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柴田秀勝の情報 (しばたひでかつ)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

柴田秀勝の情報(しばたひでかつ) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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柴田 秀勝さんについて調べます

■名前・氏名
柴田 秀勝
(読み:しばた ひでかつ)
■職業
声優
■柴田秀勝の誕生日・生年月日
1937年3月25日 (年齢87歳)
丑年(うし年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和12年)1937年生まれの人の年齢早見表

柴田秀勝と同じ1937年生まれの有名人・芸能人

柴田秀勝と同じ3月25日生まれの有名人・芸能人

柴田秀勝と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


柴田秀勝と関係のある人

渡部猛: 柴田秀勝とは声質が似通っていることを自認しており、共演した『星獣戦隊ギンガマン』では声を変えて演じたことを述べている。


北浜晴子: 『マジンガーZ』のあしゅら男爵は柴田秀勝と互いに張り合って台詞を喋るため、口パクが合わず、大竹が「柴田が先に声を出して、それに追従するようにお晴がしゃべったらどうか」とアドバイスしたという。


市川治: 悪役では、悪そうな声や唸り声では同世代の沢りつおや柴田秀勝らに敵わないため、セリフの鋭さや怖さを強調した知的な悪役とすることを意識していた。


岩男潤子: コーナータイトル名は柴田秀勝が担当)


ミッキー=スピレイン: 日本版の声優は柴田秀勝が担当している。


塩沢兼人: 「もう、海は見るのも嫌だなぁ」とコメントした塩沢だが、スキューバダイビングを趣味にしており、一緒に潜る先輩に柴田秀勝の名前を挙げている。


内海賢二: その友人の紹介で、子供向けドラマ『熱血カクタス』(柴田秀勝主演)にて端役をもらい、続けて『海賊バイキング』ではナレーターを担当。


キートン山田: アルバイトをしながら役者生活をしていた中、アルバイト先のスナックの店主と知り合いで常連だった柴田秀勝から「声専門のプロダクションができるから」と紹介され、創立したばかりの青二プロダクションに預かりで所属となった。


福田康夫: 同級生には声優の柴田秀勝や、物流大手のサンリツ会長の三浦正英などがいる。


かとう有花: 柴田秀勝の「新宿 ゴール伝ガイ・パラダイス」


野村道子: 夫の内海は当初は男友達のひとりであり、結婚する気などまったくなく、当時内海が働いていたバー「突風」(柴田秀勝が経営)に別の男性を連れて行っていたほどであった。


河原崎洋央: 『仮面ライダーストロンガー』において大幹部「ジェネラル・シャドウ」(声・柴田秀勝)を演じたが、スーツはゴム製のマスクの上に透明フードを被っているため呼吸しづらかったという。


内海賢二: また、『熱血カクタス』の主演だった柴田秀勝は、自身の経営するバーの2階を内海の下宿に提供し、その上アルバイトのバーテンとして内海を雇った。


八奈見乗児: また生前の内海は八奈見、柴田秀勝から受けた感謝を忘れなかったという。


塩沢兼人: 塩沢と親交があった先輩声優の柴田秀勝は後輩との突然の別れに、弔辞の中で「馬鹿野郎」と怒りを交えて嘆いた。


佐伯秀男: 『白の人造美女』 : 製作・企画・監督若松孝二、脚本大谷義明、主演柴田秀勝・向井まり、製作若松プロダクション、1966年7月公開(成人映画・映倫番号 不明)


森雪之丞: 1983年 劇団青杜『テレスコープ』作詞・音楽(作:古川登志夫 演出:柴田秀勝


瀬水暁: 対決 若本規夫VS柴田秀勝(項壮)


伊藤あすか: 柴田秀勝プロデュース公演「嫡出否認リメイク版〜俺の子供じゃない〜」


小村哲生: 1990年頃からは、親しかった柴田秀勝の勧めで声優の仕事を始める。


柴田秀勝の情報まとめ

もしもしロボ

柴田 秀勝(しばた ひでかつ)さんの誕生日は1937年3月25日です。東京出身の声優のようです。

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特色、人物などについてまとめました。映画、卒業、テレビ、ドラマ、結婚、離婚に関する情報もありますね。柴田秀勝の現在の年齢は87歳のようです。

