーミン」のニックネームを与えた。


いずみ包: 松任谷由実✕鈴木敏夫 「魔女の宅急便」「おもひでぽろぽろ」ブルーレイ発売記念トークイベント(2012年12月9日)


松任谷正隆: 結婚前のあいさつに、松任谷由実が彼の母と対面したとき「ウチの息子は楽隊屋なんですが、いいのでしょうか?」と言われた。


岡田あーみん: 「あーみん」は、デビュー当時好きだった松任谷由実のニックネームである「ユーミン」にちなんだものである。


古川典裕: 松任谷由実の大ファン。


山瀬まみ: 翌1986年3月に松任谷由実作曲(クレジットは呉田軽穂名義)のシングル『メロンのためいき』でアイドル歌手デビュー。


今井マサキ: 松任谷由実のオールナイトニッポンTV(フジテレビ系列、2005年から)


澤田貴司: 学生時代から松任谷由実の自宅に出入りするなど親交が深く、苗場SURF&SNOWコンサートの発案者の1人でもある。


青木隆治: 松任谷由実


泉佳奈: 第62回NHK紅白歌合戦(松任谷由実バックコーラス、夏川りみ&秋川雅史バックコーラス)


佐藤亜美菜: 松任谷由実「幸せになるために」


レスリー=キー: 12月1日から翌年の1月6日にかけて松任谷由実の40周年記念史上最大写真展『YUMING FOREVER by LESLIE KEE』を表参道ヒルズにて開催。


松田聖子: 1980年代の作曲家は財津和夫、松任谷由実(『呉田軽穂』名義)、細野晴臣などニューミュージック系の作家が多かった。


雪村いづみ: 荒井由実(現:松任谷由実)の代表曲「ひこうき雲」は、元々はいづみのために書き下ろされた曲である。


松任谷由実の情報まとめ

もしもしロボ

松任谷 由実(まつとうや ゆみ)さんの誕生日は1954年1月19日です。東京出身のシンガー ソングライターのようです。

もしもしロボ

レギュラー、ディスコグラフィなどについてまとめました。卒業、結婚、解散、ドラマ、映画、テレビ、趣味、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。松任谷由実の現在の年齢は70歳のようです。

松任谷由実のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

松任谷 由実(まつとうや ゆみ、1954年〈昭和29年〉1月19日 - )は、日本のシンガーソングライターである。本名同じ。旧姓名及び旧芸名は、荒井 由実(あらい ゆみ)。

1972年にシングル「返事はいらない」でデビュー。一部企画では、愛称の「ユーミン(Yuming)」名義での活動もある。紫綬褒章受章者(2013年〈平成25年〉)。シンガーソングライターでは初めて文化功労者に選出された人物。(後述)公式ファンクラブは「Yuming Fan Club」。所属レコード会社はユニバーサルミュージック(旧:EMIミュージック・ジャパン)。血液型はO型。

他のアーティストへの作品提供の際には、本名のほか、グレタ・ガルボをもじったペンネームである呉田 軽穂(くれだ かるほ)を使用する場合もある。

夫はアレンジャー・松任谷正隆で、彼女の音楽プロデューサーを務める。

立教女学院高等学校、多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業

雲母社取締役、苗場プリンスホテル名誉総支配人(期間限定)。1972年、荒井由実の名でEMIミュージック・ジャパンからデビューし、1976年の結婚以降は松任谷由実へ改姓。2013年、EMIJ解散に伴いユニバーサルミュージックへと自動的に転籍。

1954年1月19日、3男2女の第4子(次女)として生まれる。6歳からピアノ、11歳から三味線、14歳からベースを始めた。

1966年4月立教女学院中学校に進学。

中学時代には、当時国内外の文化人が集まるサロン的存在だった港区麻布台のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていた。またフィンガーズの追っかけもしていた。のちに同レストランに集まったアーティストからアルファレコードが生まれ、デビューのきっかけを作った。

立教女学院高校に進学し、当時「(立教女学院の)パイプオルガン、プロコル・ハルムに強い衝撃を受けた」と語っている。また高校にかけては、御茶の水美術学院に通い、年長の同窓生の影響でアルチュール・ランボー、ジャック・プレヴェールを愛唱、多大な影響を受ける。

