橋本昌二の情報(はしもとしょうじ) 囲碁 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
橋本 昌二さんについて調べます
■名前・氏名 |
橋本昌二と関係のある人
結城聡: 2009年、NHK杯で関西棋院の棋士としては1985年の橋本昌二以来、24年ぶりに優勝。 加藤正夫: 1982年、橋本昌二から王座を奪取し、以後8連覇。 藤沢秀行: 1967年 橋本昌二を破り第15期王座位獲得。 坂井秀至: 大学卒業後にプロ入りした棋士として、初のタイトル挑戦者にして初の七大タイトルの獲得者となった(大学卒業者であれば、プロ入り後に大学を卒業した淡路修三がタイトル挑戦者となっている)また、このタイトル獲得は関西棋院にとって、1981年に橋本昌二が加藤正夫を下しこれを得、翌年加藤に敗れ失冠以来29年ぶりの七大タイトル奪取となる。 石井邦生: 12歳での入段は林海峰・橋本昌二・結城聡に並ぶ記録であった。 宮本直毅: 『クイズ!囲碁序盤この一手 (1)-(2)』山海堂 2002年(橋本宇太郎、橋本昌二と共著) 今村俊也: 2007年、関西棋院では橋本昌二以来、25年ぶりとなる王座戦登場を果たすが、山下敬吾に1-3で敗れる。 宮本直毅: 『クイズ!囲碁中盤この一手 (1)-(2)』山海堂 2002年(橋本宇太郎、橋本昌二と共著) 藤沢秀行: 1961年 朝日新聞の企画で、林海峰六段と大竹英雄四段の新鋭三番碁に続き、藤沢八段と関西の新鋭の橋本昌二九段との三番碁が企画される。 石井邦生: 1979年に棋聖戦九段戦で準優勝、最高棋士決定戦ベスト4に進出するが、準決勝で橋本昌二に敗れる。 山部俊郎: 1959年王座戦決勝に進むが橋本昌二に0-2で敗れる。 結城聡: 十段戦でも挑戦者となり、6冠を保持していた井山裕太十段を3-2で破って、関西棋院では橋本昌二(1974年)以来39年ぶりとなる十段位を獲得。 結城聡: 1984年12歳1カ月で、関西棋院では橋本昌二、東野弘昭以来の最年少で入段。 半田道玄: 1961年の第1期名人戦では、当時の11人の九段の一人として関西棋院から橋本宇太郎、橋本昌二とともにリーグ参加し、7勝5敗で4位の成績を残す。 梶原武雄: 長考派としても知られ、1960年王座戦の橋本昌二戦での「今日の蛤は重い」の一言は有名。 |
橋本昌二の情報まとめ
橋本 昌二(はしもと しょうじ)さんの誕生日は1935年4月18日です。兵庫出身の囲碁棋士のようです。
タイトル歴、その他の棋歴、受賞等などについてまとめました。橋本昌二の現在の年齢は89歳のようです。
橋本昌二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年(昭和10年)4月18日 - 2009年(平成21年)12月2日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県明石市出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下、九段。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型、長考派としても有名で、「重戦車」の異名を取った。 1994年から1998年まで関西棋院理事長。その後特別顧問。 日本棋院台湾支部長で、自宅に道場を開いていた国三郎を父に、台湾に生まれる。幼時から父に囲碁の手ほどきを受け、棋士を目指して厳しい指導を受けた。1947年に12歳で入段。1953年に18歳で六段に昇段し、第9期本因坊戦予選に参加、その際に日本棋院から関西棋院の新段位を認めないとしたが、鈴木為次郎八段が審査を行って認められた。この予選では元本因坊の岩本薫八段を破るなどの活躍をしたが、鈴木五良五段に敗れて挑戦者決定リーグ入りはならなかった。 以後、橋本宇太郎と並んで関西棋院の闘将として、日本棋院への対抗意識をかき立て続けた。橋本宇太郎が「大橋本」と呼ばれたのに対し、「小橋本」と呼ばれた。1958年、当時としては最速で九段に昇段。1959年に王座戦決勝三番勝負で山部俊郎を2-0で破り、24歳でタイトル初獲得。これは昭和生まれの棋士初のタイトル獲得でもあった。 1961年 朝日新聞の企画で、林海峰六段と大竹英雄四段の新鋭三番碁に続き、藤沢秀行八段と九段橋本との三番碁が企画される。 1962年の名人戦リーグでは、7勝5敗でリーグ4位の成績だったが、最終戦で、橋本がそれまでトップを走っていた藤沢秀行八段を破った。他の最終戦の坂田栄男・呉清源戦の勝者が藤沢と同率になり、再決戦となるはずだった。だが呉が、坂田戦でジゴ勝ちだったために、再決戦なしに藤沢が第1期名人となるという劇的な結末の演出役となった。 その後、1974年に十段、1981年に2度目の王座を獲得。これ以後、2010年に坂井秀至が碁聖を獲得するまで、関西棋院から七大タイトル保持者が出ることはなかった。 門下に高原周二九段、森山直棋九段などがいる。1994年から1998年まで4年間、関西棋院理事長を務めた。 同じ長考派で知られる梶原武雄七段(当時)と対戦した1960年の第8期王座戦では、二日制の対局の1日目に9手しか進まないという、長考合戦が繰り広げられ、この封じ手の時の梶原の「今日の蛤は重い」の一言は有名。対局中、「参った」などとよくぼやくことで「泣きの橋本」とも呼ばれた。愛唱歌は地元大阪を舞台にした「宗右衛門町ブルース」。 2009年12月2日、心筋梗塞のために逝去。生涯成績は1037勝631敗1ジゴ。 タイトル歴王座 1959、81年 関西棋院第一位決定戦 1965-67、70-74、78-79、88、90年 NHK杯 1967、80、85年 十段 1974年 早碁選手権戦 1975年 リコー杯プロペア碁選手権 1995年(小西和子五段とペア) その他の棋歴、受賞等NHK杯準優勝 1968、73年 早碁選手権戦準優勝 1974年 十段戦挑戦者 1979、81年 王座戦準優勝 1967年、挑戦者 1971、82年 棋聖戦全段争覇戦優勝 1979年 鶴聖戦準優勝 1989年 名人戦リーグ10期、本因坊戦リーグ6期 関西棋院賞最優秀棋士5回、利仙賞1回 1960年、『囲碁クラブ』誌主催で、対林海峰六段との記念三番碁が打たれた。 2024/06/17 17:22更新
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hashimoto syouji
橋本昌二と同じ誕生日4月18日生まれ、同じ兵庫出身の人
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