柴田秀勝のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、演出家。東京都台東区浅草田原町出身。RME所属で、同社の代表取締役会長。妻は声優の関根明子。

1937年、東京府東京市下谷区浅草田原町(現:東京都台東区浅草)で経師屋の息子として生まれる。父は表具師だった。4 - 5歳の頃から近所の映画館へ遊びに行き、清水金一や榎本健一を観て育つ。

小学3年生の時に東京都港区愛宕の愛宕山に転居。転居してから間もない頃に兄が行方不明になった。

小さい頃から吃音症により、た行がうまく言えず、そこで詰まっていた。それを治そうと、小学校時代の担任の教師が、国語の授業に力を入れてくれて、何回も指名して皆の前で読ませたりして、訓練してくれたという。その一つとして、演劇を教えてくれたという。中学、高校進学後も相変わらず治らなかったが、演劇には興味を持っていたため、続けてはいたという。

当初目標としていたのは歌手だった。当時は教師も色々調べてくれて、ある日「吃音症は歌うと、どもらないと云われているから試してみろ」と言われ、試してみたところどもらず、当初は歌手になろうと決意した。歌の世界を目指してラジオののど自慢番組に出場したが、結果は鐘2つで落選。その時に「あ、俺には才能がないな」と歌を断念した。その後教師から卒業前に、「歌がダメなら、歌舞伎をやれ。歌舞伎の台詞は“歌うが如く”だ」とアドバイスを受け、歌舞伎の世界を目指したという。

西桜小学校卒業。当時は天童と呼ばれていたが、中学校に入ると「ビリから三番目」になったとのこと。

麻布中学校・高等学校卒業。中学時代で最初に出演していた舞台は『同志の人々』。当時はこれに出演してもらうために、十七代目 中村勘三郎に中学生が一升瓶持って「よろしくお願いいたします」とご挨拶に行っていたという。勘三郎からは「面白いヤツだ」と思われたようで、その後も良くしてくれた。中学時代はバス通学をしていたが、当時は車掌に行き先を伝えて切符を買うという規則であり、吃音症から家のある虎ノ門(とらのもん)が言えず、次駅の田町駅(たまち)も言えなかったため、その次駅である新橋駅まで乗って、毎日二駅歩いて戻ってきていた。そのため、た行が言えるように克服するため、高校の頃に演劇部に入部した。男子校だったため、女役には困っており、女子校の演劇部を駆けずり回り、女生徒を借りてきたという。「歌舞伎独特の“七五調”の台詞を、ゆっくりと声高らかに発声していけば、言葉の問題も解消するのではないか」と考えたことからそれまでのクラブの伝統を破り、歌舞伎を上演することを思いつき、初めて女形の経験もしていた。中学、高校時代と歌舞伎を続けて、「さて、大学をどこにしようかと考えていたところ、当時は歌舞伎を勉強できる大学は学習院大学と早稲田大学と日本大学芸術学部と3つしかなかった。そこで、先生に「歌えば言葉はつかえない。歌舞伎の台詞は歌うようなリズムがあるから、演劇が好きなら歌舞伎を勉強できる日本大学芸術学部に行ってみたら」と言われ、日本大学芸術学部演劇科に進学する。国劇研究会で歌舞伎を専攻し、坂東秀調の指導を受ける。

大学4年生になり、歌舞伎の世界へと就職するつもりだった。日本大学芸術学部の卒業公演では『勧進帳』を出演。その時は衣装も、二代目 尾上松緑のものをそのまま使わせてもらっていたことから松竹全面協力でスタッフ全員、松竹から派遣されてきていたという。それで松竹創業者で当時、会長だった大谷竹次郎が「学生から歌舞伎役者を輩出しよう」と学士俳優を始めて、柴田も日本大学芸術学部卒業後、関西歌舞伎に就職することになったという。