14歳のころ、当時親しかったシー・ユー・チェンが荒井を「ユーミン」と呼び始め、これがのちに愛称として定着する。

1971年、高校3年生のときに書いたデモテープが採用され、加橋かつみに「愛は突然に…」を提供し、17歳で作曲家としてデビューした。採用した日本フォノグラムのプロデューサー・本城和治は「ユーミンの声はフランソワーズ・アルディが歌っているみたいな、日本人にはちょっといないタイプで好きになりました。それでレコーディングにも来てもらったんですが、すごくいいセンスしていると思ったのに、彼女を歌手にしようという発想はできなかった。プロデューサー人生、最大の失敗と言っていいかもしれない。彼女は当初は好きだったブリティッシュポップ系の作品が多かったんですが、マンタ(松任谷正隆)と付き合うようになってから、アメリカンポップスも聴くようになった。それで『ルージュの伝言』みたいな曲も書くようになったんです」などと述べている。

染色の専攻を志し、1972年4月に多摩美術大学に入学。

元々作曲家志望だったが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、同年7月5日にかまやつひろしがプロデュースしたシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー。しかし同シングルは数百枚しか売れなかった。

1973年11月に、キャラメル・ママらとレコーディングしたファーストアルバム『ひこうき雲』を発売。デビュー時は特に話題になることはなく、デビューから1年半の間は、パーソナリティ・林美雄が金曜日第2部(27:00 - 29:00)を担当していたTBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」以外にはマスメディアに取り上げられない状況が続いたが、林のプッシュもあり、徐々に知名度を上げてゆく。石川セリや山崎ハコも、同番組により知られるようになった。

1974年より本格的にステージ活動を開始する。

デビュー直後は「女拓郎」「女陽水」と呼ばれたが、「私のやったことは拓郎やかぐや姫とは違う。私のつくった曲は今までにない新しいもの」などと著書で述べている。

1975年8月発売のフォークグループバンバンへの提供曲「『いちご白書』をもう一度」が1位を獲得し、また同年10月発売の自身のシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ『家庭の秘密』主題歌)が、初のオリコンチャートシングル1位を獲得、1976年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなった。このヒットがきっかけとなり、自身の過去作品『ひこうき雲』や『MISSLIM』の売り上げも急激かつ長期的に上昇し、75年発表の『COBALT HOUR』は46万枚以上を売り上げるヒット、76年発表の自身初のベストアルバム『YUMING BRAND』は初となるアルバム1位を獲得、76年アルバム年間ランキングでも3位の大ヒットとなり、荒井由実期における最大の売り上げを誇るなど、1975年後半から1976年にかけて荒井由実ブーム(第一次ブーム)が到来する。

映画ファン(eiga fan)』(愛宕書房)は、1976年4月号で『フォーク界にふきあれるウーマン・リブ旋風 女性シンガー・ソングライターたち』という特集を組み、吉見佑子は「出揃ったばかりの女性シンガー・ソングライターたち」「女性シンガー・ソングライターがあっという間に増えてしまったという感じが強いニューミュージックの世界。どうしても男のコの印象の方が強烈だけど、女のコもなかなかどうして立派な足並みが春に向かって揃いそう」と、当時抬頭が目立った女性シンガー・ソングライターたちを取り上げ、荒井由実、イルカ、吉田美奈子、五輪真弓、金子マリ、山崎ハコ、中山ラビらを紹介し、冒頭で荒井を取り上げ、「歌そのものより、歌ってるムードがチャームポイント。フォークとかロックとかそういうジャンルに見せる歌として登場して華麗にユーミンの世界をつくりあげたことはとてもすてきなお話。八王子の歌姫も今やファンタジックなポップスターとしてアイドル的存在になった。作詞・作曲の方もバンバンの『『いちご白書』をもう一度』というビッグ・ヒットを生んで以来、大忙しで着実に作りつづけていることは御立派。青春そのものの詩を書かせたら、やっぱりきれいでわくわくしまう。『ひこうき雲』の頃はあのすました笑顔のゆくえがうつろだったけど『コバルトアワー』あたりでユーミンの世界がはっきり見えたみたい。ユーミン・ファンとしては歌いつづけられる限り、こわれそうな青春を表現してもらいたい」などと評している。また番組名が書かれていないが、「1976年3月14日(日)の夜、TBSテレビの夜7:30~9:00枠で、今までも一部の放送局でミニ・コンサートを開いたことはあるが、ユーミンが初めて全国ネットのテレビに出演する」と書かれている。荒井のシングルヒットは前述のように1975年10月リリースの「あの日にかえりたい」が初めてであるが、これ以前の女性シンガー・ソングライターの大ヒットとしては、1973年12月リリースの小坂明子「あなた」、1974年3月リリースのりりィ「私は泣いています」、1975年5月リリースの小坂恭子「想い出まくら」などがあり、彼女たちは毎日のようにテレビに出て歌ったが、荒井はテレビに全く出なかったため、当時のテレビの影響力を考えれば、荒井が世間一般からどの程度の知名度があったものなのかは分からない。1970年代半ばころから、荒井らニューミュージック系歌手のアルバムがチャートを席捲してはいたが、シングルレベルでは歌謡曲・演歌・企画ものがまだまだ強い時代であった。1979年5月5日発行の『NEW MUSIC LAND』(近代映画社)での特集「NEW MUSIC HISTORY」では「1976年7月に丸山圭子の『どうぞこのまま』が発売され、女性シンガー・ソング・ライターが注目され、ブームが起こる」と書かれている。

