石上三登志の情報(いしがみみつとし) 映画評論家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
石上 三登志さんについて調べます
■名前・氏名 |
石上三登志と関係のある人
町山智浩: 町山が影響を受けた映画評論家としては、川本三郎、石上三登志、双葉十三郎、増淵健、蓮實重彦、山田宏一、淀川長治らの名前を挙げている。 市川崑: 「日本文学全集」(石上三登志)と揶揄気味に評されるほど純文学の映画化が多い市川だが、このネーミングに示されるようにミステリーへの造詣も非常に深い。 伊藤典夫: オレがSFなのだ 奇想天外放談集2 (筒井康隆、荒巻義雄、石川喬司、平井和正、豊田有恒、田中光二、山田正紀、森優、野田昌宏、山野浩一、藤子不二雄、小野耕世、眉村卓、鈴木いづみ、石上三登志、手塚治虫、大林宣彦共著) 奇想天外社 1979年 伊藤典夫: なぜSFなのか? 奇想天外放談集1 (豊田有恒、平井和正、南山宏、荒巻義雄、田中光二、かんべむさし、堀晃、横田順彌、鏡明、柴野拓美、浅倉久志、都筑道夫、小松左京、半村良、矢野徹、浅倉久志、高齋正、光瀬龍、石上三登志共著) 奇想天外社 1978年 手塚眞: 妖怪天国(1986年) - ゲスト出演:石上三登志、水木しげる、手塚治虫、楳図かずお、馬場のぼる ロジャー=コーマン: ジム・ジェローム共著、石上三登志・菅野彰子訳、早川書房、1992年。 岡本喜八: 双葉十三郎、小野耕世、石上三登志、小林信彦、森卓也といった、どちらかというと洋画への言及が多い人々が、古くから岡本喜八評価の文章を発表してきた。 筈見有弘: 1977年に創刊された『映画宝庫』の責任編集を石上三登志、増淵健らとともに担当。 大林宣彦: 同じくCM作家でもあり、映画評論家でもある石上三登志とは盟友関係となり、石上はその後の大林映画に多数ゲスト出演している。 市川崑: 娯楽に徹するという姿勢では、石上三登志、森卓也ら、その志向を支持する方面からの評価も高い。 |
石上三登志の情報まとめ
石上 三登志(いしがみ みつとし)さんの誕生日は1939年1月3日です。東京出身の映画評論家のようです。
来歴、映画などについてまとめました。映画、兄弟、卒業、テレビに関する情報もありますね。73歳で亡くなられているようです。
石上三登志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)石上 三登志(いしがみ みつとし、本名:今村昭、1939年1月3日 - 2012年11月6日)は、日本のCMディレクター。映画評論家。 電通でCM制作に携わる傍ら、1960年代から映画・SFなどの評論活動をおこなってきた。大林宣彦監督の映画を中心に、俳優としての活動もある。 ペンネームの由来は、石の上にも三年。美術監督の今村力は、従兄弟。 来歴東京都世田谷区池尻出身。福島県立磐城高等学校、明治大学文学部文学科(英米文学専攻)卒業。早稲田大学で結成されたワセダミステリクラブ(仁賀克雄、間羊太郎、山口剛、西田恒久ら)に、特別に参加。また、ワセダミステリクラブで知り合った曽根忠穂や宮田雪らと同人誌『OFF』の活動をした。 大学を卒業するにあたって、石上が漫画や映画に詳しいことから親に紹介された遠い親戚である東映動画の製作部長だった藪下泰司に就職の相談をし、東映動画への就職は断られが、藪下の昔の仲間がやっていたテレビCMプロダクション京映へアルバイトを経て1961年に入社。第一企画を経て、1964年に先輩の誘いで電通へ移籍した。 電通ではラジオ・テレビ企画制作局に配属され。レナウンのイエイエなどのテレビCM制作に携わる傍ら、1966年から『映画評論』誌の読者投稿欄「読者論壇」に投稿を始める。このときに本名が嫌いだったこともあり、石上三登志のペンネームを初めて使う。採用が続くうちに編集長の佐藤重臣から原稿依頼を受け、投稿開始8ヶ月目の1966年10月号でライターとしてプロデビューした。 1973年8月下旬号から1979年1月下旬号まで、TVムービーの映画評を断続的に『キネマ旬報』に掲載。この連載は後述の『私の映画史―石上三登志映画論集成』に収録されている。 1970年代後半のSF映画ブームの頃には、「SF映画評論家」「スター・ウォーズ評論家」の異名をとる。 1977年に創刊された『映画宝庫』の責任編集を筈見有弘、増淵健らとともに担当。 同じく1977年には東宝の田中文雄からの依頼で『惑星大戦争』の企画に協力。1978年には電通の仕事として東映のSF映画『宇宙からのメッセージ』の広告を担当した。『キネマ旬報』に東宝のプロデューサー田中友幸論を執筆したことから、田中友幸との関係ができ、1978年に設置されたゴジラ復活会議に参加。1984年に復活した『ゴジラ』に携わることになった。 毎日映画コンクールや藤本賞の審査員を歴任した他、1997年開始の手塚治虫文化賞の審査員を第6回(2002年)まで務めた。 1999年に電通を定年退職。電通で最後に手掛けた仕事である川崎市に建設予定のテーマパーク手塚治虫ワールドの断念が2002年に発表される。 その後も日本映画衛星放送(日本映画専門チャンネル・時代劇専門チャンネル)、ジェイ・スポーツ(J SPORTS)の番組審議会委員を務めていた。 2012年11月6日、骨髄がんのために死去。73歳没。 映画出演HOUSE ハウス (1977年、大林宣彦) 瞳の中の訪問者(ブラック・ジャック (実写版)) (1977年、大林宣彦) 兼アドバイザー 俗物図鑑 (1982年、内藤誠) 星くず兄弟の伝説(1985年、手塚眞) 野ゆき山ゆき海べゆき (1986年、大林宣彦) 声演 白痴 (1999年、手塚眞) 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ (2000年、大林宣彦) 理由 (2004年、大林宣彦) 脚本けんかえれじい (1966年、鈴木清順) 脚色協力・ノンクレジット。 殺しの烙印 (1967年、鈴木清順) 脚色協力・ノンクレジット。 竹取物語 (1987年、市川崑) 脚本共作 漂流教室 (1987年、大林宣彦) 潤色 その他多様な国土 (1985年、監督:大林宣彦、音楽:冨田勲、つくば万博日本政府館の70ミリ映像) 製作・構成。 しらぬい (1992年、製作会社:電通ブロックス、五藤光学研究所、脚本+演出:日笠宣子、ドーム70mm映像(アストロビジョン)、30分、映文連登録番号:15035) 製作。 2024/06/13 11:32更新
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ishigami mitsutoshi
石上三登志と同じ誕生日1月3日生まれ、同じ東京出身の人
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