大学卒業後、前述の通り関西歌舞伎に就職が決まっていたが倒産し、失業。意気消沈して新宿ゴールデン街を歩いていて見つけた売り店舗を購入。1958年4月にスタンドバーを開店させ、同年に俳優活動を開始する。新東宝からハンサムタワーズの第二期生としてデビュー。当時は端役ばかりであったという。洋画の吹き替えもしていたという。テアトル・エコーへの入団を希望するも不合格。1959年頃、東宝演劇部で立ち上げた俳優養成所を受けようかとも思ったが、応募者が殺到して狭き門になっていたという。1960年、テレビドラマ『熱血カクタス』で主役のカクタス役を演じる(なお、当時これを紹介した雑誌記事に芸名を「柴田勝彦」と記したものがあったが、これは誤りである)。当時の柴田は「生活感が表現できる役者になりたい」という理想を持っていたが、実際は生活感のある演技ができず、実写俳優の仕事をしていく中で「これ以上、役者(実写俳優)を続けるのは無理だ」と悩むようになる。東映動画のプロデューサーだった籏野義文からの依頼で1963年に『狼少年ケン』で初めてアニメに出演。

その後、大学時代の同級生で歌舞伎仲間だった久保進(後の青二プロダクション会長)に「声専門のプロダクションを始めたいから、いっそのこと声優の専門家にならないか。」と言われ、声優になる。SOS、松竹、太平洋テレビ、劇団未来劇場、東京俳優生活協同組合、TAPの所属を経て、1969年、久保らと共に青二プロダクションを設立。「新会社の立ち上げに力を貸してほしい」ということで、大学時代の同級生でテアトル・エコーのマネージャーだった黒田洋を招き入れた。結成1年後、黒田が営業部長として加わって、この3人の役員でスクラムを組み、青二プロダクションを発展させてきた。声優の本格デビュー作は同年放送の『タイガーマスク』のミスターX役だが、含み笑いで演じたところ、リズムに乗れたからか、た行で詰まる癖を克服できた。それからは精神的にも余裕が出来て、どんな役がきても大丈夫とのことで、ナレーションも請けるようになったと言う。

特に声優を意識したのは『タイガーマスク』が終えて『マジンガーZ』に入った頃である。ある日突然、女の子から手紙が届いて「あれ、ボクが声をやってることがよくわかったなあ」、と思ったのがキッカケであったと語る。ふっと気が付いてみたところ、柴田以上に井上真樹夫などが3〜5通ぐらいの手紙を貰っていた。その時に「オイ、ちょっと、オレたちに、ファンレターが来たよ(笑)。」、「ホントだってばあ〜(笑)。」とそんな状態が半年ぐらい続いていた。青二プロダクションは正月5日が初出社の日であるが、朝、会社に行ったところ、入り口にダンボール箱が積まれており、入れなかった。「このダンボールは何か」と聞いていたところ、「年賀状だ」と言われた。「年賀状っていったって、こんなダンボール箱に」と思い見ていたところ、「とにかくあるのなんの」と思った。

その年に九段会館で記念公演の『青二十周年記念公演』をしており、その時に月刊OUTに声をかけていたところ、「喜んで応援しましょう」ということで、お金は出してくれなかったが協力してくれた。当初、ある雑誌に電話をしていたところ、「広告としてなら、載せましょう」という返事で「こちらもお金がなかったですから、それなら結構です」ということになった。それで、OUTに電話をしていたところ、「明日うかがいます。」と言う返事だったため、「ボクらはきっと、OUTさんも広告扱いなのかなあ」と思い、ビクビクしていた。そうしていたところ、出来上がった台本の写真をとったりして、一所懸命してくれた。それで、お金の事は何も言わないため、「これは、きっとタダなんだ」と思い、ホッとしていた。その後も、お金の話が出なかったため、皆で「とぼけちゃお」と言っていたという。その他にも当時、ニッポン放送にいた上野修にも、声優の舞台公演をするというのは初めての事であったことから御相談にいっていた。その時、上野もアドバイスなど色々協力してくれたという。

ドキュメンタリー映画のナレーションで、第28回国際産業映画・ビデオ祭 文部大臣賞、第29回国際産業映画・ビデオ祭 通商産業大臣賞を受賞している。

2004年、RME株式会社を設立し、代表取締役会長に就任。新人・後輩声優の育成に力を注いでいる。

2017年1月9日、テレビ朝日にて放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』で第13位に選ばれる。