荒井は自身の音楽性について『月刊平凡』1976年5月号のインタビューで「音楽は趣味でやってます。ブルジョアだから悪いってことない。私の音楽はイージーリスニング。BGMみたいなもの。朝起きたとき、夜寝る前に、ふっとかけてみたくなるような音楽がつくれたら」と述べている。

1976年11月29日、松任谷正隆と横浜山手教会にて結婚、その後は松任谷由実として音楽活動を続行する。結婚を機に歌手活動を辞めて曲作りに専念したいと考えていたと本人は語っている。

結婚以降、荒井由実ブームが下火になったことや改名の影響などもあり、78〜80年のアルバムの売り上げは10〜20万枚に留まるなど全盛期に比べ大幅に減退し、しばらくの間不振が続いた。但し、興業的には低迷期であったが、曲のクオリティは依然として高く、現在でもメジャーである「埠頭を渡る風」「青いエアメイル」「DESTINY」「恋人がサンタクロース」などの楽曲はこの期間に制作されたものである。 その後、1981年6月のシングル「守ってあげたい」が1981年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』は荒井由実期の最後のアルバム『14番目の月』以来5年ぶりの1位獲得となり、それ以降のオリジナルアルバムは、1997年発売の『Cowgirl Dreamin'』まで17枚連続でオリコン1位を獲得することとなる。

ブレッド&バター、松田聖子、小林麻美などへの楽曲提供の傍ら、1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースした。前述の「埠頭を渡る風」「青いエアメイル」「DESTINY」「恋人がサンタクロース」に加え「カンナ8号線」「真珠のピアス」「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」「時をかける少女」などもこの頃制作された。また、リゾート地でのコンサートのスタイルをこの時期に確立した。

1979年以降はコンサートの大規模化が始まり、本物の象を登場させた「OLIVE」、マジックを取り入れた「MAGICAL PUMPKIN」、エレベータを設置した「BROWN'S HOTEL」、噴水ショー「SURF & SNOW」、30メートルの竜に乗った「水の中のASIAへ」など年々エスカレートしていった。当時のインタビューでも「レコードで儲けた分、コンサートで夢と一緒にファンの方にお返しするのが役目」と語っていた。

1980年代頃は、他者への楽曲提供も積極的に行っており、旧知の仲である松本隆からの依頼で松田聖子の「赤いスイートピー」の作曲を引き受けている。引き受けるの際の条件として使用した変名が「呉田軽穂」である。作曲家としてではなく名前(知名度)で選ばれる事を嫌ったためであったが、夫の正隆が編曲者として実名でクレジットされており、松任谷の作曲であることはすぐに知られるようになった。以降聖子に対してシングル曲を次々と提供しヒットさせており、他者の楽曲提供の際にも呉田軽穂の変名を使うようになった。

1981年に端を発する第二次ブーム以降、アルバムの売り上げは高水準に保たれ、若干の増加傾向の中、凡そ50〜70万枚で安定的に推移していた。その中、1988年のアルバム『Delight Slight Light KISS』の売り上げが、前年発売のアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』の77万枚から、158万枚と一気に約2倍のセールスへと急増し、自身初となるアルバム年間ランキング1位を獲得した。この年の音楽界は松任谷由実の独走状態となり、同アルバムは次作が発売されるまでの約一年間、オリコンチャートにランクインし続けることとなった。また翌1989年の『LOVE WARS』、1990年の『天国のドア』と 3作品連続で年間1位を獲得。特に『天国のドア』では、当時の日本のアルバム最高売上記録を約10年ぶりに更新し、史上初のアルバム200万枚出荷を記録。翌1991年発売の『DAWN PURPLE』に至ってはオリコン史上初の初動ミリオンを達成するなど、第三次ブームが到来した。以降、1995年の『KATHMANDU』までの80年代後半から90年代半ばにかけてオリジナルアルバム8作連続のミリオンセラーを獲得する。

1985年以降の「バブル景気」時代人気の高かったスキーを題材にした映画『私をスキーに連れてって』(1987年)の主題歌と挿入曲を担当し、「若者のカリスマ」、「恋愛の教祖」などと呼ばれた。

当時比較されがちであった、中流以下の地方の若者に人気のあった中島みゆきの作風とは一線を画し、「中流以上の育ちじゃないとわからない世界観」、「中産階級の手に届く夢」(当時の音楽ライターによる表現)を歌って、90%以上の日本人が「自分を中流と思っている」という、一億総中流かつ上昇志向のバブル時代に沸く時代の波に乗った。

1990年代のバブル崩壊後は精神世界や民族音楽にも着目するようになり、「満月のフォーチュン」「DAWN PURPLE」「真夏の夜の夢」「砂の惑星」「春よ、来い」「輪舞曲」などを作曲する。

1993年、TBS系列ドラマ『誰にも言えない』主題歌となった「真夏の夜の夢」はシングルで自身初のミリオンセラーとなり、翌1994年発売の「Hello, my friend」「春よ、来い」も続けてミリオンセラーを記録、 3作品連続でのミリオンセラーとなった。また、同年末発売のアルバム『THE DANCING SUN』はオリジナルアルバムとして自己最高の217万枚を売り上げるなど、第四次ブームと呼べる年となった。

1996年、荒井由実名義でのセルフカバーシングル「まちぶせ」を発売。また、当時の仲間のミュージシャンを集めて、『Yumi Arai The Concert with old Friends』を開催した。このライブ・アルバム発売に伴い、年末リリースのアルバムが数か月遅れた。これ以降、恒例となっていた活動サイクル(冬のアルバム発売〜夏までツアー)が若干緩やかになった。

1998年には松任谷由実時代以降のベスト・アルバム『Neue Musik』が 380万枚を売り上げ、自身が発表した全作品の中で最大の売上を記録している。

1999年にはロシアのサーカスチームとコラボレートしたコンサート『シャングリラ』を開催。同コンサートは2003年に『シャングリラII』、2007年にはシリーズ最後を飾る『シャングリラIII』として開催された。『シャングリラ』3回の総制作費は120億円以上、観客動員数は100万人。

国立国語研究所の調査によると、松任谷由実及び中島みゆきの歌詞中の外国語割合は2000年以降減っており、日本語回帰傾向となった。

2005年、第56回NHK紅白歌合戦に松任谷由実 with Friends Of Love The Earth名義で初出演。それ以前は「家でおせち料理を作るから」という理由で出場を辞退していた。2011年春には、NHK『SONGS』の企画で新たにレコーディングされた「(みんなの)春よ、来い」第1弾を5月に配信、11月には第2弾「(みんなの)春よ、来い 2011年秋編」、2012年3月には「(みんなの)春よ、来い 2012」を配信。収益のすべてが東日本大震災の被災地へ寄付された。

2012年、荒井由実時代・松任谷由実時代を通じたベストアルバム『日本の恋と、ユーミンと。』がオリコンチャートにて初登場1位となり、累計でのCDアルバム売り上げ枚数が 3,000万枚を突破、ソロアーティストならびに女性アーティスト初の記録となった。

2012年、2014年、2017年には帝国劇場にて『ユーミン×帝劇』を開催。

2013年、デビュー以来所属していたレコード会社・(東芝音楽工業→東芝EMI→)EMIミュージック・ジャパンの吸収合併に伴い、ユニバーサルミュージックへと自動的に転籍した。