2020年4月1日、妻の関根明子とともに、創設時より所属していた青二プロダクションからRMEに所属事務所を移籍した。

特色

音域はA-C。方言は江戸弁。

声優としては、多数のアニメ、洋画に出演の他、テレビのナレーションも務めている。

役柄としては、特撮・アニメを問わず、威厳ある悪役、地位の高い人物役、歴代の強敵・巨悪を演じている。一方、ナレーションとしては、甘味のある語りも多数である。

2014年時点では『NARUTO -ナルト-』の三代目火影役、『鋼の錬金術師』のキング・ブラッドレイが好きと語っている。

実写作品では、『仮面ライダーストロンガー』のジェネラルシャドウが広く知られているものの、自身はほとんど記憶に残っていないと語っている。特撮作品においては、このジェネラルシャドウが最初のレギュラー出演ということになったという。あの頃、マネージャーを担当していた前述の黒田が取ってきてくれた仕事だったという。ジェネラルシャドウの依頼が来ていたのも、前述の縁だったと語る。これをきっかけとして以後も様々な特撮作品で呼んでもらえるようになったわけであることから、非常に思い出深いキャラクターになったという。ジェネラルシャドウは、東映生田スタジオで収録していたが、ラッシュの関係もあるため、そこは面倒でも毎週通っていたと語る。当時の吹き替え専門の役者は、メジャーのような存在ではなく、まだまだ地位の低い縁の下の力持ちであり、監督と一度もお目に掛かったことがなかった。現場で会っていたのは、音響監督を兼ねた助監督、録音技師でまだ声優という立ち位置するあやふやな時代だったことから、業界的にも凄く低く見られていた。一度、横柄な「おいコラ口調」で指示を出していた助監督と大ゲンカして、アフレコ途中で帰ってしまったことがあった。その後、監督にたしなめられたようで、すぐにその助監督が引き留めに追いかけてきたという。東映生田スタジオでは、事実上の音響監督を務めていた太田克己と話しした覚えがなく、演出的な指示を出していたのは、助監督だったという。人形劇『Xボンバー』に登場するジェネラル黒田はこのジェネラルシャドウをかけたキャラクターで、このキャラクターの声も柴田が演じていた。また『瀬戸の花嫁』でもそれにあやかったキャラクター・ジェネラル番長を演じている)。2011年公開の「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」では36年振りにジェネラルシャドウの声を担当した。その時は素直に嬉しかったという。その時の演技は監督の金田治も「どうぞ柴田さんの思うようにやってください」と、ただそれだけであり、2018年時点では「本当にありがたいことだ」と思っているという。

「スーパー戦隊シリーズ」では5度にわたりレギュラー出演を果たしており、そのうち2作品は悪の首領を演じた。

人物

「声優とは、俳優の一部」および「声優の前に俳優であれ」との考えを持つことから、これから声優を目指す若人には「心を演じる、人を演じるような俳優になれ」と教えており、「自分が役者であることを自覚すればやっていけるだろう」とのことである。他者が声優を目指すことに抵抗は無い一方で、近年の若手声優に対しては「映像に声をあてることだけは僕らよりうまいが、心と人間を演じきれていない」「若い人たちの演技はどうしても底が浅いような気がしてならない」と苦言を呈している。

RMEの会長を務める傍ら、東京都新宿区歌舞伎町の新宿ゴールデン街にある会員制バー「突風」のマスターも務めている。就職先だった関西歌舞伎が倒産し、意気消沈して新宿を歩いていて見つけた売り店舗を購入。役者活動開始とほぼ同時期の1958年4月に「スタンドバー TOP(トップ)」として開店。その後、劇団未来劇場の仲間たちと店名を「突風」にしてリニューアルする。同店は新宿ゴールデン街最古参で、役者や業界の関係者が集う店で知られる。1965年3月28日、1992年5月6日、2003年6月15日と過去3回もらい火に遭っている。次原隆二の漫画『レストアガレージ251車屋夢次郎』、辻真先の小説『迷犬ルパンシリーズ』に登場する。なお、柴田は『翔んだパープリン』にスナックのマスター役で出演していた。