2013年春の叙勲で紫綬褒章受章。

同年、「岩谷時子賞」を受賞(岩谷時子存命中最後の受賞者となった)。

2015年、石川県観光ブランドプロデューサーに就任。

2016年には38枚目のオリジナルアルバム『宇宙図書館』がオリコンチャートにて初登場1位を獲得。

2017年、東京芸術文化評議会委員に就任。世田谷区名誉区民。

2018年にはベストアルバム『ユーミンからの、恋のうた。』がオリコンチャートにて初登場1位を獲得。また同ベストアルバムとともに、前ベストアルバム『日本の恋と、ユーミンと。』が8位にランクインし、ランキングトップ10に2作同時ランクインすることとなった。

2018年9月には、荒井由実時代を含めたほとんどのアルバムとシングルのサブスプリクション配信が開始された。2019年8月23日、公式YouTubeチャンネルで歴代ミュージック・ビデオの内、33作品が公開された。

2020年12月1日には、4年ぶりのアルバム『深海の街』を発売し、2021年9月30日からそれに連動した全国60公演に及ぶコンサートツアー『深海の街』を開催した。

2022年10月4日には、デビュー50周年記念としてベストアルバム『ユーミン万歳!』を発売。オリコンチャートにて、 2週間連続1位を達成。これにより、自身の持つ「ソロアーティストによるアルバム1位獲得作品数」における歴代1位記録を25作に更新し、オリコン史上初となる 1970年代から2020年代の6年代連続でのアルバム1位獲得を達成。また「アルバム1位獲得最年長アーティスト」記録において、歴代で2位、女性アーティストとして歴代1位となった 。(2022年11月現在

同年、シンガーソングライターとして史上初となる文化功労者に選出 。これに対して松任谷はコメントを発表した 。

2022年12月15日に日本テレビで放送された「世界一受けたい授業2時間SP」で、今後の大きな夢として「羽田空港の名称をユーミン空港にすること」と語っている。

2023年9月14日、「オリコン週間アルバムランキング」にて『ユーミン万歳!~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~』が1位を獲得。オリコン史上初となる「1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代、2020年代」の6年代連続でアルバム1位獲得を達成。この記録が『Most consecutive decades with a No.1 on the Japanese albums chart』(日本のアルバムチャートで1位を連続で獲得した最多デケイド数)として、ギネス世界記録に認定。

近年は手嶌葵、一青窈、NOKKO、岩沢幸矢、鈴木雅之、松田聖子、Char、薬師丸ひろ子への楽曲提供も行っている。

レギュラー

ニッポン放送「松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD」毎月1回・金曜 22:00~24:00 ※第3週もしくは第4週

TOKYO FM / JFN「松任谷由実のYuming Chord」毎週金曜 11:00〜11:30

Podcast「うそラジオ Podcast 松任谷由実 はじめました」ニッポン放送ポッドキャストステーションにて毎週金曜11:00更新〜

ディスコグラフィ

オリジナルアルバム

ベストアルバム

コラボベストアルバム

セルフカバーアルバム

ライブアルバム

ボックス&特別企画盤

非公式アルバム

シングル

※順位は全てオリコンの発表に基づく。

配信楽曲

 アルバム先行配信

コラボレーション

ビジュアル(VIDEO・DVD・Blu-ray)

ミュージックビデオ

2024/06/07 19:50更新

matsutouya yumi


松任谷由実と同じ誕生日1月19日生まれ、同じ東京出身の人

吉田 茂_(文部官僚)(よしだ しげる)
1940年1月19日生まれの有名人 東京出身

1月19日生まれwiki情報なし(2024/06/10 22:31時点)

渡辺 早織(わたなべ さおり)
1988年1月19日生まれの有名人 東京出身

渡辺 早織(わたなべ さおり、1988年1月19日 - )は、日本の女性タレント、モデル、女優、リポーター。 東京都出身。中央大学商学部卒。ABP inc.所属。 集英社『non-no』にてノン…

夢月 ゆのん(ゆづき ゆのん)
2004年1月19日生まれの有名人 東京出身

夢月 ゆのん(ゆづき ゆのん、2004年1月19日 - )は、日本の女性モデル、グラビアアイドル、コスプレイヤー。東京都出身。 2020年よりジュニアアイドル誌『Moecco』(マイウェ…