キノトールが在籍していたテアトル・エコーなら「何とか入れるかもしれない」と思い面接を受けに行ったが、納谷悟朗に落とされた。後年、東京ディズニーランドのシンデレラ城がオープンした時、その流れで納谷が「突風」に来たことがあり、「納谷さん、あのとき僕を落としたの、覚えてます?」と訊いたところ、「いや、ぜんぜん覚えてない」と返され参ってしまったという。「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」で納谷と久々に共演したが、あれがご一緒した最後の作品となってしまった。その頃まで柴田のことを「ひでかつ」と呼び捨てにしてくれたのは、納谷くらいしかいなかったという。そのアフレコの際、納谷が「おい、ひでかつ。今日は先にやって帰ってくれ。後は俺ひとりでのんびりやりたいから」と、その時は「まさか先輩を差し置いて先に帰れるわけないじゃないですか」と言った。納谷は冗談めいた口調で「俺はこれがもう最後の仕事になるかもしれないから、頼むから好きにさせてくれよ」とそうまで言われると先に帰るしかなく、結局、それが納谷と言葉を交わした最後になってしまった。その後しばらくて、大泉に新設された録音スタジオに訪れたことがあり「ああ、僕たちみたいな吹き替え役者のために、今ではこんな立派なスタジオが建てられる時代になったのか」と、しみじみ想ったことがあった。それもこれも、すべては納谷たちを始めとする先輩たちの苦心の賜物だった。その時は「たかが吹き替え屋ふぜいが」と蔑まれながらも、「実直に声の芝居に磨きを掛けてきた偉大な先人たちの成果が、今こうして目に見える形で結実したんだなあ」、「こんな立派なスタジオで納谷さんたちご一緒できたなら」とそう考えると、思わずこみ上げてくるものがあったという。

『熱血カクタス』で共演した内海賢二に対して、自身のバーの2階を下宿として提供し、そのうえアルバイトのバーテンとして雇い、彼の生活を援助した。内海は生前声優生活初期に面倒を看てくれた柴田と八奈見乗児への感謝を忘れなかったと言う。

キートン山田を声優に誘ったのは柴田である。山田がアルバイトをしながら役者生活をしていた時期、アルバイト先のスナックの店主が柴田と知り合いだったため、柴田が店によく訪ねて来ていて、山田と面識ができた。ある日、柴田が「声専門のプロダクションができるから、履歴書を書いて来い」と山田に言い、創立したばかりの青二プロダクションに預かりで所属させた。

後輩である塩沢兼人とは親交があり、柴田は「俺が死んだら弔辞はお前が読んでくれ」と言っていた。しかし、塩沢の急逝(2000年5月)によって実際には塩沢の弔辞を柴田が読むことになった。その弔辞の中で、柴田は「バカヤロー」と怒りを交えながら深く嘆いている。

小村哲生とは仲が良く、「声の仕事をやれ」と誘ったことで小村は声の仕事を始めたという。小村によると柴田の繋がりで、青二塾の卒業生が巡回公演に参加してくれるという。

柴田が『水戸黄門』(25〜27部)のナレーションをしていた頃、大塚周夫が「水戸黄門見てるぞ! いいよ、なかなかいい! でも、ターゲットが広すぎるよ。テレビの前で見ているのは1人だ。そんなイメージでしゃべってごらん」と言われ、今までテレビの前に何人いるかといったことは考えておらず衝撃を受けた。それ以来、マイクの前に立つときの心持ちは大きく変わった。

元内閣総理大臣の福田康夫は麻布中学・高校の同級生である。

結婚は早く、元妻との間に息子と娘がおり、子供は離婚後に柴田が引き取ったという。

2024/06/18 16:23更新

shibata hidekatsu


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柴田 秀一(しばた しゅういち)
1957年9月2日生まれの有名人 神奈川出身

柴田 秀一(しばた しゅういち、1957年9月2日 - )は、日本のアナウンサーである。 神奈川県川崎市出身。神奈川県立川崎高等学校を経て日本大学法学部政治経済学科を卒業後、1981年4月にTBS(…

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柴田秀勝
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