田﨑 さくら(たざき さくら)
1999年1月19日生まれの有名人 東京出身

田﨑 さくら(たざき さくら、1999年〈平成11年〉1月19日 – )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。東京都出身。セント・フォース所属。 身長162cm。体重47.7kg。ウエスト58cm。…

木村 美紀(きむら みき)
1985年1月19日生まれの有名人 東京出身

木村 美紀(きむら みき、1985年1月19日 - )は、生島企画室所属のタレント、ファッションモデル、作家、薬学者。かつてはアミューズに所属していた。 東京都出身。 女子学院中学校・高等学校を…

麻生 真里(あそう まり)
1月19日生まれの有名人 東京出身

麻生 真里(あそう まり、1月19日)は日本の車椅子モデル、タレント、歌手である。 出典 高校生の時スカウトされタレント活動を開始。 その後シンガー活動も開始。 麻双 真里から現在の麻生 真里へ…

小室 安未(こむろ あみ)
1997年1月19日生まれの有名人 東京出身

小室 安未(こむろ あみ、1997年1月19日 - )は、日本の女性ファッションモデル、タレント、女優である。東京都江戸川区出身。エイベックス・マネジメント所属。 東京都生まれ。明治学院大学在籍中…

黒岩 伶奈(くろいわ れな)
1997年1月19日生まれの有名人 東京出身

黒岩 伶奈(くろいわ れな、1997年1月19日 - )は、日本の元女優、元モデル。東京都出身。青山学院大学卒業。 2006年、ファッション雑誌ピチレモン(学研)の専属モデルになる。同年6月号で初…

牧野 由依(まきの ゆい)
1986年1月19日生まれの有名人 東京出身

牧野 由依(まきの ゆい、1986年1月19日 - )は、日本の声優、女優、歌手、ピアニスト。 三重県志摩市出身、所属芸能事務所はアミューズ、所属レコードレーベルはフライングドッグ。 東京音楽大…

丘 みつ子(おか みつこ)
1948年1月19日生まれの有名人 東京出身

丘 みつ子(おか みつこ、1948年〈昭和23年〉1月19日 - )は、日本の女優、陶芸家。本名:森田 光子。旧姓:武笠。東京都北区王子出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 北豊島高等…

東海林 克江(しょうじ かつえ)
1964年1月19日生まれの有名人 東京出身

東海林 克江(しょうじ かつえ、1964年1月19日 - )は、気象予報士、フリーアナウンサー。身長158cm。 テレビ東京を退社後は特定の事務所には属さず、フリーランスで活動している。2006年…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


松任谷由実と近い名前の人

松藤 裕子(まつとう ゆうこ)
1981年12月7日生まれの有名人 埼玉出身

松藤 裕子(まつとう ゆうこ、1981年12月7日 - )は、埼玉県出身のタレント。 アイドルハイスクール 芸能女学館(1998年、CX) P.A.(1998年、NTV) 森永製菓 チョコモナカジ…

高松 棟一郎(たかまつ とういちろう)
1911年1月8日生まれの有名人 栃木出身

高松 棟一郎(たかまつ とういちろう、1911年1月8日 - 1959年5月26日)は、日本のジャーナリスト。父は真岡町長や下野銀行支店長を務め、煙草元売捌所を営業していた高松 甚一郎。弟は洋画家でグ…

松任谷 正隆(まつとうや まさたか)
1951年11月19日生まれの有名人 東京出身

松任谷 正隆(まつとうや まさたか、1951年〈昭和26年〉11月19日 - )は、日本の音楽プロデューサー、編曲家、キーボーディスト、作曲家。またモータージャーナリスト、タレントとしても活動している…

松任 知基(まつとう ともき)
生まれの有名人 神奈川出身

松任 知基(まつとう ともき、(生年非公開)8月14日 - )は、日本の性別非公開・成人向け漫画家。小松えびね名義もあり。神奈川県横浜市出身。AB型。 1995年、アフタヌーン四季賞佳作に入賞。1…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
松任谷由実
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手) 石山順征

グループ

STA*M IMP. BMK_(音楽グループ) M!LK SOLIDEMO 祭nine. ONE N' ONLY BOYS AND MEN MAZZEL 10神ACTOR 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「松任谷由実」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました